1日目
 成田〜カイロ
 
2日目
 ギザ
 カイロ
 
3日目
 ハルガタ
 
4日目
 ハルガタ
 
5日目
 東方砂漠横断
 カルナック神殿
 ルクソール神殿
 
6日目
 メディネトハブ
 職人の墓
 貴族の墓
 王家の谷
7日目
 モスクワ
 
8日目
 帰宅

 情報不足…

実は今回の旅行で非常に悩んだことがあった。カイロ観光で、シタデルをどうするか。イスラム社会に行くならやはりモスクへ行ってみたい。英雄サラディンの作った城壁と言うのも魅力的だ。でも、行くとちょっと時間的に厳しいかなぁ。やはり考古学博物館はこの旅行の目玉の一つ。個人旅行のメリットを活かし、心ゆくまで堪能したいものだ。
 
一日の日程を様々に組み合わせ情報を収集する。すると、考古学博物館は意外に遅くまで開いているのではないかと言うことが分かってきた。
 
ちなみにJTBのガイドブックでは9時〜18時45分、某大手手配会社のHPでは19:00までとあった。さらにネット上の情報では19:00までと言うのが結構あった。でも地球の歩き方では16:45まで。うーん、どちらを信用するか迷う所だ。こういう場合一番信用するべきは公式HPだが、なんとまあ、公式HPは入場料すら以前のままではないか。未だにカメラチケット代まで書いてある(今は撮影禁止)きちんとした閉館時間の記載はなかった。(ただ、17:00〜21:00まで特別な許可と料金を支払えばTV撮影等ができると言うようなことが書いてあった。)
 
悩んだが、ネットのほうが最新情報があると考え、閉館時間の早いシタデルへ行き、その後考古学博物館で閉館時間まで粘ることにした。
カイロに到着してすぐ、一番心配だったカイロ博物館の閉館時間を現地在住の人に聞いた所、21時とのこと。おおー!今までで一番遅い!これなら予定通りシタデルへ行くことができる。大喜びした。
 
しかし結果を言うと、考古学博物館の閉館時間は17:00だった。ほぼ地球の歩き方の勝利だ。シタデル観光をしている時に聞いて呆然とした。その為考古学博物館はかなり駆け足の観光になってしまった。非常に残念だ。シタデルは素晴らしかったので行ったのは全く後悔していないけど、考古学博物館はやはりもう少し時間が欲しかった。
 
季節的なものなのか、あるいは5時から貸切が入ったのか。やはりエジプトは行ってみないと分からない。情報収集が大変難しい所だ。

 サラディンの城壁へ

 
サラディンとは1169年にアイユーブ朝を創設した人だ。その後領土を広げてエルサレム王国を滅ぼす。聖地奪還を目指して組織された、リチャード一世らが率いる十字軍を撃退。平和条約を結んだ。
すごい勇将だったのだ。でも、サラディンの名を高めているのは武勇だけでなく、寛容さだ。
十字軍の異教徒に対する戦いは無慈悲なもので、投石器に敵の首を入れて投げ、捕虜は皆殺しにされた。しかしサラディンは捕虜を条件付で開放したと言う。その為味方はもちろん敵からも尊敬されたそうだ。
この時代、異教徒に尊敬されるとはすごいことだと思う。
 
世界史でサラディンを習って以来、サラディンは母の中でヒーローだった。世界史マニアの長男も興味深々だ。そのサラディンが作った城壁が残っているのだ。是非見たい!
 
ピラミッド観光を終え、カイロへ向かう。まずはシタデル観光。世界遺産になっているイスラミックカイロ。その中心部の小高い丘の上に、巨大な城壁“シタデル”が築かれている。
初めて見る外国の城壁。まるで映画のような丸い櫓があり、どこかから兵士がひょっこり顔を覗かせそうだ。
これが、サラディンの作った城壁か〜!あの櫓の上で指揮を取ったこともあるかもしれない。十字軍相手の戦いはきっと熾烈だったことだろう。当時のサラディンの勇姿を思い浮かぶ。ミーハー全開である。
 
