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このページは、ALSの発病からの経過を書いたものです。皆さんの参考になれば幸いです。

平成17年初春

私は17年2月に住み慣れた自宅を処分して、新しい新居での生活が始った。子供がまだ小学校に通っていた為に、前の持ち家から500mも離れてない借家を借りる事にした。
子供は、今年の4月に小学校5年生になる長女と小学校4年生になる次女、今年新1年に入学する長男が居る為に、家は手放しましたが生まれた土地から離れなかったことは、私にとっては精神的に幸いしました。
生まれてから50年の間、この地を離れずに両親が築き上げた家を、私の代で途絶えるのは本当に忍びなかった。
こんな病気にならなければ、安定した暮らしも出来ただろうし、子供にも生まれた土地を受け継いで貰えたかも知れない、そんな思いで一杯でした。家を手放したのは、本当に正しい判断だったのかは、私が死間際にしか判らないと思います。
ALSの病状は安定期に入った様で、そんなに極端に悪くなる事はありませんでした。でも、筋肉が衰えていないのは、顔の表情を表す筋肉と飲み込みを助ける筋肉、排便と尿をする時の腹筋はまだ機能を果たしては居ました。耳の聞こえの悪さや眼球の動きと目蓋の動きは、今の所は以上がありません。ALS患者さんによっては、ALSの病状の進行が止らずに進んでしまい、顔の表情も作れずに目蓋まで開かなくなった方もお見えに成ります。私もこのまま生き続ければいずれそうなるでしょう。その覚悟はして置かないといけません。

「長男の入学式」

4月に入って、長男が小学校に入学する事になりました。
『早いものですね! 人生って!!』
私が発病した時は、まだ妻のお腹に居た子がもう小学校に入学するなんて信じられません。親として自覚しないといけないと感じました。長男には生まれた当時に抱いただけで、保育園の時にも運動会に出て遣れなかった。父親らしい事は何一つ遣れなかった。『こんな父親は要らないと思っているだろう』といつも思っています。
そう思いながらも、私の足を広げてベッドに登り、私のまたの間で眠るこの子が愛おしくてたまりません。

平成17年秋

今年の夏は暑かった。クーラーを付ける回数が多くなった。長男も学校に慣れて、初めての夏休みに入ったが、友達が女の子ばかりで部屋でゲームやら御まま事を遣る日々が続いて、上二人の姉の影響が大きいのかも知れません。私の身体はそんなに変化はないのですが。ただ太り始めた事が少し気がかりでした。エンシュワリキッドを1日に1000カロリー取っていました。その他に豆乳400ml.と野菜ジュース400ml.とジュースを400ml.とお茶を600ml.を1日に摂取していれば太るはずです。夏の終りからダイエットに取り組む事にしました。主治医からは猛反発を受けましたが。血液検査の結果は中性脂肪が、標準値の2倍の400もあり、あと諸々の値も上の値を示していました。主治医の意見は極端なダイエットは控えてほしいと言ってましたが。 私は、まずエンシュワリキッドの量を半分にしました。その後に豆乳と野菜ジュースを半分にして、ジュースを止めてお茶だけにしました。その結果少しづつ痩せてきて、あごの肉も取れてきて顔の脂肪油も噴出さなくなった。お腹周りも減って皮膚の湿疹もなくなり始めた。ベッドで寝たっきりの私達にとっては常識が通用しない、私独自の調整を模索していかないといけない事が判りました。

平成18年

「1月」
新年を迎えて、この家と地域にもなれて子供たちも落ち着きました。今年は私の飛躍する年です。「2月」
私なりに、ALS患者さんに何か出来ないかと考えて、日本ALS協会愛知県支部に私の考えた日本ALS協会愛知県支部5年計画という物を作ってみました。

         
日本ALS協会愛知県支部 5年計画

この計画の目的は、患者と家族が今以上の交流を持ち最新情報の交換をすることで、よりいっそうの生活環境の向上とケアの充実を図る目的でサポートする事と、ALS患者自身が積極的に参加する会の運営をしなければいけない。 そこには楽しさと笑いを盛り込まないといけない。ただ堅苦しいだけの会であるなら患者と家族の参加は見込めない。ALS患者さんに楽しい思い出を作って貰うために愛知県支部は運動していく。

支部の活動プラン
1、 愛知県をいくつかのブロック【尾張地区、名古屋市地区(北部、南部、東部、西部)、東尾張地区、東三河地区、三河地区、豊橋地区、知多地区】に分けて、そこに患者グループのリーダーを置くことで患者家族の困りごと、患者の日常生活とケアの向上を図るために本部とのパイプ役を果して貰う目的で家族の中から地域運営委員を選び配置する。

