三峰神社の三ツ柱鳥居(三ツ鳥居)
三峯神社の三ツ鳥居。
写真を見れば、鳥居の柱は4本だという事が分かりますが、神社の説明書きには、三ツ柱鳥居と記されています。
何故こんな間違いが起きたのでしょう。
この鳥居の形は三輪山の大神神社の三輪鳥居(三ツ鳥居)と似ているので三ツ鳥居と呼ぶ方がふさわしい。
三ツ柱鳥居という間違い

三峰神社の駐車場そばの看板(上の写真)。社務所の方に誤りを指摘すると「私も間違いだと思うんですが、先代のした事なので」というお答えでした。ところが、間違いの原因が分かりました。
寄進者が三ツ柱鳥居と書いた
三峰神社の三ツ柱鳥居(三ツ鳥居)を寄進したのは横浜の魚又講なのですが、その献納の石碑に三ツ柱鳥居と刻まれているのです。この事に社務所の方は気がついていたのでしょうか。
この石碑は見上げるほどの高さで、三ツ鳥居とあわせて献納した魚又講は大きな組織でしょう。そんな組織が、このような間違いをする訳はなく、何かの意図があったのではないでしょうか。
そこで調査してみました。
三ツ鳥居の由来
大神神社の三ツ鳥居の由来については、『いつ頃どのようにして、この形式が出来たのかは不明で、神社の記録にも「古来、一社の神秘なり」と記されているだけです』
大神神社の公式ホームページ
三ツ鳥居別ウィンドウ
三ツ鳥居を献納した魚又講
魚又講の講元は横浜市神奈川区にあるというので、行ってみました。植田ハルさんは亡くなわれていました。そのお孫さんに話を伺いましたが、三峰神社の三ツ鳥居が建てられた昭和42年の頃は小学生だったので、何も知らないと言う事でした。
三ツ鳥居の前の狛犬を作った石工
左の写真は三ツ鳥居の前の狛犬。右の写真は赤丸の部分を拡大したもの。三ツ鳥居の前の狛犬を製作したのは、寄居町の中川仙石さんという事で、訪ねてみました。中川仙石さんは亡くなわれていましたが、その息子さんに会えました。息子さんが言うには、当時は幼かったので記憶にない、と言う事でした。
結局、三ツ鳥居の由来は分からずに終わりましたが、これからも挑戦は続けます。