全景
シタデルの中には軍事博物館、オスマントルコ時代の建物など、見所が多いが、今回は一番有名なムハンマドアリモスクを見学することにした。
 
このモスクはオスマン時代にムハンマドアリによって建てられたもの。1824年に建築が始まったそうだ。ちなみにイスラム教徒にとって、偶像崇拝は禁止。でも、モスクに名前を付けるのは許されているそうだ。ただし中で崇拝されるのはアッラーのみ。建築者が崇拝されることは絶対にないそうだ。
ガイドのヘルファさんに連れられ、荷物検査を受けたあと内部へ。素晴らしい建物が見えてきた。ドームの両脇に立つミナレットが大きな建物なのに繊細さを感じさせる。建物のバランスがよくて、ものすごくきれいだ。このミナレットはトルコ式。鉛筆のように尖った形が特徴だ。
今のようにスピーカーで祈りの時間を知らせることができなかった時代、このミナレットから「祈りの時間ですよ〜、みなさん良いことをしましょう〜」というような呼びかけを行ったとの説明があった。
中に入ると広い中庭があった。中庭の周りにはぐるりと塀があり、モスク自体もこの塀もなんと全部大理石でできているということだ。時代がたっているので多少茶色になってしまっているが、今も十分美しい。中央には祈りの前に手足、口を清める場所があり、大変美しい柱が立っていた。
 
中庭の周りの回廊。
窓の格子も美しい
清めの場所
 
これがオベリスクの代わり?!
周りの壁の上に古ぼけた時計台がある。これはオベリスクを送ったお礼にフランスから贈られた時計。うーーーん。オベリスクに比べると何と言うしょぼさだ。しかもすぐ壊れてしまったと言う。「今はハト小屋です…」とヘルファさん。くくぅ、せめてもうちょっとましなものを渡せよフランス!
 
この回廊の中は土足禁止。また、女性で肌を露出した服を着ている人はグリーンのガウンを貸してもらい、上から着用する必要がある。
現在は観光用が主で、儀式はあまり行われていないようではあるが、イスラム教の聖なる場所。失礼があってはいけないので、服装等に配慮が必要だ。 
 
中庭の説明を終え、いよいよモスク内部へ。初めての経験だ。
緊張しながら足を踏み入れる。すると…声にならないほど美しい世界が広がっていた。イスラム教では偶像崇拝が禁止され、内部に彫像などは一切ない。しかしコーランの一説を美しい絵文字にした模様やグリーンを基調にした幾何学模様が天井や壁一面を覆いつくしていた。
外から見えたドームの内側は特に美しく装飾されている。思わず全員声を上げてしまった。小さな写真ではこの美しさは伝わらないと思うのでちょっと大き目の写真をUP。
 
ドームの境にあるアーチ型の梁も見事。写真を拡大すると、目で見えない所まで細かい模様でびっしり装飾されているのが分かる。
ドームの脇にある青い文字はおそらくコーランの一説。偶像崇拝を禁じているため、絵や彫像ではなく、模様か文字でモスク内を飾る。
天井部
一年をあらわす365個のランプがともされている。
中央のシャンデリアが見事。
上部にステンドグラスが見える。
入り口付近から奥を見た所
モスク最深部。下の部分に見える、小さな台のような部分は聖職者がイスラム教の休日金曜日に演説するためのもの。
正面最深部

 考古学博物館へ

 
博物館正面
さて、次はいよいよ考古学博物館だ。あれも見たい、これも見たいと期待が膨らむ。ここでヘルファさん、「考古学博物館は5時までなので、なんとか急いでいきましょう!がんばりましょう!!」 はうううっ!?ご、五時まで?!
なんと〜〜〜!この時点で2時半、まずい!しかし、これまでの彼のガイドぶりから考えて、間違いはないに違いない。慌てて車に戻る。
 
駐車場では沢山のパピルス売りが集まってきた。噂に聞くニセパピルス売りだ。「10枚千円〜〜!」と日本語で叫んでいたかと思ったら、ものすごい速さででパピルスをめくりだし、「11枚千円っ!12枚、13枚、…(続く)…18枚千円〜〜っっ!」その間わずか10秒。ものすごい勢いのディスカウントだ。思わず笑ってしまった。ちょっと見てみたい気もしたが、そんな時間はない。速攻で車に乗り込む。渋滞のカイロ市内を驚異的な運転技術で切り抜け、何とか3時頃考古学博物館に到着した。
 
