「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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マンボウ病 (初出 2010.6.5 renewal 2019.9.15)

【補注】
正直なところ、この項は、当時の都庁の内情についての批判だ。 現状は知らないが、多少良くなっていることを、願っている。
若い優秀な職員が管理職として赴任してくる。仕事の様子は、まだよくわからない。その段階で「この1年間で、新しい施策を生み出せ」と命令される。 自己申告に「○○を実現する」と書かされる。だから、とにかくも何か新規性のある事業を作ろうとする。 年度末になって、それが実現できていないと「落第点」を付けられる。何としても形にしようとする。
経験の浅い管理職でも、その職場の直面する「課題」を把握するのは、わりと簡単だ。何となく改善策も思いつく。 そして、「どうして今まで、そんな対策が取られなかったのか?」と疑問を持つ。そして「きっと、職員のヤル気の低さだろう」と思う。 これが大きな間違いだったりする。
例えば、中年の引きこもりが社会問題になっている。だから、実社会に出てくるように誘導し、就労まで持って行くのが必要だ、ということは、誰でも気づく。 ところが、これを行うためには、とてつもない手間がかかる。要するに膨大な人件費が必要になる。そこに投入されるのは都民の税金だ。
やがて、「勝手に家に引きこもって、仕事をしないような人間に対し、本人でさえ嫌がっているのに、湯水のように税金を投入して、それで、ホントにいいのか」という批判を、 都民から受けることになる。そういう経過をたどって、消滅した事業もあった。 それで終わればいいのだけれど、しばらくして、そのポストにまた若い管理職が来る。そして、同じことが繰り返される。

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マンボウという魚は2億8千万個の卵を産むが、ほとんどが他の魚の餌になってしまい成魚にまでなる個体は少ない。
ここから、短命商品を乱発する企業行動を、梅澤伸嘉氏は「マンボウ病」と名付けた(出所:ヒット商品打率 梅澤伸嘉 同文館出版)。

マンボウ病

「マンボウ病」の詳説は梅澤氏の著書に譲るとして、 ここでは、このマンボウ病と、かつて一世を風靡したTQCや従業員提案制度との不思議な類似点について言及してみたい。

TQCや提案制度は、その初期において、きわめて顕著な成果を上げた。 その理由は、一介の平社員でも、直接社長に業務改善の提案ができるという画期的制度だったからだ。
画期的な理由は、直接民主制的な要素だけではない。
提案制度は「仕事をする人」と「仕事を提案する人」とを分離させた。
なぜ、それまで従業員から業務改善についての提案が出なかったかというと、 それは「言い出しっぺ」の論理が働いて、提案者が担当になり、自らの提案のために苦労を強いられたからだ。
「する人」と「提案する人」が分離されれば、提案する側は、どんどんお気楽に新しいアイデアを上げられる。 提案者は表彰されたりして英雄扱いされるが、その提案を実行に移す部門にとってはこれほどの屈辱はない。 だから、かえって士気が上がらない。

それでも、最初の頃はいい。
そのうち、提案するアイデアが枯渇してくる。 それでも提案制度は残る。 こうなると、「改善提案」はノルマ化する。「何かいいアイデアはないか!」と、上司は部下に強いる。 そこで部下は、「こんな新事業は、きっと失敗するんだけどなぁ・・・」と独り言を言いながら、改善提案をする。
結果、症状は、上記「マンボウ病」と同じだ。当然のことながら、提案は失敗する。

ここに至っても、いったん制度化された仕組みはなくならない。
そして、提案する従業員は、そうそう愚かではない。 失敗すると分かっているならば、「自分に火の粉がかからない分野」の改善提案をする。 自分とは関係ない仕事だから、その仕事には詳しくないし、まったく愛着を持っていない。 だからこそ、自由に提案ができる。

似たような現象は、成果主義でも起こる。
成果主義に基づく評価制度では、まず、従業員に「達成目標」を設定させ、その達成度を評価するという方法が一般的に採られる。
これは、昔、「QC大会」のテーマ捻出を、企業各部門責任者が無理矢理求められたのと同じ行為だ。 たまにならいい。しかし、毎年毎年では辛い。

毎年、業務目標を立てて成果を上げるように強いられると、従業員は「実現可能な目標」だけを立てるようになる。 それでも「新しい目標を立てろ」と強いられれば、「差し障りのない程度の失敗」をするような目標を立てるようになる (差し障りが生じると自分の身にも影響があるため)。
そうこうしているうちに、社内中が、こういう不毛なゲームの繰り返しとなってしまう。

率直に言って、従業員の顔と名前が全部一致するような中小企業にあっては、目標管理による評価制度など必要ない。 誰がどれだけ貢献しているかは、社長が一番よく知っている。 また、そうでなければ従業員はついてこない。

大企業だと、さすがに業績評価制度は必要だろう。 とはいえ、機械的な採点シートが、どれほどの効果をもたらすかは疑問だ。

思い出してほしい。あなたの従業員は、本人と自分の家族の生活を、会社の存亡に託しているのだ。 そして、1日の大半を会社で過ごしていく。 最初から「ムダな仕事をしたい」と思っている者はいない。
そんな従業員が「仕事のムダをなくす」という目標設定を課せられ、報告書にまとめ、結果として「その達成度」を自己反省させられたら、どう感じるだろうか?
この一連の行為も時間と労力を消費する。「ムダなことをやらされた」と感じるだろう。
そしてたぶん、「会社は時間を消費し、その代償として給料をもらう場」という割り切り方を選ぶ。 成果主義が、“仕事に身の入らない社員”を生産していく。

ではどうすればいいのか――まずは膝詰めで意見を聞くことだ。「あなたの仕事の課題は何なのか?」と。続く→