縄文の音霊
【ひとり言】
言霊豆知識-1〜10
言霊豆知識-11〜20
言霊豆知識-21〜30
言霊豆知識-31〜40
言霊豆知識-41〜44
言霊豆知識-45〜48
言霊豆知識-48-追加最終章
言霊豆知識-49-原発
言霊豆知識-50-病気
言霊豆知識-55-病気
人はなぜ病気になるのでしょうか
まず、その根本原因となるものを探さなくてはなりません。
人がいったん病気にかかると、必ず症状が出てきます。そして病院などへ行くと、病名がつけられます。ところが、病名が一つであっても、症状というものは実に多岐に渡っていて、とても一つの病気の枠に納まるものではないのです。
では、なぜそんなに多様は症状があるのでしょう。これについては、現代の医学ではまだはっきりと説明できていません。
西洋医学では、原因を探るよりもまず対処療法として薬を与えたり、手術をしたりしていきますが、これでは「病気を根元から断ち切る事はまず無理だ」ということから知らねばなりません。
ここに書かれていることは小生は此れこそ『身体の神書(御聖言=ごせいげん))』と思っています。
元来霊体に濁りがなければ病気と言うものは発生しないのである。濁微粒子が発生するがために不幸現象やら病気が発生するのである。これに人類が早く目覚めなければこの現象からは
絶対に逃れられないであろう。小生から見たらばかばかしい話である。まぁもっとも小生も気がついたのも三十才から三十五才位からでもあるが・・・受け入れるまで時間がかかったのである。
生業をやりながら夜は12時〜朝の4時頃まで毎日、日々色々な神書・書籍やら本屋に行き数々の書籍を買いあさり読んだりしていた時期があった。相当お金もかかってしまいましたが、確信するまでやったものであった(不徳の致すことでもあった)。そして現在にいたっているのである。
話を戻すが、一つの法則が乱れたら現界もそうであるが霊界も乱れていくものであるが、当然霊界が乱れれば現界も乱れていくものである。一連托生である。
人間は生まれながらに一種の霊光又は霊波ともいうべきものを保有されいるので、霊波を手指に集注し放射せしむるのである。一種の、神秘光線の放射でもある。
不思議なる療法は現代人としては、到底信じ得られない事は、能く判っている。故に、その真相を知る方法としては、体験以外には、ない事である。
もう一つの病気の原因として、憑霊といふ事を知っておく必要があります。之を知らなくては解釈のつかぬ事が沢山出来て来ます。多くの場合、憑霊的病原は軽視出来ないものがあります。然し之を本当に知るには
「霊覚」を持たなくてはならないし、といって又非常に誤(あやま)られ易く、弊害も生じ易いので、先づ常識的に一通り知っておけばいいのであります。大体死霊、生霊、動物霊の三つに分ける事が出来ます。
そうして、動物霊で多いのは蛇、狐、天狗、鳥類、犬、猫、馬、狸等であります。是等の動物霊が憑依して病気を起す事実であります。
さてここでは病名をとり上げて説明いたします。
先ず病気症状といえば前述と重複しているものも在りますが大別下記の如きものであろうと思う。
即ち発熱、痛苦、掻痒苦(そうようく)、不快感、嘔吐、下痢、浮腫(むくみ)、盗汗(とうかん/ねあせ)、眩暈(めまい)、不眠、憂鬱(ゆううつ)、麻痺(まひ)、咳嗽(がいそう)、逆上(のぼせ)、耳鳴、冷え、便秘等である。
之等に就て順次医術的による解説をしてみよう。これはあくまでも医術である。又ここでの霊的光力(摩訶不思議の業)・『霊光力=霊射=神光力=神力=力光(ちからのあるかみ)』・有力光・大玄霊光の主 とは独断の考え方で使っていますのであしからず。
言霊豆知識-50
「発熱」
医学上発熱の原因として今日行われている説は、既記の如く発熱中枢なる機能が頭脳内にあって、それが等かの刺激によって発生するとされている。
又運動に因る疲労のためや肝臓及び腎臓、胃腸障碍、其の他各所からの発熱に対しては、その理由漫然としているようである。
然(しか)し乍(なが)ら発熱中枢なる機能など人体内に無い事は既に説いた如くであるが、茲(ここ)に見逃がす事の出来ない事は「体温が食物の燃焼によりて発生する」という説である。
此の様な馬鹿々々しい事を唱えるのは多分消化機能をストーブのように想い、食物の消化を石炭の燃焼と同様に推理したものであろう。
発熱の原因を説くに当って読者に断っておきたい事は、之はあまりに懸け離れている説であるから、心を潜めて熟読玩味(じゅくどくがんみ)せられたいのである。
抑々、宇宙に於ける森羅万象一切は大別して三つの要素から成立っている。それは火、水、土である。
即ち火である火素は太陽の精であり、水素は月球の精であり、土素は地球の精である。そうして天界は太陽、中界は月球、下界は地球というように三段階になっている。
之は日食の際明らかに見得るのである。
右は経の三段階であるが、之が緯の三段階にもなっている。即ち経緯交錯の三次元的密合でありそれが人体にも当篏まるのである。
そうして人体中の重要機関として三つの機能がある。即ち心臓、肺臓、胃の腑である。この三太機能の活動は火素、水素、土素の三原則を吸収し、それによって生が営まれる。
即ち心臓は火素を肺臓は水素を、胃の腑は土素を吸収するのである。
然し乍ら今日進の科学は水素及び上素は確実に把握しているが、火素は未知であった。それには理由がある。即ち水素は半物質、土素は物質であるに係わらず、火素は非物質であるからである。
右の理を一層掘り下げてみよう。即ち非物質である火素は地上の空間を充填しており之を霊気界と名付ける。同じく地上空間を充填している水素は空気界を造っている。
従って心臓は霊気界から火素を吸収しており、その運動が鼓動である。
勿論肺臓は空気界がら水素を吸収する――――それが呼吸である。胃の腑は又土素がら生産された食物を吸収する。之は誰も知る処である。
右の理によって体温とは心臓の鼓動によって不断に霊気界から吸収している火素である。
故に発熱とは毒結溶解のため、所用の熱を多量に吸収するからで、発熟時鼓動の頻繁はその為である。
この理によって死後急激に血液が凝結するのは火素が霊気界ヘ還元するからであり、死体の乾燥は水素が空気界ヘ還元するからであり、死屍の土壌化は物質であるから土素に還元するのである。
次に注意すべき事は、発熱の場合世人は全身的と思うが実はその殆んどが局部的である。例えば高熱の場合、指頭を以て発熱の焦点を探査する時、指頭位の小塊を発見する。之は火の如き強熱さでよく判明する。
それを溶解するや忽ち全身的に下熱するのである。之によってみても発熱中枢なる機関など無い事は余りも明らかであるのである。又世入が信ずる如き体温計なるものは正確とはいえない。
何となれば発熱中心部が腋下に近い場合高熱が現れ、腋下に遠い頭脳か或は脚部等の場合は割合体温計に高熱は現われないのである。
即ち発熱中心部から遠離るに従い、放射状的に低熱化するからである。此証左として人により左右の腋下を計熱する場合、五六分位の差異を往々発見すのである。
次に高熱に対し水冷法を行うが、之は最も不可でる。それは人休適正の体温は三十六度台であるという事は、その程度が機能活動に適しているからである。
然るに水冷は零度であるから水冷を受ける局部の機能は、その活動を著るしく阻害され甚(はなはな)だしきは失う事になる。
それは凍結的麻痺状態になるからである。従而(したがって)、脳溢血、肺炎、窒扶斯(チブス)、其也高熱病の場合、その本来の病患の為ではなく水冷の為に死を招く事実は尠(すくな)からずある事である。
「痛苦」
痛苦、即ち痛みなるものは、前にも述べた。
発熱によって固結毒素が溶解され液体化され、それが何れかに出口を求め、その方向に進まんとする運動が筋肉の神経を刺戟する為である。
痛みの症状は盲腸炎、急性腹膜炎、急性腎臓炎、胃及び腸の痙攣、頭痛、歯痛、中耳炎、リヨウマチス、各種神経痛等、実に多種多様であるが、多くは右の理に因るのである。
又骨膜炎、骨髄炎、肋骨カリエスに関する痛みの原因は骨膜に凝結した毒素が浄化溶解によって表面ヘ滲出(しんしゅつ)せんとし、骨そのものに無数の極微な穿孔(せんこう=穴が開くこと)をする。その為の激痛である。
歯根膜炎、中耳炎等もそうである。右の穿孔の窖は病気治癒後速かに原形に復すのである。此場合医家は往々骨が腐るというが、之は誤謬(ごびゅう=まちがい)である。
次にヒョウ疽及び脱疽の激痛がある。之は患部が暗紫色に腫脹(しゅちょう)し、漸次拡充する。その状態が恰度腐れゆく如く見ゆるので医家は腐敗となし一刻も速く切断するを可とするが、之は大いなる誤謬である。
何となれば、右の状態は成程度拡充してがら必ず停止するものであるにみて腐敗でない事は明かである。
その他、火傷、刀傷、打撲傷等もあるが、之等は病気と異り自然治癒するものである。然し之等に対し消毒薬の塗布等を行う為に容易に治癒し難くなる例は非常に多いのである。斯る場合薬剤を廃し、患部を清水で洗うだけで自然によく治癒するのである。
既記の如く痛苦の原因は悉く薬毒に因るのであるから、多種多様の痛みは、多種多様の薬剤があるからである。
医術に依る時、痛苦は速やかに治癒する。特にヒョウ疽、脱疽等の如き激痛と雖も一回乃至三回位にて無痛となり、患者は驚喜するのである。
「掻痒苦」
掻痒苦は痛みに比して侮り難い苦痛である事は誰も知る処である。原因は勿論薬毒然毒及び食餌中毒の三種であり、一般に知られているものとしては彼の疥癬及び蕁麻疹である。
此の原因は主に前者は然毒、後者はカルシューム注射、ヨード剤等である。
疥癬は種痘よる陰化然毒の浄化作用であるから、天然痘が急性なるに反し、之は慢性天然痘ともいうべきもので、短きは数ケ月、長きは数ケ年に及ぶものさえある。
又蕁麻疹に対し、よくカルシュームの注射を行うが効果はあるが、時を経て必ず憎悪再発するのである。
又也の目的によってカルシューム注射を行う場合も、時を経れば必ず蕁麻疹が発生するが、この病気は放任しておけば必ず治癒するのである。
蕁麻疹にも種類があり、普通は無数の微粒が皮膚面に表われるが、斑点、地図型等のものもあり、最初は紅色を呈するが、治癒するに従い黒色に変するのである。
勿論紅色時掻痒苦があり、黒色になるに従い、掻痒苦は消滅する。之は疥癬も同様である。
次に、或種の注射及びアンチピリン中毒、魚肉中毒等何れも蕁麻疹的症状を呈するが、之等は一時的で軽きは一、二日重く共数日にして治癒するのである。但し、アンチピリン中毒のみは予後黒色の斑点を胎し、それが数年に及ぶものさえある。
「不快感及び嘔吐」
不快感といっても一様ではない重なる症状を記せば、嘔気、痙攣、船車の酔、憂欝感などであろう。そうして最も多いのは嘔気である。
この原因は脳貧血に因る胃の反射作用と高熱、食物中毒、溜飲、幽門狭窄、妊娠の場合等である。
脳貧血が強度に発生する時必ず嘔吐を伴うものである。この際額に掌を触るれば氷の如く冷え、膏汗を掻き、顔面蒼白を呈するので、脳貧血を確認するのである。
この際頸部及び延髄部を探れば必ず固結がある。
その固結を溶解施術すれば速かに快癒する。
その訳は固結の圧迫が消え、血液が頭脳に流通し得るようになるからである。
又高熱による頭脳浄化の場合、脳貧血と等しく胃の反射作用を起し嘔吐の原因となる事もある。
食物中毒は食物中の毒素を体外に排泄すベき浄化作用であり、多くは下痢が伴うのである。
薬剤中毒は、年月を経て一旦吸収された薬剤が、胃内に還元する。其の場合ー種の毒素となり嘔吐するのであるから斯る場合服用せる薬剤の臭いがする事がある。
溜飲は胃内に流入せる胆汁が胃弱の為嘔吐するのである。
幽門狭窄による嘔吐は胃によって消化せる食物が幽門狭窄のため下降し難いから逆流せんとする為である。
故に斯る場合、柔軟食又は流動食なれば狭窄せる幽門も通過し易いから嘔気は起らないのである。
悪阻ツワリは胃の外部に滞溜凝結せる毒素が子宮の膨脹によって外部ヘ排泄されんとする為であるから、この毒素を溶解排除する事によって容易に治癒するのである。
痙攣に霊的原因と高熱発生時の悪寒の二原因があるが、霊的説明は最後に詳説する。
船車の酔は、胃の外部に毒結あり、それが動揺によって少しづつ溶解、胃内に滲透する為である。
憂欝感は霊的の場合、又は胃の不活発、黄疸、脳貧血、又は肩及び有部の凝り等である。
「下痢」
下痢は最も多い症状で、先ず急性と慢性とに区別される。急性は飲食物に因る中毒即ち食あたりである。
世間よく寝冷えによりて起るというが、之は誤りで、冷えに因る下痢は極稀である。食中りに因る下痢の際、薬によって止めたり、
反対にひまし油等によって排泄を促進させる事を可とするが、之等は勿論不可であって、治癒を長引かせるのみである。自然治癒が最も良いのである。
右の外、食中り以外突然として猛烈に発生する下痢症がある。一日十数回乃至数十回に及ぶものさえある。
勿論水便であるが、血液の混入する事もあり、甚だしきは腐肉とも見ゆるものが下る場合がある。之等は膿及び毒血の固結の猛烈な浄化作用によるためである。
勿論肉や臓器の一片と雖も排出さるべき訳はない。斯様な下痢症は青少年に多く老人は稀である。
之等も放任しておれば必ず治癒するのであるに係わらず、世人は驚ろいて医療を加えるが、それが却って悪化の因となり、永引いたり、死を招いたりする事さえあるのである。
次に、慢性下痢は数ケ月或いは数ケ年に及ぶものさえある。医診は大抵腸結核というが、之は既記の如く化膿性腹膜の浄化作用であって、
原因は賢臓萎縮による尿毒が常に腹膜に溜結する為である。
「浮腫及び盗汗」
浮腫は其原因に二種ある。普通は賢臓萎縮又は膀胱の支障であって、腎臓萎縮は一般的浮腫の原因である。
重症は全身的、軽症は局部的で、例えば左右執れかの半身又は下半身というような事もある。
然し乍ら局部的と雖も顔面又は片腕、脚等の場合は萎縮賢でなくその浮腫部にあった固結毒索の浄化溶解の為である。茲に注意すべきは種々の病気が重症に進む場合、
脚の甲に浮腫発生する事がある。之は死の信号ともいうベく、先ず恢復困難と見るべきである。
又脚気の浮腫は膝下に限るとみていいので、医診は足部に浮腫さえあれば、無差別的に脚気と断定するが、軽卒も甚だしいのである。
次に医家も世人も全然気付かない浮腫がある。之は女学生に最も多い症状で頗る肥満し、俗に固肥りという訳で一見非常に健康そうに見えるが、
健康でない証拠は常に疲労し易く、動悸、息切、身体重量感等、種々の支障が起り易いのである。この原因としては、萎縮腎による余剰尿が全身的に少量づつ溜積し、
それが長時日に渉り固結するので、勿論本人は気付かないのである。故に少最の食餌を摂るに拘わらず肥満する人があるが、それは右の如き人である。
又膀胱と尿道との境に結石、又は膿結が閊えその為尿の流下が妨害され、浮腫の原因となる事もあるが、之等も本医術によれば容易に治癒するのである。
盗汗は結核の項目に述べたから、茲では局部的発汗を説明する。よく頭脳、顔面、腋下等何れかの衝動によつて発汗する人があるが、
之はその部に尿毒がありその浄化としての発汗である。そうして健康者は常に全身的に発汗し易いのが普通で、健康そうに見えても局部的発汗又はあまり発汗のない人は、
何れかに故障があるとみるべきである。
「眩暈及び不眠」
眩暈も多い病気であるが、医学では不明とされている。然しその原因は頗る簡単である。
原因として最も多いのは、右側延髄部に固結があり、それが眼球ヘ送血する血管を圧迫する為で、その圧迫が波状的の故を以て視神経が動揺するのである。
次は高熱の場合、眼球附近にある毒結の浄化作用に因るので、恰度酒に酔った時や、ストーブの火に直面した時等と同様の理である。
不眠症は眩暈の原因と殆んど同一で、右側延髄部の固結に因る血管圧迫のため、一種の脳貧血を起すからである。その結果として神経過敏症となり、
それからそれヘと物を考えがちになるのである。
其也脳の前部及び中心部にある毒結浄化の場合もある。
● 「憂鬱症及び麻痺」
憂鬱症の原因として最も多いのは頭部及び肩の凝りである。殊に面白いのは嬰幼児の場合である。之は常に機嫌悪く憤かるが、医学では全然判らない。
よく虫気の為などといい虫下しや禁厭など行うが、之等は迷信にすぎないのである。
大部分は肩の凝りからである。嬰児のくせに肩が凝るとは不思に思うが事実である。何となれば肩の凝りを解消するや、
忽ち機嫌が治り普通状態になるからである。
其の他頭脳の一部又は全部に浄化熱がある事もあり、霊的原因による事もある。
麻痺は種々あるが、最も多いのは脚気で、之は脚気の項に譲る事にする。その他麻痺としては手指、及び足指足の甲が多いが、之は主に注射の薬毒である。
又手術に因る予後、其局部に長年月に渉り麻痺が続く事があるが、之は自然に治癒する。中風の麻痺はその項目で説明する。
●「咳嗽及び逆上と耳鳴」
咳嗽は既に詳説したが、尚二、三補遺する事がある。
咳漱発生の原因は実に身体凡ゆる局部がらであって、医家で謂うが如き咽喉とする事は問題にならならない錯誤である。
意外と思うのは頭脳、顔面、歯ぎく、手足のの指、特に股間陰部等にある固結毒素を溶解施術するや、問髪を容れず咳嗽し吐痰をするのである。
「人体内の整理作用は、不要物排除するば場合、筋肉も臓器も難なく一瞬にして透過するので、此の理は霊と物質の関係を知るに於て容易理解し得るのである。」
逆上は、世人の考えるような血液が上昇するのではい。顔面又は額部に溜結せる毒素の浄化作用で、紅潮を呈するのはその熱の為である。
耳鳴は耳下腺に溜結せる毒素及び、内耳近接部及び延髄部部に溜結せる毒素が浄化の為溶解する音響であるから、それらの毒結を溶解排除するに於て容易に治癒Wのである。
●「冷えと便秘」
冷えの原因は局部的発熱に因る悪寒、又は局部的毒よる血液不循環の為である。多くは腰、下腹部、足の甲及び指先等で、特に婦人に多いが、
之等は毒結を解除すれば下熱及び血液が循環するから簡単に治癒するのである。
便秘は非常に多い症状で、且つ長期に渉って苦しむが、この原因は腹膜部に毒結がありそれ直腸を圧迫する。その為糞便が直腸管を通過し過し難い為で、
之等も毒結溶解によって容易に治癒するのである。
そうして便秘症の人は常に下剤を服用して、辛くも目的を達するが、この方法は非常に不可である。何となれば之が習慣となり、便秘は漸次悪化し、
下剤服用によらざれば排便が困難となるからである。
長年月に渉るに従い増悪し畢には下剤の量を多くするか、又は異る下剤によらなければならない事になる。
而もそれが下剤の毒が累積し種々の病原となるのである。
元来人体は上から食物を入れ下から糞便が出るのは自然であって、造物主は其の様に造られたのに如何なる人間と雖も食餌を入れる以上、
糞便は排泄するに決っている。ただ人により一日一回もあれば、二日に一回もあり、一週間に一回の人もある。それでいいのである。
然るに医学に於ては便秘は健康に害がある如く誤認し、毎日便通がなければならぬ様に宣伝するので、一般人は便秘を恐れるあまり便秘すれば神経に不快を感ずるので、
下剤使用となるのである。
然るに下剤によって排便する以上、俳便機能は退化するから便秘する。便秘するから下剤を使用するという悪循環となり、
ついに下剤なしでは生きてゆかれないようになるのである。
よく発熱時便通を付ければ下熱すいい下剤を用いるが、之等も反って治癒妨害となり全治を遅らす結果となる。
又或種の病気は反対に下剤によって高熱に導く事さえある。
又医学に於ては、便秘を放任しておくと、自家中毒なるものを発生するというが、之等も誤謬である。この説は多分便毒が血液中にでも混入するよように想像したのであろうが、
この様な事はあり得べかざる事で、事実は宿便は時日を経るに従い増々硬化するだけの事であるから悪影響などはないのである。
次に乳幼児に対する灌腸で、これは恐るベキである。嬰児の中から灌腸する結果、一種の潅腸中毒となり、灌腸に依らざれば排便不能となる例がよくある。
その結果として、三、四歳頃になると、少し便が溜まると腹部膨満し苦るしむので止むなく灌腸して一時的緩和を計るのであるが、結局は死にまで到るのはいうまでもない。
之によってみても、灌腸などの不自然極まる人為的方法は断然廃めるベきである。
[ 既存療法 ]
茲で既存療法の重なるものに就て一通理説明する。
凡ゆる既存療法が浄化停止である事は読者は充分諒解された事と思う。
然し今一層徹底的に説いてみよう。
最も恐るべきは彼の六百六号(サルバルサン)の注射である。
この薬剤の原料は耳掻一杯で命を落すという程の砒素剤であるから、この毒作用によって一時的浄化停止の効果は顕著である。
即ち梅毒性発疹や腫脹に対し、同剤を注射するや忽ちにして消滅するから治癒したように見えるのであるが、実は浄化作用によって、
潜伏毒素が皮膚面に押出されたのが注射によって還元したまでである。
然しそれだけならいいが、批毒という別な猛毒が追加されたのである。而もそれは黴毒よりも数倍恐るべきもので、右の砒毒は凡ゆる病原となるのである。
特に最も多いのは精神病、偏盲目又は悪性腫物、種々の結核等あるが、何れも悪質にして執揚極まるものである。
六百六号の注射を五六本以上受けた患者は何病に係わらず回復困難と見るべき事である。
次に利尿剤の逆作用も注意すべきものである。
腹膜炎患者の腹部膨満に対し、医療は必ず利尿剤を用うるが、一時は尿量を増し膨満は減退し、軽快又は殆んど治癒したとさえ思う程になるが、それは一時的であって、
例外なく再び膨満する。
又利尿剤を用うると軽快する、復悪化する、又用うるという訳で漸次利尿効果は薄らぎ、ついに薬効は皆無となり、頗る頑固なる腹水病となるのである。
是に於て医療は腹部穿孔排水を行うが、之等も一時的萎縮で再び膨満する。又穿孔排水させるという事を繰返すに於て、漸次腹水集溜の速度と量を増し、
最後に到ってはその膨満著るしく臨月よりも巨大となり、間もなく死に到るのである。
又畢丸水腫という畢丸の膨脹する病気や排尿閉止等も利尿剤の逆効果に由る事が多いのである。
次に、各種神経痛の強烈なる痛みに対し、モヒの注射をなし、一時的苦痛を免れさせるが之等も繰返す場合食欲の減退甚だしく、
進むに従って嘔吐頻繁となり食欲不振衰弱死に到る事も稀ではない。
次に、ヂフテリヤの注射は卓効ありとされ予防に治療に大いに推奨されているが、之等も考慮の余地がある。私の経験によれば、
此の注射による悪影響はあまりにも多い事である。甚だしきは死を招くものさえある。又中には一週問位昏睡状態に陥って後精神変質者となった者や、
胃腸障碍、神経衰弱等種々の病患の原因となり、而も何れも悪性である。
故にヂフテリヤに対する効果と悪結果を考え合わす時、後者が勝っているとみるのである。医術によればヂフテリヤの大抵は数十分の施術によって全治するのである。
右の外最近行われている結核療法にセファランチンの注射及び服用がある。之等も悪性逆結果となり、治癒は頗る困難である。
セファランチンの多量使用者に対しては生命の保証は為さざる事を注意するのである。
その他糖尿病に対するインシュリン注射が脳疾患の原因となり、又沃度剤が種々の病原又は虚弱の原因となる等も看過出来ないものがある。
次に、外科的に用いる消毒剤として沃度ホルムがあるが、之は特に恐るべきものであって、よく手術による患部が治癒し難く長時日を要する場合がある。
医家も不可解に思うが、之は全く消毒薬中毒であるから、其の場合薬剤を落し、清水を以て洗うだけで順調に治癒に向うのである。
沃度ホルムの悪作用としてはこの薬が患部の筋肉から浸透し、その近接部に膿色斑点が出来それが漸次拡充する事がある。その場合医師は腐りゆくと思い、
手足の切断を奨めるが、それは猛烈な堪え難き痛苦もあるからである。
右の如く微菌の侵入を恐れる結果用いる消毒薬が黴菌よりも数倍恐るべき結果を招来する訳である。それに就て例を挙げてみよう。
韮に何等健康に異常なき一個の人間がある。偶々何かの予防注射を受ける。暫らくして多くは足部、膝下に腫物を生ずる。医師へ行く、切開手術をする。
消毒剤を用いる。それが浸透し中毒を起し激痛する。如何にするも治らない。
止むを得ず足首又は膝関節から切断する。不具になる。然るに最も不幸なものは切断手術の際の消毒薬中毒によって、早晩股間に腫物を生ずる。
之も激痛に堪えぬが場所が悪いから切断し兼ねる。そこで止むなくモヒの注射によって痛みを緩和するが、結局モヒ中毒となり、食欲不振、衰弱死に到るというのが経路である。
斯くの如く何等異常なき健康人が医学の犠牲者になる事実は非常に多いのである。
湿布
之は皮膚による呼吸を停止し、又は薬毒を浸透させ、その部面の浄化停止を行うのであるから一時的苦痛は軽減するが、
その方法及び薬毒の残存が種々の悪影響を及ぼすのである。
その他、頭痛に鎮静剤、不眠に睡眠薬、鼻孔閉寒にコカイン等も勿論不可である。又漢方薬持続者は多く青膨れとなり勝ちである。
洋薬多用者は皮膚に光沢なく弾力衰え若くて老人のようになる。
従って薬剤を廃止すれば皮膚は漸次若返えるのである。
次に、電気及び光線療法であるが、この原理も薬毒をより固結さすのであるから不可である。
次に、咳に対する吸入療法は見当違いであるから無効果である。温める温熱療法も一時的軽快療法で、真の療法ではない。
又感冒の際温めて発汗さす事を良いとするが、之も誤りで自然放置の方がより速くく治るのである。
次にラヂューム放射は病原破壊の目的であるが、之は病原と共に組織をも破壊するから行えば必ず病状は悪化するのである。
レントゲン放射は毒素を非常に固めるのみで、病気に対しては一時的効果で勿論有害である。
近来流行するものに炎点療法がある。多くは西洋医学に愛想を尽かした人か、又は嫌いな人が受療するのであるが、之は無害で幾分の効果はある。
灸点法の原理は、人体は火傷すると大抵は化膿するが、それと同様の理である。即ち大火傷では苦痛だから小火傷を分散的に行うのである。
それによって病原である深部毒素が、小火傷部に分散的に誘致されるから病苦は軽減するのである。
然しそてれは一時的で再び還元するから、灸を据え初めたら毎月か又は一ケ月おき位に持続しなければならないというのはその為である。
之に就て弘法灸といって特別大きな灸を据えるが、之は毒素を多量に吸引するから効果は大である。弘法様はなかなか利巧である。
然し困ることには灸療法は皮膚に醜痕を胎す事である。元来人体は造物主の最高の傑作品で、美の極致でおる。
特に女性の如きはその皮膚美の魅力は他に比すべきものはあるまい。日本でも昔から玉の膚と謂い、泰西では女性の裸体を最高の美としている。
それに対して人為的に火傷の後を残し、一生涯消えないという事は皮膚の不具者となるのであり、造物主に対する冒涜の罪は免れないと思うのである。
又鍼療法は血管を傷付け内出血起こさせその凝結によって一時的浄化停止を行うので真の療法ではないのである。
[病患と医学の誤謬]
現代医学に於ける誤謬並びに治療の無能なる事は、医家と雖もよく認識している筈である。内料的病患が診断と解剖との相違の、
大学に於ける統計のあまりに多い事は世人は知らないであろう。又西洋医学の冶病成績の統計を作ったなら想像もつかない程の不成績に驚ろくであろう。
之等は何れも研究という幕に蔽われて世人には見えないのである。
凡ゆる病患は医学の進歩によってのみ解決せらるベきものとの根強い迷信によって徒労に等しき努力を続けつつある―――之が医師及び医学者である。
そうして医学に於けろ誤謬は凡有る面から説いたつもりであるが、尚個々の病患に就て概略説明してみよう。
[病気症状の解剖]その1
痛 苦
浄化発熱に依って固結毒素が溶解されて液体化され、
それが何れかに出口を求め、その方向に進まんとする
運動が神経を刺戟する為である。
掻 痒 苦
「原因」薬毒、然毒、食餌中毒の三種である。
一般に知られているものとしては疥癬(かいせん)及び
毒麻疹(じんましん)である。この原困は主に前者は然毒、後者はカ
ルシューム注射、ヨード剤等である。疥癬は種痘に因
る陰化然毒の浄化作用であるから、天然痘が急性なる
に反し之は慢性天然痘ともいうべきもので、短きは
数ヶ月長きは数年に及ぶものさえある。又尋麻疹に対
し、よくカルシューム注射を行うが、一時的効果はあ
るが、時を経て必ず増悪再発するのである。又他の目
的に依ってカルシューム注射を行う場合、時を経れば
必ず蕁麻疹が発生するが、この病気は放任しておけば
必ず治癒するのである。蕁麻疹にも種類があり、普通
は無数の微粒が皮膚面に表われるが、斑点、地図型等
のものもあり、最初は、紅色を呈するが治癒するに従
い黒色に変ずるのである。勿論紅色時掻痒苦があり、
黒色になるに従い掻痒苦は消滅する。之は疥癬も同様
である。
次に或種の注射及びアンチピリン中毒、魚肉中毒等
何れも毒麻疹的症状を呈するが、之等は一時的で軽き
は一、二日、重く共数日して治癒するのである。但し
アンチピリン中毒のみは予後黒色の斑点を胎し、それ
が数年に及ぶものさえある。
吐 気(はきけ)
「原因」脳貧血に困る胃の反射作用と高熱、食物中毒、
薬剤中毒、溜飲(りゅういん)、幽門狭窄(ゆうもそきょうさく)、妊娠及び脳の内出血
(脳震盪、脳溢血等)等の場合である。
「症状」脳貧血の場合は頸部及び延髄部、頸部浄化
の場合は頭脳に高熱がある。
薬剤中毒は年月を経て一旦吸収された薬剤が胃内に
還元する為で、その場合一種の毒素となり嘔吐するの
である。斯る場合服用せる薬剤の臭いがする事がある。
溜飲は胃内に流入せる胆汁が胃が弱い為嘔吐するの
である。
幽門狭窄による嘔吐は、胃によって消化せる食餌が
幽門狭窄の為下降しにくいので逆流せんとする為であ
る。
船の酔は、胃の外部に毒素あり、それが動揺によっ
て少しつづ溶解し、胃内に滲透する為である。
「霊的光力」原因部及び背部より胃を霊的光力を入れる。
下痢
下痢は最も多い症状で、急性と慢性とに区別される。
急性は飲食物中毒、即ち食中である。
(慢性下痢)
「原因」化膿性腹膜の浄化作用で、原因は腎臓萎縮に
よる尿毒が常に腹膜に溜結するためである。
「霊的光力」背面より腎臓部及び腹膜部を主に霊的光力を入れる事。
(急性下痢)
「原因」膿や毒血の固結の猛烈な浄化作用による為で
ある。
食あたり
「症状」食中以外突如として猛烈に発生する下痢症
がある。一日十数回乃至数十回に及ぶものさえある。
血液の混入する事もあり、甚だしきは腐肉とも見ゆる
ものが下る場合がある。
「霊的光力」頭脳及び背面腎臓部及び腹膜部。
「注意」下血刑症の場合は林檎等の果実類は避けた方がよい。
浮 腫 (むくみ)
浮腫はその原因に二種ある。普通は腎臓萎縮又は膀
胱の支障であって、腎臓萎縮は一般的浮腫の原因であ
る。重症は全身的、軽症は局部的で例えば左右いずれ
かの半身又は下半身という様な事もある。併しながら
局部的と雖も、顔面又は片腕、脚等の場合は萎縮腎で
なくその浮腫部にあった固結毒素の浄化溶解の為であ
る。茲に注意すべきは、種々の病気が重症に進む場合、
足の甲に浮腫が発生する事がある。之は死の信号とも
いうべく恢復困難と見るべきである。又脚気の浮腫は
膝下に限るとみていいのである。
「霊的光力」全身の場合は背面腎臓部、局部的の場合は
浮腫の箇所。
女学生に多い固肥り
「原因」萎縮腎に困る余剰尿が全身的に少量ずつ溜積
し固結したものと、尿意をもよおしているのに辛抱す
るためである。
「症状」健康そうにみえるが、健康でない証拠には常
に疲労し易く、動悸、息切、身体重量感等種々の支障
が起り易い。
「霊的光力」背面腎臓部。
膀胱の支障に困る浮腫
「原因」輸尿管末及び膀胱と尿道との境に結石又は膿
ツカが閊え、その為尿の流下が妨害され浮腫となる。
「霊的光力」鼠蹊部及び下腹部と腎臓部(膀胱は下腹部恥
骨のあたりである。)
盗 汗
「原因」熱に依って溶解され、液体化した毒素が毛細
管から溶出するのである。よく頭脳、顔面、腋下等に
何等かの衝動にょって発汗する人があるが、之は其部
に尿毒があり、それの浄化としての発汗である。
局部的発汗者があるが、こういう人は大抵右か左の
一方的であって、その側の腎臓が萎縮しているのであ
る。
「霊的効力」腎臓部及び患部。
目 眩(めまい)
「原因」右側後頸部及び延髄附近に毒素の溜結があっ
て、眼球へ送流する血管を圧迫するからである。この
毒素の固結は第一浄化作用によって固結が強化される
為であるが、その作用が不定的である為その都度視力
が弱まり、又強まるというように、刑部的、間歇的で
あるためそれが目眩の症状となるのである。
今一つは前額部から眼球附近に滞溜する毒素の浄化
作用として、常に微熱が発生する為、その微熱が視力
を動揺させる場合である。
「霊的効力」主に右側延髄と頸部淋巴腺及び前額部。
不 眠 症
「原因」右側延髄部の固結に因る血管圧迫の為一種の
脳貧血を起すからで、神経過敏症状となり、それから
それへと物を考えがちになる。その他脳の前部及び中
心部にある毒結浄化の場合もある。
「霊的光力」右側の延髄と脳の前部及び中心部。
憂 欝 症(ヒポコンデリーショウ)
心気症(病気恐怖症) ちょっとした目まいや頭痛、動悸など
「原因」頸部及び肩の凝りである。
「霊的光力」頸部及び肩、根本は腎臓部。
幼児の憤(むづか)り
「原因」肩の凝りの為とその他頭脳の一部又は全部に
浄化熱があるためであり、又霊的原因による場合もあ
る。
「霊的光力」肩と前頭部と後頭部。
麻 痺
「原因」主に注射の薬毒の局部的圧迫である。
「症状」手指、足指、足の甲が麻痺する。
「霊的光力」手指の場合は腕の附板及び患部。
脚の場合は鼠挨部と患部。
咳 漱(がいそう・せき)
「原因」痰(たん) を排泄する為のポンプ作用である。頭脳、
顔面、歯髄、手足の指、特に股間、陰部等にある固結
毒素の溶解の場合もある。
「霊的光力」右の原因部。
逆 上(のぼせ)
「原因」顔面及び前額部に溜結せる毒素の浄化作用。
紅潮を呈するは熱の為である。
「霊的光力」 頸部淋巴腺及び顔面、前額部等を霊的光力を入れる。
耳 鳴
「原因」 耳下腺に溜結せる毒素と、内耳近接部、及び
延髄部に溜結せる毒素が浄化溶解する音響が自分の耳
に響くのである。
「霊的光力」 耳下腺及び内耳近接部、及び延髄部の溜結毒
素のある箇所。
冷 え
「原因」局部的発熱に依る悪寒は局部的毒結による血
液不循環の為。
「症状」 腰、下腹部、脚部、足の甲、指先等で特に婦
人に多い。
「霊的光力」 腰は腎臓部。下腹部は腎臓部及び下腹。脚は
腎臓部、鼠疾部、背部の下。足の甲は患部、足首、足
の裏。指先は手首の辺。
便 秘
「原因」腹膜即ち臍の周囲から下腹へかけて溜結毒素
が糞便の通路である直腸を圧迫するためである。
「霊的光力」臍の周囲から下腹部。
感 冒(かんぼう)
「原因」 人間は先天的に種々の毒素を保有している事
は医学でも認めている。そして毒素は最初一旦人体の
各局部に集溜する。その場合神経を使う処程多く集ま
る。人間が最も神経を使うのは上半身特に頭脳に近い
程そうである。としたら毒素集溜の場合もそうであっ
て、肩、頸、淋巴腺、延髄、耳下腺附近は固より、頭
脳が主となっている。この様に各部に集溜した毒素は
時日を経るに従って漸次固結する。それが或る程度に
達するや排泄作用が発生する。これが感冒である。
「症状」初め感冒に罹るや発熱が先駆となる。自然は
固結毒素の排泄を容易ならしめんが為、熱で溶解させ
液体化するのである。此液毒は速かに肺に侵入する。
そして稀薄な場合は痰となって即時排泄されるが、濃
度の場合は一時停滞し、咳というポンプ作用によって
間もなく気管を通じて外部へ排泄される。液毒の濃い
のは喀痰、鼻汁、下痢等になるが、極く淡いのは水様
となり、盗汗や尿によって排泄される。
くしゃみ、鼻水、発熱、倦怠感などの症状を示す急性の呼吸器疾患のこと。
「かぜ」「かぜひき」と表現することもある。
頭 痛
「原因」頭痛は脳貧血の為と発熱の為と両方ある。前
者は頸の周囲に固結があり、それが血管を圧迫して貧
血する。後者はその固結の溶解の為発熱する。それが
頭脳へ影響して痛むのである。
「霊的光力」第−の急所は耳下腺と頸部淋巴腺、第二は後
頭部、第三は肩である。額に熱がありそこを霊的光力して
少しでも下熱すれば額の奥に原因があるとみてよい。
慢性頭痛持
現代人は薬を無暗に入れる事と、頭脳を使用する事が多い為、
頭部を中心にその付近に固結した毒素が、浄化によって発熱と
共に溶解し出ようとして、神経を刺戟する為である。
というように痛みは治る作用であるから、薬さえ廃めて辛抱すれば、
長くは掛るが漸次的に治るものである。
[胃 疾 患]
消化不良
「原因」然毒、尿毒、薬毒が胃の外部に集溜固結し胃
を圧迫する為、胃は萎縮し、活動が遅鈍(ちどん〜行動などがのろくて鈍いこと)となり消化不
良となる。
今一つは食事の時良く阻噂したり、柔いものばかり
食べる事が原因である。
「霊的光力」背面より胃部を霊的光力する。
「注意」胃の浄化はすべて背面より霊的光力すべきである。
胸 焼
「原因」胃部の内外の溜結毒素溶解の為である。
「霊的光力」背面より胃部を霊的光力を入れる。
胃 潰 瘍
「原因」大部分消化薬の連続服用の為である。その為
胃壁をも柔軟にするから、柔軟化した胃壁に食物中の
固形物がふれるとそこが破れて出血し痛みをも伴う。
胃潰瘍は、薬をやめて痛みと出血のある内は流動食ばかり摂らせ、
出血が止まればお粥のような物を食わせ、そして段々普通食にすれば
いいので、衰弱さえはなはだしくなければ必ず治癒するのであります。
日数は軽症で一ケ月位、重症で三ケ月位であります。
「霊的光力」消化薬を療止し胃を背面より霊的光力を入れる。
胃 痙 攣
「原因」第一浄化作用に依る毒結強化の為胃を圧迫す
る場合と、第二浄化作用に困る毒結溶解の場合とであ
る。前者は無熱、後者は有熱。
「霊的光力」左右何れかの肩胛骨と脊柱との中間で土手の
ようにふくれている所。
胃酸過多症
「原因」薬毒を解消すべく自然作用は胆汁をしきりに
胃に向って送入する。これが本病である。
「霊的光力」背面より胃部を霊的光力を入れる。
胃 下 垂
「原因」 消化薬を服みつつ柔い物を食うから胃が弱る。
それで緊張がなくなるから弛緩し下垂する。真の胃下
垂のものは十人に一人位で、実は毒素溜結の大きいの
が胃から腸の部分にあるので、それが丁度胃下垂に見
られるのである。
「霊的光力」背面より胃部を霊的光力を入れる。
胃 癌
「原因」真症癌と擬似癌とあり擬似癌は膿及び毒血の
固結せるもので、初期に於ては真症癌と同じく胃の外
部に固結を生じ、漸次腹膜、腎臓部等にも及ぶのであ
る。真症癌は霊的である。([病気と霊]中の項目参照)
人体内にある毒素が、自然浄化作用によって常にいずれかに
集溜しようとしている。
しかるに、集溜作用は運動等に因る・・・神経活動の部に限るので、
青年期には全身的活動旺盛の為、四肢五体に分散するのであります。
しかるに、老年期に近づくに従い運動不足になる結果、
毒素は一部分に集溜しようとします。
即ち、運動不足者は、肺、心臓は余り活動しないから、
どうしても、胃の部に集溜するのであります。
そうしてその毒素なるものは水膿でありますから、
それは時日の経過によって固結してゆき、進んで化膿性になります。
この化膿した一種の内部腫物は、胃の外壁から内壁へと蝕入(しょくにゅう)してゆく。
これが胃癌になるまでの経路であります。
「霊的光力」胃部を圧して痛い塊のあるのは癌の印(しるし)と思
えばよい。普通心窟部から臍迄の中央線が主で、次に
その両側である。
その部を背面から霊的光力を入れる霊的光力する。
[腎臓疾患]
急性腎臓病
「症状」 四十度前後の高熱を出し、背面腎臓部の左右
両方か又一方が激痛を伴うのである。この場合激痛の
為腰を動かす事は不可能で、多くは身体を攣曲させて
坤吟する。
「霊的光力」高熱及び激痛せる方の背面腎臓部。
慢性腎臓病
「原因」然毒又は尿毒、薬毒が背面腎臓部に溜結し、
それが体温計に表われない程の微熱によって溶解し、
一種の液体となって腎臓内に浸潤(しんじゅん〜しみ込んでぬれること) し、尿と共に排泄せ
られるのである。
「症状」尿と共に蛋白の排泄及び浮腫(ふしゅ=むくみ)が特徴で、腰痛、
疲労感等がある。むくみがある場合尿量は減ずるので
ある。
「霊的光力」背面腎臓部の溜結毒素。
腎 臓 炎(腎孟炎)
「原因」腎臓炎は腎臓周田に溜結した毒素の浄化作用
である。
「霊的光力」背面腎臓部。
糖 尿 病
「原因」溜結毒素が牌肝臓及び肝臓の下部を圧迫する為
である。
「症状」疲労感や咽喉のかわき、尿の排泄が多量で尿
意頻繁、歯の脱落等が特徴である。
「霊的光力」腎臓及び肺肝臓の下部の毒素を背面より霊的光力を入れる。
腎臓結核
「原因」医学では血尿によって結核の診断を下す様で
ある。併し多くは両鼠ケイ腺上部の微熱、又は軽熱の腎
孟炎に依る発熱の為、輸尿管の附近一帯が熱せられる
ので、尿が輸尿管を流下する際熱尿となり、それが尿
道を通過する場合、尿道粘膜が薄弱(はくじゃく〜あいまいではっきりしないこと)
な人は粘膜が炎症を起すので、その炎症部の欠陥から血液浸潤して血尿
となるので、医学は本病とよく誤診する。
「症状」腎臓内部が化膿して痛みを持つのである。そ
して普通は膀胱へ移行するので非常に悪性で小便に血
液が混るのである。皐丸迄移行したものは重症である。
「霊的光力」背面腎臓部、微熱部、腎臓部。
[胸部疾患]
肺 炎
「原因」感冒に罹った場合、薬毒やその他の方法で浄
化停止を行う以上、再び固まって了うと共に、新しい
薬毒も追加されるので、感冒に罹る度毎に毒素は累加
し、或程度に達するや一時に浄化活動が起る。それが
肺炎である。
「霊的光力」肺臓の下部即ち乳の下に当る箇所、其処に毒
結がある。それを背部より霊的光力を入れる。
肺 結 核
「霊的光力」一番の急所は右の延髄で、次は首、咽喉の辺
の淋巴腺である。又頭の脳天の事もあるし、腋の下、
肩、腎臓、背中、それから股(鼠蹊腺部)や陰部等を
霊的光力すると熱は下る。急所を霊的光力をすると直ぐに楽には
なるが、急所を外れると平均浄化して熱が下らないと
か、咳がふえるとかいう事になる。衰弱の為に駄目に
なることがあるから急所を見つける事が肝要で、一番
熱のある所を霊的光力を入れる。
結核の再浄化の場合は、安静(床縛りの意味でなく
発熱を少くする為)にして霊的光力は一週間に一度にし、
熱が出なくなったら二、三回にふやしてよい。但し途
中ひどく苦痛のあるはその箇所だけ軽く霊的光力してもよ
い。
結核は頭の病気でないのと、結核患者は愛の熱が足りぬから。
冷やかだから理性が勝つ。結核患者になった人はあまり愛の人はない。
感じも冷やかである。肺を治すには愛の行をするといい。
湿性肋膜炎
「原因」腎臓萎縮による余剰尿が肺臓を包囲せる膜と
険との間に間隙を作って溜る。
「症状」大抵は三十九度から四十度位の発熱があり、
目眩と盗汗、過眠で特に息苦しい。
「霊的光力」背面より腎臓部と肋膜部を霊的光力する。
化膿性肋膜炎
「原因」脊髄カリエスと殆んど同様であって、脊髄か
ら膿が肋膜へ浸潤滞溜するので、その膿量は割合多量
である。悪性に到っては医療は穿孔排膿を行い数ヶ月
又はそれ以上に亘って毎日相当量の排膿があるのであ
る。最初からの化膿性もあるし、湿性が化膿性になる
こともある。
「霊的光力」背面腎臓部及び肋膜部 (背部から見れば悪い
方は不動である)
霊的光力によって溶けて腹痛や下痢になったり、そのため
に食欲不振になったりする。咳で排痰すると衰弱する事となる。
その衰弱が怖いから衰弱せぬよう努力する・・・善処する。
そのためには野菜食など良い。霊的光力に力があればドシドシ
治るが、中途半端の力では衰弱する。危ない。
乾性肋膜炎
「原因」膜と膜とが離れる為の痛みと擦れる痛みであ
る。
「症状」 激痛を伴うのである。
「霊的光力」背中を圧して痛む所及び有熱部
「注意」本病はごくまれで大抵は肋間神経痛である。
肋骨カリエス
「原因」薬毒が骨膜の裏面に溜着し、浄化によって外
部へ排泄されんとして、肋骨又は骨挨を穿孔
(せんこう〜人体の器官に穴があくこと)する。激
痛はそれが為である。
「霊的光力」肋骨部の押して痛む処を表裏より霊的光力する。
肋間神経痛
「原因」肋骨に水膿が固結して痛む。
「症状」非常に痛む。此痛みは稲妻型である。
「霊的光力」骨の痛む箇所を霊的光力する。
心臓性喘息
「原因」横隔膜の下辺を主として肩部、腎臓部、胸部、
腹部、鼠蹊部その他の溜結毒素が浄化液体化しそれが
肺臓内へ浸潤(しんじゅん) する場合、肺膜の厚い人か、
喀疾が濃度の場合、肺自身が吸引せんとするその運動の為の呼吸
困難である。
世間一番誤られ易いのは、喘息と心臓病であります。
御承知の通り、喘息の原因は、横隔膜下に水膿が溜る。
それが肺の下部を圧迫し、それが又心臓を圧迫する。
それの為、動悸や息切がする。
この症状を心臓がわるいと診られ易いんであります。
心臓部の肋骨に水膿が固結しその付近に水膿がある
場合があります。そうすると微熱を持ったり多少の圧迫も
あるから、そういう人は少し何かすると、直ちに鼓動が
激しくなる。これが心臓弁膜症と間違えられるので、
この例は割合多いのであります。これは簡単に治るのであります。
「症状」発作的で発作の際激しい呼吸困難を来し、重
症は呼吸切迫し殆んど死の直前を想わしむるものがあ
る。
強烈頻繁なる咳噺(がいそう)に苦しみ、不眠、食慾不振、呼吸
困難等痛苦甚だしいのである。多くは周期的で、冬期
又は夏季ニケ月又は二ケ月位に限るというのもある。
「霊的光力」横隔膜の下辺、即ち胃の上部及び肝臓の上部
が第一原因で、主にみぞおちの両側と背中の丁度心臓
の裏に当る所。次が背部、心臓の裏面、胸部及び腋下
及びその肋膜部次に肩部(主に左)臍部の周囲及び
大腸部(主に右側)鼠蹊部(主に右)背面腎臓部(右
又は左)首のまわり及びあごの下等々である。
気管支性喘息
「原因」前項の通りであるが、濃度で多量の喀痰 (かくたん) を吸
引する為に頻繁(ひんぱん)なる咳噺(がいそう)となるのである。
「霊的光力」前項に準ず
[腹 部 疾 患]
湿性腹膜炎
「原因」腸を包んでいる膜と膜との間に尿が溜まる。
「症状」臨月の腹部よりも膨大になるものもある。
「霊的光力」背面腎臓部及び腹膜部
化膿性腹膜炎
「原因」腹膜に膿が滞るのである。
「症状」腹部があまり膨大せず寧ろ固結性であるから、
一見普通の腹部と思われる位で、浄化発生の場合、発
熱、咳嗽(がいそう)、吐痰(はくたん) 、食慾不振等の症状がある。
「霊的光力」背面腎臓部及び背面腹膜部及び臍の附近のグ
リグリがある所。
盲 腸 炎
「原因」身体不断の第一浄化作用により、下半身の毒
素は其毒素溜結箇所である盲腸部へ溜結する。その際
同部を指圧してみれば大小の痛みを感ずる。それが第
二浄化作用によって排泄するのが本病である。
「霊的光力」右側腎臓部と盲腸部(臍から一、二寸右下、
稀(まれ)には左下)
「注意」虫様(ちゅうよう) 突起除去は腎臓、腹膜、胃腸等に障害を
来し、婦人は月経不順になり、頭痛、肩の凝り等に悩
み、全身的に活力減退する。
腸 結 核
「原因」臍を中心に腹部全体に捗って無数の固結があ
り、勿論押すと痛いからよく判ると共に、必ず多少の
熱がある。この固結が熱で溶解され下痢となって毎日
の様に出る。大多数は化膿固結性腹膜炎である。
「症状」肺結核と似ているが下痢が特徴である。
「霊的光力」腹膜と背面腎臓部を霊的光力する事。
[心 臓 病]
心臓病といえば、大抵は弁膜症の事をいうが、この原因は薬毒
が心臓の周囲に固まり圧迫する為、脈持不正、心悸昂進、
呼吸困難等となるのであって、この強烈なのが狭心症である。
狭心症の特異性は激烈な痛みと呼吸逼迫で、その苦痛は見るに
堪えない程である。そうして痛みは固結が溶解し、液体とな
って出口を求める為の神経の刺戟であり、呼吸逼迫は液体と
なった毒素が、心臓を周囲から圧迫する為であるから、
これも薬を廃めて自然にしていれば、必ず治るのである。
狭 心 症
「原因」心臓の周囲に滞溜する毒素が、第一浄化作用
によって心臓の周囲から心臓に向って求心的に強圧す
るのである。
「症状」発作的に突如として胸部一面激烈な痛みと圧
縮感、呼吸逼迫(ひっぱく) 等の症状を呈(てい) し、その苦痛は名状すべ
からざるものがある。
「霊的光力」肩の凝りから来るので肩を霊的光力する。
弁 膜 症
「原因」狭心症と原因は同一であるが全体的でなく局
部的圧迫である。心臓附近の前後の肋骨及び横隔膜辺
の溜結毒素の浄化による微熱の為心臓を興奮さす。
又非常な大酒飲みで、酒の為に常に心臓が刺戟を受け、
肥大となって故障を起す。そういう原因によって起る事もあります。
「症状」心悸克進(しんきこうしん) 、脈持不正、軽度の呼吸逼迫等である。
「霊的光力」心臓の表裏と腹部及び腎臓部。
心臓肥大症
「原因」心臓附近に溜結する毒素の塊りが肥大とみあ
やまれる。但し大酒家やスポーツマンには真の肥大症
があるが他は殆んど誤診である。
心臓肥大症は、大酒家、スポーツマン、永年の重症喘息
患者等にある病気であります。又非常に苦しむ病気などに罹ると、
いくらか心臓肥大するようであります。
心臓神経衰弱というのがありますが、これは発作的に非常に
胸が苦しくなる。そうして脈が早くなって呼吸困難になり、
脣(くちびる)は紫色になり、今にも死ぬかと思う状態になる。
ところがこれは何でもないので、三十分か一時間位経つと
ケロリと治るんであります。医学では「心臓神経衰弱」といっております。
これは何の為かというと、死霊が憑る。
つまり死んだ霊が臨時に憑るんで、その死霊の死の刹那の症状
が現われるのでありますが、これは霊的光力で簡単に治るんであります。
又心臓は普通左に着いているのですが、右に付いている人が時々あります。
これは心得ておくべき事です。
「霊的光力」横隔膜附近及び心臓部。
高 血 圧
「原因」左右頸部、前方扁桃腺直下の位置に毒素溜結
し、それが動脈を圧迫する。この動脈は腕に連絡して
いる為血圧計に高く表われる。
「霊的光力」腕の附根及び咽喉の両脇の筋の凝っている所。
心臓性神経衰弱
「原因」大抵は死霊の憑依である。
「症状」発作的に胸が苦しくなる。そして脈が早く呼
吸困難になり、唇が紫になり、今にも死ぬかと思う状
態になる。
「霊的光力」の祈言をあげて前頭部を霊的光力する。
肺臓・心臓・胃の病気と罪について
なぜ肺臓が弱るかと言うと愛が不足しているからである。
肺は水なり。水は火によりて動くのだ。
肺は心臓の熱によりて動くのである。
心臓の熱の少いのは愛が少いのであるから愛の行いをすればよいのである。
総てを愛するのである。その根本として観音様を拝む様にするのである。
観音様を拝むと前には人が笑っておれば癪(しゃく)にさわるといって怒っていたのが
お祭りしてから反って嬉しくなり楽しくなったというのである。これは実例なのである。
心臓の悪い人は理性に乏しいのであります。
心臓の火の燃えている原因は水分が沢山あるから、
続いて燃えているのであって水が沢山ある中(うち)はよいが
水が足らんと理性に乏しいことになるのである。
パーッと燃えるだけだからである。
観音様は火と水との働きであるから両方を程よく下さるのである。
胃の悪いのは物質を粗末にするのが原因である。
贅沢を言う人の胃の悪いのはこの原因である。
何んでも不味い物でも食べる人は胃は丈夫だ。
総て感謝がなければいけないのである。
常に感謝の生活をして居れば胃に罪は起らんから常に胃は丈夫で病気は起らんのである。心すべき事である。
腹は地下に相応するのである。
腹は地熱であるから、胃の物が腹へ下って清算される事となるので、
胃へはいったものは総て腹へ下って行って清算される事となるので、
ちょうど土も下へ穢い物を濾(こ)して水を下へ下して地下水となり、又汲み出されては使用されて、
この様に、腹は悪い物は濾して粕は糞として下へ出し、水分は小便にして腎臓へ送る。
又良いものは肝臓へ送るのである。
肝臓とはこの意味からきたものである。
この様にしてこれへ肉をつけ皮をつけるのである。
肺が悪いと寝汗をかくのが普通である。
心は火なり。
心の字は八に丶丶を横に打ってあるが、八に跨がせれば火となるのである。
心臓は肺に囲まれているのである。
子供は何かと言うと親の世話になっている内は連絡している。
この親の罪が移るのである。
子供の病気は何かと言うと子が親の罪を移されるのであります。
親に必要な事があっても罪があって病気になる様な時、
その親を使わねばならぬ用事が出来ている為親の罪を子に負わせているのであります。
親に用事がある時はその子に移すのであるが、
子の死ぬ場合があるが、これは親の代りになって行くのであります。
病気と人間の性質
面白い事には病気とその人の性質とが好く適合している事を感ずるのである。
例えば病気治療の場合、よく判るのであるが、素直な性質の人は素直に治ってゆき、
淡白な人は病症も淡白である。
それに引換え、我の強い人はそのごとく病気も長引く傾向がある。
従って、頑固な人は病勢も頑固である。心の変り易い人は病気も変り易く、
皮肉な人は病気も皮肉な経過を辿るのである。
この理によって考える時、療病に際し、この事をよく知って、
その人の悪いと思う性質を治してゆく事は、取不直(とりもなおさず)、
病気に好影響を与える訳になるのである。
それは、何事も素直になる事が最もよいのである。
[脳 疾 患]
脳 溢 血
「原因」頸部又は延髄部、即ち耳の後下の頸筋と、後
頭部の稍下方の溜結毒素が浄化溶解して脳中に浸入、
直ちに左か右か一方の腕、手指、脚等に流下し固結する。
手が両方突っ張っている場合にはまれに両方の脳溢血もある。
二、三十分霊的光力をする。たいていは二、三十分で快くなるが、
脳溢血は必ず気のつくものである。
浄化作用ではなく 死に至る場合には重要な使命を持つ人はこういうことがある。
いまは大転換期であるからいままで仏は滅し、神様の出る境目である。
そして仏界に罪穢がある。それを掃除するのに間に合わぬとき、その型になる。
人が犠牲になる。そして罪を贖うことになる。
これからは厳しく罪や穢れは徹底的に清算されなくてはならぬ・・・という時期となった。
新潟県下の死亡者の内脳疾患による死亡者は七〇%
で第一位を占めているのも、脳溢血を異常なまでに気にするからである。
血圧を下げる為に用いる薬が脳溢血をどんどん増加せしめて居る事に
気が付かない。薬はどんどん後頭部、延髄附近に集溜してゆくからである。
高血圧の原因は頸動脈の周囲に毒素集溜して動脈を圧する為、その
部分の血圧が上り腕の動脈にひびいて血圧計が上るだけであって、脳溢
血とは直接の関係はないのである。
脳溢血の原因は後頭部延髄附近から首筋にかけての集溜毒結が溶解するのであって
急所が違っているのである。
血圧がどんなに高くても脳溢血にならない人もあれば、低血圧の人
でも脳溢血になるのは右の原因が違うからである。
後頭部延髄から首筋にかけての毒素を霊的光力で減少してしまえは脳溢血にはなってみようが
ないのである。
