「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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つまずかない人生:わずかな損得にこだわると、道を見誤る (初出 2011.8.7 renewal 2019.9.15)

【補注】
「社会科」の講義ノート、これで終わり。これが「合成の誤謬」(2013年)につながったのだった。忘れてた。

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「合成の誤謬」という言葉がある。
何かの問題解決にあたり、一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、 全員が同じ行動を実行した結果、想定していたとは違う思わぬ悪い結果を招いてしまうことを言う。

よく例に出されるのが、犯罪者の自白の話だ。
犯罪者二人を、別々の部屋に入れて尋問する。
「先に自白すれば罪が軽くなる」と言うと、二人ともすぐに自白してしまう。
実は、二人とも自白しないというのが、もっとも有利な結論なのだ。
こういうのを、合成の誤謬という。

今、我が国の雇用状況全体が、この合成の誤謬に陥っているように思える(【補注】当時は就職氷河期と呼ばれる時期の最中だった)。
何でも「損か得か」で判断して、行動する方がベターだという考え方が、今の世の中を支配している。
ひとつ質問を出す。
銀行が2つあったとしよう。 A行の預金金利は年0.01%、B行の預金金利は年0.02%。
手元に100万円あったとして、みなさんは、どちらの銀行に貯金しますか。
今の世の中、表面上どっちが得かということにひじょうに敏感な人が多くなっている。それでいて何が本質かということは見抜けない人が多い。
元金が100万円あっても、年間0.01%の利息の差は、わずかに100円。その100円のために銀行を替える。確かにこちらの方が得。

これと同じことが、今、年金で起こっている。
若い人にとって、年金に入ることは損か得か、ということになると、人口がどんどん減っている中で、支払った年金額が取り戻せない可能性が出てくる。
だから、入ることを拒否する。
しかし、年金に入ることは国民の義務だ。損も得もない。

損か得か、そういう風潮の隙をついて、偽装請負が社会に広がった。

健康保険には、国民健康保険と、政府管掌の健康保険(全国健康保険協会管掌健康保険制度)がある。 政府管掌の保険制度には、「傷病手当金」というのがある。
仕事が原因で病気やけがをしたときは、労災保険から給付を受けるのだが、仕事との関連性がない病気だと給付を受けることができない。
その際に、1年半にわたって、給料の約6割が傷病手当金として支給される。国民健康保険にはない。
この傷病手当金があるために、今ひじょうに増えている心の病気の人たちの生活が支えられている。
雇用保険も含めて、社会保険や年金は助け合いの考え方で作られている。

企業は、賃金をコストと考え、人を育てることを忘れた。
労働者は、会社をただの賃金支払者と思うようになった。
それぞれ、考え方は筋がとおっているが、それがまかり通るようになると、我が国は近隣諸国との経済競争に勝てない。

いずれにせよ、損か得かで何事も判断するという考え方が広がれば、その付けは、そう考えている本人に返ってくる。
現在、猛烈な円高が進んでいる。東日本の大震災があり、原発の事故があり、労働力人口の減少があり、 日本の企業の多くは、国内でモノを生産する方が損なのか得なのかを考えている。
海外にどんどん企業が進出するようになると、日本国内の雇用は減る。人は育たず、技術力は落ちる。
企業は得するかもしれないが、国は弱っていく。最終的には、その企業の基盤も弱くなる。

以前、こんな話を聞いた。
松下電器産業では、1998年入社の新入社員から「退職金前払い制度」を導入した。
新入社員は退職金を一時金として受け取る従来型の制度を選ぶこともできたが、44%が「前払い」を選択。 その割合は年々増え続け、2002年には60%を超えたのだ。
(出典:株式会社アイ・キュー 日本の人事 http://jinjibu.jp/keyword/detl/34/)
松下電器は、幸之助イズムが徹底していて、当時、リストラで人員削減はしないことを誇りにしていた。 しかし、従業員にアンケートをとったら、将来の退職金よりも今の手取りの方がいい、という結果になり、 実際のところ一番ショックを受けたのは人事部だった、という話だった。
その後、10年たって、その松下もリストラをするようになった。
労働者の意識が社風を変えたのだ。

ここで松下の話を出したのは、社会の姿も時代とともに変わるという話をしたかったからだ。
そして、本当に有能な人間は、置かれたシチュエーションに応じて、自分の価値観を柔軟に変えるということである。

時代は変わり、個人の生き方も、そのときそのときで異なる。 だから、何がベストかといえば、そのとき選択するべきベストな選択がベストだということになる。

わかりやすい例を出すならば、アイドルの世界。
高度成長期(1955~’75)は、社会的に立身出世が価値を持っていた。
芸能人は単独で歌う人が際立っていた。
スターの時代だ。美空ひばり('60~'70)、山口百恵('73~'78)が人気だった。

低成長期('75~'90)に入ると、自然体が珍重され。おにゃんこクラブの時代('85~'87)になった。

やがて、バブル崩壊(1990)、そして、失われた20年、実感なき回復(90s~2010)と続く。
こういう時代、自己主張できないと埋没する。
そこで、モー娘。の時代('98~'02)となった。同じ集団でも、強い自己主張をするようになった。

そして、先の見えない時代となった。
組織と統制の時代、すなわちAKBの時代だ。
AKBのメンバーはそれぞれ別のプロダクションに属している。ある意味、派遣労働ないし在籍出向で働いているのと同じだ。
そこにおにゃんこのときとの大きな差がある。
取扱商品は似ているのだが、ビジネスモデルが違うのである。

みなさんは、それぞれの時代の空気を感じて生きてきた。
時代は変化しているが、私たちの意識はあまり変わらない。
そこにつまずきの原因があったりもする。

今日の講義も最後になった。
世の中にはいろいろな会社がある。
悪い会社もあるし、いい会社もある。が、どんな会社にも共通する雇用原則がある。
それは「優秀な従業員は解雇しない」ということだ。
要するに、会社に利益をもたらしてくれる社員は、解雇するにあたっても順番は最後になるのだ。

では、解雇されない社員になるには、どういった方法があるのか。
まずは、「収入と貢献度とのバランスシート」を描いてみるべき。
自分の給料以上に会社に収益をもたらしているなら、その人は、企業にとって有益な人材ということになる。

とはいえ、どんなに優秀でも、「自分勝手な人間は組織になじめない」
つまり、その人は企業にとってプラスであっても、全体的に考えれば、マイナスになることもある。
組織になじめない人は、どんなに優秀であっても、企業から排斥される。
これが次に大事なことだ。

「人生には臨機応変な対応が必要なこともある」
企業と解雇撤回で争うのか、新天地を求めるのか、

いずれにせよ、「損か得か」という考え方に心を奪われてはならない。
労働問題に巻き込まれ、その渦の中から脱出できずに次第に体力を失っていく人がいる。そういう人は、何にかに「こだわり」を強くもっている人だ。
“ねばり”と“こだわり”は違う。
こだわる心に取り付かれると、見極めができなくなる。

この使い分けをうまくやりながら、これからの職業人生をつまずかないように歩いてほしいと思っている。(終)