縄文の音霊 【ひとり言】

                        言霊豆知識-1〜10

                        言霊豆知識-11〜20

                        言霊豆知識-21〜30

                        言霊豆知識-31〜40

                        言霊豆知識-41〜44

                        言霊豆知識-45〜48

                        言霊豆知識-48-追加最終章

                        言霊豆知識-49-原発

                        言霊豆知識-50-病気

                        言霊豆知識-55-病気

アクセスカウンター
ここでは病名をとり上げて説明いたします。言霊豆知識50と殆ど一緒ですが、補足しています。
霊的光力(有力光・大玄霊光の主)とは独断の考え方で使っていますのであしからず。
個人的に思う事でありますが本当に人様にこの霊的光力をやって経験することによってのみ本当に本人もさることながらその人自身も驚くものである。

言霊豆知識-55

『最も興味深し若返り法とは』

曩(さき)に詳説した如くまずは病気についてのげんりを説いてから説明しなければならない。ます病気の原因は然毒、尿毒、薬毒の三種であるが、 その三毒が最も作用する局所としては、腎臓に如(し)くものはないのである。先ずその順序を説いてみよう。
人間が此世に生を享(う)けるや、先天性毒素として最も病原となるのは然毒であるがそれは先ず最初、背面腎臓部に集溜するのである。勿論、 嬰児と雖も大抵はそうである。従而(じゅうじ)世間よくある起ち歩きの後れる幼児は、右の如きが原因であるから、それを霊的光力する事によって容易に治癒するのである。
そうして人間は成人するに従い、腎臓部に三毒素溜結し、漸次(ぜんじ)固結が増大するので、その圧迫によって腎臓は萎縮し曩に説いた如く余剰尿が滲出し、 右の固結に追増(ついぞう)するのである。従而、腎臓は益々圧迫されるから、それだけ余剰尿の増加となり、愈々固結が増大するのである。

其結果として余剰尿は漸次的に背部脊柱の両側に向って移行集溜し、尚上昇して肩の凝りとなり、頸部の周囲より頭脳は勿論、眼、耳、鼻、歯茎、咽喉部等に及ぶのである。
又人により胸部の周囲、腕の付根、胃部、肝臓部、腹膜等にも及び、尚下降して脚部にまで及ぶのである。此場合神経集注個所程集溜する事は曩に説いた通りである。
斯(か)くの如く、腎臓障碍が原因となって、凡ゆる病原となるのであるから、何よりも先ず、背面腎臓部の固結を溶解除去しなくてはならないのである。
斯くする事によって凡ゆる疾患は治癒に向うのは当然である。

茲(ここ)で、平均浄化作用に就て知っておく必要がある。それは毒素溜結せる一局所を溶解除去するに於て、他の毒素溜結部は右の浄化状態と同様の状態に平均すべく、 自家浄化作用が発生するのである。勿論自家浄化作用であるから、発熱又は痛苦を伴うのである。
従而根幹的原因である腎臓部が浄化されるに於て枝葉的に他に分搬せられいる毒素は、平均的自然浄化によって、全身的に疾患が治癒さるる事は必然である。此理によって、 腎臓の活動を促進さす事こそ、凡ゆる疾患を治癒させ健康を増進させる唯一の方法である。

故に、腎臓部の障碍が除かれ、活動旺盛となるに於て、幾多の好影響が表われ始めるのである。その最も著しき現象としては若返る事である。
少なくとも十年乃至二十年は若返るのである。それは如何なる訳かというと、腎臓なる機能は尿によって体内毒素を処分する以外、 ホルモンを製出するものであるからである。今日医学に於てホルモンを外部から注射等によって注入するが、之等は一時的効果に幻惑させるのみで、 反って腎臓を弱らすのである。丁度外国品を輸入する為、国内工業が萎靡(いび=気力がなくなること)するのと同様である。

此意味に於て、輸入品よりも遥かに優秀なる国産ホルモンを無限に製出なし得る本療法の効果は、実に偉大なるものと思うのである。
右の結果として、元気旺盛(おうせい)なるは勿論、爽快感(そうかいかん)が湧出(ゆうしゅつ)し、楽天的となり、人生観は一変するのである。従って、怒り、癇癪(かんしゃく)、短気等の性格は消え、 親和協調的となり、愉快に仕事に従い根気が続くようになるから、能率が非常に増進するのである。

斯様(かよう)な事をいうとあまりに牡丹餅(ぼたもち)で頬辺(ほっぺた)をたたかれるようであるが、何人と雖(いえど)も実験をすれば偽りでない事を知り得るのである。日本人の腎臓が健全になるとすれば、 先ず何よりも能率増進によって生産の増加となり、悲観や憂鬱(ゆううつ)的人間が減少するから社会は明朗化し、人々は生活を楽しむようになるのである。此意味に於て、 此腎臓医術こそ、百万語のお説教にも勝る心身改造法であるといっても過言ではないのである。

次に、平均浄化に就て、今少しく説く必要があろう。前述の如き平均浄化が次々起るに於(おい)て、丁度毒結のある個所を、身体が指示する如くであるから、 毒素のある個所は結局に於て全部判明し、全部治癒するのであるからそれによって完全健康体になるのである。
次に、本療法を初めて受けたる患者が、翌日あたり、往々だるい場合があるが、それは治療した個所ではなく、治療しない個所に平均浄化が起るので、 それは微熱であるからだるいのである。故に前日治療しない個所を治療すれば、全く治癒するのである。

若くして胸を張れないものや年とって腰の曲がるという原因は、悉(ことごと)く尿毒が背部又は腰部に固結するその為であるから、今日如何に胸張り宣伝すると雖(いえど)も、 腎臓を健全にしない限り、人為的に無理を強行する事になるから苦痛となるので、一次的効果はあろうが永続性は乏しいものとみなければならないのである。
此点に於ても、我腎臓医術の効果は大なりというべきである。


★ 日本脳炎は果して蚊の媒介か

近来医学に於ては、日本脳炎の原因は蚊の媒介としているが之は全然誤りである。それに就て吾等の研究を発表してみょう。
日本脳炎の患者が子供に多く、統計によれ、は六歳乃至十歳までが最も多いとされている。又季節は晩春から初秋にかけて最も多いという事を考慮しなければならない。
処が医学に於ては恰度蚊の発生と共に最も活躍する時機であるから蚊の媒介としたのも無理はないのである。
又蚊を多数つぶしてそれを廿日鼠に注射し脳炎が発生したという研究結果もあり、そう思い込んだのであろう。

然し吾等の解釈は全く異う。廿日鼠(はつかねずみ)と人間とは同一でない事は勿論、寧(むしろ)ろ人間と獣類とは反対の方が多いとさえ思えるのである。何となれば、 神示の医学に於ては日本脳炎の原因は余りにも明らかで、而も事実は一人の例外なく短期間に全治可能であるからである。
たとえ事実蚊による伝染であったとしても悉く全治する以上、蚊などは問題とはならない事は勿論である。
依って日本脳炎の真の原因を茲に説明してみよう。

抑々人体は何人と雖(いえど)も必ず先天性及び後天性毒素を多少なりとも保有している。毒素とは勿論毒血と膿である。
処が人体が何等かの刺戟を受けた場合毒素は必ずその部に集注する。之を判り易くいえば彼の灸点である。灸を据えるやその部が紅脹を呈し、甚だしきは化膿さえする。
又肉体を殴打又は器物の衝戟によれば、必ずその部が紅脹を呈するのは前述の如く毒素が集注するからである。

この理を推進めてみる時日本脳炎の原因は容易に判るのである。
それは、子供は殆んど帽子を冠らず炎天下で遊ぶ。特に六歳から十歳位までは右の傾向が多い。それが為頭脳が熱する。恰度灸を据えると同様である。
その場合、人体の背部一円にある毒素が頭脳へ向って集注運動を起す何よりの証拠は、発病と同時に両側髄髄附近は棒の如く硬化し高熱が伴う。
之は勿論毒素が頭脳を目がけて進行し、一歩事前に一時的集溜するのである。次いで毒素は小脳に向って侵入運動を起すや睡眠状態に陥る。然し茲に問題がある。
それは医療は必ず氷冷を施すからこの水冷の作用で毒素は固まって了う。言い換えれば、自然に治るべきものを治さないようにするのである。

之は驚く可き誤謬である。何よりもその場合、霊的光力をするや、毒素は小脳から頭脳を通過し、両眼及び鼻穴から排泄し始めるからで、勿論重症程それが多量である。
普通二、三日で出尽しそれと共に快癒する。実に簡単である。先ず一週間以内で例外なく全治するのである。その結果発病以前より頭脳明晰となり、 学童などは必ず成績可良となる。右は一点の誇張もなく事実ありのままの経路である。


