−6月−

−初任研1−
最近の学校では新採用された先生は校内,校外で何十時間もの研修を行うことになっています。校内では他の教師が様々な分野でレクチャーするプログラムも組まれています。先日は私のところにも「道徳教育の進め方」について話す役がやってきました。

−初任研2−
今年は新採用の先生が2人おられます。私はどちらのクラスにも道徳の授業にT1として出ていましたから,まず毎週1回の授業を見られての質問を聞くことにしました。一人の先生は「真似ができない。」と言われました。もう一人の先生からは「なぜ時々全員を立たせて意見がある子から座らせるのか。」という質問を受けました。純粋な先生です。きっと,子どもは発問すれば考えるものと思われているのでしょう。

−初任研3−
「なぜ立たせるのか」という質問を受けること自体が不思議でした。初任研できっと今まで多くの授業を見てきているはずです。その中に「立たせる」という授業がなかったのでしょうか。それとも「見られている」時はそういう場面を避けられていたのかもしれません。私はこの質問を受けて「それはプレッシャーを与えるためです。」と答えました。そして,「子どもは,発問されても全員が考えているとは限らない。」と言いました。

−初任研4−
発問に対して自分の考えを持ったかどうかがはっきり分かる手立ての1つが「意見がある子から座らせる」という方法です。ただ,こんなことを3学期になっても続けているようでは意味がないとも付け加えました。本当は発問に対して誰もが誠実に自分の考えを持とうとするようなクラスをつくっていくことが大切です。1週間に一度だけの授業だからできるだけ効果的で即効性のある「全員発言」への取組みをしていること。早くこんなことはしなくていいようにしたいということを話しました。

−初任研5−
次にB4判の紙を1枚渡しました。最近読んだ記事の中で,最初から最後まで道徳授業に対する基本的で重要な考え方をきちっとまとめてあると思われるもののコピーです。私は今までの中で一番分かりやすく役に立つ物だと思いました。しかし,それが人にとって同じように感じられるかどうかは分かりません。それぞれの経験や考え方によって心に響くところは違うはずです。その時はあまりピンとこなかった言葉が10年後には全く違った価値を持って迫ってくるということもあります。とりあえずその記事を2人に読んでもらい,それぞれ蛍光ペンで自分にとって役に立つと思うところに線を引いてもらいました。

−初任研6−
次に,それぞれが線を引いた部分を読んでもらい,これからの授業ビジョンをはっきりさせていきました。私からはこの時2人が線を引いていなかった部分で,道徳授業の基本と思われるところの説明をしました。これからの教育界に貢献していく有望な人材2人に対して,自分勝手な教育理論などを偉そうに喋っても悪影響を与えてしまいます。こういう時は全国的な実践や理論を紹介する仲介役をするに限ります。これで,限られた時間を最大限有効に使うことができます。

−初任研7−
お互いの幸せのためにも,他の事務的な仕事に影響が出ないよう,必要最小限の時間で終わることにします。最後に伝えたのは,道徳の授業では緩やかな坂道を登っていってそのまま頂上に着くようなパターンではインパクトがない。終盤で,教師が意図的に反価値的な揺さぶり(例えば「この主人公はできたけど,普通はなかなかできないよ。もし逆上がりができなかったら,この努力や友だちの援助はむだになるんじゃない?」等)をかけていくことで,ねらいとする価値が子どもたちの方から(それも子どもが幾分ムキになって)出てくるようになるはずである。ということでした。そして,今2人が線を引いた部分を使って今回のレポートをまとめていくと,時間もかからずポイントをつかんだまとめになるよと伝えました。とにかく最近はやたらに事務量が増えてきて,本来の教材研究や教具,プリント作りの楽しい時間がなかなか取れなくなってきています。

−仕事1−
仕事に対して真剣に取り組む姿にはいろいろなタイプがあります。最近ようやく気づいたのは,手洗い1つをとってみても,そこに仕事に対する真剣さや責任感が表れるということです。

