「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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おニャン子クラブとAKB (初出 2010.11.7 renewal 2019.9.15)

【補注】
ビジネスモデルというものに関心が集まっている。
流行にも、流行廃りがあるようだ。何か変わり、何が変わっていないか、比較検討することも、けっこう面白いのではと思って書いた。
ところで、AKBの楽曲、歌詞の内容よくよく聞くと、あれって演歌ではありませんか。

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やりたいことをやって生きていければ、こんなに幸せなことはない。給料が安くても、仕事がきつくても、それを追い求める価値がある。 「日本一の○○になりたい」と、一生懸命に精進すれば、それなりに技能は身につく。

だが、今の若者にそういう大志はあるのか。――たぶんないだろう。

中には、「お笑いのグランプリを取りたい」「ミュージシャンとして成功したい」という人もいるだろうが、 「商社マンとして世界を股に掛けたい」「立派な公務員になって社会を改革したい」「優秀な先生になって生徒から尊敬されたい」 「研究者として専門分野でノーベル賞を取りたい」という人は、まず、いない。いても口先だけで、そのように努力する人は、かなりまれだ。
「末は博士か大臣か」「故郷に錦を飾る」「立身出世」といった言葉もすっかり死語になってしまった。

だからといって非難するつもりはない。実は、昔もそうだったのだ。
立身出世して偉くなり故郷に凱旋することは、一つの価値観としてあったにせよ、それを自分が実現できると考えている人など、そうそういはしなかった。 いたとしても、そんな「○○一直線」的な人物は周囲の人望を得られないので、結果的には出世できなかった。

では、今と昔、どこが違うのか。それは、“個人”と“社会”との関わり方が、意識の中で大きく異なっていることだろう。
「自分は将来大臣や社長になれる」と信じている若者が、昔も今もほとんどいないのが事実だとしても、 「そうなりたい」と願っている若者は、たぶん、今より昔の方がずっと多かったはずだ。

いつの時代にも、若者が目指すヒーローがいた。
例えばそれは戦国の武将であったり、戦地の英雄であったり、立身伝の偉人であったり、世界的に活躍する日本人であったり、 宇宙飛行士やスポーツ選手であったり、様々だったが、単に遠くから見て“すごいなぁ”と感心する対象ではなく、 自分自身が“ああいうふうになりたい”と切望する目標があった。
それが、今はない。好きな“アイドル”はいても、自分が目指す人物がいない。
若者に目標を持たせることができれば、彼らは育つ。 しかし、政治も社会も混沌として、何を信じればいいのかわからなくなっている今の日本にあっては、それを示すことができない。

とすればだ、企業の入社面接で、「自分が目指しているのは、世界に通用するデザイナーです。 服飾系の知識を体得したくて、御社を希望しました。 これまでの経歴も、それぞれの分野でのデザインを学ぶためです」と回答するのも、新鮮さを感じさせると思う (※そのすがすがしさを、面接官は「怪しい」と受け止めるかもしれないが・・・)

話は変わるが、「おニャン子クラブとAKB48のビジネスモデルの違い」について、最近ずいぶん興味をもっている(初出は2010年・平成22年)。
「おニャン子」も「AKB48」も、プロデュースしているのは、同じ秋元康氏である。
「おニャン子」(1985年誕生)は、どこにでもいそうな素人レベルの女子高校生を中心に多数集めたグループだった。 何となく流行って、その後、ほとんどのメンバーは普通の人に戻った。

「AKB48」(2005年誕生)は、それぞれが芸能プロダクションに属するプロ集団である。 本拠地を持ち、衣装も統一し、規律も定められていて、メッセージ性の強い楽曲を歌っている。
AKBとしての活動はキャリアの「通過点」と位置づけられている。職業人としてのキャリア形成と考えると、彼女らは恵まれている。

この違いは、社会状況の違いと関係があるのではないか、というのが私の見解だ。

おニャン子の1985年当時は、まだバブル前で、芸能界に出られるのは、それ相応の努力と費用を掛けた逸材ばかりだった(と思われていた)。 だからこそ、それとは正反対の、素人臭い大人数の集団の新鮮味が際立った。 逆説的に言えば、芸能界デビューするには運・才能・努力・財力がなければならないと、多くの人が信じていた時代だから、うけたのだ。

その後、オーディションや街角のスカウトが多くなり、芸能界入りの機会は、拡散し多様化した。

誰でもちょっとしたきっかけで運をつかめる時代になったから、むしろ、AKBの「プロっぽさ」が新鮮味を持ってきたのかもしれない。

ちなみに、大ヒット作となった「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を書いたのは、 AKBのプロデュースに関わっていた岩崎夏海であり、その主人公の川島みなみのモデルもAKBのメンバーだという。
「もしドラ」は、表紙こそ萌え系だが、内容はマネジメントの解説書であり、 顧客の望むものを事業活動に取り入れることの大切さとか、様々な価値観を持つ従業員をいかにしてまとめていくかを、 素人にもわかりやすく説示している入門書である。
仮におニャン子をベースにしていたならば、この本は完成しないだろう。 プロとしてのAKBのコンセプトがあったから、それがドラッカーともマッチしたと考えられる。
つまり、おニャン子の時代と、現代では、経営を取り巻く環境や社会の有り様もそれだけ違ってきたということになる。
AKBには、人材育成にたいする明確なコンセプトがあるように見える。 “未来への投資”がきちんと考えられている。

ところで、「おニャン子クラブとAKB48のビジネスモデルの違いについて述べよ」という設問を入社試験に出す会社は現れないだろうか。(終)