ADD以上の問題


ADDであるが故に発生する二次的な問題のこと。



ADDは先天的な脳の機能不全であり、現代では恒久的に治る事はない。ただ、改善するし克服も可能だ。リタリンを始め、効果のある薬もあるし、将来も開発されるだろう。カウンセリングや親兄弟、学校の協力、そしてもちろん本人の努力でほぼ完全に解消しうる障害だ。私はADDの知識を得たのがごく最近で、それに沿った訓練も治療もしていない。が、私なりに対処してきたが、根本的に不可能な対処方法もある。

健康状態を改善することは、ADDであろうが、他の障害であろうが、全く障害が無かろうが、いずれにしても良いことだ。健康状態が良ければ、ADDも改善しやすいのは事実だ。
私もそれは充分に認識し、より良い健康状態を渇望している。だが、それを得る過程が私にとっては難しい。従って、ADDであるが故に,分かっていてもダイエットや健康管理が難しく、不健康になり生活習慣病などを得やすい。

健康状態を向上させる要素として、規則正しい呼吸、規則正しい食事、規則正しい睡眠、規則正しい運動などなどだし、結果として規則正しい生活も欠かせない。これは私にとって、水中で呼吸し、ユーカリの葉っぱだけを食べ、ライオンの背中にもたれて眠り、都庁の屋上の縁でジョギングをしろと言われているようなものだ。規則正しい生活とは、それらをきちんと繰り返することに匹敵する。

「規則正しい」 これは私にとって呪いの言葉だ。何度たたられたかしれない。自力では規則正しい事が出来ないから障害なのだ。足のない人が、サッカーワールドカップに出ろと言われたら同じ返事をするだろう。いくら優秀な車椅子や義足があっても、出来ることと出来ないことがある。私には、自力で規則正しい生活は出来ない。これが出来たら、私はK−1で優勝してみせる。たとえ支援者が居ても会社勤めをしていても普通の人並みには出来ない。

栄養バランスのとれた食事を適量に適時にとれれば良いことは痛感している。が、食事は丸一日くらいなら頭から抜けている。調子が良ければ二回くらいはかろうじて準備していた物を食べられる。普通は、空腹に耐えられなくなるまで食事はしないし、したらしたで手近にある何かを口に押し込む。手近になければ、真夜中にでもコンビニに行ってサンドイッチを買ってくる。そして、二食分など気を利かせて買ってこよう物ならもちろん一回で詰め込んでしまう。そんな食べ方をすると、決まって胃の具合が悪くなり吐き気がして何もできなくなる。

眠くなるとばたんとひっくり返って寝てしまう。布団も敷かず、座布団を枕に畳の上でだ。言い直す。畳の上のゴミの上でだ。気になるときは、古新聞を広げたりする。家の中でホームレスをやっている。寝る時間は、いつでもそうだ。ある日は朝の四時、ある日は午後の三時。睡眠時間は短ければ五分。長ければ十五時間。冬になっても、こたつを出すなど,仮にスペースを確保できても問題外だ。

三日ほど外に出ないときがある。十五分の散歩のつもりで朝八時にでて、戻ったときは夕方の五時、という時もある。この特質は、以前最後に勤めていた会社の場合役に立った。年がら年中現場に行き客回りをし理想的な不規則生活が出来たし、全く苦にならなかった。身体には応えたが、正当な理由があったので不規則だという点で精神的な負担は無かった。おかげで、各種手当てがもらえて、金を使う暇もなかったので貯金が出来たとは前にも書いた。

私の部屋の壁にはもうすっかり黄ばんですすけた、ダンベル体操の手順を示した図、実行表が貼ってありたぶん床にはダンベルが埃ををかぶってどこかに転がっているはずだ。ダンベル体操をするためには、まずいろいろな山をほじくり返してダンベルを見つける事から始めなくてはならない。もちろん、探す過程で他のいろいろな物に気を取られ、それに引っかかり、寄り道をする。いずれにせよ結構な運動になり、たとえダンベルを見つけても体操を始める体力は残っていないだろう。

周りとの確執から、鬱状態に落ち込む。また、極端な自己嫌悪に陥る。その結果、最悪の場合すべての希望がもてなくなり、はじめから成功をあきらめるようになる。また、ケアレスミステイクを際限なく繰り返す事で、人の信用を失い、自分自身を信用しなくなるのも最大の問題ではないだろうか。料理をしているとき、鍋を火にかけたままその場を離れ、火事にこそならなかったが鍋を台無しにしたりレンジ周りを焦がしたりを何度かした。普通の人が、時々時計を眺め、頃合いを見て火を消しに台所に戻るのが、私には絶対出来ない。従って、一度火をつけたら絶対にその場を離れることが出来ない。同じ理由から、たばこを止めた。二十代の頃だが、畳や座布団を焼けこげだらけにしたばこを吸うことは絶対に出来ないと思ったのだ。ドアに鍵をかけたが不安になって途中から引き返したり、ガスを消したかが気になると落ち着かなかったりは,結局自分自身を信用できないからだ。これは大きなストレスになる。

人間関係がうまくゆかなくなり、孤立する。支援を受ければまともな生活が出来る筈なのが、ますます生活の質を落とす。

これはADDに対する認識の欠如から適切な対処が出来なかった場合の例であり、適切な対処さえ出来れば必ずさけられる。また、ADD以外の原因でも同様の問題が生じうるのはいうまでもない。


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