然るに、医学に於ては予後頭脳が悪くなり、軽度の痴呆症状や手足の障害等、種々の禍根を残すのでおそれられるのである。之は何が為かというと、 前述の如く自然に排泄されるべく毒素が小脳を通過せんとするや、氷冷で固めてしまう。それがため固結は頭脳活動の障害となるからである。
実に現代医学の誤謬たるやいうべき言葉がないのである。
この誤謬医学の為に如何に多数の人間が災いされつつあるかを思う時、吾等は晏如たり得ないのである。
随而、この医学の啓蒙に努力しつつあるが、既成医学を基礎として構成された法規がある以上、容易に受け入れ難いのは無理はないが、 然し事、人命に関する以上、この儘では禍根は除き得ない訳で実に重大問題である。

序(ついで)だから脊髄脳炎も解説するが、之は日本脳炎の一歩手前といってもよく、毒素は髄髄部だけに集注固結するのである。
何となれば冬に起る病気でそれは頭脳を夏季の如く、炎天下に晒さないからである。然しこの症状は、髄髄部が日本脳炎よりも固結甚だしく、 首の前後の運動は全然不可能となる。というのは日本脳炎の如く毒素が小脳に移行されないからである。

以上によってみても日本脳炎は蚊とは何等関係がなく自然浄化作用である事を明らかに知るであろう。

★ 恐るべき漢方薬

吾々が一般人に薬毒の恐ろしさを話す場合、聞く方の人は、薬毒は西洋の薬に限るように思っており、漢方薬は殆んど薬とは思わないくらいであるが、 これは大変な誤りである。というのは寧ろ薬毒は漢方薬の方が多い位である。成程薬そのものとしては洋薬よりも弱いが何しろ漢薬の方は量が頗る多い。
昔から漢薬は土瓶に一杯煎じて持薬として毎日飲むどころか、お茶の代りに服む人さえあるのだから洋薬の何十何百倍にも上るであろう。

そうして漢薬の種類も相当あり、中でもゲン午児(げんのしょうこ)が一番猛毒で、この薬を沢山飲んだ人は浄化の場合実に執拗で、 除っても除っても後から溜ってくるので衰弱死に到る。実に恐ろしいものである。次に、どくだみも中々毒が強く、先ずこの二つを多く飲んだ人は余程注意しなければならない。
右以外の薬は大体同じようであるが、今一つ名前は分らないが、真黒で飴のような漢薬があり、これを飲んだ人は偶にあるが、この中毒も執拗で治り難いものである。


 何よりも漠薬中毒の多少は顔色で一番よく分る。多く飲んだ人種顔色が蒼白で、よく青ぶくれというのがこれである。又漢薬中毒者は女性の方が多く、花柳界に居た人は特に多いようである。
これは昔から婦人病によく効くとされているからであろう。
それから便秘によく効く薬で奇応丸(きおうがん=内容的には人参(チョウセンニンジン),沈香,麝香(じゃこう),熊胆(ゆうたん)などが処方され,腹痛,食傷,吐き気,嘔吐(おうと),小児神経過敏症などに用いた。 また熊の胆(い)を主剤とした丸薬。腹痛・霍乱(かくらん)・小児の発熱・癇(かん)の虫などに用いた。)という丸薬があるが、二十数年毎日飲んだ人で腎臓結核となり、医師から見放された人を扱った事があるが、 何しろ余りにその毒が多いので到頭駄目になった経験がある。
 これは誰も知っている事だが、中国人には青黄色い顔の人が多いのは、漠薬中毒の為であろう。

★B・C・G

B・C・Gなる注射を、一般国民学校卒業後の少年に施行するという事に決したという事である。そうして同注射について、厚生省結核課、楠本正康技師の話によれば― 『わが国の結核の発病状態をみると、未感染者の発病率は、既感染者に比べて実に三倍の効率で、ツベルクリン反応陰性者は、陽性者よりも発病の危険の多い事を物語っています。 此事実からしても結核にもある種の免疫のある事が判ります。この結核の免疫性に着眼して、以前から人工免疫として死菌ワクチン、或はごく少量の結核菌の接種などが試みられたのですが、 何れも全く無効か却って危険を生じ成功するに至りませんでした。B・C・Gワクチンはフランスのカルメット、ゲラン両氏が1904年牛型結核菌(牛に結核を起させるもので人間のものとは違う)の一種に、 極めて毒力の弱い菌株を発見したのに始まり、之を人体に接種しても絶対に危険がないばかりか、未感染者に免疫性を付与する事を証明し、それの培養ワクチン化に成功したものです。

わが国でも十余年前より研究され、日本的検討が加えられて、今日実用化をみるに至った訳です。このB・C・Gワクチンは初感染者の爆発的な発病を防止するのが目的で、既にツベルクリン反応が陽性のものには無意味なばかりか注射した部分に副作用を起すので禁物、 厳重なツベルクリン検査による陰性者だけに限らねばなりません。B・C・Gワクチンを注射すると、大体二ヶ月位で免疫力が顕われてツベルクリン反応は陽性に変りますが、その免疫持続期間は約一ヶ年です。 注射の方法は、皮下皮内いろいろな方法がありますが、注射による副作用は皆無といえます。尤も人によっては注射部に膿瘍或は潰瘍を生ずる事がありますが、之も免疫力の強さの証明で心配はありません。 同注射は既感染者には効果なく、未感染者即ち陰性者だけに限り効果があるというのである。そうして免疫期間は約一ヶ年としてある。之を本医術の見地から私は批判してみようと思うのである。

西洋医学の療法は、一時的効果を表わすと雖も、其後に到って反って病気を増悪させるものであるといったが、同注射もそうであろうと思うのである。 そうして同注射が成功したとなし、実用化にまでなったというその理由は、昨年九月より本年六月までの期間中に於て、国民学校卒業者十万人に施行した所、結核罹病者は三分の一に減少し、死亡率は十分の一に激減したとの事である。 然し乍ら、僅々九ヶ月間の実験によってその効果を断定し施行するという事は、あまりに早計ではないかと思うのであるが、事態はそれ程までに結核防止の急に迫られているからであって、又やむを得ないであろう。 それは別として、曩に結核の原因は旺盛なる浄化作用の為であるといった。故に九ヶ月間好結果を挙げ得たという事は、同注射液の浄化作用停止の力が如何に強烈であるかという訳である。即ち最も旺盛なる浄化作用である結核と、 最も浄化作用旺盛ならんとする十六、七歳の少年が罹病減少という事実は、同注射の体位低下の強力なる事を如実に物語っているのである。

従而(したがって)、同注射後の状態を予想してみるに、体力の低下は勿論であるから、工員などの作業能率の減退は免れ得ないであろう。そうして免疫力が一ヶ年とすれば再注射を行わなければならないであろうから、 その結果はどうなるかというに、発生すべき浄化作用の抑圧を繰返すに於て、漸次体位は低下し、青年にして老人の如き体位となるであろう。特に女子の妊孕(にんよう)率は非常な低下を来すであろう事は勿論である。 右の如くであるにみて、一時的好結果に幻惑され、其後に到って予想し難い悪結果を来すべきは、火を睹(み)るよりも瞭かである。曩に説いた如く、種痘だけでさえ日本民族の体位が今日の如く低下したのであるから、 効果顕著とされるB・C・Gの注射を施行するに於て、わが国民体位の前途は如何になりゆくや、憂慮に堪えないものがある。

★医者の遁辞(とんじ=言い逃れ)

医師がいくら骨を折っても予期の効果が現われない場合決って言う言葉は「あなたの病気の治らないのは体質のためである。」 とか「千人に一人又は万人に一人しかない珍らしい病気」 などというのである。成程そういう患者も稀(まれ)にはあるであろうが、 そういう話しをあまり多く聞くので妙な感じがする、どうも巧妙な遁辞でないかとさえ思えるのである。

以前漸(ようよ)ういう事を聞いた事がある。医師が「あなたの病気は私には判らない。従而請負う事も出来ないがそれでよければ診療してみよう。」 という医師は名医であるそうである。成程斯様な医師こそ正直で良心的であるからである。処が大抵の医師はなかなか病気が判らないとは言えない。
尤もらしい理窟をつけて判ったらしい顔をする。という事は、もしありのまんまを言ったら、その医師を信用しない事になるから、 医業は成立たない以上やむを得ないともいえる。考えてみれば、お医者さんも難かしい職業である。いつもいう如く誤っている医学であるから、 いくら一生懸命やっても思うように治る筈がないから右の様な事になるので、一面尊敬され乍ら、一面怨まれるというのが実情であろう。

