縄文の音霊 【ひとり言】

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言霊豆知識-48−追加最終章

「幸運の秘訣-1」

「今日の世の中を見れば見る程不幸な人が余りに多いので、一層徹底的にかいてみるのである。 言うまでもなく昔から人間の運不運程厄介な問題はあるまい。誰しも人心がついてから死ぬまでの間、この考えから離れられないのが人間としての必然性であろう。 というのは最も分りたいと思う事程、最も分り難いのが世の中の常であるからで、少しでも分るとしたらこれ程結構な事はあるまい。 ところが、幸いなるかな小生はこの根本がハッキリ分ったのである。そればかりか実地経験によっても少しの間違いはないので、ここに確信を以って説くのである。

それについては誰も知る通り、一口に運といってもこれ程茫漠(ぼうばく)たる掴(つか)まえどころないものはあるまい。 しかも自分ではどうにもならないので、あなた委(おまか)せより致し方がないのはもちろんで、これが運というものであろう。 誰かが言った「人生は大賭博なり」とは宣(むべ)なるかなである。

従ってどんなに偉いといわれる人でも、一応は諦めてはいるが、中々悟りきれないもので、これが人間の宿命とでもいうのであろう。 そこで何とかして幸運を掴みたい一念から活動も出来る訳である。 それがためありもしない智慧を絞り、欲しい成りたいの苦労のしつづけで終るのが人生というものであろう。 そうして運くらい皮肉なものはない。掴もうとすればする程逃げてしまう。

西洋の諺に「幸運のチャンスは前髪のようなもので、通る瞬間掴まないとお終いだ」というが全くその通りである。 訳なく掴めそうで中々掴めない。目の前にブラ下っているから手を出すとスルリと抜けてしまう。 追いかけようとすればする程逃足の速い事、全く始末の悪い代物だ。 ところがこの運という奴を確実に掴えたのである。

だがそれを説明するに当って困る事には、神向き者ならイザ知らず、一般人には中々分り難い点がある。 というのは物を見る場合上面(うわつら)だけを見て中身を見ない事で、否(いな)見えないのである。 ところが運に限って因は中身の方にあるのだから、これが分らなければ運は決して掴めない。 という訳は人間が肉体を動かす場合、肉体自身が動くのではなく、中身にある心が動かすのであるから、幸運もそれと同様中身が肝腎である。 その訳を詳しくかいてみよう。 まず右の理を押し広げるとこういう事になる。

すなわち上面とは現実界であり、中身とは心霊界という目に見えない空間の世界である。 これがこの大世界の組織であって、造物主はそう造られたのである。 故に心が肉体を動かすごとく、霊界が現界を動かすのである。 しかも一切は霊界が主で現界が従であるから、運といえども霊界にある霊の運が開ければいいので、そのまま体に映り幸運者となるのはもちろんである。 では霊界というものを一層詳しくかいてみるが、霊界は現界よりも厳正公平な階級制度になっている。 それが上中下百八十の段階になっていて、六十段ずつ三段階に分れている。

もちろん上が天国、下が地獄、中間が中有界(ちゅううかい)といい現界に相応している。 こんな事をいうと、今日の人間は直に信じられまいが、茂吉先生は神から詳しく知らされ、 その上長い間霊界と現界との関係を実地経験によって、底の底まで知り得たのであるから、寸毫(すんごう)の誤りはないのである。 何よりもこの理を信じて実行に移し、幸運を掴んだ人は今までに数え切れない程あるばかりか、小生自身としてもその一人である。 そこで今一歩進めて右の段階を説明してみるが、前記のごとく人間の体は現界に、霊は霊界にあるとしたら、百八十段中のどこかにいるはずであって、つまり籍のようなものである。 しかもこの籍は一定しておらず、絶えず上下に移動しており、運命もそれに伴う以上、人間は出来るだけ上段に昇るよう心掛くべきである。

言うまでもなく下は地獄界で、病気、貧乏、争いはもちろん、魑魅魍魎(ちみもうりょう)、百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)、暗黒無明の世界であって、あらゆる苦悩が渦巻いている。 これに反し上段へ行く程反対に良くなり、天国浄土的平和光明、健富和(けんぷわ)の理想境であり、中段は中位である。