高血圧にしても然りで頸部動脈周辺を数回霊的光力すれば簡
単に血圧は正常になるのである。
高血圧者は心臓が強く、低血圧者の方
が遙かに要注意者であるにも拘わらず、高血庄をわいわい取上げて神経
質になっている事がおかしいのである。
「症状」半身不随で、重症は旺んに涎を垂らし言語明
瞭になり、又頭脳に支障を来し精神上にも多少変
調する。
「霊的光力」耳の後下の筋と、後頭部のやや下方延髄部、
小脳、熱い所、腕の附根。
腕の動かない場合は肩及び淋巴腺(腕の附棍)脚の
場合は腎臓部、臀部の直ぐ下、鼠蹊部。
脳 充 血
「原因」溢血の毒血が脳中に止って中風にならないもの。
「症状」高熱、頻繁なる嘔吐、激痛、意識不明等で多
くは生命を落すのである。
「霊的光力」頭脳、後頭部。
脳 卒 中
「原因」首筋(髄髄と耳下腺)及び肩の極端な凝りの
為、血管を圧迫し送血を遮断する為。
「症状」脳の疾患中最も恐るべきもので、今迄普通状
態であったものが突如として倒れ死去するのである。
「霊的光力」頸部(特に髄髄及び耳下腺)及び肩の凝って
いる所。
脳 膜 炎
「原因」風邪等にて頭痛の場合水冷を行う結果浄化停
止され、それを繰返すに於て前頭骨に溜結せる濃毒素
に対する激烈なる浄化作用が起るのである。
「症状」堪え難い激しい頭痛、患者は眼を開けると非
常にまぶしい。前頭部が火の如く高熱である。
「霊的光力」頭の熱い所に毒結があり、主に前頭部を霊的光力する。
「注意」限を開け得ない症状は本病と断定してよい。
脳膜炎は前頭部が熱いのと、割れる程痛いので判る。
今一つ非常に眩しく、目が開かない。
氷で冷すと神経が動かなくなる。働かなくなる。
頭中の毒を固める。(後不随になる)
前頸部の中を一番よくやる。脳膜炎の後は頭がよくなる。
固めたために眼が見えなくなる。
脳 貧 血
「原因」首の周囲の毒素が血管を圧迫する為一時的に
頭脳への送血が遮断されるのである。
脳貧血ならそう長くはない。
霊憑りとすれば嘔吐をすることはない。
「症状」 頭重、頭痛、憂欝、首肩の凝り等の症状あり、
何等かの刺戟により発作するや顔面蒼白、嘔吐、痙攣、
目眩等がある。
「霊的光力」 首の周囲の毒結。
脳神経衰弱
「症状」慢性脳貧血ともいうべきものである。
「霊的光力」 風邪に躍る事が最もよい。首の固結部を霊的光力する。
日本脳炎
「原因」 子供は殆んど帽子を冠らず炎天下で遊ぶ、特
に六歳から十歳位までは右の傾向が著るしい。それが
為頭脳を熱する。その場合人体の背部一円にある毒素
が頭脳へ向って集中運動を起す。何よりの証拠は、発
病と同時に両側延髄附近は棒の如く硬化し高熱が伴う。
之は毒素が頭脳目がけて進行し、一歩手前に一時的集
溜するからである。次いで毒素が小脳に向って浸入運
動を起すや睡眠状態に陥る。
「霊的光力」両側延髄附近及び後頭部、背中。
「注意」毒素は小脳から頭脳を通過し、両眼及び鼻孔
から排泄する。それが出始めたら快復期である。
嗜眠性脳炎
「原因」 夏季炎天下に頭脳を晒す場合、太陽熱直射に
よって肩部及び背部一円の毒素が小脳に向って集中す
る。故に発病の場合、後頭部より髄髄附近に毒素集溜
し猛烈に弩脹する。
「症状」昏々と幾日も眠りつづける。
「霊的光力」延髄附近から小脳部にかけ霊的光力する。
脳脊髄膜炎
「症状」後頭部から延髄附近へかけて痛み、又は引攣
る如く硬直するという。非常に苦痛を訴えるものであ
る。以上の如き病勢が執拗に持続し食慾も不振となり
衰弱死に至るのである。
「霊的光力」後頭部から延髄にかけてする。
脳震盪
「原因」高所から射落又は打撲等によって脳に内出血
を起し、脳髄機能に支障を与える。
「霊的光力」打撲した所。
「注意」嘔吐五、六回以上頻繁に渉る場合と、昏睡又
は耳孔や眼球より出血あれば先ず生命覚束ないとみて
間違いないのである。
脳疾患に就いて知って置くべきは、重軽を知る方法
として嘔吐の多少による事が最も確実であるという事
である。但し脳貧血のみはこの例外である。
病気症状の解剖その2
[眼 病]
近 視 眼
「原因」之は延髄附近に集溜せる毒結が、眼の栄養と
しての血液送流管たる血管を圧迫する事によって、限
が栄養不足に陥る為である。
「霊的光力」延髄附近と肩胛間部。
トラホーム
「原因」前頭部の毒素が涙で排泄される場合、涙に毒
素があって粘膜を刺戟し、一種の発疹が起るのである∧
「症状」上限瞼の裏面に大きなボツボツが出来紅く
なっているのがトラホームである。
「霊的光力」限及び前額部及び後頭部と髄髄部。
濾胞性(ろほうせい)結膜炎
「原因」トラホームと似ているがボツボツは小さい。
「症状」下限瞼にボツボツが出来る。
「霊的光力」 トラホームと同じである。
結 膜 炎(血眼)
「原因」前額部に滞溜する毒素が浄化溶解し眼球から
排泄されようとする。
「症状」 眼球紅潮を呈し、目脂、涙等(メヤエ)が絶えず溢れ出る。
「霊的光力」延髄附近と前額部(眉毛の辺)。
限 星
「原因」 毒素が眼球へ集溜し、瞳孔表面に固結する為である。
「霊的光力」 限の中心と前頭部、顔面 (眉毛の上) 及び後頭部(髄髄部)。
黒(白) (青)底翳
「原因」 何れも眼底に毒素が集溜固結するのである。
その毒素とは自底翳は白い膿、青底翳は青い膿、黒底
翳は毒血であって、黒底翳が最も重症とされている。
「霊的光力」霊的光力は前だけでなく特に右側髄髄部から限
を狙ってやる事。次に毒素は髄髄の所から前に釆て眉
毛の上に出て、それから限に下るのであるから限の上
も肝腎である。
「注意」限に就て知っておかねばならぬ事がある。そ
れは眼球充血の場合紅色を呈するが、之は血液ではな
く膿であって、眼球に集結する場合に限り白色の膿が
紅色を呈する。膿排泄に従い紅色は消滅するのである。
ヤプニラミ
「原因」之は限を動かす筋を水膿溜結が妨害している
為である。
「霊的光力」髄髄、頸部及び側頭部の目の附近。
乱 視
「原因」髄髄部附近にある毒が動揺する事があり、そ
の為に血の流通が妨げられて限に行く血の量がむらに
なる為である。
「霊的光力」髄髄部の固結毒素のある所。
[耳 病]
中 耳 炎
「原因」淋巴腺から耳下腺附近に滞溜した毒結が浄化
作用によって耳から排泄されようとする痛みと熱である。
「霊的光力」淋巴腺及び耳下腺附近の毒結。
耳 鳴
「原因」内耳近接部の頭脳、コメカミ部、延髄部、耳
下腺に溜結せる毒素の緩慢な浄化に依る溶解の為の響である。
「霊的光力」耳下腺、髄髄部、コメカミ部、内耳近接部の
頭脳、特に耳下腺、次が髄髄部。
耳 垂
「原因」頸部淋巴腹部の毒結が溶解し、耳下腺を通じ
て排泄せらるるのである。
「霊的光力」頸部淋巴腺部及び耳下腺部の毒結。
聾 耳
「原因」毒素が耳下腺から内耳へかけて固結し聴神経
を抑圧無力化する為である。
「霊的光力」頸部淋巴腺部及び耳下腺から内耳。
[鼻 病]
蓄 膿 症
「原因」鼻の両側及び後頭部。特に延髄附近、前頭部
より前額部にかけての溜結毒素の浄化である。蓄膿は
鼻の両側にある毒素が原因で、常に鼻孔から鼻汁と
なって排泄せらるるのである。
「霊的光力」鼻柱の両側、眉間の中央及び延髄部。
「注意」毒素を知るには鼻柱の両側を圧してみるとわ
かる。又眉間の中央が重いのは其処になる。
肥厚性鼻炎
「原因」鼻汁中の毒素が粘膜を刺戟しカタルを起す為である。
「症状」鼻孔の小腫物の痛み、痺み、涸き等。
「霊的光力」延髄附近及び前額部。鼻の附近。
鼻 茸
「原因」膿の固結したもので、腫物の根の如きものである。
「霊的光力」延髄部(右)前頭部、前額部及び鼻の膿結。
無 喚 覚
「原因」鼻の先端に毒素溜結し、それが嗅覚神経への
刺戟を遮断する為と、後頭部上辺の凹所に毒素溜結の
場合とである。
[咽 喉 疾 患]
扁桃腺炎
「原困」 人体の上半身中最も毒素の集溜する個所は頸
部淋巴腺附近である。それが浄化によって排泄される
場合、一旦扁桃腺に凝結し発熱によって溶解し、液体
となって排泄する。その溶解時紅く腫脹し痛む。
「霊的光力」頸部淋巴腺附近及び扁桃腺部。
扁桃腺肥大症
「原因」 扁桃腺浄化時、医療はルゴール等の塗布薬又
は氷冷、湿布等の浄化停止を行うので、一旦治癒した
如く見えても再発し易い。右の如き事を繰返すに於て
終に慢性となり、固結は膨大となり本病となる。
「注意」扁桃腺除去は他に悪影響を及ぼす。それは淋
巴腺附近の集溜毒素が排泄肘されんとしての出口である
扁桃腺がない為、反対の方向、中耳に向って移行し、
耳骨に穿孔し、激痛と高熱が発生する。これが中耳炎
である。又中耳炎発病の場合、液体膿多量なる時は中
耳から頭脳に迄移行し、中耳炎と脳膜炎の合併症となる。
「霊的光力」頸部淋巴腺附近及び患部。
喉頭結核
「原因」一つは最初淋巴腺附近に溜結せる毒素の浄化
であるが、医療は之を極力停止せしめんとして種々の
方法を行う為、病毒はついに内部に移行する事となり、
その結果、発声機能を侵し、声がれを起させ、又は咽
喉を犯し食物の囁下(ジカ)に支障を来たす事になる。もう一
つの場合は痰が咽喉を通過する際、猛毒痰であるため、
気管や咽喉の粘膜を刺戟(シゲキ)しカタルを起すからで、この
痰は最も古く腐敗の度も強い。
「症状」特異性としては声がかれる事と、食事の際咽
喉が痛み、嚥み込むのに困難である事などである。
「霊的光力」頸部淋巴腺及び咽喉附近。
喉頭(こうとう)癌
之は前生期又は今生期に於て鳥屋などが、沢山の鶏の首を締め殺した
怨霊が殆んどである。
「霊的光力」 患部、頸部淋巴腺(後)、肩、有熱部を探査(頭も)
※ 御神体奉斎、祈言奏上、御神書の音読、慰霊祭、徳積み等
舌 癌
何としても治らないのがある。即ち之が真症舌癌である。併し、之は霊的
であって、原因は其人が悪質な嘘を吐いたり、舌の先で人を傷つけたりする
罪の報ひであるから、そこに気がつき悔改め、正しい宗教に入らなくては
絶対治らないのである。(「口中の病など」)
(中略)舌癌は前生時代舌によって作った罪であって、舌の為に人に迷惑
や苦しみを与へた恨みの怨霊の罪であるが、此外に一寸気が付かない罪がある。
それは誤った学説や、悪思想や、邪教の宣伝などで、多くの人を誤らせ、
社会に害毒を流すやうな罪で、之は多数の人に被害を与へるから、割合重い罪
となるのである。(「癌病」)
例へば手で悪い事をすれば手に集り、人の目を胡麻化せば目に、二枚舌を
使へば舌癌や喉頭結核になります。
(舌に芯(小指の頭位)が出来、大きくもならず、普通は痛みも無く強く
押すと痛みます・・・。
之は舌癌の危険がありますね。霊的光力で治りますよ。こんなのは霊的です。
前世で何か余計な事を喋った為に怨んでる霊があるんですね。
(中略)要するに間違つた事をすると、如何に恐ろしいかと言う事です。
共産主義者で働いた人は、ひどい舌癌になるともいわれている。
例:四、五年前より舌に芯(小指の頭位)が出来、大きくもならず痛み、
苦痛もありません。15年前に叔母が舌癌で死亡してますので、私もその様
になりはしないかと心配。之は霊的光力にて治りましょうか。
癌の危険がある。霊的光力で治る。前世に於て喋って怨まれた怨念がそういふ事を起きます。
(舌癌と診断、舌の腐蝕した部分が落ち黒血が沢山出た)之は本当の癌ではなかったのである。
頭の毒血が舌から出ようとして舌に固まったものである。本当の癌は痛みも出血もない。
苔みたいなものが重なっている。之も治らなくはない。舌の故障の罪はその人の言葉によって
人を苦しめたような事、例えば裁判などで、その人の言葉によって罪を着たために怨む、
その怨みの罪が舌へおデキになったりなどするのであるから、人に怨まれるような言葉は注意しな
くてはいけない。
「霊的光力」 頭、患部、顎下腺、頸部淋巴腺、肩
「霊的光力」 ※ 人を救い徳を積む、御神体奉斎、御神書の音読等
頬 癌
頬癌は人の頬を殴打し、損傷を与へた怨みの罪
「霊的光力」 患部、口辺、顎、頸部
「霊的光力」※ 人を救い徳を積む、御神体奉斎、祈言奏上、御神書の音読、慰霊祭等
歯槽膿漏
「原因」萎縮腎に因る余剰尿が、背部より肩部頸部淋
巴腺に及び、それが浄化によって歯齦から溶出されるのである。
「霊的光力」右原因部、根本は腎臓部。
バセドー氏病
「原因」溜結毒素のため咽喉前面外部が腫脹するのである。
「症状」軽症は軽微な咳嗽、その部の不快感、重症は
強烈な咳嗽、喀痰疾又は白色の粒状や泡状等の液を排泄
し、又眼球が飛び出す事もある。末期に到ると心臓障
害を起し、脈縛不正、呼吸困難、食慾減退等あり。
「霊的光力」右の原因部を霊的光力する。
[肝 臓 病]
肝臓病と名附けるものは大抵は肝臓に異常なく、肝
臓の外部に溜結した毒素が肝臓を圧迫する為である。
黄 疸
「原因」毒結の為肝臓が圧迫される場合、その奥にあ
る胆嚢も自然圧迫を受けるから、胆嚢内にある胆汁が
滲出する。それが黄疸の原因である。
「霊的光力」 肝臓 (右乳の下) 及び右背面腎臓部。
胆 石 病
「原因」 腎臓の余剰尿が背部より胆嚢に浸入し胆汁と
化合して結石となる。
「症状」 激烈なる痛みを伴い、患者は非常な苦痛をな
めるのである。之は胆嚢部の痛みと結石が輸尿管を通
過する際の痛みとある。
「霊的光力」右側腎臓と肝臓の裏側。
腎臓結石
「原因」 胆石が諸機能を通過し腎臓中に入りそれに尿
素が附着し増大されるのである。
「霊的光力」背面腎臓部及び肝臓部。
膀胱結石
「原因」 結石が輸尿管を通じて膀胱に入り膀胱結石と
もなる。然るに結石が膀胱より尿道を通過せんとする
場合、尿道の入口に閊える事がある。この為排尿不能
になる事もたまたまある。
「霊的光力」背面腎臓と膀胱。
[痔 疾 患]
脱 肛
「原因」 便秘による硬便の為と、排便時間の長いのが
最大原因である。
「霊的光力」 押し込んでおいて患部を霊的光力する。
痔核及び裂痔
「原因」 この根源は、意外にも股間鼠蹊部にあるので
ある。例えば痔の右側が痛む場合、必ず右側鼠蹊部に
グリ く がある。それを浄霊溶解すると痔の痛苦は軽
減する。次に出血であるが、之は上半身即ち頭脳に欝
血せる毒素が下降し、肛門から排泄化されるのである。
「霊的光力」痔の痛む側の鼠蹊部の毒結、出血の場合は頭
脳(主に後頭部)及び肩の欝血せる毒素。
痔 療
「原因」脊髄カリエスと同一原因である。
「症状」激痛を伴い多量の膿を排泄する。
「霊的光力」 頭部及び脊柱。
[婦 人 病 ]
婦人病一切の原因は体内に保有している種々の毒素
が漸次下降する為であって、それが下腹部にたまれば、
子宮、卵巣、喇叭管、膀胱障害となり、なお下降すれ
ば痔疾、膣痙攣、掻痒症(かゆみ)粘膜のカタル、尿
道障害、全身的湿疹、靡爛、痛み、臭気、不快等に苦
しむのである。
婦人病一般の霊的光力は腎臓と下腹部(即ち臍から一、
二寸下の辺)腰及び尾低骨の一、二寸上(即ち脊髄の
末下端から二、三寸上位) 辺り、勿論股の附根も肝腎
である。
月 経 痛
「原因」経血が喇叭管を通ろうとする場合、例外管の
入口が狭いので拡がろうとするその痛みである。何故
喇叭管が狭いかと言うと、下腹部のその辺に毒結が
あって圧迫しているからである。
「症状」月経時一日乃至数日に捗って多少の痛みがある。
「霊的光力」下腹部の喇叭管口の辺(即ち臍から一、二寸下)及び腎臓部。
月経不順
「原因」之には遅れ勝ちと不規則なのと、経血の多い
少いがあるが、この原因の殆んどは貧血及び濁血の為
で、真の健康にさえなれば必ず順調になるのである。
「注意」結核患者の月経異常であるが、結核でも月経
のある間は病気の軽い証拠で決して心配する事はない
が、病気が進むに従い貧血するから漸次量が減り、後
れ勝ちになるはかりか、末期に到ると例外なく無月経
となるのであるから、婦人の結核患者の軽重を知るに
は月経によるのが最も正確である。
無 月 経
「原因」喇叭管口附近にある毒結の圧迫による閉塞のためである。
「症状」十三、四歳を越えても月経がない。
「霊的光力」喇叭管口(臍から一、二寸位下)の毒素及び腎臓部。
子宮内膜炎
「原因」之は子宮の内壁にカタルが出来る病気で、之
は毒素が下降して子宮内壁から排除されようとする湿
疹のようなもので、今一つは下降毒素が内壁の粘膜を
刺戟(おこ)しカタルを発させるのである。
「霊的光力」気永に放っておけは必ず治るのであるが、腎
臓部及び下腹部を霊的光力する。
子宮実質炎
「原因」 子宮の周囲に毒素溜結し、それが浄化するのである。
「症状」微熱、軽痛、不快感。
「霊的光力」之も放っておいて治るが、霊的光力すれば短期間
で全治する。実質炎は内膜炎のやや昂進(コウシン)せるものであ
るから、霊的光力も内膜炎と同様腎臓及び下腹部(臍と恥
骨の中間辺り) をする。
子宮発育不全
「原因」 子宮の周囲に毒素溜結し不断に圧迫する為で
あり、勿論その原因は萎縮腎である。従而患者の下腹
部を触指すれば普通より固く腎臓部にも毒結がある。
「霊的光力」腎臓部及び下腹部 (臍から一、二寸位下の所)
子宮前後屈
「原因」前屈は子宮裏面から毒素圧迫の為であり、後
屈は子宮正面よりの圧迫の為である。
此病気は非常に多く、医学上では不姙の一原因とされてをります。
然し、後屈と言はれて姙娠した婦人も相当ありますから、絶対では
ないのであります。症状としては、腰部及び下腹部の不快感等であり
ます。原因は、子宮の裏面の部に水膿が溜結し、それが為に牽引
され、又は下腹部の水膿溜結に圧迫されて子宮の位置が変化するの
であります。故に、腰痛や不快感は後屈のためではなく、水膿溜結
の方が直接原因であります。
子宮前屈、尻の方に膿ある時前屈する。膀胱と子宮の間に膿のある。
時前へ行ってる。子宮癒着は膀胱などへくっついてる。
前後屈の原因は、前屈は子宮の裏面に於ける溜結毒素の圧迫であり、
後屈は右と反対に子宮表面よりの圧迫で、何れも子宮窖(コウ)が偏倚(ヘンイ〜かたよること)し、
その為姙娠不能となるのである。手術によって毒結を除去して子宮の
位置を正しくしようとするが、それは勿論一時的で再び毒素集溜し
還元するのである。
下腹を押してみて固ければそこに毒結がある。その為子宮は後に押
されて子宮後屈になるし、又腰に微熱があればそこに毒結がある証拠で、
そのため子宮は前に押されて前屈になるのです。前屈や後屈になると
子宮の入口と子宮とが喰ひ違って来るためにうまく妊娠しないのです。
後は霊的原因。
「霊的光力」腰部特に尾てい骨の附近の痛む個所と下腹部
(臍から一、二寸位下) を圧して痛み或は固結のある個所及び腎臓部。
子宮前後屈
子宮前屈や子宮後屈なんかも腎臓をやればいゝんです。腎臓とその上の
方が固まってます。多少永くかゝりますから気永にやっていく事。
前屈・後屈があるが、子宮の前面か後面に毒がある。多くは後屈で、
腹部の毒のため後ろに押される。前屈は後部の毒が前へ押す。
医師が手術で毒を除るのは一時的で、前より余計に溜る事にな
るから何にもならない。
後屈は腹に毒があって、後方に押されているもので、之が多い。
前屈といふのは、背中(尾底骨の方)に毒がある。之は少ない。
因は腎臓であるから、これを霊的光力すると治る。
「霊的光力」前屈----頭、背中、腰から尾底骨(指圧して痛む所)、腎臓
後屈----頭、下腹部(指圧して痛む所)、腎臓部
子 宮 癌
「原因」 子宮癌の真症は滅多にないもので、普通医師
から子宮癌の診断を受けるのは殆んど癌でなく子宮外
部に溜った濁血の固りである。
「症状」 子宮部の痛み、出血持続、悪臭の白帯下等である。
「霊的光力」 下腹部及び腎臓部。
子宮癌は、月経の固まりくらいなもの。
子宮筋腫
「原因」之はその名の如く子宮を牽引している両側の
筋が腫れるというよりも、その一部に固結が出来るの
であるが、医療は手術によって除去するが幸にそれで
治る場合もない事はないが、多くはその附近に再発し
勝ちである。霊射すれば根治されるが相当日数を要
するものである。
「霊的光力」腎臓部及び下腹部で臍から一、二寸位下である。
子宮外妊娠
「原因」卿臥管に受胎する為である。
「症状」妊娠二、三ケ月頃、下腹部の激痛と出血とが著しい特徴である。
「霊的光力」臍部から一、二寸位下を指圧すれば必ず痛みがある。其処をすればよい。
子宮脱出
「原因」出産の為が殆んどで、経産婦に限るのである。
原因は子宮括約筋の弛緩(しかん〜ゆるむこと)で、出産が直接原因であり、
間接原因としては下腹部の水膿溜結で、その圧迫に困
る子宮及びその附近機能の衰弱である。
「霊的光力」下腹部(臍の一、二寸位下)及び腎臓部。
悪 阻(つわり)
「原因」 子宮が膨脹する場合妨げているものがある。
それは臍部から肩にかけての毒素の溜結で、それが膨
脹の障害となるので、その排除作用が起る。之が悪阻
である。毒素は然毒と薬毒とであって、出るだけ出て
了えば完全に治る。
「霊的光力」臍部より胃迄と背面腎臓部を霊的光力する。
妊 娠 腎
「原因」平常から腎臓背部に毒結がある処へ妊娠の為
に前方からも圧迫されるので、腎臓は挟み打ちになる
ので萎縮し、全部の尿が処理出来ず、溢れて浮腫とな
るのである。
「症状」浮腫が特徴である。
「霊的光力」腎臓部の毒結を背部から霊的光力する。
不 妊 症
「原因」喇叭管閉塞強度又は性器自体の衰弱のため。
「霊的光力」下腹(臍から二 二寸位下)及び腎臓部や股
の附近のグリグリ。
病気症状の解剖その3
乳 不 足
「原因」 胃が小さい事と乳腺が圧迫されている時と両
方あり、一番多いのは毒が胃を前後から圧迫している
場合である。この場合は充分食べられないので、その
為に乳が足りないのである。
「霊的光力」胃の前後及び乳腺の附近(乳房) を押えると
痛むから痛む所を霊的光力すればよい。
卵巣膿腫と卵巣水腫
「原因」薬毒と萎縮腎に依る余剰尿が卵巣へ滞るので、
前者は膿腫となり、後者は水腫となる。
「症状」症状は両者とも殆んど似ている。只固い柔い
があるが、いうまでもなく卵巣が腫れており、悪性か
又は医療の結果によっては頗る膨大となり、臨月より
もズット大きくなる。
「霊的光力」腎臓部及び下腹部(臍から一、二寸位下)
「注意」膿腫は腹部が急にふくれているが、腹膜の場
合は腹部がなだらかにふくれている。
〔乳 腺 症〕
「乳管や乳腺の腺房の一つ一つが大きくなり、部分的に嚢胞を形成する。
この為、固いシコリとなる。乳房緊満感、痛み、圧痛があるので患者は
癌ではないかと疑う。乳腺症は良性。」
急性と慢性がある。初産婦や授乳中の婦人に多く最初の1ヶ月が最も多い。
乳房が赤く腫れあがり痛みを感じる。悪寒と震えを伴い40度前後の高熱と頭痛、
食欲不振、全身倦怠感等の全身症状が出る。
「霊的光力」 頭部、乳房周辺、腋の下淋巴腺部、背面部、乳下の毒結のみである。
乳 癌
婦人の乳癌もよくあるが、此殆んどは腫物であって、初めは深部に出来るが、
之も放っておけば漸次外部に腫れ出し、大きくなって穴が開き、排膿されて
治るのである。
実例:患者などは乳腺に出来た腫物を、三回の手術をして、
四年間も悩み続けても治らず、医師から見離され絶望のドン底
に陥ってゐたのが、僅か二十日間の霊的光力によって自然に皮膚が破れ、
多量の排膿があり、全治したのであるから、専門家が知ったら何と言うであろう。
そのやうに如何なる腫物でも、手術をしない方が速かに確実に治る事は断言する。
それは此患者にしても数年かかって治らなかったのは、医療が治らないやうにしたからで、
その愚かさは話の外である。
実例:乳房にしこりが出来、数人の医師に見せました処、皆乳癌との診断。
毎日霊的光力を受けましたところ、しばらく乳から黒い血が出た外、余り変化はございません。
現在こりは直径三、四糎程あり、圧しても痛みはなく、腋下に多少痛みがある外、
身体は強壮ですが、周囲の人に「今のうちなら手術すれば助かる」と盛んにすすめられ、
迷って居ります。この癌は御救い頂けましょうか。
癌は滅多になく、大抵誤診が多い。霊的光力者に力がないと効果のない事がある。
押して痛むなら癌でない。
癌なら顔色悪く、血の気がなくなる。ガサガサする。痩せ方も非常に早い。
癌には膿はない。普通のおデキである。膿が出る位なら必ず治る、
霊的光力お乳の裏をよくする。
葡萄糖(ぶどうとう)などは悪いのです。これはまず駄目です。
実例:右乳にソラ豆大の固結があり、医師から乳癌と診断。現在外には異状なく健康です
が、医療を受けていない場合全快可能でしょうか。医療を受けなければ治る。
腫れる。そして赤くなり、孔が開き膿が出て治る。
発熱、食欲減り、衰弱する。之は仕方ない。
乳癌の手術は手へ来る。そして大抵生命はなくなる。
実例:乳癌にて右乳房を切除、右鎖骨下にもぐりが出来、手術。以後再発を防ぐ為レントゲン治
療。また両耳下両鎖骨左脇下等にぐりぐりが出来、レントゲン治療に通院、大分ぐりぐりも
小さくなり霊的光力を頂き、光力を続けて、一部の固結は小さくなりましたが一ケ月程前より喘息の
浄化を頂き、此頃は便所も億劫になり、食欲なく、日に日に衰弱が加わり、自分に自信が持てなくなり
ましたので医師の診察を乞ひました処、癌の毒素が内部(肺)に入り込んだとの事でした。
尚、胸部及び乳下等、腫れて指先にて押せば深く引込む仕末です。尿はかなり出てます。治り
ますでしょうか。
医学の被害者である。乳房を切り除ったのが原因である。放っておけば治ったのである。
毒素は少くとも傷をつけると集溜しないものである。それが他へ移行し始めた。
レントゲンはやはり固める。その結果方々へ分散した。小さくなったのは固めたからで、
大きくなるのが本当である。霊的光力したのが溶けて来た。毒素が皮膚から出れぬ為肺
から出ようとする。その毒が濃い為肺へ行かず喘息となった。之は癌ではない毒素である。
手術さえしなければよかった。治るには治るが衰弱に気をつけなければいけない。
急所外れをやっている。平均浄化が発るから、苦痛の局所をやり、之から腫れようとする個所をよ
くやる。レンケドンで固めたのは治り難い。
「霊的光力」 頭、乳房周辺(痛い所、しこりのある所)、腋の下淋巴腺部、背面部(乳の裏)
霊力が足りないと痛む。強ければ痛まずに治る。痛い所をやればよい。なるだけ遠くを狙って霊的光力する。
よけいやる程よい。
白 帯 下(こしけ)
「原因」化膿性腹膜炎の毒素が緩慢なる浄化によって
溶解し、一旦子宮内に滞溜し流下するのである。
「霊的光力」腹部。
不 感 症
「原因」萎縮腎が原因であって、腎臓は医学でも言う
如くホルモンの製造元であるから、腎臓が萎縮すれば
活動が鈍りホルモンが減る。その毒結を溶かせば治る
のである。今一つの原因は陰部を中心に周囲全体に絶
えず下降する毒素が滴る事である。そのため子宮をは
じめ種々の障害となり、尚下降すれば特に摂護腺部
(せつごせんぶ・前立腺(ぜんりつせん)の旧称)に
はれや固結が出来たり、左右何れかの大小陰部に毒結
が出来、それが鼠蹊部(そけいぶ)にまで及んで足の運動を妨げる
等で、特に摂護腺部の故障は大いに悪い。之等すべて
の診断は自分自身で押してみれば痛み又は塊りがある
のでよくわかる。
「霊的光力」腎臓部にある固結、摂護腹部の痛み又は塊り
のある所、大小陰唇の毒結(陰部)鼠蹊部の固結等。
[乳幼児及び小児病]
消化不良
「原因」嘔吐にも単なる飲過ぎの為と病的と両方ある。
健康児と雖も飲過ぎによる吐乳は差支えないが、病的
は飲乳量が少い割合に吐乳するのである。この原因は
母乳中に毒素がある為で、此毒素の殆んどは薬毒であ
る。従而薬剤多用の経験ある母乳は特に甚だしく、又
その乳が不良であるばかりか量も少いのである。
青便は不良乳の為であり、泡便は一層に不良に因る
のである。従而、青便も泡便も毒素の排泄であるから
喜ぶべきである。
生後数ケ月内に吐血する幼児があるが、これは出産
直前、古血を呑んだためであるから何等差支えないのである。
「症状」嘔吐、青便、泡便。
便 秘
「原因」青便等の場合、医家は消化不良の為として故
意に乳量を減ずる事がある。如何なる場合と雖も乳児
の欲するままに乳を与えるのが自然であるに拘わらず、
乳量を減ずる如きは反自然である。その結果としての
便秘である。そこで浣腸を行うのであるが、その浣腸
の逆作用に因る便秘に対して又浣腸するという工合に、
ついに腹部膨満となり生命の危険にさえさらされるの
である。[(病気と霊)中の項目参照]
疫 痢
「原因」助骨部(主に背面)の毒結が急激にとけて胃
に集滞し、下痢となって排泄する。一方頭に上った場
合生欠伸をする。それによって軽重を知る事が出来る。
「症状」この病気は十歳以下の小児に限るのであって、
五、六歳が最も多く二、三歳が之に次ぐ、最初発熱、
嘔吐、甚だしいのは痙攣が起るのである。今迄元気に
遊んでいたのが、急にぐずったりする。非常に眠たが
り、生欠伸をするのは最も悪性で、一昼夜以内に死の
転帰をするのが尠くない。
「霊的光力」胃部を第一とし、後頭部及び後頸部を第二と
し、腸を第三とする。
麻 疹(はしか)
「症状」普通五、六歳位が最も多い。発病前大抵三、
四日位三十八度前後の発熱が持続する。その際皮膚を
みると何れかに小量の発疹を見るのである。元来麻疹
は発疹する程良いので、発疹不良の結果は毒素が内部
に還元するからそのため肺部に発疹し、それが為呼吸
困難を起し、小児の如きは呼吸が頻繁となる。二、三
日にして次第に常態に復するのである。
「霊的光力」発熱部。
百 日 咳
「症状」強烈な持続性咳嗽(がいそう)あり、白き泡の如きものを
盛んに嘔吐するのが特徴である。
百日咳の咳嗽は、息を長く引く時一種特有の音を発
するのでよく判る。
小児肺炎
「症状」呼吸逼迫。喘音、高熱等。
「霊的光力」乳の下辺の熱い所を背部より霊的光力する。
脱 腸
「霊的光力」腸全体及び局所。
ジフテリア
「原因」猫の死霊の憑依による場合と体的と見分ける
方法がある。それは患者に向って霊射すると、猫の如
きくさめ や泣声をすれば正に猫の霊である。
「症状」咽喉が腫脹し、呼吸困難となり窒息死に至る
のである。霊的光力すれば数十分で治る。
「霊的光力」 咽喉と鼻腔との交叉点と思う処を狙ってやる。
小児麻痺
「原因」本病は真症と擬似とあり、真性は霊的である
が、擬似は薬毒が一部に集溜しているため手足部に支
障を来し、歩行困難や手指の支障を来すのである。
[(病気と霊)中の項目参照]
「霊的光力」 足の疾患は腎臓部及び脚の附根及び患部。手
の場合は淋巴腺から肩腕の頂部、及び患部を霊的光力する。
又さわってみて熱のある所を霊的光力する。
小児病について
供は何かと言うと親の世話になっている内は連絡している。
此の親の罪が移るのである。子供の病気は何かと言うと子が
親の罪を移されるのであります。親に必要な事があっても罪があって病
気になる様な時、其の親を使わねばならぬ用事が出来ている為親
の罪を子に負わせているのであります。親に用事がある時は
其の子に移すのであるが、子の死ぬ場合があるが、是は親の代りになって行く
のであります。
即ち種痘によって母体の体位が漸次低下したからで、弱体母性から
生れる嬰児が同様弱体である事は万物通有の原則である。
そうして尚詳しくいへば、陰化然毒によって低下した体位に薬毒とい
ふ拍車が加はり愈々体位が低下する。故に、其母性から生れた嬰児
であるから、生れるや間もなくそれ等各毒素の浄化作用が発生するのである。
その浄化作用が即ち腸炎、下痢、消化不良となって現はれるのであり、
又感冒、肺炎、気管支炎、喘息等も、麻疹、百日咳、湿疹等々も勿論それである。
よく泣癖の赤児がある、それは虫気の為とか虫が強いとかいうが、
斯ういう赤児を診査すると必ず頭脳及び肩部に微熱がある、赤児で
肩の凝っているものも沢山ある、之等を本教浄霊によれば、毒素は軽減し
無熱となって泣癖は全く治癒するのである、又児童で怒り易く、
親に反抗する性質のものも必ず右の赤児と同様の症状で、之又霊的光力によって
治癒し従順となり、争いを嫌うようになり、学校の成績も可良となるのである、
夫婦仲の悪い原因も同様で、霊的光力によって親和するようになるのである。
根源は頭脳と首肩附近の毒結の浄化熱とすれば、それを全治させる事こそ唯一の解決の手段で
ある。単に小児病といっても、其種類の多い事はよく知られてゐるが、
小児病は突如として発病するものが多く、而も物心のない赤ん坊の如きは只泣く
ばかりで、何が何だかサッパリ判らないので、母親として只困るばかりである。
心得おくべき点をかいてみよう。
先づ子が生れるや、淋毒を予防する為として、眼に水銀注射をしたり、昔からよく
マクニンなどを服ますが、之も異物であるから止した方がよい。
乳も成可親の乳を呑ませるやうにし、母親の乳だけで不足する場合は牛乳やミルク
を呑ませてもよいが、親の乳が出ないといふ事は何処かに故障があるから
で、それは毒結が乳腺を圧迫してゐる場合と、胃の附近にある毒結が胃を圧迫し、
胃が縮小してをり、其為食事は親の分だけで子の分迄入らないといふ、
此二つであるから、どちらも浄霊で速かに治るのである。
それからよく赤子の便が悪いと曩にかいた如く、母親が乳児脚気の為など言はれ、乳を止めさせ
るが、之は誤りで親の毒素が乳に混って出るのであるから、寧ろ結構である。次によく微熱が出ると、
智慧熱とか歯の生へる為などといふが、そんな事はない。ヤハリ毒の為の浄化熱であるから差支へな
い。又乳は誕生頃迄でよく、誕生過ぎても平気で呑ませる母親もあるが、斯ういふ児童はどうも弱いか
ら注意すべきである。
又よく風邪を引いたり、扁桃腺などで熱が出るが、之も浄化であるから結構で、
それだけ健康は増すのである。それから寝冷えを恐れるが、寝冷へなどといふ言葉は滑稽である。
下痢などの場合、真の原因が分らないから作った言葉であろう。
「肩を触って熱のある人は、必ず顳(コメカミ)に熱あり、此熱は意味があって、コメカミに熱があると頭
が重いとか、痛む。子供など癇癪もちである。治療すると性質もかわる。考へがまとまらぬ、
こゝは毒がたまり易い。
[其 の 他]
夜尿症 (寝小便)
「原因 尿道の括約筋の附近に頑固な水膿溜結があっ
て、そのために筋の運動が妨げられ尿が一定量を越え
る時、括約筋の力が乏しく無意識に排泄されるのである。
「霊的光力」 股から膀胱の横とその下、丁度恥骨の所あた
り、眉間及び髄髄部。
神 経 痛
「原因」浄化作用によって毒結が或一部に集溜し神経
を刺戟する為である。
「霊的光力」痛む個所の毒結。脚の場合には鼠蹊部の淋巴
腺及び患部の裏及び肌腎部の直ぐ下の方。
顔面麻痺
「原因」顔面の一部又は数ケ所に毒素が集結し筋肉の
運動を妨げるのである。
「症状」 口唇の左右執れかが引吊り、又眼も引吊り、
痙攣(けいれん)の伴う場合もある。
顔面神経マヒは通常、顔面のどちらか半分に起こります。
症状は、顔の半分が意のままに動かないということで、
その結果眼を閉じることができない、片方の口角が下垂する、
口から水がこぼれる、などの現象がみられます。眼が閉じない
ために眼を痛めることは勿論、容貌(よぼう)に関わることなので非常
にストレスになることでしょう。
「霊的光力」顔面の毒素集溜の個所。
顔面神経痛
「原因」頸部淋巴腺や肩部の毒素が顔面まで移行する
為の痛みであります。
顔面神経は、顔面の筋肉を動かす大事な神経です。
この神経は脳を出てから耳の骨(側頭骨)の中を走行し、
骨から外に出ると、耳下腺の中で眼、鼻、口唇に向かう
3つの枝に分かれて、それぞれの筋肉に分布します。
この神経に何らかの病気が生じると、顔面マヒが起きる
わけです。このように、神経の走る道筋の大部分が耳の骨、
耳下腺、顔面は、すべて耳鼻科の領域内にあります】。
「霊的光力」 顔面を圧して痛む所。
関 節 炎
この病気は、薬毒は神経を使う処に集溜する
ので、手足等は絶えず関節を屈伸させる以上、その部へ集溜する。
しかも昔と違って近来何の病気でも予防でも、矢鱈(やたら)に注射をするので、
それが原因となって関節炎が起り易いのである。
この理によって薬さえ廃止すれば漸次減ってゆくのは勿論
である。
「症状」腕、又は脚の関節部に激痛を起し発熱腫脹する。
「霊的光力」脚の場合は患部の裏と背部の直ぐ下及び腎臓
部、又は鼠族部、腕の場合は患部と腕の附根及び肩。
リョウマチス
「原因」腕、手指、膝等の関節部に毒素集溜し紅く腫
脹し、高熱と共に痛苦甚しいのである。
「霊的光力」腕、手指の場合は淋巴腺(リンパセン)から肩、腕の頂部及
び患部、脚の場合は腎臓部及び脚の附根及び患部。
関節リュウマチ
手首の左右が腫れ、指先が曲っており、
また膝と足首が腫れその箇所が痛みます
原因は薬毒である。薬が関節々々に固まって腫れる。
多少永くかかるのもあるけど、きっと治りますよ。
そして固まってるのほど永いですね。
医療は患部を絶対動かぬよう固める手段を採るので、
固まってしまえば痛みはなくなるが、その代わり関節は動かなく、
棒のようになってしまい一種の障害者となり、
一生涯跛行となるのであるから、恐ろしい病気の一種である。
この点などにみても、医学は病気を治すのではなく、
苦痛だけを治して障害者にする訳である。
ところが霊的光力によれば、いとも簡単に短時日で全治させ得るのであるが、
困る事には氷冷、塗布薬、注射等をした者はそれだけ長くかかるので、
ツマリ散々金を費った揚句 障害者とされるのだから、厄介な世の中である。
従って最初から何ら手当もせず霊的光力のみ施せば、一週間以内に完全に治るのである。」
脚 気
「原因」白米中毒である。
「療法」糠を食後茶を飲む時普通さじに一杯位宛服用
すれば大抵一週間にて全治する。
「注意」真症脚気の特徴としては、膝下前面内側俗に
言う向う脛の内側と、掌の栂指の附根及び下唇の三ケ所の麻痺である。
擬似脚気の原因は腎臓の余剰尿及び注射の薬毒である。
疥 癬
「原因」種痘による陰化然毒の浄化である。
「霊的光力」手、指、腕の場合は頭部及び首及び肩。脚の
場合は鼠蹊部、下腹部、腰、胃部又は背中。
赤 痢
「原因」頭を使うので、頭に毒血が上り、前頭部にゆ
かない中に、後頭部にて固結した毒素が溶解、腹部に
下って排泄される。
「霊的光力」後頭部を主に、背中及び腹部を霊的光力する。
水 虫
「原因」霊的には犠の様な微生物の霊の憑依であるが、
治りずらいのは薬毒の為である。
「霊的光力」患部。
ヒョウ疽及び脱疽
「原因」薬毒の浄化
「霊的光力」ヒョウ疽の場合は頸部淋巴腺及び肩、頭部、脱疽
の場合は鼠族部の毒結部。
舞 踏 病
「原因」之は暇さえあれば動いている様な特殊な動物
の霊の憑依による。
「霊的光力」前頭部の中心と首の周固及び背面から腎臓を霊的光力する。
低 能 児
「原因」鼻にある。
「霊的光力」前頭部をよく霊的光力し、鼻で呼吸が出来る様にする事である。
しもやけ
「霊的光力」手の場合は肩、脚の場合は鼠蹟部。
吃 音(どもり)
「原因」頭脳及び舌、顎の下に毒があるので、そのた
め頭の意志が舌まで伝わるのに手間がかかるのである。
「霊的光力」頭部、特に後頭部及び顎の下。
誰でも太れる法
世間生れながら痩せている人があるが、この様な人
の肩を見ると必ず固く石の様になっているもので、そ
の部に必ず微熱があり、その微熱のため食慾が衰え、
細胞が消耗される為であるから、右の塊りを霊的光力に
よって溶かすと、その部が段々軟かくなるに従い食慾
が増して来、それにつれて太ってくる。
[病 気 と 霊]
病気とは浄化作用の発生とその過程である事は詳細
解説した通りであるが、茲に霊に依る病気も相当多い
事を知る必要がある。之等も昔から相当唱えられて来
た事で、特に或種の宗教の如きは、病原の殆んどは霊
作用としている位であるが、霊作用と浄化作用と両方ある。
両者は実に密接不離の関係にある事を知るのである。
何となれば病霊憑依は病者の霊体の曇りの部分に限られ
るものであるからである。
故にその曇りの解消により或程度浄化されたる霊体に
於ては、肉体の病患も無くなるのみか病霊の憑依も不
可能となり、心身共に健康者たり得るのである。
肺 結 核
「原因」結核によって死亡した霊が霊界に往き霊界生
活に入るや、孤独に堪え難い為生前親しんでいた兄弟、
姉妹、友人、夫、妻等を自分の方へ引き寄せようとす
る、その為の憑依である。
精 神 病
「原因」毒結による頸部周囲の血管圧迫の為の脳貧血
である。それは左側髄髄部の固結の圧迫が主で、次は
左右何れかの頸部淋巴腺及び頭脳全体の毒素の影響で
あり、外的には精神的打撃即ち心配事である。血液そ
のものは物質であるが、之を霊的に観る時、活力の源
泉である霊細胞で、日わば霊の物質化が血液である。
従而純血であれば霊細胞は濃度であり、貧血又は濁血
は霊細胞も稀薄である。元来憑依霊なるものは霊細胞
が稀薄でなければ憑依出来ないもので、稀薄の程度に
比例する。判り易くいえば霊細胞が充実し十の場合は
絶対憑依出来ないが、それが九となれば一だけ憑依出
来、八となり七となり五となり四となれば、憑依霊は
六を占領する。即ち本霊四、憑依霊六となるから憑依
霊の方が勝ち人霊が負ける結果憑依霊の意の儀となる。
それが精神病である。精神病の場合は狐霊が殆んどで
稀には狸霊や竜神等もある。
「症状」初期の症状は霊によって種々様々であるが、
殆んど不眠が特徴である。
「霊的光力」前頭部の中点、首の周囲の毒結、後頭部(主
として髄髄部)
癲 癇
「原因」精神病と等しく原因は憑霊である。ただ異る
処は癲癇は一時的、発作的であることとその症状が多
種多様である事である。そうして癲癇の殆んどは死霊
の憑依であるから、発作するや死の利那の状態を表わ
すのである。
例えばよく泡をふく、之は水死霊で俗に水癲癇であ
り、火癲癇は焼死者の霊であり、又脳溢血によって急
死した霊も多いが之は半身麻痺状態になるからよく判
る。その他変死者即ち轢死、縊死、銃死等々で、凡て
は死の刹那の苦悶の状態そのままを表わすのである。
夢遊病者といって発作するや自己意識を失い家を飛
び出し、所定めず彷徨するという始末の悪い症状もあ
るが、これらも一種の癲癇であってこの憑依は幼児の
霊である。
「霊的光力」前項精神病に準ず。
小児麻痺
「原因」多くは脳溢血等で急死した霊の憑依である。
何故死霊が憑依するかというと、重症脳溢血は発病と
共に死の転帰が速かなる為霊は死の覚悟がないから、
霊界人となってもその想念は生きている積りでいるが、
肉体が無い。従而無意識に肉体を求めるが、その場合
他人には憑依出来ないから近親者に憑く。なんとなれ
ば近親者は凡て霊線の繁りがあるからその霊線を辿っ
て憑依するのである。そうして死霊憑依の場合、成人
者より小児の方が憑依し易い事と、偶々感冒等にかか
り、高熱、食慾不振等の衰弱時を好機とするのである。
その場合祖父母の霊は孫に憑る事が多く親の霊が子に
憑る事は少いのである。右の外変死の如き突然死の霊
も憑依して小児麻痺となる事がある。
「症状」脳溢血と同様で言語不能、半身不髄等である。
そうして発病は幼児と少年期とが多く風邪の高熱時等
を契機として憑依する。
「霊的光力」頭部及び首や肩等の患部。
胃 癌
「原因」竜神の再生者に多く前世竜神時代の罪穢に因
るのである。竜神は蛇であるから多くの生物を呑み、
その多数霊の怨霊(おんりよう)が残存し人間に再生してから執拗
に苦しめる為で、その霊の物質化が癌と、そうしてヌ
ラである。故に真症胃癌老の面貌は殆んど竜神型であ
る。霊的光力による時、患者の衰弱が甚しからざる限
り治癒するが、症状により相当長期間を要するもので
ある。
此病気も真症と擬似と両方ある。真症は霊的である
からそれを書いてみよう。此病気は胃部に固結
が出来るのであって、初めは気のつかない位の
小さなものが漸次膨大して終に拳大又はそれ以上
に及ぶものさへある。そうして右の固結が胃又は
幽門を圧迫するので食欲不振となり、痛苦を伴ひ、
衰弱の結果死に到るのである。右の固結は頗る硬度
であって、大なるものは固結が集合してゐる如く指頭
を以て探れば、柔軟なる中に多くの硬い大小の塊がある。
そうして真症胃癌の特異性としては、末期に到るに従ひ、
頻繁なる嘔吐がある事である。其場合、吐瀉物は透明なる
ヌラであって、その量の多き事おどろくべき程で、
殆んど無限とさへ思はるる位である。言ふ迄もなく
此ヌラは、癌から発生する毒液であって普通は無臭
であるが、稀には甚だしき有臭のもある。
此ヌラが常に胃中に充満しそれが食欲を絶無ならしめるので、
止むを得ず此場合患者はサイダー又は番茶の如き飲料
を飲み、それを誘引物として、態(ワザ)と嘔吐を促させるのである。
それによって数回以上の嘔吐をなし、胃中のヌラが減少するに於て多
少の飲食物を摂り得るのであるから、実に悲惨な症状である。
此病気を霊的に考察する時、次の如きものである。
それは、此病気に罹る人は龍神の再生であって、
龍神時代その特性である多数の生物を呑んだのが原
因である。それが龍神の霊体に於ける丁度人間の胃部に
相応する局所に呑み込んだだけの生物の霊が、怨恨の想念
を懐いたまま滞溜する事になるのであって、それ等の霊の
怨念の物質化したものがヌラとなるのである。此理によって、
真症胃癌の患者の面貌は、龍といふ感じが非常にするのである。
然るに、霊的光力によって腎臓治療をなし、腎臓の活動が
旺盛となるに従ひ、癌毒が漸次軽減し、固結は柔軟となって縮小し、畢に治癒するのである。
擬似癌に於ては、患部の状態が右と同一のやうに観ゆるが、
これは単に普通の尿毒の固結であるから、ヌラは全然ないのである。
故に、治癒も普通疾患の如く容易である。
真症胃癌の原因である憑霊の事をかくのであるが、此霊は殆んど蛇の霊である。蛇
が其人の前生の時か又は祖霊に殺された為に、其怨霊が恨みを返へさんが為憑って
苦しめるのであって、此症状は主に腹部全体に亘り、形は小さいが蛇の如く、
或時は丸く、或時はクネり長くなり、恰度泳ぐやうに移動するのである。其際激痛、
不快感、食欲不振等もあり、注意すれば其位置も判るのである。
何しろ霊であるから、切開しても診断の時は確かにあった筈のものが、見付からないのは、見えざる蛇霊
であるから移動しても分らないからである。元来蛇なるものの性格は、非常に執着が強いもの
で、右の如く今世までも追及し、復讐するのである。然し此癌は割合治り易い
ものであるが、同じ蛇霊でも非常に悪性なのがある。之こそ最初人間が前々生に
於ける執着の罪によって、畜生界に墜ち、蛇となって再生するのである。
処が其蛇が生きてる間に、多くの種々の生物を呑む為、其生物の怨霊が凝って蛇の腹中
に宿った儘、今度は人間に再生するのである。従而、其生物の集団怨霊が、復讐的に苦しめ
やうとする。其苦しみが人間に移写するのであるから、実に厄介なものである。
そうして此症状は中年期迄は余り発生しないが、其頃から以後になると、
猛威を呈し始める。最初は食欲不振、痛み、不快感等であるが、進むに従って、
触れれば判る程の固結が一個乃至数個出来、嘔吐もするやうになる。一層進むと胃中にヌラが発生し、
漸次増へてゆき、遂には胃の中全部にヌラが充満する。
そうなると全然食欲がなくなるから仕方なしに指を突込み、無理に吐くやうにすると
若干吐いてヌラの減っただけ、胃に空虚が出来るから、流動食が入るのである。
そんな訳で漸次食事不能となって、衰弱死に至るのである。此ヌラといふのは右の
怨霊の物質化であるから、ヌラの多いのは多く呑んだ訳である。之にみてもヌラを吐く症状は、
真症胃癌と思えば間違ひない。
然し稀には胃癌でなくて、ヌラを吐く場合もあるが、此ヌラは頗る稀薄であるから、
よく分る。先づ濃いヌラを吐く症状が真症胃癌と思えば間違ひないのである。
「霊的光力」胃癌の項、参照。
「霊的光力」※ 御神体奉斎、祈言奏上、御神書の音読、慰霊祭、徳積み等
カリエス
「原因」脊髄カリエス、腰骨カリエス等である。霊界
に於て多数の祖霊が苦しみ罪穢の浄化作用が行われる
場合、その罪穢の悉くを払拭する事は出来ない。そこ
で罪穢の残渣が生ずるので、それを子孫が分担する事
になるわけで、その場合子孫の誰かが選ばれてその犠
牲者となるが、一家の主人を犠牲者にする事は不都合
を生ずるので、大抵は青少年子女又は妻女を身替りと
する。そうしてその残渣は患者の頭脳に向って絶えず
霊的に流入する。それが脊柱又は腰骨へ流下し物質化
する。それが膿である。
「霊的光力」頭脳及び腰から腎臓部にかけて霊的光力する。
眼 病
「原因」霊的な失明の原因は蛇霊の憑依である。それ
は蛇を殺す場合、多くは急所として顔部を打砕くから
眼球も共に滅失するので、それが憑依する以上盲目と
なるのである。その他夜盲症一名鳥目は鳥類の霊の憑
依であり、色盲は動物が人間に再生する場合未だ動物
の性能が残存している為である。
聾 耳
「原因」一、は前世に於て変死による鼓膜の喪失が霊
界に於て完全に復せずして再生する場合で、二、は木
竜の再生又は憑依の場合である。
便 秘
「原因」霊的便秘は幼児に限るが、生れるや最初から
の便秘症がある。この原因は前世に於て便秘症のまま
死亡した霊の再生である。漸ういう赤児の顔は成人者、
特に老人の如くであるからよく判る。放任しておけば
普通、一、二ケ月後には常態となる。
ジフテリヤ
「原因」猫の死霊の憑依が多く、この場合霊的か否か
を見分ける方法がある。先ず患者の鼻に向って霊射す
ると、猫の如きクサメや泣声をすれば、それは正に猫
霊である。
生 霊(いきりょう)
生霊はその殆んどは男女関係が原因で、善悪の二種
がある。善の方から言えは純なる恋愛、例えば男が女
を愛する場合、その生霊が女に憑依すると、女は一種
の快感を催すものであるが、それは女もその男を愛し
ているからで、もし愛してない場合、即ち一方的愛の
生霊は反対に不快を感ずるものである。そこに相愛と
片愛との異いがある。次に悪の場合は本妻と妾との霊
的葛藤などが最も多い。例えば一方が一方を呪う場合
と、両方が呪い合う場合とがあり、全く修羅道である。
そうして呪われる結果としてブラブラ病の如きものに
罹る。これが重症に進み生命を奪われる事さえある。
然るに斯かる霊が霊界に往くや復讐せんとして生残っ
た相手をたおす事がある。勿論霊的で見えざる事とは
いい乍ら、一旦夫婦の道を外し妾など蓄える結果、子
女の生命まで犠牲にするに到っては、その罪軽からず
大いにつつしむべきである。
そうして死霊の憑依する場合は悪寒を感じ、生霊の
場合は反対に温熱を感ずるものである。
狐霊について
稲荷へは天津祈言を奏げて、言葉をもって、この家へおいてもらいたければおとなしくしなさい。
災いをするなら、速かに帰りなさいと言ってやればそれでよろしい。
後、なにか要求しても言うことを聞いてはいけない。
ただ、差し支えない願いなら聞いてやってもいいが、無理な願いならよく道理を説いて、
たしなめてやればそれでいい。
あまり狐霊の言うことを聞くと、だんだん図に乗るから、限度を決めて、それ以上応じなければ、
狐霊は諦めてしまうものである。
総まとめ
背中は霊、腹は体である。
背中から腎臓、腰等、後ろの方を霊的光力するとよく治る。
人間は霊と体で成立っているから体のみでは解決しない。
霊を無視して体のみでは治らぬ。
腹をやっても治らぬ。腹膜も背中である。
感情は霊で理性は体である。
心臓は日になり肺臓は月になるから、心臓の働きを旺盛にしなければ回復しない。
狐などは理性の本拠をとる。
煙草をのむと鼻の神経を刺激して頭部へ働く。
実行は腹で、頭と相談し合っている。
智慧は頭、感情は後頭部、勇気は腹である。
科学は宗教の一部なりというのが本当である。
仏教に徹底すると極めて隠遁的となり、科学文明を嫌い、否定する事になる。
よく箇所箇所と言うが、因です。手の先らが悪いのは、頸部淋巴腺にあるんです。
いわゆる頸(くび)のまわりです。足は、足の付け根と頭をする。その、因をやるんです。
手の先が悪いと言って、手の先をやっても、たいした効果はない。
体全身の急所は頭であり、手の急所は頸部淋巴腺が第一です。
手はすべて肩に元があるから、肩部をやらなくてはならい。
(腕の付根)その元は頸部(耳下腺)、その奥は頭である。
足は、付け根。胃の方の急所は腎臓と、その急所さえ心得ていれば、なんでもない。
部分的固まりは二本の指で中指から霊的光力を出すようにするとよいです。
この指から出る霊は強いですから、小さい固まりはよく溶けます。
医学には種々の科目がある。
内科、外科、脳神経科、泌尿器科、皮膚科、婦人科、小児科、眼科、耳鼻咽喉科、
歯科というようにそれぞれ専門部門に分れている。
また右の科目中、内科にしても結核、胃腸病、心臓病等、それぞれ専門的に分れている。
そうかと思うと、基礎医学と称し、学問的研究にのみ一生涯没頭している人もある。
彼のモルモットや二十日鼠を相手に毎日顕微鏡と首ッ引きで余念がない。
世間よくモルモット博士などと言われているのは誰も知るところで、その他臨床専門で、
読んで字のごとく、直接病人の脈を年が年中とっている人もある。
また予防医学といって主に伝染病予防をはじめ、社会衛生、個人衛生等に専念している人もある。
次に療法においても色々の種類がある。薬剤の服用注射は固(もと)より、手術、電気、
マッサージの外、光線療法、物理療法、精神療法等々があるかと思えば、皇漢医術あり、
各種の民間療法あり、禁厭(まじない)、祈祷(きとう)宗教による事もある。
ザット数えただけでも右の通りであるから、実に複雑多岐種類の多い事驚く程である。
このようになった原因は、全く本当に治るものがなかったからで、もし真に治る療法があったとしたら、
それ一つで解決がついているはずである。
そうして医学の最も間違っている点は、人体を人形と同様に見る事である。
というのはそもそも人体なるものは、一個の綜合体であって、四肢五体はバラバラのものを、
繋ぎ合わせて作られたものではない。
従って一部分に病気が発るという事は、その部分だけではなく、各部分に関連があるのである。
例えば手足が悪いという事は、手足だけが悪いのではなく、手足以外の他の部分すなわち甲の部分に原因があり、
それが乙に移り、また丙(へい)に表われるというようにどこまでも連繋している。
仮に歯が弱いという事は、全身が弱いからで、全身が弱いまま歯だけ丈夫にする事は絶対不可能である。
女性の結核患者の病気が進むと、必ず無月経となるが、これも結核による貧血のためであり、
腸が弱い人は必ず胃が弱く、胃の弱い人は肺が弱く、肺の弱い人は心臓が弱いというようにどこまでも相互関係である。
一番判り易い例は仮に人間を一国家としても判る。その国家の政府の政策が悪ければ、
国民全般が悪影響を受けると同様、人体の中央政府である心臓が悪いとしたら、身体全部が悪くなる。
国家が不景気、金詰り、物資不足等というのは人体なれば栄養不足で貧血状態という訳である。
そうして単なる痛みといえども、それが頭脳を刺戟し、心臓に影響するから、胃にも影響し、
食欲不振となり、腸が弱り、便秘、疲労等、全身的に影響を及ぼすのである。
また肺炎に罹るや、もし肺のみの病気とすれば、肺だけの熱で、他に影響はないはずだが、
実際はその熱のため全身的に苦痛が及ぶに見ても明らかである。以上!!
