「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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迷走の果て:コストか賃金か (初出 2010.3.7 renewal 2019.9.15)

【補注】
本サイトを立ち上げるきっかけとなったSF作家の話を書いた。なお、復活したアイボは、前のタイプよりも犬に似ている。私は前の方が好き。

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このホームページを立ち上げた直後に、「迷走するITよ、いずこへ・・・」という駄文を掲載した(今はない)。そこに引用した話を再掲する。

1999年の暮れ、都内某所でSF作家が何人か集まって議論を交わしたという話しが雑誌に載っている。
テーマは、『SF作家にも予想できなかった、最近の科学の進歩は何か?』だった。

ひとつは、「一般家庭に入る最初のロボットが“犬”だった」ことである。
そもそもロボットは人間の労働を肩代わりするものと考えられていた。 したがって、人間に近い形態をもつものだと予想された。 たしかに、私の少年時代の友である、鉄腕アトムも鉄人28号もエイトマンも、みな人型ロボットだ。
しかし、昨年(※注:1999年)、定価が25万円もするにもかかわらず、 予約開始後わずか20分で完売したというソニーのアイボは、犬だった。人間様に代わって仕事をやってくれるわけでも、何でもない。 こういう「いやし系」の人工物が最初に家庭に入るロボットだとは、さしものSF作家にも想像できなかった。















その後、10年あまりが過ぎ、どのような変化が起こったか。

アイボは2006年に生産中止となった。「儲からないものは作らない」というのは、企業として当然の判断だが、「うぅ~ん、残念!」。 理想の工場を目指したソニーだけに、夢は残しておいてほしかった。 買ってない私がいうのも何だが・・・。(【補注】最近になって、アイボは復活している。よかった。)

ペットロス症候群というメンタル障害がある。ペットをあまりにもかわいがっていたために、それと死別した悲しみを克服できないという状態だ。
しかし、アイボの生産中止に対し、愛好家からの強い抗議は聞かれなかった。

アイボの動きはあまりにも人間的だ。
だが、そのことが逆に、飼い主との間に一定の精神的距離をもたらしていたのではないか、と私は考えている。あ まりに生物的なるがゆえに、メンタルな防衛機能が生じて、逆に感情移入できないということが、あるのではないか。

また、高度技術なるがゆえに、飼い主が関与できる部分は限られてくる。
気分屋のように行動することはあっても、餌や糞で周囲を汚すこともない。 故障はするとしても、病気とは違って、飼い主が看病することはできない。
どんなに愛らしいかといっても、アイボに頬ずりする飼い主がいたとすれば、その光景は気持ち悪い。
つまりは、そういう関係だということだ。

先般、立川の「たま工業交流展」を見学した。
羽村市の株式会社ココロさんが、人間そっくりのロボットを特別展示していた。 ココロさんのロボットにはいつも感心させられるのだが、型番が上がるにつれて、どんどん人間に似てくる。
DER2は“おおむね新山千春”と言ってもいい。
しかし、さすがに自室に持ち込んで、いかがわしいことをしようとは思わない。人間に似すぎているからだ。

ココロ社の受付嬢ロボットについては、こちらのサイトをご覧あれ→

同じロボットでも、アザラシ型のパロというのがあって、 こちらの方がぬいぐるみチックだ。
しかし、感情を入れるとなると、むしろパロの方が入れやすい。 介護老人保健施設でのロボット・セラピーにも活用されているという。

対象が「人間的」な形態をしていないと、こちらも警戒を怠って、感情移入にブレーキがかからなくなる。
例えば、アニメの主人公に感情移入する。ゲームに何時間も没頭する。
パチンコ台と日長を過ごす。
人間的ではないものに引きづり込まれると、現実世界に帰れなくなる。

そこにITが絡んでくるから、話はかなりやっかいだ。続く→