頻繁に見られるので、
覚えておくと楽しい。
考古学博物館前の池には上下エジプトを現すハス(下エジプト)とパピルス(上エジプト)が植えられている。このハスは特別なもので、国外持ち出し禁止になっているそうだ。この「上下エジプト」という概念はこれからの説明でも沢山出てきた。「エジプトは2つの国が統一されたもの」というのは古代から続く大変大きな考え方のようだ。
右のレリーフはカルナックにあったもの。分かりにくいが、ハスとパピルスを結び合わせている。これは上下エジプト統一のシンボルだとヘルファさんに教えてもらった。注意してみると、あちこちの展示物、神殿で見られる。
 
両脇の窓の上の白い石板には古代エジプトの歴代の王の名前、門の上にはハトホル女神と古代エジプトが山盛り。入る前からワクワクする。
 
この庭には考古学博物館を見るうえで忘れてはならない人の銅像がある。マリエットだ。彼はフランス人ながらエジプトを愛し、当時持ち出し放題だったエジプトの宝を国内に保存することに尽力した。考古学博物館の初代館長になり、どんな圧力や賄賂にも屈しなかったと言う。彼の遺体は遺言により敷地内に埋葬され、その上に博物館を見守るようにこの像が建てられた。私たちがこのような貴重な宝を一堂に見ることができるのは、彼のおかげなのだ。
 
中央にパピルス外周にハス ありがとう、マリエット!

ミイラ室へ

 
中に入り、まず初めにミイラ室から見ることになった。重要な物から見る作戦だ。
 
少し薄暗い室内に、棺のようなガラスケースに収まって王のミイラが眠りについている。
最初に目に付いたのがタァ2世のミイラ。彼は下エジプトをヒクソクに占領されていた時代の上エジプトの王だ(17王朝 BC1663〜BC1555)
セティ一世
ラムセス二世
下エジプトのヒクソス系王朝(15王朝)と戦ったが彼の軍は敗退。タァ二世も顔に大きな傷を受け亡くなった。この傷がそのまま残っているのだ。顔はゆがみ、苦しそうな表情を浮かべたミイラは、恨みを残しているようで3500年前の物とはいえ、恐ろしかった。
しかし彼の遺志は息子が引き継ぎ、カーメスを経て、イアフメスがヒクソスを撃退。ついに上下エジプト統一を果たす。これが私たちがエジプト観光で遺物をよく見る新王国18王朝だ。
 
次に見たのはセティ一世、ラムセス二世、メルエンプタハの三世代の王のミイラだ。ネットで知り合った方に三人揃って鷲鼻だと教えていただいた。それを聞いたときっ絶対見ると心に誓った。3500年前の遺伝を見られるのだ。すごいことだ。
聞いていたように、三人とも鼻の中央部が高い独特の形だ。特にラムセスとメルエンプタハは、特徴がはっきり分かる。現代だったら近所のオバサンに「お父さんに良く似てるわねぇ」と言われそうな位似ている。
 
セティ一世のミイラはとても安らかな顔で寝ていた。まるで少し微笑んでいるようだ。唇の形もはっきりとして、とても美男子であった。
ラムセス二世のミイラは腕まで包帯が解かれていて、指の形まで見ることができる。なんと爪までついていた。彼は92歳まで生きたと伝えられていて、晩年歯が磨耗し大変苦しんだらしい。この時代のパンは砂が混じり大変固く、みんな歯を痛めたそうだ。あれほどの物を作りながら、なぜパンの砂を抜けないのか謎である。少し開いた口から、小さく擦り切れた歯が見えた。
頭部には毛髪も残っている。92歳だからおそらく総白髪だったろうが、ヘンナという木のエキスで染めたとのことで、金髪に見えた。
 
ミイラを見て、3500年前の偉大なファラオたちが急に身近に感じた。それまでラムセス二世といえば私の中ではユル・ブリンナーだったが、鷲鼻のおじいちゃんに変化した。

宝の山だ!

