−12月−

−残念−
5年生の男の子が「昨日家で,先生に勉強をビシビシ鍛えられる,と言ったら,お父さんとおじいさんに,それはいい!と声を揃えて言われてしまった。」と残念そうに教えてくれました。

−テスト勉強1−
漢字総復習プリントにより,10短文のテストをしました。前日にテスト範囲を知らせ,宿題を「漢字テスト勉強」としていました。しかしテストの結果はとても悪いものでした。例えば「営業所の売り上げ額は,本社に毎日報告する。」というような短文の中の1文字でも漢字が違えばバツになりますから厳しいのは確かですが,それにしても悪すぎます。ここから,本当の「漢字テスト勉強」をしてきていないということが分かります。

−テスト勉強2−
普通「漢字」については,毎日少しずつ練習,テストを繰り返し,「いつの間にか覚えていた」という形をめざしています。漢字練習の宿題も「何回ずつ」と指定し,それで次の日のテストで覚えていなかったらまた宿題で練習していくことになります。しかし,今回の「テスト勉強」という宿題は違う努力を求めています。これは「完全に覚えるため」の勉強です。決められた回数漢字を書けばすむ宿題とは違います。覚えられるまで練習するのが「テスト勉強」です。ところが,実際はほとんどの子が普通の時より少ない1回の練習だけですませてしまいます。

−テスト勉強3−
「テスト勉強」というような「集中して知識,理解を短期間で深める」ものに子どもたちはこれから先,中学,高校,大学に行っても,また社会人になっても向き合っていくことになります。これは,ただ良い点を取るためというだけでなく,十代では脳の発育を高め,その後は自分の見識を深めるためにも大切な技能の1つになります。しかし,実際に中学に行った子どもたちの様子を聞くと,勉強の方法がよく分からなかったり,適当に済ませてしまう子もいるようです。また,自宅で自主的,計画的に目標を設定し一定時間学習を継続するには誘惑に負けない自分に対する厳しさが必要になります。

−テスト勉強4−
自分で自分に厳しくできるかどうかがテスト勉強では問われます。テストの点に表れるのは,1つのそういう「努力」の量とも言えます。決められた量の家庭学習を「栄養のバランスを考えて作られた給食」にたとえるなら,テスト勉強は「自分で自分に足りない栄養を考えて作る弁当」のようなものです。家庭学習の内容を小学校高学年になっても過保護に,これして,あれしてと詰め込むだけでは,自律的に学習を積んでいくような習慣ができにくかったのではないかと,最近自分自身反省しているところです。中学校に行って,急に「自律」を求められて戸惑う子に育てていたかもしれないのです。

−テスト勉強5−
宿題でテスト勉強と言われていたのに,1回だけの練習で済ませたせいでテストの結果が悪かった者だけ放課後集めて「テスト勉強の方法」のお勉強会をしました。内容は簡単です。練習帳に一通り練習した後,読みのページを見て自分でテストし,違ったり分からなかった漢字を再度練習し,再テスト。テストが100点になるまでこの繰り返しです。テスト勉強の宿題を出す時は,「100点取れると思う人は練習しなくていい。」と言っています。これを自分勝手に受け取って楽をしてきた子はやはり漢字が定着していません。楽をして行ってテストで合格点が取れないととんでもない目に遭うという経験をした子たちは,次回からは随分テストの点がよくなってきました。

−テスト勉強6−
テスト勉強というとあまりいいイメージがありませんが,「復習」というと急に高尚な感じがしてきます。その復習をできるだけ確実にできるような技能と精神力を中学に行くまでに少しでも育てておきたいと思っています。これは教科の学習に限らず,運動面や様々な活動の中にある「自分のレベルを上げていこうとする意欲と態度」の育成につながるものでもあります。自分で目標を設定し,その目標をめざして,人が見ていない所でも自分を厳しくコントロールし,一定時間の学習や運動を能率的に行っていけるような姿が理想です。そのためにそういう状況が必要な場を意図的に設定し評価し,鍛えていきます。