★病気礼讃の弁

今日よく病気に対する心構えとして闘病という言葉を使うが、吾々からみれば之程間違った言葉はない。全く病気の根本原因を知らない為とは日い乍(なが)ら、 吾々から言えば愛病といい度い位である。つまり病は愛すべきもの有難いもの、感謝すべきものと思うのが本当であるからである。処が医学に於ては、 一度病気に罹るや悪い意味に考え、恰度悪魔が体内に入り込んだかの様に心配する。よく病魔という言葉を使うがその意味であろうし、 又闘病という文字も敵が休内に侵入したので味方の肉休と大いに戦うという意味であろうから実に可笑しな話である。処が吾々の方では人体には始終毒素が溜り易く、 それが或程度を越えると活動に支障を及ぼすから、その毒素を排除すべく、自然作用が起り働くのに差事えない程度に清めてくれる。

それで健康体になるのであるが、その毒素排除には幾分の苦痛が伴うので、その苦痛を称して病気といったのだから、病気程結構なものはない訳で、 全く神様が人間の健康を保持せんが為御造りになった事がよく分るのである。何よりも病気の際、痰や痍が出たり、盗汗をかいたり、下痢、嘔吐、痛み、 痺み等の症状にみても汚いものが色々の形になって出る事が判るのである。だからその場合、苦痛を有難いと思って少し我慢さえすれば、割合楽に相済み、 後は休内が綺麗に掃除されるから健康は益々良くなるのである。

以上の如く、人間にとって之程結構なものはないとしたら病気になったら喜んで大いに祝うべしだ。だから、寒冒でも結核でも伝染病でも結構、 大いに10お出でさいと歓迎する位だ。そう思っている所為か【皮肉にも病気というお客様は仲々来てくれないので、一寸寂しい気がするが、 之も嬉しい淋しさであるから又有難いと言える。漸ういう訳だから、吾々が頂いているこの幸福さは一般人は想像もつかないであろう。

だから一人でも多くの人にこんな有難いことを教えてやり度いと常に思っているのが、普通の共通観念であろう。処が世間一般を見るとどうであろう。
風邪をひかないようにと言って年が年中ビクビクもので、結核は恐い、伝染病に罹ったら大変だ、外出から帰ったら必ず含嗽しろ、手を洗えなどと面倒臭い事を言ったり、 マスクを掛けさしたり実に五月蝿い話である。政府は政府で毎年何百億の無駄な金を使って大騒ぎをしたり、 お医者はお医者で年中七難しい顔をして顕微鏡と首ッ引きであったりしている有様は、可哀想処か馬鹿馬鹿しくてお話しにならないのである。
この様な訳で世間との違いさはスッポンとお月様処ではない、何と言っていいか言葉は見付からない位である。

★対症療法の可否

現代医学は対症療法というが之程聞達った話しはない。即ち熱が出たから氷で冷す、 痛いからと神経を麻痺させて苦痛を免れるというやり方はホンの上面に現われた謂わば病気の結果を対象とするのであるから治る筈はないのである。
何となれば、凡ゆる病気症状は症状として現われるべき原因が何処かに潜んでいるからである。この理によって本当に病気を治すには、症状などは末梢的なものであって、 どうしてもその根本原因を探り当てそれを除去しなければならない事は余りにも当然である。例えば頭痛にしても脳貧血の為と発熱の為と両方ある。
前者は頸の周囲に固結があり、それが血管を圧迫して貧血する。後者はその固結の溶解の為発熱する。それが頭脳へ影響して痛むのである。

又盲腸炎は右側背面腎臓部に必ず固結がある。それが長い間に少しつつ溶解し一旦盲腸部に滞溜固結していたものが急に発熱によって液体となり、 下痢によって排泄されようとするその痛みである。又手指に出来るヒョウ疽は、左右何れかの頸部淋巴腺に固結した猛毒が指の先から排泄されようとして一旦指頭に溜り、 皮膚を破って出ようとし腫れる為の激痛である。胃痙攣の痛みは、背中にある聞結が溶けて胃へ集り、腸へ下降しようとするその痛みである。
凡ゆる眼病は頭脳に滞っている毒素が眼から出ようとして一旦眼に集まる。というように病気症状というものは必ずその本元があるのである。
霊的光力によって医学が足元へも寄り付けない程の素晴らしい効果があるのは、全く本元を治して了うからである。
この点に目醒めない限り医学が何程進歩しても全治は難かしいのである。

夜昼転換

『病気の原因は薬剤である』と いう事である。凡ゆる病患の原因を探求すればする程、悉く薬剤ならざるは ないのである。もし人類がこれに目覚めない限り何時かは滅亡に至るべきは 一点の疑う余地はない。斯くの如く恐るべき薬剤を救世主の如く信頼し、随 喜し、不知不識の間に弱体化し、生命を短縮させるというのであるから「愚 かなる者よ汝の名は文化人なり」と言うも敢えて過言ではあるまい。戦争も 飢餓も薬剤に比ぶれは物の数ではない。斯くいう私の言葉は余りに極端であ るかも知れない。併し小生はそうは思わない。只小生がはっきり知った事実あり の儘、聊かの誇張もなく述べたまでである。そうして小生が最も不思議に思う 事は世界に於て最高度の文明国と言われる国がこの事に未だ気の附かない事 である。

原子爆弾の原理は発見し待ても、医学の誤謬は発見し得られない事 である。戦争犯罪者とは誤れる国家主義によって他国を侵略し他民族を殺戮 した処の許すぺからざる徒輩である事はいうまでもないが、彼等の罪悪は或 一定期間だけであって、その野望は遂に打ち破かれるに至る事は吾々が現に 今みつつある処である。然るに医学のそれは数千年前からの持続的罪悪であ るが、その事に気附かないばかりか、反って医学とは聖なる職業であり仁術 でさえありと思惟する観念に重大性がある。叉斯うも言えると思う。それは 人智の発達程度が医学の誤謬を発見するまでに至っていない事である。併し 乍らこれには理由がある。それは次に説く事によって読者は了解するであろ う。

霊界と現界との関係については前項に説いた如く、現界の凡ゆる事象は霊 界の移写であるとして、ここに霊界に於ては、最近に至って一大転換の起り つつある事で、それを知る事によってのみ凡ては判明するのである。 本来天地間凡ゆる森羅万象は、さきに説いた如く、霊界と現界との両面の 活動によって生成し化育し、破壊し創造しつつ、限りなき発展を遂げつつあ るのであるが、これを大観すれば無限大なる宇宙であると共に、無限微の集 合体である処の物質界でもある。それが極りなき転変によって停止する処な き文化の進歩発展がある。そうして心を潜めこれを静かに考うる時、宇宙意 志即ち神の目的とその意図を感知しない訳にはゆかないであろう。そうして 一切に陰陽明暗あり、夜昼の区別がある。

又春夏秋冬の変化や万有の盛衰を見る時、人生にもよく当蹴るのである。 又総てに捗って大中小の差別あり、これを時に当嵌める時、即ち一日に昼夜の別ある如く、 実は一年にも十年にも百年、千年、万年にも昼夜の別があるのである。併し乍らこれは霊界での 事象で、現界に於ては一日の昼夜のみ知り得るに過ぎないのである。
この理に依って、今や霊界に於ては何千年目か何万年目かに当然来るべき 、昼夜の切替時が来たのである。これは重要時であって、この事を知らない 限り本医術の原理は分り得ないのである。と共にこれを知る事によって、本 医術は固より世界の将来をも見通す事が可能となり、ここに安心立命を得ら るるのである。然らば霊界に於けるこの何千年目かの昼夜の切替えが現界に 如何に反映しつつあるかを説示してみよう。

右の意味によって、霊界に於ける世界は今日まで夜であった。夜の世界は 現界と同様暗くして、定期的に月光を見るのみである。勿論水素が多く、月 が光を隠せば星光のみとなり、それが曇れは真の暗黒となる。これが移写せ る現界の事象にみても明らかである。即ち今日までの世界、国々の治乱興亡 の跡や、戦争と平和の交互に続く様相等は、丁度月が盈ちては虧ける如くで ある。然るに天運循還して今将に昼に転換せんとし、丁度その黎明期に相応 するのである。

