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モラルハザード:自爆 (初出 2012.1.21 renewal 2019.9.15)
【補注】
本稿は、当時の民間企業のリストラへの批判である、同時に、東京都庁がやってきた組織改革への批判もこもっている。
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海外進出の動きと同時進行して、企業の人件費コストの見直しが進んだ。
かつて、“いざなぎ越え”と呼ばれる“だらだらとして景気回復”の時期があった(2002年2月~2007年10月)。
しかし、経営者の実感としては、到底「好景気」とは感じられなかった。
そんな折、アメリカ方面から「日本の企業が好景気の中で収益を上げられないのは、人件費コストが高すぎるからだ・・・」という声が聞こえてきた。
そこで、会社はこぞって、正規従業員の給料を下げ、新規採用を控えて非正規従業員の活用を進めた(=労働分配率の抑制)。
「人は石垣、人は城」というのが日本の伝統だ。
本当にそうかはわからないけれども、従業員一人ひとりを大切にするという理想が、日本企業の精神訓としてある。それは確か。
給料がコストであることも事実だが、労働コスト削減=経営力向上という考え方は、これまでの日本的経営とは真っ向対立する理念であった。
それを、すんなりと多くの経営者が受け入れた。「やっぱり、そうだったか」という説得力があったからだ。
かつてある経営者がこういう話をしていた。
「20人の従業員がいるとして、賃金コストを5%減らすために、給料を5%カットする。
そうすると20人の不平不満を抱いた従業員を抱えることになる。
しかし、1人を解雇したらどうだろうか。そうすると5%の賃金コストを下げたうえに19人の勤勉な従業員を得ることになる。」
10年くらい前、私が労働相談を担当していた頃に、そういった論理によるリストラが企業社会を横行した。
しかし、その結果、どういうことが起こっただろうか。
20分の1の従業員を削減した結果、20分の1の仕事を残った19人で分担しなくてはならなくなる。
均等に19分の1ずつ分担できれば、さほどの負担にはならない。
しかし、仕事というものは、それほど都合良くできていない。
退職した1人分の仕事は、おそらく3~4人の従業員の負担として処理される。
当然、彼らは「不公平だ」という怒りを感じる。
このため、「残りの従業員の仕事のやり方だって、いい加減だ」という不満を上司に訴える。
経営者は待ってましたとばかり、企業の業務改善に乗り出す。
経営者は「業務改善運動」とか「見える化」とかの名目で、従業員から職場の無駄を告発させる。
その結果、さらにリストラが進み、従業員数が減る。
人件費コストは減り、一見して経営改善が進んだかのように見える。
と、そこまではまだいい。
ところが、職場の中では、特定の従業員への業務負担増が進んでいる。
そして、耐えられる限度を超えると、彼らは退職する。にもかかわらず、退職者の仕事分担の引き受け手は現れない。
その分の仕事は、溜まるままに放置される。
こうなってくると、職場の主要メンバーも退職し始める。
主要メンバーが辞めると、追随して辞める者が出てくる。
さらに、残った一部の従業員の負担が増える。
抜本的な業務改善が必須なのだが、余裕がなくなるとそういう工夫を考える時間も無くなる。
やがて、仕事増にあえぎながらも、退職もままならない従業員の精神に破綻が生じる。
そして休職した従業員の仕事の負担が、他の従業員に上積みされ・・・。
ここまでくると、企業組織は維持できない。
仕事の改善、効率化は、企業の収益性を高めるためたしかに必要だ。
だが時として“改善・効率化”そのものが自己目的になることがある。
経営者がよくよく職場の状況を把握しておかなければ、事業改革が企業存続に深刻な結果を与える可能性もあるのだ。
「過剰なまでの人員削減が行われる理由は、収益確保のために目に見える部分から着手するからです。
例えばブランド構築部門や基礎研究などの、収益には直結しなくても企業の根幹を支える部門が『赤字だから』という理由で短絡的に縮小されてしまう。
しかし一方では、黒字体質の上にあぐらをかき、非効率な仕事をしている部門が生き長らえている。
そんな企業に未来はありません。 このような間違った利益の出し方を変えるためには、 『目に見えないが将来の企業価値向上につながる革新的な仕事をしている』、 『表面化していないが顧客や取引先が疑問視している問題を内包している』 といった財務諸表に表記されない無形のものを目に見えるようにする必要があります。」 (一柳良雄のベンチャー実践塾 一柳良雄 日刊工業新聞社) |
こんな話を聞いたこともある。
ある企業が専門家を招聘し、経営分析をしてもらった。その結果、「売掛金の回収が良くない」という意見が出された。
このため、その企業では、営業担当の従業員を総動員して、売掛金の回収を進めた。努力のかいもあって、売掛金の未収は無くなった。
ところが、営業担当をそこに投入していたために、その間の営業活動が低迷してしまった。
このため、新たな仕事の調達に失敗し、収益が大幅に減少した。
営業活動しなければ、売掛金未収も発生しないのだが、利益の源泉も断たれる。
しかも、この話には、続きがある。
売掛金回収を命じられた従業員のうち、ベテランの営業マンが次々と退職してしまったというのだ。
営業マンは営業活動に対して、それなりのプライドを持っている。
それが否定されたと感じた彼らは、会社に見切りをつけたのだ。
「しごと」と「労働」の意識の違いについて、経営者の理解が不足していた結果だといえる。
宋文洲氏は、弱体化した会社の前兆として、次の要素を挙げている(仕事ができる人は「負け方」がうまい 宋文洲 角川学芸出版)。 (1)会議が多くなる (2)同じやり方が三ヶ月以上続く (3)取締役が営業しない (4)美男美女が増える (5)文書が多い (6)喧嘩をしない (7)社員が急に増える (8)横文字が増える (9)意味不明な部署が増える どれも・・・とは言い切れないが、なるほど納得できる項目が多い。 とりわけ「取締役(=幹部社員)が営業しない」というのと、「意味不明な部署が増える」というのには、役人生活が長い私にも合点がいく。 |
「顧客ニーズが鈍化しているのに組織を肥大化させることは、トップのリスク感覚がない証拠です。 やがて社員が顧客利益と関係のない仕事を増やすことになります。 その過程で顧客ニーズが減少に転じるケースが多いので、会社は一気に赤字体質に変わってしまいます。 」(宋文洲 前掲書) |