〇腎臓疾患(じんぞうしっかん)
腎臓(じんぞう)というものは「物を洗う水の働き」をするものであります。
それで、心臓が熱を吸収して毒素を燃焼すると灰が出来るから、その灰のようなものを水で洗って流す。・・
それが腎臓の役目であります。
ですから、毒物に中(あた)ると、非常に下痢をしたり、小便が沢山出る。
その際尿は、腎臓が洗った汚水であります。
昔は腎虚などといって、精液を造る器械といったものですが、その補助はするが、作り出すものではないのであります。
それで、大熱の出た後などはよく腎臓病を起しますが、それは心臓熱で燃焼した灰が尿に混って出るので、これを蛋白(たんぱく)といい、
病気と思うのでありますが、実は浄化作用の残渣(ざんさ)であります。
牛乳を飲むと蛋白が少くなるというのは、腎臓を弱らすから、洗う力が少くなるからであります。
又、窒扶斯(チフス)や猩紅熱(しょうこうねつ)、扁桃腺炎の後など、よく腎臓が悪くなるといいますが、
これは腎臓が悪くなるんではない、ヤハリ病素の洗い渣(かす)が蛋白となって出るので、非常に結構な事なんで、間もなく治るのであります。
これ故に蛋白の出るのは決して悪い意味ではないのであります。
腎臓は、そういう訳で、水の方の浄化作用の役目で、心臓は火の方の浄化作用の役目であります。
ですから、心臓と腎臓は、重要な夫婦役になります。
それで、心のシに濁りを打つと腎の、ジとなっているのも面白いと思うのであります。
又こうも言えます。心臓は火、肺は空気、胃は土、腎は水の役であります。
又、腎臓と肺臓が水で、心臓と肝臓(かんぞう)が火の役とも言えるので、又、心臓が霊で肝臓は体、肺が霊で、腎臓は体とも言えるのであります。
腎臓病にも種々あります。
腎臓結核、萎縮腎、腎盂炎等であります。
よく萎縮腎を腎臓結核と誤られます。
本当の腎臓結核は、右か左かどっちかの内部に水膿が溜結し、それが化膿して痛みを有(も)つのであります。
そうして、普通は膀胱へ移行するもので、非常に悪性で、小便に血液が混るのであります。
そうして、膀胱結核から摂護腺、睾丸へまで移行し、最後に到って睾丸は糜爛(びらん)するのでありますが、こうなれば間もなく死に到るのであります。
又腎臓をよく手術によって剔出(てきしゅつ)しますが、多くは予後不良であります。
次に、萎縮腎は、水膿溜結が腎臓を圧迫するので、腎臓は充分の活動が出来ないので、その為尿が溢れる、その尿が毒素となり、又は浮腫になるのであります。
この診査は、腎臓部及び付近を指圧すれば必ず痛む個所があります。
そうしてこの溢出した尿中の毒素を医学では尿酸といいますが、私はこれを尿毒といっております。
独逸(ドイツ)のある学者は、「万病は尿酸が原因である」ともいっています。
今もこの説は相当認められておるようであります。
リョウマチスで、赤く腫れないのはこの尿毒が原因であります。
私はこれを腎臓性リョウマチスと言っておりますが、非常に治り易く、この尿素は割合に弱性で、溶解し易いものであります。
尿毒というものは、あらゆる病気になります。
よく腎臓が悪くて肩が凝る人がありますが、これは矢張り、尿毒が肩へ集る人であります。
足が重倦(おもだる)く痛む人など、皆この尿毒が下の方へ垂溜する為であります。
最も多いのは、尿毒が腹膜へ溜るので、そしてそこで凝る。
これは、腹部を圧すと必ず痛む所がそれであります。
この尿毒は、肋膜、喘息の原因となる事もあります。
ですから腎臓の為に喘息を起し、喘息の為に心臓病が起るんですから、間接には、腎臓が心臓病の原因になる訳であります。
腎臓の原因で脚気と似ている症状を起す事もあります。
これは割合多いので、あるいは真の脚気より多いかも知れないと思う程で、足が重く腫れたりなどして、脚気のような症状を起しますが、脚気とは全然異う。
これを「腎臓脚気」と言っております。
腎臓の周囲へ水膿が溜結すると、浄化作用によって発熱する。これを腎臓炎又は腎盂炎と言います。
腎盂炎の症状は、腎臓部の痛み、腫れ、発熱等で、又特徴として脚力が無くなり、歩行不能になるのでありますが、これは頗(すこぶ)る治り易く、普通二、三回位で全治するのであります。
霊的光力によれば、腎臓に関する疾患は非常に治り易いんで、ほとんどの腎臓的疾患は百パーセントの治癒率であります。
〇糖尿病について
糖尿病というのは、膵臓(すいぞう)ってのがあってこれが糖分を処分する働きをするんですが、
そこに毒素が集まって膵臓が圧迫されると、糖分が体にまわらずに小水になって出てしまうんです。
そのために糖分が不足するのでまた糖分を要求する、要求するから食べたくなるんです。
だから甘いものを食べたらいいんですが、他のものでは糖分が少ないからどっさり食わなけりゃならないんです。
だから食べたらいいんです。・・・
なんと言っても糖尿病を治す一番いい方法は膵臓の所の毒をとることなんです。
これは霊的光力すれば簡単に治ります。
医学でも、かまわずに糖分を摂(と)らせて治す療法がありますが、これは気がきいてます。
糖尿病は、甘い小便が出るとしてあります。
症状は、疲労感と、喉が渇くのと、尿の排泄多量と、尿意頻繁とであります。
又、歯の脱落も特徴であります。
この病は、患者自身の発見ではなく、医師に言われて知る人が大部分であります。
この病の人を診査しますと、必ず胃から肝臓、腹膜にかけて水膿溜結があるのであります。
そういった機能が一帯に圧迫されるのが原因であります。
特に、肝臓部が割合に酷(ひど)いのであります。
膿結を溶解するに従い段々治ってゆきます。
割合治りいい病気であります。
治癒の状態は、喉が渇くか渇かぬかで最もよく判るのであります。
又、夜中に小便に行かなければ治ったとみてもよいのであります。」
なお医師で尿の検査をすれば確実であります。
〇中体の上部・中部
「中体の上部と中部は、病気が関連していますから、上中一緒にして説明致します。」
「肺結核及び喘息」
「中体の主要機関は、何といっても肺であります。
右肺は大きく左肺は小さい。それは、心臓が左にある為で・・・
心臓は日に相応し、肺臓は月に当る事は前にお話致しました。
症状としては、微熱又は高熱、咳嗽、喀痰、血痰、喀血、食欲不振、下痢、盗汗、息切、疲労、胸痛、首及び肩の凝り・・・等であります。
まず、発熱の原因は種々ありますが、その「熱発部」としては・・・淋巴腺及び耳下腺、頸腺、首の付根、肩部、脊(背)部、胸部、腹部、腰部・・・等であります。
診査の際、掌を宛(あ)てれば、熱のある個所はよく判るのであります。
その熱発部を指査し、特に痛む個所は・・・水膿溜結であって、それを溶解すべく「熱の工作」が起りつゝあるのであります。
胸部の熱発は、胸骨に水膿が溜結している証拠であって、指圧すれば必ず痛みがあります。
これらの症状の場合・・・まず「肺尖加答児」又は「肺門淋巴腺」・・・といわれるのでありますが、吾々の見る所では・・・この際肺には未だ異常はないのであります。
いわゆる、肺患になるまでの順序を述べてみましょう。
最初、浄化作用に因る水膿や毒血が頸部の周囲に滞溜しますが、それの浄化作用が風邪であって、それを繰り返しつゝ胸部の水膿溜結にまで及ぶ、
順序は「病気の本体」の項目に詳しく述べてありますから略しますが、それから進んで心窩(しんか)部の両側・・・臍部辺にかけて水膿が溜結する。
これが喘息の原因であって、咳嗽や息切がおこるのは勿論、喀痰も伴うのであります。
なお進んで腹膜部まで水膿溜結するので・・・それが腸を圧迫し、又は水膿排除作用によって、下痢症を起すのであります。
肺患の場合の咳嗽も、ほとんどこの喘息の為が大部分であります。
もっとも肺患そのものからの咳嗽もあるにはありますが、それは肺炎の予後「肺臓内に残存せる喀痰」による場合と・・・
肺壊疽(えそ)、肺臓癌、粟粒(ぞくりゅう)結核などであります。
もっとも「頸部、肩部、胸部における熱発」による咳嗽などもありますが、それは軽微であります。
ここに喘息についてお話致します。
この病気は誰しも咳が出る為、気管がわるいように思いますが、原因は意外にも気管ではなくて、前述の個所であります。
故に、この部を指査しますと、水膿溜結がアリアリ判って、相当痛みを感ずるのであります。
これを溶解するに従って、漸次、咳嗽は減少してゆくので、指圧しても無痛になった時は咳嗽も消滅した時で、昔から不治とされた喘息も、霊的光力をすれば確実に全治するのであります。
この病気は、最も治癒し難いとされておりますが、実験上まず七十パーセント位は治るのであります。
そうして、衰弱がはなはだしくない限り順調に治癒しますが、相当の日数即ち普通二、三ケ月から六ケ月位を要するのであります。
肺壊疽、肺臓癌、粟粒結核等は、稀な病気ですが、悪質であります。
初期なら全治するが、二期以上はまず不治と見なければならないのであります。
この病気は、徹底的説明をするには、どうしても現代医学を非難する事になりますから、徳義上、差控(さしひか)えたいと思うのであります。
宜しく、実験によって知るより致方ないのであります。」
〇腸疾患
腸疾患で一番多いのは盲腸炎であります。
盲腸炎は、霊的光力では実に容易に治るのであります。
場所はちょうど、臍の一、二寸下から右の方へ寄った所で、医学でいう虫様突起部で、これへ膿が急激に集溜するのであります。
症状は、非常に痛んで熱が出る。
普通手術によって、虫様突起及び膿を除去しなくては生命が危いとしてありますが、本療法では驚く程速かに治ります。大抵二、三回で綺麗に治るんであります。
そうして何の為に膿が盲腸へ集溜するかといいますと、浄化作用によって、便通で排除されようとする膿が一旦盲腸に滞溜するのであります。
そうして一層排除し易からしめん為、高熱で溶解するので、溶解膿が下痢によって排除されるのであります。
この様な訳ですから、自然療法で安静にしておれば、一週間位で確実に治癒するのであります。
世人はこの事を知らないから心配して手当などする。
特に氷冷しますと膿がそこへ固まってしまうので治癒困難になり、生命の危険さえ生ずるので、止むを得ず切開除去しなければならないようになりますから、
手当をするならむしろ温罨法(おんあんぽう)の方がいいのであります。
次に最も多いのは、腸加答児(カタル)でありましょう。
これは大腸加答児と小腸加答児とあります。
大腸の方は重く、小腸は軽いのであります。
原因としては、二種類であります。
一は、自然浄化作用に因って、膿が下痢となって排除される場合と、一は、毒物を食った為の中毒作用であります。
ですから、毒物を食った覚えがなくて下痢するのは、浄化作用に因るものと思えばいいのであります。
霊的光力によれば普通一、二回で治ります。
この外に長く肺を患い慢性下痢になったのは別で、喘息及び腹膜炎、腎臓等の水膿溜結を溶かすと下痢する事があります。
よく腸炎という事をいいますが、腸に熱がある場合は、そこに毒素があるので、浄化作用をやれば順調に治ってしまいます。
次に、腸窒扶斯(チフス)は、未だ治療した事はありません。
なぜなれば、あれは腸へ熱を持つのが最初ですが、その時治療すると速に熱はなくなるから、腸チフスになるかも知れぬものでも、それで治ってしまうらしいのであります。
又、本当にチフスになったものなら、病院へ入らなければならないから、私の方へは来ない訳であります。
そうしてチフスには、パラチフスと普通のチフスとの二種あります。
パラチフスは、軽症で発疹があるのです。チフスは熱が高いのが特徴で、四十度以上の熱が一週間以上も続く、そしてたおれるのは腸出血の為であります。
これの原因は、腸の内壁の粘膜に黴菌が繁殖して微小な孔(あな)を穿(あ)ける。
その孔へ固形物が触れるから発熱し、重症になれば、穿孔が進んで出血するというのであります。
この医学の説明は本当だと思います。
この病気は、医療においても、無薬で、流動食のみで自然療法をしますが、この方法は確実で成績も良いのであります。
次は腸癌ですが、これは直腸に出来易く、直腸から大腸等へ移行して相当大きなものになる場合があります。
絶対治り難いとしてありますが、本療法で非常に治り易いのであります。
軽症で一ケ月ー重症で三ケ月位であります。
医学の方では、腸癌を手術する場合は、肛門から孔を穿けて、そうして閉塞させ、人工肛門を横腹等へ付けるのですが、そこから始終糞が出て、実に悲惨極まるもので、
とても臭くて側へも寄れぬのであります。次に、悪性の腫物が腸内に出来るのがあります。
癌とよく似て、医学では肉腫といっております。
これも非常に治り難く、ほとんど不治とされてありますが、霊的光力によればやはり腸癌と同じく順調に治るのであります。
腸結核は、慢性下痢症で、無痛と有痛とありますが、衰弱が少なければ、容易に一、二週間位で治りますが、衰弱のはなはだしいのは治癒困難の場合があります。
腸結核は、肺結核の末期に多いので、腹部を触ってみると非常に熱い。
肺結核と併発性のものは、特に不良であります。
直 腸 癌
之は直腸部に癌が発生し移動性ではなく、固定的である。直腸は糞便通過の管であるから、便の通過が妨げられるので、医療は手術によって癌を切り除るので、糞便の通り道がな
くなるから、腹部の横の方に、人工肛門を造るが、之程始末の悪いものはない。何しろ開けっ放しであるから、糞便が溜るだけは、其穴へ絶へず出て来るので、赤子のやうに始終オシメを当てねばならず、
動作によっては腸がハミ出る危険があるので、其辛さは並大抵ではない。大体の人は死んだ方がましだと歎声を漏らすが、稀にはどうやら泣き泣き相当生きてる人もある。此原因は前生時代、人の罪穢の浄
化を妨げる行為、つまり罪人から賄賂を取って許したり軽くしたりする行為の罪や、欲の為人に醜行を行はしたり、見逃したりした罪等である。
「霊的光力」個所は一般腸癌の項を参照。
「霊的光力」※ 御神体奉斎、祈言奏上、御神書の音読、慰霊祭、徳積み等
〇腹膜炎
これは、水が溜るのと、膿が溜るのと二種あります。
この点ちょうど、肋膜と同じようであります。
そして膿が溜る方がズーと治りいいんであります。
膿の溜ったので随分酷いのがありますが、割合順調に治るのであります。
そうして今日、大抵の人は極軽い腹膜炎に罹っているものであります。
それは臍の周囲を圧してみて痛くないという人は滅多にありません。
そこの痛い人は必ず腹膜へ膿が溜って固まっているのであります。
水の溜るのは、早期ならよく治るんですが、相当日数を経たものは、容易に治らないのであります。
原因としては、肝臓の周囲へ水膿溜結し、その為、腎臓が圧迫されるから、尿が溢出(いしゅつ=炎症の際に血管内から周囲の組織へと細胞が移動する現象)して腹膜へ溜るのであります。
相当溜って時日を経過したものは、深部が化膿して固まっているので、こうなったのはほとんど不治とも言うべきであります。
そうして、最も悪性なのは、肝臓痛が原因での腹膜炎で、不治であります。
ですから、腹膜患者は、肝臓部が痛むかを査べる必要があります。
押してみて痛めば、肝臓からの腹膜炎であります。
〇腹膜炎の霊射の急所
腹膜炎は腎臓が大切、そのほかは背中の真ん中をよくやる。腹膜炎で黄疸を併発するとたいてい助からない。癲癇は治療すると発作が一時ひどくなります。
腹膜炎で黄疸をやると、黄色の水と腹水と一緒になって溶けにくくなるから、黄疸を併発したら駄目です。化膿性腹膜炎は小便が溜まり、やがてそれが膿になるんです。
腹膜炎は水の溜まらぬように腎臓をよくやる。殊に右を主にして、重ければ一日五、六回以上やるとよい。
腎臓をやるときは布団か畳をやるような気持ちで狙うと、霊が腎臓に集中します。
肝臓が尿素を腎臓に送る場合、癌の為、腎臓への送流を遮(さえぎら)られる結果、肝臓から直接腹膜へ尿素を溢流するのでありますが、
腎臓からの尿は稀薄ですが、肝臓からのは濃厚である。
それが為重症である訳であります。
又利尿剤を続用したものは逆作用が起っておりますから、非常に執拗(しつよう)で治り難いのであります。
腹膜炎は、よく肋膜炎を併発する事があります。
又肋膜炎から腹膜炎に移行する事もあります。
腹膜炎のひどくなったのは随分大きくなります。
臨月の腹の大きさよりもっと大きくなります。
よく破れないと思う位であります。
又、卵巣が腫脹して、腹膜炎と同じような症状になります。
これの悪性は極端に膨脹し、ついに破裂する事がありますが、破裂すれば、汚水が排泄されて速かに治癒するのであります。
この際医療による切開法も効果があります。
〇腸痙攣(けいれんせい)
これは、腸が非常に痛む病気で、これは物に中(あた)った場合と、水膿溜結が腸の蠕動(ぜんどう)と触れ合って痛むのとあります。
後者は、胃痙攣の場合と同じ様なものであります。
軽症は一、二回、重症は一ケ月位で全治します。
〇腸 撚(ちょうねん)
これは、腸が撚(ねじ)れるといわれていますが、非常に痛む。
そして水一滴飲めないのであります。
腸が撚れるので、その為、腸穴が塞がるからで、
一週間以上も飲まず食わずで苦しみ、ついにたおれるんであります。
これは助からぬとしてありますが、霊的光力では一週間以内で容易に治るんであります。
〇胃 癌
この病気は余程前から世界中で研究しているが、原因はどうしても判らない。
それで現在は、癌を治療する研究ではなく、癌を発生させる研究をしている実状でありますから、
まず治療法発見までには、今後何十年あるいは何百年かかるか判らないのであります。
しかるに、霊的光力では現在完全に治癒する事が出来るのであります。
ここでその癌の原因と発生の経路をお話致します。元来、癌なるものは、青年期には発生しない。
四十歳以上でなければおこらないという事実でありますが、これはどういう訳か。
この点から解決されなければならないのであります。
それは、人体内にある毒素が、自然浄化作用によって常にいずれかに集溜しようとしている。
しかるに、集溜作用は運動等に因る・・・神経活動の部に限るので、青年期には全身的活動旺盛の為、四肢五体に分散するのであります。
しかるに、老年期に近づくに従い運動不足になる結果、毒素は一部分に集溜しようとします。
即ち、運動不足者は、肺、心臓は余り活動しないから、どうしても、胃の部に集溜するのであります。
そうしてその毒素なるものは水膿でありますから、それは時日の経過によって固結してゆき、進んで化膿性になります。
この化膿した一種の内部腫物は、胃の外壁から内壁へと蝕入(しょくにゅう)してゆく。
これが胃癌になるまでの経路であります。
診査の場合、胃部を圧して痛い塊のあるのは、まず「癌の卵」と思えばいいので、普通、心窩(しんか)部から臍までの間の中央線が主で、次がその両側であります。
しかしながら、胃部に滞溜した水膿も、その人が浄化力旺盛であれば、自然下痢などによって排泄されるのであります。
近代人は、少しでも不快だと直ちに薬を服む。薬剤は浄化力を弱め、特に胃薬が胃を衰弱させるから、胃の抵抗力を減ずる結果、排泄されないで、ついに化膿するまでになるのであります。
化膿が進めば、胃の一部に穿孔される事になる。そうなると胃の活動はほとんど停止され、又その孔からの排膿作用も加わって、旺んに嘔吐をするのであります。
しかし、痛は身体が衰弱してさえいなければ必ず治るのであります。
何となれば、胃は仮に化膿しても浄化すれば元の様になる性質のものであります。
胃癌の最初の徴候は、胃痛又は重圧感であります。
嘔吐が加わるのは、相当進んでからであります。
胃癌の初期ですと、霊的光力で一週間ないし二週間で全治するのであります。
次に、最も注意しなくてはならないのは末期のものです。
これは治療する場合に、非常に危険があります。
それは、癌を溶解するのに急激ですと、内出血するから生命に係わるのであります。
故に末期の癌は極めて徐々に治療しなければならないのであります。
腸の一寸位上の方に、護謨毬(ゴムまり)位の癌があって、
治療二、三回でずっと萎(しな)びたので喜んでいると、間もなく死んだのであります。
それは、急に癌が溶けた為、内出血したので、無経験による失敗でありました。
そういうのは圧してはいけない。極く軽く触れるか触れない位にしてやらなくてはならないのであります。
胃癌によっては、腸又は肝臓部へ移行する場合もありますが、これは最も悪質であります。
普通の進んだ症状に、コーヒーのようなものを沢山吐瀉(としゃ)する事がある。
あれはよく出血といいますが、そうは思えないのであります。
あの吐瀉物は、煙草かコーヒーのような色で血の色ではない。
そしてこれを随分吐きますから、血液なら生命を保てる訳がないと思うのであります。
これは、沢山飲んだ薬剤の化学的変化した物と思うのであります。
勿論この中に幾分血液は混っておりましょうが、全体としては他の物質と思うのであります。
〇胃下垂
胃下垂でありますが、原因は、消化薬を服みつつ柔い物ばかり食うから胃が弱る。それで緊張が無くなるから弛緩し、下垂するのでありますから、
「人為的製造病」であります。
しかし、胃下垂と言って来る患者で事実下垂のものは十人に一人位であります。それは、実は、水膿溜結の大きいのが胃から腸の部分にあるので、
それが下垂のように見えるのであります。
この症は、霊的光力で溶解すれば、一、二週間位で簡単に治るのであります。
又真の胃下垂は、食物の改良・・・即ち普通米飯食になし、薬剤を服まなければ短時日に治るのであります。
〇胃痙攣(いけいれん)
胃痙攣は、水膿溜結が段々固結した時、胃の方が不消化物又は大食をして膨脹する時、胃とその固結物とが押合って痛むので、
その痛みのひどい為に痙攣を起すのでありますから、その固結を溶解すれば全治するので、割合容易であります。
〇食道癌
食道癌に就てお話致します。
これは実に厄介な病気で、肋骨の為に患部を指で触る事が出来ないから、位置が判り難いので、治療が困難であります。
しかも霊的光力を受けに来る頃は極端に衰弱しているから、とても難しいので、従って、食道癌は請合えないのであります。
原因としては、食道付近に水膿溜結し、食道を圧迫するので、症状は食べた物が閊(つか)える。
末期には全然食物が通らなくなり、水を飲んでも吐くようになるのであります。
極悪質のものは、食道の一部に穿孔(せんこう=穴が開くこと)されて、そこから飲んだ水が、気管へ滲出(しんしゅつ=炎症により血管壁や組織の性質
が変化して血液や組織液が血管外へ流出すること。)して非常に噎(むせ)るのであります。
〇食道狭窄(しょくどうきょうそく)
食道狭窄というのがありますが、これは大体癌と同じようで、ただ狭窄の方が癌よりも緩慢に食道を圧迫しているのであります。
これも早期ならば治癒しますが、末期は困難であります。
食道は成人で長さ平均25cm、1周約5cmの弾力性をもつ管状臓器で、蠕動(ぜんどう)能があります。食道には生理的狭窄(きょうさく)部位があり、
食道入口部、気管分岐部、食道裂孔(れっこう)部がそれにあたります。
食道狭窄(しょくどうきょうさく)では、のどの異物感、固形物が飲み込みにくくなる、体重の減少などの症状が現れます。
〇肝 臓
胆臓は胆嚢(たんのう=消化に必要になるまで胆汁を蓄積する洋梨形の器官で、胆管(胆道) によって肝臓と十二指腸に接続している)ともいい、
肝臓に包まれているもので、昔から肝腎要めといって、肝臓と腎臓は大切なものになっております。
胆臓で作られた胆汁を蓄える働きがあります。 胆汁は特に脂肪分の消化を助ける働きがあり、胆嚢は必要に応じて収縮して、この胆汁の流れ道(総胆管)
を通して十二指腸へ送り出し食物の消化を助けます。 この胆汁の流れがせき止められると、体が黄色くなる 。
この外に、脾臓、膵臓などがありますが、これは病気にあまり関係がないから、省略する事と致します。
ちょうど胆臓を心臓とすれば、肝臓は肺のように一つの保護的な位置になっております。
医学の解釈では、腸で選り分けたものを肝臓で、血液、漿液、脂肪などに分けて、身体の方々へ送る事になっております。
胆嚢の中には、胆汁があって、それを始終胃へおくり、消化を援けている訳であります。
〇肝臓癌
肝臓の病気としては、まず肝臓癌で、肝臓のみの場合もあり、胃痛又は腸痛から移行される事もあります。
それで肝臓癌は、まず胃のように内出血はしないが、実に悪質で、執拗(しつよう)であります。
しかし、これは衰弱はなはだしくない限り必ず治るものでありますが、相当時日を要します。
軽症で二、三ケ月ー重症で五、六ケ月位であります。
〇胆石病
次に胆石病は、胆臓の中へ石が出来る。
その石が一個の場合もあり、数個の場合もあります。
これは非常に痛む。石の出来る場合に痛むのであります。
どういう訳で石が出来るかというと、水膿が胆嚢中へ入ると、胆汁と化合するので、化学的作用によって石になるんであります。
この場合は胆嚢の後部から水膿が入るんであります。
この膿は、最初背髄から出て腰に滞溜し、それが脊髄から二寸位の右側を上昇して胆臓へ入るのであります。
胆石で五年位苦しんでいる患者が、四、五回の治療で治ったのがありましたが、この患者は脊髄の右側から胆嚢の後あたりまで水膿が棒のように溜っており、
又、腰にも溜っていて、腰が非常に冷えるのであります。
すべて水膿は非常に冷えをよぶものであります。
それで棒のようになった水膿溜結を溶いたら、胆石病はピタリと治ったのであります。
なお、黄疸(おうだん)は、肝臓部に塊がありますから、これを治療すればいいのであります。
〇肺結核及び喘息
中体の主要機関は、何といっても肺であります。
右肺は大きく左肺は小さい。それは、心臓が左にある為で・・・
心臓は日に相応し、肺臓は月に当る事は前にお話致しました。
症状としては、微熱又は高熱、咳嗽、喀痰、血痰、喀血、食欲不振、下痢、盗汗、息切、疲労、胸痛、首及び肩の凝り・・・等であります。
まず、発熱の原因は種々ありますが、その「熱発部」としては・・・淋巴腺及び耳下腺、頸腺、首の付根、肩部、脊(背)部、胸部、腹部、腰部・・・等であります。
診査の際、掌を宛(あ)つれば、熱のある個所はよく判るのであります。
その熱発部を指査し、特に痛む個所は・・・水膿溜結であって、それを溶解すべく「熱の工作」が起りつゝあるのであります。
胸部の熱発は、胸骨に水膿が溜結している証拠であって、指圧すれば必ず痛みがあります。
これらの症状の場合・・・まず「肺尖加答児」又は「肺門淋巴腺」・・・といわれるのでありますが、吾々の見る所では・・・この際肺には未だ異常はないのであります。
いわゆる、肺患になるまでの順序を述べてみましょう。
最初、浄化作用に因る水膿や毒血が頸部の周囲に滞溜しますが、それの浄化作用が風邪であって、それを繰り返しつゝ胸部の水膿溜結にまで及ぶ、
順序は「病気の本体」の項目に詳しく述べてありますから略しますが、それから進んで心窩(しんか)部の両側・・・臍部辺にかけて水膿が溜結する。
これが喘息の原因であって、咳嗽や息切がおこるのは勿論、喀痰も伴うのであります。
なお進んで腹膜部まで水膿溜結するので・・・それが腸を圧迫し、又は水膿排除作用によって、下痢症を起すのであります。
肺患の場合の咳嗽も、ほとんどこの喘息の為が大部分であります。
もっとも肺患そのものからの咳嗽もあるにはありますが、それは肺炎の予後「肺臓内に残存せる喀痰」による場合と・・・
肺壊疽(えそ)、肺臓癌、粟粒(ぞくりゅう)結核などであります。
もっとも「頸部、肩部、胸部における熱発」による咳嗽などもありますが、それは軽微であります。
ここに喘息についてお話致します。
この病気は誰しも咳が出る為、気管がわるいように思いますが、原因は意外にも気管ではなくて、前述の個所であります。
故に、この部を指査しますと、水膿溜結がアリアリ判って、相当痛みを感ずるのであります。
これを溶解するに従って、漸次、咳嗽は減少してゆくので、指圧しても無痛になった時は咳嗽も消滅した時で、昔から不治とされた喘息も、霊的光力によれば確実に全治するのであります。
この病気は、最も治癒し難いとされておりますが、実験上まず七十パーセント位は治るのであります。
そうして、衰弱がはなはだしくない限り順調に治癒しますが、相当の日数即ち普通二、三ケ月から六ケ月位を要するのであります。
肺壊疽、肺臓癌、粟粒結核等は、稀な病気ですが、悪質であります。
初期なら全治するが、二期以上はまず不治と見なければならないのであります。
この病気は、徹底的説明をするには、どうしても現代医学を非難する事になりますから、徳義上、差控(さしひか)えたいと思うのであります。
宜しく、実験によって知るより致方ないのであります。
〇肋膜炎
この病気は、肺の外部に肺を包んでいる膜があります。
その「膜と膜との間」へ水が溜り、又は「高熱」を発するのであります。
肋膜炎には、湿性、乾性、化膿性の三種があります。
一番多いのは湿性肋膜炎であります。
〇湿性肋膜炎
これは「水」が溜るので、その「水」というのは尿であります。
ですから、発病して水が溜る際には尿の量が一時非常に少いのであります。
発熱は大抵三十九度台が普通で、四十度を越す事は滅多にないのであります。
最初は非常に痛む。
これは水が溜る為、膜に間隙を生ずるからで・・・水が溜りきると、痛みが減りますが、その代り呼吸苦しくなるのであります。
特徴としては・・・
眩暈と盗汗、過眠等であります。特に呼吸苦しい事であります。
それは、水が溜る為、肺が圧迫されるからであります。
ですから・・・「肋膜炎の息苦しさ」は・・・「吸う息は長く、吐く息は短い」のであります。
専門家は、普通最初利尿剤を服ませますから、小水が余計出て一時快くなりますが、
日を経るに従い「逆作用」が起ってきて、再び尿量が減り、水が溜るので、今度は止むを得ず、針で穿孔して水を除るのです。普通一合ないし三合位出るものであります。
しかし、水を除ってから、そのまゝ治ってしまう事もありますが、また溜ってくる事もあります。
原因としては、腕を使う為に起る場合が多い。
例えば、非常に力業をするとか、高い所へ手を挙げるとか、胸を打つとか、そういう事が動機となるもので、器械体操など、上へ飛びついて力を入れる為、殊におこし易いのであります。
又「自然におこる」場合もあります。
肋膜の水が肺へ浸潤して、咳や痰が出る場合があります。
最初はそういう事はないが、少し長びくと、そうなるのであります。
〇化膿性肋膜炎
これは湿性肋膜炎で水が溜るように、その個所に膿が溜るのであります。
最初から膿が溜るのと、湿性肋膜が長引いて化膿性になるのと両方あります。
普通、悪性とされていますが、吾々の方では、とても治りいいのであります。
随分ひどいのも治るのであります。
「湿性肋膜が化膿性肋膜になり」又は、「本来の化膿性肋膜のその膿が、肺に浸潤して、痰になって出る」場合があります。
この場合よく肺結核と診られるのであります。
以前三十位の婦人で、某大病院に入院していたんですが、行ってみると、背中へ孔(あな)を穿(あ)けて毎日膿を除っていた。
そして断えず膿が出る。咳一つしても、息を一寸深くしてもダラダラと牛乳のような膿が流れ出るのでした。
段々衰弱してゆくので、ついに退院して治療に来たのです。
すると、傷口には「ガーゼ」が細く入れてある。
そしてその穴が塞がるといけないから・・・というので、近日もう一個所大きく切る事になっていたのであります。
その穴は、針の穴位になっていたんですが、来てからガーゼを詰めなかったので、翌日穴は塞がってしまった。
その日治療に行ってみると、その婦人は御亭主の前で泣いている。
「なぜ泣いているのか」と訊(き)くと「実は、傷が塞がると、膿が頭へ昇って脳症を起し、生命がないとの事を聞いているから、穴が塞がった以上もう生命がない」と絶望しているのであります。
「それではもう一遍病院へ行って切ってもらったら・・・」と御亭主は奨めるけれど、「もう今更再び病院は嫌だ」と御本人は言っている。
それで「そんな事はない。外から膿を溶かせるから」と慰めた所・・・まあ、半信半疑でとにかくそのままになった。
そのうち段々具合がよくなって、食欲はつき、歩いて便所へ行けるようになった。
そして一週間程経ったらお正月で、お雑煮を三杯も喰べたのであります。
そして一ケ月余りですっかり治ったのであります。
これは化膿性肋膜炎でも、随分ひどいものだったのですが、今でもピンピンしております。
〇乾性肋膜炎
これは水が溜らぬもので、水は溜らぬが、湿性と同様に膜間に空虚が出来るので、非常に痛むのであります。
この痛みは、膜と膜とが「離れる為の痛み」と「擦れる痛み」とであります。
これは、一週間位で全治致します。
しかし、乾性肋膜炎は極少い病気で、よく、「乾性肋膜」といわれて来る患者を査べてみますと、ほとんどそうではないのであります。
それは、肋骨に水膿が固結して痛むので、実は肋間神経痛でありますが、よく間違えられるのであります。
この痛みは・・・稲妻のように迷走的に痛むのであります。
これは普通一ケ月位、重症で三月位かかるが順調に治るのであります。
肋間神経痛である・・・いわゆる乾性肋膜炎の治療法は・・・骨の痛む所を一所一所溶してゆくから相当時日がかかります。
これにもひどいのがあって、以前、両腕から背部全体が痛むという、頗(すこぶ)る広範囲の神経痛の患者があったが、三月位かかって漸(ようや)く治ったのであります。
こういう例もありました。
これは霊的でありますが・・・ある商店員で「胸が痛い」というので、そこを治すと、こちらが痛む・・・というように胸中に痛みが動くのです。
これは「蛇の霊」なんで、最初はその家の娘さんが肋膜になり、私の所で治り、次に、女中が同様の状態で治り、次に小僧さんが同じ様な症状で来た訳であります。
その「蛇の霊」を私に憑かしてきいてみると、それは、そこの家の「祖先」であって「祀ってもらいたい」という訳だったので、早速、「龍神」として祀ってやったら、
それから、その家にそういう病人は全然なくなったのであります。
この種のものでも、別に祀らなくとも本療法で治るのであります。
肋膜炎を治療する時は・・・胸に触ると熱の所があるから、そこをやりつつ、痛みを問診しながらやればいいのであります。
息を深くさせると痛い所がありますから、そこを治療して、息をさせて痛くなくなればそれで治った訳であります。
患部としては、乳部付近から横腹から、背中へかけてであります。
もう一つの眼診でも判る場合があります。
背中を見ながら息を大きくさせると、余計拡がる方の肺は健康で、拡がらない方は水が溜っている訳であります。
右が悪いか左がわるいか・・・という事を見別けるのに、病人は右か左かどっちかわるい方を下にして寝るものであります。
何となれば、悪い方を上にして寝ると、圧迫されて苦しいからであります。
食物は、普通の米飯でよく、安静にしなくとも、苦痛でない限り働いていてもいいのであります。
肺でも肋膜でも、絶対安静にすると治りがわるいので、なるべく身体を動かした方がいいのであります。
肋膜など、発病したてなら二、三度で治ります。
風邪より治りいい位のもので、極くひどいのでも一週間と思えばよいのであります。
肋膜が治ってから二、三年も経つと、背中又は胸部に腫物が出来る事がある。
これは、肺が丈夫になり、浄化作用によって膿が押出されて来たので、チッとも心配ないどころか、極めて結構な事なんで、ほったらかしておけば、
自然に膿が出て治るんであります。
〇肺 炎
これはよくある病気ですが、診査も至極簡単であります。
肺臓の下部即ちちょうど「乳の下」に当る個所、そこへ膿が溜る。即ち「痰」が溜るんであります。
手をあてると「乳の下」だけが特に火のように熱いので、すぐに判るのであります。
症状は、喉がぜいぜいいって、咳と痰が非常に出る。熱は四十度前後であります。
原因は浄化法の最も急激徹底したもので、要するに「風邪の重いもの」と思えばいいのであります。
ですから、肺炎はむしろ健康の人に起ります。
つまり「健康だからおこる」訳です。
まず、大浄化法が行われる訳で・・・「風邪」の熱で溶解された・・・頸部及び肩部の膿が、胸部一帯に氾濫すると、その重味によって一旦肺の下部に溜る。
そしてなおも熱を以て溶解され、痰になって肺胞を通過して出るのであります。
それで喘音のあるのは、肺に痰が滞溜している為であります。
右の方が鳴る時は右肺、左の方が鳴る時は左肺に痰があるのであります。
治療の場合は、乳の下の浄化をやればとても簡単に治るのであります。
そして間もなく平熱になるのであります。
肺炎を平熱にしようとして、一時間位治療すれば一回でも治るのであります。
肺炎の患者を働きながら一週間で治した事があります。
肺炎から喘息になる場合がよくあります。それは・・・肺炎の時、解熱剤を使用する為、溶け損ねた痰が下降して、喘息部に滞溜するからであります。
肺炎が拗(こじ)れるのは、解熱法の為であります。肺炎の痰が溶解され損ねるから、外部へ排泄する力を失い、肺臓の中途で停滞するからであります。
こういう人は、非常にラッセルが聞えるので・・・肺結核の進んだように思われる事がよくあります。
この痰は、一旦浄化作用をされた痰ですから、非常に溶けやすいのであります。
肺炎が治ったと思っても、未だはっきりしない人がある。
そういう人は「乳の下」がやはり熱い。そこに残っている訳であります。
肋膜肺炎というのがありますが、これはやはり、膿が下部へ溜ったのが溢れて、幾分肋膜へ滲出するからであります。
これも治癒は非常に速かであります。
小児にも多いんで小児肺炎といいます。
〇歯 痛
歯痛の原因としては・・・
(一)は、歯根膜炎で、「歯の根」に膿が溜るもの。
(二)は、歯神経の痛むもの・・・との二種であります。
霊的光力で、非常によく治るんであります。
歯痛を治療する場合は・・・
まず最初に「上歯が痛むか、下歯が痛むか」を訊(き)き、その部を外から治療するのであります。
これは、水膿が「歯の根」へ集溜する。その膿が外部へ排泄されようとして骨膜を穿孔(せんこう)する。それが「激痛」なのであります。
故に、穿孔されれば痛みは軽減しますが、膿が外部へ出た為に「頬が脹れる」のであります。
治 療
霊的光力を施せば速かに治るので、しかも根本的であります。
触るると痛い場合は、触れなくとも治ります。触れるか触れぬか位にして擦(さす)り、そうして吹けばよい・・・それで実によく治るのであります。
もう一つの歯神経の痛むのは・・・
歯に腐蝕が出来た為に、神経が露出する。それへ冷水や湯茶等が参みて痛むのであります。
これは歯医者へ行って神経を殺してもらうのが一番速く治るのであります。
よく歯がグラグラして、抜こうかどうしようかと迷う人がありますが、それは歯の根に膿が溜っているので、浄化すれば、根が締って治るのであります。
〇歯槽膿漏
これは、歯根から血膿が出るのですから・・・「軽い歯槽膿漏」は誰でもある訳であります。
これも右か左か、どっちかが余計出るものであります。
世間では恐るべき病気とされており、中には「梅毒」だなどというのもありますが、そんな事はないのであります。
上顎か下顎の辺を外部からおしてみると、痛い所があるので、そこに水膿や汚血が溜結しているから・・・そこを浄化すると共に、
頸腺部等又は顔面特に頬の辺に痛む個所が必ずあるもので、その個所を浄化すれば、水膿は溶けて治るのであります。
治療は、普通二、三週間、重症で一、二ケ月を要します。
〇痔
痔の原因は股にある。股をすれば治る。
大抵右か左で、右の方の痔は右の股である。
〇座骨神経痛
腰に毒がある。
座骨神経も元は腎臓である。
右か左を押し、痛い塊があれば浄める。必ず治る。
霊的光力するのでも、古くやってる人は放射する光が強くなっている。
〇引きつけ
引つけるのは癲癇の一種で、死んだ霊が頭へ来る、前頭部の霊的光力で直に治る。
そういう霊は大抵変死急死の霊で、子供に憑る。
頭を中心に霊的光力すると段々治る。
〇乳癌
膿汁が出て参りますのは
癌ではない。癌には膿はない。
普通のおデキである。
膿が出る位なら必ず治る、お乳の裏をよく霊的光力する。
〇子宮病
一般に白帯下(こしけ)が降りたり、冷え易い事をいうようである。
漢方薬が下へ下りてくる。それが前とか後ろとかへ溜る。溜って固まったのは冷えやすい。
その浄化が起るのが子宮病で、熱が出る前に局部的悪寒になる。
腹膜の薬毒が溶けて下りるのが白帯下である。
女性は知っていた方がよい。
腹膜のない人はない。腹には必ず毒が溜っている。薬を服んだ人は必ず腹膜がわるい。
それが原因で卵巣とか子宮癌、痔、足痙(つ)り、脚気等になる。
下半身は霊的光力すると治りいい。
固まるのが少い。ハケ口に近いせいである。
一番集るのは腎臓で、薬毒が腎臓附近に凝っている。
飲み薬は腎臓へ来、外へ滲(し)み出て固まる。
そのため小便の処理が出来ず、幾分溶けて下へ下りる尿毒が溜り、漸次背中の方へ溜る。
子宮病など、腎と腰の間をやればよい。
〇逆月経の原因
人により逆に月経する人がある。鼻血や喀血などそれである。
下から出るのが出切れず上へ戻るのである。
そういう人は喇叭管(註 卵管)が細い。
腹部に塊があって圧迫している。
それを除れば治る。
〇卵巣水腫の急所
これは卵巣ですね。卵巣水腫といって、卵巣に水が溜まって腫れるんです。
これは、やっぱり腎臓が因ですから、良く腎臓を霊射してあげると良い。
しかし、これはある程度まで腫れますが・・・随分大きくなるものです。
まあ、気がついて霊射すれば、そう大きくならないですみます。
で、ある程度まで腫れると、その人の・・・やはり因は薬毒と尿毒ですからね。
それが腫れるだけ腫れると、少しずつ溶けて出て行きますからね・・・小便になって。
質(たち)によって、非常に早く治るのと、そうでないのとあります。
まあ、あんまり急がないで、気長にやるつもりでやれば、たいしたことはないんです。
食欲は、そのために胃を圧迫されているから、小さく柔らかくなるまではしかたがないんです。
よくある病気です。
〇口から生理を出す女性に対する急所
前世において逆なことをしたからである。ラッパ管(註 卵管)の入口に毒素があるから、
下腹部をよく霊的光力することである。
『ヒトの卵管は左右1対になっており、子宮底の左右外側角から始まり、
骨盤側壁に向かって延びている(長さは7〜15センチメートル)。
卵管はその全長にわたって腹膜に包まれ、他の内臓の間膜と同じように卵管間膜を形成し、
そのまま子宮広間膜に続く。つまり、卵管間膜は子宮広間膜の上縁にあたる。
卵管はこの卵管間膜によって支持されている。
卵管の内側端は子宮内腔(くう)に開く卵管子宮口であり、外側端は腹膜腔に開く卵管腹腔口である。
卵管は構造上、全長を4区分する。最内側は子宮壁内にある子宮部で、
これに続いて卵管峡部がある。これは長さ3〜4センチメートルで、卵管中でもっとも狭い部分である。
卵管は、ここからしだいに膨大となり、卵管膨大部となる。この部分の長さは7〜8センチメートルで、
卵管全長のほぼ3分の2を占め、卵巣を前上方からアーチ型に囲んでいる。
続いて卵管膨大部は漏斗(ろうと)状の卵管漏斗に移行し、花弁状になって腹膜腔に開く。
この花弁状の部分を卵管采(さい)という。卵管采の花弁の1本は長く延びて卵巣の上端表面に付着するが、
これはとくに卵巣采とよばれる。
卵巣の上端内側面はこの卵管采によって房(ふさ)をかぶせたように覆われるため、
卵巣の内側面から排出された卵は、うまく卵管内に吸引されることとなる。』
〇無月経の原因
喇叭管(註 卵管)が塞がっているから臍の下、右か左かに塊があるから溶かす。
〇乳歯抜けて生えぬ幼児
歯のない霊が憑っている。
霊射して神向きすればまた生えるようになる。
歯は二度になる。
顔から歯へ霊射する。
〇船車の酔の急所
胃の後の部を霊射すると治る。
〇動物霊の憑依 噛みつく子
目がつり上り、人に噛みつく癖がある人は、動物霊である。頭と身体全体を霊射する。
〇盲腸手術経験者の急所
盲腸の方は、お腹から右の方の股にかけて、それから盲腸の後ろにかけて・・・そこを触ってみれば熱いから、
そこを霊射すれば治りますよ。
〇リューマチの急所
これは蛇の霊です。つまり関節リューマチというやつなんです。
リューマチと言うのは、関節が赤く腫れて非常に痛む。触らなくても痛いのです。
ちょうど、蛇が咬んだように痛いです。あれは蛇の霊が咬むんです。その毒が来るんです。
咬まれた時に龍の毒素がですね。それでリューマチと言う。
リョウは蛇、マ(魔)、チ(血)。
リューマチには、蛇の咬みつくやつと薬毒とありますが、薬毒はじき治ります。
気長にやっていれば、だんだんすっかり治ります。
そのままでいると、足が上がるかまっすぐになるか、どっちかになる。
これは障っていた所を霊射すればいいんです。患部と鼠蹊部ですね。それと腎臓ですね。
痛みは、だんだん追いかけて行って、だんだん気がつかないくらいにまでに追いかけてやると良い。
そんなところで良い。非常に痛いものです。
〇目薬が原因の眼病に対する急所
ロート目薬・・・目の悪いのはこのためです。
胃痙攣というのは胃散が残っているんです。
つまり、ロート眼病と言うんです。
眼は、一体に長くかかりますが。
痩せてきたのは、微熱があるからです。
胃の薬は背中に固まってます。背中を霊射すれば良い。
痩せたんだから、食欲も減ったわけですね。
背中の霊射・・・目薬を入れて、人間は仰向けになって寝るからです。
そこで、薬が後頭部に固まる。
ですから、目の後ろを霊射する。
これは目もちゃんと治ります。
〇笑う中風に対する急所
これはふつうの中風とはちょっと違いますね。
それから、中風で・・・笑う中風がよくあります。
泣き笑いというのは、頭に脳溢血の毒血が固まる。その関係ですがね。
泣き笑いというのは、後頭部に溢血したのが溜まるんですから、後頭部を良くやってやると良い。
これは妊娠腎があるくらいだから、そうとう薬毒や消毒薬がある。
そこに霊が憑っているので、霊と薬毒と両方ですね。
これは治り良いんです。
それから、右が中風の人は、左の頸部に固まりがある。
神経はそうなってますからね。
だから中風は反対に固まりがある。
だから、右が中風の人は反対側の方を溶かさないとだめですね。
ですから、左が中風の人は反対側を溶かさないとだめですね。
ですが片方だけやると再発します。
ですから、両方溶かす。すると良くなる。
これは気長にやっていれば治ります。
霊的もあるから、良く御神書を読ませることです。
それから、なるだけ身体を動かすようにしたら良いです。
運動したり働いたりするんですね。
中風患者は物欲を取る必要がある。
中風霊の憑依による左半身不随。
「中風の霊が憑ったのであろう。若くしてので中風は早すぎる。
普通は四十過ぎでなくては起らぬものである。
気長にやれば治る。
中風は物質欲がいけない。物欲をとらなくてはいけない。
であるから症状は手(拇指)を握って胸へくっつける。
罪の金があると本当の金は入ららない。諦めてお任せすると入って来くる。
あとは、癌とか中風のような病気は頑固な人に多いですね。
〇脱肛(だっこう)の急所
固まりすぎている。治る。脱肛は古くなると固くなる。霊射すると軟くなる。
便所へ行った時押し込む。長便はいけない。
日本人特有の病気で、便所の構造による。
短便にすればよい。
指先から霊気を入れる。
割合い早く治る。
「流産の原因」
死産、流産にはなにか特殊な霊的な意味
ふつうは体的な原因が多い。
一番多いのはおなかに固まりがあることです。
腹の皮が厚いと産めないとよく言われるけれど、
これは腹膜に尿毒が溜まっていて横に拡がらないので、力が下へ加わる。
それで流産するのです。
だから子宮が充分拡がれば絶対流産はしません。
それに反して力が上に働くのが悪阻です。
だから悪阻(つわり)のときは臍と鳩尾の中間をやってあげればよい。
子宮前屈や後屈も毒の塊りのためです。
それから腹の皮膚によって健康、不健康を判断するのはそうとう熟練を要しますね。・・・
死産は霊的にはその女に対するだれかの怨霊が憑いて産ませまいとすることもあります。
また体的には薬毒で、薬毒が子宮の所へ集まるため胎児が発育できなくなるのです。
〇骨盤狭小(こつばんきょうしょう)による出産困難に対する急所
霊射は腎臓部および腹部胎児の位置でよい。
妊娠するということは、生む資格があるからであるから、心配せず神様にお願いすれば、
必ず生めるが、ただ人工流産の不自然的人為方法が災いしなければよいと懸念される点があるから、
できるだけ霊射をすること。
〇骨盤が小さくても出産できる
骨盤が小さくとも大丈夫出産する。出ないはずはない。
妊娠するのは産むだけの力があるからで、もし妊娠することが身体に悪いようなら妊娠はしない。
神様はそんな不合理に人体を造られていない。
霊的光力は腎臓部および腹部胎児の位置がよろしい。
妊娠するということは、生む資格があるからであるから、心配せず神様にお願いすれば、必ず生めます。
〇胎教について