−テスト勉強7−
自律的な家庭学習として考えられるものに,自分で内容を決める「見つけ勉強」とか「自主学習」と言われるものがあります。中にはとてもきれいにまとめたり,ページ数を競って頑張る子もいます。しかし全体的にどうしても,あまり思考を必要としない,テレビを見ながらでもできるような写し絵的なものに偏りがちです。確かにこれは本人の力量に応じて学習を楽しく継続していける手立ての1つかもしれませんが,ほうっておくと個人差がよけい開いていく心配があります。

−テスト勉強8−
「テスト勉強」では,その学習の成果,効率,深度を次の日の小テスト等で明確につかむことができます。結果がおもわしくない子はその学習方法が適切ではないのかもしれません。テスト勉強とは復習をすることであり,自分の理解不足を自分で補っていくことです。ここの技能が未熟だと効率が悪く無駄な時間を費やしていくことになります。またプリントなどと違って,形として決まった量を示さなくてもいいので,つい適当に済ませてしまいます。テスト勉強では自分を厳しく律し,確実な理解を深めていこうと努力できるかどうかが試されます。

−テスト勉強9−
私は今までほとんど内容を与える,ドリル学習的な宿題を出してきました。しかし,中学に行った子どもたちの様子を聞いて,自分で自分に課題を課して理解を深めておこうとする自律的な態度,技能を育てるということをもっと意識して取り組むべきだったのではないかと思っています。またその方法も子どもに任せたままで指導を徹底していませんでした。こういうことは口で言っただけでは何にもなりません。実際に体を通して何度も繰り返させて身に付けていくものです。例えば,リコーダーや音読の練習にしても,途中でミスすることを自分が許さないで,最後までミスなしになるまで練習を止めないような「方法の指導」とそういう「こだわる態度の育成」が足りなかったのではないかと反省しているところです。

−圧倒的1−
最近,あの齋藤孝氏のセミナーを受ける機会がありました。その中で氏が実際に私塾で小学生に教えておられる方法で音読の授業を受けました。圧倒的なリズムとテンポでした。今まで速いほうだと思っていた自分の何倍もの速さで,それがまた心地よい密度なのです。片道230キロを車で行っただけの成果は十二分にありました。

−圧倒的2−
このセミナーで私なりに学んだことはいくつかあります。その中の1つは「いつも上機嫌」です。齋藤氏はある学生から「先生は4年間いつ見ても上機嫌でしたね。」と言われたそうです。確かにテレビで見られる表情からも分かるように,とても明るく楽しそうに話されます。授業を受ける立場になってみると,内容と共にこの雰囲気作りの大切さがよりはっきり分かってきます。

−圧倒的3−
学んだことその2は「リズム」です。その日は音読のパターンを実際にやって下さいました。小さく区切って教師の読みを聞いて,同じように私たち参加者(児童)が読みます。当たり前の指導のようで,これがまた実際のライブで経験すると一味違います。これは言葉では表せないものがあります。その次に読点で区切って教師と児童が交互に読んでいきます。ここで間を空けてはいけません。まるで一人が続けて読んでいくように相手の読みが終わるか終わらないかの間で次の自分の部分を読み始めます。ここに心地よいリズムと緊迫感と面白味が生まれてきます。速いリズムでポンポンと続けていきますから,教師側が元気よく上機嫌で味のある読みをすると,それに続く児童もつられて自然にその抑揚等の読み方が移っていきます。

−圧倒的4−
齋藤氏は小学校の教科書はレベルが低すぎると言われます。一晩で全部音読できるような教科書を1年かけて勉強して本当に学力がつくのかと。そして,考える力をつけるためには高いものをぶつけなければならないと言われます。たとえば鉄アレイでの練習のように,重いものを持って鍛錬した後普通のものを持つと軽く感じるのと同じ原理です。そこで主宰されている私塾では子どもにシェークスピアや夏目漱石などの質の高いものを与えていかれます。ただこれを押しつけるだけでは子どもは嫌になるにきまっています。それに集中して取り組めるような教師の働きかけが必要です。それはたとえば教師のハイテンションにあると言われます。これもライブで経験するとイメージがはっきり分かってきます。「無意味な上機嫌」がコツだとも言われました。