そうして霊界に於ける夜昼転換の結果として、人類が未だ経験せざる、驚 くべく、おそるべく、喜ぶべき一大変化が起る事である。然もその端緒は既 に現われ始めている。先ずそれを説明してみよう。
昼の世界とは、現界のそれと同じく、先ず東天に日輪の光空が現 われるのである。視よ、地球の極東日本−即ち日の本に於ける一大変革であ る。この国は今や夜の文化即ち既成文化崩壊が開始されたのである。見よ重 要文化都市の崩壊、産業経済の致命的状態を主なるものとし、人的には特権 や指導階級の全般的没落等々は全くそれが為である。そうして次に来るもの それは昼の文化の建設であるが、これ等も既に現われかけている。見よ、日 本に@ける徹底的武装解除に次いで民主主義の擡頭である。この二つの現実 は、日本に於ては建国二千六百年以来洵に空前にして予想すら出来得なかっ た処のものであるが、又世界永遠の平和確立への第一歩でもあろう。本来夜 の世界とは闘争、飢餓、病苦に満ちた暗黒時代であるに反し、昼の世界とは 平和、豊穣、健康等の具備せる光明時代である。現在の日本、それはよくそ の転機の様相を現わしている。

併し乍ら、東天に昇り始めた太陽は軈て天心に至るであろう。それは何を 意味するか。言うまでもなく、全世界に於ける夜の文化の総崩壊であると共 に、昼の文化が弧々の声を挙げる事である。それは凡そ予想し得られよう。 何となれは日本が既に小さくその模型を示しているからである。然も世界の 決定的運命は目前に迫りつつある。恐らく何人と雖もこの砕から免れる事は 出来得ない。唯苦難をして最少限度に止め得る方法のみが残されている。併 しその方法は此処に一つある。即ち医術の原理を知って、昼の文化建設の 事業に加わる事である。

聖書の一節に曰く「普く天国の福音を述べ伝えらるぺし、然る後末期到る」と。 これは何を指示しているのであろうか。小生は信ずる。 それは医術の原理発見も、医学の誤謬発見 も、その根本は夜昼転換という一点にかかっているからである。 既に説いた如く、病気の原因は人間霊体の曇りにあり、その曇りを解消す るそれが、病気治癒の唯一の条件でありとしたら、本医術発見以前の世界に あっては何故発見出来得なかったかという疑問であるが、その理由は斯うで ある。異に説いた如く病気治癒の方法に二つある。一は毒素を浄化以前に還 元する、即ち固め療法であり、二は右と反対に毒素を溶解し排除する方法で ある。既存医学は前者であり、医術は後者である事も、読者は既に充分認 識されたであろう。

そうして医術の原理が、人体より放射する一種の不可視的神秘光線であ りとしたら、この神秘光線の本質は何であるかというと、それは火素を主と せる一種の人体特有の霊気である。故に施術の場合、火素の多量を要する訳 であるが、昼の世界に向うに従って、霊界に於ける火素は漸次増量する。

何となれば火素放射の根原は太陽であるからである。 そうして火素は治病に効果ある以外、今一つの重要事がある。それは霊界に 於ける火素の増量は人体の浄化作用をより促進せしむるという事である。即 ち霊界の変化は直接霊体に影響する。火素の増量は霊体の曇りに対し、支援 的役割ともいうべき浄化力強化となる事である。従って病気は発生し易くな ると共に既存医療の固め療法の効果が薄弱となり終に不可能となる。 例えば夜の世界に於ては一旦固めた毒素は再発まで数年要したものが、漸次短縮さ れ、一年となり、半年となり、三カ月となり、一カ月となるという様になり、 終には固める事は不可能とさえなるのである。
これについて最もよき例は 彼の種痘である。これは日本についての実例であるが、数十年前は一回の種 痘によって一生免疫されるといわれたものが、漸次期間短縮され十年となり 五年となり、最近に至ってその効果は非常に薄弱になった事である。その他 種々の病気にしても年々増加の傾向を高めつつある事も見逃すべからざる事 実である。

以上によってみても、漸次夜から昼に転移しつつある事を知るであろう。 全く夜の期間に於ける病気治療の方法としては、溶解よりも固める方が有利 であった。それは毒素溶解に要するだけの火素が不足であったからである。 従って次善的方法として固める方法をとるの止むを得なかったのである。そ れが終に人類社会に対し、短命、病気、飢餓、戦争等の苦悩の原因となった 事は、実に恐るべき誤謬であった。

以上の如く夜昼の転換を認めるとして、その時期は何時頃であろうか。 最後の転換期はここ数年は出でないと思う。何となれはそれについて好適 例がある。即ち曩に三カ月を要した同程度の 病気が、一カ月となり、半月となり、十日となり三日となるというように、 時の進むに従い短縮されつつある事で、これは異口同音に何れも唱えている 。要するにこれは霊界に於ける火素増量の速度を示している事であり、昼の 世界の刻々迫りつつある事を示唆せる証左でなくて何であろう。 もう火の洗礼期に入ってしまっているので霊的光力は増大している。 水の時代は終わってしまっているのである。要するに月の時代から 昼の時代の最終段階に入っているのである。人類はこのことを早く 認識し手を打たねば終わりである。


〔腎臓を中心とした施術に関して〕

『人間は腎臓さえ健康になれば、凡ゆる疾患は治癒すると共に、心身共に健全となり、幸福と長寿を得る のであるから、実に不可能とさえ想われたる人類の理想がここに実現化したと言ってもいいであろう。 故にこの腎臓医術の発見こそ、人類史上、空前の大発見であると、想うのである』

@ 各種症状と原因について

(a) 序論

『人間がこの世に生をうけるや、既説のごとく先天性毒素としての然毒が、先ず背面腎臓部に集溜する。 嬰児といえどもほとんどは背面腎臓部に相当の毒素を保有している。幼児の起歩きの後れる原因も そのためである。そうして人間は成人するに従い、然毒の凝結圧迫により腎臓は萎縮し余剰尿が溜結、 何等かの病気発生となり、それの浄化停止のため薬毒を使用する。すなわち以上三毒の圧迫加わり、 腎臓はいよいよ萎縮する。元来腎臓はホルモンの製出と生理的残渣を尿によって排泄するという重要 機能である以上、腎臓萎縮は全身的浄化微弱とホルモンの欠乏を促す。その結果としての老衰は免れ 得ない。この理によって人間の元気旺盛なるは腎臓機能の活発によるのであるから人間の強靭なる 健康こそ、全く腎臓の強盛に正比例するのである』

『腎臓というものは、「物を洗う水の働き」をするものであります。それで心臓が熱を吸収して、毒素を 燃焼すると灰が出来るから、その灰のようなものを水で洗って流す。それが腎臓の役目であります。 ですから、毒物にあたると、非常に下痢をしたり、小便が沢山出る。その際尿は、腎臓が洗った汚水 であります。(中略)腎臓はそういう訳で、水の方の浄化作用の役目で、心臓は火の方の浄化作用の 役目であります。ですから、心臓と腎臓は、重要な夫婦役になります。それで、心のシに濁りを打つと 腎のジとなっているのも面白いと思うのであります。またこうも言えます。心臓は火、肺は空気、胃は土、 腎は水の役であります。また、腎臓と肺臓が水で、心臓と肝臓が火の役とも言える。(中略)腎臓病 にも種々あります。腎臓結核、萎縮腎、腎孟炎等であります』

『今日の日本人で、この腎臓部に毒素溜結のない者は一人もないといってもいいのである。そうして この毒素は有痛と無痛とあるが、無痛が多いのである。そうして最も重要なる箇所としては、脊柱と 末端の肋骨との中間すなわち三角形を描けば、その中心点にあたるところ及びその下方である。 その部が柔軟で手指で圧して凹む位ならば良いのであるが、そういう人は恐らくないのであって、大抵の 人は広範囲に固結しており、はなはだしきは反対に隆起している人さえあるのである。それはもちろん、 余剰尿の固結であるが、それが上方に向って脊柱の両側に移行しており、特に肩胛骨と脊柱との間に 多量の固結があるものである。この固結は胃に関係があるので、特に溶解すれば胃の活動をうながし、 食欲は増進するのである。したがって、胃癌の患者に対しては、この固結溶解によって好結果があるの である。また、腎臓部より下方に向かって腰骨部まで毒結は移行しており、特に腰骨に接触して毒結の ある場合、多くは脚部に異常があるもので、これを溶解すれば、よく治癒するのである。(中略)一般に 右側腎臓部の毒結が多いのであるが、左側のそれも重要である。

