「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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身内かよそ者か (初出 2011.1.6 renewal 2019.9.15)

ところで、“いじめ”とは、そもそも何なのか。
当時、山本先生からも、「個人プレー」でやる仕事(タクシー、歩合営業等)と、「チームワーク」でやる仕事は、分けたらどうか、とのアドバイスをいただいた。

よく似た言葉で、“嫌がらせ”というのがあり、しばしば「いじめ・嫌がらせ」と併記して使われる。 だが、二つの言葉には若干のニュアンスの違いがある。
例えば、いわゆる暴力団系の人が会社に因縁を付けてくる。これは「嫌がらせ」である。しかし、「いじめ」とは呼ばない。
暴走族が騒音を立てながらバイクを転がす。これも「いじめ」とは言わない。

死語になってしまったが“村八分”という仕打ちがある。 葬式と火事の二分以外の交渉は断つという行為だ。これは、どちらかというと「いじめ」であろう。 村民の中に当事者に同情的な人もいたとしても、長の命令に服従し、村八分に加担せざるを得ない。

いじめと身内 こうして見ると、“いじめ”という行為は、「仲間」という意識とかなり密接な関係があるように思える。
同じコミュニティの中で、複数の構成員が特定の構成員を威圧することが“いじめ”のようだ。

これとは異なり、同じアイデンティティを持った関係者が、違う種類の人間だと認識された者を威圧するのが“嫌がらせ”と言えば、そんな区分けができる。

嫌がらせとよそ者

いじめと「身内意識」とは、何らかなの関連性があるのは確かだ。
という前提の元に強引に断定するならば、いじめ・嫌がらせを行う者の心象の中には、「自分達とは違う者の存在を許せない」という感情があるはずだ。
そして、その対象者が身内なら「いじめ」、よそ者なら「嫌がらせ」が発生する。

小学生や中学生だと、「何となくアイツは気に入らないから」という理由で、同級生をいじめたりする。
もちろん、企業組織も人間同士の社会関係で成り立っているから、それと同じたぐいのいじめは存在する。 とはいえ、企業は“オトナ社会”だから、その現れ方は、かなり違ってくる。

派遣、パート、アルバイトなど、企業には多くの非正規従業員が働いている。
いじめる側が正社員の場合で、彼らを「よそ者」として認識していたとすれば、その“いじめ”は過度にエスカレートしないだろう。
いじめて追い出すよりも、「辞めてもらえばよい」からである。有期効用なら、「雇い止め」すれば、きれいに解決できる。

これが同じパート同士だと、そうはいかない。「あんたがいるから、こんなことになるのよォ」てな具合でけんかになる。

いじめられた側がそれを職場の主任に訴えれば、主任からみれば当事者はよそ者なので、 「キミの気持ちはよくわかった。Aさんにも、あまり厳しく当たらないように言っておくよ」という、 一見親身になっているように見えて、実は突き放した答えになる。
そして、Aさんを呼び出し、「怒りたくなる気持ちもわかるが、少しは押さえてほしい。 今度雇用期間が切れたら、B子は更新しないから・・・」といって、なだめる。

正社員の場合も、従業員の出入りが激しい業界なら、状況はこれに近いだろう。 逆に、相手の排除が困難だと認識されると、“いじめ”もエスカレートしていく。

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【補注】

仲の悪い従業員同士なのに、別の従業員をいじめる時には共同するという話も聞いた。 いじめは伝播するのだ。こんな仕組みになっている(というのが、私の想定)。

いじめの伝搬

まず、A子がB子をいじめる。B子はA子を恐れる。
次に、A子がC子を「嫌いだ」と、B子にほのめかす。
そうすると、B子はC子をいじめるようになる。
この段階で、A子はB子をいじめるの止める。自動的にB子がC子をいじめるようになる。
こうすると、A子はB子を影で操るようになり、自分が元凶だということは、外部に悟られない。
A子は、昔ならウラ番、今風だとラスボス、難しい言葉ならサイコパスというか、そういう存在になる。続く→