「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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許されざる者 (初出 2011.1.6 renewal 2019.9.15)

【補注】
この話はフィクションです。

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ところがだ、当事者が正社員同士だと、状況は違ってくる。

今回、お話しするショートストーリーは、ある外資系商社のケースである。
もちろん内容はフィクションだが、「K共済病院事件(さいたま地裁 H16.9.24判決)」をベースにしている。
このように実際の会社名が繰り返し紹介されてしまうところに、いじめ事件の深刻さがあるが、 当該事件の判決文を読む限り、加害者に情状酌量の余地はない。
事実が判決にどこまで反映されているかわからないが、内容を見る限り“ひどすぎる”。これから話す私の事例よりひどい。

とはいえ、あまりにひどすぎるとかえって現実離れして、別世界の話になってしまう(現実なんだけど・・・)。
当事者がいじめに入っていく過程においては、それなりに「いじめる側の理屈」も存在するのではないかと思い、 そういう部分を加筆し、より現実的なお話になるようにしてある。 いうまでもなく“いじめ”を肯定するつもりはない。
誰でもが“いじめ”の当事者になる可能性があるのだ、ということを主張したいだけだ。

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<発端>
西川昭夫(仮名)の49日の法要で、南奈津子(仮名)は昭夫の母に急に「話がある」と耳打ちされた。

昭夫と奈津子が交際し始めてから、もう2年になろうかとしている。
昭夫は、以前から「就職が決まったら、結婚したい。 だから、何としても大手の貿易商社に自分の実力を売り込む」と、意気込んで母に語っていた。 そして、念願の就職が決まって、来年には身を固めようと話をしていた矢先に、彼は、あっけなくこの世を去った。
飛び降り自殺だった。
その知らせを聞いて、奈津子は「やはり」と思った。そういう予感がしていたからだ。

入社試験に合格した直後の昭夫の喜びようは、それは尋常ではなかった。 しかし、実際に会社に通うようになってから、昭夫からは笑顔が消えた。

奈津子は、最初は新しい環境に置かれて緊張しているのかと思ったが、浮かない様子がいっこうに消えないため、「これは何かあるな・・・」と感じていた。
そういえば、お台場でデートしていた最中に、会社から携帯がかかり、急に呼び戻されたこともあった。 「やはり、国際的な企業だと、24時間気が抜けないのだな・・・」とは思ったが、休日まで仕事に拘束されることには、いささか違和感がある。
「家族を持つんだったら、まずは家庭優先にしてくださいね」と、言ってしまった奈津子だった。 そのことが、余計な負担を昭夫にかけてしまったのではないかと、今では悔やんでいる。

昭夫の母は、奈津子と二人になると、ひとつの封筒を差し出した。
その封筒には付箋が貼ってあり、そこには、「僕に万一のことがあったら、南奈津子さんへこの手紙を渡してください」と書かれていた。
「昭夫の机を整理していたら、一番上の引き出しに入っていたのよ。これって、ひょっとして遺書じゃないかい」と、昭夫の母は言った。
奈津子は、弁護士を目指して勉強中だった。
自筆証書遺言は、死後、保管者や発見者が家庭裁判所に届け出て、検認の手続をしなければならない。 すべての相続人に立ち会いの機会を与えたうえでなければ開封できない、ということを、勉強したばかりだった。
封筒には「遺書」という文字はなかったが、「遺書かもしれない」と直感した奈津子は、勝手に開けない方がいいと直感した。
このため、すぐその場で封筒を開けたいという昭夫の母を制し「これは第三者のいる前で開封した方がいい」と、きちんとした対応を求めた。

数日後、奈津子は知り合いの弁護士事務所に昭夫の両親を連れて行き、そこで手紙を開封した。
書き出しはこうだった。
「奈津子へ・・・。今、君がこの手紙を読んでいるということは、僕はもうこの世の人間ではなくなっているということになる。 君には、ほんとうにすまないことをした。あれだけ君のことを幸せにすると言っていたのに、申し訳ない。」
そして、その先は、職場の先輩である東野治雄(仮名)からの、いじめの記録だった。

昭夫は、さる大企業の社長の息子だ。次男であり、のびのびとした青年時代を送っていた。
ところが、ありがちなことだが、長男が家督を継がずに海外で仕事と家庭を築くといいだした。
突如として、大企業の後継者としての役割が昭夫に回ってきた。

昭夫も、兄の影響を受けたせいか、もともと「商社勤務」が希望だった。 だが、不退転の決意の兄とは違って、常に“何とな~く”という姿勢で生きてきた昭夫だった。
そんな昭夫を心配して、父親は、彼を海外留学に出し、昭夫もかなりの国際資格を取得した。 しかし、このことがかえってよくなかった。

日本に帰ってきてからの昭夫は、“上から目線”が鼻につく人間になっていた。
ことあるごとに「そういった考え方は今では否定されています」「○○理論によれば」「社会のトレンドでしょ。常識ですよ」 「大局的な視野に立つべきです」「あくまで一般論ですが」「一歩引いて客観的かつ多角的な検討が必要です」「歴史が証明しています」 「こんなこと気がつかないなんて」「海外だったら笑われちゃいますよ」といった言葉を発することが多くなった。

そのコメントは、いちいち正しいだけに、周囲の人間の癇に障る。 現実の社会を知らない人間にいちいち原則論で説教されたくない。しかし、当の本人はそう思われていることに、ちっとも気づかないのだ。

この彼の欠点は、父親も早くから気づいており、「昭夫には一旦、現場できっちりとした指導をしてもらわなければならないな」と、覚悟を決めていた。

それが、物語の発端になる。

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週刊ダイヤモンド誌は、こういう「自分の実力勘違い系社員」をクラッシャー型と呼び、思い込みや逆ギレで周囲を振り回すとしている。 クラッシャー型には以下のような特徴がある。
・自分の視点に強いこだわりを持ち、意固地になる癖がある
・気に入らないことがあると、癇癪やヒステリーを起こし、攻撃的になりやすい
・自分の課題や悪い点をフィードバックされると、納得できず、指摘した相手に対して怒りの感情を覚える
・自分では意識していなくても、自分の発言や振る舞いで相手を傷つけたり、不愉快な思いをさせることがたびたびある
・相手の満足のことを意識して仕事をする習慣は強くはない
・「そういう話はしてないだろう」と、解釈がゆがんでいることを指摘されることがある
(出所:週刊ダイヤモンド 2010.8.28号「解雇解禁 タダ乗り社員をクビにせよ」)

ちなみに私は、年配でも起こる――というか、過去の経験を捨てきれない年配ほど起こりやすくもある――この傾向を、“大人物化”と呼称している。 続く→