−仕事2−
病気になると仕事の上で十分なパフォーマンスを発揮できなくなります。また仕事を休むこともあります。するとクラスの子が困ります。また周りの職員に迷惑をかけることもあります。自分の仕事に責任を持とうとすれば,病気にならないよう気をつけなければなりません。例えば「手洗い,うがい」にも気をつける人がいます。手洗いではただ石鹸を使うというだけでなく,指の間,親指,手首を石鹸できれいに洗います。当たり前のようで,なかなかつい忙しさを理由にそこまではできていないのが普通です。

−仕事3−
「手洗いなんて」などと言われてしまえばそれまでです。自分の仕事をいつも最高の状態で行いたい,自分のできる範囲で人に迷惑をかけないよう病気にならない努力をする,というのは崇高な職人魂だと私は思います。

−仕事4−
新採の頃,私は開校日は毎日,運動会の日も学級通信を渡していました。また43名のクラスで,日記帳を2冊作り,毎日持って帰って返事を書いていました。それに漢字練習帳も2冊体制にして持って帰って直していました。休憩時間は子どもとフット,ドッジ,すもう等をして遊んでいたので,子どもが学校にいる間は全く事務的な仕事をしていなかったためです。市販のテストを一切買わず,プリントもテストも全て手作りにした年もありました。そのためいつも寝るのは夜中の2時,3時が普通でした。これは今思えば本当の「仕事に対する責任」ではなかったように思います。

−仕事5−
教師の仕事は子どもの成長の役に立つことです。通信も日記も漢字も遊びもテストもプリントも大切ですが,一番大切なのは今目の前にいる本人と目を合わせて,子どもの全てを包み込む大海のおおらかさで教え導くことです。もしそれができないような精神状態や健康状態になるぐらいなら,寝不足を引き起こす通信などただの紙切れでしかありません。通信の号数などで子どもが育つものではありません。人と人の穏やかで血の通ったかかわりの中でこそ教育は成立していくもの。そういうかかわりができる状況に自分を設定していくことが本当の,仕事に対する責任だと思っています。

−仕事6−
事務的な仕事も適切に行いながら,体調にも気をつけることができるようになりたいものですが,そこがなかなかできない自分を情けなく思います。組合のアンケートで「超過勤務の実態」について回答するとき,「その原因」の欄には「事務処理能力の不足」と書いていました。テストの丸付け1つにしても速い人はすごく速いのです。

−仕事7−
「初任研」で使用した「必要最小限の時間」という言葉は,つまり事務処理能力の向上をテーマとしている私自身の課題です。一つ一つの事務的な仕事の能率を上げて,中身のある充実した効率的な仕事をすることで,限られた時間を有効に使い,「大海のおおらかさ」を保てる心身共に健康な状態で子どもの前に立つという,一番大事な仕事の責任を果たしたいと思っています。

−ごみ捨て1−
最近,ごみ収集の仕事をされている方から学校へ苦情がありました。「ごみ袋の口をくくっていないので,中身がこぼれる。」ということでした。前から気になっていたのですが,この連絡を受けて本気でチェックすることにしました。そして,口をくくっていない袋は中身を調べて,クラスを断定し5時間目が始まる前にそのクラスに持って行き,ごみを捨てに行った児童に袋の口をくくってもらいます。先日はその袋の中に気になるものがありました。

−ごみ捨て2−
1つの袋の中には潰れた空き缶が1つ入っていました。分別されていないのです。もう1つの袋は持ち上げておろすと,カチャカチャと音がしました。底を見ると,壊れた鉢が入っていました。

−ごみ捨て3−
今回,たまたま口が開いていたごみ袋の中に分別していないごみがありましたが,このことから,口をくくってある袋の中にもきっと分別していないものが入っているはずだと思いました。生活指導担当として,全体にまた呼びかけなければなりません。しかし,これが「掃除」にも書いているように,なかなか浸透しにくいのです。

−ごみ捨て4−
生活指導の立場になって初めて気づかされたのは,「ごみの分別ができない」ということだけではありません。今,様々な全校児童の課題が見えてきています。それぞれに対して,自分にできる一番効果的な方法は何なのか,先生方との共通理解を図りながら,指導の役に立てる動き方とはどういうものか,この1年は今までとは全く違う新鮮な課題との格闘になります。

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