但し、盲腸炎の原因は右側の萎縮腎である。そうして、腎臓部の毒結を溶解するにおいて溶解毒素は 腎臓内に浸潤し、尿と共に排泄されるのである。蛋白とはこの溶解毒素であるから、この際尿中には、 多少の蛋白がある事はもちろんである。したがって、腎臓部の毒素溶解するだけは、体内のあらゆる 病患は、平均的自家浄化作用の発生によって、よく治癒するのである。また、腎臓部の毒素溶解は、 他の局部の毒素溶解が容易となる事は驚くべきほどである。また、腎臓の完全なる活動は、全身的 浄化力がすこぶる旺盛となる事である。ゆえに小生は、人間は腎臓さえ健康になれば、あらゆる疾患は 治癒すると共に、心身共に健全となり、幸福と長寿を得るのであるから、実に不可能とさえ想われたる 人類の理想が、ここに現実化したのである。ゆえに、この腎臓医術の発見こそ、人類史上、空前の 大発見である』

(b) 腎臓が悪いと肩が凝る

『尿毒というものは、あらゆる病気になります。よく腎臓が悪くて肩が凝る人がありますが、これはやはり、 尿毒が肩へ集まる人であります』

(C) 腎臓が悪いと足が重だるく痛む

『足が重だるく痛む人など、皆この尿毒が下の方へ垂溜するためであります』

(d) 尿毒は腹膜に溜まる

『最も多いのは、尿毒が腹膜へ溜まるので、そしてそこで凝る』

(e) 尿毒は肋膜、喘息の原因となる

『この尿毒は、肋膜、喘息の原因となる事もあります。ですから腎臓のために喘息を起し、喘息のために 心臓病が起るんですから、間接には、腎臓が心臓病の原因になる訳であります』

(f) 衝動による発汗は尿毒が原因

『よく頭脳、顔面、脇下等なにかの衝動によって発汗する人があるがこれはその部に尿毒があり、その 浄化としての発汗である。そうして健康者は常に全身的に発汗しやすいのが普通で、健康そうに 見えても、局部的発汗またはあまり発汗のない人は、いずれかに故障があるとみるべきである』 

(g) 腎臓が原因で脚気に似ている症状を起こすことがある

『腎臓の原因で脚気とにている症状を起す事もあります。これは割合多いので、あるいは真の脚気より 多いかも知れないと思う程で、足が重く腫れたりなどして、脚気のような症状を起こしますが、脚気とは 全然違う。小生はこれを「腎臓脚気」と言っております』 

(h) 歯槽膿漏の原因は尿毒による

『腎臓から発生した尿毒が肩部に集溜し、尚進んで頸部淋巴腺付近に移行する。それが浄化作用に よって歯齦(シギン)(歯根)から滲出排泄されようとするのである。その際血液も混るが、それは尿毒が 血液中に混入して排泄せらるるのである』

( i ) 結石は腎臓から滲出する尿毒が原因

『最も多いのは胆嚢結石であって、これは胆嚢の中へ石が出来るので、その石が胆汁と共に胃に 向かって流入せんとする際、輪胆管通過が困難なのでそれが耐えられない激痛となるのである。 (中略)胆嚢結石の原因を書いてみるが、これはさきに述べた如く、腎臓から滲出する尿毒が、漸次 上部に移行する際、胆嚢の裏面から胆嚢内へ浸透するので、その毒素と胆汁と化合して石となるのである』

『小さいうち膀胱に流入し、腎臓(腎臓結石)に於けると同様育っていく。これが膀胱結石である。処が 最も困る事には、その石が膀胱の入口ヘ痞(ツカ)える事がある。それをうまく通過しても今度は尿道口 に痞える事がある。両方共尿の排泄を止めるから、尿は漸次下腹部に溜り腫れるので、医師はブーヂを 挿入するが、これも尿道口だけの閉塞なら奏効するが、膀胱口の方は仲々困難なので、遂に生命に 関わる事となるのである。(中略)これを治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活発 にさせ、余剰尿を作らないようにする事で、それより外に方法はないのである』

( j ) 慢性下痢は腎臓萎縮による尿毒が腹膜に溜結するのが原因

『慢性下痢は数ケ月あるいは数カ年に及ぶものさえある。(中略)これは既説のごとく化膿性腹膜の 浄化作用であって、原因は腎臓萎縮による尿毒が常に腹膜に溜結するためである』

( k ) 虫垂炎は右側腎臓部の硬度な毒素溜結が原因

『そうして、盲腸炎の根本原因としては、右側腎臓部に硬度の毒素溜結があり、その為の萎縮腎による 余剰尿が盲腸部に溜結したのであるから、右の毒素を解消するに於て決して再発はないのである』

A 腎臓の浄化

a) 浮腫

『水膿溜結が腎臓を圧迫するので、腎臓は充分の活動が出来ないので、そのため尿が溢れる、その尿 が毒素となり、または浮腫になるのであります』 『浮腫はその原因に二種ある。普通は腎臓萎縮または膀胱の支障であって、腎臓萎縮は一般的浮腫の 原因である。重症は全身的、軽症は局部的で、例えば左右いずれかの半身または下半身というような 事もある。しかしながら、局部的といえども顔面または片腕、脚等の場合は萎縮腎でなくその浮腫部に あった固結毒素の浄化溶解のためである。ここに注意すべき事は種々の病気が重症に進む場合、 脚の甲に浮腫発生する事がある。これは死の信号ともいうべく、先ず回復困難と見るべきである。 また脚気の浮腫は膝下に限るとみていい』

『また、浮腫が左右いずれかに特に多い場合がある。それは、浮腫の多い部の腎臓が萎縮している のである。そうして浮腫のほとんどは、腎臓萎縮が原因であるが、稀には膀胱が原因である事もある。 それは輸尿管末または膀胱から尿が尿道へ通過の口許に粒状膿結がつかえる場合、尿の通流に 支障を来し、浮腫の原因となる事がある』 『また膀胱と尿道との境に結石、または膿結がつかえそのため尿の流下が妨害され、浮腫の原因となる こともある』

b) 肥満

『次に医家も世人も全然気付かない浮腫がある。これは女学生に最も多い症状で、すこぶる肥満し俗に 固肥りという訳で一見非常に健康そうに見えるが、健康でない証拠は常に疲労しやすく、動悸、息切れ、 身体重量感種々の支障が起りやすいのである。この原因としては、萎縮腎による余剰尿が全身的に 少量づつ溜積しそれが長時日に渉り固結するので、もちろん本人は気付かないのである。ゆえに少量の 食餌をとるにかかわらず肥満する人があるが、それは右のごとき人である』

c) 腎臓結石

『腎臓内の尿素が付着し、段々大きくなっていき、ここに腎臓結石となるのである。そうして困る事には、 結石は腎臓活動の為、腎臓壁に触れて疵(キズ)が出来る。そこへ尿が泌みるから痛みと共に 出血する』
『これを治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活発にさせ、余剰尿を作らないように する事で、それより外に方法はないのである』

d) 盗汗(寝汗)

『盗汗は、医学の解釈では、衰弱のためとしてあるが、これも全然反対である。すなわち、浄化作用 旺盛の結果であるから、盗汗のない患者も、治療するにおいて盗汗がおこり、それから恢復に向かう にかんがみても、浄化作用である事は事実である』

e) 腎臓結核

『よく萎縮腎を腎臓結核と誤られます。本当の腎臓結核は、右か左かどっちかの内部に水膿が溜結し、 それが化膿して痛みをもつのであります。そうして、普通は膀胱へ移行するもので、非常に悪性で、 小便に血が混じるのであります。そうして、膀胱結核から摂護腺(前立腺)、睾丸へまで移行し、最後に 到って睾丸は糜爛(ビラン)するのでありますが、こうなれば間もなく死に到るのであります』

f) 腎臓炎・腎孟炎

『腎臓の周囲へ水膿が溜結すると、浄化作用によって発熱する。これを腎臓炎または腎孟炎と言います。 腎孟炎の症状は、腎臓部の痛み、腫れ、発熱等で、また特徴として脚力が無くなり、歩行不能になる のであります。』
『症状は腰骨の上方、凹部の左右いずれか激痛を伴い、高熱を発するのである。この際尿中に多量の 蛋白をみるのであるが、割合治りやすい』

g) 慢性腎臓病

『症状は浮腫、精力減退、倦怠感、肩の凝り、腰痛、足の重い等である。原因は腎臓部に毒素溜結し、 腎臓が圧縮されるためである。すべて腎臓病は、医学上では、尿中の蛋白によって診定するのである が、尿中に蛋白のない腎臓病があって、むしろこの方が有蛋白より多いのである。(中略)有蛋白の尿を 排泄する患者の腎臓部には必ず微熱がある。無蛋白の場合は無熟である。しかし、その部には固結が あり、圧痛を感ずるのである。ゆえに、蛋白が排泄さるるだけは治癒しつつあるのである。したがって、 運動をする時蛋白が殖えるのは、浄化作用が旺盛になるからである。それに引換え無蛋白は、浄化作用 が発生し得ない弱体者であるから治癒し難いので、そういう患者は大いに運動して浄化作用を起せば 治癒するのである』 

