「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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不定愁訴の時代(2) (初出 2011.9.26 renewal 2019.9.15)

【補注】
先行き暗い話ばかりでは問題だと思ったのか、希望を持たせるような話を付け加えた。
幸いなことに、福島の復興もかなり進んだし、ハワイアンズも健在だ。このまま頑張ってもらえれば、うれしい。

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2011年の夏は、この国にとっても、本当にいい勉強をさせてくれた夏だった。

原発の影響で、福島などから多数の避難民が発生するだろうと予測し、東京都をはじめとした各自治体は避難所を用意した。
「不安を抱えたままで地元に残るより、思い切って新天地を目指す人がたくさんいるだろう」と、私たちは考えた。

しかし、地元の人たちの多くは、地元に踏みとどまった。
三宅島の住民が、6年あまりの避難生活の後に、島に帰っていったのと似ている。
「今さら都会に出て、見知らぬ人たちの中で生活するくらいだったら、原発の危険を感じながらも、地元に残った方がいい」というのが、実感ではないか。

私たち都会人が失ってしまった何かが、そこにあるのだと思う。
震災後、「絆」「繋がり」といった言葉をよく見るようになった。私たちが失ったものとは、たぶんそういった類いのものだ。

前項で触れた3つの観点。産業の空洞化、勤労者意識の変化、事業継承の困難さ。
これらと、「絆・繋がり」との関連を考えるのも一興だろう。

日本の産業が空洞化するのは、企業が母国との「絆・繋がり」よりも、自社の利益を優先させるからだ。 「それが企業経営だ」と割り切ってしまえば、それまでだ。

働く人たちの勤労意欲が低下するのも、会社との「絆・繋がり」を求める気持ちが低下しているからだ。 そして会社が彼らを切り捨てやすい有期雇用とするのも、社員との「絆・繋がり」が希薄になっているからだ。 お互いに相手を捨てても、心が痛まない。

経営者の事業継承意欲の喪失も、会社事業と社会との「絆・繋がり」を見失いつつあるからだ。 モノを売ることだけが事業目的なら、100金ショップやネット販売にかなわない。

ネットに<SPA!記者が見た「スパリゾートハワイアンズ」震災当日の奇跡>という記事が出ている(2011.3.30)。

たまたま「スパリゾートハワイアンズ」で被災した記者が、顧客の安全とサービス維持に誠心誠意応えようと努力する従業員の姿に感動したという内容だ。
『いつか、スパリゾートハワイアンズが営業を再開したら、また家族を連れて、遊びに行かせてもらうつもりでいる。
それも、できれば毎年。そして、その都度、息子にこう言うつもりだ。「このホテルで働いている人は、みんなお前の命の恩人なんだぞ」と。 そう笑って言える将来がきっと来ると、記者は強く信じている。』
そして、記事はこう結ばれていた。『彼らの、1日でも早い営業再開を心より、祈りたい。』
ハワイアンズは、10月から営業を再開する。
(【補注】10年後の現在も営業を継続中。よかった!)

今回の大震災で東北地方が受けたダメージは大きい。復興の道のりは遠い。
しかし、前には進んでいる。ゆっくりではあるが。
少しずつでもいい。目に見えない程度でもいい。毎日、積み上がっていく社会を目指せ。
それが、現在の日本を支配している「行き止まり」感を回復させる特効薬になるにちがいない。

100年後に、『福島というすばらしい地域がある国が日本だ』と胸を張って言えるようになれば、この国の将来は安泰だ。できるならば、そうあって欲しい。

(【補注】その後の復興の状況は、説明するまでもないだろう。建設上の復興はほぼ終わった。が、心の復興はどうなのか?  原発の廃炉はまだ当分かかるが、差し迫った危険はない。 だが、その一方で、この国全体の“地方”の健全さが失われつつある。 だから、今後起きる問題は、被災地のみに限定されるものではないだろう。その中で、福島の立ち直りはどこまで実現するのか・・・?)(終)