「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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老衰社会への不安 (初出 2010.11.7 renewal 2019.9.15)

【補注】
本稿を掲載した頃は、私はまだ54歳だった。あと1年で都庁を退職するとは思っていなかった。それが今じゃ・・・という話は、置いておく。
リーマンショックがあって、企業はスリム化を図っていた。ベテラン技術者をどんどん放逐していた。それに目を付けたのが近隣諸国だ。 「先生、是非お力添えをいただきたいのです。我が社の若い技術者をコーチしてください」
そう言われれば、嫌な気はしない。しかし、これは実のところ安価な技術ノウハウの流出だった。
その一方で、国内では勤勉に働くことに対する疑問が投じられていた。
リストラどころか、盤石と思われていた大手企業の経営が傾いた。
若者は、とりあえず手っ取り早く収入が得られる場所を求めた。それも当然である。しかし、そこに将来の安定はあるのか?
そんな危惧から、この項目は描かれている。

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しばしば耳にすることだが、「企業経営のV字回復は比較的容易。だが、それを維持していくのに失敗することが多い」という説がある。
経営が傾いたとき、まず、経営陣が実行するのは『無駄の削減』になる。そのこと自体は大切であり、否定するつもりはない。
ただし、無駄の『削減』の際に、目先の損得にとらわれて必要なものまで捨ててしまうことがある。
それが「未来への投資」だ。

経営コンサルタントの小宮一慶氏は、企業を評価する際「最大のポイントは未来投資をしているかどうか」であり、 「有形固定資産の取得≧減価償却費」であるかどうかをチェックするという(「1秒!」で財務諸表を読む方法 小宮一慶 東洋経済)。
そして、V字回復ができても、経営が失速してしまうのは、この未来への投資まで削っている影響ではないかと述べている。

本稿では経営手法云々の話をするつもりはない。 ただし、「ひょっとしたら日本が、ひじょうに大切な“未来への投資”を怠ってきており、 そのしっぺ返しを受けているのではないか」という心配を常日頃感じていて、そのことをテーマに取り上げたいと思う。
ここで取り上げる未来への投資とは、すなわち「人材育成」である。

あるデューディリジェンスの専門家がこんな話をしていた。 「『この仕事、今のやり方じゃダメなんだけど、社長がそうしろというんだから、そうするしかないよね・・・』といった空気が社内に蔓延するようになると、 その会社の命運も尽きる。これは、どの業種でも共通している。」と・・・。

実のところ、従業員は会社の問題点に意外と気づいているものなのだ。 改善策も従業員がすでに用意していることが多い。
ただし、経営の立て直しは、各方面に軋轢を生じさせる。 だから「今の経営幹部にそれを受け止める覚悟がない」と踏んだ従業員は、改善策を口にせず、「残りの勤務年数と退職金の額を数え始める」。

実際、労働相談に来る解雇者の中には、きわめて真摯に会社の経営を心配している人がいる。
時として、その心配が空回りし、結果、上司と対立して退職を余儀なくされる。
会社を心配しているからこそ、経営にいちゃもんをつけたくなる。子供が可愛いから叱るのと同じ感情だ。 「会社なんてどうでもいいや・・・」と思えば、表向きは文句もいわずに平均的な成績を上げ、水面下で再就職先を探す方が得策だろう。
企業としてどちらが貴重な人材かは明らかなのだが、経営者はそれに気がつかない。

そして、周囲にものわかりが良いだけの従業員ばかりが残ると、経営者は「最近、しゃきっとしない従業員が多い」と嘆く。

企業は、自ら進んで「終身雇用」というシステムを捨てたことを忘れている。
人件費を「最大のコスト」だと定義し、様々な種類の労働者をとっかえひっかえ効率的に配置することが「効率的な経営」だと明言した。
経営者がそういう考えだとすれば、従業員も会社との「付き合い方」を変える。
雇用環境がこんなだと、「仮の宿」でもいいから、どこかへ身を寄せなくては生きていけないが、そこはあくまでも、一時しのぎの避難場所だ。 もっといいところがあれば、別の就職先へ移ろうと思うのは当然。 だから、仕事の勉強をする気持ちにならない。