2、 ALS患者の実態調査を実施する。
* どの地区に何人のALS患者がいるのか。
* ALS患者の年齢層と性別、
* 病状の度合いと病院治療か在宅治療か。
* 今現在どの様な支援体制を組んでいるか。
  《公からどの様な支援を受けられるかどれだけの知識があるか》
* 現在困っていることは無いか。
* 各地域により支援費の格差を調べる。
* 地域保健所のALS患者への対応の実態調査。

3、 いまの体勢を変え新体制を作る。
 現在の体制【支部長(患者)1名 副支部長(患者)1名 相談役(患者)1名 運営委員(一般)16名】
 新体制  【支部長(患者)1名 副支部長(患者)1名 相談役(患者)1名 理事(患者)7名 運営委員(一般)16名】
 * 今の体制は患者参加の姿勢が見えない。
 * 新体制は患者参加を目的に発足するものである。
 * 理事は患者同士の横の繋がりを強め、患者の現状と困りごとを運営委員と相談し、解決と行事の進行を一緒に行なう。
 * ALS患者主体の体制を作り、運営委員は患者同士の橋渡しを主に行なう。

4、 より多くの患者をサポートするために、ボランティアを募集することが必要である。
* 学生ボランティアの募集。
* 一般ボランティアの募集。
* 各種ボランティア団体との交流。
* 大道芸人などのボランティアを捜す。
* 音楽療法士との繋がりを強める。
* 各種音楽グループと繋がりを持つ。

5、 運動の展開するに当たっては、資金不足が生じる為募金等でおぎなう。募金は各種企業に働きかけをして、小口からでもいいので実績を作る。社会にALS患者の実態と社会参加できる様にしたい為にも世間にアッピールしたい。

6、 各都道府県との交流と、及びその県の活動実績を調査して来て貰う。
@ 他府県は資金力がどれだけあるか。
A 活動費は何処からどの様に集めているか。
B 活動費はどの様に使っているか。
C 地域社会とどの様につながっているのか。
D 県にどれだけの影響力を持っているのか。
E その県のALS患者にどうした援助を遣っているのか。
F 医療関係者との連携はどうなっているのか。
G ボランティアの運営はどの様に行なっているのか。

7、 これまで行なった行事の継続と進展
    # 吸引講習の継続と拡大。
      ●小さなブロックでいいので、希望するところで行なう。
      ●看護協会と連携を取って愛知県支部独自のマニュアルを作る。
      ●開催は新聞等で告知をして参加希望者募る。
      ●もっと看護協会とのパイプを太くしていく。
      ●これからの吸引講習会は、介護事業所を対称にするだけじゃなく、一般のヘルパーを対称にする吸引講習会を検討してみる。
    # 音楽療法の継続。
      ●前年度開催した「温泉と音楽を楽しむ会」を『音楽療法』と代えて行なう。
    # 各ブロック地域での交流会の開催。
      ●交流会を開くときは、リクレーションゲームや音楽グループと大道芸人のボランティアの参加を募る。
      ●交流会は、患者同士の横の繋がりを広める目的と、交流会に参加して貰うと笑いと音楽がいっぱいで、心温まる交流会を目指したい。
    # 在宅医療を向上のための相談会。
      ●各家庭で行なっているケアの情報交換の出来る場を提供する。
      ●他府県ではどの様なケアを行なっているかの情報の発表の場にする。

8、 機関紙の製作スタッフを増やして内容の充実を図る。
    *   記事の内容の充実と、いろんな分野から記事を掲載させると共に発刊時期を早める。
    *   そしてスポンサー広告を載せて収益を図る。
    *   現状では機関紙の存在が忘れ去られています。
    *   存在をアピールするためにも増刊が必要です。

9、 「募金活動の使い道は、」
    (ア) ALS協会事務所の設置。
    (イ) 交流会の開催に掛かる経費。
    (ウ) 協会役員がALS患者への訪問相談する時の交通費(ボランティアの昼食代と交通費を支給する)を支給する。
    (エ) 会の開催する会合や交流会費用と各ブロックの運営資金。
    (オ) 会員のために常時用意しておきたい備品(呼吸器を着けている方へ災害時の為の発電機とか吸引器とか呼び出しスイッチなど)その状況に対応して貸し出す。
         ≪患者遺族からの行為で使わなくなった物を寄附していただく≫
    (カ) 各ブロックことで行っている交流とか最新のケアに関する情報を載せた通信紙の政策費用。
    (キ) 各行事の運営費。
    (ク) 吸引講習会の備品を充実するための予算。
    (ケ) 他府県の支部との交流を深めるための予算。
    (コ) その他の諸経費に廻す。