急所について  後編

◇ 病気に対する知識をできるだけ磨く

『それは医学と違って、そう解剖学的に知らなくてもよいのです。(中略)同じ霊的光力するにも、ピタッと急所に 見当がつけばずっと早く治ります。それを、見当外れなどをやっていると非常に暇がかかるわけです。 (中略)ですから−病気に対する知識をできるだけ磨くようにしなければいけないと思います』

◇ 健康にするとともに立派な人間にするということが最後の目的

『とにかく病気を治すとか、その人を救うということは、ただその人を健康にするだけではないのです。 健康にするとともに立派な人間にするということが最後の目的ですから、ただ体が丈夫になって働くという だけでは人類は救えません』

◇ 病気を知る方法

『病気というものは、いつもいう通り、毒素が何処かしらに固まっており、それが熱で溶けて、排池する苦痛 なのであるから、病気を知る方法としては、自分で自分の体を触ってみる事である。頭の天辺から足の 爪先迄撫ぜてみるのが、一番よく分る方法である。必ず熟のある処が、一個所や二個所位あるもので、 そこに病気があるのだから、其処の処を自分若くは誰かに霊的光力して貰えばいいのである』

◇ 自分の健康診断

『何事でもそうですが、まず急所です。霊的光力の場合でも急所を発見する事です。(中略)自分で自分の 健康診断をする場合にも、体中を触ってみて熱のある所に毒素があるのだから、触ってみてずっと 冷たければよいですが、何処かに熱がありますから、其処が急所です。それから押してみて必ず痛い所 があります。人によっては、まるっきり痛くない人がありますが、これは何かというと、毒が無くて痛くない 人はまずないでしょうが、毒が固まりきって少しも浄化が起こってないのです。

それで痛いという事は固まりに幾らか浄化が起こっているから痛むのですが、浄化が全然起こっていないと痛まないのです。 ですからこういうのはかえって危ないのです。(中略)大抵な人は何処か痛いのです。そういう所を自分で 霊的光力するなり、後の所は人にやってもらうなりすると、それは健康になります』

◇ 急所の発見

『どんな事でもその急所をやることです。それから急所がみつからない時に、あせってやってはいけません。 それはまだ時期が来ないとか、いろいろな事情があるのです。ですから不断心掛けていれば、時期が来さえ すれば急所はみつかるものです。ですから、病気でも、どうも熱が冷めないという時に、ちょっと急所に来ると 冷めることがあります。これはあなた方でも経験する事があるでしょうが、急所を発見するということが、人間 人生の最大条件です』
◇ 急所の発見ができるような頭を作る

『人間は急所の発見ができるような頭を作る事です。(中略) これはなかなか難しいですが、せめて急所に 近い所が直ぐ分かるようになれば結構です』 『やってみてどうしても思うようにゆかないという事は、自分の霊的光力の霊力が弱いのだろうとかいろんな事を 思うが、そういう事はごく少ないので、本当は急所をはずれている事と条件が理屈に合わない事が一番 多いのだから、そういう事に気がつくようにならなければならないです』

◇ 一番肝腎な事は、急所を見つけてやる

『一番肝腎な事は、急所をみつけてやる。一番痛むなり−苦痛ですね。これは一、二、三、四と急所が ありますから、一の急所を発見してやる。それから二の急所をやる。こういうふうに、順序よくやると旨く いきます。それを一をやらずに二、三をやるから、馬鹿に苦しくなる』
『霊的光力の急所は腫れている所とか痛いとか熱があるとか、それは症状で分かりますから、それで良いです』

一 熱と痛みのある所が急所

『何事でもそうですが、まず急所です。霊的光力の場合でも急所を発見する事です。急所を発見するという事は、 今言った様な事を大体知っていると急所が非常に分かりやすいわけです。自分で自分の健康診断をする 場合にも、体中を触ってみて熱のある所に毒素があるのだから、触ってみてずっと冷たければよいですが、 何処かに熱がありますから、其処が急所です。それから押してみて必ず痛い所があります。人によっては まるっきり痛くない人がありますが、これは何かというと、毒が無くて痛くない人はまずないでしょうが、毒が 固まりきって少しも浄化が起こってないのです。

それで痛いという事は固まりに幾らか浄化が起こっているから痛むのですが、浄化が全然起こっていないと痛まないのです。 ですからこういうのはかえって危ないのです。(中略)しかしそういう人はごく少ないので、大抵な人は何処か痛いのです。 そういう所を自分で霊的光力するなり、後の所は人にやってもらうなりすると、それは健康になります』

※ 発熱の急所

 『それから熱ですが、頭や方々にある熱も肩をやると大抵は下がります。だから健康診断をする には肩をみるに限るのです。柔らかければきっと健康です』

※ 肩の毒は腎臓から

『それで肩の毒というものは大体は腎臓です。薬毒とかいろいろな物を人間の体に入れると、その 毒が一旦腎臓に行って、腎臓で処理されるのです。というのは腎臓で小便によって外に出すという 働きになるのです。そこで腎臓で処理されない分、それは薬毒とかそういった不自然な物は腎臓に 行っても処理されないので余るのです。その余ったものがだんだん肩に来るのです。

人間は肩が凝りますが、それは腕を使わないから肩に来るのです。足は凝りませんが、これは始終歩いている からです。じっとして手を使うとか、そういうために肩が凝るのです。ところが手を始終動かしていると そうでもないが、人間は足だけしか使わないから、肩に来るのです』

※ 毒素を固めた者の肩は石のように硬い

固めると溶かすのとは違う。溶けると食欲がなくなる。衰弱にはある線があり、線を越えるとどうしても駄目である。 一番よくみるのは肩、首である。固めたものの肩は石のように固い。肩が柔かければ大丈夫である。肩を溶かせば治る。 肺病の熱は殆ど首である。後背、お腹等をする。胃病は全部消化薬のためである。やめれば治る。 薬が垂れて背中へ固まる。いかなる病気でも後ろにある。

肩の固い人は早死

肩の固い人は早死になんです。ふだん丈夫なようでいてパッと死ぬんです。 だから、人間は肩が固いのは安心できないのです。で、ふつうの病気で死んだんじゃないんです。 これは霊的にわけがあるんです。肩は人間でいえば横、所謂水です。水は固めれば氷になり硬くなります。で、火の時代ですので 溶けるわけです。急激な溶け方は危ないのです。そして水は物質欲ですので、火の時代はストップが掛かるわけです。 頭がチョンに成るわけで火です。ス⇒火・カタ⇒横⇒水これでスガタ(主型)と言わる所以なのです。

ですから、ふだん健康であっても、霊射して肩を柔らかくしておくということは肝腎です。だから、病人でも肩の固い人は結果が悪い。 肩の柔らかい人は、随分助かります。この、肩の固い柔らかいは、非常に関係があるんです。肩の柔らかい人は、どこかしらに強い所があります。

それから足や腰の悪い人で、頸部(けいぶ)をやってから良くなる人もたくさんあります。


肩の固いというが肩の凝りは、昔から凝ると按摩でもむとか、ふつうよく叩いたりしますが、そういう頭があるために霊射の場合も力がはいりやすいのです。 ところが肩の凝りというのが一番固いのですからして、特にその力を抜かなければいけません。 それはどれでも力を抜かなければいけないが、肩はどうも力を入れたい気分になりますから、それを逆に、肩が固いほど力を抜くと効果があり柔らかくなります。

後から、凝りの中心辺りを狙ってやると、割合に溶けます。そうすると、一番は食欲が非常に増えます。だから肺病なら衰弱を非常に少なくすることになります。 それから消化不良とか胃下垂とか胃痙攣とかにも非常に効果があります。だから上半身の病気は肩を柔らかくするということが一番よいということを知って、 肩を中心にやるとよいです。それから次は頸のまわりですが、特に延髄付近から淋巴腺、ここは大いにやらなければなりません。

二 頭の病気の急所

〔脳天、後頭部、延髄、肩〕

・・・『それから頭は脳天の奥に毒がある人が多いです。これは始終心配する と此処に行くのです。それから頭を使うと此処に寄ります。記憶とか本を読むとか 学問をするとか、そういう考えるのは前頭部です。後頭部は感情です。ところが心配するのは感情と知性 と両方使うから脳天に来るのです。そこで此処の中心が重い人や苦しい人は沢山ありますが、それは 此処です。それから後頭部、延髄という順序でやって行けば何病気でも良くなります』
『大抵な病人は、まず一番最初首を下げさせて頭の中心を霊的光力するのがよいです。この奥の方です。 此処が人間の一番の中心ですから、この真中が体全体に影響するのです』