以上のごとく霊界の籍通りが体に移り、運命となるとしたら、霊の地位向上こそ幸運の根本である事が余りにも明らかである。 何よりも事実を見ても分る通り、世間よく出世をして人から羨(うらや)まれるようになり、自分もいい気持になって、いつまでも続くと思っていると、豈(あに)計らんやいつしか失敗転落、元の木阿弥(もくあみ)となる例もよくある。 というのはこの理を知らず、人力にのみ頼りすぎるからで、しかも人を苦しめ、無理をする結果、形だけは成功しても、霊は地獄に堕ちているので、霊主体従の法則によりその通りの運命となるのである。 そうして霊にも物質と同様重量があり、重ければ地獄に堕ち、軽ければ天国に上る。

昔から罪の重荷というが、その通りで、悪の行為は霊が曇り重くなるに反し、善の行為は軽くなり上へ昇るのである。 故に人間は悪を慎み、罪を作らないようにする事で、出来るだけ善を行い、霊を軽くする事こそ幸運の秘訣である。


これが真理である以上、これ以外方法のない事は断言するのである。 といってもなるほど理屈は分るが、さて実行となると中々難かしいものである。 ところが容易に出来る方法がある。 これこそ神向きであるから、幸運を得たい人は何をおいても、まず神向きに入る事である。」

「幸運の秘訣-2」

まだ少し書き足りないところがあるのです。今のは経だけを書いたのですが、緯の段階が肝腎なのです。 その緯の段階の、つまり上から下まで何階にもなっている、そこがそのまま写るのですから、始終うまくゆかない、苦しみや災難があるということは、そういう段階に霊がいるわけなのです。 だからいくら人間が工夫をしてうまくやろうと思って一生懸命にやっても、そうはゆかないのです。 ようやく金を溜めたと思ってヤレヤレと思っていると、どうしても出さなければならないことが次から次へと起こってくるのです。

病気については、神向き者には問題にならないが、世間一般の人はたいてい、やっと貯蓄ができてまず金の心配はないということになると、必ず病気の心配が起こるのです。 そうしてヤレ入院だ、手術だ、と言って、おそらく溜めた金は残らずふいになって、それでも足りないで借金するというようなことは随分多いです。 というのは、つまり霊層界の地位が地獄にいるから、どうしても地獄のとおりに写ってくるわけです。

だからいろんな、方位が良いとか、あるいは十二支で、午の年の午の月とか、未の月とか、そういうことを気にしたり、方位方角をやっても、決してうまくいったことはないです。 むしろそういうことを始終気にしている人の方が、運が悪いくらいなものです。その運が悪いというのは、そこにわけがあるのです。 そういうことを気にかける人は霊が弱いのです。つまり霊の力が弱いからして、あらゆるものに怯(おび)えるのです。

それで霊の強い弱いということは、肉体の健康の強い弱いのと同じことなのです。だから非常に臆病な人や、物に怯えるような人は霊が弱いのです。 つまりどうせ悪いことをする人は悪の方ですから、それに負けるわけです。そういうようなわけで、自分の魂を霊層界の高い所におくようにすれば、またそこは良いことばかりが来る世界です。 人間という奴は、悪いことというものは重なって来るものなのです。私なども随分経験がありますが、なにか災難とか苦しみが来るときは必ず健康が悪いです。 これは誰に聞いてみてもたいていそうです。やっぱり健康でいる時には運勢ということも良いわけです。

だから神向きに入って霊射を受けさえすれば、みんな運が良くなります。間が良くなります。 よくお蔭話にありますが、随分金に苦しんだのが、神向きしてから急に思いもしない金が入ってきたり、楽になるということは、つまり霊層界が上がるからです。 それで、それは神様の光をいただきますから、そこで霊が浄まるから、そこで今読んだように霊が軽くなるから上に上がるのです。

そこは貧乏や金に苦しむところがない世界ですから、そこのところは、はなはだ微妙な問題でいて、一番確実な方法です。 これさえ守り、これさえ信じていれば、運の悪くなる気づかいはないです。

ただ一時は、霊の曇りを取られるために一時的苦しみはありますが、それは決して長いものではないので、それさえすめば必ず良くなるのです。 神向きの妙諦(みょうてい=奥義)というものはそこにあるのです。ところが今までの宗教は、そういうことは説かなかったのです。 ということは、光がなかったのです。あっても月の光で薄いから、そう著しく曇りを減らすことはできないのです。 だからして運勢も、良いことがあるが悪いこともあるというわけで、年中苦労しているのです。

