INDEX
一所懸命 (初出 2010.8.15 renewal 2019.9.15)
【補注】
終戦記念日が近づいてきていて、何かそれと関連したものはないかと模索していた記憶がある。
それが影響して、こんな文章になったのかもしれない。
*******
「一所懸命」という言葉があるが、この言葉、“一生懸命”と間違って通用していることが多い。
一所懸命の語源は、「昔、武士が賜った『一か所』の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたこと」に由来している(出所:NHK放送文化研究所)。
あまりにも一生懸命の方が使われるようになったため、新聞や放送も今では“一生”を使うようになっているとNHK放送文化研究所も解説している。
にもかかわらず、本稿では「一所」と“一生”に、こだわる。今回のテーマが「終身雇用と終身就労」だからだ。
一般に「日本的労働慣行」と呼ばれるものには、(1)終身雇用制度、(2)年功序列制度、(3)企業別労働組合があげられる。
企業の経営者は(2)については批判的な意見が強い。
「単に年齢が上がったからといって実力が付いてくるとは限らない、だから年齢によって自動的に給料が上がるというのは解せない」というのだ。
これに対し、労働者陣営は「年齢とともに生活に必要な経費も増えるから、若いときの安い給料分の後払いと考えれば、年功序列でいいではないか」と反論していた。
しかし、その声は昔から見ればかなり小さくなっている。
同じ年齢の労働者であっても、共稼ぎで子供なしというDINKS族が多くなった。
逆に母子家庭で生活に余裕がない人も増えた。中途採用が一般化し、勤続年数もまちまちだ。成績評価も当たり前になった。
そんな状況では年齢に応じた一律の賃金カーブを描くことは困難だ。
しかし、その一方で最近(初出は2010年・平成22年)、経営者からは(1)の終身雇用制を評価する意見が出はじめている。
村上龍氏のカンブリア宮殿(日本経済新聞出版社)は有名だが、その中で、村上氏は日本レストランシステムの大林豁史会長と、こんなやり取りをしている。
村上 | 基本的に長く働いてもらったほうが、経営の側としても得だということですね。 |
大林 | こっちも得ですし、みなさんも得だと思うんです。技術があって給料が上がっていけば他に行って一からやるよりずっといいじゃないですか。 うちには70歳過ぎの方も何人かいらっしゃいますよ。 | 村上 | 正社員より非正社員、長期の雇用より短期の雇用にして、人件費が上がらないようにしないと競争に負けてしまうというのが、 経営者の論理だと言われています。 |
大林 | それは絶対おかしいです。間違っています。・・・(略)・・・お店のパートだって、スキルが上がれば4人いるところを3人でできるわけです。 |
この会話が成り立つためには、条件が二つ必要である。
(1)企業が永続すること。少なくとも、当該従業員が退職するまでに会社が潰れることはないと、経営者も従業員も堅く信じていること。
(2)従業員に長期間働き続けようという意思があること。今より条件が良い会社があっても、この企業で働き続けたいと思っていること。
この企業側の前提と、従業員側の前提があってはじめて、終身雇用は話中にあるような価値を持つのである。 しかし、企業の永続は保証されるものではないし、給料の高い企業へ移るのも算術上は得策。 つまり、“一所懸命”が“一生懸命”より価値を持つためには、別の要素が必要である。
それを私は、終身雇用というものに対して日本人が持っている《倫理観》だと思う。
「転石苔を生ぜず」という諺がある。英語の“A rolling stone gathers no moss.”という言葉に由来するが、これには2つの意味がある。
(1)「職業を転々としている人は、金が身につかない」
(2)「活発に活動を続けていれば、時代に取り残されることはない」
(出典:《故事・ことわざ・四字熟語》 辞典 http://thu.sakura.ne.jp/others/proverb/data/te.htm)
前者はイギリス流、後者はアメリカ流だといわれる。
1999年・平成11年のことになるが、「海外の若い労働者に日本の技術を勉強させる」という仕事を担当していた。
北京・ジャカルタ・ハノイの企業に働く青年の中から相手都市の推薦を受けた人を東京に受け入れ、民間企業の生産現場で実地研修をしてもらう。
そして、身につけた技術を母国の出身企業で生かしてもらおうという友好事業であった。
日本の成功は、アジア諸国の羨望の的であった。
マレーシアのマハティール首相は「ルック・イースト」を政策に掲げ、日本の「集団主義と勤労倫理を学べ」と説いていた(1981年)。
今日では、日本の企業そのものが海外に生産現場を移してしまい、むしろ東京の「ものづくり」は危機的状況に立たされている。
私が担当した1999年(平成11年)当時、すでにその陰りは見え始めており、この事業も幕引きが近いという形勢だった(実際、数年後に終了)。
そんな逆風の中でも、関係者はこの仕事を続けようと努力していた。
予算担当は私に「卒業生が母国に帰って出身企業の中堅に育っている様子が示せれば、事業存続にとって強力な説得材料になる」と、問いかけた。
そんな経緯で、現地の担当に聞くことになった。
しかし、困ったことに出身企業に残っている者はほとんどいなくなっているではないか。
そればかりか、市当局は「何で日本は、そういうことにこだわるのか?」と、問い返す。
振興諸国では、転職(ジョブホッピング)が、何の問題もなく受け入れられていた。
研修生は「元の会社に戻る」という誓約書を書いて東京に来ているが、現地の経営者も本心からそれを期待していなかった。
市の担当曰く、「何もその企業に戻らなくても、トウキョウの技術が社会のどこかで生かされれば、それでいい。経営者も理解しているはずだ」。
あらためて文化の違いに驚かされた。
「若い技術者が、故国の期待を受けて、先進諸国の技術を学ぶ。やがては母国企業の中心で活躍する」という絵柄は、きわめて日本的な美談だ。 だから、東京都はこの事業を続けてきた。
あの頃から10年、日本の終身雇用制度は、土台から大きく崩れた。
若者にとっても、企業にとっても、「転職は倫理的に問題」とは、受け入れられなくなってしまった。
しかし、それで本当に、日本の企業は強くなっただろうか・・・。
マハティール首相は、「日本は、なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか」と、逆に日本に対する苦言を呈している。 続く→