「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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経営者に休みを (初出 2010.7.13 renewal 2019.9.15)

【補注】
今は人手不足だし、ローテで仕事のスケジュールができていたりして、なかなか休みが取れない。
でも、ちゃっかり休む人は休む。先日、飲み屋でこんな話を耳にした。
「あなた、月末なのによく休みが取れたわね」
「だいじょうぶ、子どもが病気になるから!」
う~ん。

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年配社員は休む理由がないと休まない。 休んで家にいても、成長した子供は、親とつき合ってくれない。 家族から粗大ゴミ扱いされる。あれこれ家事を手伝わなければ存在を示せない。それでは「休み」にならない。
それゆえ、年配者になると、若手従業員が休暇をふんだんに使うのに対し、ある種「納得できない」思いを抱くのが普通だ。
そういう雰囲気は、当然、若手にも伝わり、企業内に「休暇が使いにくい雰囲気」が漂うことになる。

年配者の不快感の原因ははっきりしている。「自分が休暇を取れないのに、周りはどんどん休んでいる」のが、納得できないのである。
しかし、若手はこう言う。「だったら、自分も休みゃーいいじゃん・・・」
しかし、年配者は、「そんなに簡単に休めるはずないじゃないか・・・」と思っている。

経営者やベテラン従業員とはいっても、1年365日、びっちり仕事をしているとは限らない。やりくりすれば業務量など、どうとでもなる。
「取りあえず、明日は休む」と、その都度、休暇をとれば、1年に10日や20日の休暇は難なく消化できる。
でも、それじゃぁ、単なる日程調整に過ぎない。時間をムダに潰しているだけだ。
ムダに時間を過ごすことが、年配者は受け入れられないのだ。

「前途洋々」か「五里霧中」かはともかくとして、若手従業員には未来がある。 しかし、年配者には、もう、それほどたくさんの時間が残っていない。歳を取ると、そのこと自体が受け入れられなくなる。
仕事はそれを忘れさせてくれる。だから、休まず働く。
「忙しい、忙しい・・・」とこぼしながら、ある日ポックリと逝く。それが、年配者の望みだ。

若手と中堅と年配では、休暇を使う理由が違う。
人生振り返ってみると、ヒマのあるときはカネがなく、カネのあるときはヒマがなかった。
今の学生は、「ゆとり」とやらの恩恵のために有り余るほどの自由時間を持っている(ただし、それに本人たちは気付いていない)。
社会人になると、いきなり自由時間がなくなる。だから、職場生活は自由からの束縛に過ぎない。

若手は、まだ、会社以外の人たち、例えば同窓生や友人とのパイプが太い。 「年に1度は旅行でもしようや」と友人から誘われる。 となると、会社の都合で休みの日程を簡単には変えられない。そんな事情を知らない会社側は、納得できない。
「お金を貯めるように、休暇も万一のために貯めておけばいいのに・・・」と、上司は思う。 しかし、「カネが入るようになってはじめてヒマの貴重さに気付いた」若手従業員は、どうにかして休みをうまく使い切ろうと思う。

人生にはいろいろな問題が付きまとう。
30代になって家庭責任を担うようになると、「子供のために休まなければならない事情」が多発する。
40を越えると、ぼちぼち親の介護問題が発生する。 年がいってから子供を持てば、子供と親のダブルパンチだってありうる。
有給であろうが無給であろうが、とにかく休まざるを得ないときは休むしかない。
ところが、職場内での責任は、こういう年代に一番重くのしかかっているので、簡単には休めないという板挟みにあう。 会社としてもいろいろ事情があることはわかるので、休暇取得を拒まないが、 「こういうことが重なるようでは、重要な業務は任せられないな・・・」ということになる。
それがわかるから、従業員は「休まないで何とかしよう」と無理をし、時としてそれが大きな問題に繋がる。
50代になると、話題はもっぱら「親のボケ具合い」になる。 少子化だから少ない子供がたくさんの親を介護しなければならない。 共稼ぎの場合、妻が親の介護のために退職するということも多い。 「カネを犠牲にしてでも時間を確保するか」という苦渋の選択になる。 自分の老後を考えると、まだまだ蓄財をしておきたいところだ。特に余命が長い女性の場合はそうだろう。
そして60を越え、ようやくヒマをもてあますようになると、こんどは自分の健康が危ない。