胎教とはいいことを聞くと胎児がいい子になり、顔のきれいな子を生みたいと思ったら美人の写真を見たりするんですが、
これはたしかに働きがあります。胎教に「神書」を読むのなんか非常にいいです。偉い人の書画を見るのもいいです。
観音様のお姿なんかいい、見ることにより霊気をうけるからです。
妊娠中に「信仰雑話」や「地上天国」を読むのは非常にいいです。それが子供の魂に影響して心のいい子ができます。
胎児が母体にある間意志想念が働いているものかという問い。
意志想念は働いているともいえるし、働いていないといった方が事実に合う。
何となれば、胎児の意志による表現が何もない。そうかといって全然そうでもない。
胎教といって、母が良い事を聞くと胎児にいい影響を与える。綺麗な顔など見てると影響するという。
寧ろ親の想念が胎児に影響する訳である。
〇妊娠時の嗜好(しこう=好み)の変化
妊娠致しますと急に今まで嫌いだった食物や煙草などが好きになりそれがその後ずっと続く人があり、また出産後もとへ返る人も御座います。
子宮が大きくなり胃を圧迫するので、胃が変るのです。悪阻と同じ理屈で、胃の下の方と上の方に塊がある。
それが胃の方々を圧迫する。それで胃が種々になる。多くは嫌いなものが出来るのが多い。子供の前の世の好き嫌いが親に影響する事もある。
食べ習わすと好きになる事もある。宿った赤ん坊の前世の嗜好が現れるのです。生まれた時老人のような顔をしているのと同じです。
〇妊娠させる方法
第一の原因は子宮の前屈や後屈です、下腹を押してみて固ければそこに毒結がある。
そのため子宮は後ろに押されて子宮後屈になるし、また腰に微熱があればそこに毒結がある証拠で、そのため子宮は前に押されて前屈になるのです。
前屈や後屈になると子宮の入口と子宮とが食い違ってくるためにうまく妊娠しないのです。それから子宮の発育不全ということもあります。
これも下腹を押してみれば判ります。一般に下腹が固くなってるのは妊娠しにくいんです。
昔から「あの人は下腹が固くなったからもう子ができない」というのはこの意味です。
第二に腎臓が萎縮すると性欲欠乏性になる。そしてこれが弱ると卵子の活力も弱るのです。
だから腎臓を霊的光力すれは非常に幸福になれるんです。それから、すべて女性は膣の所に粘液が出てるんですが、それは酸性で精虫を殺す働きを持っていると言われますが、
これはたいしたことはなくてもあるにはあります。女性のほうはそれくらいです・・・。男のほうはやはり腎臓が弱いと射精力も弱くなります。
そのため精虫が奥のほうまで行かずに入口で止まってしまうのです
腎臓萎縮は性欲が欠乏する。卵子が弱いと精虫を吸収する力がない。不感症、鈍感などはみな腎臓萎縮のため。
腎臓部の固まりをとかし、それから股の付け根にも必ずグリグリがありますからね、それもとかせばきっと子供はできます。
子宮前屈や子宮後屈なんかも腎臓をやればいいんです。腎臓とその上のほうが固まってますから。多少長くかかりますから気長にやってくことです。
女によっては粘液が(アルカリ性の強いため)精虫を殺すと医学では言うが、そういうこともあろう。
また男のほうも腎臓が弱ると射精力が弱く子宮口までとどかぬためもある。まだ種々の原因もあるにはある。
射精力を強くするのは腎臓をよくすることが第一で、第二は睾丸です。睾丸でもって精液は作られます。
横痃(よこね・おうげん:もものつけねにあるリンパ節が炎症を起こしてはれること)なんかを手術するとその薬毒が睾丸の所へきてそのため痛みや重い感じが起きたりする。
で、そうなると精虫の力も弱くなるのです。肩あたりからも毒が下がることもある。
霊的原因からいうと神の許しがないと子は授からぬ・・・産土の神。死産や早死するのは霊的である。
夫婦ともに健康でありながら子供のない人がありますがなぜか。これはたいてい子宮の位置が変っている為です。例えば前屈とか後屈のようにずれているからです。
夫婦が離婚して、それぞれ別々に結婚いたしますと子供のできることがある。それは男のほうの発射する力の強弱、すんだあとの位置の具合などによるのです。位置なんかも大事です・・・。
お医者さんが天から授かったものを目茶苦茶にしたりすると子供はできません。神様のほうは完全に作ってあるのだから授かりますが子宮をいじったりすると生まれません。手術とか・・・。
とはいうもののできないことはないが、できてもおそらく駄目でしょう。子宮がふくらまないから、ある程度で流産するでしょう。月経があるということは、子宮まで血液が行くことは完全なのです。
しかし月経があれば妊娠するに違いないが、ただ、妊娠しても子宮が完全でなければ子供はできません。妊娠すると子宮がふくれるが、ここに欠陥があるとふくれません。
子宮は切り取れば元どおりにはなりません。切り取ったというのでは流産が多いから、妊娠しないことはないが、してもまず駄目だということは間違いない話です。
まあ諦めるのです。これは医者の被害者です。
〇妊娠可能年齢
結婚して幾年も子供がなく、肉体的にも別に支障のない場合、何歳くらいまでは子供を授かる可能性があるか。
女の人は六十歳くらいまでは妊娠します。男は七十歳でも立派にできます。月経がなくなっても子供のできる人がときにはあります。
〇精子提供で絶家になる
男の霊系統ですから自分の系統を人にやるようなものです。祖先が怒りますから、そういう家は断絶します。
〇出産後の生活
子を産んだ後は一週間は寝たッきり、一週間すんだらそろそろ起き出して二十一日間はあまり体を使わぬこと、それから三十五日くらいからだいたいふつうに動くようにして、
本当は七十五日経ってから常態に戻るのがいいんです。産後に無理して体を使うとそれが病気を起すもとになりますから、これは大いに気をつけなくちゃいけません。
(註 「産後七十五日を経過していない婦人は、霊的光力を受けるのは差し支えないが、あまり他の人を霊的光力しないように、かえって腕などに毒血が集まってあとで神経痛などになることがある。御参考までにここに付記いたします。)
産後七十日くらいは霊的光力を受けるのはよいが、やってはいけない。それはお産の古血が残っていて、手を使うと手に集まって固まり、次に溶けるとき痛む。
できるだけ日が経ってからやるほうがよい。産後、針仕事をすると眼を悪くするのもこれと同じです。産後七十五日は決して眼を使ってはなりません。
産後悪くしたのは一生涯治らない。
産後二十一日間は神経を集注する事はいけない。つまり悪露の出てる間はいけない。普通三十五日間といわれている。であるから、七十五日間経てば身体が固まる。
それからは何してもよい。悪露(おろ)があまり出る場合はいけないです。だいたいきれいになって、少し出るか、たまに出るくらいで、そうとうきれいになってからで、それまでは霊的光力は相手に対してはよしたほうが良い。
〇産婦の食事と起居について
食事は軽いものを食べる。安静にしているからである。起居は、産後血がおさまるという・・・。古血の残っているのは使う所へよく寄ってくる。
目を使うと古血は眼へ来る。頭を使うと頭へ上る。故に、産後は精神病になり易い。手足を使うと腰へ来る。
大体二十一日間は安静にする。古血の出終るまでは神経を集注しないこと。絶対安静は一週間でよい。坐ったり徐行位は差支えない。
出血のある時はいけない。悪露の時も注意する。何も出なくなったら、普通の状態でいい。流産は一日か二日安静にすればよい。
〇妊娠中 要注意
妊娠中は特に自殺の場所や事故の起きる場所は避けるべきである。なぜならば死んだ霊が懸かる場合があるからである。特に飛び込自殺者の場合には赤子に取り憑き自分が
そのようななった様が赤子にうつる場合がある。ですのでよくよく霊的光力を受けて毎日を過ごすことを強く要望する。要するに憑依しないように自分を高める事である。
〇ヒザの腫れに対する急所
足の腫れものは薬毒がそこから出るのだから結構である。
膝裏から腎臓部、右股の付け根を押すと痛い固まりがあるから、そこを霊射すれば治る。
〇逆まつ毛に対する急所
逆まつ毛というのはまつ毛の出る位置が悪い。
これはやっぱり眼瞼に毒があるので、それに遮られてそののびる所が違う。
やっぱりこれも霊射すれば治ります。
前頭部・・・辺に毒があるから気長にやればすっかり治ります。
〇耳下のコブに対する急所
これは、薬毒です。これは頸部に固まって溶けて出るんです。別に難しい点はないんです。
あんまり圧迫や・・・熱が出て体が衰弱すると楽観できないが、衰弱さえしなければ、必ず治ります。
それから霊射の箇所は頸部から行きます。
それから肩から行きます。
頸部と肩をやると、耳の後の方が柔らかくなります。
これも気長にやれば治るはずです。
また前頭部が腫れることがある。
しかし、原因はやっぱり薬毒です。
〇鼻の病気に対する急所
鼻の悪い人は後頭部から一帯にずっと下まで毒の固まりがあります。
ちょうど鼻の裏になるわけです。
だからそこを霊射すればいいのです。
〇吃りの原因
頭と舌の所に固結せる毒素が原因である。頭など熱のある部を霊射すれば治る。
〇腹痛、嘔吐の急所
背中・・・腎臓のちょっと上をする。
お腹の具合の悪い通りに背中に悪い所がある。
〇子宮と頭と眼の関係
妊娠と関係がある。
子宮は頭でも眼でも関係がある。特に、前頭部に関係がある。
子宮で今悪い所がある。
手術の時傷めたのが、前頭部に影響して眼が痛むのである。
人工流産の時、また前の傷をどうかしたものである。
脳はやはり前頭。
すべて子宮の霊射で治る。
〇卵巣膿腫の急所
これは卵巣で、卵巣膿腫と水腫とあるが、固さと、押した痛みと、
熱の有無、位置等診(み)なくては正確に判らない。
固ければ膿腫である。
腎臓が肝腎であるから、浄めると白帯下になって出る。
巣膿腫か水腫である。
腎臓を霊射してやるとよい。
水腫は妊娠より大きくなる。
卵巣をいくら霊射してもよけいに拡がる。拡がるだけ拡がる。結局は小便である。
これは治りいいのと治り難いのとある。しかし苦痛はない。柔かくなると、峠を越した訳である。
小水が出るようになれば治る。
膀胱の辺もよくやる。
〇性的不感症の急所
腎臓が萎縮して老人の腎臓と同じようになっている。
腎臓に塊があるから霊射すると後腎臓が柔かになる。
腎臓が活動すれば、子宮も発育する。
〇ガニ股の原因
足に痛いところがある。大抵は足の裏に原因あり。査べてみる必要がある。
〇足のケイレンに対する急所
鼠蹊部から内股に毒がある。
それで治らなければ、外側の膝の上をやる。
〇禿 頭(ハゲアタマ)
本当は頭の毒素・・・薬毒によるので、頭を霊射すると生えてくる。
〇魚の目の急所
霊射で治る。原因は薬毒である。上から垂れてくる。
足の上から膝裏へかけて痛い所がある。
それと腎臓、尻、股等の裏を上からする。
〇脳溢血霊の小児麻痺
脳溢血の霊である。その通りの恰好で死んだものである。
気長に悪い所だけ霊射する。
生まれ乍らにして歩行困難な症状は、言う迄もなく親からの遺伝薬毒と、生まれてから入
れた薬毒が、足の何れかの局部に固結する為であるから、よく診査してみると必ず固結があり、圧すと
痛むから直ぐ分る。
その個所は足の真の一部、甲の横、腫、指等が殆どであるが、稀には鼠蹊部にある
場合もある。何れも何等手当せず、その儘放任しておけば、良くはかかるが僅かずつ治ってゆくもので
ある。
処がそれを知らないから、注射、塗布薬、電気、光線療法等を行うので、反って不治にしてしま
うのである。
霊的の原因をかいてみるが、これは日本に多い症状で、米国には割合少いようである。
これは半身不随、つまり片方の手足がブラブラになり、智能低下、言語不能等、中風其の儘である。
これは最初二、三日間高熱が続いてから発病する場合と、突如としてそうなる場合とがある。
よく平常通り通学していた児童が朝起きると右の症状になっており、愕然とするという全く恐しい病気である。
この原因は脳溢血で突如として死んだ老人の霊が憑依するためで、中風と同様であるからよく分る。
では何故そうなるかというと、脳溢血で急死するや、霊界に往っても死に対する霊的知識がないから、自分は相変ら
ず生きていると思うが、肉体がないので遮二無二肉体を求めるが、悪霊の原則としては、無縁の者には
憑れない事になっているから、自分の霊統を求めるが、その場合小児の方が渋り易いので、多くは孫に
渋るもので、これは事実がよく示している。
従って霊的小児麻犀の場合、よく調べてみると必ず脳溢血で死んだ祖父母の霊か、稀には親戚の老人の霊もある。
この霊的小児麻輝は、神向きより外に治しようがないのは勿論である。
祈言(のりごと)、神向き讃詞(かみむきさんじ)、弔霊(ちょうれい)を聞かしてやるんです。
〇シャックリの原因
横隔膜、首筋、頭である。これは治る。
〇乳の痛む男性
背中、乳の後ろをやればよい。
必ず塊があるから、それをすれば除れる。
〇耳鳴りの霊射の急所
耳鳴りはみんな知っているでしょうが、延髄をやればきっと良くなります。
耳の方は目とは違って、右の方なら右の方で良いのです。
耳鳴りの人は随分ありますが、耳鳴りをなおすのはわけありません。
延髄の固まりさえ取れば必ずなおります。
〇腋臭の急所
獣の血なんです。
前の世に獣だったのが、人間に生まれ変わってきたのです。
腋臭というのは、獣の臭いと同じで、動物園に行ったみたいです。
血でなく、血の精が出るんです。
ここ(腋)を止めるから、出所がなくなって下にいったんです
局部で良いです。そこに血の精が寄っているんだす。
またこういう点もある。腋臭は西洋人が多いですが、獣の生まれ変わったのではない。
肉食するから、その血が混じる。それで臭うんです。
〇輸血(霊血)対する急所
霊射は心臓をやる。
子宮癌で出血ということはない。
これは月経の血の固まりです。
それが溶けて出血するんですから、気を失うほどのことはないです。
切傷などの場合は心臓で良いんです。
霊射は・・・いつも言う通り輸血(霊血)ですからね。すばらしい輸血(霊血)です。
ふつうの人間から二百グラム輸血するより、これ(霊射)で五百グラムや八百グラムはなんでもない。
四、五分やれば良い。毎日やれば霊体が代り人間の体からオーラが発生するものである。そして奇跡を出す力になる。
輸血の方は心臓をやれば良いから、やはり心臓をやる。すばらしい効果がある。
〇狭心症、脳溢血(のういっけつ)の急所
狭心症と脳溢血はぜんぜん違いますからね。
狭心症というのは、心臓を圧迫されるんです。
毒が固まるんで、これは心臓です。
前と後から両方やると良い。
固まりが溶けますから、心臓が楽になる。
脳溢血は延髄の血管が破れて溢血するんです。
脳溢血の起りたてですと、延髄に固まりがありますから、延髄と前頭部です。
これが、頭の上を通り反対側の肩に行きます。
肩をやると、手の方が楽になります。
溢血は早いです。溢血してから、すっと行きます(反対側の肩に)。
これを大体主にして霊射すれば良い。
毒血です。こうして、毒が減る。
〇腹痛の急所
背中から腎臓、腰等、後ろの方を霊射するとよく治る。腹をやっても治らない。
背中は霊、腹は体であるから、霊の方を治さなくてはいけない。
肩胛骨の下あたりから腎臓、腰をやって治らなかったら、腎臓の凹んだ所を押すと痛む個所がある。
そこをやれば腹痛など必ず治る。
背、腎臓部等押すと塊がある。そこを霊射する。
〇アルバジル、ゲンノショウコ中毒患者の急所
アルバジルは悪いです。アルバジルで死ぬ人は随分あります。
薬毒です。身体全体です。
ただ、ゲンノショウコだけは、お腹です。
しかしゲンノショウコの中毒というのは、しつこいものですよ。
だから、問題は衰弱だけです。
霊射すると薬が減っていきますから、それだけは良くなっていきますが、
しかしそのために食欲が減ったりするからね。
どうしても衰弱するから、それを堪えきっていけば治ります。
衰弱で負ければ、どうも危ないです。
お腹と腎臓を主にしてやれば良いです。
そうすれば食欲が増えますから、衰弱が少なくなるから、まあ・・・一番良いわけです。
〇脳水腫
後天的であるから頭をやればよい。治り易い。
〇聾耳(じろう=耳が聞こえない症状)
大抵耳下腺が原因である。それだけ霊的光力する。
固まっているから、相当日時を要する。
〇中耳炎による聴覚障害者の急所
中耳炎の膿が固まり、鼓膜の振動する所の膿が固まったものを溶かせば治る。
〇頻尿の急所
膀胱の周りに毒があり、圧迫している。
容れ物が小さくなっているから小便が近いのである。
この毒は腎臓から来ているから、腎臓をすれば治る。
すべて病気は急所へ触れれば効果が本当にある。
急所が一番肝腎である。
〇寝小便の急所
尿道の括約筋を毒が圧迫している。
股の両側と前頭部である。
前頭部の注意力などの働きが鈍感になっている。
出たい意欲が働かぬ。通じないのである。
腎臓、膀胱(股)、前頭、後頭をやる。
〇夜尿症の急所
体的でも、前頭部と括約筋をする。
前頭部と生殖器は非常に関係があり、前頭部に毒があると働きは鈍くなる。
年頃になって治らぬのは癖がついている。
〇盲腸炎の原因
盲腸炎は右腎に塊がある。医学の犠牲である。
〇悪阻と不妊・流産の原因
悪阻はみぞおちと胃の間の毒で、これは子宮が拡がるにその毒素が邪魔になるのである。
人によっては尿毒が溜る事がある。
腎臓をよく霊射する要がある。
流産の原因は子宮の周りに毒のある時、子宮が拡がる場合毒素のためつかえて拡がらず、
やむなく下に向う。これが流産の原因である。
前屈・後屈があるが、子宮の前面か後面に毒がある。
多くは後屈で、腹部の毒のため後ろに押される。
前屈は後部の毒が前へ押す。
医師が手術で毒を除るのは一時的で、前より余計に溜る事になるから何にもならぬ。
また、子宮発育不全、これは子宮の周りに毒があり、それで発育しないのである。
また膣と子宮の位置の違う場合、子供が出来ない。
〇産後頭痛・逆上
一番肝腎なのは、頭と首の周りである。
薬毒である。薬が減るに従い治る。気長にやればすっかり治る。
〇細乳者に対する急所
乳の出の悪いのは乳腺の周りに毒があり、細くなってるためである。
乳腺は十二本あるとしている。
また、胃の小さいのが原因のとある。
乳の所を押して、痛い所の圧迫を除る。
または胃部に固い所がある。胃の裏表と、乳部を霊射する。
〇蛇霊の憑依による腹の膨張
憑霊現象である。蛇というのは執着の罪ですからね。
腹に蛇の霊がいるのであろう。それが生米を食う。
霊射はお腹と腎臓である。
〇蛇霊の憑依による下半身のむくみ
実例;五年前に兎を食べに来た青大将を半殺しにして、枯れ草にて焼き、
ブツ切りにして、鶏に食べさせたそうです。
本人は今さらながら後悔いたしております。
発作は、夜も昼も二、三回くらい起きます。
発作が起きますと、非常に苦しみ、胴は締めつけられるようで、浮腫みが固くなります。
足の方も固くなり針で刺されるような苦しみでございます。
発作の状態は蛇が焼かれて苦しむのと同様で、浮腫みの所より油のようなものが出ます。
また手足の筋が吊り上がり、息苦しくなり、二目と見られません。
蛇の祟りですね。これは祖霊かもしれない。
だから、よく神様にお願いして、前頭部を中心に全体をやれば良い。
そうしているうちに、自然自然に蛇も承知して、蛇が救われてきます。
そこで、神様にお願いする場合には、蛇の霊を救って、早く人間に生まれ変わってくるようにと言ってお願いする。
それが、蛇が一番喜ぶんです。
蛇が殺されても、人間に生まれ変わるようにと言うと喜びます。
霊射は一番多いのは首の周り、延髄・・・大抵右の塊。肩のコチコチ。背中も多い。
肩胛骨の所、腎臓の下の横、股の淋巴腺・・・陰部に近い方、これが発熱の急所である。
ここを査べれば必ず熱が下るものである。
〇癌は霊的
この病気も真症と擬似と両方ある。
真症は霊的であるからそれを書いてみよう。
この病気は胃部に固結が出来るのであって、初めは気のつかない位の小さなものが漸次膨大してついに拳大又はそれ以上に及ぶものさえある。
そうして右の固結が胃又は幽門を圧迫するので食欲不振となり、痛苦を伴い、衰弱の結果死に到るのである。
右の固結は頗(すこぶ)る硬度であって、大なるものは固結が集合しているごとく指頭を以て探れば、柔軟なる中に多くの硬い大小の塊がある。
そうして真症胃癌の特異性としては、末期に到るに従い、頻繁なる嘔吐がある事である。
その場合、吐瀉物は透明なるヌラであって、その量の多き事おどろくべき程で、ほとんど無限とさえ思わるる位である。
言うまでもなくこのヌラは、癌から発生する毒液であって普通は無臭であるが、稀にははなはだしき有臭のもある。
このヌラが常に胃中に充満しそれが食欲を絶無ならしめるので、止むを得ずこの場合患者はサイダー又は番茶のごとき飲料を飲み、それを誘引物として、
態(わざ)と嘔吐を促させるのである。
それによって数回以上の嘔吐をなし、胃中のヌラが減少するにおいて多少の飲食物を摂り得るのであるから、実に悲惨な症状である。
この病気を霊的に考察する時、次のごときものである。
それは、この病気に罹る人は龍神の再生であって、龍神時代その特性である多数の生物を呑んだのが原因である。
それが龍神の霊体におけるちょうど人間の胃部に相応する局所に呑み込んだだけの生物の霊が、怨恨の想念を懐いたまま滞溜する事になるのであって、
それらの霊の怨念の物質化したものがヌラとなるのである。
この理によって、真症胃癌の患者の面貌は、龍という感じが非常にするのである。
しかるに、本医術によって腎臓治療をなし、腎臓の活動が旺盛となるに従い、癌毒が漸次軽減し、固結は柔軟となって縮小し、ついに治癒するのである。
擬似癌においては、患部の状態が右と同一のように観(み)ゆるが、これは単に普通の尿毒の固結であるから、ヌラは全然ないのである。故に、
治癒も普通疾患のごとく容易である。
それで、これから霊的に関した病気のことを書くんですが、一番最初に書いたのは癌です。
癌にも薬毒による癌と霊的による癌とある。
薬毒は疑似癌です。
先に書いたが、真症癌は霊的なんです。
よく胃癌は手術するんですが、そうすると癌が見つからないで、あわててふさいでしまうのがよくある。
つまり霊ですから、逃げたらそれっきりで、蛇なら舌を出しているくらいだ。
つまり病気を霊的方面からの・・・そういう意味の説明なんですが、大体分かる程度に書いたんです。
簡単なものではなく、随分複雑なんです。
細かく書いたら、きりがないから要点だけ書いた。
要するに間違ったことをすると、いかに恐ろしいかということです。
共産主義者で働いた人は、ひどい舌癌になるだろう。
癌と言うのは決して溶けるものじゃないです。
霊射でも溶けないものですよ・・・本当の癌は。
本当の癌は滅多(めった)にないです。
だから癌が全部溶けたというのは、やっぱり蛇の霊がいたんです。
癌は霊・・・蛇の霊。毒血と膏(こう=動物のあぶら)が癌になっている。脂肪の塊である。
ヌラは蛇毒である。蛇はいろんなものを呑んでいるから、その霊が蛇に憑いている。
癌を見分けるには、血の気がなくなり、青黄色く、赤い所がなくなる。
また非常に痩せるのが特徴である。
癌は進行してゆく。真症癌なら局部から肛門へ移行してゆく。
薬毒と癌と混合しているものである。
直腸癌は腸へ固まりが出来て圧迫する。
真症癌は少ない。排便不可能にしてしまう。
手術は絶対やってはいけない。半年や一ケ年出なくとも心配はない。
元は腎臓である。
ある方は二年近く排便のないのがあった。
流動物、お茶漬がよい。
流動物は便秘し易いから茶漬がよい。
食欲旺盛なら必ず治る。
普通、癌毒が溶けると腹が膨満する。
大抵、胆嚢が浄化し黄疸になる。
ヌラは癌の症状である。
入院してるならやめよ。
胃癌などを霊射すると必ず腹が膨れるもので、溶けたものが濃いので、溶けてお腹へ溜る。
〇胃病は全部消化薬のためである。やめれば治る。
薬が垂れて背中へ固まる。いかなる病気でも後ろにある。
〇喘息
心臓性喘息で、霊的かもしれぬが、遺伝という事もある。
身体の方々にある毒が出たのである。
喘息は横隔膜の下である。他に腎臓、肩をやる。
〇高血圧
高血圧ってのは、のどの両脇の筋に凝ってるんですよ。
これがね腕に繋がってるから、腕に血圧計をやると凝りのために高くなるんです。
この凝りは病気の原因にはまずならない、なればいいんですが。
だから扁桃腺炎なんかになれば結構なんでですが。
で、凝りのある人はきっと耳の後下の頸筋にも凝りがあるんです。
そしてこの凝りが脳溢血の原因なんです。
この二カ所が隣り合ってるもんだから間違えてしまうんです。
だから脳溢血は耳の後下の頸筋と後頭部(やや下方)が原因です。
中気ってのはこの頸筋の所に固まっていた血が溶けて脳へ上がって反対側の手足へ下りるんです。
それから、これは医学ではあまり言わないようですが、逆中気ってのがあるんで、
それは頸筋の所の血が頭へ行かず、そのまますぐ手足へ下りるんです。
倒れましたときには「頭と頸(くび)の所です。
頭をするのは毒血が頭の中で固まりやすいからです。
よく倒れると頭を氷で冷しますが、あれは絶対いけないんで、
あれをやると脳の中で固まってしまうんです。
だから出るだけ出たほうがいいんです。
従って安静に寝かせる必要もないんです。
死んでしまうのは氷で冷やすから死ぬんで、
冷やさなければ死ぬはずはないんですよ。
〇乱視の急所
延髄の所に固まりがあって、それが眼を圧迫して・・・人によって毒が動揺することがあるんですが、
そのために血の流通が妨げられて、眼に行く血の量がむらになるんです。
だから、延髄の所をやればなんでもなく治ります。
〇底翳の所
翳(そこひ)というのは、みんな膿なんだす。毒下しものです。
この毒が・・・下痢というのは、その毒下しの毒です。よほど強いものです。
これが止まると同時に ・・・と言うんだから、毒が目に来たんです。
その時分本を読むかなにか、目を使うとなりやすいんです。
これは作った病気です。
これも無論良くなるんですがね。これは治らないことはないです。気長にやれば治ります。
霊射は、一番肝腎なのは、後頭部の真ん中ですね。
目はここが元なんですからね。
これは何の目でもそうですね。近眼でも乱視でもね。
後頭部から下がった真ん中の所ですね。
ここが、一寸丸くらいの所が、目の一番の急所なんです。
あとは、目の外からやって、後頭部と・・・それが急所です。
あとは頸のまわり、肩と・・・無論固まりがありますから、そこを霊射する。
それで治ります。
〇嬰児の憑霊によるひきつけに対する急所
目つきに変わりはありませんが、歯軋(はぎし)りのようなことをし、
また手を噛むようなことをいたして暴れまくる子。
平素より肩が固く、気短かで、気に入らないと手当たりしだいに物を投げたりいたし、
気難しい子供の場合。
また昼夜の別なく発作的に騒ぎ出す子供。
これは霊的ですね。死んだ赤ん坊の霊ですね。
身内になければ、親類とかなにかで、つまり迷っているわけですね。
これも祈言(のりごと)、弔霊(ちょうれい)を聞かしてやるんです。
そうして前頭部の中を霊射してやると良いです。
それでだんだん良くなるわけです。
〇口、鼻から膿が出る時の急所
これは、その膿汁が出る近所です。
それから鼻。顎は額・・・前頭部ですね。
それが溶けて鼻に来る場合と、後頭部から延髄にかけ来る場合と、
額が溶けてくる場合とあるから、その三カ所を調べてやれば良いんです。
〇小児麻痺の急所
後頭部より頸、肩、腰、足の付け根、膝の裏、足の裏などです。
急所は、膿の固まった所ですから、自分で押してみれば、痛いか熱があるか、
どっちかですから判りますよ。
それが急所です。それから、あとは自分で頭をやって・・・それだけです。
★小児麻痺〜この病気は真症と擬似と両方あるが、医学ではその区別を知らず混同している。
しからば真症とは何か、というと、原因は霊的で、その多くは脳溢血で急死した霊の憑依である。
従ってその症状は脳溢血と同様で言語不能、半身不随等である。
そうして発病は幼時と少年期とが多く突如として発病する。
今まで学校の成績もよくなんら異状なき健康児が、高熱、痙攣を起こし脳溢血的となるので実に恐るべき疾患である。
なぜ死霊が憑依するやというに、重症脳溢血は発病と共に死の転機が速かなるため、
霊は死の覚悟がないから、霊界人となってもその想念は生きているつもりでいるが肉体が無い。
従って無意識に肉体を求めるが、その場合他人には憑依出来ないから近親者に憑く。
何となれば近親者はすべて霊線の繋りがあるから、その霊線を辿って憑依するのである。
ここでこの霊線について説明してみるが、夫婦間は最も太く、親子、兄弟、親類、子弟、友人等縁の薄くなるに従って細るのである。
そうして死霊憑依の場合、成人者より小児の方が憑依しやすい事と、たまたま感冒等によって高熱、食欲不振等、衰弱時を好機とするのである。
その場合、祖父母の霊は孫に憑る事が多く反って親の霊が子に憑る事は少ないのである。
この事についておもしろいのは医学上においても遺伝性疾患は一代おきになっている事である。
彼(か)の癲癇もそうであり、人間の性格においても、両親よりも祖父母に似る方が多いのはそのためである。
右の外変死のごとき突然死の霊も憑依して小児麻痺となる事がある。
この場合も死の覚悟がないため、脳溢血と同様、人間を求め霊線を通じて憑依するので、
もちろん死の刹那の状態を表わすのである。
〇骨なし娘
実例;十八歳の娘で御座いますが、生れつき骨が御座いません。
寝たままで御座いまして、食物も自分では戴く事も出来ず話も出来ません。
但し月経は御座います。霊的にいかなる関係が御座いましょうか。
骨が無いのではない。柔かいのである。
蛇の生れ代りである。未だ浄化していない。
小さいうちなら殆ど治るが、十八にもなると固まっているので、ある程度しか治らない。
坐る位にはなるかもしれない。
〇眼病と蛇供養
霊的の眼病も多くあります。
これはほとんど蛇の霊で、蛇の霊を祀って治したものですが、非常によく治ります。
これは蛇を殺す場合によく頭を潰すので、その際眼をも潰し盲蛇になるので、
その死霊が人間に憑ると人間の眼が見えなくなるのです。
今は誰もが出来ない事と迷信視せられる懼(おそ)れがある等でやめております。
以前、鶴を殺した人に鶴の霊が祟って、嘴(くちばし)で眼球を突つかれて失明したという話を聞いた事があります。
これは事実あるべき事であります。
そうして蛇の祟る場合は、どういう訳かというと、
祖先の死霊が霊界で蛇になり一家を守っている。
それは家門へ対する執着の為であります。
元来蛇は、執着の物質化ともいうべきものであります。
それを知らずに殺すと、元来が祖先であり、
執着者であるから非常に怒るので、それが子孫へ祟るのであります。
そういう蛇はほとんど青大将で、昔から旧い家の土蔵などによく居りますが、
皆それで、これは絶対に殺してはならないものであります。
如何して憑くかと言うと、これはたいてい蛇で、
蛇を殺すとき頭を砕き眼玉も一緒に潰してしまうんで、それが憑くんです。
蛇は先祖で、それを殺したので怒った。
〇蛇の祀り方
青大将は殆ど祖先である。
青大将を先へ祀り、これは家の名がよく、山かがしは土地か山の名をつけて両方書く。
お宮の前に小さい池を作り、供物は生米や水、塩がいい。
神向きがある程度まで行ったら処分してもよい。(その中人間に再生する)
処分してもよいが、勝手にやったらだめです。
神様に、先に霊界へ行った龍神が一日も早く人間に生れるよう祈る。
蛇って言うより龍神と言ったほうがいいです。なんでも言霊のいいほうがいいですからね・・・。
御先祖の龍神を一日も早く人間に生まれ変わらせていただけますように、とお願いするんですね。
すると人間に生まれ変わるのがずっと早いんです。
三年位祭って、その後やめてもよい。
〇梅 毒
この病気は、膀胱内に一種の石が出来るのであって、排尿の故障又は痛苦を伴うものであります。
原因は、胆臓からの胆汁が浸出し、それが腎臓を通過して膀胱へ入り、尿中に混入せる水膿と結合し、化学的に結石するのであります。
これは、胆石と同一の理であります。霊的光力によれば、結石は漸次崩壊して治癒しますが、相当の時日を要するのであります。
軽症一ケ月、重症三ケ月位であります。
曇りは何うして出るかと言うと、霊体の弱いところへ出るのであるが、その原因は祖先のと自己の罪穢であって、何故曇りが弱い
ところへ出るかと言うと、同じ頭を使うにしても善に使うとか悪に使うとかで差が出来るのである。
「此病気の原因及び症状は、不純の性交後一週乃至三週位にして、亀頭下に豆状の固結(疳瘡(カンソウ))
を生ずるのであります。梅毒に於けるそれは、無痛であるのと、硬結性が特徴であります。そうして飽
迄進行性で、次で、横痃(ヨコネ)を発生しますが、之も無痛と固結性であります。
次に、全身的発疹、発声不能、毛髪脱落等にまで進むのが、此病気の順序であります。
霊的光力を行へば必ず全治するので、而も、案外容易に治癒し、而も根本的であるのであります。
軽症で一ケ月位−重症で三ケ月位であります。」
霊射は腰の痛い時そこだけ霊的光力する。だるいと云うのはそこから熱が出ている。
その熱で体がだるいのですからそこだけやれば良い。
〇軟性下疳 (なんせいげかん)
この病は、梅毒と似てはおりますが、全然異って善性であります。
症状は、不純な性交後、二、三日にして疳瘡を発生し、次に横痃を発生するのでありますが、それだけで、それ以上に進行しないのが特色でありますから、
梅毒のような心配はないのであります。
そうして疳瘡も横痃も必ず痛みがあり、柔軟性であります。
霊的光力を行えば、短時日に容易に治癒するのであります。
しかし、梅毒即ち硬性下疳と軟性下疳と併発する事がよくあるから注意を要するのであります。
前述のごとく、硬性下疳と軟性下疳との区別を明かにした医学の功績は、賞讃に価いすると思うのであります。
右二種の病共、最初は多少の発熱を見るのであります。
治療は、軽症で一、二週間位・・・重症で一ケ月位であります。
(註 軟性下疳(なんせいげかん)・・・性病の一。ジュクレー連鎖桿菌(かんきん)の感染によって起こる。
感染後2、3日して陰部に米粒ほどの膿疱(のうほう)性の発疹(ほっしん)ができ、潰瘍(かいよう)となって痛む。)
〇淋 病
この病気は、不純な性交後二、三日位経て、尿道に不快を感ずるのであります。
最初はムズ痒く、次は、排尿の際痛みを感じ、なお進んで耐えられぬ激痛を感ずるもので、相当の発熱もあります。
そうして、悪化するに従い、盛んに白色の膿が尿に混って出るので、その際コップに採って見る時、濛々(もうもう)として煙のごとく不透明であります。
発病後、普通一週間目位が最盛期で、それを過ぎると、漸次、快復に向うものであります。
そうしてこの病気は統計上、飲酒家に多いので、世間よく「下戸は梅毒、上戸は淋病」という言葉がありますが、そういう傾向のあるのは事実であります。
治療の場合、触指は不可能でありますから、霊的施術のみでいいのであります。
急性は速かに治りますが、慢性は相当の時日を要するのであります。
元来、淋病なるものは、一度罹病するや、医学上でも終世全治せぬものとされていますが、これは事実であります。
勿論、黴菌による伝染ですが、全治したようでも、実はその黴菌は死滅するのでなくて、活動力が衰耗したのであります。
それは、繁殖力と伝染力を失っているに過ぎないので、言わば、有機的動物性から、無機的植物性に変化したのであるから、いつ、飲酒その他の不純性動機によっては、
有機性に還元し、再発しないとは言えないのであります。
慢性になり易いのはこの理によるからであります。
これら花柳病は、霊的に言えば、不純行為に対する・・・「天の警(いまし)め」とも言うべきものであるから、
患者はその非を自覚し、再びせざるべく悔悟する、その精神が治癒を速かならしむる力は、予想外大なるものがあります。
そうして、尿道疾患であるから、出来るだけ水分を飲み、排尿を数多くするのが、洗滌的効果があるので、その際、松葉を枝共煎じて服用すれば特にいいのであります。
それは、松脂の成分が、菌の巣窟へ対し、パラフィン紙で密閉するような作用をするからであります。
そうしてこの病気は、移行する性質のものであるから、その点大いに注意すべきであります。
それは摂護腺炎、睾丸炎、膀胱疾患等にまで及ぶからであります。
最盛期を過ぎるに従い、尿中に淋糸と名付くる木綿糸位な膿糸があり、それが漸次短くなりつつ治癒するのであります。
しかし全治後といえども、数年は多少の淋糸を見るのであります。
軽症で二、三週間・・・重症で一、二ケ月かかります。
淋病の淋菌「ゴノコツケン」は動物性の時は伝染するが、時が経つと菌が苔のように植物性になると伝染しない。これが酒などのむと又動物化するのである。
神経痛の中には、淋病が原因で発る事もある。之は大抵腕の関節に多いが、割合順調に治るものである。
淋菌は絶対なくならぬ。尿道へ向って霊射すれば少しづつ溶けて、小便になって出る。特に腎臓をやる。腎臓が働きだせば訳なく治る。
オーラルセックス(英語:Oral sexから由来、口内性交とも言う)とは、歯や唇や舌や口腔を駆使して行う性行為全般のこと。
これは、男性器を口腔などで愛撫するフェラチオ・イラマチオ、女性器を口唇などで愛撫するクンニリングス、肛門を口腔などで愛撫するアニリングス、
また同時に相互の性器を口で愛撫しあうシックスナインなどの種類に分かれる。これらの行為は霊的に言えば、動物的行為であり、不純行為に対する・・・「天の警(いまし)め」とも言うべきものである。
また性病、口腔癌、舌癌、喉頭癌の危険性が大である。
《霊射》 患部、膀胱部、腎臓部
〇摂護腺炎
この病気は、淋毒が尿道の深部へ深部へと移行し、ついに摂護腺(せつごせん。前立腺の旧称)の粘膜を犯すので、
症状としては、患部の痛み、排尿時の痛み及び発熱等であります。
霊的光力は、淋病と同一でありますが、触指は有効であります。
この病気は、治癒までに相当時日を要するのであります。
まず軽症二、三週間・・・重症一、二ケ月を要します。
〇睾丸炎
この病気は、摂護腺炎が進行して、ついに睾丸を犯すのであります。
症状としては、睾丸の激痛、腫れ、発熱等で、一方の睾丸だけの事もあり、複睾丸炎即ち左右両方の場合もあります。
霊的光力によれば、割合治癒し易いので、短時日に全治するのであります。
何となれば、淋毒が睾丸炎まで進む頃には、浄化力の為、相当膿汁が弱性になっているからであります。
軽症一週間・・・重症二、三週間であります。
〇痔
痔には、種々の症状があります。痔瘻、痔核、脱肛、痔出血等であります。
〇痔 瘻(じろう)
症状としては、肛門の内部又は深部に膿汁の為に瘻穴が一個ないし数個作られ、その穴から絶えず排膿されるのです。
無痛と有痛とありますが、有痛の方が悪性で非常な激痛のもあります。
又悪性は糜爛して瘻穴の所在さえ判らぬ位であります。
原因は、脊椎カリエスの膿が下降して、肛門から排泄されるのであります。
痔瘻が治癒すると、肺結核になり易いというのは、右の排膿が閉塞される為、排泄口を肝臓に求めるからであります。
霊的光力によれば確実順調に全治するものであって、軽症は一、二週間・・・重症は二、三ケ月とみればいいのであります。
〇痔 核
この病気は、内痔核と外痔核とあって、内痔核は肛門内部へ発生した一種の肉腫であり、外痔核は外部へ露出したそれであります。
多少の痛みを伴うもので、慢性的のものであります。
原因は一種の弱性膿結であります。
霊的光力によれば、相当の時日を要しますが順調に全治するのであります。
軽症二、三週間、重症一、二ケ月を要します。
〇痔出血
この病気は、一名裂痔ともいい、肛門内部の皮膚が亀裂して出血するので、排便時相当な痛みがあるのであります。
原因は、浄化作用による毒血が下降して肛門付近に滞溜し、排泄されるのであるから非常にいいのであって毒血が出るだけ出れば、自然に治癒されるのであります。
霊的光力によれば一層速かに全治するので、軽症一週間、重症二週間位であります。
〇脱 肛
この病気は、肛門の贅肉(ぜいにく)が外部へ露出するので、軽症は指頭で圧すれば還元しますが、重症は容易に還元しないので、非常に不快を感ずるのであります。
この贅肉は、空気に触れると膨脹性があります。
原因は、排便時間の長いのと、便秘に因る息み等であります。
従って、治療せんとするには、原因である排便時間を短縮する事で、少くとも一回五分以内にしなければなりません。
又水分を出来るだけ多く摂って便秘を防ぐのがいいのであります。
この二つを気永に実行すれば一、二年位で大体治癒するのであります。
なお霊的光力を行えば、治療の期間を何十分の一に短縮するのであります。
痔の病としては、右の外にも種々ありますが、大同小異だから略します。
いかなる種類も、いかなる悪性の痔疾も、霊的光力によれば百パーセントの治癒率であります。
〇精神病
精神病というのは、最初は暴れて、それから無口になるものです。
それから治る順序になるんです。
ですから、そういう順序です。
〇水泳中の心臓麻痺
これはやはりあまり過激に運動するからでしょう。
運動にも程度があります。
また、もう一つの原因は冷たいと毒が固まります。
冷たいために心臓の周りの毒が固まって、それが心臓を圧迫するんですよ。そんなわけです。
心臓麻痺を起した直後の霊的光力はどこを主するか。
無論、心臓です。・・・
水が冷たいときには、冷えきってしまって駄目になることもあります。
つまり「冷たくなる」んです。
〇歯槽膿漏も腎臓である。
〇逆中気
関節(肩の奥)の塊のため手が震える。
〇心臓喘息・・・治る。心窩部(しんかぶ= みぞおちの痛み)の両脇である。
〇息切れの急所
毒の性質によっていろいろに違います。
早く溶けて下りるのとそうでないもの、これは毒の重い軽いという意味もあります。
それで重いのは早くいかないからして遅い。
遅い時に、人間は使う所に固まりやすいのです。
ですから霊射を始終やっていると、肩の神経を使うからどうも腕に固まりやすいのです。
それから割合に背中に固まります。
それからそれがだんだん下がって行って腰に固まります。
これが息切れの原因になります。
背中から脇の下、肋間が息切れの原因なのです。
それから喘息の原因にもなります。
だから喘息といっても頭や頸のまわりに非常に原因がありますから、そのつもりで霊射することです。
それからこの間一度言いましたが、尾てい骨の付近に溜まった毒素のために、それが息切れの原因になります。
よく、歩いて息の切れる人、特に坂などを上って息が切れる人は、尾てい骨の付近に溜まった毒素のためなのです。
というのは腰が重いから、それにつれてやっぱり足が重いのです。
そうすると骨が折れるから息が切れるというわけです。
始終腰を霊射してまりますと、腰が非常に軽いのです。
つまり坂などを速く上れないということは息が切れるためです。
というのは、腰が痛んだり圧迫されたりするためです。
そのために骨が折れて息が切れるのです。
そういう人は腰の真ん中の所を自分で霊射するとよいです。
そうするとウンと良くなります。
ですから、汽車や電車に乗る時には人より先に乗れるくらいでなくてはならないのです。
そう言うと意地が悪いようですが、そうではないので、今の人は腰が重いから敏捷にゆかないのです。
それでこっちは腰が軽いから体が敏捷に運ぶから、人よりか速く乗れるわけで得です。
しかしこれは自然ですからしかたがありません。
人を押しのけるのでなくて、先がノロイからこっちが速くなるのです。
〇狂犬病の急所
早いうちなら咬まれた所をやればよいです。
咬まれると、それだけ腫れたり痛みがありますが、それは犬の歯から出る毒です。
それが時間がたつと体にまわるから、そうしたらまわった所をやれば何でもありません。
ちょうどマムシに咬まれた場合と同じです。
マムシに咬まれると、その毒がだんだんまわって来て、それが全身的になったら死ぬのですから、
それを霊射したら何でもないので、これはわけありません。
〇色盲の急所
頭です。
全体ですが、中心です。
前頭部から中心を狙ってやり、横側からも中心を狙ってやるのです。
その内で延髄が中心です。それから頭をやるのです。
〇鳥の憑霊・再生による病気
鳥眼などは鳥の霊が憑くので、又、鼻の病気、即ち、蓄膿、鼻茸(はなたけ)、肥厚性鼻炎など、大方鳥の霊で、
以前鼻の悪い人で、目白の霊が憑いていたので、それを祀ってやったら直に治った。
不思議に鳥の霊は、鼻へ憑くのであります。
そういう霊が原因の病気でも、浄化法をやれば治るので、それは病霊の曇が除れると、
人霊ならば浄化し、動物霊なら畏縮するからであります。
鳥目には二種類ある。
前世で鳥であったのが生まれ変ったものと、鳥の霊が憑依したものとある。
鳥の生まれ変りは、目だけがまだ鳥の性質が残っているんです。
途中から鳥目になったもののほうが治りやすい。
鳥眼の原因は前世に鳥だったのが転生し、その性能が残っている。霊射で治る。
ただ手術したのであれば薬毒でどうなるか、問題はそれだけである。
鳥眼とは鳥であった時代の習性が残っている。
人から鳥となり、それから人間になったものである。
医者にかからなければ鳥眼だけで済んだであろう。
医者へかかって失明するまで悪くしてもらった。
全く医学禍の被害者である。この位大きな間違いはない。
それを救う手段方法も神様から与えられた。
これを知った以上じっとしておられないではないか。
〇夜目がきく (鳥、猫の憑霊)
か猫の霊か何か憑いたのであろう。夜見える霊である。
肺炎というのは・・・、そういう霊の憑いた時はキッと非常に熱が出るのを間違えたものである。
きっと治る。頭を霊射する。前頭部の奥を主に霊射する。
夜活動した動物で、鳥であろう。鳥には遠くが見えるのがある。
〇霊的な無嗅覚は鳥霊の憑依
的と体的と、二種ある。
霊的の場合は、鳥の霊の憑依で、これは治癒に長くかかる。
霊射は鼻柱を中心に前頭部である。
体的原因としては、後方首筋の両側、特に延髄付近に毒結ある場合と、中には鼻柱両側に蓄膿のあるためとである。
〇鳥の霊が頭へ憑くと無嗅覚になる
局部的と全体的とある。
局部的が全体になる事がある。
頭へ来ると全体を支配出来るから憑くと同様に、鳥の霊が頭へ憑くと無嗅覚になる。
鼻へ憑く事はない。
〇鼻 病
鼻茸(はなたけ)は、鳥の霊で鳥の嘴が物質化する。
それがちょうど、茸(きのこ)のようですから名付けたものと思います。
これもよく治ります。浄化作用をすれば段々畏縮し崩壊するのであります。
まず軽症で一週間、重症で一ケ月位で全治致します。
〇霊的なシャックリは七面鳥の憑依
これは横隔膜です。
きっと食道に物がつかえたときのように横隔膜がよけいな運転をするのでしょう。
胃の噴門から横隔膜へ寄った所に原因がある。
食物の消化の関係や刺戟などで起る。
癖になるものである。
その場合後頭部の延髄をすれば治りますし、また胃の噴門の辺をしてもいいです。
霊的には七面鳥の霊が憑くとシャックリをします。
シャックリは横隔膜の真ん中に原因があります。
それで治らねば鳥の霊である。鳥の霊の場合は長い。
その場合は喉からの中心線、特に胃部、横隔膜近所、背中と、霊射する。気長にやる。
。
霊的のシャックリは鳥霊の憑依で、シャックリの仕方がふつうとは違います。
鳥のように喉を鳴らす。これは生命に係わる場合がある。
〇殺された複数の鳥の祟り
鳥の啼き声しか言えない男性
鳥が祟ったもので、殺された鳥の生れ代りで、多くの鳥が一匹になって生れ替る。
普通の鳥の生れ代りと違う。
〇足指六本の女 鳥の再生
実例;十八歳の娘で御座いますが、幼い時右足小指が特に小さく、
その隣に小指と同様のものがありましたため手術を致し切り取りましたが、
最近またそれが大きくなりまして、婚期を控えておりますので本人及び家族の者が非常に気にして手術を致さねばならないかと申しております。
指六本ある鳥の生れ代りである。霊射で鳥の分子が消え、人間のみになって治る場合と直らない場合がある。
切離したほうが良いか、霊射のほうが良いか、どっちとも言えないです。しかし霊射で治るはずです。
だんだん離れていって治るはずです。
前の世に動物か鳥のごときもので、すっかり浄化済まず生まれたものである。、差支えない。別に恥ずかしい事はない。
鳥の霊はいい。悪人にはない。善良である。
〇稲荷の霊
稲荷を祀るのは本当は間違っている。
人間は上であるから下のものを拝む訳で、何にもせぬ方がよい。
玉のようなものは狐の霊で、まず神様をお祭りする。
稲荷はそのまま段々萎縮して改心するようになるか、逃げるのがある。
その上で廃する。そして霊射すれば治る。
稲荷は、農業に対し感謝と礼をいうのはいい。
それ以外は管轄外である。産土の眷族で働いてるのもある。
だいたい稲荷というのは、百姓が稲を守ってくれというだけのもので、他になにも意味はないですよ。
だから、稲荷というものは、外に祀らなければならない。
田んぼの一カ所をきれいにして、そこにお宮を作って祀るんです。
