「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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不定愁訴の時代(1) (初出 2011.9.26 renewal 2019.9.15)

【補注】
本稿を掲載した頃、私は、ほとほと嫌になって都庁を退職する意思を固めていた。
体調が悪かったこともあったが、職場での人間関係に疲れていたこともある。
不定愁訴にかかっていたのは、社会だけではなく、私自身であった。それも自覚していた。 そんな中で書いた文章である。

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2011年の夏は、この国にとっても、あまりいい夏ではなかった。

日本という国は、先の戦争でほとんどゼロにまで国力を失った。
それでも、少しずつ力を貯めて、世界有数の経済大国にまで“積み上がった”。
しかし、これができた背景にはピラミッド型の人口構造があったわけで、給料が安く、なおかつ働き者の若者が多数存在すれば、国力は上がって当然だといえる。

しかし、ここに来て、高齢化社会の打開がどうしようもない状況となっている。
周辺諸国からの追い上げで、“技術大国”の看板も危うくなりつつある。

ニクソンショック(1971年)、バブルの崩壊(1990年)、リーマンショック(2008年)のインパクトは、かろうじてしのいできたが、 「空洞化」と呼ばれる状況は、容易には乗りこれられそうにない。
そこへもってきて、今回の大地震だ。

「節電と自粛」 そのスローガンがこの夏の日本を席巻する。
駅中や車中で、「ただいまの電気消費量は○○%」といった表示が示されるようになった。 暗い構内を歩きながら、電力消費の表示を見るにつけ、いわれもない不気味さを感じた。
あれこそ、ジョージ・オーウェルが『1984年』で警告した「情報に支配される社会」に、ほかならないのではないか。

震災は、ただでさえ閉塞感のある社会に、行き詰まり感を上乗せした。
「福島がんばれ」「東北がんばれ」と、マスコミがエールを送るのはいい。 しかし、そのたびに、日本全体が少しずつ沈んでいくような感じだった。

福島や東北は、この先、がんばっていくだろう。でも、この日本全体は、本当にがんばれるのか・・・?

(【補注】自分で言うのもなんだが、この慧眼はかなりのものだ。とはいえ、必要以上に悲観的だったように思える。 その後の日本をみれば、問題のほとんどは依然として内在し、さらに肥大化しているとはいえ、何とか乗り切ってきている。今のところ上出来だ)

前の職場では、幹部職員の挨拶文の草稿を書く仕事をしていた。
いわゆる「○○周年の集い」というのがあって、民間団体に幹部職員が招待され、挨拶をする。 歴史の長い団体が多いので、30年、40年、中には100年を越える団体もある。
その挨拶の第一原稿を書くのが私の役割だった。

古い団体への挨拶には決まり文句がある。 「今日、首都東京が世界に冠たる経済都市として繁栄しているのも、中小企業の高い技術力、勤勉な国民性、 そして、額に汗して日々事業に邁進してきた経営者の皆様方の努力があったからです・・・」という下りだ。
陳腐な言い回しかもしれないが、その中身にウソは無いと思う。
問題は、“将来に向けても”それが言えるかだ。

【日本の中小企業の技術力は今でも高いのか・・・?】
失われた10年が20年になり、東南アジア諸国の技術力はかなり我が国に肉薄している。 ひょっとしたら、一歩も二歩も先に行っているものがあるのではないかと思う。
円高や人件費の高さ、それに今回の震災(それに伴う経済的負担の増加)で、生産拠点を海外に移す企業はさらに増えるだろう。
企業経営がグローバル化すればするほど、国内は取り残されていく。

(【補注】生産の量はもちろん中国が一番。生産の質についても、一部の分野を除けば、平均点は中国に負けているのではないかと、 今の私は考えている。残念だが・・・)。

【日本の勤労者は、本当に勤勉なのか・・・?】
20年ほど前だが、海外の若手技術者の日本国内での研修事業を担当した。 当時の感じでも、彼らは日本人以上に勤勉だった。 彼らと比べると、戦後のぬくぬくとした環境で育てられた親たちに育てられた子供たちが、総じて“勤勉”とは、思えない。

先頃(初出は2011年・平成23年)、国は有期雇用で働く労働者の意識調査を実施した(平成23年有期労働契約に関する実態調査(個人調査)h23.9)。
その中から、「正社員同様」の仕事をしている人たちのプロフィールを抜き書きしてみる。
平均年齢は44歳。意外と高い。雇用契約の1回あたりの期間は半年から1年程度。更新経験は6~10回。 年収は100万~200万円で、かなり低い。 「賃金の低さ」が不満。 このため他の家族からの収入と合わせて家計を維持しているようだ。
彼らが有期契約労働者になった理由は、第一位が「仕事の内容、責任の程度が自分の希望にあっていた(37.1%)」 だが、「正社員としての働き口がなかった(36.2%)」もほぼ同数いる。ところが、彼らの8割以上は、以前、正社員として働いたことがあるのだ。 だから、「正社員として雇用してほしい(18.2%)」人よりも、「現在の有期契約のままで更新を続け、長期間働きたい(19.2%)」人の方がわずかながら多い。
ずいぶんと虫がいい話だ。
有り体に言えば『正社員としていったんは就職したが、続かず、ほどほどの責任で自分のフィーリングにあった仕事に就いたら、たまたま有期雇用だったし、 正社員ではそういった就職口も見つからなかった。給料は安いが、できればこのまま更新していきたい。』といったことになるだろうか。
私は商売柄、「何歳になっても世の中がそういう生き方を受け入れてくれるものではない」ことを知っている。

(【補注】今は、正社員の方の立ち位置も揺らいできているので、相対的に有期雇用者の置かれた環境との差は、縮まっているものと思われる。 有期雇用で働く人たちに、「ネクタイを締めるサラリーマンに戻りたいか?」と聞いたら、「今さら」と答えるだろう。 一方の正社員に「このままずっと、今の会社で勤め上げるか?」と聞けば、「・・・・・」なんだろうな。たぶん。むしろ正社員の方が心配。)

【経営者は事業に対する熱意を失っていないのか・・・?】
大企業はともかく、中小企業、とりわけ零細企業の経営者は、会社の維持・繁栄に対する意欲を失っている。 経営者の多くは、60代、70代だ。その子供は、40代、50代だ。後継者の多くは、他の民間企業で中堅どころとなっている。 今さら、オヤジの会社を継ごうとは思わない。 だから、多くの経営者は自分の代で「廃業」を考えている。

(【補注】大当たりだと思う。零細なところから廃業は続く。もっと増えると思う。)

先年、ある有名な装置メーカーの社長と話をした。中小企業ながらニッチ分野で世界有数の技術力を持っている。 円高など、ものともしない。なぜなら、為替がどう動こうと世界の企業はその会社の装置を買わざるを得ないからだ。 ほかに作れるところがないのだ。 しかし、そんなにすごい会社の社長ですら、後継者がいないので、企業の存続をどうしようか悩んでいるという。
(【補注】この会社は、お嬢さんが社長職を継いだ)。

社会全体がこういった行き詰まり状況になると、人々は、これまで積み上げてきた蓄財を取崩しにかかる。 そして、自分の余生をまっとうするだけの余裕があるかどうかを検討する。
ある者はその少なさにため息を漏らし、ある者はできる限りの延命を図るため殻に閉じこもろうとする。

それが今の日本の社会状況だと思う。

社会全体が“不定愁訴”に陥っている。続く→