館内
(C)osiris express
いよいよ展示物の見学だ。全部掲載していると大変なことになるので、私たちが特に感動した物のみ紹介しようと思う。
 
ヘルファさんの解説はまずナルメル王のパレットから始まった。
ナルメル王はエジプト第一王朝の初代の王だ。それまで分裂していた上下エジプトを統一した。この統一を記念した5000年前のパレットをここで見ることができるのだ。
 
パレットは片岩作られ、表裏ともに彫刻が施されている。表上段右には首を切られた捕虜の死体が描かれている。その横には各地の旗を持った家臣、続いて下エジプトの象徴赤冠を被る王が見える。中断には首の長い動物が描かれている。首を絡ませているのは上下エジプトの統一を意味していると考えられている。
裏面には捕虜を打ち据える、王の姿。こちらでは上エジプトを象徴する白冠をつけている。下には逃げ惑う捕虜の姿。文字は書かれていないが、内容が推測できる分かりやすい絵だ。
 
 
クフ王座像
(C)osiris express
続いてピラミッドを作成した古王国の展示に向かう。まずはクフ王の坐像だ。象牙でできたこの像は本当に小さい。本状態も悪く、玉座の左側にクフを現すカルトゥーシュが書かれているが、それもやっと見える位だ。ここに来る前は、古い時代だからかなと思っていた。しかしクフの関係者は立派な物が沢山出土しているのだ。とても不思議である。
 
クフ王の兄弟ラーホテプと妻ネフェルトの像は特に素晴らしい。エジプト美術史上最高傑作のひとつと言われている。
美しい色彩は当時のまま、ネフェルトの頭にはヘアバンドが巻かれ、花模様で飾られている。当時の筆遣いもはっきり分かる鮮明さだ。しかし、この像で一番驚いたのは目だ。写真では分かり辛いが、水晶とガラスで象嵌されていて、本当の目のように光るのだ。この像をメイドゥームのマスタバ内で見つけた発掘隊は、暗闇に光る目を見て逃げ出したと言う。それほどリアルなのだ。
 
ラーホテプとネフェルト像
(C)Paul Biesta
ネフェルトアップ
(C)Paul Biesta
 
クフの関係者でもう一つ素晴らしい展示があった。クフの母ヘテプレヘレス王妃の副葬品だ。王妃の木製の輿が展示されているのだが、これがすごい。木目がまだはっきり分かるのだ。例えると、大げさでなく、築一年目程度の家の白木の柱のように新しく見える。写真がないのが本当に残念。しかも本等に掲載されている写真は館内の照明のせいか、かなり茶色く写っている。ぜひ本物を見て欲しい。本当に新品のようなのだ。
 
カフラー王座像
(C)osiris express
ギザピラミッドの他二つ、カフラーとメンカフラーの像もよかった。
まずカフラー。この王の等身大坐像は閃緑岩でできている。閃緑岩は大理石や花崗岩より固い。鉄器がなかったこの時代、この石の加工は大変だったことだろう。ヘルファさんはダイヤモンドを使って磨いたのではないかと話していた。
しかし、像は固さを感じないほど滑らかで自然だ。頭を守るように羽を広げているホルスの像も曲線が美しい。石自体が持つ緑色と白のマーブル模様もとてもきれいだ。
 
メンカフラー王像
(C)Paul Biesta
 
 
 
 
 
 
 
 
 
メンカフラーの像は1m程のものだ。ハトホル女神とともに、足を一歩踏み出した姿で彫刻されている。
この像、写真で見ると一見普通だが、すごいのだ。実際に行ったら、ぜひ首の下の部分に注目して欲しい。うっすらと肋骨が浮き出ているのだ。
ただ表面の形を再現するだけでなく、皮膚の下にあるものまで自然に再現されている。
足の腱や関節など、どの部位も素晴らしい完成度だ。
 ツタンカーメンの秘宝
黄金のマスク
(C)osiris express
2階は大部分がツタンカーメンの王墓から出た物で占められている。黄金のマスクや棺が展示されている部屋は薄暗く、宝物にライトが当たり、他の展示物とは別格の扱いだ。おかげで、黄金の美しさを堪能できる。
やはり圧倒なのは黄金のマスク。ラピスラズリの象嵌の青と黄金が見事にマッチして大変美しい。ここでちょっと注目したいのがマスクの内側。カーターが発掘した時、黄金のマスクはミイラに貼り付き、剥がすことができなかったそうだ。そのためバーナーで熱して剥がしたらしい。なんと乱暴なことを…。
そのときの黒い煤のような跡が生々しく残っている。ミイラに巻かれていた布もわずかながら見える。
黄金の棺は110kgもあり、色ガラス、貴石、ラピスラズリが象嵌されている。象嵌自体は第二の棺の方が美しいが、やはり黄金の棺の方が完成度が高い。細かい所まで細工がされ、じっくり見ても見飽きると言うことがなかった。
この展示室は黄金づくしだ。有名なこれらの展示の他にも、細かい細工の大変美しい装飾品が沢山展示されている。どれも他国でエジプトの展覧会があれば、目玉になるような物ばかりだ。時間をとって、じっくり見たい部屋だ。
 