それで、月の神様ということを言いますが、月の光というものは薄いのですが、それ以外に、月というものは暗(やみ)ということがあるのです。 そこで月の光だけをいただいて、まず運が良くても、必ず暗があるから、その時にやられてしまうわけです。 だから今までの世界では本当に運が良くなり、永遠に栄えるということは絶対にできなかったわけです。

それは歴史を見ても分かるとおり、無論天下が長く続かず、それからまた何代もうまくゆくという家はなかったです。 そこでどうしても太陽の光でなければ駄目なのです。太陽の光は毎日必ず出るのですから、太陽に暗はないのだから、悪いことが幾日も続くということはないのです。
そういうようなわけで、どうしても太陽の光でなかったならば本当の幸福は得られないわけです。

一時的しか得られないわけです。それから運ばかりでなく、すべてがそうです。だから今までのことはみんな一時的で、続かないのです。 ちょうど病気を薬や医者でやると一時は良くなりますが、必ず元通り再発するわけです。 なにもかにもそうなっているわけです。つまり永遠性がなかったわけです。運の話はそのくらいにしておきます。

「霊層界が向上すれば運が良くなる」

「今読んだとおり、運が良くなる、思うようになるということは、理屈を知ってみれば非常に簡単な話なのです。ここを自分が知るとともに話してやればよいのです。 ところがそういう肝腎なことをやらないで、ただ人為的にうまくゆくように一生懸命やるのだからして、結局なんにもならないので、無駄をやっているわけです。 それで、百八十段という層になっているのですから、その層の居所によって運が良い悪いになるのです。 この層の良い所は良いことばかりが流れているのです。そこのところは神様は実にうまく作ってあります。低い所は悪いことだらけなのです。悪いことが満ちているのです。 上層になるとそれがだんだん少なくなり、今度は良いことに変わってくるということになっているのです。

そういうようで、人間はどこかにいるのですから、良い方にいるようにすれば、そこに行けば運が良くなるに決まっているのですから、なんでもないです。 よく方角が悪いとか良い家が見つからないとか、いろいろなことがありますが、それは霊界の居所が下ならどんなに良い家に住まおうと思っても、そこの世界には良い家がないのだから見つかるわけがないです。 霊界の層が上に行っていれば、今度は、探さなくても見つかるようになります。そこに住まわなければならないことになっているのです。 それが運命です。ですから、よく○部を作っても発展しないとか、どうも神向き者ができそうでできないということは、自分の魂の居所、霊の居所が低いためです。 それからまた、どうも自分は一生懸命に信仰しているが、親父は反対ばかりしている、あるいは伜(せがれ)がぜんぜん分からないということは、 自分自身の霊的位置がまだ低いからです。それで自分自身の霊的地位が高ければ、他の者もどうしてもそこの所に引き上げられるのです。

というのは、親父でも伜でも、みんな霊線が繋がってますから、親なら親の枝ですから、親がずっと上に上がると伜もそれについてゆくわけです。 そうすると話をしてもよく分かるわけです。ところが自分自身の地位が低いからして、いくら口を酸っぱくしようと、気をももうと、あえて効果がないわけです。 ですからそれには自分の霊的位置が向上するということが必要です。それには、一人でも多くの人を助けて、神様の御用をする人に霊的光力をする、そして神の道に進めることです。それによって自分の曇りが減って、そうすると霊が軽くなるから上に行く。 上に行くから、他の枝でも縁のある人でも、自然にそれについてくるわけです。だからすべて思うように良くなるというわけですから、結局において自分にあるのです。

それからまた、こんなにしても自分は苦しいことや災難がいろいろあるということは、それはまだ霊に重い点があるからして、 神様が軽くしてくださるために、軽くするには人を救うか、もし救い方が足りなければ自分が苦しむかで、 このどっちかで曇りが取れるのですから、その点さえ分かれば、世の中は決して難しくもなんでもないものです。」


