「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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迷走の果て:昔話 (初出 2011.3.6 renewal 2019.9.15)

【補注】
本稿は、要するに「愚痴」である。
当時でも、労働経済局の所管範囲は広すぎたので、私は各部にホームページを立ち上げさせて、総務部門はそのポータルサイトを持てばいい、 と最初から考えていた。だけど、誰にも理解してもらえなかった。
でも、結果的には、私の考えていた以上に様々なサイトが存在するようになっている。
最大の理由は、ホームページの立ち上げに、それほど費用がかからないということが、周知の事実となったからだ。
だが、立ち上げるのはいいとして、その後の維持管理に要する手間は、かなり軽く考えられている。残念だ。
専用ソフトを買うのはムダだから「ホームページの訂正は、メモ帳を使って行え」というような、暗黒時代がしばらく続いていた。

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このページを立ち上げたのは1999年の12月だ。もうずいぶん昔になる。
そのいきさつをご説明するが、関係者以外にとってはどうでもいい話なので、この章は読み飛ばして結構である。

そもそもの発端は、私が所属部門「労政部」のホームページを立ち上げようとしたからだ。
1994年から3年間にわたって東京ビッグサイトの立ち上げに係わってきた私は、有明の現場で、 そりゃぁもう毎日毎日「インターネット」というアナウンスを聞かされていた。

当時はまだ、アドレス管理が東大の手を離れた直後で、インターネットなるものはどんなものかはさっぱり分からなかったが、 『門前の小僧習わぬ経を読む』という諺もあるくらいだから、「とにかくすごいモノらしい」ということは、理解した。

その後、1997年(平成9年)に任命された職務は「システム担当」。
当然、「よしやってやるぞ」という意気込みで乗り出したいところだ。

が、実際の業務は「組織のリストラの事務局」だった。 今度は、毎日毎日「壊す」話ばかりだ。 さすがに、これではシステム担当の名前が泣く。 そこで、せめて部門のホームページくらいは立ち上げようとした。

しかし、いざとなると、まるで知識不足である。
教則本を買ったが、エディターを使った「<タグ>付き文書」の書き方であって、さっぱり飲み込めない。 やっぱり専用ソフトを使わなければいかんと思い、パソコンと「フロントページ」を購入した。
自腹である。泣けるほど高かった。
(【補注】当時のOA担当課長が、マイクロソフトの関係者から、そのソフトを紹介されたため、「これがいい」と勧められた。 また、同課長からは「まだ多くの職員がインターネットの重要性を知らないので、私とアナタが組めば、都庁内に大きな影響力を持つことができる」 とも耳打ちされた。が、後日、この課長に、私の作った予算要求資料をパクられた。おまけに、ソフトはホームページビルダーの方が普及が早かった。)

そうこうするうちに、だんだんとWebの仕組みが分かってきた。
世間でも情報通信の話題がにぎわいだしてきたので、いよいよかなと思って、予算要求をした。
都庁はリストラの真っ最中なので、法外な新規予算などつくはずはない。この頃はまだ外注はひじょうに高かった。一説では、数百万円必要と言われた。
なので、コンテンツは全部自分で作る覚悟で、とても慎ましい額を要求した。

ところが、「各部が勝手にホームページを立ち上げると収拾がつかなくなるので、 労働経済局(現在の産業労働局)として全部門をカバーするホームページを立ち上げる」という具合に、突然、方針が変更された。
私のいた労政部が総務部より先に立ち上げたのでは、総務部の「筆頭部としてのメンツ」が潰れると、幹部が思ったらしい。
総務部には、インターネットに詳しい者がいなかったので、あまり積極的でなかった。 むしろ、商工部や農林水産部に、個人でホームページを立ち上げている者がいた。
ここで、私はお役ご免だ。
そして、私の作った予算要求資料は、そっくり総務部の予算要求資料に転用されたわけだ。
最初から総務部が予算要求していたならば、外注が前提で、予算ももっとついたはずだ
しかし、私の要求額が慎ましすぎたので外注ができず、今度は、ネットを作っている各部の職員が手弁当で協力するはめになった。皮肉な話だ。

