「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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イジメ抑止のジレンマ (初出 2011.1.6 renewal 2019.9.15)

【補注】
本稿を読み直してみて、「そういや、いじめのマニュアル。悔しかったなぁ」と思い出した。
当時、「職場のいじめ」が問題視されはじめていて、ガイドラインのようなものを作る必要があるのではないか、という議論が出た。 私が言い出したのではない。そんなもの「難しすぎる」というのは、よく知っている。
しかし、セクハラの基準作成の際には、東京都(というか、先輩の金子雅臣氏)が、かなり関与していたようだ。 そういう話が幹部会ででも出たのかもしれない。
でも、「いじめ」と「上司の部下に対する注意・指導」との間に、どのようにして線を引くのかが微妙。 きっと、ボツになったのは、そんな理由だったんだと思う。

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2005年度のことだから、もう15年ほど前になる。
仕事の成り行きで「いじめ」のマニュアルを作るよう命じられ、結局のところ実現しなかったことがあった。
当時(というか、今日でも)、職場のいじめを原因とするメンタルヘルスの問題が注目されていた。 そこで、そういう社会状況への対応が求められたのが、マニュアル作成のきっかけだった。

日の目を見なかった主原因は、もちろん取り扱っているテーマが大変複雑かつデリケートであることにあるが、 もうひとつの理由は「いじめのガイドライン」が示せないかという目標を掲げたことにある。
これには、経営側のみならず、労働側も二の足を踏んだ。

別項で示したが、セクハラか否かの判断はもっぱら“被害者”の心象に依存することになっている。
この基準を作るにあたって、実は東京都の労働行政が大きく貢献した経緯がある。
当時の都の労働行政には“カリスマ”と呼ばれるようなベテランがたくさんいたし、力を貸してくれるその道の権威も複数いて、 ナショナルスタンダードの形成に影響力を持つほどの力量があったのだ。

こうした前例があったためか、当時の関係者は「東京都は、今度は“いじめ”についても、新たなガイドラインを作るつもりか・・・」と受け止めたようだった。

そもそも「ガイドライン」という言葉を用いたことが失敗だった。 何らかの示準を示して、「これだったら“いじめ”、これはいじめじゃない」という画一的な分類手法をオーソライズするかのように勘違いされたようである。 もとより、そんなものを作るつもりは、毛頭なかった。そもそも、“いじめ”にガイドラインを作ること自体、困難だといっていい。

あれこれあって、いちおう職員研修用の資料は作ったが、それが外部に公表されることはなかった。

もちろん、いじめの問題は無くならないので、都では、2009年度に 別様の普及啓発用資料を作成し、その中には私が手がけたマニュアルの主旨が生かされている。
とはいえ、ボツ・マニュアルの作成にあたっては、法政大学の山本圭子先生、民間相談員の江上千恵子弁護士のお力をお借りした。 今でも、たいへん申し訳なかったと思っている。
組織で仕事をしている以上、自分の成果物が日の目を見ないことがあっても、それはそれで当然だと思っているが、 外部の人に汗をかかせた資料がおシャカになったのは、後にも先にもこの時だけだった。
ここまでやらせておいて、ボツにするというのは、ある意味「職場のいじめ」だ。

さて、セクハラといじめはどう違うのか。

そもそも、上司や先輩社員が、仕事のできない部下を指導したり叱ったりするのは、当然の行為であり義務でもある。 ところが、部下の側では、それがいじめであり、パワーハラスメントだと感じる人もいて、「愛の鞭」だなんてありがたい解釈をしてくれる部下は少ない。 それに実社会においては、「行き過ぎた指導」というか、“どう見ても常軌を逸したいじめ”といった行為が行われることがあることも事実だ。

そして、不幸にも部下が心を病み、自殺に至るというケースも生じる。
通常、家族は会社側の仕打ちが自殺の原因だと主張する。 そう主張しないと、損害賠償請求にならない。請求額は「生きて生涯を全うしたと仮定した場合の生涯賃金マイナス生活費」であるから、莫大な額になる。

当然のように会社は、「そもそも本人の資質にそういう原因があったのだ」と反論する。
会社側が否定するので、訴訟になる。
私の持論だが、人間関係に起因する紛争のほとんどは、多少なりとも双方に非がある。
ところが、被害者が自殺してしまったケースでは、圧倒的に会社側の分が悪くなる。 そりゃそうだ、当の本人は、すでに鬼籍に入ってしまっているので、事実を問いただすことができないからだ。
そうなると、会社側の実名が出され、「○○社事件」という名前で記録に残る。

セクハラだと、裁判所に持ち込まれる前に、弁護士が入って示談になることも多い(たぶん)。 裁判になった場合も、会社名は伏せられることが少なくない。 これは、「会社名が出るか、出ないかによって、示談金の額が一桁違うから」らしい(と言われている。あくまで噂レベルの話だ)。

しかし、いじめは、そうはいかない。だいたい、家族が納得しない。
いじめの判例というのは、そうそう多くないから、事あるごとに「○○社事件」は紙上に記載されるようになり、 「あの○○社事件の○○社だ」という風評は、いつになっても消えなくなる。
それは、企業イメージにとっては、途方もなく大きなマイナスになる。
それゆえ、経営者は“いじめ”の発生を事前に抑えなければならない。 にもかかわらず、現実には職場で“いじめ”が発生していても、同僚すら気がつかない場合がある。

見方を変えるならば、「上司や先輩社員が、仕事のできない部下を指導したり叱ったりするのは、当然の行為であり義務でもある」ので、 経営者はそういう教育的な指導を否定することも、できない。

“てきとうにしか仕事をしないチャランポランな従業員”を、規律正しい上司が厳しく注意したことに対し、部下の従業員が“いじめ”だと訴えたとしよう。
経営者がもめ事を恐れて、上司の側に「まぁまぁ・・・」と自重を頼めば、その企業はワガママな従業員の巣窟になってしまう。

そればかりか、「ゆとりありすぎ、競争は回避、みんなが仲良くあればいい」という教育を受けてきた世代が組織の中堅になるような時代が来ると、 「部下を注意できない上司」が輩出される危険もある。

経営者としたら、その上司を叱らなければならなくなる。

まったくもって、やっかいな問題だ。続く→