「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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白と黒の狭間で:使命感と共同体意識 (初出 2019.9.15)

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本稿の目的は、昔の長時間労働を告発することではない。 「あんなに働いたのに、今こんなになってるぞ。どうしてくれる」と糾弾することでもない(行間にはダダ漏れしてるけど)。
また、「俺たちが“ウサギ小屋に住む仕事中毒”と海外から軽蔑されながらも、頑張ったから今の日本があるのだ」と自慢することでもない。

本稿で掘り進めたいのは「なぜそれまでして、私たちは働くのだ」、という部分だ。

そもそも日本人は農耕民族だった。農産物の作柄は毎年波があり、凶作のときもあるし、自然災害で根絶やしにされてしまうこともある。
だから、「いざというときに備える」という精神が、骨の髄まで染みこんでいる。高齢者の貯蓄額の多さを見ればわかる。
その農業地帯の次男、三男あたりが、退去して集団就職で都会に出てきた。
受け入れたのは中小企業である。企業は、会社組織を“ムラ”あるいは“家族”に見立てた。だから、経営者は“オヤジ”と呼ばれた。
年功序列が徹底され、従業員は社宅の世話から、時には嫁の紹介まで、企業が手配した。
だから、戦後すぐの高度成長期の企業風土に、ムラ的な共同体意識が色濃く出ていたことを想像することはたやすい。

また、私たち日本人は、災害や戦争で、多くの人名を失った。
だから、「死んだ人の分までも、生きている我々が頑張らなければいけない」という意気込みがあったことも事実だろう。
こうした使命感と共同体意識が、戦後の労働紛争の激化などの土台になっていた、ともいえる。 会社も労組も従業員の共同体なのだし、猛烈に働くことも争議に熱中することも使命感がなければできない。
まずはそこが出発点になる。

高度成長期には、この状況が続いていた。日本の労使関係の特徴とされた、いわゆる三種の神器(終身雇用・年功序列・企業内組合)が、 ひょっとしたら永続・普遍な真理なのでは、と信じられた時期だった。
「終身」と付けるには、ちょっと短すぎたけど。

高度成長が低成長に移ったあとも、こうした「日本的労使関係の神話」は、まだしばらくの間、生き残っていた。
というのも、正社員と非正規社員のカテゴライズが生じたからだ。
正社員に適用される「日本的労使関係」を守るためのバリアーとして、非正規社員が存在したことは明らかである。 非正規従業員が雇用の調整弁であることは、労働組合も経営者も暗黙のうちに認めていた。

だが、まず神話の一角が崩れる。「大きな企業は潰れない」という信じ込みである。 巨大なビルを本社とした証券会社が潰れ、たくさんの金融機関が集約された。
50年、100年と続いた大手家電メーカーの経営が傾いた。
老舗デパートが、コンビニに食われた。恐竜が小さな哺乳類に取って代わられたように。
大手企業でもリストラが行われ、当然、その傘下の系列企業ではさらに大きな選別が行われた。
非正規社員の削減ばかりでなく、人件費負担の大きい正社員も、そのターゲットとされた
つまりだ、これまで守られてきた「日本的な神話」が消滅したのだ。
「本当はないのかもしれないけど、たぶん、きっとあるはずだ」と思われてた理念が、「やっぱり、最初から無かったんだ」ということになった。

それでも、私たちは働いた。
なぜなら、だんだんと小さくなっていくパイの中から、出て行けなかったからだ。
このあたりが、「24時間働けますか~♪」の頃だろう。
会社が小さくなり、社員の数が減っても、仕事は減らない、ノルマは増える。しかも、団塊の世代は働き盛りの年齢、家庭の支出も増える。 だから、辞めると言えない。だから、長時間労働になっていく。

しかし、そのアンシャンレジーム(旧体制)から除外された人たちが、だんだんと大きな勢力となっている。
ロストジェネレーション世代、あるいは就職氷河期世代、と呼ばれる人たちだ。
彼らの多くは最初から「正社員中の正社員」、すなわち三種の神器の成立する世界には割り込めなかった。 だから、それ以前に存在した非正規従業員といっしょに、別の生き方を模索していく。

その一方で、旧来の形の職場形態が残ったところもある。それが、一部の大企業と、公務員職場なのだ。
そこには、普通の職場空間が失った、使命感と共同体意識がまだ残っている。

先に紹介した厚生労働省の若手チームの報告書も、マスコミに劣悪な職場状況をつまみ食いされたために、そのあたりが強調された内容だけが伝わっているが、 実際は「何とかしなければいけない」というポジティブで前向きな基調で書かれており、具体的な改善案も提示されている。 決して「恨み辛み」を綴ったものではない。
もし、彼らに「使命感と共同体意識」が無かったならば、ただでさえ長時間労働を強いられている中で、さらに自分の時間を削って、あんな報告書を作ったりしない。
なので、受け取った側の幹部の責任は重い。
なんだかんだ言って、ウヤムヤに握り潰せば、今度は職員の側が大挙して逃げ出す。だって、もうそれしか手段がないのだから。

おそらく、ニクソンショック、バブル崩壊、リーマンショックなどを乗り越えて生き抜いてきた少数の大企業にも、その空気はまだ残っているものと思われる。

ただし、そういう企業風土ゆえ、過労死は起きやすくなる。

私もこれまで、何度か、かなりめんどくさい仕事を引き受けてきたが、次のように自分に言い聞かせて、何とか耐えた。
「自分が引き受けなくても、この仕事は誰かがやらされることになるだろう。だったら、自分が引き受ければ、その誰かが救われる。」
そうなんだ。底流にあるのは、使命感と共同体意識、なんだ。続く→