巻之五
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其趣ニ曰、明日、桃花ノ佳節ニテ、上使饗応ノ為、城中ニオイテ、茶ノ湯興行申候。幸(さいわい)、貴客モ珍敷(めずらしく)會席ニ候間、御鬱散ノタメ、早々御来臨可有(あるべき)ニツイテハ、大坂表、御登城ノ儀ヲモ、仰談ゼラルベクノ間、早々御発駕有ベキノ旨、使者演舌ス。 鎮房ノ曰、御懇志ノ段、重々忝(かたじねなく)、年来ノ積鬱ヲ散シ可申、早々登城可仕旨、返答ス。使者承リ、引取ケリ。鎮房、荒木弥介ヲ呼レ、「汝ハ國ニ帰リ、牧野城ニ残シ置タル茶器ヲ持セ、来ルベシ。明日、茶ノ湯トアレバ、時ノ興ニモナルベシ。直(ただち)ニ柳川ニ持スベシ。中々、急ガズバ、間合ガタカルベシ。心得ヨ。」ト有ケレバ、荒木、畏(かしこまり)テ、引取ケリ。竹ノ下内膳ハ、二日ノ夜、亥ノ刻計ニ、纔(わずか)ニ二十五人ニテ、来リケル。鎮房、不斜(斜めならず)歓び、上使ノ趣、具ニ物語アリ。
内膳ガ曰、「上使ノ趣、案ノ外ナル儀ニテ候。ホノカニ承リタル儀モ候ヘバ、軽ガルシク御登城アラン事、シカルベカラズ。世ノ風評ハサダ(定)カナラズトハ申セドモ、御用心ニシクベカラズ。明日ハ、虚病有テ、實否ヲ糺サレシカルベシ。コノ節ハ、大和罷越可申處、病気、今以、相スグレ不申。某ヲサシ越申候。是非共、明日ノ御登城シカルベカラズ。」ト申ケル。鎮房、暫ク思案有テ曰、「上使ニ謀計アラバ、タトヒ、虚病ヲカマヘ、登城相コトハルトモ、其侭ニテ、止ムベカラズ。野心ナキ所ニ、色々ト、計リナバ、カヘッテ禍ヒヲ招ク事、基本タルベシ。運ヲ天ノ命ズルトコロニ任セ、登城センニハシ(如)カジ。変アラバ、イサギヨク討死シテ、名ヲ後代ニ留ムベシ。」トアレバ、内膳ガ曰、「シカラバ、諸士、ミナミナ召連ラルベシ。、某、當所ハ守護仕ルベシ。」トゾ申ケル。
翌三日ニモナリケレバ、都合二百五十人、其用意ニテ、出立也。〈割り注:異ニ、二百二十五人、或、三百人共有〉柳川城下ニモ、成ケレバ、何トヤラン、物サワガシキ躰ニゾ有ケル。城内ニ込トヒト(等)シク、鉄炮ノ音ヒゞキ、鯨波、地ヲ震テ聞エケル。鎮房ハ、「内膳ガ詞、必セリ。イザ戦ヘ。」ト、下知アレバ、「畏候。」ト、諸士一同ニ、用意ノ物ノ具、肩ニ引カケ、ヒシヒシト、身ヲ固メ、トキヲ咄トアゲレドモ、敵一人モ出合ズ。矢間ヲ押ヒラキ、弓鉄炮ヲ打カケゝル。味方ハ、城中ニノリ入ント、ハタラケドモ、前後左右ノ矢間ヨリ、雨雹ノ如ク打出ス弓鉄炮ニ打落サレ、射ヲト(落)サレ、的ニ成テゾ、死ニケル。
鎮房、大音声ニテ、「安國寺ノ売僧(まいす)坊主、汝、ヨクモ人ヲ欺キ、斯ハ計(=謀り)ケル。カゝル事トハ知ナラバ、以前ニ己フミ殺シテ捨ザリシ事ノ残念サヨ。ヨシコノ上ハ、死替リ、生カハリ、生々世々ウラミヲナサデ置ベキカ。」ト城ヲ睨テ、立タリケル。良(やや)有テ、井方市右ヱ門ヲ呼、「汝ハ某ガ首ヲ持、國ニ帰リ、城ノ近邉ニ葬ルベシ。」トアレバ、井方、平伏シテ申ケルハ、「カゝル大勢ノ中ニテ、某一人、國方ヘトノ仰、心得申サズ。是非ニ黄泉ノ御供仕ラン。」トゾ申ケル。鎮房ノ曰、「死ハ易ク、命ハカタ(難)シ。汝ニ鎮ノ一字ヲ免(ゆるす)ゾ。」ト、云ヨリ早ク、上帯引トキ、鎧刎除(はねのけ)、十文字ニカキ切リ、井方トアレバ、市右ヱ門、涙ヲ打払ヒ、首打落シ、下着ノ衣ノ袖ニツゝミ、城中ヲ抜出、肥後ヲサシテ急ギケル。アトニ残ル者ドモ、井方ヲ見送リ、皆サシ違ヘテゾ死ニケル。