人間の家で祀るべきものではない。
人間の家に祀って拝むというと、狐は下を歩いているものです。地以下です。
狐を拝んでいれば、霊的に地獄になっている。
狐のほうで人間を拝むなら良いが、人間が狐を拝むというのは、狐以下になっちゃう。
狐以下の運命になるよりしょうがない。
だから、狐を祀って拝んでいれば、必ず不幸になります。
というのは、先にも言ったが、狐というのは、だいたい、天照大神様が、最初日本の人口が増えるに従って、
米をたくさん作らなければならないというので、豊受明神(とようけみょうじん)に命じて、
早く日本中に稲種を配るようにと言うので、豊受明神が狐に命じてくわえさせて配られた。
だから豊受明神というのは、狐に乗って、狐が稲をくわえているでしょう。
そういう御神体です。
だから百姓は狐にお礼を言って、稲作を御守護してくれと、お宮を作ってお参りしたものです。
ところが狐のやつ、自分の職務以外の範囲にのさばってきた。
というのは、力があるからね。なかなか霊力があるからね。
しまいには、日蓮上人と仲良くなって、日蓮宗は狐を利用して開いたものです。
そんなようにして、だんだん狐が一大勢力を得てきた。
豊川稲荷、伏見稲荷だとかいろいろできた。
狐を家の中に入れて拝むというのは、地の下になることになる。
しかしむやみに帰らせたり、処分したりすると怒りますからね。
しかし、狐もいろんな御利益なんか与えるから、人間のほうが乗っちゃう。
しかしそれも一時的で、だんだん地獄のほうに行っちゃう。だから禍いがある。
だから、神様をお祀りして、少なくとも一年以上経ってから、正式にお祀りしてお帰りを願う。
野狐と違って、伏見の稲荷は良いですからね。解りが良いですからね。
一年以上経ったらそうすれば良い。
主の神様は最高の神様だから、霊界が天国になるから、禍が来ないで、良いことばかりくることになる。
〇発話障害の急所
早く治るのとなかなか治ららないのと、すっかり治るのと、半分治るのと、種々ある。
極くヒドいとみて霊射で半分位は治る。
健康診断は肩と耳下である。耳下腺をする事である。
どんな病気も耳の下が柔かくなっていなくてはいけない。
肩の固いのもいけない。
成功した偉い人は必ず肩が柔かい。
これは精力がある訳である。
人間の健康は肩が柔かく、次は耳の下を柔かくする事である。
〇黒底翳の急所
そこひ・・・眼球内に障害があって物の見えなくなる病気。ひとみの色によって、
白そこひ(白内障)・青そこひ(緑内障)・黒そこひ(黒内障)とよばれる
霊的の場合は蛇である。蛇を祀ると治る。霊射で治る。
薬で固めたのは治り難い。
目、頭、首、肩、腎臓を霊射する。
黒底翳は毒血であり、青白底翳は膿である。赤目・・・目から離れると白い膿になる。
目は溶ける事がある。
目を蒸した所、膿が集中し、裏から押出されて瞳が飛出し、落ちそうになった。確かに流れる事がある。
〇網膜炎の霊的原因
こういうのは蛇の霊が多いんです
蛇を殺した霊ですね。それか、あるいは盲で死んだ霊ですね。どっちかですね。
ですからこれは、頭を良く霊射して、そうして霊を救ってやること
無論神向き讃詞を読んで聞かした方が良いです。
それから、頸筋に固まりがありますから、それをよく取る。治るんですがね。
ただ、脊髄液を取ったりしないこと。取ったら、非常に長くかかります。
〇埋め井戸の龍神の祟り
実例;父が住宅を建てた時古井戸を埋めましたが、それ以来父親は大病ばかり致しました。
親の病気がよくなるのと前後して私の妹が両眼及び左耳を塞がれてしまいました。
これは井戸の龍神が怒ったのである。
〇怨霊による失明
実例;田の草取りの最中、稲の葉先で右目を突いて以来、
日に三度は必ず霊射を続けておりますが未だに光がさしません。
最近は目脂も涙も止ってしまいました。
左目は五年前脱穀の時、もみが当ってそれが原因で失明してしまいました。
これは目を潰そうとする怨みの霊が憑いている。
過失ではない。
出来るだけ神向き讃詞を奏げ、弔霊をたむけてあげる。
そうすれば治る。
〇先天的盲目は変死失明者の再生
前世 死の際、変死した霊の再生で、死の際 失明したのが、
霊界においての浄化不充分のまま生まれたもので、親が神向きを励み、
気長に霊射すれば全部、またはある程度治る。
〇生来の盲目者
眼が生れながらにして左右共に相当厚い白膜に掩(おお)われ、
左は全く見えず、右眼は深く窪んでおりますが、
太陽や電燈を見せますと明るさが少々解るらしい。
右はいかなる理由でこうなったのでしょう。
治るものか。
前世で盲であったのが霊界へ行って治らぬうちに生れた。
罪で盲になるのがある。
〇弱視の霊的原因が前世の事例
三、四歳のころ、手探りで遊んでいることから眼が不自由なのに気づき、
医診では生来、視力が弱いのだから近視、乱視と異なり眼鏡矯正はできないが、
成人して体がしっかりしてくるに従って良くなる。
それまで待つよりないと言われ、治療はぜんぜんいたしませず放任のまま今日に至りましたが、
視力は依然として弱く、時には、ほとんど見えないこともあり、就職も思うに出来ない状態です。
これは霊的らしいですね。前の世で、つまり死ぬ時に盲で死んだか、あるいは死ぬ時に目をやられて死んだかですね。
ぶんなぐられたりして・・・撲殺で目をやられたかですね。
とにかく、なにかで目をやられて死んだ霊ですね。
それが霊界で治りきらないうちに生まれ変わってきた。
これは治らないことはない。治るんですがね。ただ、こういうのは長くかかるんでね。
それから、よく・・・ぶんなぐられたりしていると、後頭部をやられて見えなくなっていることがあるからね。
たいてい、前をやられて見えなくなるということはないです。後ろです。
それで、後ろがふつうじゃないですよ。固まりがあることがある。それを霊射して取るんです。
そうすると、ふつうになるかどうだか解らないが、不自由がない程度には治ります。
〇瞳孔の伸縮
前の世で死ぬ時、瞳孔が開いて死んだ。
それが残っているのである。
瞳孔が開くと見えぬものである。
死人は皆瞳孔が開く。
〇霊的眼病は蛇を祀るとすぐに治る
固まってるのである。目薬を一滴でも非常に固まるものである。
目の固まったのはなかなか溶けない。
一回やっても見えるようになる底翳もある。(全然薬を使わぬ場合)
霊射して変化のないのは固まっているのである。
目の裏をよく霊射する。目を狙ってやる。目脂など出ればきっと治る。
また、目の上も肝腎である。(後ろから眉間へ来て目へ下るのである)
故に眉間が熱いとか、熱くなるのは結構である。
目、頭、首、肩、腎臓を霊射する。
黒底翳は毒血であり、青白底翳は膿である。
赤目・・・目から離れると白い膿になる。
目は溶ける事がある。
霊的の原因もあるが、若い人に多い。
霊的なら早く出る。
大抵蛇の霊である。盲は蛇を祀るとすぐに治る。
霊的の場合は蛇である。霊射で治る。
薬で固めたのは治り難い。
〇底翳の原因
普通、体的原因が多い。頭の毒が眼の裏へ固まる。
たまには霊的もある。蛇である。蛇の霊が憑くと見えなくなる。
霊射だけで治る。薬を用いたのは手間がかかる。
何にもしてなければ、それだけ早く治る。
〇色盲は動物霊の再生・憑依
色盲の原因は動物霊の再生又は憑依であって、
動物の特性が眼に残存している訳である。
〇眼 病
若くして遠視になる人もあります。
これはどういう訳かというと、老人の死霊が憑った場合であります。
鳥目というのがありますが、これも矢張り鳥の霊が憑るので、夜は見えない。
それに引換え獣は昼間より夜の方が割合見える。猫などその代表者でありましょう。
本来、日本人は鳥的人種で、西洋人は獣的人種であります。(中略)
色盲は、人間以外の霊が憑く為であります。
畜生や鳥の霊などは想像も付かぬ程に物体が変って見えるのであります。
馬などは、人間が非常に大きく見えるといいます。
ですから馬が暴れた時、人間が両手を拡げると必ず停るというのであります。
で、畜生は人間の様にあらゆる色彩を見る事が出来ない。
それは人間の様にあらゆる声音言葉が現わせないのと同じ訳で、
動物の音声は一種か二種より現わせない。
そのごとく色彩も一種か二、三種より判らないのであります。
〇色盲・夜盲症 (動物霊)色盲男子に多し
動物霊時代のものが残っている。
軽いのと重いのとあり、事実ははっきり言えない。
いくらかずつ良くなる。
動物は一色か二色の単一色に見える。馬なども赤一色である。
音声でも一色か二色である。一番種類の多いのは人間である。
獣の性能は男の方が濃い。
〇鳥目・夜目について
生まれつきの鳥目の霊的原因
鳥目には二種類ある。
前世で鳥であったのが生まれ変ったものと、鳥の霊が憑依したものとある。
鳥の生まれ変りは、目だけがまだ鳥の性質が残っているんです。
途中から鳥目になったもののほうが治りやすい。
効果のないものでも気長にやれば治る。
ただ手術の薬毒でどうなるか、問題はそれだけである。
〇夜目がきく (鳥、猫の憑霊)
鳥か猫の霊か何か憑いたのであろう。夜見える霊である。
前頭部の奥を霊射。気長にやれば治る。
〇逆睫毛と手術
霊的で、目は日月、日月は神となる。(眼は日月(カ―火、ミ―水)、目はカミになる。)
従って先祖が神を蔽(おお)い隠すような、神に対する間違った事をした罪による。
目は神ですからね。だから毛が目を突くんですよ。
故に手術しても、抜いても後出る。
故に神様へ対しその人か祖先かの逆な事をした刑罰である。
神向きへ入れば治る。
〇怨霊による聾耳(じろう=耳がきこえない)
祟ってやるという決心の霊があり、自分が聾にされたという怨みである。
あいつのために聾にされた、代々祟ってやろうということもある。
またこういう場合もある。
神様の話など妨害して聞かせぬようにする。
そういうのは神様の方の(反対の)龍神、天狗などで、代々祟ってやろうという怨みである。
「人を聾にした怨み」である。
人の怨みが一番恐ろしい。
こういう怨みの霊は龍神になる。
龍神になると非常に力が強くなり、訳なく人も殺す。
日蓮の行者など非常に龍神を恐がるのがある。」
出来るだけ多くの人を救う。そして徳を積み、神様の守護を仰ぐ。
〇耳 病
耳は全聾と半聾、耳鳴、中耳炎、耳垂等があります。
聾(つんぼ=耳の不自由な人)は、中耳炎などの為に自然的に鼓膜が破れたのと、手術などで人為的に破ったのとあります。
又その鼓膜の破れ具合によって、軽い重いがあります。
しかし鼓膜はなくとも相当に聞えるものであります。
中には、鼓膜は何とも異常がなくて聞えぬのがありますが、これは実は霊的であります。
それは木龍というて、樹木に憑依している霊で、蛇の霊又は鳥霊であります。
聾という字は、龍の耳と書きますが、龍は声が聞えないとしてあるが、音によって聞えるのであります。
蛇は、笛の音などはよく聞えるのであります。
龍には種々な龍があって、木に憑いてる龍を木龍と言い、多く大木に憑いている。
松、柳、銀杏(いちょう)等が多いのであります。これらの木は霊が憑き易い。
よく大木を伐ると祟(たた)る話がありますが、それであります。
以前生麦(なまむぎ)に大きな松があって、京浜国道を作るのにどうしてもその木を切らねばならない。
まず最初に枝を切った男はその晩に死に、次に枝を伐った男もまた死に、
親方は不思議に思ってる内に病気になった例がありますが、
これらは木龍の憑いてる木だったのでありましょう。
聾は木龍の憑依が多く、そういうのは鼓膜が何ともなく、耳には何ら異常が無いのに聞えないのであります。
木龍の憑いた為の聾はなかなか治り難い。
これは正しい神向きによって善徳を積むより方法は無いので、その功徳によって治るのであります。
龍神が助けてもらいたい場合もある。
神の依代(よりしろ=御神体)に向い、または自分に向って祈言を奏げる。
そして早く救われるよう御願いする。
〇口利けぬ子 (木龍祟り)
治る。
木龍か何か憑いている。普通の木龍ではなく何かの祟りである。
その執着が龍神になっている。
前頭部と首筋の塊を霊射する。耳が聞えれば口はきける。
〇ひきつけ
引付けるのは霊が頭へ行くからである。
憑いた霊に動物霊が憑っている。
女郎屋は狐霊が一番よく憑く。
代々夜の接待飲食店(男も女も)なんぞは狐が懸かってくれと云わんばかりである。
動物霊だと暴れたり踊ったりするんですが、人間の霊が憑いた場合は、
割合に静かになっている。
これは大体頸のまわりに固まりがあります。
主に延髄にありますから、そこを霊射してやって、御神書をできるだけ聞かせるんです。
霊射で治る。
家でそういう人間が出て苦しむというのは、罪穢れがあるからです。
それを減らさなければならない。
そこの家の霊界が浄まってくると、萎縮するんです。
家の霊界も浄めるといいでしょう。
〇酒乱は人霊と動物霊の共同憑依
精神病について、動物霊ですが、お酒を飲むとやり良いのです。
それで酒を飲ませて酔わせていろんな間違いをやらせるのです。
酒を飲むのはやっぱりお腹にいる先生ですが、それがここ(前頭部)に蟠踞(ばんきょ=かがんでうずくまること)して、
いろんなことをやろうというのです。酒乱はそのごく酷(こ)いのです。
それで酒乱は人間の霊と動物の霊が共同でやるのです。
そういうようでだんだん精神病が多くなってくるのです。
特にアメリカは精神病が一番多いそうです。
霊界の浄化がだんだん強くなるに従って、そういった動物霊は落ちついていられないので浮いてくるのです。
ですから元からいるやつはここ(前頭部)に上がるし、それからつまり宿無しですが、
霊界にいるそういった宿無しというのはたいへんなもので、人間より多いのです。
ですから人間に憑りたがってウズウズしているのです。
しかし神向きがあると憑りたくても憑れないし、憑っても自由にできないのです。
しかし神向きのない人や曇りがある人には憑りやすいのです。
それから薬をのむと曇るから、やはり憑りやすいのです。
ですから精神病の起った原因も薬です。
そこで霊界にいる宿無しは、始終迷って憑ろう憑ろうとしているのです。
それでちょっとよけい曇っている者には一匹でなく何匹も憑るのです。
ですから発作の状態でも一々違います。
〇胃病
胃病は薬が原因である。腹ばかりやってるからいけない。
背中、肩、頭をやる。胃は背中をやらねば絶対に治らない。
胃がわるいと消化薬を服む、そして消化のよい物を食べるんですが、
これがまた大変な誤りで、態々(わざわざ)胃を弱くするんであります。
何となれば、胃は胃自身の活動によって、物を消化する様に出来ている。
それによって胃は健全を保っているのであります。
ところが消化薬を服むと、胃は活動しなくとも済む。
薬が消化してくれるからで、その為胃は段々弱体化する。有閑者のようになる。
そこへ消化のいい物を食うから、なお拍車をかける訳で、益々胃は退化する。
退化するから薬を倍々(ますます)服む・・・という循環作用でついに慢性になるのであります。
そうなると、偶々(たまたま)固い物を食ったりなどすると胃はとても骨が折れる。
もう「消化する力」を失っているので、そのまま腸へ送る、腸も胃の影響を
受けて弱体化しているから、下痢し易くなるのであります。
中には反対に便秘する人があります。
これは食物が少量過ぎる為と、胃薬で柔軟化させ過ぎる為であります。
ですから、下痢と便秘と交互にする人がありますが、全く前述の理によるのであります。
自然に任せておけば、順調に排除されるのを、薬剤によって不正にさせ、
苦しんでる人が、随分世間には多いようであります。
〇声がれ
一番熱のある所を霊的光力すればよい。
いろんな療法をしたために治らなくしている。
(痰が出るのは結構で)
気長にやれば治る。
耳下腺に毒が固まっているから、そこをやる。喉はその延長である。
〇中風
痰がどんどん出てりゃ結構です。
これは右肩に毒血や毒の固まりがあり、それが溶け出して痰になるんです。
出るだけ出れば自由に動くようになってきますよ。
急所は痛む所、あるいは痛くなくても圧すと固まりのある所です。
それからここの所(首すじからあごにかけて)に中気の元があるんですからここもよくやることです。
ここの血管が破れて毒血が頭に上り、そして反対側の手や足に流下するんです。
また、逆中気ってのがありますが、これは溢れた血が頭に行かずにそのままその側の手や足に流れるんです。
〇座骨神経痛の急所
腰に毒がある。
座骨神経も元は腎臓である。
右か左を押し、痛い塊があれば浄める。必ず治る。
霊射するのでも、古くやってる人は放射する光が強くなっている。
〇蓄膿症
固まったにすぎない。
ふつう蓄膿症は鼻柱の両側に毒が溜まる。
そしてこの膿は延髄部の膿で、それが鼻から出るべく集溜するのであるから、延髄部を霊的光力すると鼻が通り治る。
小脳および延髄部と鼻は非常に関係があるので、その証拠にはガス中毒は鼻からガスが入って延髄部へ入り、
小脳へ侵入すると眠くなり、人事不省となって、はなはだしいのは死んでしまう。
無嗅覚も延髄を霊的光力すると治る。
〇左手振らずに走る幼児
左手に毒結があるのであろう。力こぶの後ろの霊的光力で治る。
〇覚醒剤(ヒロポン中毒)
服用をやめるのが一番よい。霊射(霊的光力)は前頭部をすればよい。
〇口利けぬ子(木龍祟り)
治る。木龍か何か憑いている。普通の木龍ではなく何かの祟りである。その執着が龍神になっている。
前頭部と首筋の塊を霊的光力する。耳が聞えれば口はきける。
〇先祖代々、三人が身体を常時動かす奇病
一人ならあるが、代る代るあるのは珍しい。
霊的光力で治る。前頭部と腰をする。
救われない霊が憑るのである。
〇狂犬・蝮毒
毒が身体中へ廻らないうちに早くその咬まれた個所を霊的光力(霊射)すれば治る。絶対間違いなく治る。
〇大便が肛門付近で固まる
長年便秘で、薬を飲んだ結果。
下剤の中毒である。肛門の出口を霊的光力していれば治る。
〇めまい、乱視、近視の原因
後頭部に毒結がある。眩暈(めまい)、乱視、近眼等目の異常は全部これにある。
〇月経痛、尿意頻繁に対する急所
喇叭管(註 卵管)が狭いのである。下腹部に塊があり、月経が通り難いために痛む。
頻繁なる尿意は尿道が脹れているのである。
尿道の周囲に毒が溜って狭くなる訳で、圧迫ではない。そのために痛む。
また、毒が尿道へいくらか滲み出て来る。それで尿の出る時痛む。
医薬や療法をやめればよい訳である。
膀胱から尿道へ接近している所から尿道まで狭くなってるから、尿が出切らない。
また、膀胱の周りに毒があるから、溜ると張る感じがする。
悪い所と腎臓を根よくやる。
瞼の裏は何でもない。
じきに治る。
足が痙(つ)ったりなどする。
溜る度に自分で霊的光力すればよい。
背中と腎臓を気長にすれば必ず治る。
〇幼児ひきつけの急所
死亡した児の霊が憑依するのだ。
母親がその児に対する執着のため、子の霊は引きつけられて行く所へ行けず、
母によばれるため、憑依するのである。ひきつけは、一種の癲癇(てんかん)は
脳の神経細胞が過剰に興奮して生じる病気です。執着をとること。
その際は前頭部を霊的光力して祈言・弔霊(ちょうれい)を奏げてやればよい。
〇乳癌の急所
あたかも釘抜きにてはさみ取られるように痛み、また、右脇も痛みますが
膿みもでる。そういうのは癌ではない。癌には膿はない。
普通のおデキである。膿が出る位なら必ず治る、お乳の裏をよくする。
〇心臓弁膜症
こんなのわけはない。
これは心臓の周りに毒があって固まろうとする、その固まるときに苦しむんです。
それともう一つの場合は、心臓の周りの毒が浄化して熱を出すため、その熱にあおられてなるんです。
それから、たまにはおなかの浄化によることもあります。
だいたい臍(へそ)の上下に固まりがあり、その浄化熱が心臓に影響するんです。
心臓の表裏とおなかと、おなかの元は腎臓だから腎臓もよくやることです。
それから狭心症って病気がありますが、あれは肩をやるときっと治ります。
肩の凝りから来るんですから心臓弁膜症でも狭心症でも何でもない。
肩をする。心臓周の毒が固まる時圧迫する。
また、浄化熱のため心臓を煽る場合もある。
臍の上下の浄化熱は心臓へ影響する。それだけで治る。
〇夜尿症の急所
体的でも霊的でも、早いのととても永くかかるのとあります。・・・
体的に言えば、あの括約筋です、キューッとしめる働きをするんですが、これがたるんでしまうんです。
つまり、開け放しになっちゃうんです。
だから無意識に漏らしてしまいやすいんです。
そして、この括約筋のもとの神経は前頭部にあるんです。
元来前頭部と生殖器は天地になってるんで、とても関係が密接なんです。
ですから、夜尿症の人は前頭部と、括約筋を吊ってる所に毒素が固まってるんです。
そして神経細胞を支配するものは後頭部にあるんですから、延髄付近もよく霊射(霊的光力)することです。
毒がとれるに従って治りますよ。
しかし、クセがついてますからね。
クセがひどいのは、すっかりとれるまでにそうとう永くかかります。
年ごろの娘さんなんかでよくここの具合の悪い人があります。
やはり年数の経ってる人は治るのにひまがかかります。
だから赤ん坊なんかは早く治ります。
〇便秘の急所
便の出が悪いのは、直腸の所の大便の通る道がせまくなり、通りが悪くなってるからです。
そんな場合医師は下剤や浣腸をしますが、これはあまりよくありません。
こんな人の直腸は線香のように細くなってますから、ちょっと手間がかかります。
癌と言うけど、たいていは毒素が直腸を圧迫して、こういう状態になってることが多いんです。
直腸癌だと医者は手術してその癌の所を切り、横腹に孔(あな)をあけて人工肛門をつけるんですが、
しかし便がなんの予告もなしに排泄されるんで、先をおしめでくるむんです。
それに、腸は露出すると死にますからね、露出しないように始終しっかり縛っておかなくちゃならず、
そのうえプウプウガスが出たり便の臭いがとてもくさくて、実に悲惨なもんです。
あの手術の結果はだいたいそういうふうになります。
癌だって言っても、本当の癌はめったにありません。
そういう人の臍(へそ)から横腹にかけてきっと毒結がありますからそこをよく霊的光力して、
それから腎臓をよくやることです。
腹の固まりは腎臓から来ますから。
霊的光力すれば直腸癌もたいてい治ります。
〇手が震える人に対す急所
これは腕の付け根の辺りに毒の固まりがあって、力を入れようとして神経を集中すると震えるんです。
こういうのはよくありますね。そして焦(あせ)れば焦るほどかえって震えるんですよ。
首から肩、腕の付け根にかけて霊的光力すれば治ります。此れは小生もよくありました。
〇痔
痔とは言うまでもなく肛門の疾患である、ところがその原因たるや意外なところにあるので、それをかいてみよう。
一般の痔としては、脱肛、痔核、裂痔等であるが、この根源は意外にも股間鼠蹊部にあるのである、
例えば痔の右側が痛む場合必ず右側鼠蹊部にグリグリがある、
それを霊光溶解するに従って、痔の痛苦は漸減する、
今一つは出血である、これは上半身すなわち頭脳、
肩等に欝血(うっけつ)がある場合浄化によって毒血が下降し、
肛門から排泄するのであるから、これはある程度排血すればピタリと止まり、
その結果頭脳の苦痛は軽快となり、
肩の凝りも楽になるのである、痔出血は大抵一、二週間とみればいいので、
いささかも心配の必要はないのである
〇リューマチに対す急所
これは蛇の霊ですがね。つまり関節リュー(龍)マチというやつなんです。
リューマチのごくひどいやつです。
リューマチと言うが、関節が赤く腫れて非常に痛む。
触らなくても痛いのです。
ちょうど、蛇が咬んだようです。あれは蛇の霊が咬むんです。
その毒が来るんです。
咬まれた時に龍の毒素がですね。
それでリューマチと言う。
リューマチには、蛇の咬みつくやつと薬毒とありますが、薬毒はじき治ります。
患者は頸、背部、腎臓部、肩胛部などをちょっとさわっても痛い場合。
これは少しひどいやつです。気長にやっていれば、だんだんすっかり治ります。
さもないと、足が上がるかまっすぐになるか、どっちかになる。
これは障っていた所を霊射すればいいんですから、患部と鼠蹊部ですね。それと腎臓ですね。
そんなところで良い。非常に痛いものです。
この病気は二種あります。
一つは手足の関節に限られて発病するもので、症状は、紅潮色に非常に腫れ、発熱も伴い、激痛堪え難く、衣服さえ触れる事が出来ない程であります。
原因は、悪性の毒血が、浄化作用によって関係部へ集溜するのであります。
これも普通では、痛みの去るのに二、三ケ月を要し、しかも毒血凝固によって、手足の自由を失い、多くは不具者となるのであります。
しかるに、霊的光力によれば、早期なれば一週間以内で全治するので、実に驚異的であります。
他の一つは、腎臓の尿毒に因るもので「主に関節」でありますが、これは関節以外の個所にも発病するので、痛みは前者程ではないが相当に悩むのであります。
この症状の特徴として患部の皮膚の色は変化のないことと、痛みが移動性である事であります。
重症は全身的で、痛みの為寝返りさえ出来ないのがあります。
霊的光力によれば、容易に治癒するので、まず一週間ないし三週間位で全治するのであります。
治療の場合、腎臓部も特に施術しなくてはならないのであります。
以上二種共、他の治療及び時日等によって固めたものはそれだけ治療に時日を要します。
最も固まったものは六ケ月又は一年位かかる事もあります。
〇水 虫
この病気は、足の指の股に一種の湿疹が発生し、苦痛としては痒みであります。
原因は、小虫群の霊の憑依であって、非常に治り難いものとされておりますが、
霊的光力によれば非常に治り易いもので、軽症は二、三回・・・重症で一、二週間で全治するのであります。
〇足に関係したもの
腰に集まったものが少しずつ溶けて足に流れて行き、そこで足が悪くなるというわけです。
脚気というのはそういうわけです。
それからよく足が吊るとか痺れるとか怠い(だるい)とか膝がガクガクするとか、すべて足に関係したものは、一旦腰に集まったものが足に流れて行くのです。
ですから足に関係したのは、まず腰の中心、尾てい骨を狙って背面から霊的光力するのです。
そうすると足をやらなくてもずっと軽くなります。」
「もう一つはお腹のはる人は、小便の出が悪いのですから、臍(へそ)の下から下腹の中心をやればよいです。
みんなここに両方から尿毒が寄って来ますから、そこの中心をやればお腹はずっと軽くなります。
むしろ下の方がよいです。
恥骨と言って毛の生えている所の辺がよいのです。
そうすると膀胱の毒がとれてゆきます。」
「病気というものは、いつもいう通り、毒素が身体のどこかしらに固まっており、それが熱で溶けて、排泄する苦痛なのであるから、病気を知る方法としては、自分で自分の体を触ってみる事である。
頭の天辺から足の爪先までなぜてみるのが、一番よく分かる方法である。
必ず熱のあるところが、一個所や二個所はあるもので、そこに病気があるのだから、そこのところを自分もしくは誰かに霊射してもらえばいいのである。」
一番は尾てい骨です。それから股の外側・・・に固まりがあります。本元は、足はすべて尾てい骨にあるから霊的光力することです。
それから足が重かったり、動きが悪いのは股の外側です。固いものです。固いのは足のあがき悪くて、動きが取れない。
それからすべて足の具合の悪いときは尾てい骨を霊的光力する。それでだいたい足は治るものです。それからこういうのがある。
女性に多いですが、股に固まりがある。こういうのは、固まりがあるほうの足だけあがきが悪い。それも、やれば治って来ます。
〇陰睾(いんきん)田虫
この病気は陰嚢の田虫で、なかなか痒いのであります。
霊的光力によれば全治しますが、相当時日を要するのであります。普通一ケ月位を要します。
〇毛 虱
これは、陰毛部に一種の虱(しらみ)が棲息し、非常に痒いのであります。
原因は性交及び入浴のこの二つからであります。
この治療は、陰毛を剃落して水銀軟膏又は種油を塗布すれば一、二回にて治癒するので、霊的光力の必要は無いのであります。
〇雁 瘡 (がんがさ)
この病気は、脛の裏側に生ずる一種の発疹であって、相当痒いのであります。
霊的光力で、一週間以内で治るのであります。
〇盲腸の急所
盲腸の方は、お腹から右の方の股にかけて、それから盲腸の後ろにかけて・・・そこを触ってみれば熱いから、
そこをやれば治ります。
〇輸血としての急所
霊射は心臓をやる。
霊射は・・・いつも言う通り輸血ですからね。すばらしい輸血です。
ふつうの人間から二百グラム輸血するより、霊射で五百グラムや八百グラムはなんでもない。四、五分やれば良い。
輸血の方は心臓をやれば良いから、やはり心臓をやる。すばらしい効果がある。
〇腋臭症(えきしゅうしょう)の急所
獣の血なんです。
腋臭というのは、獣の臭いと同じで、動物園に行ったみたいです。
血でなく、血の精が出るんです。
腋を止めるから、出所がなくなって下にいったんです
局部で良いです。そこに血の精が寄っているんだからです。これを知らないからです。
こういう点もある。腋臭は西洋人が多いですが、獣の生まれ変わったのではない。
肉食するから、その血が混じる。それで臭うんです。
〇血は霊の物質化したもの
病気の初めは霊に曇りが寄って来る。
この曇りが出来る為に血が濁る。
この血は霊の物質化したものである。
人が死ぬと血が非常に減ってしまうのだが、医学は血は凝結して終うのだと言っているが、ただ単に凝結するが為にあれ程減少するのでは決してない。
血の中から何か減るから凝結して少し、ホンの少しばかりになってしまうのである。
この沢山ある、この血液を多量にしているのは霊が物質化しているからなのである。
死亡するとこの霊が抜け出すから自然いつとはなしに減少して来るのである。
この濁った血が益々多くなり、それが浄化作用を起すと浄化された粕が白い物になる。
この白い粕は白色元素となり、濁った血のところから放出されているのである。
人体には漿液があるが、この漿液の中へ白色原素が溜るとそれが膿となる。
水膿とはこの淡(うす)いものであります。
それが段々膿液となるのである。
この膿液が段々濃くなり、多くなるに従い病気が発生するのである。
故に霊体の曇りが病気の原因であり肉体へ出たのは結果なのである。
支配階級の人が原因を出しておきながら下級の赤化を直そうとしてもこれは絶対に直らんのもこの病気と同様の意味である。
〇赤血球は霊、白血球は体
白血球、赤血球のあるごとく、血液を霊体に分ける事が出る。
白血球は体、赤血球は霊。
医学は大いに間違っている。
白血球は膿、赤血球は毒血で、浄化により白いのを分離する。
赤い血の中から毒分(白血球)を分離する。
よく毒血というが、医学でよく赤血球を白血球が食うというが、これはそういう風にみえるのである。
白い膿でも固まると溶け難い。
赤血球は霊・・・日・・・血。
白血球は体・・・月・・・膿と思えばいい。
食菌作用などはない。
〇白血球と赤血球との関係について
この白血球、赤血球ということは医学で言うことです、これはでたらめです。
白血球は膿で赤血球は毒血であり、毒血は浄化によって粕として白いものを分離します。
これが白い膿なんです。
どうかすると赤い膿が出ることがあるでしょ、あれは毒血と膿と両方が混って出る場合です。
こういうわけで白血球は毒血から出た膿なんですが、これはいいんですよ、
毒血のほうの浄化は非常に苦しくて、白い膿の浄化は楽です。
しかしこの白い膿が固まったやつはまた苦痛がひどいです。
赤血球と白血球について何か霊的に意味があるのか。
無論意味がある。
医学では食菌作用といって、赤血球が白血球を食うという。
赤い粒子の血の中に純血と濁血とあって、濁血の毒素が離れる。
であるから白血球は悪いもので、白血球が多くなると病気が治るというのは、それは固まる作用であるからで、
医学は固める方法だからで、即ち赤血球は減ってゆくから治った形になるのである。
血膿が出るというのは、その血は毒血で、膿は毒素ばかりで、その膿を白血球と思っているが、白い方は毒素ばかりである。
霊射すると白血球はなくなり、赤血球だけになる。
〇鼻血出血・動悸す
頭に非常に毒があり、頭の毒血が鼻血になって出る。
溶けたものが背中へ流れ、お腹へ流れたものである。
頭の血がなくなると心臓に影響し、ドキドキする。
頭を主にして霊射する。毒血など想像つかぬほどある。
〇鼻 血
薬毒である。鼻血は頭の浄化で、毒血が出る。
毒でも出ると顔色が悪くなる。出るだけ出ねば治らぬ。
〇血液型
医学で別けたもので、吾々には全然必要なく、寧ろ馬鹿々々しいと思う。
〇血液型と霊統
血液型ってのは民族に関係があるんです。
日本民族にも霊的にいろんな系統があって、その違いが血液型に出てるんです。
毒素との関係はないと言っていい。ま、あまりないです。
毒素ってのは元はほとんど薬ですからね。
祖先が薬を多く服んでれば毒素も多いんです。
だから血液型とはたいして関係ありません。
この霊射をすると毒素は減りますよ。
おもしろいのは先に耳から膿が出る人をやったことがあって、それは中耳炎の患者でしたが。
最初は黄色い膿が出てたんですが、霊射するうちにだんだん白くなり、透明の水のようになりましたよ。
あれで見ても毒素が減るってことがよく判ります。
霊射すると濃い毒素も薄くなるから、そこで痛みがなくなるんですよ。
毒素が熱によって溶けてどっかから出ようとして腫れるんですが、
そのとき毒素が神経を圧して刺激するから痛いんで、膿が薄くなると圧す力がなくなって痛みがとれるんですよ。
国、朝鮮、日本と、だいたい三種です。
あとはアイヌ型・・・あれはロシヤ系です。
それから南洋の原住民の型もあります。
それからインド、それから西洋からも来てますから、型はずいぶんいろいろあります。
だから日本人はいろいろ混っているから良いのです。
一番多いのは中国系統・・・日本に来ているのは一番多いのです。その次が朝鮮系統。
日本人系統が一番少ないのです。
他にアイヌのごとく、胸毛のあるようなコーカサス系も、南洋系もある。白人系は信長時代に入った。
血液型とは要するにこれである。
〇血液型と人種
厳密にいうと人種的関係がある。
日本には大体四種ある。日本、中国、朝鮮と土匪(コーカサス地方から入り込んだ)である。
〇狭心症、脳溢血の急所
狭心症と脳溢血はぜんぜん違います。
狭心症というのは、心臓を圧迫されるんです。
毒が固まるんで、これは心臓です。
前と後から両方やると良い。
固まりが溶けますから、心臓が楽になる。
脳溢血は延髄の血管が破れて溢血するんです。
脳溢血の起りたてですと、延髄に固まりがありますから、延髄と前頭部ですね。
これが、頭の上を通り反対側の肩に行きます。
肩ですね。肩をやると、手の方が楽になります。
溢血は早いですからね。溢血してから、すっと行きます(反対側の肩に)から。
これを大体主にして霊射すれば良い。
毒血ですからね。こうして、毒が減る。
〇痔の急所
痔の原因は股にある。股をすれば治る。
大抵右か左で、右の方の痔は右の股である。
〇脱腸の急所
腎臓から下にかけて原因がある。
毒に押されて出るのと、孔が開いて出るのとある。
医者は、腸が長すぎるといって切るが、そんな事はない。
腸が弛緩するのである。
腎臓の周りの毒が腸を圧迫しているのと、腸が弛緩しているのとある。
腎臓の背部の霊射が肝腎である。
腎臓から腰の方へかけて根よく霊射すると治る。
痛む方は性がよくない、余計出る。無痛の方がいい。
〇舞踏病(ぶとうびょう)の急所
不随意運動によって踊るような歩き方をするので舞踏病とよばれる。
これは動物ですね、特殊な、暇さえあれば動いてるような動物です。
この急所は前頭部の中心です。
だから、前頭部と首の回りと肩をよく霊的光力して頭に血を充実させることです。
それから背中から腎臓も大事です。
〇月経前の腹痛に対する急所
下腹部に塊がある。堕胎(だたい)の影響もある。
半月間の腹痛は長すぎる。喇叭管(註 卵管)が狭くなっているのである。
腎臓をよくすれば治る。
〇溺れた者に対する急所
水に溺れた者を引き上げ、霊的光力をしてあげる場合の急所。
急所・・・心臓(はら這いにさせて心臓背面部より霊射する)。
〇目薬が原因の眼病に対する急所
胃が悪いのは医者のためです。
それから、子宮が悪く注射した・・・これも祟ってます。
「ロート目薬」・・・目の悪いのはこのためです。
胃痙攣というのは胃散が残っているんです。
つまり、ロート眼病と言うんです。
眼は、一体に長くかかりますがね。
痩せてきたのは、微熱があるからです。
胃の薬は背中に固まってますから。背中を霊的光力すれば良い。
痩せたんだから、食欲も減ったわけです。
背中の霊的光力・・・目薬を入れて、人間は仰向けになって寝るからです。
そこで、薬がこっち(後頭部)に固まる。
ですから、目の後ろを霊的光力する。
これは目もちゃんと治ります。
目脂が出ないとだめです。目脂が出れば良いです。
〇ガス、感電等により昏睡状態の場合の急所
ガスの方は後頭部です。
鼻から嗅ぐんですから。
嗅いだガスがここ(後頭部)に溜まりますから、後頭部をやれば良い。
感電はやはり心臓です。
〇禿頭病の急所
頭髪全部・・・禿頭病(とくとうびょう)頭髪が抜け落ちる病気というのは治ります。
いろんな・・・電気かけたり、薬を塗ったりしたために治らなくしてあるんだから、
それだけ手間がかかるんです。
そんなことをしてなければ、割合早く治るんです。気長にやれば治ります。
頭に毛が生えるように神様が作ってあるんだから・・・生えないというのは、
薬毒が・・・親の毒だか、本人の毒だか・・・とにかく、毒が固まっている。
草の生えるような所に肥料ぶっかけたようなものですね。
だから、それが取れるに従って生えてきますからね。
そうとうにいろんなもので攻めてあるから、時日はかかります。
といっても、そう長いことはないです。
充分にみても、一、二年かかるつもりでやったら、まあ・・・治ります。
やる所は、頭全体ですね。
それから首のまわりと、大体それで良いです。
〇身体の悪い人は甘いものを好かないです。
だから、病人でも治るようになると、甘いものを食べるようになる。
これは覚えておくと良いが、病人というのはスッパイものが好きです。
で、良くなると甘いものが好きになる。
〇便秘
物を飲み食いすれば、水分は尿となりて排泄され、固形物は糞便となって、
体外へ排泄されるのは、定(きま)り切った事である。
人間の肉体はそう出来ているのである。
そうならないのは、矢張りどこかに間違った点があるのである。
それをよく査べてみれば必ず解るので、早速、その原因を革(あらた)めさえすれば必ず治るのである。
即ち、水分の摂り方が少いとか、野菜が少いとか、偏食の癖があるとか、又は、
腸の付近に気の付かない様な病気があって、その病気の微熱の為か、まず、それらの点を考うべきである。
右述べた、胃病と便秘以外、あらゆる病気はそうなのである。
腹膜や肋膜で溜った水を排泄すべく、尿の出る薬を、医師は服ませるが、
これも前述の理に依って、その薬剤を服用するや、一時は、効目によって尿が出、尿が出るから病も軽減するが、
それは一時的の事であって、ある時期を過ぎると、漸時便秘の場合と同じく、尿の排泄が減少してゆくのである。
従って病は悪化するのである。
薬を飲んで治そうと飲めば飲む程便秘するのである。
胃が悪いから薬を飲む。
飲むから働かぬ様になる。
働かぬから又飲む。鼬(いたち)ごっことなり胃病となり、胃癌となり、喰えなくなるからブドー糖注射をやる。
それにより又働かなくなる。
この内に死ぬより仕方なくなるので誠に気の毒な事である。
カルシユーム注射をすると一時肥るが、その内に痩せて来て駄目になるのである。
蕁麻疹(じんましん)はカルシューム注射の中毒である。
出来物に薬を塗るとおできが治らぬ様に薬で止めるから全治しない。
一時治ったと思い、又治った様に見えるのは引込んだのであるから又その内に出て来るのである。
薬を飲むと胃に入り腹に入り心臓に入る。食物は良いが薬は心臓に入ると血液が濁る。
血液が濁れば体が弱るのである。注射液は直接心臓に入りて血に混じるから一層悪いのである。
〇眼病の急所
目が悪いのは、左と右の延髄の真ん中の後頭部の所ですから、
延髄から背中をする。
目の悪い人はそこを中心にやればいいです。これは実にはっきりしてます。
目の急所は後頭部のちょっと下の所に必ず固まりがあります。
そういう人は目が悪いのです。近眼もそうです。
それから右の目の場合は左に固まりがあります。
これは交感神経が頭を中心に交叉してますから、逆になるわけです。
眼をするには霊力が必要である。
〇鼻の病気に対する急所
鼻の悪い人は後頭部から一帯にずっと下まで毒の固まりがあります。
ちょうど鼻の裏になるわけです。
だからそこを霊射(霊的光力)すればいいのです。
〇耳鳴りの急所
耳鳴りは、延髄をやればきっと良くなります。
耳の方は目とは違って、右の方なら右の方で良いのです。
耳鳴りの人は随分ありますが、耳鳴りをなおすのはわけありません。
延髄の固まりさえ取れば必ずなおります。
〇心臓病は肩
心臓病なども必ず左の肩が凝ってます。
ですから心臓病はやっぱり肩の病です。
この肩の固まりが少しずつ溶けて下に垂れて行って心臓の付近に固まって圧迫するのです。
ですから心臓病は肩を主に霊射(霊的光力)すればよいのです。
〇胃病患者は肩が張っている。
それから胃病の人は必ず肩が張ってますから、
それを霊的光力すると必ず食欲が増すということはそういうわけなのです。
健康診断は肩と耳下である。耳下腺をする事である。
どんな病気も耳の下が柔かくなっていなくてはいけない。
肩の固いのもいけない。
成功した偉い人は必ず肩が柔かい。
〇含嗽薬(がんそうやく)
含嗽薬(がんそうやくとは、うがい薬のことである)であるが、これは極稀薄な毒ではあるが、
始終用いていると、口内の粘膜に滲透し、毒素となって排泄する時、粘膜が荒れたり、
加答児(カタル)を起したり、舌がザラザラしたり、小さな腫れ物等出来たりするから廃めた方がいい。
特に咽喉を使う芸能人には最も悪い。また一般水薬についても同じ事が言える。
長い間にヤハリ粘膜から滲透した薬毒は右と同様になるが、薬が強いため悪性である。
しかも意外な事には舌癌もこれが原因である。ところが医学は薬で治そうとするから、
病を追加する訳である。
〇浣腸について
浣腸についても注意したいが、これも非常に悪い。ヤハリこれも下剤と同様、腸の活動を鈍らせるからである。
考えてもみるがいい。糞便という汚物が溜れば、自然に肛門から出るように出来ている。
それだのに外部から誘導して出すなどは、何たる反自然的行為であろうか、考えるまでもなく駄目に決まっている。
またよく解熱手段として浣腸を行うが、これは熱と糞弁とは何ら関係ない事を知らないからである。
〇トラホームの原因
世人は知らないが、点眼薬はトラホームの原因ともなるから注意すべきである。
これは点眼薬にもよるが、事実は眼瞼(まぶた)の粘膜へ薬毒が滲透し、年月を経て発疹となって出ようとするからである。
目薬(めぐすり)とは「点眼薬」「点眼液」の通称
また悲しくもないのに常に涙の出る人は、点眼薬が時を経て涙に変化したものであるから、出るだけ出れば自然に治ってしまう。
ところが医学は涙嚢(るいのう)の故障等というが見当違いもはなはだしい。
また目脂(めやに)は前頭部の毒素または眼の奥の浄化によって排泄されるものであるから非常にいいので、
何よりもいかなる眼病でも目脂が出るようになれば必ず治るのである。
〇塗布薬
これも仲々馬鹿にはならない。
塗布薬の毒素が皮膚から滲透して、種々の病原となる事がよくある。
〇ヘルニア
ヘルニアも濁毒の塊りが溜まって起きるものであります。
痛み止めの等の薬が悪化を招いているのである。
濁毒がなければ絶対にならないのであります。体的にはこの様な事であります。
霊射は腰の裏表をやります。後は熱のある場所やれば完治します。
コルセット類は絶対に外して下さい。流れが悪く直りが遅くなります。
霊的には男女間(前世・現世・一種の色欲道に入ってることがある)の霊的な部分もありますので前頭部、後頭部を霊射します。神向きに入られたほうが好い。
霊的の方は神向きをすることにより好転していきます。
手術により手を加えた場合には後遺症や悪化すると言ったリスクがあります。
〇注射薬にしろ消毒薬にしろ、目方の重い軽いがあって、重い程下降し、最も重いのは膝から下、
足の裏まで垂れて来て固まる。
そうなると足の裏が痛くて地につけないで歩行困難となる。
また薬によっては下降して膝から下に溜り、痺れるので脚気とよく間違えられる。
その他神経痛、リョウマチスの原因も薬毒であるから、何よりもまず薬毒の恐るべき事を、
専門家に自覚させたいのである。
〇漢方薬中毒
最も多い症状としては食欲不振及び嘔吐である。
この嘔吐は常習的であって、大抵は一回の嘔吐で平素通りになるのである。
しかし、その際の嘔吐は一種の臭いがあるが、それは、以前服用した漢方薬の臭いであるにみても中毒である事が知らるるのである。
そうして漢方薬中毒者は、腎臓疾患が多く顔色暗黄色で、何となく冴えないものである。
中国人の顔色は赤味がなく、青黄色が多いのは、祖先以来の漢方薬服用の結果ではないかと惟(おも)うのである。
〇ノーシン
頭が痛い。すると「ノーシン」を飲むと一時良くなる。
だから一時良くなるけれども、そういった胃が苦しいとか胃痙攣が起るとか頭が痛いとか言うが、胃病の薬や消化薬を飲んだその結果です。
消化薬を飲むと腹が減っておいしくなるから、うっかりそれに惚れてちょっと具合が悪いというとやる。
それが麻薬と同じですから、ついにはやっぱり気持ちが悪くなる。で、一日一服飲んだのが、ついには二服三服とだんだん薬を強くするが、これは麻薬の経路と同じです。
最後には麻薬をやらなければ苦しいので、麻薬を泥棒してまで買って飲む・・・そういうふうになります。
ただ麻薬の方は急性です。急激に来る。それから他の病気の薬は慢性です。
〇ニキビ
十数年に渉って治癒しないで悩まされていた。
種々の薬剤を塗布しそれが浸潤してニキビが増大し、頑固性になったのである。
〇温熱療法
病気により一時的軽快を得る事があるが、病気により反って悪化さす事もあるのである。
又感冒の際、全身を温めて発汗さす事を良いとしているが、これも誤りで、
発汗さすよりも自然に放任しておく方が反ってよく治癒するのであってすべて自然が良いのである。
〇消毒薬中毒
手術とか外傷の場合消毒薬を不可欠のものとしているが、何しろ何十倍に淡(うす)めても黴菌を殺すだけの劇薬であり、
直接筋肉から滲透(しんとう)するので、時が経てば必ずどこからか出ようとする。
その場合多くは頭痛、眼(失明)、中耳炎、歯茎等であり、時には下降して肛門(痔)、陰部、手足の関節等へまでも集溜し、
腫物か湿疹となり、痛み痒みの苦痛が伴うが、ただ消毒薬に限って激痛であるからよく分る。
その場合これはアノ時の消毒薬だなと思うと必ず肯くであろう。
また近頃膝(ひざ)から下に腫物の出来る人が多いが、これは予防注射の薬毒が下降したもので、放っておけば膿が出て必ず治り、
少しも心配はないのである。
〇心臓の手術
心臓の弁膜は四枚ある。
弁膜の際(きわ)に毒素が固結し、その圧迫によって心臓の活動に障碍(しょうがい)を及ぼしたのであるから、
その固結毒素さえ溶解排除させれば、それで治ってしまうので、もちろん肉体に触れず、精々二、三回で済むのである。
〇口内炎
口内粘膜にブツブツが出来て、ものが沁みたり、喉が痛んだり、舌におできが出来たりする人があるが、
これはみな服み薬、または含嗽(うがい)薬が粘膜へ滲透し、古くなって毒素となり、排除されようとするためであるから、
放って置けば必ず治るのである。
舌癌などもほとんどそれであって、何にもせず放って置けば十中八、九は治るものである。
ところが医師は癌らしいものであっても、職業柄治る治らないは別として、薬を用いるより外に方法がないとして、
まず薬物療法を行うが、これによって反って悪化させ、本当の癌になる事が多いのである。
〇薬毒にもよりますが、多く消毒薬が下がって行って粘膜に溜まるのです。
後頭部にある毒は肛門の方に行くのです。
下痢などは後頭部の毒です。
前頭部の毒は女の陰部に集合するのです。
前頭部の痛い女性は、前頭部だけの霊射ではいけないのです。
前頭部と陰部で天地になっているので、おもしろいものです。
大体あらゆる薬毒は女性は陰部に溜まるということを知っていれば良いのです。
ですからそういう人は自分で霊射すれば良いのです。
痔も後頭部の毒ですから、痔だけをやってもなおらないので、後頭部をやらなければならないのです。
〇医術の施法
医術は、腎臓医術であるという事は、さきに説いた通りである。
従って、施術の場合、頭脳、首、肩を治療し
次に患者を俯臥(うつぶせ)させ、
左右の腎臓部を掌と手指を以て、毒素の多少を探査するのである。
