「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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想定を凌駕する見識 (初出 2010.6.5 renewal 2019.9.15)

【補注】
別項目に掲載してあった部分だが、今後のために残しておくことにする。

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東京都では、企業の経営者にBCPを作るよう推奨している。
BCPとは、事業継続計画(Business Continuity Plan)の略で、「危機的な状況に直面したときでも経営を続けられるよう事前に計画を作っておく」というものだ。

東日本で起こった地震はその典型だろう。
まずは、事前の防災チェックが欠かせない。
消火器の使用年限は残っているか、什器の転倒防止は措置されているか、非常時の連絡体制は周知されているか、 幹部社員と連絡が取れない場合、誰が指揮命令を代行するのかなど、確認が必要だ。

会社が被災して生産ラインが動かせないというのはもとよりだが、 企業そのものが被害を受けなくても、部品メーカーが生産停止になると全体の製造工程が止まってしまう。
このような事態を事前に想定して次善の策を用意しておくことも、大切だ。

今回の地震で多くの人が経験したように、「帰宅難民」の問題もある。
帰宅させるとしても経路の安全は確保できるのか、地図は用意されているか。 社員を会社に残らせるとしても、まず「水」、そして食事はどうやって調達するのか(せめて水は備蓄してほしい)。 電気の来ない中で灯りはどうするのか。

天変地異ばかりではない。
中小企業の経営者には、失礼ながらご高齢な方が多い。ゴルフの最中に突然ポックリということもありえる。
そうなったときに、誰が事業を引き継ぐのか、というのも大事なのだ。
だが、ご高齢な社長自らが率先して声を上げないと、周りは気兼ねして計画作成に向けて動こうとはしない。

鳥インフルエンザなどが発生すると、風邪気味の社員を出勤させるのか自宅待機させるのかが、問題になる。
病気の発生した地域を旅行して帰国したばかりの社員はどう取り扱えばいいのか、悩みの種になる。

こうした一連の危機管理を企業経営の観点から考えてみようというのが、BCPの考え方だ。

実は、東京都産業労働局では、東日本大震災の起こるなどとはつゆ知らず、 「中小企業BCP策定推進フォーラム」を都庁5階の都民ホールで、3月25日に開催する予定だった。
募集開始は東北大震災の起こる前であり、開催の1か月ほど前にはすでに500人の会場は満員札止の状況だった。 こういったテーマで500人の参加者を集めるのは、並大抵の努力ではできない。
それゆえ、地震の後、開催を中止するか強行するか、個人的にも注目していた。

結果は、「中止」である。
開催していれば、これ以上もないタイムリーな企画で、PR効果の高いイベントになっていたはずである。 それをあえて止めた。

これは「見識」だと思う。
参加者の安全もさることながら、被災地の状況、都としてやるべきことの優先度合いなど考慮するならば、中止が正解だと思う。 もちろん、担当者の努力を考えると、気の毒な面はある。 だが、事業の成果ばかりを追い求めて、節操なく実施するより、ずっと品のいい選択だ。
“想定”より“見識”に基づいた判断が、今、求められている、と思う。

東京都以外の団体でも、いろいろとBCPの普及啓発を行っている。
むさし府中商工会議所も、独自のBCPマニュアルを作っている、作成にあたったのはこの分野で有名な防災システム研究所・所長 山村武彦氏だ。
そこに、こんなエピソードが紹介されていた。長文だが引用する。

「阪神・淡路大震災(1995年)発生2時間後に被災地で見たのはコンビニなどの前にできた長い行列でした。 さぞや店内は大混乱かと思いきや、商品を抱えた客たちが整然と並んでいて「できるだけ多くの人に行き渡るよう、ひとり3点にしよう」と申し合わせていました。
ガラスの割れた店内は、停電で照明は消え薄暗くレジやポスも動かない状態でしたが、 落下して壊れた商品やガラスは片隅に片付けられていてる中でスタッフは必死で対応していました。
神戸中心部への途上でもいくつかの店舗で同じ光景を目にしました。
さすが神戸の商人は商魂たくましいと思ってしまったのですが、神戸市役所で実情をうかがって驚きそして恥ずかしくなりました。
神戸市役所・新庁舎8階に設置された神戸市災害対策本部の壁にマジックで書かれた張り紙がありました。
それには「マスコミの皆様へ、日用品、食料品を扱っているお店に安全が確認できたら、商品のある限り店を開けてくれるよう呼び掛けてください」という趣旨でした。
また、神戸市の職員たちはあちこちへ電話して「店を開けてください」と呼び掛けていました。 多くのスーパーマーケット、コンビニ、商店はその呼び掛けに応え、まだ余震が頻発する中、あちこちで煙が立ち上がっている最中店に駆けつけ、 壊れたガラスや商品を片付けて真っ暗な店内で商品の残っている間中商品を供給し続けたのです。
だからこそ略奪も暴動も起こらなかったのだと後から気付きました。
もしも、全ての店舗がシャッターやガラス戸を締め切ってしまっていたら・・、 そのガラス戸の向こうに水や食料があるのを知った不埒(ふらち)な人間がガラス戸を破って略奪を始めたら・・・ それは燎原(りょうげん)の野火のように暴動や略奪の嵐が吹き荒れたかもしれなかったのです。
とっさの判断で呼び掛けた神戸市職員の決断、 そして、要請に応えて困難な中、店を開けた人々。
もちろん神戸の人たちの理性もあったでしょうが、災害直後にその使命を見事に果たした人たちが残した教訓は、 小売業の社会的使命を今一度思い起こさせたような気がします。
小売業が発災時に果たすべき使命と役割を今一度認識し直し、経営者が地域と自店の被災状況を勘案及び判断して、 臨機応変に対応できるマニュアルが望ましいと思います。」

(出典:BCPマニュアル むさし府中商工会議所)

災害の真っ最中に、これだけの判断を誰が下したのだろうか。
また、その判断を容認するだけの寛容さは、いかにして培われたのだろうか。
今の都庁で、それだけの「見識」が実効性を持つだろうか。
いちまつの不安を感じずにはいられない、昨今である。

神戸の教訓に見るように、急場にあたっては現場のスタッフがどれだけの実力を発揮できるかが、事態の明暗を分けるポイントとなる。
とすれば、経営トップは幹部社員を集めて、こう訓示するのがベストだ。

「我が社は、今、存亡の危機にある。この危機を乗り切るには、全社の総力を結集し、一丸となって対処しなければならない。
本来なら、その全責任は私にある。したがって、すべての指示を下すべきは私だ。
しかし、かかる火急の事態にあっては、逐次、社長の判断を仰いでいたのでは手遅れになることも多い。
したがって、社員の各自が、その持ち場において、最善だと判断することを、全力をあげてやってほしい。
問題が起こった場合は、私が責任を取る。
ただし、それぞれの判断に齟齬が起こることは避けなければならない。このため、関係者同士の連絡は密に行って欲しい。
以上」

それだけで十分だ。(終)