私としては、「都庁で最初にホームページを立ち上げる局は、産業対策を引っ張っている労働経済局でなければ、格好がつかない」と考えていたが、 もたもたしているうちに、水道局が水源の貯水量のページを立ち上げてしまい、負けた。
その後、建設局が上野動物園のページを上げ、労働経済局は3着に甘んじることとなった。

そんなこんなで、目的を失った私は、ぼちぼちと自分のホームページを立ち上げた次第である。

当時、リストラ担当であった私は、図らずも、私の最初の職場である労政事務所(現.労働相談情報センター)の縮小に手を貸すことになっていた。
だから、罪滅ぼしとして、ネット上にだけでも、それに代わるものを作りたかった。

こうして、2001年から労働法の解説を載せるようになった。
が、その影響力は相当なもので、MSNのアドバイス部門でベストテンに入ったりし、 毎日何十というカウンターの上がり方に恐ろしさを感じるほどになってしまった。

ある時のことだ、職場への電話相談で「未成年の労働時間について教えてほしい」という質問が何件も寄せられたことがあった。 奇妙だとは思ったが、型どおりに回答した。
しばらくして、当時、まだ十代前半だった某有名女優のスケジュール表が流出するという事件があり、 そのスケジュールが労働法に違反しているのではないかという記事が、週刊誌に載った。
「そうか、これだったのか・・・」と感じた。
通常、労働時間に関する質問は、「残業代が払われていない」という内容が大半を占める。 「未成年の労働時間」の制限に、通常、世間がそんなに注目するとは思えない。

参考までに、中学生の労働時間制限を説明すると、 午後8時までならば、「製造、建設等以外の事業の場合であって、有害でなく、かつ、軽易なものは可能」とされている。 それより小さな小学生でも、「映画の制作又は演劇の事業の場合であれば可能」である。 厚生労働大臣の許可があれば、さらに1時間延長もできる。 一見、緩そうに見えるが、「子役」などは子供でないと勤まらないので、やむを得ない。
ただし、労働基準監督署長の許可が必要で、しかも、「就学に差し支えない」という証明を学校長が出してくれなければダメだ。 その証明申請書には「児童を就学時間外においてのみ使用することができ、 休憩時間を除き修学時間を通算して1週間について40時間、1日について7時間を超えて労働させてはならないものとされています。」との注釈がついていたりする。
かなりきつい制約条件がついている。芸能学級に入れなければ、学業と仕事のスケジュール調整がかなり難しくなるのも道理だ。

世間でその事件が騒がれると、ホームページのアクセスが急に上がった。 検索して見ると、年少者の労働時間ばかりがアクセスされている。

自分の子供時代を振り返ってみると、家が貧乏だったので、11時過ぎまで家業を手伝っていた。 そうしないと生きていけなかったからだ。自分としては、それが当たり前だったから、別にどうとも思っていなかった。 くだんの女優さんにしても、そうだっただろう。
しかし、「親が子供を養うのは当然」という恵まれた家庭に育ってきた人から見ると、 どうやらこれは「児童虐待」であり「労働基準法に抵触」としか見えない。

東京都には労働相談情報センターがあり、年間5万件の相談を扱っている。 都のセンターには、労働基準監督署のような権限はない。だから、法違反を取り締まることはできない。 しかし、法律を繰り返し繰り返し説明することによって、経営者に法令遵守を促すことはできる。
そういうスタンスで仕事をしていた。

ただし、法律を几帳面に適用すればするほど、企業がそのどこかしらに違反している可能性が生じる。
それをネットで知り、相手を脅迫する材料にされたらどうなるだろうか。
善意で提供した情報でも、悪意で使われることもある。
それが、ネット社会の怖いところだ。

そのこともあって、私はホームページから労働法の解説を落とした。

2011年、東京都産業労働局に商工部専用のホームページが立ち上がった。隔世の感がある。続く→