今日の日本人で、この腎臓部に毒素溜結のない者は一人もないといってもいいのである。
そうしてこの毒素は有痛と無痛とあるが、無痛が多いのである。
そうして最も重要なる個所としては、脊柱と末端の肋骨との中間即ち三角形を描けば、
その中心点にあたる所及その下方である。
その部が柔軟で手指で圧して凹む位ならば良いのであるが、
そういう人は恐らくないのであって、
大抵の人は広範囲に固結しており、はなはだしきは反対に隆起している人さえあるのである。
それは勿論、余剰尿の固結であるが、
それが上方に向って脊柱の両側に移行しており、特に肩胛骨と脊柱との間に多量の固結があるものである。
この固結は、胃に関係があるので、特に溶解すれば胃の活動を促し、食欲は増進するのである。
従って、胃癌の患者に対しては、この固結溶解によって好結果があるのである。
又、腎臓部より下方に向って腰骨部まで毒結は移行しており、
特に腰骨に接触して毒結のある場合、多くは脚部に異状があるもので、これを溶解すれば、よく治癒するのである。
右のごとくであるから、まず腎臓部の治療を第一とし、背部より肩胛骨部を第二とし、その他は第三の順位にすれば良いのである。
又一般に、右側腎臓部の毒結が多いのであるが、左側のそれも重要である。
ただし、盲腸炎の原因は右側の萎縮腎である。
そうして、腎臓部の毒結を溶解するにおいて溶解毒素は腎臓内に浸潤し、尿と共に排泄されるのである。
蛋白とはこの溶解毒素であるから、この際 尿中には、多少の蛋白がある事は勿論である。
従って、腎臓部の毒素溶解するだけは、体内のあらゆる病患は、平均的自家浄化作用の発生によって、能く治癒するのである。
又、腎臓部の毒素溶解は、他の局部の毒結溶解が容易となる事は驚くべき程である。
又、腎臓の完全なる活動は、全身的浄化力が頗(すこぶ)る旺盛となる事である。
故に私は、人間は腎臓さえ健康になれば、あらゆる疾患は治癒すると共に、
心身共に、健全となり、幸福と長寿を得るのであるから、
実に不可能とさえ想われたる人類の理想が、ここに現実化したと言ってもいいであろう。
〇罪穢と病気
この問題を説くに当って断わっておきたい事は、ある程度宗教的に思われ易いのであるが、これは宗教的ではなくむしろ道徳的と思うのである。
しかし、罪穢という言葉そのものは宗教家がよく用いるが、それは仮説でもなく作為的でもない、全くの事実であろう。
前項に述べたごとく、人は悪を想い、悪の行為を重ぬるに従って、それだけ霊体に曇が増量し、漸次その濃度を増すのである。
しかるに、右の濃度がある程度に達すると、自然的解消作用が起るのである。
勿論、厳とした霊界の法則であるから止むを得ないので、いかなる人といえども免るる事は出来得ないのである。
そうして右の浄化作用の多くは病気となって現われるものであるが、時としては、その他の形となって現われる事もある。
しかるに病気の場合いかに医療をつくすといえどもいささかの効果もないのは、それは霊的原因に対するに器械や薬などの物質で解決しようとするからで、
全然見当違いであるからである。
又この場合神仏に祈願を籠(こ)める人もあるが、それは多少の効果はあるものである。
勿論神仏の本体は霊であるからその霊の恵みによって幾分の曇は軽減するが長年積み累(かさ)ねた罪穢であるから神仏といえども
否正しい神仏であればある程公正であるから、軽苦では済まされないのである。
これをたとえていえば国家の法規に触れた者は、いかに悔悟歎願するといえども全然赦さるるという事はあり得ない。
ただ改悛の情顕著なる者が罪一等を減じ得らるる位である事と同様である。
しかしながら、自然浄化作用が発生するより以前に浄化作用が起る場合がある。
その際は比較的曇が濃度に到らない為浄化作用が軽く済むのである。
これはいかなる訳かというとある動機によって悔改めるという場合である。
右の動機とは、宗教的説話や聖書のごときもの、又は先輩や名士の経験談や言説、偉人の伝記等によって精神的に覚醒する事である。
この意味において人間の魂即ち良心を喚び覚すべきものとして、良き書籍及び講演、良き映画や演劇等の必要なる事は言を須(ま)たないのである。
右のごとく、人間が覚醒する場合、霊体にいかなる作用が起るかを説いてみよう。
本来、人間の霊体はその中心に心があり、心の中心に魂があって、三段になっているのである。
そうして魂本来は良心そのものであるが、断えず外界からの影響によって曇らされるのである。
即ち、魂本来は日月玉のごとき光明であるが、その外殻である心が曇れば、魂の光輝は遮断され、魂は眠るのである。
故に、明鏡止水のごとき心境にあれば、魂は晴天の日月のごとく輝くのである。
右のごとく人間が覚醒するという事は、睡眠状態であった魂が、豁然(かつぜん)として輝き出す事である。
その手段として今日までは、右に説いたごとく、説話や読書等の道徳的手段があるのみで、
それによってまず魂が覚醒し輝き出すから心の曇が解消し、次で霊体が浄化さるるという順序である。
右によってみるも、魂・心・霊の三者は、常に明暗の状態が平均しているのである。
しかるに、腎臓医術の項目において、百万語のお説教よりも、腎臓を健全にする方が効果があると言ったが、
それはいかなる訳かというと、前述のごとき道徳的手段を要しない事であるばかりか、
道徳的手段においては、百パーセントの効果は期し難いが、霊的療法によれば百パーセントの効果があるのである。
それは前述のごとき道徳的手段においては、まず魂を覚醒させ、次に心及び霊体が浄化さるるのであるが、
霊的療法においてはこの反対であって、外部からの施術によってまず霊体が浄化され、それによって心の曇が解消し、否が応でも魂は覚醒する事になるのである。
又、道徳的手段によって魂や心が覚醒する場合、本人自身は克己的苦痛が伴うと共に、それが霊体に及ぼし、病気その他の苦しみを受けなければならないが、
霊的療法は、疾患が治癒しながら知らず識らずの裡(うち)に魂が覚醒するのであるから、理想的心身改造法というべきである。
右のごとく、霊的浄化を発生さすその根源としての機能が腎臓であるから、腎臓の活動を促進さす事こそ、心身改造の根本である訳で
かの神道における祓戸四柱(はらいどよはしら)の神の活動が、人体においては腎臓に相応すると想うのである。
さきに説いたごとく心臓は日であり、肺臓は月であり、胃は土であり、天地間の汚濁を清める神が祓戸の神であるとすれば、
腎臓は左右及び副腎と合せて四つあり、祓戸の神も四柱あるにみて、意味がないとはいえないであろう。
腎臓という機能は、尿の処理機関であるのは誰も知っているが、
腎臓なる病気は初め薬毒が背面腎臓部に溜り固結するので、
これが腎臓を圧迫し完全に尿の処理が出来なくなる。
すなわち萎縮腎である。
このため余剰尿は腎臓膜を滲出し、全身に氾濫する。
これが浮腫(むくみ)である。
ところがこの余剰尿は局部的に固まって種々の病気となる。
その中一番多いのが首肩の凝り、頭脳の病、耳、眼、鼻の病が主で、
驚くべきは歯槽膿漏の原因もこれであるから、考えたら不潔極まるものである。
また右の固結が浄化のため発熱する場合、これを腎臓炎というのである。
また腎臓結核は非常に痛む病気で、重症になると血の混った尿が出る事がある。
これは薬毒によって腎臓壁に腫物が出来、そこから膿と血が滲出するからである。
また腎臓結石は最初胆石病の胆石の小粒が尿に混って流下し、
腎臓内に停滞するうち尿素が付着して段々大きくなり、
これが膀胱の入口または出口につかえ、尿が閉止する事がよくある。
そのため下腹部が浮腫となり、増大してどうにもならなくてついに死ぬ人も往々あるのである。
ここで注意すべきは、医学では腎臓病の場合尿中の蛋白を恐れ、塩分を禁止したり牛乳を多量に飲ませたりするが、これはナンセンスである。
というのは蛋白とは実は前記のごとく浄化によって溶けた尿素であるからで、
蛋白が出る程いいのである。
従って蛋白が出切ってしまえば、完全に治ってしまう。
〇霊的病気の霊的光力箇所
霊的病気だけでは判らない。
どんな病でも、霊的のものは前頭部をする。
こういう場合は違う。蛇が憑いたのは身体中移動する。霊的光力すると逃げる。
これは局部である。中には食いつくのがある。これは頭だけではいけない。
精神病、癲癇、小児麻痺等は頭を浄めればいい。
死霊の場合身体全体に憑るのと、一部に憑る事がある。
死霊の場合背中が寒い。
新しい死霊などの時は水かけられたごとくゾーッとする。
これは頭と胸、背中をする。背中が一番いい。割合い離れやすい。
生霊は何でもない。胸と背中である。生霊は殆ど恋愛関係である。
生霊の中でも一番恐いのは、愛人を捨て他の女と結ぶと、愛人が嫉妬を起して関係させないようにする。子宮に憑く。
〇腰から下の病気は腎臓である。
霊的光力;膝の後ろをする。
〇死産・流産の原因
霊的に意味はあるが、普通は体的の方が多い。
一番原因で多いのは、腹に塊があり、流産する。
よく脂肪が厚くなると妊娠しても生れぬという。これは腹膜の毒である。
この毒のため子宮が横へ拡がらぬ。それで下へ降りてくる。
悪阻は子宮の上の方に毒があり、子宮が拡がるにつれそれを突上げる。
臍と鳩尾の間を霊射する。
流産、死産は生霊の場合もあり、怨みの霊が憑いて生ませまいとする。
死産は大抵薬毒で、そこへ寄って来て発育しない。
大抵は医療での問題が多く、都会に多い。
いろいろ考えたり心配すると前頭部に毒が集まるのです。
それで男性はそうでもないが、女性のヤキモチはそこに一番集まります。
だからヤキモチでなくてヤキ頭です。
それからこういうことを考えなければならないのです。
人間は上半身と下半身は天地になってますから、天帝(額の中央)がちょうど女性の前にあたることになってます。
もういっそう突っ込んで話をすると、性的の意味は前頭部のここに関係があるのです。
これは男性に多いことですが、ストリップを見ると、目から前頭部のこの中を刺激するのです。
そうするとこれがすぐに下に行くのです。これは性科学です。
男性の性欲というのは、原因は前頭部にあるのです。
神様の方の医学も、やっぱり今流行の性科学の方なのです。
ですから前頭部に熱がある人は、やはり下部を霊的光力するということが肝腎なのです。
どうも頭痛がして頭が具合が悪いという人は、今の下部の急所をやると治ります。
ですからこれは天地になっているわけです。
やはり病気でも急所があります。
つまり楽屋と舞台があります。
病気は舞台の方で、原因は楽屋の方です。
それで楽屋の方をやっつけなければ根本的には治らないわけです。
ですから目の悪いので、ここ(後頭部)に集まるこの毒というものは肩です。
それで肩の毒というものは、大体は腎臓です。
薬毒とかいろいろなものを人間の体に入れると、
その毒がいったん腎臓に行って、腎臓で処理されるのです。
というのは、腎臓で小便によって外に出すという働きになるのです。
そこで腎臓で処理されない分、それは薬毒とかそういった不自然なものは腎臓に行っても処理されないので余るのです。
その余ったものがだんだん肩に来るのです。
人間は凝りますが、それは腕を使わないから肩に来るのです。
足は凝りませんが、これは始終歩いているからです。
じっとして手を使うとか、そういうために肩に来るのです。
ところが手を始終動かしているとそうでもないが、人間は足だけしか使わないから、肩に来るのです。
そして頭を使ったりいろんな道具を使いますから、頸や頭に来るのです。
それでこの辺の浄化によって溶けて下に下がるといろんな病気になるのです
けれども他の肝臓とか膵臓とか腸の病というのはまた違います。
それはいったん胃にはいったものが腎臓に行かないうちに、その辺に浸透して行って固まるわけです。
これは次に話しますが、今のは大体肩を中心としたいろんなことを記述したわけです。
まだいろいろありますが、追々に記述てゆきます。
『薬 毒』
薬にも漢薬と洋薬との二種あり、どちらも特質があるから、一応は知っておく必要がある。
もちろん効果においてもそれぞれの違いさがあって、例えば漢薬であるが、
もちろん草根木皮が原料となっており病を治す方法として山野から種々の草木を採取し、
これを薬として服ませたところ、苦痛が減ったので、これこそ病を治すものと思い、
それから今日まで続いたのである。
何しろ一時的ながらも苦痛が緩和するので、薬の効果を信じ今日に至ったのである。
そうして漢方薬は量が非常に多いので、左程でない毒も案外害は大きいもので、
しかもお茶代りに飲む人さえあるのだから厄介な話である。
また漢薬常用者は、特に顔色が蒼白であるからよく分る。
そうして漢薬中毒の痛みは鈍痛が多く、昔花柳界の女で持薬としてドクダミ、
ニンドウなどを飲んだのは、花柳病予防に効果があるからで、
つまり湿疹や腫物などの浄化停止に効くためからである。
また昔の婦人によくあった癪(しゃく)、寸白(すばく)、冷え症などもそれであり、
男の疝気(せんき)といって睾丸の痛む病気も同様である。
その他男女共通の病としての胃痙攣、脚気、リョウマチ、心臓病などもそれである。
薬毒による病気の中で一番多いのは胃病だ。
これは最初、食い過ぎ、胸焼け、消化不良、といった現象を起すが、
誰でもすぐ胃薬を飲んで一時は治ったように思うが、日が経つと再発する。
そして、また薬で治す、また起るという風にして結局、慢性になってしまう。
自然に放っておけば治るものを、今、いったような間違った方法をするから駄目なのだ。
次によくある胃潰瘍だが、これも薬毒で胃の薬に含まれている重曹が胃壁まで軟かくしてしまう。
そこへ固形物が触れると亀裂して出血する。これが吐血という。
次に頭痛、鼻病、眼病、扁桃腺だが、頭痛というとすぐ鎮静剤、鼻病にはコカイン、眼病には点眼薬、
扁桃腺炎にはルゴールといった風にすぐ薬を使うが、これもみんな一時的効果をねらったもので、
こんなことをすると必ず中毒になる。
発熱の場合でも放っておけば、段々と熱が下るが、なまじ解熱剤を使うと一時は解熱するが、すぐ反動的に再び発熱する。
そしてまた薬を使うというわけになって最後に医者のところへ相談にゆくと、医者は原因不明といって困った顔をするが、
これは医者自身が作ったのだから原因不明というのも当然なわけだ。
薬というものは固まり易い性能と排泄しにくい性質があるので普通十年から数十年ひどいのだと一生涯固ったままという状態を続ける。
西洋医学は、元来が対症療法であるから、専(もっぱ)ら病気の苦痛を軽減するに努める。
即ち、熱が出れば冷まそうとし、腫物が腫れて膿が出ようとすれば、膿を出すまいとして氷で冷し、又は、薬で散らそうとする。
痛みで治そうとすれば、その痛みを感じさせまいと注射をする。
そういう方法は、病気を治すどころか、反対に治す工作の邪魔をして、実は、治さない様に努力している訳である。
恐らく誤りもこれ程はなはだしいものは外にないであろう。
且つ、事は人間の生命に関する大問題であるのに、それが、今日まで、気が付かなかったと言う事は、
実に、驚くべき事ではないでしょうか。
肥料の毒というのは、やはり血を濁しますから、肥毒と薬毒との両方で、
人間の体内は毒だらけなのです。食べる食糧に対する肥毒があって、
薬を飲まない人でも一日に三度ずつ肥毒を体に入れているのになおかつ生きているということは、
実に人間の体は丈夫なものだと思っています。しかしながら人間の体は毒の瓶の入れ物になってしまいました。
〇人口問題と療法
療法が一般に行われるようになるとすれば、現在国家が最も憂慮しつつあるところの人口低下の大問題が解決なし得るという事である。
元来、不妊症はいかなる原因であるかというと、全く前項に述べたごとく、
腎臓萎縮によってホルモンの欠乏となり、ホルモンの欠乏は、性的劣弱化するのであり、
それが妊孕(にんよう)力低下の真因である。
勿論女性ばかりではない。男性も同一である。
特に女性にあっては萎縮腎の為、尿毒が腹膜に固結し、喇叭管(註 卵管のこと)を圧迫したり
又は前屈後屈等、子宮の位置を変移する事になるから受胎に支障を及ぼすのである。
右のごとくであるから、不感症や夫を忌避する女性等は、ことごとく萎縮腎の結果である。
医学において子宮の発育不全というのも、勿論、それである。
故に、腎臓が健全になれば、必ず妊娠すると共に、夫婦相和し、家庭争議や離婚等の忌わしき問題は著減するであろう。
〇心臓は太陽の霊気を吸う
この療法は霊的療法ですが、ところが、いままでは心臓が非常に無視されている。
この療法で、肺は月、心臓は火、胃が土という記述をしましたが、
胃は土ですから七で、肺は水で六、心臓は五で、やはり五六七になっている。
実は五が主で、心臓は霊気を吸う。太陽の霊気を主として吸う。
根本は太陽の霊気を吸うにある。このことも血が浄化される。
きれいになればあらゆる病気は治る。
それを知れば空気中に酸素があれば、それで血が浄化されると思っているが、心臓が絶えず霊気を吸収して血がきれいになる。
これが本当の心臓の働きおよび霊気である。
要するに霊気が一番重要な役目になっている。
要するに、この療法は霊気療法で、世間にも霊気療法はあるが、本当のことは知らない。
霊気も人間の霊界じゃない。太陽を主とした月も交わった霊気です。
で、観音力でするにも無論霊気は出ている。それで血が浄化している。
空気のいい所へ行こうとするのは旧時代の療法で、今度はいい霊気のある所へ行き養生するのです。
いい霊気のある所はどこかといえば、七次元よりほかにはない。
ほかにも多少あるがごく弱い。月の霊気もある。むしろ月の霊気は違う。
太陽の霊気は放射する霊気、月の霊気は汚いものを洗う贖罪的(自分の犯 した罪)のもので、これは限りがある。
すなわち水のほうには限りがある。日のほうは無限でいくらでも燃える。浄化される。
その霊気はどこから発生するかというと、七次元よりから発する。
霊気を発する。それによって絶えず霊気を発して浄化される。
元々、浄化療法とか浄血療法とかいっても、健康の根本は霊気を浄化するのが根本で、
空気のいい所へ行っても肺で死ぬ人はたくさんにある。
東京からそうとう離れた空気のいい所へ行って、そうとうの効果はあっても、
絶対にすばらしい効果は得られない。
また空気のいい所にいて肺病にならぬとは限らぬ。
霊気は、空気より何十倍何百倍いいもので、
空気だの紫外線など言っていても、この光の本体は科学で発見されず判っていない。
〇薬と副守護神
霊が曇ると罪悪を犯すことになります。
ところが今の宗教は罪を犯してはいかんということだけやかましく言って、
では罪を犯す気持ちになるというのはどういうわけかということは言えないのです。
ところが罪の構成ですが、罪を犯そうという気持ちは悪ですから、悪の発生というのは霊が曇って、
つまり魂が汚れるからです。
悪いことをする気持ちになるということは、副守護神の活動が強くなるから、
それで副守護神の意志のままに悪いことをする。
それを押さえるだけの魂の力がないからそういうことになるのです。
ある例が霊射している時に、狐が出てこういうことを言ってました。
「これほど医者にかからして、やっと死ぬまでにしたのに、貴様横から出てよけいなことをして、
とうとうオレの目的を邪魔して、ふとい奴だ」と言うのです。
どっちがふとい奴か分からないが・・・。
ですから、医者にかからせ、薬をのませるということは、副守護神がやっているということがよく分かります。
そこで薬をのむから霊が曇る。
曇ると奴さんが働きよくなり、その人間を自由にあやつることが非常にやりよくなるのです。
ですから医者にかかったり薬をのむということは、そういう先生が大いにそう思わせるのです。
ですから薬は毒だ、薬というものが人間をそういうように曇らせるということを、人間は気がつかなくても、
そういう動物霊の方がずっと分かっているのです。
そうなってくると、動物以下、動物よりも愚かということになるから情けない話です。
まあそういうことなどが罪穢れの因ですが、今までの宗教はそれを看破できなかったところに大いに欠陥があるわけです、
だからただお説教で押さえつけるのです。
やっぱり原因が分からないために結果に対する防止法が今までの宗教のやり方だったのです。
今度は根本を説くわけです。はっきり見せるわけです。
ですから罪穢れを犯す人間にはこのことを分からせなければ、どうしても分からないわけです。
〇薬と副守護神-2
今ここに書いているほかのことは、悪の発生ですが、これはキリスト教の方などでは、
旧約聖書の創世記にある「エデンの園におけるアダムとイブが禁断の木の実(欲心=濁微粒子が発生する)を食べた。
それで禁断の木の実を食べると悪が発生する」と書いてありますが、禁断の木の実というのは欲心のことなのです。
それでその時分は神から肉体化したもので食べるということを知らなかったのです。それでは肉体が持たなくなってしまうから蛇を使い食べさせ、そしてイブが食べたのです。
神から肉体化したものですから食べたくなれば想念で食べられるという思いがありますから物質界での働きがわからなかったのです。まぁこんな事でアダムも食べ始めたのです。
これから食べるということを学んでいくのです。そのことにより欲心が芽生えていくことになるのです。
それで禁断の木の実(欲心とは=一番根っこに有るのは吾よしの心です)によって悪を発生させて地獄の世にされたのです。
それによって今日のような物質文化が発達したので、これは神様の経綸であって、それは必要だったのです。
その時代(霊体の方が強く働き肉体の方が弱かった)のエデンの園というと、ミロクの世と同じようなもので、まあミロクの世です。
その時分は文化というものはぜんぜんなかった原始的なミロクの世だったのです。
しかし今度は悪の発生によってこれだけの文化をつくって、そうしてもうこれだけになれば、あとは必要ない、
むしろあとは邪魔になるから、悪(欲心)をなくすということについては、薬をもなくすということです。
そこで薬をなくすれば病人がなくなり悪(欲心を抑えていく)もなくなりますから、そこで今度は絢爛たる文化によるミロクの世ができるのです。
つまりエデンの園ができるのです。
そういうように考えるとよく分かります。
それでこれは難しい理屈ではなく、薬で血を濁しますから、血が濁れば霊が曇りますから、霊が曇れば副守護神の力が増すからして、
副守護神というやつは悪いことをするのが本来ですから、それで悪いことをさせるというわけです。
難しいことはないので、簡単に分かります。おもしろいことは、ここに体験例があります。霊射していた時に狐などが出てきてこういうことを言うのです。
「せっかくオレが医者にかけて、これだけに悪くしたのに、横から出てきてとうとう助けてしまった。
随分薬をのまして、やっとこれまでに悪くして、もう一息で命を取るまでになったのを、横から出てきて助けた」と怒るのです。
ですから彼らは薬で悪くして結局命を取るということをよく知っているのです。
それは人間はとてもかないません。むしろ人間以上です。むしろ狐から薬毒を教えられたくらいです。
自分自身でも分かりましたが、医学を狐が利用しているということが分かったわけです。以上のような例がありました。
そうしてみると狐がその人間を殺そうとする場合には、やはり彼ら恨みの霊というものが、なにか仇を討つという場合に、
狐がその人の副守護神に命令されたり、またはそこの祖先が稲荷を信仰したとか、またその人が稲荷を信仰したいという意思を知って、
その狐が相手に働きかけるのです。
そうするとその場合に医者にかけるのです。できるだけいい医者にかかって、できるだけいい薬をのむのです。
むしろかえって大きな病院やいい薬を、ということに狐は働くのです。その方が悪くするには効果的なのです。
大病院というのは、やり方が大胆で思いきってやりますから、悪くするのも思いきって悪くします。
それで町にいる藪医者というのは、オッカナビックリしながらやります。
手術でも、あんまりひどい手術はしないというのですから、被害は少ないのです。
ですから大病院でなおらなくて、町医者でなおったということを聞きますが、つまり藪ほど間違いないというわけです。
それでまた薬をのませると霊が曇るからして、奴さんはよけい働きよくなるのです。
つまり医学を利用しているのは、そういう動物霊というわけです。
そこで悪の世界というものは薬がつくったものです。
無論今読んだのは、薬が不幸をつくるというのですが、不幸というのは悪のためですから、人間界から悪をとれば不幸というものはなくなってしまいます。
だから病気で苦しむために不幸になるというので、その病気をつくるのは薬ですから、薬というものはそのくらい恐ろしいのです。
ところがその薬をいいもののように人間は長い間教育されているので、ちょっとやそっとではなかなか分からないのです。
霊的光力やら霊射を受ければ信じられますが、ふつうの人に言ってもなかなか信じられないので、そこに骨が折れる点があるのです。
ですから結局薬の害を知らせることが根本なのです。
結局いろんな面から書きますが、元はと言えば薬毒の害になるのですから、それを分からせるということです。
〇薬を飲むと血が濁り、霊が曇り、地獄になる
薬が不幸を生むということも知らなければならないのです。
薬をのむと血が濁る。そうすると霊が曇る。
霊が曇ると霊界の地位が低い所になりますから、どうしても地獄になるわけです。
だから今の世の中が悪い世の中で、幸福な人はほとんどないです。
それからそれへと不幸ですが、不幸だということは霊的に霊界における階級が低くなるから、そこで嫌な苦しみや災難が来るわけです。
その因というのは薬ですから、要するに薬が人類の不幸を作っているわけです。
薬によって病気を作るどころではなく、病気以外一切の苦悩を薬が作るわけですから、薬というものは実に恐ろしいのです。
そこで人類から薬というものを、どうしてもなくしなければ良い世界というのはできるわけがないのです。
仮に汚職事件にしても、ああいうずるい人が出るということは、因の因は薬です。
そういう人間から薬毒を抜けばよいのですが、抜くことはなかなかできないのです。
だいたいそういうことをさせるのは動物霊ですが、動物霊は薬のない霊に憑いても働けないから、そういうのには憑かないのです。
憑くとなると動物霊も改心しなければならないのです。
だから結局薬毒が犯罪を作っているわけです。
これからは、本当に世界人類のためになる、自分の利益を犠牲にしてもそれをやるという、非常に高い思想、いわゆる崇高教(すうこうきょう=けだかく尊い教え)
がこれからの未来をを変えていくのだと思います。
〇「霊的疾患と体的疾患と見分け得るか」
これは病気によっては、はっきり判るけれども、はっきり判らない病気もある。
最初から判る場合と、しばらく経たなければ判らない場合とあります。
また、体的と霊的と一緒になっている場合もありますね。
こんな場合もあるから、これは知っておかねばなりません。
肺病で、最初は体的なただの浄化で、だんだん霊的になってくることがあります。
これは体が弱ってきたために血が少なくなって、それで霊が憑りやすくなるためです。
精神病、癲癇、小児麻痺などは頭から霊的としてほとんど間違いありません。
ただ、小児麻痺で、片方の足だけ動かないなんていう場合には体的なためによることがあります。
肺病には霊的のものと、体的のものと、霊的と体的と一緒になったのとあります。
胃や腸の病気には霊的のは少ないですね。
それから、婦人病には霊的のが多くて、多くは生霊ですね。
霊にも人間霊と動物霊とありますしいろいろです。
まあ経験とその人の霊感の働きによって見分けることですね。
「小児麻痺」
「この病気は真症と擬似と両方あるが、医学ではその区別を知らず混同している。
しからば真症とは何か、というと、原因は霊的で、その多くは脳溢血で急死した霊の憑依である。
従ってその症状は脳溢血と同様で言語不能、半身不随等である。
そうして発病は幼時と少年期とが多く突如として発病する。
今まで学校の成績もよくなんら異状なき健康児が、高熱、痙攣を起こし脳溢血的となるので実に恐るべき疾患である。
なぜ死霊が憑依するやというに、重症脳溢血は発病と共に死の転機が速かなるため、霊は死の覚悟がないから、
霊界人となってもその想念は生きているつもりでいるが肉体が無い。
従って無意識に肉体を求めるが、その場合他人には憑依出来ないから近親者に憑く。
何となれば近親者はすべて霊線の繋りがあるから、その霊線を辿って憑依するのである。
「癲 癇」(てんかん)
「癩癇(てんかん)は、精神病と等しく原因は憑霊であるが、ただ異なる所は癲癇は一時的発作的である事と、その症状が多種多様である事とである。
そうして癲癇のほとんどは死霊の憑依であるから、発作するや死の刹那(せつな)の状態を表わすのである。
たとえはよく泡を吹く、これは水死霊で俗にいう水癲癇であり、火癲癇は焼死者の霊であり、また脳溢血によって急死した霊も多いが、
これは半身麻痺状態になるからよく判る。
その他変死者すなわち轢死、縊死、墜死、銃死等々、すべては死の刹那の苦悶の状態そのままを表わすのである。
近来医学において癲癇療法として、頭脳の切開手術を行う医家もあるがこれらは患者に苦痛を与え、障害者となすだけで寸効もないのである。
何となれば原因は霊作用で、全然見当違いであるからである。
〇「縮れ毛」所謂天然パーマというやつ
熱があれば毒のため、無熱なら霊的
頭に熱があれば毒のためであり、無熱の場合は霊的である。
あるいは黒人の生れ代りかもしれない。
霊射すると、そんな霊でも早く日本人になる。
極力霊射する。
〇就寝後に死直前の形を表わすのは死霊の憑依
夜床につくと間もなく体中が大きく震えて来て中々止まら無い状態。
死んだ子の霊である。子供の中の一人か、誰か祀らないのではないか。
霊が迷っているから、居所がなく、人間に憑きやすい。
寝てから、死の直前の形を表わすのは死霊で、今にも死ぬような気持になるものである。
流産したり死産したりしたのは必ず祀らなくてはいけない。
〇水死霊の憑依による癲癇
泡をふくというのは、水死の霊です。
水を飲んで死んだとい人です。
癲癇の起った時には、弔霊を奏げてやって、そうして頭の前頭部の中心をやる。
そうしてふだん頸のまわりが、毒の固まりがありますから、それを良く霊射して ・・・これがあるから頭が貧血する。
血管を圧迫するからね。
そうすると前頭部の方が貧血するから、それで霊が憑りやすくなる。
そうしていったんひどくなるものです。
峠があってね。それが過ぎると、だんだん良くなる。
早いのは一カ月か二カ月のがあります。
遅いのは四、五年かかるのがあります。
結局は治ります。今言ったように気長にやっていれば、少しずつ良くなるものです。
すべて死の様相を表わすものです。
他にも、無人癲癇、人癲癇、火癲癇等がある。延髄部等霊射する。
癲癇を霊射するとよけいに起るようになる。それを過ぎて段々快くなる。
その人に憑いてる霊が、霊射すると霊は苦しんでもがくからである。
癲癇の霊などは霊射すると苦しいので、頭へ上ろう上ろうとする訳である。
段々やってると、起り方が少なくなり、段々軽く、時間が短くなる。
回数は減らないものである。気長にやれば治る。
〇火を掴む癲癇
火癲癇は沢山ある。
死の時火を掴んだもので、焼死の時の状態を表わすのである。
〇原因不詳の水癲癇
本当に泡を吹くのと、泡を吹く真似をするのとあるが、これは水死でなく、
脳溢血で倒れた霊である。
〇癲癇より失明
中風で眼が見えず死んだ霊で、癲癇もその霊である。治癒するであろう。
頭、特に前頭をよくする。
〇地縛霊
地縛の霊は一定部以内しか動けけない。その地に縛られるのが地縛霊です。
約三十年間としてある。
ただ遺族の供養によって早くなる。
その場所で天津祈言を五、六回奏げれば離れる。(どく)
〇アザ、イボ、ホクロについて
アザには黒と赤の二種類ありますが、黒は怨みの霊で、それが霊に染みついて霊界の浄化でも取りきれないうちに生まれた場合です。
例えば肩を切られて死んだ場合、その怨みが向こうの肩へ行くんです。
赤のアザのほうは自分が斬られたり槍で突かれたりした場合、やはり霊界で不浄化のまま再生したのです。
ほくろは運命のしるしです。口のはたのほくろは「食いぼくろ」と言って食うに困らない。
首すじのは「着ぼくろ」と言って着物に困らず、目の縁のは「泣きぼくろ」と言いますね。
いぼもとれるのと、とれないのとあります。
やはりその人の運命のしるしですね。
〇魚鱗癬は龍神の再生者
魚鱗癬(ぎょりんせん=魚のうろこのようなカサカサ(鱗屑〈りんせつ〉)がつく症状をいいます)
は龍神の再生者
龍神の転生で世間よくあるが、これは一生治らない。
龍コケの模様で赤黒紫などの色である。
龍神の再生である。
浄まってゆくと龍神の分子より人間の分子が多くなるから薄くはなる。
〇アザは前世に関係
アザは霊的で前世に原因があります。
赤アザ・・・切られたり突かれたりして出血して死んだ人が浄化半途にして再生してきた場合であります。
黒アザ・・・怨みの霊であります。
叩かれ、火で焼かれたときなどに死んだ人が、浄化半途にして再生した場合が多いようです。
傷は初めは大きいが霊界でだんだんと圧縮され小さくなってきます。それが残っているのです。
痣(あざ)は治らぬ。赤痣は薄くはなる。
黒痣は全然駄目である。
彫物のように強く滲みている。
前の世の罪である。
〇人癲癇
死霊が懸る一種の癲癇である。人癲癇というのである。
〇手足伸び切りの発作
一種の癲癇で、死霊が憑く。
死霊の状態の通り表われる。
大抵毒で死んだもの、砒素剤のようなもので死んだものである。
起りそうな気がするのは、未だ霊が憑きそうになっている。
祈言、神向き讃詞、弔霊を誦してたむける。霊も救われてくる。
癲 癇(てんかん)
癩癇(てんかん)は、精神病と等しく原因は憑霊であるが、ただ異なる所は癲癇は一時的発作的である事と、
その症状が多種多様である事とである。
そうして癲癇のほとんどは死霊の憑依であるから、発作するや死の刹那(せつな)の状態を表わすのである。
たとえはよく泡を吹く、これは水死霊で俗にいう水癲癇であり、火癲癇は焼死者の霊であり、
また脳溢血によって急死した霊も多いが、これは半身麻痺状態になるからよく判る。
その他変死者すなわち轢死、縊死、墜死、銃死等々、すべては死の刹那の苦悶の状態そのままを表わすのである。
近来医学において癲癇療法として、頭脳の切開手術を行う医家もあるがこれらは患者に苦痛を与え、障害者となすだけで寸効もないのである。
何となれば原因は霊作用で、全然見当違いであるからである。
次に夢遊病者といって、発作するや自己意識を失い、家を飛出し、所定めず彷徨するという始末の悪い症状であるが、
これらも一種の癲癇であって、この憑霊は幼児の霊である。
癲癇の例として、数年前から私の家に使用している下婢の事を記いてみよう。
これはよほどおもしろい例で、最初の頃は発作するや意識を失い、所構わず倒れるが、その際の面貌は物凄い程で、
顔面蒼白、唇は紫色になり、舌を噛み口唇から血液が流出している。
その状あたかも殺害された死人と少しも異ならないのである。
それが本医術によって漸次快方に趣き、近来の発作は極軽微で意識を失う事はなく、多少の不快を伴う位である。
その際前額部深部を霊射するや、憑霊は悲鳴を挙げ「助けてくれー」と繰返す。
私は「助けてやるからこの肉体から出よ」と言うと「行く所がない」という。
憑霊が行く所というのは人間である。この場合全然他人では憑る事が出来ないから始末が悪い。
そうして右の下婢を施術するや前額部へ霊射二、三分にして肩、腕、腹部等へ次々と移動する。
おもしろい事にはその局部を圧査すると必ず毒結がある。
そうして憑霊の逃げ廻るのを追いかけるように一々霊射する結果、霊は極度に萎縮し、苦痛は一時解消するのである。
この下婢の霊は、祖母にあたる者が不義の子を宿し、出産するや圧死させた。その嬰児の霊である。
その嬰児の霊へ、祖母に関係ある狐霊が憑依し、同化霊となって活動するのである。
急死霊の憑依による小児麻痺
五歳の時右半身不自由になり、現在十一歳になりますが、右手首、右足先が不自由です。何かの現象でしょうか。
中風で死んだ霊である。急死の霊は生きてるつもりでいるが、肉体がないから探す。
霊線の繋りあるものに憑く。子供は一番憑きやすい。
人間は急死したのは不仕合せである。
反って仕合せだなどというのは間違いである。
霊界あるを信じ、覚悟があれば、霊界へ行っても間誤つかぬ。
小児麻痺は簡単に治る。
〇癲癇より狂暴症状
癲癇は死霊が憑く。切合いをして殺された霊である。
未だ切り足りず、大勢殺そうと思って死んだもので、大勢殺そうという執着が残っている。ヤクザなどである。
前頭部と頸の周りをよく霊射する。気長にすると治る。
祈言、神向き讃詞、弔霊を誦してたむける。
〇引付けと治癒順序
癲癇は浄霊すると一時頻繁に起る。霊が浮いてくる。つまり浮いて浄化するのである。
それを通り越すと治ってゆくので、経路として仕方ない。
心配せずやればよい。段々よくなる。
勿論死霊で、体中にいて頭へ行く。
霊が憑ってると額部へ行きたがる・・・
人体全部を支配し得るからで、額へ行くと死んだ状態を現わす。
祖霊の戒めとはちょっと違う。全然戒めでない事はない。単なる戒めでない。
こういうのに憑ってるのは無縁の霊または急死の霊である。
霊射は前頭部をする。
手は大体腕の付根の中である。
〇爆死者の供養
爆死したのは粉々になる。
まとまるのは割合早いが、爆死の刹那能力を喪失するから痴呆症になる。
で、まとまって人間の形になってボーッとしていて、意識がない。
始終 弔霊か神向き讃詞、を奏げてやると早く意識がつく。
その人の生前の徳と、遺族の供養の仕方でよくなる。
〇不眠症の原因
霊界には夜昼はない。故に知る事は出来ぬ。
霊界は時を超越している。現界へ往く事などによって時を知る位である。
霊界では寝る事もなくはないが、殆どないようである。
これは肉体を休めるためである。
それ故霊が憑ると不眠症になるのは、霊は眠らぬからである。
〇ヒステリーの原因
人体は腹の真ん中と前頭部の奥とで天と地となり相通じ合っているのです。
ですから高天原を人体で言えば眉間です。邪神がつくと眉間へ来たがってしかたがない。
眉間を占領すればその人を自由にすることができるから。
そこで眉間へ来れぬときはその人を怒らせる。
怒ると頭の霊細胞が薄くなるから眉間へ来れるのです。
そのうちまた気持ちが平静になり霊細胞が濃くなると邪霊は下のほうへ下がるのです。
ヒステリーなんかはこれです。
また狐の霊なんか憑くとよくしゃべるんです。
女でよくしゃべるのは狐です。
また威丈高になって相手にものを言わせないのもそうです。
〇月経閉止期とヒステリー
霊的にも体的にも密接な関係がある。
毒があるとそこへ霊が憑依する。霊射すると霊は逃げる。
毒の個所へ、毒のある所へと逃げる。
そして綺麗になってしまえば霊は寄り付かなくなる。
月経閉止期は女の大転換期である。血が動揺して安定しない。
そのため一種の不快感があってヒステリーになる。
怒りっぽいのはどこかに毒があるのである。
気持が悪いと物を悪意に解釈する。
であるから、人間は不快感を除かなくてはいけない。
毒が除れれば爽快になる。
ヒステリーは狐霊が頭を占領するのである。
〇一寸法師(クレチン病)について
クレチン病の霊的原因
これは霊的ではなく、人間の成長に必要な機能が欠けていて伸びないのです。
しかしそれから先は霊的になります。
前世で頭を打ったりして死んだ者が、霊界での浄化が足らずに再生した場合、頭の成長機能が劣るのです。
また子供の発育しない原因は、赤ん坊で死んだ霊が憑依したとき、龍神が憑依したとき・・・
これは主として足が発育しない・・・と、
それから生後たくさん注射した場合のだいたい三つがあります。
〇兎唇は四ツ足の霊の転生
前世で四ツ足の霊だったのが転生した場合、それが残っていると兎唇になるのです。
つまり霊界の浄化が足らないうちに生まれて来たのです。
前頭部と唇を霊射すれば少しはよくなるでしょう。
やっぱり兎なんかが多いのでしょうね。
〇拇指より小指出づ
前の世に欲張ったからである。右手は物質である。
あまりに取り込んだために、拇指が物をとる働きをする。
〇指の先天的接着は鳥の再生
やっぱり、それは人間が鳥になって、鳥から人間に生まれ変った。
ですから、もっとたくさんくっついているのがあります。
それは切離したほうが良いか、霊射のほうが良いか、どっちとも言えないです。
しかし霊射で治るはずです。
だんだん離れていって治るはずです。
〇指紋のない人は河童の生まれ変わり
霊的原因です。
河童の生れ代りか何かである。。河童には五本手指があり、指紋はない。
河童はよく人間になり、人間も河童になります。
河童の感情は人間そっくりです。人間に近いのです。
〇双生児(そうせいじ=双子)の霊的原因
非常に親しくしたものが再生した時双子となる。
女と女の双児は女と女が親しくしたもので、男と女の場合は情死
(愛し合っている男女が、合意の上で一緒に死ぬこと。心中。)者である。
双子のほうは恋愛や同性愛のように仲のよかったのが再生するのです。
双児は運が悪い方が多い。その時代の罪が残っている。
前世に、動物だった霊が人間に生まれたのです。犬や鼠です。
だからあまり名誉なことではないのです。
四ツ子、五ツ子は畜生道へ堕ちたのが生れたもので、その時の習性が残っている。
多産性が残っている。
他は心中とか、非常に愛し合ったものが死ぬとかいったものが、その想念がどこまでも続いているためである。
離れられないような愛の執着と、現世への執着である。霊の性格は一本調子であって、
滲みついた想念はなかなかとれぬものである。
人間として一人生むのが本当である。
神向に入れば大丈夫である。そうしないと続く可能性がある。
〇歯ぎしり・寝言・イビキの治癒
霊射すれば治るでしょうか。
歯ぎしり・・・動物霊が憑いているためである。
動物は非常に歯を強く噛む。寝ると動物霊の勢いが出る。
両足をバタバタさせるのは特によく表わしている。
歯を固く締めるのは動物である。
動物霊によっては非常に口をよく塞いでいるのがある。
厳格に言えば、副霊とお客様と動物霊が二つ憑いている。
副霊は人間が寝ると霊界へ行く。
するとお客様の方の正体そのままが出るのである。
寝言も人間の死霊の場合と動物霊と二つあって人霊の方は割合いはっきりしているし、
動物霊の方はよく判らぬ。
鼾(いびき)は鼻の通りが悪いのである。
鼾は鼻孔に障りがある。
寝言は副霊を統制する本守護神の力が弱い訳である。
霊射により、本霊の力が出る。いずれも霊射で治る。
人間は寝ると本守護神は鎮まり、副守護神が活躍する。
寝言や歯ぎしりは皆副霊である。
これも神向きに入った方がよろしい。
副霊の力が弱るにつれて治りますよ。
〇舌の寸足らず
前世に畜生道に堕ち、動物に生れ、また人間に生れたものである。舌の短い動物である。
故に人間の言語は使えぬ。こういうのも一言か二言喋れるものである。
動物の再生はどこかに残っている。
単純な事しか喋れぬ舌になっている。
霊射である程度良くなる。
しゃ・せ・しゅ・しぇ・しょ」の感じに聞こえてしまいます。
人間に転生するのとしないのとある。
蛇や狐など一番多い。爬虫類の霊は人間に憑依する。それに生れる事はない。
馬、牛、犬、猫、狐、狸、蛇等は人間に生れる。虎や狼などもあるが、極く稀(まれ)である。
〇タヌキは大抵腎盂(じんう)に憑依する
狸であろう。狸は大抵腎盂(じんう=腎臓からの尿が集まる所。腎盤)に憑いている。
〇泣き笑い精神病 狐と狸の共同憑霊
電信柱のようなものは霊である。
狸は笑う。泣くのは狐である。
であるから、右二つの霊が憑いているかもしれない。
ジモンは霊に直接聞いてみよ。
〇泣き上戸、泣き中気は狸の憑依
笑い上戸と笑い中気は、狸または狸の憑いた死霊が憑依したのであります。
泣き上戸と泣き中気は霊的なもので、死ぬとき悲しんで泣いていた人の霊が、
再生して憑依した場合が多いようです。狸霊は左横腹へ憑く。
一番近い者が熱心に神向きする。延髄付近の毒を溶かすとよい。
〇病気と憑霊
病気の原因として、憑霊という事を知っておく必要があります。
これを知らなくては解釈のつかぬ事が沢山出来て来ます。
多くの場合、憑霊的病原は軽視出来ないものがあります。
しかしこれを本当に知るには「霊覚」を持たなくてはならないし、
といって又非常に誤られ易く、弊害も生じ易いので、まず常識的に一通り知っておけばいいのであります。
これは、病気の説明の時にお話しますが、大体死霊、生霊、動物霊の三つに分ける事が出来ます。
そうして、動物霊で多いのは蛇、狐、天狗、鳥類、犬、猫、馬、狸等であります。
これらの動物霊が憑依して病気を起す事実で、例えていえば小児のジフテリー及び喘息であります。
喘息の場合、病原である水膿溜結を溶解しても、咳が止まらぬ場合があります。
そういう時は、大抵猫の霊が憑いているんであります。
ですからそういう患者は、鼻と口の間辺に霊光を放射すると、とても噎(むせ)るんであります。
しかし、それによって霊は畏縮するから、実によく治ってゆくのであります。
〇ロクロ首実例 (半人半蛇)
二十四歳の女が嫁に行き、一週間程にて離縁となりしため親がその理由をただせしところ、
中々口をききませんでしたが「実は夫婦で寝ると夜中に首が長く伸び天井を舐める」との事、
親は喫驚して「家にいる時はそのような事はなかった」ということです。
所が天井にはナメクジの這ったような跡があり、夫は嫁の事とて誰にも言えなかったのでしたが、
恐る恐る申し出ました(伸びた時は首に縦縞があるそうです)と言う事であります。
ロクロ首である。
無論蛇・・・蟒(うわばみ)で、本当に人間になり切っていない。
人間が蛇に堕ちまた人間に生れてくる。
半ば意識があるべきだが、意識がないのはよほど蛇そのものになっている。美人である。
治るのは難しかろう。半人半蛇である。
ココとは関係はないが人間は半霊半物質(肉体)になり得る事がわかるのである。神の発動気が成されれば。
〇子供の骨軟化症は蛇の再生
これは蛇の生まれ変わりだ。これは治らないことはないが。
蛇がまだ充分に浄化されないうちに生まれるからで、蛇みたいにグニャグニャする。
これは霊射しているとだんだんふつうになってくる。
鼻汁が出るのは非常に結構です。
これは気長にやれば治ります。
随分しかし、厄介な病気です。
まあ・・・一生懸命に信仰して、一人でも多くの人を助けるようにすると、
神様の御恵みによって・・・御守護によって早く治ります。
〇骨なし子
蛇の霊が憑いているとグニャグニャである。
龍の生れ代りらしい。龍神が憑いているのもあるが、憑いてるのは局部的が多い。
霊射しているうち段々よくなる。段々蛇の特性が除れてゆく。
根気よくして、親が神向きして徳を積む。
〇蛇の怨みによる異常出産
子が生れる時に臍の緒が一結び結ばれて生れ、今年生れた子は首に五巻まいて霊射の御蔭で生れましたが、
何か因縁によるものか。
因縁は蛇である。蛇がアダしたのである。
神向きが深くなるに従い、そういう事はなくなる。
〇耳 病
耳は全聾と半聾、耳鳴、中耳炎、耳垂等があります。
聾は、中耳炎などの為に自然的に鼓膜が破れたのと、手術などで人為的に破ったのとあります。
又その鼓膜の破れ具合によって、軽い重いがあります。
しかし鼓膜はなくとも相当に聞えるものであります。
中には、鼓膜は何とも異常がなくて聞えぬのがありますが、これは実は霊的であります。
それは木龍というて、樹木に憑依している霊で、蛇の霊又は鳥霊であります。
聾という字は、龍の耳と書きますが、龍は声が聞えないとしてあるが、音によって聞えるのであります。
蛇は、笛の音などはよく聞えるのであります。
龍には種々な龍があって、木に憑いてる龍を木龍と言い、多く大木に憑いている。
松、柳、銀杏(いちょう)等が多いのであります。これらの木は霊が憑き易い。
よく大木を伐ると祟(たた)る話がありますが、それであります。
実例;以前生麦(なまむぎ)に大きな松があって、京浜国道を作るのにどうしてもその木を切らねばならない。
まず最初に枝を切った男はその晩に死に、次に枝を伐った男もまた死に、親方は不思議に思ってる内に病気になった例がありますが、
これらは木龍の憑いてる木だったのでありましょう。
聾は木龍の憑依が多く、そういうのは鼓膜が何ともなく、耳には何ら異常が無いのに聞えないのであります。
木龍の憑いた為の聾はなかなか治り難い。
これは正しい神向きによって善徳を積むより方法は無いので、その功徳によって治るのであります。
あんがい早く治るのと、なかなか頑固なのとありますが、どんなにひどいのでも気長にやってれば半分くらいは治りますよ。
気長に霊射すること。それで耳の・・・耳下線ですね。これに固まりがあります。
それから、延髄ですね。そこに必ず固まりがありますから、それを溶かす。