経営者は、「成果主義と給料額を連動させれば誰でも全力で働く」という机上の理論を信じ、科学的な労務管理を行おうとするが、 人間は感情の動物なので簡単には操れない。

「地位の上昇」→「重たい責任」→「高い給料」・・・だけでは、従業員のモラールは上がらない。
「地位の上昇」→「重たい責任」→「周辺からの賞賛」→「結果としての給料の上昇」・・・だから、仕事をする励みが出る。

終身雇用というものに対する確固たる信頼があれば、企業の安定=自らの生活の安定、という図式が成り立つ。 そうなれば、自分の人生設計も描けるし、家庭を持ち、社会的責任に対する自覚も増す。
しかし、その生活基盤自体が不安定であれば、家族を持つこと自体、躊躇せざるを得なくなる。

「おひとりさま」は、夜中までがんばって働いても、それを賞賛してくれる「家族」を持たない。
「DINKS(子供を持たず夫婦共働きの家庭)」の場合も、自らの生き様を示す子供がいない。
両者とも、経済的には「一馬力&子だくさん」家庭よりも、ずっと余裕がある。 とすれば、責任が重くならないように、地位が上昇しない生き方が賢明な選択となる。
彼らは、たしかに「家族持ち」よりも寂しい生活を送っている。自分がそうだから、それは確かだ。
しかし、家族持ちの気苦労はない。ある意味、気楽だ。
少なくとも、経済的なソントクで測るなら、おひとりさまやDINKSの方が良い。

「経済尺度」で人間を評価したのは、ほかならぬ企業側なのである。
企業がコスト削減に邁進するように、従業員個々人もコスト削減に知恵をめぐらす。 従業員が企業と同じ世界観を持つのはは自然なことなのだ。
子供を持つことが“コスト”ならば、そんなコストは節約した方がいい。 だが、社会全体で見るならば、次世代を育むことは大切な“未来への投資”であったはずだ。そういう価値観が失われた。

しかし、本当にそれを手をこまねいたまま放置しておいていいのか。
今(初出時2010年・平成22年)、私の職場では東京工業団体連合会にお願いして、「せめて熟練工の技術だけでも移植できないか」という事業を実施している。 同じような事業は、他の県も手がけているが、そう簡単にうまくいくものではない。
この事業が成功するためには、
(1)自分の技を人に伝授したいという高齢技術者が存在し
(2)その申し出を受け入れようという企業が存在し
(3)自分が技術の後継者になろうと手を上げる若手技術者が存在し
(4)その若手の背中を押してくれる職場が存在することが、必要不可欠な条件となる。
この中で一番難しいのが(4)。すでにものづくり職場はぎりぎりの人員で運営している。 やりたいという人がいても、その人間を取られると仕事が回らなくなる。 だから、若手も手を上げにくくなる。それに、そもそもそういう意欲のある若い人は、ただでさえ今の日本には少ないのだ。

そして今、社会全体が老齢化に突き進んでいる。
高齢化に歯止めがかからず、“高齢”社会が来訪した。さらに超高齢化が進み、やがて老衰社会となる。そうなれば、企業経営も成り立たなくなる。
そんなわけで、今度は企業側から「ワークライフバランス」が叫ばれるようになってきた。
いささか遅すぎた感じはするが・・・。

シャッター商店街が増えてきた。土日は休み、夜は7時に店を閉める。 それではコンビニや大型店に太刀打ちできない。 だが、関係者は言う。「店主らは事業承継をすっかり諦めてしまってるみたいなんです・・・」
同じような状況は、技術畑でも発生しているという。 「高度な技はあるが、その引き受け手がいない。だから、この仕事は私の代で終わりだ」と。

あと、20年、30年経ったら、この国はどんなふうになっているのだろうか・・・?
(【補注】 初出からもう10年は経ってしまった。どうすんだよ・・・)続く→