『それから一番厄介なのは必ず此処(延髄)に固まりがあるので、此処にない人というのはありません。 多い少ないはありますが、必ず棒のような人とか、石が入っている様なのがあります。全部柔らかいという 人はありません。だから今の人は全部病人です。大体今の人で長生きしても大抵70から80が長生きの 方ですが、ところがそういった固まりがなくなると100以上は必ず生きるのです。だから実に大したものなの です。寿命を延ばす事位は何でもありません。』

『あとは頭ですが、今は頭を非常に使わなくては生活できません。昔の様にノンキな時代ではないから、 どうしても頭を使います。それで頭を使うと、これに固まりが来ます。これは大体は肩に溜まった物が、 頭を使うので此処に来るのです。ですから肩を柔らかくすると、これも柔らかくなります』

〔淋巴腺〕

・・・『それから淋巴腺ですが、此処に熱が出ると前頭部に直ぐ移ります。この熱が前頭部に 一番影響するのです。それは此処の毒が前頭部に始終行くのです。だから頭の悪い人は気がふさいだり、 怒りっぽかったり、気持ちが悪いという事は、みんなそれなのです。ですから神経衰弱とよく言いますが、 これはやっぱりその原因の一番は淋巴腺です』

〔こめかみ〕

・・・『それからこめかみに熱があるものです。この熱が非常に苦しいのです。こういうのは、 やはり横から霊的光力するのです』

〔頸〕

・・・『但し中風だけは駄目です。中風の人はかえって肩が柔らかいのです。(中略)その代わり頸に 固まるから、それが溶けて脳の中にはいって行くのです。』
『中風の人は頸の廻りに必ず固まりがあります。それは右か左です。それから後頭部ですが、これも右か 左にあります。つまり毒素が下に行くべきが、上に行って其処に固まってしまうのです。これはその人の 職業的の体の使い方によって其処に固まるのです。そうしてこれが急に溶けて来て頭の中にはいるのが 脳溢血です。そうして右が凝っている人は左の手足がブラブラになるのです。中風だけは肩でなく、今言う 頸の固まりです』

〔恥骨(陰部)〕

・・・『それからこういう事を考えなければならないのです。人間は上半身と下半身は天地に なってますから−(中略)−ですから前頭部に熱がある人はやはり下部を霊的光力するという事が肝腎なの です。どうも頭痛がして頭が工合いが悪いという人は今の下部の急所をやると治ります。ですからこれは 天地になっているわけです。やはり病気でも急所があります。つまり楽屋と舞台があります。病気は舞台の 方で、原因は楽屋の方です。それで楽屋の方をやっつけなければ根本的には治らない訳です』

『前頭部に熱があるとイライラするのです。ところが前頭部に熱があるという事は、そこに毒があるのです が、この毒というものは何処からかというと下からです。ですから前頭部を霊的光力すると共に、下の陰部も 霊的光力しなければならないのです。陰部を霊的光力すると前頭部の熱も冷めます。そうすると気持ち良くなります。 しかしみんなここに気がつかないのです。これは霊的光力ですから離してやるのですから何でもありません。 ですからそういう場合には頭をやると共に、下の方もやるという事を心得ておくのです。そうすると効果が 倍になります』

三 眼と耳の病気の急所

〔後頭部〕

・・・『それから近眼、トラコーマという目の病気は後頭部に必ず固まりがありますから、これを 溶かせば盲目でも見えるようになります。此処に固まっているのは、やっぱり肩から来ます。此処に固まり があって、こういうように肩から来ます。そういうように固まっている人で目の見えない人は随分あります。 そういう人はまず目の後、と言ったところで中心がありますから、その交錯した中心の固まりをとれば必ず 見えて来ます。ただそれを溶かすには相当かかります。それはできるだけ力を抜いて中心を狙ってやると 幾分ずつ溶けて来るから見えてきます』

〔延髄、頸筋〕・・・『それから耳では、耳鳴りというのは多いですが、耳鳴りは此処(延髄、頸筋)に必ず 固まりがあります。それから中耳炎をやった人で聞こえが悪いというのは耳下腺です。これが中耳炎の 筋ですから、こういう所に固まりが残ってますから、それを溶かせばよいのです』

四 内臓の病気の急所

〔肩〕

・・・『それからこの前も”結核は肩を主にして霊的光力する”という事を言いましたが、これは結核ばかり でなく、心臓病でも胃病でもこれが最も効果があります。心臓病の人は必ず左の肩が凝ってます。これが 溶けた物が心臓の廻りに固まって圧迫するのです。それが心臓病です。喘息も無論それです。喘息の 方は横隔膜の方に固まるのです。ですからよく医者の方では心臓性喘息と言います。それで心臓の 活動が悪くなるから肺の活動が悪くなるのです。これはみんな知っているでしょうが、肺は水で心臓は 火ですから、火が多くなれぱ水がよく活動しますから肺にもよい影響がゆくわけです。そういうようで肩を 柔らかくすると肺が良くなるという事は、心臓が良くなるからです。それから肩が柔らかくなると非常に腹が 減るのです。そういうようで食欲が増えるという事は胃の活動がよくなるわけです。ですから肩を柔らかく するという事は、肺と心臓と胃が良くなります。ですからこの三つが良くなるという事は、他は問題では ありません。他の事は付録みたいなものです。

肝臓が悪いと言ったところで、やはり肩から下がって溜まるのです。それから腎臓が悪いと、こういう所(腰)に溜まりますが、それも肩から下がって来るの です。それから糖尿病は膵臓ですが、左の方です。此処も肝臓と同じようなもので、肝臓が悪くなるから 圧迫されて、胆嚢(たんのう)も起こり黄疸も起こるというわけですから、大体、肺、心臓、胃とこの三位一体がよく なれば間題はありません』

『それから消化不良とか胃下垂(いかすい)とか胃痙攣(いけいれん)とかにも非常に効果があります。だから上半身の病気は肩を 柔らかくするという事が一番よいという事を知って、肩を中心にやるとよいです』 『それから赤ん坊に沢山あります。カン持ちやジレたり、非常によく泣くのはみんな肩が固いのです。それ からよく熱を出すのがそうです。それから扁桃腺は子供に多いですが、やはり肩の毒が行くのです。結局 上は肩を主にして、それから頸の廻りです』

〔胃〕

・・・『病気の原因というものは大抵その部分の原因という事はありません。ただオデキや何かはその 場所ですが、他の内臓の病気というものは、原因は病気の現れた所ではないのです。これは何んでも そうですが、元があるのです。丁度芝居みたいなもので舞台にいろんなものが出るという事は、原因は 楽屋にあるのです』
『けれども他の肝臓とか膵臓とか腸の病というのは又違います。それは一旦胃に入った物が腎臓に 行かないうちに、その辺に浸透して行って固まるわけです』

五 肺の病気の急所

〔体全体(主に頸)〕

・・・『ただ肺だけは、何処からでも一旦肺にはいってゆくのです。頭でも手でも足でも、 何処の固まりでも、溶ければ一旦肺にはいって痰になって出るのです。ですから肺病は胸の病と言います が、表面に現れたのが胸だからそう思ってしまうのですが、そうではないので、体中の病と言ってもよい です。それは頸から肩から腹から背中から、溶けた毒はみんな一旦肺に行くのです。唯その場合、多く 溜まっている所と少なく溜まっている所の違いはあります。そこで肺病で一番多いのは頸の廻りです。 ですから小生は結核というものは頸の病だと言った方がよいと思います』

六 嘔吐、下痢、コシケの急所

〔後頭部、頸、肩〕・・・『それから頭は、前頭部と後頭部とは違うのです。後頭部は赤痢か痔で毒素が出る 順序ですが、ここで心得ておかなければならない事は、肩をやりますと胸が悪くなる事があります。胸が むかつくとか、軽い嘔吐感があります。これは溶けたのが胃に集まって来るのです。そこで今度は其処(そこ)を 霊的光力するのです。霊的光力しなくても下がりますが、そうするとお腹が痛くなります。ですから肩とか頸をやります が、それが溶けると胸がむかつく事と、その次ぎにお腹が痛くなる事があります。

それを知っておかなければなりません。頸が悪いというのにお腹が痛いと言うのはどういう訳かという事を聞かれるが、それは溶け たものがお腹に下がって、下痢になって出るのです。男の方はそうですが、婦人の方は下痢でなく前の方 から出る事があります。コシケとか、あとは皮膚の粘膜から出るのです。その場合にはピリピリするとか 痒いという感じがあります。男は下痢一方です。そういうように心得ていると、大体間違いなくゆくわけです。 それが普通ですが、人によると腰に溜まる場合があります』

