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平成19年7月 飛騨高山へ友人達と1泊の旅行

 
 
 
【飛騨高山へ友人達と1泊の旅行】

 私の高校時代の同級生と、スキー仲間が集まって、私と家族を昔仲間とよく行った岐阜県の飛騨のスキー場まで、1泊で連れて行ってくれました。

総勢14名の団体です。車3台に分かれて、私は福祉車両のレンタカーを借りて、友人が交代で運転してくれました。家族は、妻と長男が一緒に付いて来てくれ、妻の補助にヘルパーさんの同行を頼みました。

行きは、朝8時に自宅を出て、愛知県一宮市に友人達が集まり、そこから東海北陸高速道路で、岐阜県飛騨高山市に行きました。

高山市に着いたのは、11時ごろで昼食を取りながら、高山の町を見学しました。14時にスキー場に向かい、着いて皆で記念写真を撮って、皆でいい空気を吸って旅館に向かいました。

16時過ぎに旅館に着き、各自部屋に入り着替えて、私と家族の部屋に集まり、第一回の宴会の始まりです。私の為に旅館がわざわざ福祉ベッドを、用意してくれていました。

ひと通りビールを飲んで終ったら、旅館が用意した餅つきです。友人が私の子供の為に、旅館に頼んでおいたそうです。長男は杵を持ったのは始めてで、はしゃぎ廻っていました。

皆で3臼も搗いて食べ切ってしまいました。19時から夕食をいただき、友人や私の家族は、あれだけタラフクお餅を食べたのに、夕食は別腹のようです。

食事が終れば、今度はカラオケで宴会の始まりです。その間、私は胃瘻から経管栄養を流していました。これも酷い話です。隣では美味しそうな飛騨牛の肉を食べて、お酒を飲んでカラオケしてるのに、私は喋る事もお肉を味わう事も出来ず、ただ見ているだけでお酒を飲む気にも慣れません。

宴がたけなわの頃私は部屋に戻りました。このまま居るのが辛かった、皆とはもっと話をしたかった思いはあったけど、お酒の入った状態では私の話した事は記憶にないだろう。少しの虚しさがこみ上げてくる。部屋に戻り23時に就寝した。

翌日の朝は、6時に目が覚めて妻と帰り支度を始めた。私の荷物だけで段ボール箱に3箱も有り、妻と長男は、かばん1個で私と大違いである。私の荷物の整理だけで30分も掛かり、妻と長男とヘルパーさんの朝食を遅くしてしまった。

皆の食事が終って旅館を出る時に、友人達と旅館の関係者の皆で旅館の前にて記念写真を撮って帰路に着きました。帰りは高速道路を使わずに高山市から美濃を通りゆっくりと寄り道しながら名古屋市に帰りました。帰って来たのが17時過ぎていました。本当にいい旅行に連れて行ってもらいました。

友人たちに感謝しています。友人達は、今もみんなで冬になるとスキーに出かけます。この体と病気を恨む訳ではないけど、もう一度友人たちと山の斜面をスキーで滑り降りたい。夜は、皆で鑪を囲んで酒を酌み交わしたい。そんな思いで一杯です。