「霊層界と引越し」

「土地、家相、姓名の善悪等非常にある。誰でも良を望むが、根本は・・・。ある家に引越すのも偶然でなく、相応の理により、霊状態の良い時には善い所へ行く。 霊層界の八衢以上にある場合、悪い事はない。第一、第二と霊の段階の通りの所へ住む。結婚もまた、霊層界と極度に違う事はない。 向上すると・・・霊が浄化されると上ってくる。すると前の家では相応せず、良い所へ越す事となる。霊が変ると、体が引ずられる。 従って、良い所へ行っても、霊が伴わなければすぐ出てゆく事になる。黙っていても霊さえよければ、良い所へゆく。

夫婦の場合一方が向上し、一方がそのままの場合、どうしても一方が苦しみ、一緒に生活出来ぬか、でなければ霊界へゆく。 霊界はすべて執着をとる所である。夫婦など愛し合う度の濃い程一緒におれない。抱擁しようとしても身体が硬直してしまう。 その執着がなくなると一緒におれる。霊界では、神様のお許しを得て一緒に遇(あ)えるが、そうでないとなかなか遇えぬ。 身魂の階級で違ってくる。土地は、付近において高い所がよい。故に、越す場合、その近隣の高い所がいい。坂の中途へ住んではいけない。 家相も大いにある。やかましくいえば、畳数などもある。霊的状態が良ければ、悪い所へゆけぬ。

家屋中心にみるのはいけない。主人の寝室を中心に考うべきだ。人間中心にする。寝る場所が安住の所である。 鬼門が霊であるから木と火になる。木は気である。裏鬼門は体で・・・。艮から浄める力がくる。鬼門を汚すと霊気が曇り、妨げられ、邪神が災する。 坤は物質が来る・・・濁るんではないが・・・。艮へ便所をつけたり、人の出入りをさせたりするのはいけない。

乾の出入りは、日の上るのと両鬼門を避ける。広い所では、艮に庭をつける。すると病気災難を逃れる。 坤は石と水をおく。すると物質が入る。家相では、この鬼門が一番大事である。家の全体の形はある。 凹の字形の家相はいけない。」

「霊層界と家相方位」

「家相方位。これはこだわっていい時と、悪い時と両方ある。霊層界百八十層あり。 上(天国)、中、下(地獄)と三段あり、真中は中間帯で八衢という。これは現界と同じ、娑婆と同じである。 人間はこの三層のどこかにいる。そこにその人の魂の本源があり、霊線が繋がっている。そうして運勢や使命も係わっている。 地獄は人間の不幸の世界で、重軽はあるが階級の昇るに従い、楽になるのである。地獄の段階に魂がいると、いつ災難を受けるか判らぬ。

方角や家相はあるが、魂のいる所相当の方角や家へ住み、相当の境遇になる。故に、良い家に住んでる人は、それだけの段階にいる。 自分の魂が下にあれば、どんなに足掻(あが)いても駄目である。霊層界の地位は始終変化しており、罪を犯したり、善い事をする事により変化する。 大体に太い線、細い(小さい)線はある。太い線は突破出来ぬが、小さい線は始終上下している。それによって変化する。

悪い事はしないといっても、ただブラブラしている人などは、それがやはり罪になる。やはり「理想世界建設に役立つ事をするのが最上で、そのために、それぞれの職業を与えられている。それに全力を尽す。それによって、天職使命を行うべきである。 そしてなおその上に、人を助けると罪の消えるのが大きいから、霊層界はドシドシ昇り、逆に歓喜の生活が出来る。そして思った通りの、良い家へ行けるし、神様は、褒美(ほうび)を下さるのである。 結婚などもそうで、その人の徳によって、妻君(さいくん=親しい人に対し、自分の妻をいう語)も良い人が来る。それで人間は、自分自身の魂を磨き、天国に相応する事が肝腎で、そうすれば悪い方へ行きっこはない。

故に、家相方位はあるにはあるが、霊相応であるから、まず霊を天国に置かなくてはならぬ訳である。霊の軽いのは天国へ上るし、重いのは低い所へ行く。 低い所にいると、霊の抵抗力が弱いから、邪神にやられる。邪神は人を苦しめるのをとても喜ぶのである。運よく出世をするといっても、形だけの出世ではいけない。 人を幸せにする幸福、これが一番の幸せで気持もよい。良心は神の分霊であり、気がとがめるのは、神様に叱られるのである。

