|
1日目 成田〜カイロ 2日目 ギザ カイロ 3日目 ハルガタ 4日目 ハルガタ 5日目 東方砂漠横断 カルナック神殿 ルクソール神殿 6日目 メディネトハブ 職人の墓 貴族の墓 王家の谷 7日目 モスクワ 8日目 帰宅 |
職人の墓へ | ||||||||||||||
ここは王家の谷を作る職人たちが住んでいた所だ。職人たちは住居は衣食住に関するものを全て王から支給され、ここに集まって住んでいた。王から認められた高度な技術者集団だったのだ。ラムセス三世の時代には食料の支給が遅れたことを理由にストまで起こしている。そんな抵抗が許されるほど、力を持っていたわけだ。 このデルエルメディナには職人たちが住んだ日干し煉瓦の家の遺構と墓・後世作られた神殿が残っている。 特に墓は、さすがプロ集団というか、王家の谷で培った技術を自分のためにもたっぷり使っているのだ♪ 旅行前に調べれば調べるほど出てくる美しい墓の資料に、夢中になってしまった。ものすごく楽しみだ(^-^)
ジリジリと暑くなってきたので、まずはここで休憩。子供たちはトイレへ。 トイレの前にはもちろん番人(?)がいるので、バクシーシを忘れないように。(50pt程度) トイレから戻ってきた子供たちは何ともいえない表情をしていた。どんなだったか聞くと、「工事現場のトイレがボロボロになった感じ。絶対座れない。空中椅子必須。」との返事。まぁこんな所にトイレがあるだけでも恩の字だものね(笑) さて、まずは、休憩所のすぐ脇にあるインヘルカウの墓へ入ることになった。インヘルカウはラムセス三世・四世の時代に職人たちのリーダーだった人。ということは、前述したストを指揮したのはこの人物?(笑)すごいなぁ。歴史上初のストの指導者の墓だ。 そんなとても運動家っぽいインヘルカウの墓は、意外にもユニークでカワイイ動物の絵がたくさん描かれている。聖なる木(太陽のシンボル)の下で、猫(アメン神のシンボル)がヘビ(大蛇アポピス。悪と暗闇のシンボル)と戦う絵が有名。このほかに、ライオンの絵などもあり、どれも毛並みまで細かく描かれている。 盲目のハープ弾きが奏でる音楽を楽しむインヘルカウ夫妻の絵もある。人生楽しんでそうだなぁという印象だ(^-^) 一部に破損した部分もあるが、保存状態も良好だった。
下段は宴会を楽しむインヘルカウ夫妻。まるでマンガのコマ割みたいに、どの場面も行動がはっきりと判るように描かれている。 |
|||||||||||||||
|
|||||||||||||||
家族思いのパセドゥの墓 | |||||||||||||||
次はインヘルカウのそばにあるセンネジェムへ行こうと思ったが、混雑していたので先にパセドゥの墓へ向かう。ここは若干離れていて、職人たちの住居跡沿いの道を少し歩く。距離にしたらたいしたことないのだけど、とにかく暑い…。石が白っぽいので、空からの太陽の光だけでなく、照り返しがとてもきついのだ。う〜ん、ここは夏来たら大変なことになりそう。 道沿いの住居跡は予想外に保存状態が悪くなかった。永遠を願い石で作られる墓に対し、現世の家は日干し煉瓦で作られている。そのため残っていないことが多いのだ。 しかしここは、壁の下の部分がほぼ完全に残っているので、大体の間取りが推測できる。台所だったのだろうか、石臼のような物がそのまま置かれている部屋もあった。3000年前、ここで職人の奥さんが疲れて帰ってくる家族のために夕食を作っていたのかもしれない。すごいなぁ(という言葉ばかり出ちゃう(^^ゞ )
インヘルカウの墓からパセドゥの墓まで300m程。その間に10回は「暑い〜」とぼやいた気がする。やがて、見事なピラミディオンが残る墓のそばに着いた。他の墓も昔はこんな風になっていたそうだ。残念ながらここは公開されていなかった。 パセドゥの墓の入り口は少し高くなったところにあるので、振り返ると職人たちの町が一望できる。墓の秘密を守るため、町の周囲が壁で囲われていたことが良く分かる。