10、 吸引の出来るヘルパーの育成と介護車両の設置(運転手はボランティア)出来るようにしたい。
    (ア) 愛知県支部独自で吸引の出来るヘルパーを育てる営利団体(NPO)を作りたい。時期が来るまで他の介護事業所と連携をとって吸引指導を行いケアの向上と充実を図る。その他にも人工呼吸器を着ける前の患者さんの、進行を抑えるためのケアの知識を持ったヘルパーの育成を目的で行う講習会も開きたい。
    (イ) 介護車両の運営にあたっては、近距離の使用にも長距離の使用にも使えるレンタカーの貸し出しを重に行いALS患者さんが気楽に外に出て行けるようにしたい。
        長距離の旅行に使える車両を購入し、会員と家族の旅行の手助が出来るようにしたい。今の状況では介護タクシーを使うと1万円が直ぐに超えてしまう費用が掛かる。その費用を軽減して、より多く外出してもらう為に行なう。
        車両購入とは別に年間の維持費として、計上しないといけない。(その内訳は、車検料金、保険料金=使用した会員に一部負担、ガソリン代、駐車場料金、修繕費、税金「重量両税―地方税―車両税」)
        年間の維持費については、会員の使用料に関しては日数と距離で決める。(ただし利用者に負担がかからない程度の金額)         運転手並びガイドは、会員のほうに任せる。そのためにもボランティアの確保は必要と不可欠になる。近距離の使用は、原則として無料にしたい。時間にして2−3時間程度を見込んでいる。

11、備品の供給と需要。
   会員の病気の進行によって不要になった備品とか、使わなくなった機材をリサイクルして、必要としている方に供給する、前の会員の遺族の方にも持ち寄ってもらい、必要としている会員の方にお譲りする仲介の役目をする。これはあくまでも、善意を目的に行なうものであって、決して金銭を目的にするものではない。    『お預かりした機材は、欲しい人が現れるまで協会が管理する』