それにしても、子供のころ、本で読んだ「世界の不思議」の現物を自分の目で見られる感動は大きい。ここはすごい。圧倒されて声も出なかった。
 
ツタンカーメンの特別展示室
(C)osiris express
黄金の宝飾品
(C)Paul Biesta
第二の棺
(C)Paul Biesta
黄金の棺
(C)Paul Biesta
カー・アペルの像
カーアペル立像
(C)osiris express
そして最後に紹介するのが、私たちが一番感動したカーアペルの像。カーアペルは第五王朝の神官。今から4500年前に作られた立像だ。サッカラのマスタバで発掘された。
目は水晶とガラスで象嵌され、目の周りは銅で縁取られている。
この目がすごい。まさに本物そっくりだ。ためしに横から見てみたら、まぶたの間に自然なカーブを描いた水晶が見え、まさに本物の人間の目を横から見た所と同じだ。
造形もすごい。最初に見たとき、木の皮をびりびりと破いて、中から人間が出てくるんじゃないかと思った。それ位完璧な形なのだ。
ちなみに考古学博物館の目録の表紙はこの像だ。本文でも数ページをさいて、解説を行っている。ツタンカーメンのような華やかさはないが、表紙を飾るにふさわしい展示物だと思う。
 
事前に自分で調べておいたほとんどの重要な展示物を短い時間で効率よく見てまわることができた。時間はちょうど5時。まさにプロの時間配分だ。
「後は追い出されるまで、じっくり見てまわってください(笑)」とヘルファさん。さっそくツタンカーメンの展示室へ!人も少なくなり、のんびり見ることができた。ツタンカーメンの部屋はいつも人でごった返しているらしい。でもこんなギリギリの時間に来るツアー客もいない。静かな部屋で見ることができ、かえってよかったかもしれない(*^_^*)
やがて5時半位になって、係員がやってきた。ついに追い出されるらしい(笑)駆け足ではあるものの、ヘルファさんのおかげで満足のいく見学になった(^-^)
 
本当に素晴らしい展示物だらけで、とても紹介しきれない。カイロ博物館については、ガイドブックに詳しく掲載されているのでぜひ熟読して行って欲しい。
そしてできれば、ここは熟練したガイドを手配してほしい。私たちのガイドヘルファさんも大変優秀なガイドで、展示物の時代背景、注目すべき点、発掘の裏話など、手際よく面白く説明してもらえた。自分で調べて見てまわるより、はるかに深く理解できたと思う。彼のガイドは素晴らしかった。
 夕食はコシャリ
今日は朝から一日カイロを堪能した。締めくくりの夕食はエジプトの国民食コシャリにしようと決めていた。米飯にマカロニ・タマネギのみじん切りのフライ状のもの、ヒヨコマメを混ぜ合わせた物だ。
ヘルファさんお勧めの店に連れて行ってもらう。一緒に夕食をとりながら、いろんなお話をした。ヘルファさんは大学で考古学を学んだ後、日本大使館で日本語を覚えガイドになったそうだ。どおりで説明が詳しいわけだ。日本語で話していて、少しでも分からない言葉があるとすぐ電子手帳を出して調べ、覚えていた。とても勉強熱心だ。
お勧めの店のコシャリもとても美味しかった。辛いソースをかけて食べると、いくらでも食べられそうだ。
本当に充実した一日だった。お礼を言い、明日朝の国内線搭乗に備え、ヘリオポリスにあるノボテルカイロエアポートホテルに送ってもらった。
 
コシャリ ヘルファさんと一緒に

 
ヘルファさん、本当にありがとう。あなたのおかげで、素晴らしい一日になりました。
 
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