家相は良くしなくてはいけないし、知っておかなくてはいけない。方角で一番良い方角は鬼門である。故に、方角の良い方へ越すには鬼門がいい。 今迄は、不正や悪をやる人は、反って悪いとしたが、これから良い事をする人は、鬼門へ行くべきである。 浅草橋、これは浅草の東で、浅草は東京の東、東京は日本の東である。 吉凶の占い。

家相は鬼門が土台である。鬼門は一番霊気が来るので、間違った事は出来ぬ。良い霊気とは、神霊が濃い訳である。鬼門を汚すと、良い霊気を穢すから、綺麗にしておく事である。 霊気の来る所は、清くしておくべきである。鬼門には松や檜が一番良い。坤は、石と水がよい。事情の許す限り、両鬼門は良くする。 また、道から下る所は不可、上る所は良い。畳数は偶数でなくてはいけない。偶数は割り切れる。滑らかにゆく。何でも奇数は割り切れぬ。閊えるからいけない。

三の数は不可。男は十八畳などよい。女は三畳、六畳などよい。総数が偶数になるのがよい。 方角は易者と違い、主人の寝る所を本とする。家相は出る形がよい。これが理屈に合う。また、拡がる形もよい。 吉凶占いは十二支が本で、これは人間の性格の主なるものを表わしたもので、確かにある。」 台所は鬼門を避ければ、後はどこでもよい。」

●神前結婚式をはじめとする祝事:今日を吉日(よきひ)と選び定め、○○神社の大前(おおまえ)に於(おい)て、新郎○○○と 新婦○○○と、夫婦(めおと)の契(ちぎり)を結び固むるは、尊き神の御心(みこころ)によれる事と喜び奉(まつ)り、 今より後(のち)、千代(ちよ)に八千代(やちよ)に 相睦(あいむつ)び相親しみ、かりそめにも夫婦の道に違(たが)う事なく、互に相扶(あいたす)けて、家政(かせい)を整え、子孫(うみのこ)の 彌榮(いやさかえ) を計(はか)るべきことを、誓い奉(まつ)る。

「貧乏人は貧乏な霊層界」

○「病気は浄化作用だということは良く分からせていただいている人はありますが、 他のことになりますと悪いことがあったという観念が抜けない人があるようでございます」
「それも一切が浄化作用なのですが、ちょっとのみ込みにくいのです。 心配事も浄化作用です。 だから悪いことや心配事があるということも、やっぱりしかたがないので、その浄化によって境遇が良くなるのです。」

○「貧の御浄化という場合に、曇があるために抜けられないという状態でございますが、御用を励まさせていただきますと、そのために・・・」
「それは霊界の地位によるのです。貧乏しているのは、貧乏をする地位にいるのです。ここの層は貧乏の人の霊界です。 そこにいるということは、それだけのものがあるからです。そうして上に上がって、ここは貧乏がだいぶ楽な世界になるのです。 ここ(更に上層)に行くと、もう豊な人の世界です。そういうようなもので霊界の地位の問題です。だからどうしてもしようがないのです。 それで地位を上がらなければならないのです。地位を上げるには浄まらなければならないのです。

そのためには自分が苦しむとか、人を助けるその手柄、その働きによって早く上にあがって行くということです。 だからこの辺に行けば物質に恵まれ、良いことの世界なのです。またここまでには時期が行ってないから、この辺(ちょっと下層)までは行けるのです。 結局霊的状態、霊的地位が上がるということが一番です。」

○「頭が悪いということは」

「ちょうど山と思えば良い。ここ(現在の所)よりもここ(少し上)に行けば良く見えます。 頭が悪いということは、ここ(下層)にいればちょっとしか見えないからです。ここ(最上部)に行けば何でも見えるから、頭が良いというわけです。」

「貧から解放されるには」

「その前にもういっそう根本的に言えば、人間は霊と体との両方で成り立っているのです。ところがその霊を認めないのです。 医学というのは体を根本にして研究しているのです。しかし今まで書いているのは霊主体従と言っているのです。 つまり、人間一人ひとりの中心は魂ですが、魂というのは霊界に属していて、体は現界に属しているのです。 この霊界というのは現界と同じで層になっていて、その層は百八十段ありそのどれかに魂は属しているのです。 たとえて言えば地獄にあれば、貧乏、争い、忌まわしい悪いことばかりがあり、 だんだん上に行くに従ってだんだん良くなって、真ん中の中有界というのは、良いこともあるし悪いこともある中位の所です。 それを越すと天国になりますが、ここは良いことの方が多いのです。良いことばかりが流れているのです。

