INDEX
派遣という働き方:乗り越えられない壁 (初出 2010.3.7 renewal 2019.9.15)
【補注】
本稿を掲載した頃は、派遣をターゲットとした人員整理が問題視されていた。
当時、民主党政権が2009年9月16日に発足し(~2011年8月30日)、施策の見直しに着手しており、経済界もその動向に注目していた。
他方、海外では、いわゆるリーマンショックが2008年9月に起こり、当初は「日本にはさして影響がない」とも言われていたにもかかわらず、
時間差をもってその影響が景気に重くのしかかってくる。
それまで、派遣規制業種の解放が行われており、「原則“自由”」が目の前に見えていた。
それが、一気に規制強化に方向転換する(と、少なくとも多くの企業が考えた)。
そういう時代背景がある。
*******
派遣労働は、業務遂行能力のある社員を他社から紹介してもらい、直接指揮命令を行う」仕事のしかたである。 つまり、雇用主と業務命令権者が異なる。建前上は、「急な必要などがあった限定的な業務」に対し、「一定期間限定」で配置される雇用形態だ。
最初に労働者派遣法が制定されたのは、1986年(昭和61年)だった。以来、大きくその数を増やしている。
しかし、現実には、それ以前からも労働者派遣事業は行われており、有料職業紹介事業を営む会社が、家政婦・マネキン・配膳人などの紹介を行っていた(これは合法である)。
当時は法的には認められていなかったが、今で言う登録型の派遣事業を行う会社もすでにあった。
職場の先輩たちはこうした雇用形態が広がることが、雇用不安に繋がるのではないかと、さかんに心配していた。
ここでは、派遣労働の是非を問うつもりはないし、改正に向けた提言をするつもりもない。仕事というものの捉え方と派遣という就業形態について、考えてみたいというのが主旨だ。
まずは、最初に認められた26の派遣業務の表を見てほしい。
なぜこの業種なのか、一つ一つ比較すると、何となく違和感を感じる。
1号 | ソフトウェア開発 現在(※初出時)は、情報処理システム開発 |
2号 | 機械設計 |
3号 | 放送機器等操作 |
4号 | 放送番組等演出 |
5号 | 事務用機器操作 |
6号 | 通訳、翻訳、速記 |
7号 | 秘書 |
8号 | ファイリング |
9号 | 調査 |
10号 | 財務処理 |
11号 | 取引文書作成 現在(※初出時)は、貿易 |
12号 | デモンストレーション |
13号 | 添乗 |
14号 | 建築物清掃 |
15号 | 建築設備運転、点検、整備 現在(※初出時)は、建築設備運転等 |
16号 | 案内・受付、駐車場管理等 |
17号 | 研究開発 |
18号 | 事業の実施体制の企画、立案 |
19号 | 書籍等の制作・編集 |
20号 | 広告デザイン |
21号 | インテリアコーディネーター |
22号 | アナウンサー |
23号 | OAインストラクション 現在(※初出時)は、OAインストラクター |
24号 | テレマーケティングの営業 |
25号 | セールスエンジニアの営業、金融商品の営業 |
26号 | 放送番組等における大道具・小道具 |
まず目につくのは「ソフトウェア開発」「通訳」「広告デザイン」など、専門知識を求められる業務。これらは当然だろう。
しかし、その一方で、「案内・受付」「建物清掃」のような、専門性を要しない業務もある。
実は、派遣業務を合法化するにあたって、労使が厳しく対立していたのは、
「派遣という雇用形態が普及すると、正社員の身分が脅かされるのではないか」という点だった。
この観点から26業務をみれば、それが「正社員の雇用の脅威とならない分野」というくくりでできていることがわかる。
専門性の高い職務はもちろん問題ない。
受付業務や清掃業務も、当時すでに外部に委託するのが普通だったので、派遣と入れ替わっても問題なかろう、ということになる。
ここに派遣という働き方の本質がある。
「派遣社員と正社員とははっきり区別される」――という暗黙の前提が、労働者派遣法の制定当初から存在したのである。
ところが26業務には、あいまいなものが含まれていた。
「ファイリング=文書の整理保管」「財務会計=帳簿処理」「事務用機器操作」「テレマーケティング」「セールスエンジニア」だ。
これらの仕事は、おそらく正社員も同様にやっている業務であり、「派遣と正社員との峻別」の原則が、ここではあいまいだった。
そして、そういう部分で、派遣労働は事務の職場にも、どんどん浸潤していくことになる。
雇用の不安定化を危惧する諸先輩をよそに、当時、若い労働者の多くは「派遣労働」という働き方をむしろ肯定的に受け止めていた。
正式な採用試験を受けていたのでは到底勤められそうもない「大手一流企業」のオフィスで、派遣社員ならば勤務できるかもしれない。
そんなイメージ戦略が流布され、「派遣=ファッショナブル」「終身雇用=長時間拘束=最後は窓際」という風潮が生まれた。
「腰掛け程度の気持ちで勤務し、結婚したら寿退職」というのが正社員で、「仕事は人一倍」が派遣社員といわれた時期がある。
「働くときはガンガン働いて、お金が貯まったら、まとまった時間を使って海外旅行」という、夢のような生活設計が描かれ、
事実、一時的・部分的には実現した。
しかし、企業の業績が思わしくなくなると、最初に削減されるのは「派遣社員」だった。
そうなって初めて、「私はこの会社の社員じゃなかったんだ」と気づく。
その瞬間、「しごと」が「労働」に変貌した。続く→