「4月」
中旬、名古屋市港区にある、掖済会病院に肉芽の手術とVFの検査のために、1週間の入院をしました。肉芽の手術は、全身麻酔をして4時間にも及ぶ事があります。特に私の場合気管切開の外の部分だけではなく、気管内部に肉芽が出来ておりその肉芽をレーザーで焼き切る手術であります。VFは通例の検査であってそんなに恐れる事はない。
「6月」
初旬、平成18年度の日本ALS協会愛知県支部の定例総会があり、本年度の支部長が私に決まりました。この年をきちっと支部長の大役を果たすつもりです。これからの苦悩も知らずに意気揚々としていた頃です。私が提案した5カ年計画がどこまで実現が出来るかの試し処だと考えていました。それが大間違いでした。賛同して下さる人は多いのですが、それが実行を伴わない。皆さん何をどうして良いのか分からないのが現状だと思います。
「7月」
初めて愛知県支部の定例会に出ました。意欲満々に出たのはいいのですが、私の存在を無視する役員が出て、私に発言を求めておいて私が文字盤で話すからと言ってムシされるのはとても馬鹿にしてる事だと思うし、そんな人が役員をしてるのがおかしく思います。
「8月」
初旬、前から申し込んでいた市営住宅が空いたという知らせが届きました。妻とじっくり話し合いをしましたが、妻は実家が近くにあるので何かがあっても親に頼めるし、子供もお爺ちゃんとお婆ちゃんの近くが良いだろうと思い移る事にしました。でも一番のネックは、私の医療スタッフが全部代わる事です。気管切開をした後に、ず〜とお世話に成っていました。私にとっては掛替えのない宝物です。その人達と今まで作り上げたものは他の何ものにも変えれないものが在ります。それを全部捨てていく事は、何を置いていくよりも辛かったです。 妻事態はそれを判っていたはずが、親元に帰れる気持ちが強かったと思います。私はもう何年生きれるか判らない身です。我を張っていてもしょうがない事と思い。また向こうでいちから作り直せば良いと考え直しました。
「9月」
引越し先の医療スタッフの確保に必死な月でした。訪問看護師は緑区に同じ系列のステーションが在ったのですんなり決まりました。歯科医師も中川の歯科医師の知り合いが居てすんなり決まりました。後は在宅医を探さないといけないのですが、これが困難を尽くしました。中々引受けてもらえなくて、9月中には見付かりませんでした。
「10月」
中旬、引越しの日になってしまった。生まれた土地から去る日がついに来た。引越し間際まで在宅医が見付からずにハラハラしてたけどいい先生を訪問看護師さんから紹介してもらいました。引越しは、今回で2回目で荷物も少なくなったとは言え、4t車と2t車の2台の荷物がありました。 前回は在宅の先生のはからいでショートステイが出来る病院を見つけて頂き、2泊3日で入院をしましたが、今回は引越し先に荷物と一緒について、ヘルパーさんと家族で私の部屋だけすぐ生活できるように荷物を解いて貰いました。夕方には私だけ荷物にまみれなくて住ませて貰いました。翌日からは、訪問看護師さんが来てくれて処置をしてくれました。やはり荷物が固唾区までには、2週間は掛かりました。荷物が落ち着いたら、今度は介護事業所探しです。日勤では火曜日と金曜日が空いてしまい、それを見つけるのに一苦労しました。地域センターやケアマネの事務所に毎日のように妻が電話し続けました。妻も介護事業所のガイドブックを見ては電話をしていました。見付かるまで1ヶ月は掛かりました。
「11月」
初旬、滋賀県大津市に講演に行きました。大津保健所からの依頼で、私のケア内容とヘルパー指導の枠組みを講演してほしいという依頼がありました。 私は、講演など本の数回しかしていないので、そんな大きな会に出れないと1度は断わったのですが、再度申し込みがあって引受けました。行くに当っては、交通手段をどうするかを決めないといけません。介護タクシーで行くか新幹線と在来線を載りついて行く患者を決め悩んでいました。結論は時間が正確な鉄道を使う事にしました。新幹線と在来線に乗るのは初めてでどの様な対応をしてくれるのか判らずに駅に行きました。新幹線に乗るために名古屋駅に前もって行く人数分を駅長室まで買いに行きます。そうすると目的地の駅まで連絡を入れてくれます。何日の何時の列車にこういう障害者が乗り込むと連絡が行きます。それに対応して駅員が動いてくれます。名古屋駅から新幹線で30分で京都駅まで行きます。それから在来線に乗り換えて15分で大津駅に着きます。正味2時間の旅です。ただもう少し改善してほしいのは、障害者と付き添い1人は旅客運賃を半額にするのですが、特急料金は半額に成りません。特急料金も半額にしてもらいたいと思います。 大津市に着いて講演をしました。会場には70名近い人達が見えていて、私の講演を待っている状態でした。こんな原稿で果たして満足して貰えるか不安でしょうが在りませんでした。皆さんが満足したとは思いませんが、何とか終りました。帰りも時間に余裕を持ってプランを立てておきましたが、京都駅で通勤帰りのラッシュと重なって、お土産を買う時間がなくなり慌てて買う始末でした。名古屋駅に着いたのが18時30分で自宅に着いたのが19時30分でやはり早かったです。
下旬、日本ALS協会主催のALS国際会議が横浜市で開かれました。諸外国から多くの研究者が集まって研究発表をされました。日本ALS協会愛知県支部では参加したのが、役員十数名と患者1名が参加しました。私は支部長として参加する予定でしたが、私が出ると私、妻、ヘルパー1名、福祉介護タクシーの費用と新幹線の交通費が3名分とホテル代3名分が掛かるので愛知県支部として予算が足りなくなると言われたので行くのを控えることにしました。以上。もうこの事には触れたくありません。