そこで人間に曇りがあると、罪によって、下の地獄に行きますから、地獄のすべての影響を受けます。 そこで貧乏で苦しむということも、そういった下段の方に影響されているわけです。 籍が下にあるからです。そこでその籍を上にすれば、そういう忌まわしいことが少なくなるから、貧乏やいろんな苦しみはずっとなくなるわけです。 だから籍を上にすれば、嫌でも良いことばかりが来て、悪いことは来ないというわけです。


そこはそういうようなことになっているのですから、しかたがないのです。貧乏もそういうわけです。 今の人間はみんな地獄にいますから、それをだんだん上に引き上げなければならないのです。 ですから霊的光力やっている人はみんな貧乏をしなくなります。」

「手癖悪い子」

徳を積み霊層界を上げると心配事はなくなる
「小供の手癖の悪いのはどうしたらよいのか。」
「動物霊が憑いてやらすのである。こういう事をするのは、親に罪がある。親と関連している。 親自身、自分の心を省みて大いに徳を積む事にする。そして親に罪があると、霊層界の下にあり、霊層の下の下にあると、何か苦しみがある。 それで子供の盗みの苦しみがなくなるとしても他の何かの苦しみがある。徳を積んで霊層界の上へ上ると、子供も親が心配するような事が出来なくなる。 その事をよく知らなくてはならない。騙されるのもそれだけの資格がある訳である。泥棒にとられたり、いろんな事で損をする等も、その物質が汚れてる。

間違った事があり、その罪をとられるための浄化で、これはあらゆる事にある。日本で物の足らぬのも浄化であり、偉い人が小菅へ行くのも浄化作用である。 人間はどんな人も必ず悩みがある。夜の世界の間は仕方がない。動物霊が活躍するだけの余地がある。 修行を励んでいる人は、それが段々小さくなる。」

「愛のない夫婦 神向きの向上により離婚することもある」

「夫婦不和について。」

私達夫婦は嫌々ながら親戚の者に無理やりに一緒にさせられました。両方共気が合わず、私は妻の顔さえ見ると腹が立ちます。 仕事から帰って家の表迄来ると腹が立ちますが、家に入って顔を見るとなお腹が立つと言う始末です。 霊的光力を戴き、父の神経痛や妻の婦人病も御蔭様で大分よくなりました。妻も御光を戴きましたが、最近霊的光力受けません。

私は益々腹立がひどくなるばかりですが、兄達は私のみ辛抱を要求しますので、二人の子供を残して家出しようか等と思い詰めております。(妻は父の後妻の連子です) 妻は相当な強情もので、誰も意見する人もなし弱っております。その原因と解決法は。」

「同情する。よくある事である。主人公が奥さんをこうしようとか、こんな人間にしようとか思う事をやめる。 独身者の気持で、妻君に関係なく人を救う。すると霊界の位置が主人は上ってくる。妻君がついて行かず反対すると、どうしても別れる。 死別か生別かいずれかになる。妻君が改心すれば段々合って行く。妻君がおもしろくないのは、主人にも罪はある。 妻が気に入らぬのも浄化作用であるから、自分が向上する外ない。これが根本である。結局良くなるからお任せする。」

『愛は養わねばならない。夫婦は命がけで、お互いに築き合わねばならない。夫婦愛は何処かにあるのものではない。築き上げねばならない。生み出すのもので、つくり出すのものである。そこに尊さあり喜びあるのである。』 〔夫婦愛だけではなしに、本当の情愛というものは、兄弟愛も主従の愛も、友達の愛も人類愛も同じものであって、自分がつくさなければ、自分が世話をしなければ生じるものではないし、 お互いが世話をし合うところに愛情は生じてくる。それをよくしっていなければ駄目である。思うに、夫婦は結婚当初のことを忘れず、相互にいたわり合い、同情し合い、人格を尊重し合い、 例え、しばらくの遠く離れ住む時も、相互に祈り合い、魂を通わし合うことを怠ってはならない。〕

