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意識下の攻撃性 (初出 2011.1.6 renewal 2019.9.15)
【補注】
この話はフィクションです。
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(株)○○トレーディングは、昭夫の父が経営する企業とも取引している医療機器のディーラーである。
父親は、そのつてで、次男の昭夫を○○トレーディング社に入社させることにした。
折しも○○トレーディング社ではリストラが進行中であり、とても新採を採れる状況ではなかったが、
大手取引先社長のたっての願いとあれば、飲まざるを得ない。それが悲劇を招いた。
西川昭夫の配属先のチーフは、東野治雄である。
治雄は今回の組織替えと自分に対する処遇に、不満を感じていたところだった。
景気が低迷する中、社の売り上げも、ずるずると右肩下がりが続いていた。
最初は一丸となって状況打開に突き進んでいた○○トレーディング社だったが、もがいても一向に業績は上がらない。
このため昨年、従業員への“成果主義”の導入が表明され、業績評価によって給料の査定が行われることになった。
一番の犠牲者が、治雄の率いる『東部地域グループ』だ。
治雄は、もともと現場からのたたき上げである。
学生時代はちょっとしたワルだったが、その時の経験からチームをまとめる力量は高かった。いわゆる“男気”があった。
周囲のエリートたちは、治雄の性格をうまく利用し、フル活動できない社員を彼に押しつけた。
例えば、病弱者であったり、親が高齢であったり、子供が小さかったりする社員は、治雄のチームに編入された。無理がきかない社員ばかりだ。
治雄は「それはそれでよい」と割り切っていた。
また、治雄の担当区域は、顧客となる医療機関の密度が薄く、比較的競争が激しくない地域だった。
したがって、顧客が医療機器を更新しようという欲求も高くなかった。
こうした事情から、当然、治雄のチームの成績は万年最下位に甘んじていた。
ところがだ。経営方針が変わって、成績主義が導入されると、治雄の給料は大幅にダウンした。
数字に表れない部分は、完全に捨象された。
治雄は初めて、上司に苦言を表した。
「限りある資源を活用して最大限の効果を生み出すのがチームリーダーの役割です。現在のスタッフでは今の実績は上出来。
業績以外の部分でも、自分は会社に貢献しているつもりなのに、それを評価してもらえていない。」
上司曰く、「今度、新人を君に任せる。バリバリ働ける若者だ。能力もある。彼を使いこなせれば、当然、キミのチームの成績も上向くだろう。
しっかり仕込んで、立派に育ててほしい」
新人、西川昭夫が配属されたのは、それから間もなくのことだった。
当初、治雄は、昭夫の配属を大歓迎していた。ようやく弟分が出来たような気持ちだった。
しかし、昭夫は、治雄の昔風の接し方は、内心うっとうしく感じられた。
そのうち、職場に慣れてくると、昭夫の“悪い癖”が出るようになり、周囲の同僚に自分の「博学」を披瀝して回るようになった。
同僚は、表向きはこの若きインテリに感心したようなそぶりを示しつつも、だんだんと彼を遠ざけるようになった。
それでも、治雄だけは、昭夫を見捨てるようなことはしなかった。
「立派に育ててほしい」という上司の言葉が脳裏から離れなかったからだ。
治雄は昭夫がチームに溶け込めないのを何とかしようと思い、彼にニックネームをつけることにした。
それが、「れば夫」である。
昭夫はことあるごとに、「○○によれば」という引用句を連発していた。
それが、いつしか「れば夫」というあだ名になった。
「おい、れば夫。今日は、○○をするぞ」と、治雄は昭夫に命じるのが日課となった。
リーダーである治雄は妙に気持ちが良かった。実は治雄は無意識のうちに、昭夫の出自や資格に対する劣等感を感じていたのだ。
「いずれはこの男に対して頭を下げなければならない立場になる」という先入観は潜在的な恐怖として、治男の精神を圧迫していた。
しかし、見下し目線の命令口調が板につくと、劣等感がすっかり払拭されるような気持ちになれた。
一方の昭夫は、「れば夫」などと呼ばれることだけでも、耐え難い屈辱だと感じた。
しかも、治雄の態度が「れば夫」と呼ぶ度に、横柄になっていく。
そうした日々が続くにつれて、治雄の「れば夫」に対する仕打ちは、だんだんエスカレートするようになってゆくのである。
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(参考)***********
学生時代と社会人とでは、人間関係に、ひとつだけ決定的に違うところがある。
学生時代だと、先輩-後輩の関係は、覆ることがない。
しかし、社会人になると、かつての後輩が自分の目上に立って、自分に命令する立場になることがある。
ところが、“かつての部下が今の上司になる”ということは、意識の面では「地位の不整合」という現象を生じさせる。
事例では、治雄から見れば、昭夫は「部下」であるにもかかわらず、「得意先の後継者」であり、なおかつ留学帰りのエリートとなる。
このまま会社に残っても、退社して親の後を継ぐにせよ、治雄の上の立場になることは時間の問題だ。
そうした思いが、治雄に屈折した感情を抱かせたとしても、不思議はない。
これが終身雇用の世の中なら、がまんした方が得策かもしれない。
かつての恩も武器になる。しかし、治雄が終生○○トレーディングにいる保証はないのだ。
そればかりか、今の経営状況からすれば、いつ整理解雇が打ち出されても不思議はないところまで来ている。
治男は、御曹司の昭夫が博識を鼻にかけることが、だんだん我慢ならなくなっていく。
続く→