〇葡萄状鬼胎はカエルの怨み
実例;顔に最初はイボのようなものができましたが、だんだんふくれて葡萄のようになり、
色も葡萄色で日が経つに従って頭の所から口の辺りまでちょうど葡萄を頭から下げたようで手術をうけてもまた出るそうでございます。
これは霊的のようです。ふつうの浄化じゃない、なにかの怨みです。蛙じゃないですかね。
蛙の卵はちょうど葡萄みたいですからね。池なんか掃除したときに蛙の卵をたくさん殺したなんてことから、その怨みのくることもあるんです。
葡萄状鬼胎なんかそうですからね。だからこれもたぶんそうだろうと思うんですがね・・・。
〇蝦蟇が人間になったりする
動物が人間に生まれてきたのでありましょう。
例えば蝦蟇(ひきがえる)の卵など、よく似ております。
蝦蟇が人間になったり、人間が蝦蟇になったりします。
〇葡萄状鬼胎の原因はカエルの霊
蛙を殺したりすると憑かれる。蛙はよく人間につく。
蛙の卵というのは、葡萄のようになってます・・・繋がってね。
特徴というのはそれです。
症状は精しく知らないが、やはり・・・ふつうではないんだから、変でしょうね。
動き方も変だし、痛みも多少あるでしょうね。
なにしろ蛙の霊には違いないんだから・・・蛙の卵ですね。
霊射すれば下がっちゃいます。なんでもないです。
霊射というのは、その肉体の間違った所を、訂正される働きなんだからね。
葡萄状鬼胎もそうだが、子宮外妊娠ですね・・・あれもわけなく治ります。
そういう汚い・・・あってはいけないものはどうしても出る。
つまり、調(ととの)うのです。
それで、別にたいしたものじゃない。簡単に治る。
〇葡萄児
葡萄状鬼胎・・・動物の性能が残っている。多産性動物である。
動物により、妊娠した際沢山子が出来る。
二つ子、三つ子など動物時代の性能が残ってるためである。
人間は一人しか生まぬものである。
〇カエルの祟りによる全身イボ
実例;結婚後間もなく身体の一部に疣(いぼ)が出来、
現在首から上、手首、足首の先は出来ておりませんが、
全身に拡がって、その数幾千あるか判りません。
疣は固くなく軟かくフカフカしております。
ひどいのはブラ下るのがある。
色は普通の皮膚の色であるとすれば蛙の霊の祟りであろう。
薬毒の場合は色が変っている。
軽い疣(いぼ)は沢山ある。
疣蛙とか、蟇も疣だらけである。
〇疣無数の小児
疣のある動物の生れ替りである。
子供であるから治るであろう。
疣のある所を霊射する。
〇ガマガエルの憑霊による言語不能
呑む動物・・・蟇のごときものの霊であるから、言語不能である。
生後六ケ月位の時憑ったもので、普通の蛙とちがい、蟇は祀らぬと人間に憑る。
これはなかなか簡単には追い出せぬ。ガギグゲゴの泣声の動物、即ち蟇蛙のごときものの霊。
神向きに入り霊射してやる事と、いつでも入れるようにして祀ってやる事だ。
できるだけ人助けをするとともに、神様へよくお願いすれば、少しずつよくなってゆく、
またガマの処置もガマが救われるようにお願いすればいい。
〇「憑霊時は死ぬ時のような気持になる」
霊が憑った。憑る時は死ぬ時のような気持になる。治る。
〇「血液の稀薄と憑霊」
霊細胞が稀薄になると、それだけ空いてる訳になる。
充実してる時を十とし、五だけ充実してれば五だけ空いてる。
四なら六だけ憑霊が入れる。
憑霊が六となると精神病になる。
〇「うなされる原因」
霊的です。
寝方によってもうなされることがあります。
例えば左を下に寝たり、胸の上に手を置くと心臓を圧迫いたしますので、血が少なくなります。
血が少なくなりますと(血は霊の物質化したものでありますから)霊が憑りやすくなります。
霊の障りがなければ、そんな事はない。
〇夜泣きについて
夜泣きの霊的原因は動物霊
これは意味があります。
霊によっては刃物をこわがるのがあるんです。
よく夜泣きなんかして親を困らせるのはたいてい動物霊で、殊に狐なんかが多いんですよ。
また、人間の霊のこともありますしね。
で、やはり刃物によって負傷したとか、殺されたとかいう霊が刃物を特にこわがるんです。
刃物があるとそばに近寄れないんです。
子供の夜泣きもそういう霊の場合もあるんです。
だからどれもこれもみんな刃物で解決できるわけじゃありません。
勿論、こんな夜泣きなんてのも霊射で治りますよ。
〇寝言は副守護神の働き
これはね、睡ってるときは霊は抜け出て霊界に行っており肉体とは霊線で連なってるだけです。
つまり留守になるのです。
するとふだん思っていることで抑えられていることをしゃべるんです。
で、寝言はいいものでもなく本当でもないのです。
これはだいたい副守護神の働きです。
昔から「寝言を訊くな」と言われてるのはこの意味です。
勿論毒の多い人ほど副霊の働きも強い。
霊射によってもある程度治りますが、
さらにいいことはそういう人が神向きに入ることです。
〇刀の祟りで発狂した場合
斬られた人の霊がついてるんです。
ま、神の依代(よりしろ=御神体)の前に置いておけば、霊が救われて祟らなくなります。
〇猟銃には殺された霊がつく
猟銃や刀などで殺された霊が憑き、いろいろな事をする。
討たれて死んだ霊は人に憑らず刀や銃などに憑ってその持主に祟る。
神の依代(御神体)をお祭りして、その前へ置くと治る。
〇地獄霊の憑依による悪寒
死霊がくっつく。考えてみよ。
死んだ人で必ずこんな症状の人があるに違いない。
足から冷えるというのは足から入ってくるので、地獄霊である。
龍神は人差指、狐は足の拇指から入る。
地獄の霊は明るい所を嫌うものである。
こういう時には祈言・神向き讃詞・弔霊を奏げるとよい。段々よくなる。
〇「病気と霊」
病霊憑依は病者の霊体の曇りの部分に限られるものであるからである。
故にその曇りの解消によりある程度浄化されたる霊体においては
肉体の病患もなくなるのみか、病霊の憑依も不可能となり、心身共に健康者たり得るのである。
〇「霊が曇っている所へ邪霊がつく」
これは体的な面に重点をおくべきです。
というのは霊的に曇りの多い箇所と、体的に毒の多い箇所とは同じだから。
つまり霊が曇っている所へ邪霊がつくんです。
だから体的にみたほうが判りいいのです。・・・
毒のある所へ邪霊がつくということは霊射をすると霊が逃げることがあるが、
その場合必ず毒のある所へ行くからよく判ります。
〇「憑霊患者の治癒について」
一つの黴菌のようなものであって、曇っているとそこへ憑る。
霊の入れぬ身体にする事である。
〇「憑依霊の入口」
寝る時足部より悪寒を覚える症状。
左手が痺れたり、心臓部が痺れて来ると死ぬ様に苦しくなる症状。
これは死霊がくっつく。考えてみよ。
死んだ人で必ずこんな症状の人があるに違いない。
足から冷えるというのは足から入ってくるので、地獄霊である。
龍神は人差指、狐は足の拇指から入る。
「死霊が憑っているので霊射の急所は首のまわり、
特に延髄部、淋巴腺部に固結があるから、そこの所と、
前頭部を気長にやれば治る。
〇「床下に埋められた者の憑霊による異常行動」
例文省略。
誰もいない時に殺され、家の下へ埋められたらしい者の霊である。
掘り返すのも厄介だから、位牌を作って、仏壇の下位へ祀ってやり、祈言・弔霊を奏げてやる。
そうするとお礼をする。
〇日蓮宗関係物はすべて焼くべし
日蓮宗関係の品物に憑く。
それを謝って焼くといい。
〇青酸カリのような毒物を服んだときには胃腸をやる。
相当な霊力必要。全身に毒がまわってしまったらしかたない。
〇石龍、木龍の憑依
石龍とか木龍が人間に憑くと木・石のような人間になる。
〇「杉の木の伐採による聴覚障害、発狂」
龍神と狐霊の単一樹木に対する同憑。
代りの木を植えてやる。居所なく、まごまごしている。
なるべく、近い所へ、よく言い聞かすといい。
木一本あると、上へ狐、下へ龍神が憑く事もある。
〇「伐木跡へ便所建て不幸続出す」
龍神が怒っているから、便所を他へ移すといい。
〇「大食精神病 狐狸の憑霊・最近テレビなどで見る光景」
軽い精神病である。霊が憑いている。
多分動物霊で、狐狸などは大食いである。
一番近い者が熱心に神向きをする。
延髄付近の毒を溶かすとよい。
〇麻疹とその手当
そろそろ麻疹(はしか)の時期になったからいささか注意を与えたいが、
実は麻疹については医学は本当の事はいまだ判っていないらしい、
というのは一番わるい事であるところの、氷冷を用いている、
氷冷の結果麻疹が出そこなってしまうから麻疹の毒が押し込められ内部器能に集中する、
麻疹によくある肺炎や中耳炎もそのためである。
昔から風に当ると悪いとされているのも風に当ると冷えるから、
出損なうという訳で同じ理である、何しろ麻疹は一種の皮膚病であるから
軽い病気であるゆえに麻疹に罹ったらただ寝かしておくだけで冷やす事も暖める事も
しなければ簡単に治るものである、もっとも霊射すればなお速く治る、
ただ知っておくべき事は肺炎であるが、これは肺胞に麻疹が出来るので、
肺臓内の容積がそれだけ減る、従って空気の吸収量も減るから呼吸が頻繁になる、
しかしこれは一日か二日で治るものである、また中耳炎や結膜炎であるが
これは麻疹の毒がそこから出ようとするためで放任しておいても必ず治るのである。
人間を使って人間の罪穢を除るのであります
頭の中心に非常に毒が溜まりやすいのです。
いつも言うとおり、後頭部は感情、前頭部は理性ですが、ここはその真ん中になってます。
だからここをやるということは必要です。
それからよく頭の芯が痛いとか、芯が気持ちが悪いということを言う人がありますが、やっぱりこれです。
肺病などにもよくありますが、肺病でどうしても熱が冷めないということは、たいてい頭の熱です。
ですから肺病の原因は肺にはないのです。
肺は中間の機関です。
頭から頸のまわりで肺病はたいてい治ります。
ただ肺は溶けたものが痰になって咳で出るということになりますから、そこで衰弱しやすいのです。
衰弱ということは食欲がもっとも関係がありますから、食欲さえ多ければ百人が百人みんな治るわけです。
霊的光力するだけは毒が減って行きますが、ただ衰弱でまいってしまうので、そこで肩ということになります。
そういうようなわけで、病気の原因というものは、たいていその部分の原因ということはありません。
ただオデキやなんかはその場所ですが、他の内臓の病気というものは、原因は病気の現われた所ではないのです。
これはなんでもそうですが、元があるのです。
ちょうど芝居みたいなもので、舞台にいろんなものが出るということは、原因は楽屋にあるのです。
楽屋で準備して、そうして舞台において、よい芝居とか悪い芝居ということになるのです。
ですからそこの楽屋を見つけて、そこをやるのです。
それは大体決まっているのです。
ただ肺だけはどこからでもいったん肺にはいって行くのです。
頭でも手でも足でも、どこの固まりでも溶ければいったん肺にはいって痰になって出るのです。
ですから肺病は胸の病と言いますが、表面に現われたのが胸だからそう思ってしまうのですが、そうではないので、体中の病と言ってもよいです。
それは頸(くび)から肩から腹から背中から、溶けた毒はみんないったん肺に行くのです。
ただその場合、多く溜まっている所と少なく溜まっている所の違いはあります。
そこで肺病で一番多いのは頸のまわりです。
ですから私は結核というものは、頸の病だと言った方がよいと思います。
また頸のまわりに溜まった毒というものは必ず熱が出ます。
それが溶けて痰になるのです。
だから人間、頸(くび)は非常に肝腎なものです。
借金も首、サラリーマンも首で心配してます。
よく「首ねっこを抑さえる、首が危ない、バッサリと首を切る」と言って首が一番肝腎なものです。
それで頸の中にも急所があります。
喉頭結核はここのが溶けて、溶けたものが肺にはいって行って、肺から出る場合に痰に毒があるから、その刺激で咽喉が痛んだりいろいろするのです。
それで物が呑み込めなかったり、声が枯れたりするのは、みんな喉頭結核と言いますが、これは頸のまわりの毒がいったん肺にはいって、その痰に毒があるというものです。
また頸自身の毒のために喉頭結核になるという人もあります。
それからロレツがまわらない人や舌にオデキのある人は、咽喉部の毒のためです。
その毒が、まわりくどい(肺を通らずに)ことをしなくて、すぐにここから出ようというのです。
その場合にここにそうとう固まったやつが舌に固まって、口がきけないというわけです。
ですからとにかく咽喉部です。それから食欲は肩と心得ていればよいのです。
それから淋巴腺ですが、ここに熱が出ると前頭部にすぐ移ります。
この熱が前頭部に一番影響するのです。
それはここの毒が前頭部に始終行くのです。
だから頭の悪い人は、気がふさいだり、怒りっぽかったり、気持ちが悪いということは、みんなそれなのです。
ですから神経衰弱とよく言いますが、これはやっぱりその原因の一番は淋巴腺です。
それから中風も頸の横側の人と後頭部(延髄)の人と両方あります。
その固まりが溶けて脳溢血になるのですが、こういう人は中風になっている時はそうですが、ならないうちも棒みたいな固まりがありますからすぐ分かります。
〇精神病的なもの
精神病的なものは、霊的光が強いところ(神の宮代)でやるのが一番肝腎なんです。
ですから、それをやらないで霊射ばかりしていても駄目です。
(一)病院へ入っては治らぬ。少し我慢して通り越せばズーッと快くなる。
精神病は一たんよくなりまた悪くなり、それから良くなるものである。
多く右延髄を霊的光力すればよい。
これが頭脳へ行く血管を圧迫する。
すると霊が稀薄になるから、狐か狸が憑依して踊らす。
前頭部は理性の働きである。
また延髄の血液が前頭部へ行く。
であるから、前頭部と両方する。
(二)どっちともいえない。病院へ入れるとすれば縁を切る。霊的光力するとすれば離縁せぬ方がよい。
(三)祟っている霊がある。解決しないといけない。
十年も経ってると固まっているが、気長にやれば治る。
「霊的光力」固まりは右の方が多い。
頸の周り、前頭部の真中、後は背中と腎臓をする。
神様のお役に立つようにしなければならない。
その徳によって罪穢が減るから、それだけよくなるのである。
勿論霊的光力、祝詞、御神書拝読なども結構だが、一番の急所は右側延髄を中心に、
首の周りに固結があり、また前頭部にも毒素が大いにあるから、長くはかかるが必ず治るのである。
死霊が憑っているので霊的光力の急所は首のまわり、特に延髄部、淋巴腺部に固結があるから、
そこの所と、前頭部を気長にやれば治る。
〇雷火恐怖症
此の人は、雷恐怖症であるのはもちろんだが、この原因は何かというと、
この人は前の世雷火で死んだその時の恐怖が霊に染みついていて、
霊界生活が短かかったのでまだ除り切れないまま生まれて来たのである。
それがため霊にその曇りが滲み着いているのを、
霊射によってその曇りが除れたから治ったのである。
これによってみても、先天性疾患の原因はよく分るであろう。
〇いかなる病気も背中を霊的光力すべき
人間の背中は一番毒が多い。
少くとも前の五倍以上で、いかなる病気も背中を霊的光力すればよい。
仮に胃病にしても、背中の両側をやらなくては決してよくならぬ。
これさえ心得ておけば、どんなに痛い腹でも治る。
これは根本的に治る。
何となれば、人間は背中を下にして寝るために服んだ薬が背中に行って溜る。
痛みは全部薬であるからであるし、痛みは全部自分で作ったものである。
〇いかなる病気も浄霊の急所は後ろ
病気は治るが衰弱で参る。
故に衰弱に堪えれば必ず治る。
固めると溶かすのとは違う。溶けると食欲がなくなる。
衰弱にはある線があり、線を越えるとどうしても駄目である。
一番よくみるのは肩、首である。固めたものの肩は石のように固い。肩が柔かければ大丈夫である。肩を溶かせば治る。
肺病の熱は殆ど首である。後背、お腹等をする。
胃病は全部消化薬のためである。やめれば治る。
薬が垂れて背中へ固まる。いかなる病気でも後ろにある。そこをせよ。急所が外れている
〇背中は霊、腹は体
背中から腎臓、腰等、後ろの方を浄霊するとよく治る。腹をやっても治らぬ。
背中は霊、腹は体であるから、霊の方を治さなくてはいけない。
肩胛骨の下あたりから腎臓、腰をやって治らなかったら、腎臓の凹んだ所を押すと痛む個所がある。
そこをやれば腹痛など必ず治る。
背、腎臓部等押すと塊がある。そこを浄霊する。
腹部をすると一時よくなるがまた痛む。
盲腸痛など腎盂にきっと塊がある。ドシドシ治る
現代医学は唯物的に発達したものであるから、宗教的でも科学的でも合わない。
民間療法の頃のやり方は霊的医学であった。
人間は霊と体で成立っているから体のみでは解決しない。
霊を無視して体のみでは治らぬ。
また、背は霊であり腹は体であるから、背中が治らなくては本当に治らぬ。腹膜も背中である。
また、感情は霊で理性は体である。
感情の発達した人は喜怒哀楽の感情に富む。
狐などは理性の本拠をとる。
考える時、煙草をのむと鼻の神経を刺激して頭部へ働く。
実行は腹で、頭と相談し合っている。
智慧は頭、感情は後頭部、勇気は腹である。
科学は宗教の一部なりというのが本当である。
〇霊的原因による病気
小児のヂフテリー及び喘息であります。喘息の場合、病原である水膿溜結を溶解しても、咳が止まらぬ場合があります。そういふ時は、大抵猫の霊が憑いてゐるんであり
ます。ですからそういふ患者は、鼻と口の間辺に霊光を放射すると、とても噎(ムセ)るんであります。然し、それによって霊は畏縮するから、実によく治っていくのであります。(中略)
次に蛇の霊も非常に多く、人体内では一、二寸位の大きさになっております。移動性の痛みは殆んど蛇の霊であります。又蛇の形の通り細長く痛む事もあり、とぐろ巻いた時は円く痛むのであります。
幽門狭窄症や食道狭窄などは、よく蛇霊が締めつけてゐる事があります。胃癌を手術する為切開した処が、何もないので、周章てて元通り縫った−といふやうな話をよく聞き
ますが、之など全く蛇の霊であります。丁度、人間が蛇霊に飜弄されてゐる訳であります。 胃痙攣や嘔吐等の場合にも、よく蛇霊の活躍が原因である事があります。
又、以前馬の霊の憑った子供の例がありますが、之は、寝ると必ず手足を曲げて自動的に動かす、それが丁度馬が倒れて苦しむ通りの状態であり、其事を話したら、それっきり怒って来なくなり、
終に死んでしまいました。鳥眼などは鳥の霊が憑くので、又、鼻の病気、即ち、蓄膿、鼻茸、肥厚性鼻炎など、大方鳥の霊で、以前鼻の悪い人で、目白の霊が憑いてゐたので、それを祀ってやったら直に治った事がありました。不
思議に鳥の霊は、鼻へ憑くのであります。そういふ霊が原因の病気でも、浄化法をやれば治るので、それは病霊の曇が除れると、人霊ならば浄化し、動物霊なら畏縮するからであります。
其他、虫の霊などもありますが、やはり浄化法で治ります。水虫は微小なる虫群であり、発疹など蟻群や、其他の水虫群の霊などもよくあるのであります。「病気と憑霊」
病気は浄化作用であるといふ事は詳細説いた通りですが、茲に、霊に因る病気も相当多い事は軽々には出来ないのである。従而、専門の治療士は固より、何人と雖も自身の健康を保持し、家庭の平安を
得んが為には、一応は知っておかなければならないのである。又、凡ゆる社会的及び人事的問題等を観察する場合、大いに役立つものである。
人間の死霊や動物霊に就ては、今迄の解説によって大体諒解されたと思ふ。故に、霊の原因によって発生する凡ゆる病気に対し、順次説いてみよう。」「病気と霊」
兎に角薬毒に気がついて徹底するのが一番肝腎なんです。病気の種類が増えるという事は、一寸考えると可笑しいんです。処が病気の原因が薬という事が分れば、何んでもなく
分ります。つまり薬の種類が増えたから、病気の数が増えたんです。兎に角そういう様な工合で、何んの病気でも先ず薬を考えてみる。そうすると分ります。
よく信者の人なんかで、どうも治らない、しつこい、憑霊現象ではないか、何んの霊でしよう。と、よく聞く事があるが、それよりか薬毒の方がずつと多いんです。それからもう一つは、憑霊と言つても、そういう霊は悪霊ですが、悪霊が憑く
のは頭が曇つている。曇つているというのは薬毒です。薬毒で曇ると、そこに霊が憑くんです。ですから憑霊を何うしよう斯うしよう、解決しようという事は気にはしなくて良いんです。それより薬毒を取
つちやおうと考える。それが根本です。精神病というと霊に違いないが、因(モト)は薬毒です。精神病は不眠になる。不眠が因という事は延髄に固りがある。延髄に固りがあるという事は薬毒です。
だから、精神病でも何んでも、そういつた心の病気も全部薬毒です。そこで人間不幸の原因も薬毒なんです。だから薬を身体に入れなかつたら其人は仕合わせです。色んな災難なんかはないんです。霊が曇つ
ているから、曇り相応の浄化が来るんです。災難というのは浄化です。そうすると薬毒で血が濁つているから霊が曇るんです。だからこの根本は薬を無くする事です。そうすると地上天国が出来るんで
す。だから浄霊というのは曇りを取る事ですよ。薬で逆に曇らせたのを浄霊で取るんです。ですから浄霊すると血を吐いたり、鼻血を出したり、下からくだつたりしますが、それはそういう訳です。
本副両守護神の外、正守護神なるものが常に守護してゐるのである。それは、祖先の霊であって、人が生れるや、それを守護すべく、祖霊中の誰かがその時の祖霊の重なる者から選抜されるので
ある。又霊が自己の任意で正守護神となる場合もあるが、之は大抵動物霊である。其際の動物霊は、初め人霊であって、龍神又は狐霊と化し、狐霊は稲荷に祀られて守護霊となるのである。龍神で守護する
場合は、青大将又は白蛇となって守護する事が多いのである。よく旧(フル)い家などに青大将が永く住んでおり、性質柔順で、何等人畜に危害を加へないものである。然るにその訳を知らない世人は、普通の
蛇と思ひ殺す事があるが、蛇と雖も祖霊である以上、非常に立腹するのである。其結果祟る事がよくあるので注意すべきである。従而、青大将を殺してから、不幸や禍が次々起り一家没落するといふやうな
例が、田舎などにはよくあるのである。「守護神」
そうして本病と雖も根本原因は萎縮腎であるから、腎臓部の霊的治療を充分行ふべきである。狐霊の憑依する個所は前額部中央即ち眉と眉との中央部一二寸奥であるから、その辺に霊の放射を
行ふべきである。又霊の種類とその場合によって憑依局所の異なる事がある。即ち狸霊は精神病の場合のみ頭部であるが、普通は胸部及び腹部の左側であり、龍神は腹部が多く人霊は重に頭部である。然し
乍ら霊は伸縮自在であるから、人霊などは全身に拡充する場合と、縮小して一局部に居る場合とがある。之等は経験の積む程判り得るのである。「精神病」
(無嗅覚の憑霊個所)局部的と全体的とある。局部的が全体になる事がある。頭へ来ると全体を支配出来るから憑くと同様に、鳥の霊が頭へ憑くと無嗅覚になる。鼻へ憑く事はない。
どんな病でも、霊的のものは前頭部をする。斯ういふ場合は違ふ。蛇が憑いたのは身体中移動する。浄霊すると逃げる。これは局部である。中には食いつくのがある。之は頭だけではいけない。
精神病、癲癇、小児麻痺等は頭を浄めればいい。
○ストックホルム交響楽団が去る二十五日夜、チャイコフスキー氏作交響曲第六番“悲愴”(最後の大作であり、その独創的な終楽章をはじめ、彼が切り開いた独自の境地)を演奏中、クラリネット奏者が心臓麻痺で急死し、
また英国のロッキンガム楽団はこの曲を演奏するといつも楽団員が急死するから、演奏は厳禁すると発表し、同団では三年半前に同演奏中にホルン奏者が倒れ、
数時間後に死亡している。
ストックホルム楽団は、演奏数時間前にこの曲を演奏したからと言って死ぬ事はないと発表した」と報じております。
何か霊的関係があるものか。また毎回死ぬ者は管楽器奏者で御座いますが、何か意味のあるものか。
チャイコフスキーはその曲を嫌がる。名が「悲愴=ひそう【悲愴】とは。悲しく痛ましいこと。また、そのさま」であるから霊が嫌う。
それでやめさす。お岩など、劇化する際、お詣りしないとキッと何かあるという。執着強く、何百年も浮ばれぬのであるからである。
(憑依霊は副霊の働きの強い時に憑依する?憑依霊と先祖は関係ある?)
副霊が憑つている肉体へ別の副霊が憑るべく入ろうとして争う事がある。其際憑依霊同志が戦うので、人間の方はフラフラしたり、煩悶状態になるものである。そして前住の副霊が後入より弱い時は後
の霊が勝つ事があるが、それは一時的で長い間にはやはり先住の副霊が勝つのである。 先に墓地に接近すると必ず病床に寝る人があつたが、之は死霊が憑くのである。又或松の下を通ると
必ず死にたくなる所があつた。之も縊死の死霊がつくのである。狐などは臨時に憑いて人を殺したり悪事をさしたりする事が多いのである。そういう事のうまい程、彼等の仲間で巾が利くのである。祖霊は
人間に何か伝える時など大抵は狐に委託するものである。
(住居地周辺は、極めて暗き落着きのなき土地で、土地(二十四家)の中に精神病者六人あります。各家共盗難及び災難が非常に有ります。)
斯ういう所はよくある。霊界には曇った所と、曇りの少い所とある。人間が移動する場合、その人に相応した所へ行く。身魂の曇った人は、いくら良い所へ行こうとしても、良い所へ行けず、一所へ集
る。徳を積んで磨かれてくると、その場所に居れなくなる事がある。よく大火事で焼ける家があるが、之などもその人の曇の程度に相応している。之は眼に見えない話だが、非常に確実で絶対である。曇っ
た所は霊の力が弱まり、思うように行けない。曇った所に当る。又、沼や池など埋めて家を建てる場合、龍神が気づかす為に、その土地へ災難を与える。
(火事になる事がよくある)墓地跡などへ建てると、救われない霊がいて、墓場がなくなると居所を求める。大体此三つである。曇った所にあたる半分か三分一の人間が、光明如来様をお祭りすればズッと少くなる。霊の力が弱まる
と思うように行けない。その御光で、邪魔するものも出来なくなる。先ず、信仰して徳を積む事である。
〇寺の跡地には精神病がよく出る
廃寺の隣に狐霊のつきました精神病者があり、毎日その寺へ行き踊り狂っております。
狐霊と廃寺はいかなる関係があるか否か。
その寺の墓へ祀られた霊で、畜生道へ堕ちて狐になったような意味である。
古寺の跡には相当いろんな霊が残っている。
であるから、寺の跡には変な病人などが出る。(よく精神病が出る)
墓地跡などには興業物のような賑やかな場所を造るのがいいとしている。
要するに、神様をお祭りすればよい。
霊は救われる。光を求めて霊が集ってくる。
〇病気と人間の性質
面白い事には病気とその人の性質とが好く適合している事を感ずるのである。
例えば病気治療の場合、よく判るのであるが、素直な性質の人は素直に治ってゆき、淡白な人は病症も淡白である。
それに引換え、我の強い人はそのごとく病気も長引く傾向がある。
従って、頑固な人は病勢も頑固である。心の変り易い人は病気も変り易く、皮肉な人は病気も皮肉な経過を辿るのである。
この理によって考える時、療病に際し、この事をよく知って、その人の悪いと思う性質を治してゆく事は、取不直(とりもなおさず)、病気に好影響を与える訳になるのである。
それは、何事も素直になる事が最もよいのである。
〇病気の根本原因
人間の体は常に浄化作用をしているからその粕が肩や首に寄るのが多いのである。
これは罪穢の病源とは違うのである。
肩が凝り、脳溢血を起し易いが先祖の罪穢よりは軽いのである。
なお又毒が下へ降って行くものもある。
脊椎や腰へ注射して足へ下りて来て踝(くるぶし)や関節へ固るのはこれで、これは仲々治らんものである。
注射も絶対的のものでないから絶えず研究して作るから益々色々の病気が起る事になる。
的確に治るものもあるが、大抵二三日位で起る。
今度は前より一層悪くなって起って来るから反って悪いのだ。
これは一時的に止めるのであるから注射は反って悪い。
最も恐ろしいのは赤坊に注射をする事である。
赤坊に注射をすると発育が止るから実に困るのである。
人間は絶対に薬を入れてはならん。
病気したならば直に観音力で治療する事である。
霊的光力は百パーセント癒るからである。
黴菌は人間の血液浄化作用に神様が作ったのである。
何も彼も必要だから神様が作られるのだ。
黴菌や虫はあまり人から恐れられ怨まれて気の毒なものである。
多く黴菌の為に人間が健康に導かれたり美味い酒や味噌醤油まで皆この恩恵に与っているのである。
〇霊的光力は相手から頼まれない場合には決してしてはならない
無論時期を待つのがよい。決して無理に判らそうとしたり、本人の自由意志を押えつけたりしてはいけない。
神向きはある程度霊の曇りが除れぬと入れぬものである。霊的光力は、特に先方から頼まぬ以上決してすべきではない。
神様のほうでは、嫌がるのを、押えつけてやるのは、とんでもない間違いです。
よしたほうが良い。ましては、信仰に入っている人方に対して○○宗を拝んでいるならよしたほうがよい。お話し位なら良いが・・・。
〇猫霊による精神病
犬の精神病も偶(たま)にはある。
猫は喉を鳴らす。犬は手首を下げる。
とにかく、先刻の方法でよい。
〇亡母霊の復讐の想念 ひき蛙の憑依による異常行動
ガギグゲゴの泣声の動物、即ち蟇蛙のごときものの霊で、
憑いていた動物霊で、生前から復讐的信念をもっていたものである。
〇「複数の動物霊の憑依による精神病」
これは狐霊、狸霊、その他種々の霊が憑るもので、一般精神病の状態である。
一番の急所は右側延髄を中心に、首の周りに固結があり、また前頭部にも毒素が大いにあるから、
右の二カ所をよく霊射すれば長くはかかるが必ず治るのである。
〇龍神の再生者のソバカス
小さいソバカスのようなものが一面にでき場合。
皮膚の表に出るのはたいてい毒血ですが、ソバカスですから霊的でしょう。
ソバカスができたのは龍神の霊でしょう。
龍女は早く死ぬと早く人間に生まれ変わってくるから、死にたいのです。そのようなこともあります。
〇動物霊の憑依すると 如何なるのか
アイウエオの音だけはっきり言えないと言う事は犬である事であります。
大抵の動物は七十五音の内どれか一種を発する事が出来るのです。
犬は、ワヰウヱヲの音で、ワンワンと鳴き、ウーウーと唸り、
足等踏まれたり、轢(ひ)かれたりした時はヰーヰーと
うめき遠吠えする時は、ヲーヲーと鳴くのは、皆さんも御存じの通りであります。
その他猿はカキクケコ、鼠はタチツテト、牛はマミムメモ、馬はハヒフヘホと言う様に
各動物は一種の音声を特徴として神から与えられているのであります。
犬が祟って、憑っていると人間の舌や発声機関を使うのは適しないから、
アイウエオの音だけはっきり言えないのはその声だけがはっきりしないんであります。
霊的の眼病も多くあります。最も多いのは失明の原因がほとんど蛇の霊
祖先の死霊が霊界で蛇になり一家を守っている。
それは家門へ対する執着の為であります。
元来蛇は、執着の物質化ともいうべきものであります。
それを知らずに殺すと、元来が祖先であり、
執着者であるから非常に怒るので、それが子孫へ祟るのであります。
そういう蛇はほとんど青大将で、昔から旧い家の土蔵などによく居りますが、
皆それで、これは絶対に殺してはならないものであります。
歩行・・・これは、蛇の霊が憑っていると足がフラフラになる。
歩けなくなるのがあります。視力が弱るのも蛇です。
蛇が憑くと骨なしのようになる。
青大将は殆ど祖霊が畜生道へ堕ちて生れたのが多い。
それで(人間だったため)座敷へ上りたがる。
霊的光力でも相当長くかかる。
夜盲症があるが、これは一名鳥目といい鳥霊の憑依であって、鳥類は、夜間は視力がない為見えないのである。
霊的の場合は蛇である。蛇を祀ると治る。霊的光力で治る。
青大将を祀る場合、これは家の名がよく、山かがしは土地か山の名をつけて書く。
お宮の前に小さい池を作り、供物は生米や水、塩がいい。
薬で固めたのは治り難い。
目、頭、首、肩、腎臓を霊的光力する。
黒底翳は毒血であり、青白底翳は膿である。赤目・・・目から離れると白い膿になる。
目は溶ける事がある。
目を蒸した所、膿が集中し、裏から押出されて瞳が飛出し、落ちそうになった。確かに流れる事がある。
〇霊的光力による苦痛・震え・冷感・卒倒について
霊的光力による体的苦痛について
霊的光力が効くと痛い。効かないと苦痛も起らぬ。痛くとも間もなく治るので、なくてはならぬ。
起った浄化を一層溶かす力が不足している。
治癒力の中位の人などそうである。
速力の峠のようである。今少し辛抱すれば峠を越す。
下腹部は足の付根の痛み、腎臓をやる。一日に何回でもよい。
続けてやれば速く痛みがとれる。
数によって霊力が強いと同じ意になる。
〇霊的光力、祝詞で苦しむ患者
やめていればいい。小さい声か、心の中でやる。無理してやるのは神様に対し勿体ない
〇霊的光力により呼吸が荒くなる患者
霊が憑っている。
霊を放射して息づかいの荒くなるのは霊の憑っている証拠である。
カリエスは気長にやれば治る。
セムシのようになっているのは、一寸や二寸位は伸びるが、それ以上治らぬ。
〇霊的光力を受けると震える人には霊が憑依している
震い出すのは霊が来て憑いてるんです。
で、その霊がこの光をこわがるんです。
そういうときに口をきかすときりますがね、しかしあまり口をきると具合が悪い、精神病的になりますからね、しないほうがいいですよ。
憑いてる霊が浄まってくると震わなくなります。
〇霊的光力の受け手が冷たくなる事例
死霊が憑るのである。この人に因縁の深いのが憑る。救われたいためである。
霊的光力が済むと脱けてしまうから普通になる。
であるから、霊的光力は、その人のみならず霊まで救う。
〇霊的光力の受け手が冷感を感じる事例
死んだ人、地獄にいる人が霊的光力してもらいたくて憑る。
いずれ救われると、そういう事はなくなる。
〇霊的光力を受けると卒倒する行者
行者は殆ど狐の霊である。
霊的光力すると狐が苦しい。
狐は非常に通力を使うもので、通力を増そうとして法華経を使う。
行者に限らず、狐霊に霊射すると倒れる場合がある
霊が光のために萎縮する。すると卒倒したり倒れたりする。
こういう霊は弱い。やる人の霊は強い
霊である。直ちに治る。霊光により堪えられなくて倒れる。
〇霊的光力により発狂する児童
どうせ悪い霊だが、狐のようなもの・・・外へ行っても判るのだから狐に違いない。
段々霊が萎縮してくるから焦らずにやる。
暴れる時は一時やめる。
時が経つに従い少しずつよくなる。
早く治そうと焦ってはいけない。
〇タヌキは大抵腎盂に憑依する
狸であろう。狸は大抵腎盂(じんう)腎臓と尿管の接続部で、漏斗状(ろうとじょう)に広がっている部分。腎臓からの尿が集まる所。腎盤。
に憑いている。
〇その家に罪穢が溜っていると発狂者が出る
不動尊の信者にはこういう事が時々ある。
烏の霊が祟った訳である。
発狂したりなどするのは、その家に罪穢が溜ってるからで、その隙へ邪神や邪霊が入ったものである。
入信すれば解決する。
〇舌を切って死んだ祖霊 霊界でも治らず
耳は聞こえますが、生まれつき口がきけず
舌を切って死んだ祖霊で、霊界で治っていない。
有難くてお詣りしたいが、資格がないので、霊的光力者にかかるとお詣りする資格が出来るので、そうするのである。
〇煙のごとく人霊脱出 (動物霊の脱出個所)
額の辺りから煙のようなものが出たかと思う
人霊である。救われて出たのである。動物霊は大抵手の指から出る。
〇霊的光力の際、掌の熱くなる事について
掌に火素がずんずん集まって出て行くんですからね、あったかくなるほどいいんです。
私なんかとても熱くなりますよ。
よく霊的光力を受ける人が「熱ッ」っていうことがあります。
特に悪い所の判る人は鋭い神経の人なんです。
六感の感じが敏感なんです。これはある程度は修行しても判ります。
しかし、ゆっくり霊的光力する場合はいいけど、幾人も次々と来る場合はそんなこと言ってられません。
私はそんなことはしません。
ですから、判らないのがふつうなんです。
〇霊的光力の手の温冷
暖かくなるのが本当である。
月の系統の人は最初は冷たいが、ある時期へ行くと暖かくなる。
冷たいのはある期間だけである。
暖かくなるべきものである。これは月の系統の人である。
今迄は月の霊気で治った。それで冷たくなるのが本当だった。
こういう人は月の霊気が多分に残っている人で、月の霊気では自分が病気を引受ける事になる。
原因はいろいろある。
相手が水性の多くある人の時熱くなる。
火素が水に当るほど熱くなる訳である。
霊の障りのある時は、両者いずれかへ憑いて邪魔が入り、光を遮る。
それで迷わしたり邪魔をする。
その時は火素の出が少ないから、熱くない。
いずれにしても無心でやればよい
霊的光力して手にビリビリ感ずる人があるが、これは余程敏感な人である。
〇霊的光力で掌の痺れ
これはよくある。一種の霊能である。
普通人でも練習するとある程度出来るようになる。
〇月の系統の人は汚れを水で洗う
人間には日の系統と月の系統の人がある。
月の系統の人の場合先方の悪い所が映るのである。
月の系統の人は汚れを水で洗うからで水が濁るのである。
それと反対に日は焼く働きであるから焼けば焼くほど火力は強くなる。
ところが月の系統の人は病気を引き受けるから身体が弱る。
以前あったひとのみち教祖などもこの贖罪療法をやり信者の病気を引き受けては神様にお振替を願うのである。
ところが願者がだんだん増えてきたので準教祖といって身代わりを約十人ほど作ったのである。
〇霊的光力の取次者が体の痛みを感じるのは霊が敏感なため
最初の、ほうぼうが痛むのは、先方の苦痛の箇所が、映るという特に敏感性の霊をもったためであるが、
また霊的光力する場合、光が透過するので、その人に浄化が起るから苦痛が起るのである。
次の嫌気のさすというのは、その患者は見込みがないからよせという、正守護神のお知らせである。
〇実子霊的光力でアクビ
実子(嫁の夫ではなく)を霊的光力しますときは欠伸(あくび)が沢山出ますが、いかなる訳でございましょうか
欠伸(あくび)は毒素の霊である。非常にいい。曇りが排泄さるる場合・・・。
術者が欠伸の出るのは・・・。
霊線の伝わっているのは・・・、息子の霊線を伝わって浄まる訳である。
親子は霊線が続いているから伝わって出る。
欠伸も同じようなものである。
これは噴門から出る。
毒素は一旦必ず一個所へ集まる。
〇霊的光力の取次者にゲップが出る事例
ゲップなどガスであり、ガスは上昇するものであるから、口から出やすい。
寝ていると閊えよう。それだけの物的解釈である。
霊的光力は立っててやる位構わぬ。
〇霊的光力の取次者にゲップが出る事例
霊的光力さして戴く時ゲップが出る人が、霊的光力を戴く時にはゲップが出ません。これはいかなる訳で御座いましょうか。」
先方の病気を引き受ける。月の系統の人である。月の精気が残っている。
すると引受ける。始終ゲップが出るとだんだんよくなる。
〇動物にも霊的光力して良い
救いの意味からいうと動物でも人間でも同じように思っていいのである。
また霊的光力は下等動物ほど効果がある。
〇蛇は人間より匂いなど敏感であり、これが蛇の特性であるヤニの匂い、鉄の匂い、紺の匂いなど非常に嫌うという
〇憑依する蛇霊を救う霊的光力
蛇の祟り。
これは祖霊かもしれないな。
だから、よく神様にお願いして、ここ(前頭部)を中心に全体をやれば良い。
そうしているうちに、自然自然に蛇も承知して、蛇が救われてきますからね。
そこで、神様にお願いする場合に、蛇の霊を救って、早く人間に生まれ変わってくるようにと言ってお願いする。
それが、蛇が一番喜ぶんです。
蛇が殺されても、人間に生まれ変わるようにと言うと喜びます。
〇憑依している蛇霊に対する霊的光力の際の想念
「腹の中の固まりが動けば蛇の霊と御教えいただいておりますが・・・」
「蛇とは限りませんよ。蛇が多いんです。」
音に二種類ありますがね。
蛇というのは、毒のあるところにいくんです。
すると、毒の溶ける音と蛇が動くので、その音がするんです。
先にお腹をグーッと蛇が動くんです。それは蛇が動く音なんです。
簡単な場合は毒が少ないんです。
溶けても、あるうちはまた寄りますからね。
だからまた音がする。痛みは・・・
救ってやろうというのが良いですよ。
〇動物はどこまでも動物的に扱うべきで、そうすればその修行によって人間に再生するのである
〇動物霊を追い出すための霊的光力
食欲、便通ともにございますが、二、三日前より排尿が少なく、局部的の痛みが起きます。
霊的光力いたしますと、痛みが移動いたします。
夜分には蛇が「とぐろ」を巻いたような様子の発作を起して苦しみます
やっぱり毒があるから蛇が憑るんだからね。
薬毒をなくすれば良いんでね。
腎臓がそうとう固まっているんですね。
痛いのは薬のためですからね。
手術はしたことないですね。」
〇患者の質問
「激痛が点々と移動いたし、お鎮まりと言いますと、静まります」
「蛇ですね。それを、どんどん追いかけて行って、お鎮まりと言うと、静まる。
これも少し気長にやったら良いです。
痛みは、だんだん追いかけて行って、だんだん気がつかないくらいにまでに追いかけてやると良い。
そのうちに、また痛みますからまた追いかける。
そのうちにだんだん薄くなります。
〇狐霊と老婆
原因が老婆にあるから怨んだ揚句、老婆に憑依し悩ましつつ復讐を行っている訳である。
この意味によって現世における職業、たとえば遊女は狐、芸妓は猫、というように、相応の運命に墜ちるのである。
従って人間はどうしても人間としてはずかしからぬ行為をなすべきである。
〇伐採された氏神様
立木に憑いた龍神が救われたいため、霊的光力するとそこへ憑って来たのである。
寒いのは死霊で、動くのは龍神である。
火龍は熱く、水龍は冷い。
悪い意味ではない。
〇「霊的光力の秘密」森羅万象の構成は火素、水素、土素であり、霊気は火素を主とし、空気は水素を主とし、土壌は土素を主とする。
また霊気(霊的光力=火素)は経に上下動し、空気(水素)は緯に流動する。
〇霊的光力は輸血なり
輸血というものはだいたい生命が危急の場合使用し、ある程度効果があるように言われますが、やはり罪になるものでしょうか
全く唯物科学の無力からであって、血液は霊の物質化という真理を知らないからで致し方ないが、
これについて私はいつもいっている通り、一回の輸血量と五分間の霊的光力と同様の効果であるから、
霊的光力こそ最も進歩した輸血法ともいえよう。
霊的光力は二○○グラムくらいの輸血と五分間の霊的光力と同量、またはそれ以上の効果を上げ得るからである、
従って医学で有難がっている輸血が、人間の血液を消耗したり、乾燥貯蔵やその他の手数は全然要らないのであるから
医学に比べて、まず一世紀くらい進歩したものといっても過言ではあるまい、そうして右の理由は簡単である、元来 血液とは霊の物質化であるから、
出血または貧血の場合同様霊も稀薄になるので、これを濃度にすれば血液は増量する
輸血した血は決してその人の血とは混じりませんからね、やがて痔の出血だとか、喀血だとかして排除されますよ。・・・
この霊的光力というのは霊的輸血ですよ。これが本当の輸血ですよ。
血液の霊化したものがこれ(霊的光力)ですからね。
だから五分くらい霊的光力すれば、二百グラム輸血するよりも血が多くなりますよ。
出血が多いと霊が希薄になるんですが、霊的光力で霊を足すと血ができるんですよ。
だから息の絶えたのが、霊的光力で生き返るってことがよくあるんですよ。
あの輸血っていうのは管で血をとるんですからね、あんまり文化的ではありませんね。
手術だって、悪い所を切ってとる、それだけですからね、ほかにはなんにもないんですから。
手術すれば痛いし、そこに欠陥がどうしたって生じますからね。
ただ文化人は器用でね、細工がうまいんですよ。
だから「医学の進歩」と言われるのは「技術の進歩」ですよ。
それを本当に「進歩」だと思っている文化人の頭は情けない頭ですね。
アメリカで一番心配しているのはソ連が細菌爆弾を持っていて、それでやられやしないかってことですがね、あんなのちっとも心配いりませんよ。
黴菌が入ったってそれが繁殖しないような体にすりゃあいいんじゃないですか。
〇輸血としての霊的光力は心臓をやる
子宮癌で出血ということはないんですがね。
これは月経の血の固まりですね。
それが溶けて出血するんですから、気を失うほどのことはないですね。
切傷などの場合は心臓で良いんです。
霊的光力は・・・いつも言う通り輸血ですからね。すばらしい輸血です。
ふつうの人間から二百グラム輸血するより、これ(霊的光力)で五百グラムや八百グラムはなんでもない。四、五分やれば良い。
輸血の方は心臓をやれば良いから、やはり心臓をやる。すばらしい効果がある。
人間は誰でも太陽や、明るい電灯に手を翳せば紅い血の色が透いて見える。
医術でする輸血には己ずと限度がある。と聞いているが、霊的光力という霊の輸血であってみれば、
回数の多い程いい事だ。
霊的光力すると一人の分だけの輸血は二、三分やれば出来る。
血液は霊の物質化であり、血液が少くなれば霊が薄くなる。
霊的光力は霊の輸血と同じ意味にもなるのだが、
しかも霊は上等の血液であるから、霊が濃くなるから浄化が起って新陳代謝が行われる
輸血は実際にいくらか効果のあるものの、確かにありとはいえない。
一時的で反って病気の原因になる。
血液は霊の物質化で、顔の異(ちが)うごとく血は皆違う。
輸血しても、少しは混るが決してその人の血と混る事はないので、暫く経つと大体血の排除作用が起る。
一時効果があって助かるとしても、先へ行けばその異物の浄化が起る。
霊的光力の輸血の方が効果がある。光は血の霊である。血液は体である。血は霊で、
霊が殖(ふ)えると血は殖(ふ)える理である
〇輸血は罪か
罪にはならぬが、いずれ浄化が起る。
霊的輸血が一番である。血液の霊化が霊気である。
五分間浄霊する方が体的輸血よりズーッと多く血が入る。
霊を足すから血が出来るのである。
医学などは蕃人のやる事で、文化人は器用にやるだけである。
外科医は職工である。単純な野蛮人的考え方以外の何物でもない。
アメリカではソ連の細菌爆弾を恐れているが、侵される身体であるからで、不燃性家屋なら燃える心配はない。
〇輸血と混血
霊的の関係はあるが、一時的で反って病気の原因になる。
血液は霊の物質化で、顔の異(ちが)うごとく血は皆違う。輸血しても、少しは混るが決してその人の血と混る事はないので、暫く経つと大体血の排除作用が起る。
霊的光力は大変な輸血となるのである。
輸血は普通二百グラムであるが、普通の輸血は霊的光力五分間位で出来る。
血は霊で、霊が殖えると血は殖える理である
いくらか効果はあるが、確かにありとはいえぬ。
一時効果があって助かるとしても、先へ行けばその異物の浄化が起る。
神の輸血の方が効果がある。
光は血の霊である。血液は体である
近の新聞で、輸血した結果、梅毒になった記事が載っていたが、これは浄化が激しくなって来たのである。
人間は顔の異るように輸血しても血は混らないから、それが斑点と表われて、梅毒症状となったのである。浄化の激しくなった輸血について (血液の種類)」
結果である。
〇輸血について (血液の種類)」
血液は何億とある。顔形が違うごとく血液も皆異う。
馬の顔なども大変異うというが、血液も全部異う。
輸血などもたんと異わぬのは暫くは何ともないが、沢山異うのは浄化が起る。
霊的光力すると一人の分だけの輸血は二、三分やれば出来る。
血液は霊の物質化であり、血液が少くなれば霊が薄くなる。
霊的光力は霊の輸血と同じ意味になる。
しかも霊は上等の血液であるから、霊が濃くなるから浄化が起って新陳代謝が行われる。
〇輸血の罪について
輸血の場合には供出するほうと受けるほうとは、どちらが曇るわけでございましょうか」
「しかしたいしたものではありません。
もし受ければ医者が罪を受けます。
だから名医ほどその系統というのは悪いです。とても不幸です。
歯痛
次にある若い女の歯痛で、霊的光力するやすぐ治ったが、
翌日また痛いという、みると淋巴腺に凝りがある、そこを霊的光力するとすぐ治ったが、
翌日また痛いという、よくみると肋骨に固結がある、それを霊的光力するとすぐ治ったが
翌日また痛いと言って来た、今度はもっと下だろうと思い、盲腸部をみるとそこに固結があるので、そこを霊的光力すると、今度は本当に治ってしまった、
これはどういうわけかというと、この女は盲腸炎で手術をした事がある。
その際用いた消毒薬が残存膿化して歯ぐきから出ようとする。
そのための痛みであった、ゆえにもし歯医者へ行ったところで治るはずはない、これによってみても人体は綜合体である事が判るのである。
〇『体内の入浴』
現代医学の誤謬を常にかいているが、何しろ今まで長い間病気は医者と薬という事に決まっているのであるから、
吾々の言う理屈はなるほどと分かっていても、思い切って実行する事が出来ないのが、大抵な人の想念である。