平成19年

「1月」
温かいお正月を迎えました。例年になく過ごし易い冬を迎えた。ストーブも日中はつけずに済んだ。こんな有り難い事はなかった。今年は長女の小学校の卒業式と、中学校への入学が控えています。忙しい年になるでしょう。
2月
今月になって自分の気持が固まりました。日本ALS協会愛知県支部の支部長を正式に止める事を心に決めました。たった1年という短い任期でしたが、私自身背いっぱい務めたつもりです。人からはもっと続けるべきだ! と言われましたが私にとってこれが限界と感じました。2月の中半に自立支援法の抗議に嘆願書を持って、名古屋市市役所を訪れました。保険課の局長と部長との面談が叶い45分に渉りALS患者の実情を話してきました。その時にALS患者の現状は理解している出来るだけの事はさせて頂くと言う言葉を貰いました。確約とは行きませんが大いなる収穫が在ったといえます。
「3月」
初月に滋賀県支部の設立総会に行ってきました。愛知県支部からALS患者さんが私を含めて3名参加されました。今回初めて福祉車両のレンタカーを借りて、ヘルパーさん2名(1名は運転手)に同行してもらい、滋賀県まで3時間のドライブになりました。妻がいかない長距離の旅は初めてです。不安は在りましたが、ベテランヘルパーが2名居るので、私の指示を的確に行動してくれるので安心していました。設立総会には、少し遅れましたが多くの患者さんとお話しができたし、日本ALS協会本部の幹部の方々ともお話しが出来て実りある時間を過ごさせて頂きました。帰りも3時間掛けて名古屋市に戻ってきました。
中旬、長女の小学校の卒業式、妻はてんてこ舞いしています。こんな時妻を手伝ってやれない事がとても不憫で生りません。長女の卒業式に出たくとも、行けば学校に迷惑と要らない神経を与える事になる。 長女が肩身の狭い思いをしないかと、先走って考えてしまう。愚かだと思いつつも妻と娘には言えない。いえばきっと妻からも娘からも何かの言葉は返ってくるのは、判っていても言う勇気がない。見たい気持ちが在るのに押し殺してしまう、死を前にしているのに何の遠慮をしているのか判らない。
「4月」
初旬、いよいよ長女の中学校への入学式、感無量というしかない。制服を着た姿を見ると生きてて良かったと思う。娘を抱きしめてやる事もできないが、声を出して「おめでとう」とも言って遣れない辛さ、それでも長女は私のベッドの脇に来て、写真をいっしょに取るといってくれた。私は、涙が溢れんばかりの笑顔を作って写真に写っている。こんな父親でも長女は認めているんだと思う。生きている価値があった思いがします。
中旬、カナメ病院を通じて、南生協病院に検査に行きました。目的は、VF(飲み込み)の検査、CTの肺の検査、 MRIによる臓器の検査、レントゲン検査を行いました。検査の結果肺にも臓器にも以上がなく、健康体だとお墨付きを貰いました。でもそれは意味が違うだろ!と反論しました。
「5月」
中旬、名古屋市昭和区の昭和保健所で、日本ALS協会愛知県支部の主催で、介護者を対象に吸引講習会が開かれました。定員は、35名で申し込みから2日で定員を締め切る事態になり、ヘルパーさんの積極制が伺われます。講習は、神経内科の医師による講演が1時間、人工呼吸器の説明と注意事項が1時間、吸引講習が1時間というカリュキュラムで行いました。講師の先生方もお話しに力が入りついつい時間がオーバーしてしまって、受講した皆様や昭和保健所に迷惑をお掛けしました。
「6月」
初旬、日本ALS協会愛知県支部の平成19年年次総会がALS協会本部の橋本会長をお迎えして開かれました。平成19年度の総会で支部長の席を退任する事に成り、 平成18年度の年間行事に参加していろんな方と、御会い出来て勉強になりました。運営委員会での私の発言は、運営委員を困らせた場面もありました。私としては、患者側から見た要望を日本ALS協会愛知県支部に上げただけです。しかし、それが私の我が侭と、取られた面が在ったかも知れません。ALS患者の私が全力で走った一年ではありました。ALS患者さんの為に何が出来るのか、何を求めてみ得るのか、必要としているのは何なのか、自問自答をしていました。支部長になって、何度壁にぶつかったか判りません。そこで手を差し延べてくれたのが、患者・家族の皆さんです。たいした事をしてない、私を後ろから支えてくれて、後押しまでして下さいました。本当に御礼を申し上げます。今の段階では支部長を退任してホット息を付いた状態です。これからも私で役に立つなら、ALS患者さんの為に動く積りでいます。
「7月」
