「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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飲み会の喪失 (初出 2010.11.7 renewal 2019.9.15)

【補注】
昔は職場の仲間と飲むことが、ほんとに多かった。
私は生真面目に、政策論議などを上司にふっかけていたのだが、翌日になるとすっかり忘れられていた。
だから、そのうち職場の飲み会は不要だと思うようになり、ウンザリするようになった。
今の都庁では、そんな機会はほとんど無くなっている。けど、けどね。ほんとにそれで良かったのだろうか、という疑念は頭を離れない。

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思い起こすならば、私が採用された45年前の都庁では、仕事が終わると、先輩と一杯やるのが普通だった。 私はそれが嫌でたまらなかった。飲み屋の話題はほとんど人のウワサ話。その人物を私は知らない。だから、つまらないこときわまりない。
今の都庁では、仕事が終わって部下と飲みに行く機会は大幅に減少した。 週休二日の普及で、職場旅行も行かなくなったし、女性の職員が大幅に増えこともあって、プライベートの交流はしずらくなった。
それに、今の年配職員は昔のように後輩にごちそうするほど給料をもらっていない。 「若手はそういうことを望んではいないだろう」と思っているので、進んでそういう機会を持とうとはしない。

では、なぜ昔の先輩は自分達を奢ってくれたのか。それは、その先輩たちが、そのまた先輩たちからそうしてもらっていたからだ。
飲み会を繰り返すことによって、飲み屋は、後輩職員の教育の場になったし、その人物を把握するためのよい機会になっていたのである。
そして、別の機会に年配者同士が飲むと、お定まりのようにその場にいない若手職員のウワサ話となる。 そこで、「アイツは○○に強いみたいだから、△△の仕事ができるよう育てよう」といった、意見交換が行われた。

こういう場が失われた。
都庁でさえこうだから、おそらく民間企業ならなおさら、そうだろう。
しかし、今にして考えてみると、こういう飲み会の積み重ねが、自分達の一体感を醸成させ、先輩から後輩への情報伝達のための教育に生かされていたように思われる。

仕事に関しても、「東京都の行政はどうあるべきか」といった“青臭い”話題は、もっぱら飲み会の場で論議されていた。 時にして、それは口論になり、諍いに発展した。
それが、うんざりだった。 だから、私は自分から進んで、後進を飲み会に誘うことはしなかった。

今でも忘年会や暑気払い、歓送迎会はあるが、それは“儀式”or“行事”であり、もはや、魂と魂がぶつかり合う場ではなくなった。そんなことを期待する人もいなくなった。
それはそれでいいのだが、一抹の寂しさを感じるとともに、本当にこれで良かったのかという不安も感じる。

『時代をひっぱっていく気概』のようなものを、あの頃のメンバーは持っていたように思える。 大切な場を、自分達から捨てたような気がする。続く→