鞍馬寺のウエサク祭とヒマラヤのウエサク渓谷 キルギスの伝説

  • 2008年の鞍馬寺のウエサク祭は5月19日午後7時からでした。
  • 2009年の鞍馬寺のウエサク祭は5月9日午後7時からでした。
  • 2010年の鞍馬寺のウエサク祭は5月27日午後7時からです。

ウエサク渓谷

ウエサク渓谷はヒマラヤの北東、キルギスの南西1000kmの所にあります。キルギスには「キルギス人と日本人は昔、兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚が好きな者は日本人となった。」という伝説があります。キルギス大使館で聞いたキルギス人と日本人の兄弟伝説

ウエサク渓谷とカイラス山

ウエサク渓谷はKailashカイラス山(標高6050m)の麓にあります。ウエサク渓谷とチベット聖地カイラス山の写真

カイラス山はインド周辺での最高の聖地です。カイラス山の写真を見ればその意味がわかります。 カイラス山の写真Wikipediaへ
カイラス・パリ クラマはカイラス山への偉大な巡礼という意味です。

鞍馬寺のウエサク祭

ウエサク祭 五月満月祭

鞍馬寺ウエサク祭より

ウエサク祭の起源は、釈迦の降誕、悟りを開いた日、入滅の日が、全てヴァイシャーカ(Visakha)月(インド歴第二月)の第一満月の夜であったという伝承から来ており、占星のカレンダーに従って、ウエサク祭の期日は決定されます。

ヴァイシャーカ(Visakha)月の満月は、太陽が雄牛座から登る日(4/21~5/21頃)であり、旧暦では四月十五日になります。我々が使用している太陽暦(グレゴリオ暦)では四月から五月の満月にあたるということから、結果的に概ね五月の満月に当たることになります。

世界のウエサク祭

ウエサク祭は元々仏教から始まったので、チベット、タイ、スリランカなどアジア各地で行われています。ヒマラヤの北東、キルギスの南西1000kmの所にはウエサク渓谷という所があって、ここでも、ウエサク祭が行われています。

ウエサク祭の語源は上にあるように、ヴァイシャーカ(Visakha)です。ウエサク祭が行われるという事で、ウエサク渓谷という地名がついたのだと思います。

鞍馬寺のサナトクマラ

鞍馬寺の魔王尊はサナトクマラとも言われます。 サナトクマラはサナトへの巡礼と言う意味なのでしょうか。

鞍馬天狗とキルギスの伝説

鞍馬寺には、牛若丸が鞍馬天狗を相手に修行したという伝説があります。キルギスにはテングリ山という山があり、日本と深い関係を示す伝説があります。

キルギス国境にあるテングリ山

Peak of Khan Tengri at sunset

左の画像は、wikipediaのハン・テングリに掲載されている写真です。

テングリ山は、鞍馬山と同じように信仰の対象になっていて、キルギスとカザフスタンの国境に位置します。ハン・テングリ山とも言います。国際山岳年2002記念切手(キルギス)を見れば、聖なる山の形をしている事が分かるでしょう。キルギス語やさらに東方のモンゴル語では、テングリは「神」「天」という意味になります。「テングリ」が日本の「天狗」につながるという事もあるかもしれません。ユダヤ人は天狗のように鼻が高いと言われています。

キルギスのテングリ山と日ユ同祖論

日ユ同祖論と秦氏Wikipediaより(別ウィンドウ)
秦氏は、もともとは、景教徒の拠点であった中央アジアの弓月国に住み、景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰しアッシリア以降の中東の共通言語であるアラム語を話していたとされ、ユダヤ人と同様に養蚕や絹織物技術にすぐれていたとされる。弓月国には、ヤマトゥという地や、テングリ山という山があった(「テングリ」はキルギス等の中央アジアの言葉で「神」という意味とされる)。

貴船のキブネダイオウ

貴船のキブネダイオウは環境省から絶滅危惧品種に指定されているらしいです。

貴船のキブネダイオウの生息地

日本では京都府貴船地域と岡山県の一部だけである。母種に当たるvar. nepalensis は中国南部からヒマラヤ、東南アジアに広く分布し、キブネダイオウに比してやや小形である。

貴船大王発見の歴史

京都・貴船にはキブネダイオウが自生?している。文献11)によれば、1905年に発見され、牧野博士もこの地を訪れ新種として発表した。

不思議なのは貴船川の限られた地域にしかない。現在であれば外国から持ち込まれる可能性はあるが、当時このような山奥に外来種が持ち込まれるとは考えられなかった。目立つ草だし、その内に他の同じような条件の地域でも発見されると思われたが、記録されなかった。

最初の発見から50年後、カラコルム(ヒマラヤ)探検隊が持ち帰った標本にキブネダイオウがあり、検討した結果、中国領チベット、ヒマラヤ、インド、中近東に広く分布していることが判明し、日本土着の種ではなく、外来種という説が有力という。

しかし誰が持ち込んだのか。歴史によれば、この地に寺が造られたのは770年頃、唐招提寺・鑑真和尚の高弟が開いたとされる。この時代に唐からもたらされた植物かもしれない。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。