「みんな口には出さないけど、こんなにいろんなことがあるのよ。なのに、あなたたちは何で“遊ぶ”ために休暇を使おうとするんですか」 という経営者の嘆きも、あながち間違ってはいない。

だから、経営者は「有給休暇を使うかどうか」ではなく、「休む理由」にこだわる。

経営者は休まない。
「働いて働いて働きぬいて 休みたいとか遊びたいとか そんな事おまえいっぺんでも思うてみろ そん時は そん時は死ね」 (母に捧げるバラード 詞:武田鉄矢)てな檄を飛ばされて、経営者は東京へ出てきた。
そんな人に、休みを取れと言って、「はい、そうですか」と簡単に休んでくれるはずはない。

小零細企業の場合、経営者=会社だ。経営者がいないと会社は機能停止する。
「中小企業は良くも悪くもワンマン経営でないとうまくいかないです。 ・・・自分があらゆる社内業務の社内専門家になり、社員に外部の知恵と明日への希望を与えなくてはなりません。」 (出典:仕事ができる人は「負け方」がうまい 宋文洲 角川学芸出版)。

しかし、ワンマン経営から脱却しない限り、小零細企業は中堅どころに育っていかない。

経営者だっていつかは歳をとる。社長職を続けるうちに、社会とのズレが発生する。 別項でも書いたように、経験の積み重ねそのものが判断ミスの原因になる。小さな会社ではちょっとした判断ミスも命取りだ。

それゆえ、経営者は会社の中にどっぷりつかっているのではなく、時には、外に出て見聞を広げるべきだ。
海外旅行、講演会、博物館・美術館、映画・コンサート、展示会、読書など、仕事の肥やしになることをすればよい (それでは休みにならないではないか、という見方もあるが・・・)。

だから、「社長が休暇を取っているかどうか」というポイントを、その企業の経営安定度を測る判断基準のひとつにしてみたらどうだろうか。
ワンマン経営の反対語を選ぶならば「組織経営」ということになる。
企業が組織システムとして機能しているならば、社長が1日か2日くらい不在であっても事業に差し障りは生じないし、 そういった企業であれば危機管理も万全だし、事業承継もスムーズに実施できる。
逆に、社長がいなければ何も決められない企業ならば、経営者個人はおちおち休暇などとっていられない。

だから、経営者は率先して休暇を取るべきなのだ。
働く者としての手本を社員に示すように、休暇人としての見本も社員に示すべきなのだ。

ところが、これができない。
経営者に「なぜ休めないのか」と問えば、いろいろな言い訳が出てくるだろう。
しかし、経営者の口から語られることのない大きな理由が、一つある。
実のところ、経営者は「自分のいない会社が、何事もなかったかのように無事に動いているところ」を、見たくないのだ。
経営者=会社なので、自分のいない会社が存在することは、経営者としての自分を否定することになる。 だから、休むことを本能的に忌避しているのである。

そのため、経営者を無理矢理にでも休ませるためには、「休まなければならない理由を作ってやる」ことが大切になってくる。
例えば、会社の特別休暇に「孫の誕生日の祝い 1日」というのを入れてみては、いかがだろう。
あるいは、「従業員が経営者の研修プランを作り、経営者がこの研修命令に従わない場合は、ペナルティとして従業員のボーナスを倍増させる」、というのでもいい。

とにかく1日でもいいから、経営者を休ませる。それが従業員の休暇取得を推進する早道だ。

休んだからといって、経営者は会社のことを忘れたりしない。 会社の事業に関する文献をあたったり、関係企業を訪問したりする。
ここぞとばかり会社の利益をギャンブルに注ぎ込んだり、風俗で豪遊というのは論外。 本当に上に立つものは、そんなことはしない。それが経営者の宿命なのだ。
従業員は、それを知っているからこそ、経営者に従っていくことになる。

「自分が休めないのに、休暇を要求する従業員は許せない」と激怒するような器の小さな社長では、 会社の舵取りはとても任せられないと、従業員は思っているのである。
だからこそ、経営者は休みを取るべきなのだ。続く→