『妻にまかせ切った夫、夫にまかせ切った、要の妻の姿となるよう、神向きはの真の道ひらける。一皮むけると、岩戸開けるのである。』 『家の治まらんのは女が出るからで、夫立てると果報は女に来るものである。』 〔女房によって夫は働かされるものである。女房以上に、男は力を発揮することは難しいものである。〕 『夫婦ケンカするでない。夫のみ悪いものでもない。妻のみ悪いものでもない。お互いに己の姿を出し合っているののであるから、よく会得せよ。』


「夫の不倫 信仰の向上により離婚することもある」

夫の二号が男児出産
「主人の外の女に男の子供が出来、そのため非常にいづらい事ばかりです。主人と離別したらよいか、そのままおったのがよいのか。」
「神向き雑話の「夫婦の道」を読ませるようにするといい。ただ読みなさいというのではいけないから、主人の部屋に置いておく。 そして後は神様にお任せする。夫婦は霊層界の地位があまり変らないから、主人の事を考えないで自分が徳を積むと、地位が離れてくるから段々一緒に住めないようになる。 自然が本当である。」

「信仰の向上により離婚することもある」

夫の信仰無理解、愛情欠落
「連れ子をして再婚した者ですが、夫に愛情がなく神向きの道も理解してくれません。 離婚したほうがよいか迷っております。」
「お指図はできない。これは神様にお任せしておくのが一番いい。決して無理をしたり、荒立てたりしてはいけない。 神様にお任せし時を待っていれば必ずうまく解決する。罪穢相応に苦しむのである。人間は霊層界に籍があるが、 夫婦のうちいっぽうが磨けて向上し、あまり両者の位置が離れると、どうしても生き別れ死に別れすることになる。 右の理によってどちらかが磨けたほうへ接近しなければ、共白髪まで添い遂げることはできない。」

「主人の御神業により妻が死亡することもある」

「妻の不貞は、霊的にいえば夫も同罪である。夫が立派で、妻は不貞の場合は、どうしても別れる事になる。 一方が磨けて向上し、両者の高さが余り離れると、どうしても夫婦生活は出来なくなるものである。 右の理により、自分の身魂さえ磨けてくれば、一方がそれにつられて向上すれば別れずにすむが、 どうしても分らぬ場合は、病気になって死ぬか、別れなければならない事情が生ずるのである。それが一番の解決法である。 夫婦で、霊層界においてあまり離れているため、妻が反対する場合は、妻が改心して夫の神向きに入るか、でなければ死ぬかである。」 「離婚と霊層界」

「夫婦の生別れ及び子供があり離籍の場合、霊層界にあると言われている人間の籍はいかなる関係になるでしょうか。」
「別れようが別れまいが、霊層界に関係はない。その人の霊的状態によって変る・・・善悪の行為で変る。」

「各人の所属霊層界の現界への現れ方」

「霊界は天国、八衢、地獄の三段階に分かれ、その各々が六十段に分かれ、合計百八十段になっており、これを霊層界という・・・と御著書に拝見いたしますが、 これを現界に当てはめ、現界的、物質的に表現いたしますとどのようになるか。」

「これは、現界もそういうことになってるけど、霊界ほどきっちり行かないんです。 それでも終戦前は割合はっきりしていたんだけれども、終戦後は民主的になったのでよほど違ってきてます。 まあ、いま、食糧不足だとか、就職難だとか、病気だとかで困っているのは地獄に相応します。 それから、どうやらやってるけれどもたいして仕合せでもないっていうのが八衢です。 そして、こんな時勢でもかえって物質も豊かで健康で、なんてのは天国です。 その中でもまたいろいろ段階がありますが、まあそんなふうに解釈すればだいたい合ってます。

「現界は天国的世界と地獄的世界と入り乱れておりますが、霊界ではこれが整然としているのか。」

「ええ、霊界はきっちりしてます。それでもここ何千年の間やはり乱れていたんで、いま、整理を始めたところです。 そうは言っても現界とはぜんぜん違います。だいたい整っているんです。」 「礼拝対象の高下」