初旬、私の高校時代の同級生と、スキー仲間が集まって、私と家族を昔仲間とよく行った岐阜県の飛騨のスキー場まで1泊で連れて行ってくれました。総勢14名の団体です。車3台に分かれて、私は、福祉車両のレンタカーを借りて友人が交代で運転してくれました。家族は、妻と長男が一緒に付いて来てくれました。妻の補助にヘルパーさんの同行を頼みました。行きは、朝8時に自宅を出て、愛知県一宮市に友人達が集まり、そこから東海北陸高速道路で、岐阜県飛騨高山市に行きました。高山市に着いたのは、11時ごろで昼食を取りながら、高山の町を見学しました。14時にスキー場に向かい、着いて皆で記念写真を撮って皆でいい空気を吸って旅館に向かいました。
下旬、西尾リハビリ介護訪問看護ステーションの訪問看護師5名が、私の家に見学しに来ました。お昼過ぎから3時間に渉り妻と私に質問をしてきました。名古屋市より情報が少なくて御困りのようでした。特に必要な情報は、外出に対しての心得はとお聞きになったので、それは経験を重ねるしかない。とお答えしときました。近くから出かけて経験を積むこと、出掛ける時は2人のヘルパーと家族一人が付き添って出かけて経験が積んだら一人抜ける。家族でもヘルパーさんでも外出する時は二人は付き添いが要ります。一人は車椅子を押してもう一人は荷物持ちに要ります。患者さんを含めた3人で出掛けるのが理想です。患者さんと家族一人とか、患者さんとヘルパーさん一人とかは、とても危険だと思います。患者さんと特別コミュニケーションが取れる方ならいいですがリスクが覆いと思います。とお答えしときました。
「8月」
下旬、西尾保健所の主催する、ALS患者のつどいに講師として呼ばれました。お昼1時から始り午後3時30分まで開かれました。私の病歴の経緯と思いを書きヘルパーさんに代読して頂きました。その後は患者・家族との交流会です。その時間の方が大切です。交流会には、3組の患者・家族が来られて充実した時間を過ごさして貰いました。西尾リハビリ訪問介護ステーションからも多くのスタッフがお見えに成っていました。私の話を熱心に聞いていただきました。
「9月」
初旬、京都に行ってきました。この目的は、上田リハビリテーション診療所の視察が目的で行きました。交通手段は、福祉車両レンタカーを借りて出かけました。片道3時間の道のりです。朝8時30分に名古屋市の自宅を出て、高速道路を乗り継いで京都に着いたのは11時でした。上田リハビリテーション診療所に直接向かいました。お昼前の時間を割いて上田院長が、私達の対応して頂きました。診療所は3階建てで、1階は診察室と待合室が一つに区切られていて、もう一方にリハビリの部屋がありました。2階は、リクレーションルームと食堂に分かれていて、皆さん楽しく過ごされていて、スタッフの方はお昼の準備にてんてこ舞していました。3回は、風呂とリビングルームとスポーツジムがありました。患者さんは75名から85名が通常だそうです。それに対するスタッフは45名もいまして、ちょとしたデイサービスではなくて施設と同じだと思います。 上田院長ならびに先生方とスタッフの方々には大変ご迷惑を掛けました。上田リハビリテーション診療所を出たのが、午後2時ごろでお昼ご飯を食べようと思ったのですが、急遽金閣寺に行く事になってお昼御飯は抜きという事に決まりました。金閣寺を30分ぐらい散策して、京都にお住まいのALS患者さんに会いに行きました。いろんなお話をお聞きして、楽しいひと時を過ごしあっと言う間に午後5時になってしまいました。慌てて帰ったのですが、名古屋市の自宅に着いたのが夜の9時になってしまいました。とても充実した1日でした。
「12月」
初旬、第4回エダラボン(ラジカット)署名運動をナゴヤドームイオンで12月8日に行ないました。署名運動は、午前10時から午後4時まで行なって3,000名近くの署名が集まりました。朝早くから出かけるので、体調を整えておかないといけないと思っていましたが、少し風邪を引き始めてたようで、身体が優れないまま出掛けてしまいました。署名会場では6時間車椅子に座りっぱなしで居らないといけないので正味10時間車椅子になります。午後になってどうも身体がおかしいのに気が付いて、額から冷や汗をかいていました。人と喋る気にも成れず目で文字盤を追う行為が出来ませんでした。署名運動が終わり家路に着いたのが午後5時で着替えさせて貰って落ち着いたのは午後6時でした。食事も入れずに風邪薬を胃瘻から入れて寝て朝の6時まで寝てました。たぶん相当疲れていたのだと思います。 2日間体調は戻りませんでした。やはり歳には叶わないと言う事です。

「年の暮れ」
今年も一年が過ぎ様としています。この一年いろんな事がありました。このALSと言う病気と向き合ってみて、私は世の中の人達に生かされている事をつくづく思い知らされます。今年も生きてこられた。また家族と新しい年が迎えられる。そう云う実感が湧いてくる。あと何回家族とこう言うけじめの日が迎えれるか、これは自分の体から吹き上げてくる心の叫びだと思います。来年のことは判りませんが、1日1日を生きて行くだけです。


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