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男はそれを愛だと思った。しかし、女は・・・(セクハラ) (初出 2010.5.23 renewal 2019.9.15)
【補注】
セクハラは「被害者がセクハラだと思ったらセクハラ」という判断がなされます。
加害者(とされる人物)が、どんなに「そういう気持ちはなかった」と言っても、覆せません。
はなはだしく加害者が不利です。
いろいろあって、結論としては「そういう基準でないと判断できない」という結果に落ち着いたようです。
労働相談をやっていた2年間で、私が調整したセクハラ案件は1件だけでしたが、双方とも納得する結論にもってくるのに、ほんとうに疲れました。
正直なところ、もう二度と係わりたくありません。
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古くから「セクハラ」というものには、いくつかのパターンがあるとされてきた。
なぜ、そのような分類づけが大切かというと、「セクハラかセクハラでないか」は個人の“認識”に大きく依存するため「罪か否か」の基準づけが難しいからだ。
だから、いくつかのパターンを作っておいて、これに該当するから「セクハラ」というように、裁判所などは判断する。
とはいえ、それでも「セクハラかセクハラでないか」の基準は難しく、関係者が「あーだ、こーだ」といって、あたふたしているうちに、
事はどんどん深刻になっていく。
上司や会社はセクハラの訴えを受けると「気の毒だ、何とかしてあげたい」と思うより早く、「面倒なことを持ち込んでこられて、いい迷惑だ」と、受け止める。
ちゃんとした会社ならば、きちんと受け止め、いちおうは調査する。
加害者とされた人の反応は、たいたい次の3種類。
「あれは同意だ!」「彼女とは純粋な恋愛関係だった!」と反論になるケースだと、
被害者の「他の人に見つかる」「ここでは困る」という発言を、加害者が「他の人がいなければいい」「ここでなければよい」と都合よく解釈している場合が多い。
同僚など目撃者がいても、被害者に有利な証言をするとは限らない。係わりたくないと思うからだ。
こうなると上司・会社は判断に迷う。
そして、被害者に穏便な解決を求める。
「悪いのは彼だが、あなたにも隙がある」というのが一般的な言い回しだ。
ここにまでくると被害者側の従業員は「自分が悪者にされようとしている」と認識する。
「追い詰められた」という気分になり、一歩も引き下がれないという状況に陥り、そして、訴訟・和解という流れが一般的だ。
セクハラの事実があり、裏付け証拠があるならば、弁護士を代理人に立てて話し合いをすることが賢明かもしれない。
ただし、弁護士ならまずは「証拠の有無」を確かめる。早期解決のためには「証拠」がきわめて大切。メールなどは残しておいた方がいい。
一頃ほどセクハラは騒がれなくなっているが、「現実には多くのセクハラ問題が起こっていて、水面下で決着することがほとんど」、と考える方が一般的だ。
実名や会社名を明かすかどうかで賠償額も桁違いに違ってくるので、表面に現れてこないのが、かなりあるのではないか、と巷間噂されている。
会社にとっては、経済的負担以上に、セクハラ判例として「○○会社事件」という名前が残ることが、大きな社会的な損失になる。
このため、多くのケースでは裁判以前の段階で和解という決着が取られる。
そのときは一定の決着を見たとしても、次の勤務先で同じ記憶がフラッシュバックしたりして、同様に出社できない状況になる可能性もある。
結局のところ、被害者はもとより、加害者も再起不能なほどのダメージを受ける。
次項で紹介する事例は、かつて本サイトに掲載していたものだが、あくまでフィクションである。
ただし、フィクションとはいえ原典はあって、「いじめ」に関連したある判例をベースにして作った(ちなみに、その判例にセクハラ的要素はない)。
人間模様などは、私の脚色である。
ここでなぜ、「いじめ」を下敷きにしたかというと、「セクハラ」と「いじめ」の両者には、ひじょうに共通点が多く、
その方が現実問題に近いのではないかと考えたからだ。
共通点としてお示ししたのは、以下のとおり。
セクハラは絶対にやってはいけない。とはいえ、たわいもない勘違いから男女が結ばれ、立派な家庭を築くということもある。だから、難しい。
若手の職員には、「同僚以上、友達未満」が職場内のほどよい男女関係だ、と説いてはいる。
訴えられない程度の仲の良さは、仕事をうまく進めるうえで必要なのだから。続く→