墓に入ると、さっそく番人が寄ってきて、笑顔でダンボールの切れ端を渡された。なるほど、団扇代わりに使うようだ。ふぅぅ、外も暑いが、墓の中も空気が篭って蒸し暑い。これはありがたい♪ 埋葬室に入る通路の両脇にはアヌビスが左右対称に描かれている。まるで入ってくる人を封じる番犬のような勇ましさだ。そのすぐ隣の壁にはパセドゥの親族が3段に分けて壁一面に描かれている。上段のパセドゥの両親は白い鬘を被り歳を取っていることがわかる。下の方には兄弟や子供など、関係者勢ぞろいと言う感じだ。ここまでたくさんの親族が描かれている例は少なく、これはパセドゥが死後も親族と共に居たいと考えたためと言われている。腕一本で出世した職人は、家族思いだったようだ(^-^) 脇にはナイルで水を飲むパセドゥの姿。ヤシの木と水の色合いがとても鮮やかだ。 この墓は、ガイドブックなどにはほとんど書かれていなかったが、ネットで見つけてすっかり参ってしまった。色合いといい、構図といい、斬新で、しかも迫力がある。
|
|||||||||||||||
|
|||||||||||||||
むちゃくちゃキレイ!センネジェムの墓 | |||||||||||||||
先ほどはドイツ人団体客がいて入れなかったけど、戻ってきてみると空いていた♪ワクワクしながら中へ。 入り口部分には扉があったが、これは今カイロ考古学博物館に展示されている。今はトンネル状になっている部分をくぐると、見事な壁画が見えた。 カマボコ型になっていて、全面に絵が描かれている。西壁には神々に祈りを捧げるセンネフェルとイイネフェルティ。上部に描かれた左右対称のアヌビスとウジャトがカッコイイ!
その下の壁画はちょっと泣けてくる。センネジェム夫妻を清めているのは彼らの亡くなった息子。来世での再会を楽しみにしていたのだろうか。 何しろこの墓はすごい。黄土色の下地の上に、色とりどりの色彩で絵が描かれ、それがほとんど損傷していない。褪せた感じもしない。まるで描いてすぐのようだ。 壁画のテーマも、亡くなってから冥界へ行くまでの様子が判りやすく描かれていて、とても興味深い。 西岸一番の保存状態というのも納得だ(^-^) 壁画の細かい説明は別ページですることにするが、一つ一つのエピソードもとてもおもしろい。時間がなくて全部見て回ることができない場合でも、ここだけでも見たほうがいいと思う。 感動していると番人がやってきた。「すごいだろう!ここを見ろ!ヤシだ。こっちを見ろ!川だ」と説明してくれる。いや、普通に分かるから(笑)誰が見ても分かるから! でもまあ、笑顔で一生懸命解説してくれた。本来墓の番人はガイド禁止。でもこうやってバクシーシを稼いでいるようだった(^^ゞ 何時間でも見ていたい壁画だが、ここはとても狭いので、一回に一組しか入れないようだった。次の組が来たらしく、出るよう促される。素晴らしい壁画を目に焼き付けて外に出た。
|
|||||||||||||||
デル・エル・メディナ神殿 | |||||||||||||||
神殿自体は小さな物だが、後世コプト教の修道院として使われていたこともあり、大変保存状態がいい。 周りの壁もキレイに残り、立派な物だ。 番人に鍵を開けてもらい中に入ると神殿があった。
神殿の中はほぼ完全に天井が残っており、特に奥の至聖所の部分は保存状態が良い。至聖所の壁面にはぐるりとエジプトの神々が彫刻されている。 また中央の部屋には天井の濃い青色がはっきりと残り、空を表す「大」の字がくぼんでいる。この部分には当時クリスタルが埋め込まれていたとガイドの説明があった。 その天井の中央には四角く穴があけられ、そこから光が差し込む。長男がその光の真下に立つ。王が昔立ったかもしれない位置だ。ここでどんな神事が行われたのだろう。怖いぐらい神秘的だった。
至聖所を出てると、先ほどの番人がニコニコと近づいてきた。「個人で来たのか?」と言う。そうだと言うと、「じゃあ特別だ!日本人は大好きだ(^-^)」と行って手招き。なんだろうと着いていくと神殿脇の階段に案内された。登れ登れという。おお?!いいの?? 早速登る。なんとその階段は神殿の屋根に通じていた。少し崩れている部分があって怖かったが、何とか屋根へ。すると、うわーーー!すっごい良い眺めだ! 屋根は所々に穴が開いているので、気をつけないと落ちちゃうけど、それもまたスリルがある。下で番人が手を振ってくれる♪うわ〜〜、おもしろい。どうもありがとう〜〜♪♪
|
|||||||||||||||
|