だからそういう人達のために、出来るだけ分かり易く、ここにかいてみようと思うのである。
それについて一番判り易い病気としては、何といっても風邪であろう。
そうしてまず風邪を引くやイキナリ熱が出て、咳や痰、くさめ、水ッ洟、頭痛、節々の痛み等の苦しみがおこるので、早速お医者に診て貰う。
ところがここに問題がある。誰しも風邪くらいと思っている半面、ウッカリすると、どんな事になるか分からない、
あるいは大病の始まりかも知れないという心配が頭を持ち上げてくる。そこでお医者の言う通りにして治まるのを待っている。
また人によってはアスピリンや葛根湯(かっこんとう)を煎じて服むとか、御手製の玉子酒、蜜柑の黒焼きなどを呑んで、
ウント蒲団を被り、真っ赤になって汗を出すやり方である。また懐の温かい臆病な人は、そんな姑息(こそく)な方法は出来ないとして、
手遅れになっては大変だ、それこそ取り返しがつかないと、普段から信用しているお医者に馳けつける。
そこで色々お医者に訊くが、何しろ風邪の原因すら分かっていない医学の事だから、ハッキリ説明が出来ないので安心は出来ない。
それもそのはず、お医者自身でさえ肚の中では、あるいは肺炎になるかも知れないという懸念もあるからで、そこでまず安静第一と、
精々御大事にしなさいくらいの御座なり的言葉なので、心細い事おびただしい。といって外にどうしようもないから、
ビクビクもので、一日中体温計と首ッ引きであるのを、吾々から見れば実に滑稽至極(こっけいしごく)である。
ところがいつも言う通り、風邪くらい結構なものはないので、体中のどこかしらに溜っている毒の掃除であるからで、
すなわち熱のために溶けた痰や水ッ洟、汗などが出るだけ出れば治ってしまい、後はサッパリして健康は増すからである。
つまりロハで体内の掃除が出来るのだから、こんな有難い話はないではないか。これをたとえてみれば、入浴は外部の清潔法で、
風邪は内部の清潔法と思えばいい。つまり皮膚に溜った垢を落すのと同様体内に溜った垢を落すのである。だから痰や鼻汁、汗も垢である。
もちろん皮膚は人間の手で洗えるからいいが、腹の中はそうはゆかないが、自然は有難いもので、風邪という方法で洗い落されるのだから、
何と造物主という神様が巧く造られたものではないか、としたら実に風邪様々である。だから出来るだけ風邪を引くようにすればいいので、
これがまず一番の健康法である。つまり神様の造った健康法である。従ってこの理屈が分かっただけでも、心配は半分以上減ってしまうのは当然で、
反って手当などせず放っておくに限るので、それでとても順調に治るから、今度風邪を引いたら試してみればよく分かる。
しかも体内が清まる以上、その後は段々風邪を引かなくなる。ところがそんな簡単な理屈が今日まで分からなかったという事は実に不思議で、
人間くらい愚かなものはないと私は思っている。という訳で風邪を無暗に恐れ、引いたが最後余計な金を使い、仕事もせず散々苦しんだあげく、
結核などになるのだから、憐れなる者よ汝の名は人間也と言いたいくらいである。そればかりではない。ここに問題なのは薬である。
前記のごとく体内の清潔法を逆解して停めようとするのが医学であり、そのため用いるのが薬と称する毒物である。
およそ世の中に本当の薬というものは一つもない。強いていえばまず米の飯であろう。これは人間が生きてる以上、一日も欠かす事が出来ないからである。
だから今日薬といって有難がっているものはことごとく毒であって、毒の力で治るのを邪魔するのだから、これ程間違った話はあるまい。
ではどうしてそんなに間違ったかというと、清潔作用の苦しみが薬で一時楽になるから、それを治るものと錯覚してしまったからである。
とすれば薬というものは全く禁断の木(こ)の実であろう。
ところがまだ大変な事がある。それは薬毒は体内へ入ると大部分は残ってしまい、何年、何十年経っても外へ出ないで、体内各局所に固まってしまうのである。
それに清潔作用が起こる。それが風邪であるから、そのまま放っておけば必ず治るものを、わざわざ薬で拗(こじ)らし余病を作ったり、
悪化さしたりして、命までもフイにするのだから、あきれて物が言えないのである。こうみてくると病気の因は全く薬毒であるから、人間は薬を廃め、
出来るだけ風邪を引くようにすれば、年中無病息災となり、長生きする事請合である。
〇『霊気界』
一体人間の霊なるものは、何であるかというと、科学的に言えば非常に密度が高く超稀薄なものであって、現在進歩した原〔電〕子顕微鏡でも、
到底見る事は出来ない程の超々極微粒子であるにもかかわらずこれこそ前記のごとく人間の本体であるから、全く想像もつかない程の神秘幽幻なものである。
この理によって病原の最初はこの霊の全部または一部に曇りが発生する。曇りにもその原因に二種ある。一は人間が犯す罪穢によるものと、二は薬毒によるものとである。
前者の罪穢とは言うまでもなく因果説に属するもので、人を苦しめるとか、社会を毒すとかいうつまり悪の行為からであり、後者の薬毒とは先天性のそれと後天性のそれとの合併したものであるが、
それは別の項に譲るとして、ここでは曇りそのものについてかいてみるが、曇りの本質はちょうど大空の雲のごときもので、言わば水素の密合体である。これにも不純性と純粋性があり、
後者は晴れた日の鱗(うろこ)雲や段々雲に等しいもので結構だが、前者に至ってはいずれは風雨発生して払拭されなければならない。これが天体の浄化作用であって、
人間の病気もそれと同様であるにかかわらず、それを知らない医学は、せっかくの浄化作用を停止するのであるから、この不純性の曇りは漸次濃度を増してゆくと共に、
ここに一種のバクテリヤが発生する。これは無機質植物性のごときもので、時の進むに従い段々生育し、遂には有機質に変化する。この有機物こそ黴菌の卵であって、
この卵が時を経て一人前の親となり個性となって、初めて顕微鏡で見得る程度になるのである。この理を知ったなら彼のウイルスも分かるであろう。
すなわちウイルスとは右のごとくまだ親にならない黴菌の子供であるから、顕微鏡では見えないが、確かに育って親となり病原となるので、これは学問でも認めている。
以上の理によって根本的に病気を治すとしたら、右のごとき黴菌の発生源である霊の曇りを解消する以外に、真の治病法のない事は明らかである。としたらこの原理こそ現代科学の水準よりも、
遥かに高度である事も認識出来るであろう。ではその曇りの解消はどうすればいいかというと、方法を神から教えられあわせてその力をも授けられたのであるから、
素晴しい実績を挙げつつあるのである。以上のごとく病理の根本にまで突き進んで説いたのであるが、なお一層深く解説したいが、そうなると宗教的分野に入り、
第三者には信じ難いから、ここでは出来るだけ科学的に解り易く説明するつもりである。
それについての曇りの解消とは一体どういう意味かを説明してみるとこうである。すなわち施術者は患者の患部にむかって掌をかざすや、施術者の掌から一種の光波が放射されるのである。
ではこの光波とは何かというと、分かりやすく言えばこれは太陽の精であって、これを火素と名付けた。すなわち空気の本質は水素であるに対し、霊気の本質は火素であるからで、
もちろん火素といえば火には違いないが、人間が現在目で見、熱く感じるそれは火素の体であって、右の火素とはつまり火霊である。この火霊が人霊の曇りに向かって放射されるや、
曇りの中の不純分子だけ焼尽され、その灰に相応する分子が排泄物となって体外へ排除され、純粋分子は漿液中に混入されてしまい、ここに曇りすなわち病原は解消されるのである。
ではこのような治病力ある火霊が、なぜ放射され得るかというと、これは御守から発する光波である。所謂、光、光力、大光力の三大光力である。
これこそ主の神(エホバ)の神霊が、霊体を中継として御守に伝達され、御守から掌を透して放射されるのである。
しかしこの説明を聞かされても、すぐに信ずる事は出来まい。
むしろ反感を抱く者さえあるかも知れない。そんな馬鹿な事がこの世の中にあってたまるもんか、インチキにも程があるとするかも知れないが、それも無理とは思わない。
何となれば有史以来、かくのごとき超物理的例はないからである。しかし事実はあくまで事実であり、百の議論よりも一の事実にしかずである。これを一言にしていえば、
いよいよ天の時来って、神は人類救済の大任を命じられたのである。その一着手としての医学の革命であるから、この事を知ったなら今行っている事は、何ら不思議はないはずである。
以上のごとくこの項はすこぶる神秘的な説明になったが、これは神秘でも何でもない。実は純然たる科学である。ゆえにこれを読んで神秘と思われるとしたら、
それは現在科学のレベルが低いからで、将来一層も二層も進んだ暁、容易に理解出来るのはもちろんである。そこに到って初めて科学と宗教との一致点が見出され、真の文明は生まれるのである。
そうして今日口を開けば学問の目的は、真理の探究にありとしているが、最早真理は発見されたので、その解説がこの著である。
ここまで説明してもなお信ずる事は困難であろうが、そもそも真理とは何かというと、端的に言えば現実そのものである。たとえば東から太陽が出るのも、人間が生れて死ぬのも現実であって真理である。
としたら説くところの神秘な説といえども、理想でも桁外れでもない。現実そのものである。まだ色々言いたい事があるが結核問題とは段々離れてしまうから、このくらいにして置くとする。
〇「薬の逆効果」
次に薬の逆効果をかいてみるが、再三述べたごとく、今日まで広い世界に薬で病が治った例(ため)しは一人もない事である。
もちろん治るという事は、手術もせず薬だけで再びその病気が起らないまでに根治する事であって、これが本当の治り方である。
ところが事実はそのことごとくが一時的効果でしかないのは、一例を挙げれば彼(か)の喘息(ぜんそく)である。
この病気に対する特効薬エフェドリンのごとき注射にしても、なるほど最初は一本でピタリと止まるが、
それはある期間だけの事で、暫くするとまた起るというように、その期間も漸次狭(せば)まり、
初めの内は一ケ月に一回で済んだものが、三週間、二週間、一週間というようになり、ついには一日数回から数十回に及ぶ者さえある。
そうなると自分で注射器を握り、その都度(つど)射つのであるが、こうなると最早死の一歩手前に来た訳で、まず助からないとみてよかろう。
ところが喘息ばかりではない、あらゆる注射もそうであるから、実に恐るべき問題である。
もちろん服薬も同様であって、世間よく薬好きの人とか、薬の問屋、薬詰めなどといわれている人もよくあるが、こういう人は死にもせず、
健康にもならず、中途半端で年中ブラブラしていて、生きているのは名ばかりである。ところがそういう人の言い条(じょう)がいい。
「私が生きているのは全く薬のおかげです」としているが、実は薬のために健康になれないのを反対に解釈したので、薬迷信が骨の髄まで沁み込んでいるためである。
これを一層判り易くいえば、いかなる薬でも麻薬中毒と作用は異ならない。
ただ麻薬は薬の効いてる間が短いから頻繁に射つので、普通の薬は効いてる間が長いため気が付かないまでである。
この理によって麻薬は急性、普通薬は慢性と思えはよく分るであろう。
そうして薬について医学の解釈であるが、それはどんな薬でも余毒は自然に排泄消滅するものとしている考え方で、これが大変な誤りである。
というのは元来人間の消化器〔機〕能は、消化される物とされない物とは自ら区別されている。すなわち消化されるものとしては、
昔から決っている五穀、野菜、魚鳥獣肉等で、それらは人間の味覚と合っているからよく分る。これが自然に叶った食餌法である以上、
これを実行していれば病気に罹るはずはなく、いつも健康であるべきである。
それだのに何ぞや、アレが薬になるとか、これは毒だなどといって、人間が勝手に決め、食いたい物を食わず、食いたくない物を我慢して食うなど、
その愚なる呆れる外はないのである。また昔から良薬は口に苦しというが、これも間違っている。苦いという事は毒だから、
口に入れるなとその物自体が示している訳で、毒だから浄化が停止され、一時快くなるので効くと誤ったのである。
元来消化器能なるものは、定められた食物以外は処理出来ないよう造られている以上、薬は異物であるから処理されないに決っている。
それが体内に残存し、毒化し、病原となるので、この理を知っただけでも、人間は大いに救われるのである。
しかも薬剤の原料はことごとく毒である事は、専門家もよく知っている。
それは新薬研究の場合、必ず毒物を原料とする。彼の梅毒の特効薬六○六号にしても、
耳掻一杯で致死量という猛毒亜砒酸(あひさん)である。また近来流行のペニシリンにしても、原料は水苔であるから毒物ではないが、
人間の口へ入れるべきものではない。魚の餌として神が造られたものであるから、人間に役立つはずはない。またよく薬の分量を決め、
破ると中毒の危険があるとしているが、これも毒だからである。以上によって薬と名の付くものはことごとく毒であり異物である以上、
消化吸収されず、体内に残って病原となるという簡単な理屈が分らないというのは、全く医薬迷信の虜になっているからである。
〇薬に頼るな薬は毒
医学の始祖ヒポクラテスは言った「病をひき起す物質は、同時に病を治す力あり」と本草綱目にも「毒は毒を以て制す」と元来薬なるものは毒であることを知らなくてはならぬ。
これは一医師の私がいうたと思うと却って怪しからんといわれるが、すでにニューヨーク内科・外科大学アロンゾ・クラーク博士(Dr.Alonzo Clark)がいうておる「我々の使う療薬はことごとく毒物であり、
従って一服毎に患者の活力を削減する。医師達は良くしようという熱意で、却ってはなはだしい害を起している。
自然に任せれば恢復するであろうと思われる多くの人々を医師たちは墓場へ急がせている」。
又ジョセフ・スミス博士(Dr. Joseph Smith M. D.)はいわく「循環の中へ入る一切の薬物は病を起す毒物と同じように血液を中毒させる療薬が癒すのでなくて病気は常に自然良能により癒されるのだ」と。
英医サー・ジョン・フォーブス博士(Sir John Forbes M. D.)は「ある患者は薬剤のカによって恢復するが、薬剤の助けがなくても恢復する患者はもっと多くある」と。
病気は以上諸大家のいうごとく、薬により治るというのは一時抑えにすぎないので、自己良能即自分自身丈夫になろうとする力に依ってのみ回復するのである。
それ故ヒポクラテスは言った「自然が病を治し、医者がその礼をとる」と。
われわれの病気になるのは自己良能が鈍るからで、この鈍をとり除いて生きる力を充分に働かせるには薬ではない、霊的光力(霊射)こそ、その方法であるのにこれを迷信と称する医学者又は医薬崇拝者が多いのである。
ドイツ医学の亜流を汲んでる現代の医学こそ迷信というべきである。却って我々の説く病気の症候を療法なりと説く新らしい医学には及ばないのである。薬なくとも病は癒える。
現代の医学では病気の根元をつくためには処方や療法は大したものでなくむしろ虚妄の事が多い。
フランスのF・デュマレ博士(Dr. F. Dumaret)は「結核病患者の保健生活」において、
「医学とは人をだます技術であって、その教訓はたとえ人が、どういう意味に解そうとも虚妄たるに変りはない」と。
医学は進歩し、薬物は発見されたというても病人の数は減らないし、病気の数は殖えておる。
昔は四百四病というたものが今日根気のよい学者が数え上げたところ十七万六千あったという。
我国厚生省の統計に上ってるのだけでも一千二百余種ある。
そしてこの中病源の分ってるものが三百四十余種その残りの八百何十種は原因不明であるという。
かかる状態で医学は進歩したといえようか、これは薬物による被害からである。
我等はも少し理想を遠大にして薬物なくとも人間百歳以上の長寿を保てる方法を講じなくてはならぬ。
ある著名の医学者は「百歳会」を作り、資金を集めて長寿薬を研究しておるが、しかも会員は明日をもまたず、脳溢血や、癌に罹ってこの世を去ってゆく、あるいは廃人となる。
これでは遅いのである。
薬に頼らずとも健康の研究、生命の研究の先手をとらなくてはならぬ。
すべて病気を治すのでは後手でわれわれは薬などのまなくとも丈夫な身体をつくり霊的光力を信じて百歳の寿を作り上げねばならぬ。
〇薬が不幸を作る
薬については今まであらゆる角度から検討して来たが、薬と不幸の関係については、まだ余り詳しくかかないような気がするから、ここにかいてみるのである。
そもそも人間の幸不幸の原因はどこにあるかというともちろん霊界にあるので、この事が充分判らなければならない。
では霊界なるものの組織をかいてみるが、そもそも霊界は百八十段階の層になっており、これがまた上中下六十段ずつに分けられている。
もちろん下段は地獄界、中段は中有(ちゅうう)界、上段は天国界となっており、右の六十段がまた上中下二十段ずつに分れており、そのまた二十段中でも上中下があるのである。
という訳で単に地獄といっても、下段に行く程最も苦悩がはなはだしくなるのはもちろんで、最低地獄に至っては難病、飢餓、闘争等が極度になっている世界である。
これを神道では根底(ねぞこ)の国といい、仏教では暗黒無明、極寒地獄といい、ダンテは煉獄といっている。
しかしこれが漸次上段に昇るに従い段々緩和され、中有界に至って始めて普通の社会状態になる。つまりここは苦も中くらい、楽も中くらいというその名称通りである。
ところがそこを上方に突破するや、ここに天国界に入るのであって、こここそ仏語(ぶつご)にある極楽浄土であるから、病なく貧なく、飲食(おんじき)豊かに和気藹々(あいあい)とした幸福に充ちた世界である。
右のごとくであって、一般人の大部分は中有界に籍が置かれているのである。
ところがそこは決して安心は出来ない、というのはその人の心と行い次第で上にも下にも行けるからである。
だが多くは下に落ちるので現界もその通りである。
以上現界と霊界との関係をザットかいたのであるが、いつもいうごとく万有の法則は霊主体従で、人間といえどもそうである以上、霊界における霊の地位いかんによって幸不幸が決まるのである。
これが真理であるから、この事を知ってよく守りさえすれば、幸福者になるのも敢(あえ)て難しい事ではない。
という訳で現在いかに幸福と自分も思い、人に思われても霊界において天国に籍がなければ、その幸福は一時的で早晩在籍通りの地位に転落すると同様、現在いかに不幸であっても、
その人が正しい神向きによって徳を施し、人を救うというように善事を行えば相応の地位に向上し、幸福者となるのである。
そうしてこの根本原因であるが、それは霊が下段に堕(お)ちるのは霊に曇りが溜り、霊が重くなるからである。従って曇りが減る程軽くなり上昇するから、それに伴って幸福も増すのである。
つまり人間の幸不幸は霊の曇りの多少によるのであるから、この原理を知っただけで、その人は最早幸福者の仲間に入った事になるのである。これこそ霊界における千古不滅(せんこふめつ)の鉄則であるから信ずる外はない。
では曇りとは何かというと、昔から宗教では罪穢としているが、これは誰も知っているから説明の要はないが、それは表面だけの事であって、その奥の深いところに大きな原因があるのでこれが曇りの本元である。
それは何かというと、これこそ世人が最も結構なものとして、昔から現在までも旺(さか)んに使用している彼(か)の薬剤である。
といったら何人(なんぴと)も仰天するであろうが、これは神示によって知り得たのであるから、絶対信じて貰いたい。
すなわち薬を体内に入れればその毒によって血液が濁る。血液が濁れば霊体一致の法則によって霊が曇るのである。ゆえに薬程恐るべきものはないのである。
つまり薬で霊を曇らし、重くなって、霊界における地位が段々下降し地獄界に堕ちる。
そこで相応の理によって醜悪な行いをする人間が増える結果、病貧争氾濫の苦の娑婆(しゃば)となったのである。
以上のごとく人間を不幸にする根本こそ薬剤であるとしたら、平和幸福の世界たらしむるには、何よりもまず世の中から薬剤を廃止する事で、ここに根本を開示して警告するのである。
〇薬毒(二)
ここで薬毒の症状についてかいてみるが、彼(か)の天然痘における掻痒苦(そうようく)であるが、これは掻痒苦中の王者である。
この病気の原因は薬毒の遺伝であって、これが浄化によって皮膚から排泄されるのであるが、治ってからも醜い痘痕(あばた)が残るので人は嫌うのである。
ところが種痘によってそれを免れるが、これで然毒が消えたのではない。ただ排除を止めたまでであるから、残った毒は種々の病原となる。
その著しいのが彼の疥癬(かいせん)である。これに罹るや掻痒苦はなはだしく、症状も天然痘といささかも変らない。
つまり真の天然痘が急性であり、疥癬は慢性であると思えばいいのである。
また蕁麻疹(じんましん)であるがこれももちろん薬毒であって、カルシウムの中毒が断然多く、その際考えれば直にそれと分るが、不思議にも分らないとみえて、腸が原因などという。
察するに魚肉中毒の場合、蕁麻疹的症状が出るので、これと混同したのであろうからナンセンスである。そうして魚肉の方は放っておいても二、三日で治るが、カルシウムの方は数ケ月あるいは数年も掛かる人さえある。
これについてよくカルシウムには骨の成分があるから、育つ盛りの幼児などによいとしているが実にナンセンスである。というのはカルシウムのない時代、菜っ葉や米だけ食って漁夫や農民など、骨太で立派な体格であるのはどういう訳か訊きたいものである。
次に精神病の原因が黴毒としてサルバルサンを打つが、これは事実において逆作用である。私が長い経験によるとサルバルサンのための精神病が頗(すこぶ)る多いのに驚く。
これは医学で研究すれば分るはずである。そうして精神病は医療では治らないとしているが、原因は霊であるからで、体のみを攻めても何にもならないからである。次は胃に関した病気であるが、これこそ薬の作った病気である。
その中でも胃潰瘍は消化薬のためで、消化薬には必ず重曹が含まれており、そのため胃壁が柔らかくブヨブヨになる。
そこへ固形物が触れるので、亀裂が出来出血するのと、今一つは粘膜の薄くなった部分から血液が滲出し、胃底に溜って一時に吐血、または下痢によって排泄される。
また人によっては血液が古くなり、黒色の小塊となって便に混り出る事もある。ところが厄介な事には医療は流動食と安静にするので、粘膜の損傷は塞(ふさが)り、治ったと思い安心していると、これが癌の初期となる事が多い。
というのは今まで濁血が出るべく集溜する局所が塞がったため、集溜したまま固結する。それが癌である。しかしこの癌は真症ではない。この見分は手術の場合血液の塊があるのは疑似癌で、真症癌には血液を見ないのである。
次に胃下垂であるが、これも消化薬を飲み、消化のいい物を食うため、胃の活動は鈍化し、怠け者になるので弛緩する。それが原因であるから、つまり人間の無智が作ったものである。
ゆえに香の物でお茶漬でも食えば、胃が活動しはじめるから、否(いや)でも応(おう)でも治るのは当然である。次は胆石病であるが、これは背面腎臓外部に固結した薬毒が、浄化によって少しずつ溶け、胆嚢の裏から浸潤する。
それが胆汁と結合して結石となるのである。これが輸胆管を通過する場合非常な激痛に苦しむ、それが腎臓に流下し腎臓結石となり、次で膀胱(ぼうこう)に入り膀胱結石となる。
ところが始末の悪いのは腎臓も膀胱も、結石が尿中にあるので、尿が付着し育ってゆく。その結果尿道の出口を石が閉塞し尿閉塞となり、腹部膨満死ぬ事さえある。
この病気について面白い事は、霊射するや結石は破砕され、砂のようになって排泄簡単に治るものである。
〇輓近(ばんきん)
医学は非常の進歩をしたという。しかしながら罹病率の王者を占め、また重病の先駆的危険を有する風邪の原因が未だ発見せられざると言うに至ってははなはだ以て心細い限りと云わざるを得ない。
しかるに余は数年来、独特の神霊療法を施行中ついに、この風邪の本体を掴み得たのであって、人類の為、医学者の為、ここにその原因及治療上参考となるべき、余が研究成果を発表せんとするものである。
ただし余は専門家に非ざるを以てその用語等不完全の点もあるべけれど賢明なる諸士においてその真意を汲まれん事を切望する次第なり。
まず一度風邪に犯さるゝやその症状としては一,発熱、二,咳嗽、三,喀痰、四,鼻汁、五,咽喉の疼痛、六,頭痛、七,眩暈(めまい)、八,口腔の乾燥、九,関節の疼痛等であろう。右の内二,三,四,五を除く外はいずれも発熱に起因するものである。
始めまず患者の頸部の周囲より両肩部を探査すべきであってこの方法として余は指頭を用いて万遍なく圧しつゝ探るのである。この時必ず数ケ所に左のごとき異触感の物体の在るを発見するであろう。
即ち凝固せる、グリグリ又はやや硬化せる贅肉状の物又は板形状の固形物、又はプリプリせる袋状の物、又は弩腫〔張〕せる筋等である。
しかしこれを最も適確に知るには相当の熟練を要すれどもある程度までなら何人にも探り当らるべし。
しからばこの物体は何物なるやと言うにこれこそ風邪の真因本体にしてこの不可解なる物体が溜積してある程度を超ゆる時始めて風邪に犯さるゝなり。
この物体を余は指頭の霊感及透視感に依て按ずるにそれは不純なる膿血の凝体及び不活動性の膿の凝結にして風邪菌の活動刺戟に遇って喀痰及鼻汁に変化すべき性質の物なり。
さればかくのごとき不純物質が溜積せられたる時、偉大なる自然はこれを排泄浄化すべき大活動を起して人類の肉体をして健康長寿たらしめんとす。
この自然の浄化運動こそは実に人間が風邪と名づけて至極厄介視するその物にして何が故にこの頸部肩部付近に不純物が溜漬さるゝやというに、そは人間が二六時中、
呼吸しつゝある空気がその根本原因にして即ち空気中の塵埃が絶えず肺臓に吸入さるゝを以て、肺臓は間断なくそれらの塵埃を濾過溶解して浄化作用をなさゞるべからず。
しかしその浄化作用を為すといえどもこの塵埃全部をして跡方もなく零にまで浄化さす事は不可能なるが故にその幾分の残渣(ざんさ)は液体となって排除せらるゝなり。
さればその残渣液体は肺臓中の血管を通過昇流し肺門部を出て前述の頸肩部に溜蓄されつゝ時日を経てついに凝固するものなり。
しかるに霊妙なる自然はこの人間の肉体に蓄積せられたる汚物を排除すべく風邪菌なる掃除夫を派出するのである。
この菌が一度鼻口等より入らんか、忽(たちま)ち活動を開始し蓄積せる汚物の凝結体に向って突進し刺戟し溶解作業をなすなり。
しかして溶解されたる汚物は鼻汁もしくは喀痰となって旺んに体外へ排泄せらる。
しかしてなおも霊妙なるはこの凝体汚物を溶解するには熱の力を借らざるべからざるを以てこの掃除夫は熱を頻(しき)りに誘発して自己の作業に便ならしめんと努むるなり。
しかしてこの汚物排除工作が終りを告ぐるに従って掃除夫は徐々として引上ぐるべく人間はこれを称して全快と云い安堵の胸を撫(な)で下ろすなり。
しかしてこの風邪菌の発生に都合よき気候が冬季にして寒風吹き荒(すさ)む頃は最も活動力旺盛なり。
自然は冬季においての人間の肉体大清潔法としてこの風邪菌なる掃除夫を無数に送って人間の健康を資(たす)け長寿を得さしめんとするなり。
いわば神の恩恵的作業と言ってしかるべきである。故に万一この清潔法を施行せざらんか、頸肩部に凝積せる汚物は時の経るに従って倍々(ますます)固結する性態を有するを以て肺門よりの排泄物は出口を押えられ、
ここに肺臓は残渣の停滞を来して肺の病因を作る事となり、又一方脳髄へ送流する血液は脈管を通過するに支障を来すを以て、脳貧血の病原を作る事ともなるなり。
これを以て見れば、風邪なる病は実は病と称すべきものに非ずして、人類の健康を保持すべき救世主にてあるなり。
故に人間は汚物の未だ多分に蓄積せられざる内に風邪に罹るほど軽微に済むを以って出来るだけ冬季の初めに清潔法施行を蒙るよう努むべきである。
彼のマスクのごときはいかにこの真理に反するかは明かな事であろう。
従って余は風邪を避くると反対に風邪を迎え入るゝべくなすよう、多数人に試み居るが、その好成績なるは実に意想外なるなり。最後に治療について述べんに、
この蓄積汚物は、余の指頭より放射する霊光に遇えば忽ち溶解して普通の風邪は一回ないし三回位にて全治すべし。
しかし風邪位は自然に放任するも良く速く治るなれども世人はこの理を知らざるを以てこの場合薬物、機械その他の療法に頼らざれば病気の進むごとく心配すれども、それは大なる誤りにて却て一切の手当は掃除夫の清潔施行へ対し邪魔にこそなれ、
決していささかも助力とはならざるなり。
〇原子爆弾
原子爆弾というものは、大体・・・原理というものは、光なんですからね。
やはり火素なんです。
で、原子爆弾の光と、われわれの方は・・・光力の方は霊子爆弾ですね。
霊子爆弾の、これも光。
どっちが強いか弱いかと言うと、無論霊子爆弾の方がずっと強いんですよ。
だから、こっちの方の火素と・・・向こうも火素ですけれども・・・こっちは霊の火素で、向こうは体の火素です。
だから、どうしてもこっちの方が勝つに決まっている。
こっちの火素がだんだん強くなりつつありますからね。
もう原子爆弾には負けないだけに強くなっているはずなんです。
で、長崎、広島の原子爆弾の時も、霊的光力の人で助かった人がたくさんいるんです。
随分、驚くべき奇蹟が、だいぶあるんですね。
本当にこれからの時代には霊的光力を沢山受けていないと生きて生けないと思うのであります。恐るる似たらんであります。
〇霊射と原爆は似ている
それからもう一つおもしろい話があります。
原子爆弾と霊射とは同じことなのです。霊と体だけの違いで、非常に似ているところがあるのです。
それはどういうわけかというと、原子爆弾というのは熱です。
原子爆弾から発する熱というのは、二万度か三万度か、何万度ということになってます。
あるいは、水素爆弾などの度数はもっと高いでしょう。
そうすると、その火力の前にはなにものも焼けてしまうので、地上は無になってしまうのです。
それで霊射のこれ(掌)から出る光線と同じというか、むしろ本当の意味から言うと、霊射の方がもっと火力が強いのです。
ただ、原子爆弾は体の火力で、霊射の方は霊の火力です。
霊だからして、人間の五感に触れるような熱ではないのです。
まるで無に等しい熱ですが、しかし力においては原子爆弾以上です。
それでここからの霊の熱というものはどういう働きをするかというと、病気の因は、霊の曇りです。
霊の曇りというと不純水素ですが、不純水素というのは、不純水素中に毒粒子という非常に細かい粒子があり、それを霊射の火素が焼くのです。
ですからそれが体に写って肉体の方の毒素が溶けて出るというわけで、これは一つの科学的説明で、つまり理論科学です。
ですから、人間の霊の曇りのうちのその毒分は焼いてしまうだけの霊の火力が出るのだから、ちょうど霊の原子爆弾と言ってもよいわけです。
そこで、体的原子爆弾ができると同時に霊的原子爆弾ができたということになりますから、非常におもしろいです。
それで体的の原子爆弾によって・・・ちょうどアイゼンハウアーが世界的に宣言しましたが・・・戦争はもうできない。
だから原子爆弾をこしらえても、お互いに止そうではないか。
平和の方に使うようにしようではないかということを唱え出してます。
要するに物質的に戦争をなくす一つの力ができたのです。
それで霊射のほうは、これによって霊を浄めるために、人間の方が戦争をしようという気持ちにならないわけです。
ただ、戦争の気持ちのなくなるということは、戦争をしようという、争いを好む霊の力が弱いわけです。
ということは、それが人間に憑って、人間にそういった間違ったことをさせようというその働きが弱ってしまって、
そこで人間の方は戦争意欲がなくなって、それからまた体的には戦争ができないようになり、これをやれば人類が破滅になるということを分からせるという、
霊と体の両方を、神様が同じときに出現させたということは、そこに非常に関連した意味があります。
これが、世界がいよいよ地上天国=ミロクの世になる・・・できあがるという間際に来たわけです。
ですからして、原子爆弾を作ったのはアメリカですが、アメリカは体的による地上天国の根本を作り、
それから私の方は霊的地上天国を造るという、その霊的力が日本に生まれたのですから、日本と米国の両国は霊と体で、その力が同時にできて、いよいよ地上天国ができることになるわけです。
前から私が言う「アメリカは緯の線であり日本は経だ。
それで経緯を十文字に結んで、それからが本当の文明が生まれる」ということが、つまり具体的に現われるわけです。
ただ、それを一日も早く人類に分からせる・・・少なくとも日、米の人間が根本ですから、これに一日も早く分かるようにするというために、その最初として、
さっきから話したとおり、地上天国ができるということによって、一番先にみんなの目をそこに向けさせるのです。
とにかく日本を先に向けさせ、次はアメリカ人と・・・それによっていろいろな真髄が分かるという段取りになってきて、要するに地上天国出現に、
一段、段を上ったということになるわけです。
〇原爆は殺人光線、霊的光力は活人光線
原子爆弾というものはつまり火力です。
太陽熱です。太陽熱をとったものだ、吸収したものだということを学者は言ってますが、実際そうです。
太陽熱を一遍に集めるのです。だから火力というものは、ちょっと計れないです。
二万度とか三万度とか言ってますが、そんなものではないので、もっと熱いです。
水素爆弾などというと、ぜんぜん計れないです。
計れないと言っても、ぜんぜん計れないというわけではないので、寒暖計の方が進歩すれば計れます。
ところで、霊射の火素が原子爆弾と同じことです。
原子爆弾と霊射が時期も同じにできたわけです。
原子爆弾の原理というものは約十数年前にできたのです。
そういうわけで、時期が同じです。
それで、ただ霊射の方は霊的の熱です。
そこでそんなに熱くもないし光も見えないのです。
では力はどうだというと、これは原子爆弾よりずっと強いのです。
霊射で治ったときに、どういうわけで治ったのかという説明を求められた場合に、はっきりと説明する必要がありますから、そこではっきり書きましたが、
これならだいたい分かるわけです。それで、病原は人間の霊の曇りです。曇りというのは水素中にある不純粒子で、つまり毒粒子で、これは計算のできない細かいものです。
それが火素の放射によって毒粒子が焼けるのです。ですから、毒粒子を焼く光線ですから、その強さというのは大変なものです。
霊射が物質だとしたら、やはり物質を焼いてしまいますが、これは物質ではないから霊を焼くのです。
それで霊のうちの毒粒子というのは霊の物質なのです。
それでこの光によって霊の物質を焼いてしまって純水素が残るのです。
それが漿液(しょうえき)に混ってしまい、そうして毒粒子だけが焼けてしまうのです。
ですからその焼けるということは、ちょうど原子爆弾と似ているということは、火力が強いことで、その点が似ているわけです。
それがちょうど二十世紀の同じころに現われたということがおもしろいです。
原爆は殺人光線、霊射は活人光線というふうに名前をつけたのです。
〇原子爆弾は破壊の力、火素の方は建設の力、創造の力
掌から出る力はいったいなにかということは、一番知りたいと思います。
それを知るとともに、人に聞かれて、どういうわけで治るかということをどうしても説明しなければならないし、それには充分肚に入れておかなければならないから、
それを話します。これは、一番分かりやすく言うと、霊的原子爆弾なのです。というのは、原子爆弾というものは非常に熱度が高いのです。
これは今まで地球上に現われたことがない熱です。つまりピカドンですが、そのピカドンで地上にある物は全滅してしまうのです。
それはなにかというと、火力ですから、火力で焼けてしまうのです。原子爆弾の説明には、つまり太陽の小さいものを造るのだということを言ってますが、そういうものなのです。
太陽熱というものは熱の体ですから熱いとか光るというわけです。ところがこの霊というのは目に見えず五感に触れないものです。
いつも言うとおり、霊の方が力が強いのです。ですから太陽の火力の霊が伝わると言いますか、これも説明しにくいのですが、とにかく太陽と繋がっているわけです。
これはやっぱり科学なのですが、科学というと見えるものばかりを言うが、そうではないので、これは見えない霊科学です。
それが、霊の火力が患者の病気の所に放射すると治ってしまう。
治ってしまうということは、霊体の曇りを溶かすということになってます。
曇りというのは不純水素ということを小生は言いますが、不純水素というものは、水素の中に毒粒子・・・薬毒が固まったものです。
薬毒は、最初の、薬をのんだり注射をしたときは霊全体に拡がっているのですが、だんだん固まって、つまり硬化作用ですが、そうしてここならここが痛いとか、腫れるというのは、そこに固まったわけです。
それで固まったその不純水素というものは、つまり毒粒子がたくさんそこに集まってしまうのです。
ですから肩が張る、ここが固くなるということは、今の毒粒子がだんだん固まってしまうわけです。
それで、霊射すると、ここから出るほとんど計算ができないくらいの強い火力・・・原子爆弾よりずっと強い・・・それがゆくと、毒粒子が焼けてしまうのです。
要するに粒子ですが、粒子と言っても、非常に細かいもので、顕微鏡などでつかまえることはできないくらい細かいものですが、それが焼けてしまうのです。
毒粒子が焼けた後の灰・・・生物とすれば死骸・・・それがいろんな排泄物、膿とかになって出るわけです。
ですから放射して、痛みなら痛みがなくなりますが、痛みはなくなっても灰はそこにあるのです。
あっても痛くないということは、みんな死んでしまって活動力がなくなるからです。
それが、活動力があると動くので、痛みとかいろいろあるのです。
それで、死骸になると人間の神経を刺激しないから痛くなくなるのです。
しかしまだあるのです。ですからこれはどうしても排泄しなければならないのです。
そこで人間には、邪魔物はそこにおいておくわけにはゆかないという活動カがチャンと備わっているのです。
よく、お腹の子供が死んだ場合に、医者は切開して出しますが、これは霊射すると死骸は出てしまいます。
それは、そこにあってはならないものはどうしても出るという作用が起こるのです。
ですから、お蔭話にあるとおり、針をさして、これを霊射すると、結局出るのです。
この間のお蔭話にも足に針をさして、それが何カ月かたった後に、針の先がだんだん移動して行って、反対側から先の方から出てしまったというのがありましたが、そういうようで、
人間の体にあってはならないものはどうしても出ることになっているのです。
それで、今言う曇りの中にある毒粒子も、死ねば必ず出るのです。それを殺すということは焼き殺すわけです。それがここから出る火素で、この火素というのはそういうものなのです。
とにかくちょうど原子爆弾を発見したのと、この霊射が出たのと、だいたい同じです。
二十世紀後半ですから、時期はだいたい同じなのです。
そうすると一方は体のすばらしい強力な熱であり・・・原子爆弾の熱は二万度とか三万度とか言ってますが、水素爆弾になるともっと強いのですから、これは測定はできないというわけです。
掌から出る火素はもっと高いので、とうてい原子爆弾どころではないのです。
ただ霊ですから、そういった物質的なものはないわけです。この火素の火力というものは無限と言ってもよいのです。
この間も無限力ということを言いましたが、とにかく無限力です。
それで病原は、今言ったとおり、霊の曇りが病原とすれば、霊ですから、それを治すとすれば、霊をもって治すのが本当です。
ところが、それを体の物質で治そうとする医学はぜんぜん見当違いなのです。そこで治らないというわけです。
だいぶ難しい話になりましたから、このくらいにしておきますが、原子爆弾は殺人光線、霊の方の火素は活人光線と名をつけたのです。
片方は殺す光線で、こっちは生かす光線で、反対なわけです。それがちょうど同じころに地球上に現われたということは、非常に意味があるわけです。
いつも言うとおり地上天国というのは創造・・・建設ですが、つまり破壊と創造です。ですから原子爆弾は破壊の力です。
それで火素の方は建設の力、創造の力です。
だから霊射によって、滅ぶべきものを生かす、破壊さるべきものを創造するということになりますから、その点から言っても破壊と創造ということがよく分かります。
医学が病気を作り人間を破壊し、こっちは霊射でそれを治すのですから、これも破壊と創造ということになります。
〇原子力は物質と神霊の中間から水素を除くので爆発する
〇霊射をしていれば原爆被害を免れる
原爆の光線を防ぐということを思われるんですがね。
霊界の火素の関係ですが、今現代は火の気が増量していますので火素が強くなっていますので完全です。
結局原爆を免れるということは言えるんです。まだ試してはいないんですが防ぐ事は可能だと言う事です。
〇光についてもある程度知っておく必要があります。要するに、つまり光と光の戦いです。邪神の光と神様の光との戦いです。邪神の光というが、邪神にも光はあるのです。
今のレントゲンの光は邪神の光です。ですから光の喧嘩です。ところがあれは邪神の作ったものだが、邪神にもやっぱり偉いのと偉くないのがあって、だいたい神様の方の光を押さえる偽の光というものがあるのです。
しかし根本において違うわけです。では邪神の光はどういう働きをするかというと、固める働きをします。今までのいろんなこと、霊術師とか宗教というのは固める力なのです。固める光です。つまり邪の光、邪光です。
だから今までは信心してよく病気が治る場合もありますが、それは固める治りであって、溶かす治りではないから、御利益があったと喜んでいても、こっちで治すのと違い、いろんな排泄物は出ないから、一時治るのであって、
根本において医学と変りはありません。物質的光です。だから固める光というが、固める光というのは月の神様から出た光です。ところがだんだん霊界が昼間になってくると、固まらなくなってきたのです。
そこで既成宗教というのはだんだん病気が治らなくなってきたというので、どんな宗教でもみんな病院を作った原因なのです。そういうようで、これからだんだん霊界が明るくなるに従っていよいよ治らなくなるという事は、最近医学の方でもだいぶ現われてきてます。
最近の新聞に出てますが、レントゲンを扱った人がだんだん死ぬというのです。その死に方がだんだん早くなります。結局少なくとも、もう数年ならずして扱う人はなくなるかと思います。それまではレントゲンというものは固める力ですから、実によく固まります。
それは石のように固まってしまいます。・・・その固める力は素晴しいものです。ですから今までの信仰でも放射線療法でも、固める事が効果があるという事で用いられたのです。それがだんだん固まらなくなり、それでレントゲンを扱う人がそうなるという事は、
固めたものが溶けるから死んでしまうのです。それから溶ける前にはいっそう固まるという事もあるので、これは心得ておかなければなりません。たいてい肩などが溶ける前にはよけい固まるのです。それから霊的光力してかえって固まる事があります。
これはある程度固まってから溶けるという事が一つの原則なのです。それは少ないですが、ごく固まりきったものは溶けるのに楽なのです。というのは固まりきると、強い熱が出るのです。それからだとよく溶けるのです。ですから溶けるのも限度があるのです。
ある程度まで固まって、それから溶けるのです。
つまり掌から出す光はレントゲンが通らないという事は、光が細かいからです。レントゲンの方はもっと粗いのです。そうして力というものは細かいほど強いのであり、
粗いほど力がないのです。・・・ですから掌から出る光は、光としては一番密度が細かく、濃いのです。
それでレントゲンの方は粗いからして通すことが出来ないのです。つまりそういったものは細かいほど高級で上等なのです。
だからうまい事を言ってますが、素粒子といって、「素」というのは粗いという事です。素粒子というのは細胞の小さいものです。
それで物性子というのは、物の性質の原になるもので、これは目に見えないものです。これを見ようとして実験科学をこれからやるのですが、
これをつかまえる事はできようがないのです。だからどうしてもこれをつかまえるには、顕微鏡で見えない世界に入るよりしようがないので、
その世界というのは宗教の世界です。この宗教の世界といっても、今までの宗教というのがごく下の世界なのです。だから今までの宗教は科学よりかもっと粗いのです。
科学が素粒子を発見したとすると、今までの宗教は素粒子よりも粗いのです。大素粒子です。なぜといって、各宗教では今病院を造ってますが、ということは、
もう科学にお辞儀をしているのです。科学との戦いに負けているのですから、負けたほうは粗いのです。つまり宗教のほうは素粒子まで行ってなかったのです。
結局科学との戦いで、科学が今までのように進歩してないうちは、宗教の方が勝ったのです。昔からの古い宗教はとにかく多くの人を救えたのです。
ところが今は宗教の方が力がなくて科学の方が力があるから、そこで無神論者が増えるのです。それは科学をやれば無神論者になります。
科学を勉強した人だと無神論者になりますが、それはそうなるのが当たり前です。そこで科学をやっつけっれるのは霊的光力よりないのです。
これは素粒子よりずっと細かいのです。レントゲンで通すことは出来ないのです。・・・湯川博士という人は割合に信仰心のある人で、
結局科学も窮極は神だという事を言っている人ですから、割合に分かると思いますが、そうかといって、科学者が宗教家に頭を下げるのは、どうも体裁が悪い、
体面上具合が悪いですから、簡単に頭を下げるというわけにはゆかないが、これからの窮極に対するヒントを与えるという事になりますから、
よけいな無駄をしなくてすむわけです。そのヒントを得るという事はどういう事かというと、研究を変えるという事です。しかし研究を変えるという事は、
医学は科学では駄目だという事です。他のことは科学で結構なのです。いろんな機械にしろ、原子科学とかはどこまでも進歩させなければならないのです。
ただ人間は他の物質と違うという事が科学ではまだ分からないのです。というのは人間は非常に高級な動物だから、人間の病気を治し、生命を延ばすという事は、
人間以上の力を持たなければ出来ないのです。ところがそこらにある物質上の発明、電気や動力というものとは、ぜんぜん段が違います。
ところがそういうものと人間の体、人間の病気、生命を同じに見ているところに、たいへんな間違いがあります。その認識さえ出来れば、
科学者は医学の研究をやめて他の研究を一生懸命にやれば良いのです。そして霊的光力ですが、霊射で治す事も、ある期間までです。つまり霊射とは薬毒をとる方法ですから、
薬毒を入れないようになれば霊射の必要もなくなるから、薬毒を入れないという真理さえわかればよいのです。
『最後にここで一言』
自分で選んで手術を受けたり、また手術を受けさした親も病気を治してやりたい一心でやったのだし、
医師とても同様善意でやった事であって、誤った医学以外には誰にも罪はない訳ではないが・・・。
それが事実であり、最も正確な見方である。信仰者はすべて罪悪的非現実的に考えるし、
無信仰者は唯物的にのみ考えるがどちらも本当ではない。
今まで記述し書いてきたが何れにも偏(かたよ)らぬ最も正しい考え方を教えているのであるから
誤解の無いように!!
然しながら医学は善意の罪悪という以外言葉はないのである。
尊き魂に光あれ!!
生き言霊に光あれ!!
いままで色々書きましたが、理解し難いものがあると思われたら、それはそれで良いのです。
しかしながら今の世の中の人々は薬だとか医者ということでしか救われないのだと洗脳され脳死状態と思うのであります。
聞く耳、見る目を持って、全て個人個人に委ねる事でありますから強制するようなものではありません。霊的光力は実は病気治しそのものが目的ではありません。
この霊的光力を通じて、神仏の実在を知らしめると共に、あの世とこの世に迷っている霊達を救う霊法なのであります。
最後に小生から願いですが一人一人がこの世に生まれ、善き人生を送っていただきたい事が一番の願いでありまス。
製作者の独断と偏見によるものであり、
記載内容及び画像により派生する全ての事象に対して
製作者は何ら保証致 しません。
医学とはまったく異なる体系での説明がたたありますが、
違法的な責任は一切負いませんのでご承知ください。
又メール等での相談は受け付けては居りませんのでご了承ください。
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