内空閑記曰、「毛利壱岐守、上使トシテ、山本ニ来ル。依之、霜野ヲ下城有テ、江田庄、牧野ノ城ニ移リ在(ある)ヲ、天正十六年、安國寺、柳川ニ下リ、、鎮房ヲ柳川ニ招キ、城中ニ於テ、大勢トリカコミ、討トル。其トキ、味方ハ敵ヲ二百人討取、味方三百人残ラズ、討死ストアリ。カヤウナル異説、甚多シ。後人、惑フベカラズ。 又、曰、鎮房討死ノ事ハ、、内空閑盛衰記、井方氏家記、其外、諸家ノ舊記等ヲ考合テ記。井方氏家記ニ曰、「鎮房討死ノトキ、懐妊ノ妾アリ。井方市右ヱ門ニ賜ル出生ノ子、男子ナラバ、汝養テ、、井方ノ家名ヲ相続セヨ。」トアリ。後。男子ヲ産ム。利兵衛ト号(なづ)ク。井方ヲ「伊形」ニ改タルハ、伊賀ノ「伊」ノ字ト、形(=刑)部太輔鎮房ノ「形」ノ字用(もちい)、伊形利兵衛ト号トアリ。
中古ハ九尺間五間四面、今ハ七尺(または)八尺間三間四面 本尊 千手観世音菩薩、并(ならびに)三十三身、脇士不動、毘沙門二十八佛子 真堂、本尊 阿弥陀佛、脇士 観音 勢至、堂右同 今ハ仮堂 護摩堂、本尊 五大尊十二天、堂破滅 薬師堂、右ハ三間四面、今ハ仮堂 大日堂、右ハ二間四面、右同 不動堂、右ハ二間四面、右同 虚空蔵堂、右ハ二間四面、右同 大講堂前鐘楼、破滅 一切経堂、同 宝蔵、同 鎮守山王二十一社、但(ただし) 鎮西阿蘇大神宮 右ハ宝殿三間ノ五間、今ハ二間ノ三間 同宮安座 今ハ二間三間 拝殿、右ハ三間二十一間、今ハ二間三間 白山宮、古ヨリ宝殿二間三間、拝殿 破滅 熊野権現宮、社破滅 妙見宮、右同 稲荷宮、同 八幡宮、同 辨財天堂、但 泉山本堂、前二ヶ所社破滅 仁王堂、破滅 四方ノ峯ニ鐘楼、仁王堂ノ内一所 正院村ノ内一所 鈴麦村ノ内一所 大浦村ノ内一所、破滅 當山開基 暁圓上人、山内本谷院主 東西南北ノ谷衆徒在 東谷東福寺、破滅 西谷西福寺、破滅 南谷真福寺、破滅 北谷長福寺、在本尊十一面観世音 堂二間三間 鎮守山王宮 宝殿、二間三間 拝殿、二間三間 以上 坊数九十九坊 寺領本田(ほんでん)五百五十町
中興 禎重法印 衆徒數堂社并、寺領如先規(先規の如し) 御伏見院 御願圓満御祈祷将亦寺邉掟蒙勅命其文曰、
肥後国霜野庄康平寺之事 住僧禎宣申請為御祈祷可祈精(請の誤りか?)御願圓満 兼亦寺邉停止甲乙人乱入可禁断殺生之由可令加下知給者 院宣 如此(かくのごとし) 仍(なお)執達(しったつ)如件(くだんのごとし) 正安四年壬寅十一月十一日 按察使(あぜち)頼藤
再中興 禎貴法印 山内谷院主 別當 幸満坊 學頭 高橋坊 千満坊 杉本坊 明星坊 般若院 大教院 宝壽院 福満坊 奥蔵坊 中谷坊 中山坊 東谷 東福寺 西谷 西福寺 南谷 真福寺 北谷 長福寺 以上坊數十七坊、寺領本田拾一町外畑地有。
縁起 文章 宝物等数多(あまた)有之(これあり)トイヘドモ、内空閑鎮房公、 霜野在城ノ砌(みぎり)、薩摩勢寄来放火ス。其後、佐々陸奥守同放火ス。 両度ノ兵火ニ寺院、経藏焼亡ス。依之傳来書、宝物多消失ス。下略ス。
霜野山康平寺来歴ノ叓(こと)ハ、縁起ヲ略シテ其アラマシヲ記スナリ。