−圧倒的5−
学んだことその3は「ダレを許さない」です。同じ意味で「一人でも集中していない子は許さない」「途中でダレたら集中をとりもどす」「ボケたら直す」とも言われました。そして全体が集中した状態でレベルの高いものを速く学習していきます。速さというものは落ちこぼれを生み出すという固定観念がありますが,実際は速いからこそついていくという現実があります。そして集中が継続しやすいものです。ジャイロスコープは高速で回転するからこそ安定します。車の運転もゆっくりだと眠気をもよおしてきますが,スピードが出ると緊張感と共に集中力が生まれます。

−圧倒的6−
その4は「目を見る」です。氏は子どもの目を見ることが大事だと言われます。それも半端ではありません。どの子とも1分間に一度は目を合わせるぐらいの徹底振りです。つまり1分間にクラス全員を一周するわけです。すると,45分で一人ひとりと45回目を合わせることになります。ただ目を合わせるだけでなく,「その1本1本の線を太く」していきます。そして,目を合わせることで好きになってくれるとも言われました。

−圧倒的7−
この他にも,一人が発表や音読をして周りがそれを聞いているような今の学校の授業にはムダがある,授業中にすべきことは何なのか,教室の空気を読めること,聞いたことを再生するシステム,発見の喜びを再生すること,教師が教材に感動すること等々様々なキーワードを参考にすることができました。やはり実際に本物に出会って自分なりのフィルターを通すことが一番です。最近また別の方で,大きな価値観の転換を図れるような講演を聞くことができました。その話を聞いたおかげで,ものは考えようで周りの景色まで違って見えてくるものだということを改めて実際に経験することができました。学ぶことは本当に楽しいことです。

−板書−
国語や社会の板書を写真に撮ることがあります。以前は銀塩カメラだったので,フィルムを全部使うまで整理ができませんでしたが,デジタルカメラになってからは,その日のうちに印刷,整理できるのでものすごく便利になりました。

−スライド−
パワーポイントの操作に慣れるために,子どもたち一人ひとりに自分の小さい頃の写真のスライドショーを作らせたことがあります。この過程でスキャナーによる写真の取り込み,スライドへの写真データや言葉,BGMの挿入,アニメーション効果の編集,CDへの焼き付け等の経験をしました。

−ネジ−
初雪が降ったので,車のタイヤを冬用に替えました。タイヤの交換をする度に思うことがあります。それは,タイヤのネジを締める時,最初の1本をきつく締めてしまうと,他のネジがうまくはまらないことがあるということです。どれか1本がきついと他の部品がうまくはまりません。1本はしっかり自分の仕事をしているつもりでも,それがきつすぎると,全体の調和を乱してしまいます。人の器の大きさを,タイヤ交換をする度に考えさせられます。

−ありがとうございました−
私の家は山の中にあります。老後のために病院に近い所に今年家を建てました。20回間取りを書き直し,最終的に5LDKの全室南向きの家ができあがりました。今庭に植えたキンモクセイを見ながら,大晦日を過ごしています。自然の草花や夜空の星を見ていると,人間界の様々な問題が不思議に思えてきます。お互いにその存在そのものを喜び合えたら幸せになるはずなのに,ついその在り方を問い過ぎてしまうために軋轢が生まれてしまいます。自縄自縛の世界に教育界も呑み込まれてしまっているように思います。自分一人にできることは小さなことです。生きていることはそれだけで幸せなことだという当たり前の真実を時には思い出しながら,身の丈に合った確実な一歩一歩を来年からも歩んでいきたいものだと思っています。今年もこのHPにつきあって下さった皆さん方に心よりお礼申し上げます。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

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