「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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集団から個へ (初出 2010.4.4 renewal 2019.9.15)

【補注】
初出の頃は、日産社長にカルロス・ゴーン氏が就任して、人気を博していた。 だから、本稿でもちょっと持ち上げていたのだが、まさか、あんな顛末になろうとは思わなかった。

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日本的経営の強さは、現場にある。 日本が戦後、ここまで成長する過程において、現場が大きな役割を果たしてきたことは否定できない。
「日本の強みというのは現場にあるのです。 ・・・日本の現場というのはナンバーワンです。他国を見てきた人はわかると思います。 我々はそれを踏襲しなければなりません。それを守らなければいけないのです。」 (カルロス・ゴーン日産自動車社長兼CEO カンブリア宮殿3 村上龍 日本経済新聞出版社)

しかし、その現場重視の考え方が揺らいできた。
かなり昔だが、「私作る人、ボク食べる人」というラーメンのCMが男女平等の観点から糾弾されたことがある。 これと違って、企業が組織で成立している以上、組織間の役割分担があるのは当然だ。 本社が考える人で、現場が実現する人になっていても、組織なんだから当たり前のことでしかない。

ところで、日本の組織は、構成員の一体感を失うとひじょうに硬直的になってしまうとう欠点がある。
「日本人は、「思い・共感し・あわせる」ことが自然であり、・・・『思いの共有化』は日本的企業組織の強さの源泉ですが、 逆に『思いの共有化』がはかれない日本的企業組織はきわめて硬直的でうまく働かない経営者泣かせの存在となるのです。」 (日本型イノベーションのすすめ 小笠原泰・重久朋子 日本経済新聞出版社)
ところが、現実には「考える人」と「働く人」の分断が、はっきりした形で発生する。
本部の要員には優秀な従業員が当てられるが、必ずしも現場の生え抜きというわけではない。優秀であるだけに、得てして机上の空論を描きがちだ。
事業の基本設計段階では、現場の意向は反映されない(というか内容も知らされない)。
こうなると現場は「お手並み拝見」という傍観姿勢になる。

そういう状況が長期的に続くと、「浮世離れしているが理屈だけは通っている事業計画を考える人」と、 「何も考えず、指示が示されることを待っている人」とに、組織が別れる。
最悪だ。
現場では「社会常識も知らないで、あいつらは何を考えているんだ」と企画本部を非難する。
企画本部では「やる気のない部門は廃止してしまえ!」と、現場を非難する。

そもそも、現場の声が正しく経営陣に届くシステムがあれば、企画本部など必要ないのだ。
しかし、経営首脳は「現場が動かない」という問題意識を持つがゆえ、企画本部を仕立てる。 しかし、その本部の存在が、さらに組織間のぎくしゃくの原因となる。現場は梃子(てこ)でも動かなくなる。
本末転倒だ。
そういった素地の上で、いい意味での集団主義を復活させるのは、容易ではない。

企画本部を立ち上げる前に、まず検討すべきは、「なぜ、現場が動かなくなっているのか」の解明なのである。
原因はいろいろ考えられるが、企業を取り巻く社会環境そのものにも、一因があるように思える。
例えば「サービス経済化」の進展だ。

東京にも製造業はたくさんあるが、実際に製品を作っている現場は、ひじょうに少なくなった。
本社機能のみ東京に残し、地方や外国に生産現場を持つ会社も多い。中には、自社工場をまったく持たないファブレス企業もある。
こうなってくると、従業員に生産現場の経験を積ませるのが難しくなってくる。

中小製造業の場合、セールスエンジニアのような制度を作って、生産と営業を掛け持ちするような従業員を育てようとするところが多い。 ただし、「顧客のニーズも技術の内容もわかる」というスーパー従業員を育てるのは一朝一夕にはいかない。
とりわけ、最近の若者はゲーム世代だ。自分の世界に籠もりやすい。 研修には参加するが、我々のように仕事帰りに一杯ということは好まない。
最近はゲーム機同士の通信というもできるようで、子供同士が無口のままひたすらピコピコやっている様子は、かなり異様だと思う。 このまま育ったらどんな大人になるのか心配だ。

また、テレビゲームは常に受身であることに人を馴れさせる。
日常のルーチンワークは、そこそこマニュアル化されている。が、ほんとうに重要な仕事というものに、マニュアルはない。
一通り仕事の説明をした後、新採から「ところで、マニュアルはあるんですか」と質問されて唖然としたと、知人は言っていた。 世の中には、まったく白紙の状況から取りかからなくてはならない課題は多い。「学ぶ」ことではなく、段階段階ごとに「考える」ことが要求される。
ところが、テレビゲームというものは、プレイするのは個人の力量が必要だが、プレイそのものの枠組みはすべてゲーム側が用意してくれる。

かつて20世紀少年だった私たち世代は、子供の頃、原っぱの廃材置き場を勝手に秘密基地にして、自分達でルールを決めて、遊んでいた。 そういう遊び方が想像力を育てた。
そうした時代背景の中から、多くの素晴らしい日本製品が生まれてきたのだと思う。

今の子供たちは、将来の日本に何をもたらしてくれるのだろうか・・・?続く→