スの神様は一番御位が高い。八百万の神仏中一番高い御位ですから、スの神様を拝めば、その人の魂の位が高くなる。 たとえてみれば、三段ありとし、いま一般の人は、たいてい地獄で、 上等の人で中界で、たいした善いことも悪いこともしない、平々凡々で生きてる方で、これでも上等のほうですが、 スの神様は最高の神仏ですから、拝んでるとだんだんその魂は昇り、天国状態に入ったときは、その人には悪いことが来ない。 地獄にいるときは、どんな工夫しようと善いことしようと、相応の理ですから、悪いことばかり来る。

いままでの信仰は中有界で、ごく上等ので天国のごく下のほうですから、それを拝んでもやっと中有界くらいまで昇る。 中には稲荷とか天狗とか、拝む神そのものが地獄にいるのがある。それですから、それを信仰しても悪いことばかり起る。 また中有界にいる人でも地獄へ落ちる。それは拝んでる神が地獄にいる関係で、スの神様を拝んでいると、すぐにいいことが来ると思うと、そうではない。 ある程度きれいにならなければならない。

「我(が)と慢心」を捨て転換、「下座」するほこうへ:人生は一切が波であります。いい時もあれば悪い時もあります。悪い時は「悪い」と断定せず、伸達の節である、 神の試練でありカルマの清算期(クリーニング)であると、感謝で乗り切れば必ず道は開け、光は見いだせるのであります。 それよりもむしろ「いい時」の方こそ気をつけないといけないのです。何かで成功した時も、自分の力だけで成功したのではないのです。 そこに『神』や守護霊といわれる方々(守護の天使と表現する場合もあります)のお仕組みと御守護、さまざまな霊界からの働きかけがあってうまくいったのです。

陰になって支えてくれた力があってこその成功だから、「お蔭様」という思いが大切なのです。それを自分の力が優れていたからだと、感謝のかけらもない状態を「慢心」といいます。 「慢心」は何でも自分が、自分が、自分がと言う心、だから「我(が)」というのです。誰でも、自分は万全と思ったらそれは「我(が)」です。「慢心」です。 「神(か)」に雲をかけ隠す、すなわち濁点をつけて濁らせると、それは「我(が)」になります。『神』を軽んじ、ないがしろにしている証拠です。 この「我と慢心」がある限り、幸せはやってきません。『神』は究極の「幸せ」です。その『神』を濁らせるのが「我(が)」ですから、そのようなものがあれば永遠に幸せになれないのも道理です。

「我(が)」とは何か…それは、自分を最優先する心、自分が中心の心、自分が一番正しいと思う心に他なりません。 そういった心が各種の霊障を助長して沢山の不幸現象に囲まれることになり、人は幸せから遠ざかって行ってしまうのです。 そういう「我と慢心」がない姿を「謙虚な心」といいます。また「心の下座」ともいいます。

  ●●●●天国●●●●

      ・・・・・八衢 (中有界)

・・・・・地獄

体は霊に相応しているのですから、霊の汚いものは体へおデキなどとなって出て、一歩一歩清められて上へ行く。 それが急に行くとまごつくから、一歩一歩行くんであります。神向きは、人によって早く上へ行く人と、遅い人とあり、それは、その人の尽くし方による。 尽くし方とは、スの神様のためにする手柄によるので、そうして、天国に相応すればいいことばかりで、災難はなく苦しみもなくなってくるのであります。」



尊き魂に光あれ!!

いままで色々書きましたが、理解し難いものがあると思われたら、それはそれで良いのです。
しかしながら今の世の中の人々は薬だとか医者ということでしか救われないのだと洗脳され脳死状態と思うのであります。 聞く耳、見る目を持って、全て個人個人に委ねる事でありますから強制するようなものではありません。霊的光力は実は病気治しそのものが目的ではありません。 この霊的光力を通じて、神仏の実在を知らしめると共に、あの世とこの世に迷っている霊達を救う霊法なのであります。 最後に小生から願いですが一人一人がこの世に生まれ、善き人生を送っていただきたい事が一番の願いでありまス。又皆様方からよく言われることがあります。もう少し早く 茲にたどり着けたらよかったと・・・。開く準備が出来た者にしか訪れない!悟りの世は過ぎて、神人(しんじん)・自人(じじん→自然と人の) 差取(さと)り合作の天の時の到来なり!!



尊き魂に光あれ!!


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