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ADDであるからこそ得られる人生の特典 いつも周囲から厳しい扱いを受け傷ついている分、人の苦痛も理解できるようになる。その結果優しい気持ちももてるようになり、それはADD障害から得られた最大の贈り物と心得る。言葉や態度が時にどんなに危険な凶器になるかは、身にしみて分かるはずである。世の中にはそれを自覚しないまま他人を傷つけている人間が大勢いる。むしろ、そのような人たちが重大な障害をもっていると言えるのではないだろうか。それに比べ、人の苦しみを理解し、優しい心をもてるのは大変なことなのだ。それに気づき、感謝できれば、ADDも苦にはならなくなる。 お為ごかしなのではなく、自分の心に余裕を持つためには非常に有効なことなのだ。人を傷つけた後の苦々しい思いを減らせるだけ、人生は豊かになる。心のケアのため是非取り入れていただきたい。何よりこれは最大の特典なのだ。 ADDの特徴として、一つのことに集中できると他のことにまったく気がつかなくなる点がある。が、それが大きな仕事を成し遂げるのに幸いする場合もある。何度も書いているが、ADD者であることがはっきりしながら、実業家、医師、弁護士、カウンセラー、芸術家、スポーツ選手として成功している例は枚挙にいとまがない。同じ知能レベルでも、常人の及ばない集中力を発揮する結果と言えるだろう。 もちろん、普通の市民としても、適職に就いて充実した人生を送り、すばらしい家族に恵まれているケースも少なくない。そうなると、ADDは必ずしも障害とは言えないのではないか。プラス思考も出来るのだ。 ルノアールの言葉だが、私がまともに出来るのは、庭仕事と絵だというのがある。つまりそれ以外は全くだめだったのだ。彼がADDであったかどうかは今となっては分からないが、いずれにせよ、一つのことに集中できたお陰で絵の才能を開発できたと言えないだろうか。 次の例なども人格的に問題を抱え,つまり良心を全く持っていなかったのではないかといわれている偉大な物理学者、借金を平気で踏み倒しまくった偉大な詩人の例も少なくない。とすれば、ADD障害を持ちながら(その時代はADDなど知られていなかったから、当然困り者、怠け者の烙印を押されていたろう)偉大になった芸術家たちや科学者たちはその意味で本当に偉大な人たちなのではないだろうか。 ADDは注意欠陥障害であり、集中力がないという点が最大の障害である。集中力がないのに芸術家や実業家などのような能力を発揮できるのかとの疑問が生ずる。私もそう思った。大成功とは言い難いものの私なりに部分的な成功も収めているからである。 だが、いろいろな知識を得るに従って、納得できるようになった。今、ある事が大きな関心事になって頭に居座ったとすると、他に必要な作業を始めても、頭に居座った件から発せられるいろいろなパルスに気を取られてしまうのだ。例えば、何かの機械を設計する作業が頭の中にはまりこんでしまったとしよう。そうなると、必要に駆られて始めた筈の他の作業が,例えば食事、入浴などがそっちのけになり、ひょっとしたきっかけで機械設計の件に戻ることになる。とりあえず機械設計は脇に置いて今は食事をすませよう、入浴は身体や頭を洗い終わってゆっくり暖まろう、などという事が出来ないからだ。 普通の人は、何かを継続してやっていても、○○時になったら食事にしよう、食事の後は××さんとの約束がある、今の仕事は明日朝食が済んで△△をすませた後□□時に始めよう、となる。私の場合、何をやっていても頭の中機械設計が気になって他の事に気が行かなくなるしたとえ中断していても直ぐに始めてしまう。例えば無理して食事を始めていたとしてもいきなりその機械についても新しい改良点や工夫などがひらめいたりすると、直ぐに試してみなければ忘れてしまうような気がするのだ。じじつ、忘れてしまうことも多々ある。そのためにメモ帳も持っているが、書き留めるのももどかしく、実際に試してみたい衝動が押さえきれないのだ。結局、気が済むまでやりとげ、そのために食事も入浴も就寝もめちゃくちゃになる。 そこまで打ち込むのだから、確かにその機械設計はかなり素早くできあがる。が、例えば大きな壁に突き当たったとして普通の人は、ひとまずおいて別の方面から眺めるとか、時間をおいて後からまたチェックしてみるとか、新しい資料を探して見るなどをする。私にはそれが出来ない。そんなことをすると、別の大きな事が頭を占めてしまう場合があるのだ。それは小説を書くことかもしれない。パソコンを組み立ててLANを構築することかもしれないし、旅行の計画を立てることかもしれない。なにしろ、その機械の設計は永久に完成せず、日の目を見なくなる。それが客から受注した仕事であろうと、同じ事だ。 私が細かい知識を多数有し、割合何でも器用にこなし、新しい職場の仕事を直ぐに覚える理由が御理解いただけたであろうか。もし、大きな壁にぶつかってもそれを乗り越えるほど興味が続けば、私は一つのことを極められたはずだ。いかに目的意識を強く持つかが影響するだろう。誰かがサポートしてくれて絶えず注意を喚起してくれればそれも大きな助けになる。 ADDであるが故に、集中して一つを極めることも可能、というより普通の人以上の集中が可能でその大きな才能を開花させる可能性もより高い、と信ずる。それも、ADD故に与えられた恩恵だと思う。 もちろん、ADD者にもいろいろな性格や環境で育った人が居るから、自分の持っている長所を生かしきれずに全てあきらめてしまったり、社会に対し敵意を持つようになり犯罪を犯す者も出てくるかも知れない。その根本の原因にADDがあるなら残念なことだが、あくまでそれは個人レベルのことであり、基本的に上手に活かせばADDの特徴は大きな財産だと言える。 目の見えない人は触覚や聴覚に非常に敏感になり、作曲家、演奏家で成功する事もある。障害故の不利もあるだろうが、並外れた集中力を得ることが出来た、とも聞く。誤解を恐れずに言えば、目が見えないことで与えられた恩恵なのではないだろうか。 はじめに ADD/ADHDとは このホームページの趣旨 運営方針 私について ADDは言い訳の理由にならない 自己診断 治療法 私の場合の問題 白日夢 ADD以上の問題 ADD以外の問題 私なりの工夫 掃除の手順 パートナー,家族などとの共同生活 その後 ご意見など お気楽ページ システム手帳 その後 トップへ |