七 手足の病気の急所

〔腎臓、肩、腰、尾底骨〕

・・・『薬毒は最初、腎臓に集まって、腎臓が薬毒を処理する所です。ところが僅か しか出ないで、それが肩に行って固まるのです。それで肩に行って固まる時と、それが腰に行って固まる 時があります。それはその人の職業によるので、手を使ったり、根をつめたりすると肩に固まるのです。 それから農業をする人は非常に腰を屈折したり、座る仕事でも腰に力を入れる人は腰に集まります。 そうして腰に集まったものが少しずつ溶けて足に流れてゆき、そこで足が悪くなるというわけです。脚気と いうのはそういう訳です。それからよく足が吊るとか痺れるとか怠いとか膝がガクガクするとか、凡て足に 関係したのは、一旦腰に集まったものが足に流れて行くのです。ですから足に関係したのは、まず腰の 中心、尾底骨を狙って背面から霊的光力するのです。そうすると足をやらなくても足がずっと軽くなります。 それからこの事が息切れに関係するのです。というのは腰から足が悪い人は、歩いたり坂でも上がると 非常に骨が折れるのです。軽くいかないのです。

その軽くいかないのが息切れになるのです。とに角心臓を大いに骨折るために、その力が心臓に影響するわけです。 そのために息切れがするのです。この息切れという事は肺ですが、肺の呼吸が、頻繁になる事です。というのは心臓は火で肺は水です から、心臓が骨が折れると、心臓の火、熱が肺を活動させる力が薄くなるので、肺の活動が悪くなるの です。そういう理屈になります』

『それから腎臓が悪いと、こういう所(腰)に溜まりますが、それも肩から下がって来るのです』 『それから手足の工合の悪いのもやっぱり肩です。ですから足が工合が悪いという人は肩をやると足の 工合がよくなってしまいます』

〔頸、腿の外側〕

・・・『それから足や腰の悪い人で頸をやってから良くなる人も沢山あります』
『それから足のあがきの悪い人は腿の外側を押せば固いですから其処をやるのです』

八 腹部のはる人の急所

〔腎臓、下腹部、恥骨〕

・・・『それからお腹のはる人は、無論腎臓です。それからもう一つはお腹のはる人 は小便の出が悪いのですから、臍の下から下腹の中心をやればよいです。みんな此処に両方から尿毒が 寄って来ますから、そこの中心をやればお腹はずっと軽くなります。むしろ下の方がよいです。恥骨といって 毛の生えている所の辺がよいです。そうすると膀胱の毒がとれてゆきます』

※ 食欲の出る急所

『肩を柔らかくしろというのは、それはつまり食欲が一番出るという事なのですが、 どの位柔らかくすればよいかというと、触ってみて、或いは本人でも分かりますから、本人が触って みてフカフカになればよいのですが、ところがそうなるにはなかなか大変です。何処かしらに必ず あるものです。あるばかりではないので柔らかい所はないくらいなものです。それがうまく一ばいに 固まってますから、それが当たり前の様に思うのです。それで或程度半分位に溶けてくると食欲が 大いに増えて来ます』
『とに角食欲さえあれば結局何でも治ります。霊的光力すればどんな病気でも治るに決まっているので、 ただ治るまでに衰弱で倒れるので、衰弱は食事ですから、そこでこれによって衰弱を防ぐという事に なりますから、根本的の事です』

九 毒素集溜の経過と排泄の順序

〔頭部〕

・・・『一番肝腎なのは後頭部です。前頭部の毒も、後頭部から前頭部に行き、又前頭部が溶ける 時も後頭部から下がってくるのです』 『それからもう一つは、腰を霊的光力しますと、女などはコシケになって出ますから、非常に結構なのです が、男は下痢の方なのです。しかし下痢は余程沢山の毒でないと、男はそう下痢はしません。下痢は 何といっても後頭部が一番です』

〔腰から足〕

・・・『腰の痛いのは、結局腎臓ですから、そういう人は腎臓の所に非常に固まりがあります。 それで腎臓の毒が溶けて腰に固まるのです。だからそういう人は腎臓を主にしてやるのです。(中略) 足の悪い人は腰をやるのです。足は腰から分かれているのですから、つまり足の因が腰になっています。 だから足が歩きにくいとか重いとか、くたぴれやすいというのは、足をやらないで、腰をやるのです。そう すると実によくなおります。腰から下にずっと下がって足が悪くなるのです。その場合に鼠蹊腺 (ソケイセン)、股から足の外側に毒が固まります。それから膝の裏に行きます。それからふくらはぎから 足首に行くのです。それが急所ですから、足のあがきが悪いというのは、ももの外側がちょっと固いです から、そこをやると一番よくなおります』

第一章 脳疾患と腎臓の働きについて

〔脳疾患と腎臓の働き〕

○腎臓は体内機能中、心臓、肺臓、胃の腑の三大機能に次いでの重要な役目をしている。
〇一旦腎臓へ集溜されたる液中から、貴重なるホルモンを抽出すると共に、廃物液体である尿は膀胱へ 送られるのである。処が厄介な事には、腎臓が完全に活動されるとしたら右の通りであるが、 実際上幼児から少年、青年、壮年と年を重ねるに従って、漸次働きが鈍るのが通例で、 其原因は腎臓が萎縞するからである。
○では何故萎縮するかというと、腎臓が前述の如く、必要なものと不必要なものとが分けられる場合、右の 二者以外の異物が混る場合がある。此異物こそ言う迄もなく薬毒であって、之がどう処理されるかと いうと、ホルモンにも尿にもならないので、腎臓の表皮を滲透して、 背部腎臓面に浸出し僅かづつ溜るのである。

○それが固結し腎臓を圧迫するから、腎臓は漸次萎縮し、ホルモン産出は減少する (不感症は此原因が多い)と共に尿の処理も鈍化し、其幾分は之も外部へ浸出するから、 薬毒に追加され、両毒合併して毒結は愈々増大する以上、脊柱の両側に溜り上向延長しつつ、 遂に肩や頸の辺迄及ぶのである。
○そうして毒素は遂に頭脳内に迄進入するので、其結果浄化が起る。それが頭重、頭痛は勿論、 脳膜炎、日本脳炎、脳脊髄膜炎、脳溢血等、凡べての脳疾患である。

一 頭痛 

○頭痛には、全体的頭痛と偏頭痛と、前頭部頭痛と後頭部頭痛とがあります。
○原因は、毒血に因る場合と脳貧血に困る場合と二通りありますから、毒血の方から先にお話致します。
○此の症状は、世間非常に多いもので、時々痛む人と慢性的に休みなく痛む人とあります。
○原因としては、毒血が上昇して前額部から前頭部両顳髪(コメカミ)等に滞溜し、それの浄化作用が 痛みとなるのであります。それは毒血のある證拠であります。それが浄霊によって冷たくなるので、 冷たくなった丈は痛みは除れたのであります。

○次に、脳貧血に因る頭痛は、右とは反対であって、頭脳に血液が欠乏して痛むのであります。
○これは頸腺付近に水腰溜結し、頭脳への血液送流を妨げられるからであります。
○慢性頭痛であるが、之は何が原因かというと、最初、感冒其他による発熱時に、 頭痛に対し氷冷法を行うが、之が主なる原因である。
○それは、発熱時には大抵頭痛がある。それは頭脳の毒結が浄化作用によって溶解し、流動を起こす その為の痛みであるが、それを氷冷すると溶解が停止し、再び凝結する為、その再凝結に対して、 緩慢な浄化作用が常に起こる。それが慢性頭痛である。
○故に、斯ういう人の頭には必ず微熱がある。そうして、全頭部もあるが、前頭部又は後頭部又は 一局部の場合もある。

〔霊的光力個所〕・・・脳天、後頭部、延髄、耳下腺、頸部淋巴腺、肩、腎臓 

二 眩暈 (メマイ)

○眩暈には二つの原因がある。一つは、右側後頸部延髄付近に毒素の溜結があってそれが眼球へ 送流する血管を圧迫するのである。
○即ち眼が物体を視るという事は、視神経の活動であるが、その活動のエネルギーは、絶間なく送流 する血液があるからである。然るにその送血管が、毒素固結の為圧迫される場合送血量が滅少する ので、その血量滅少の刹那視神経が弱り、視力が薄れるという訳である。
○右の毒素の固結は、第一浄化作用によって固結が強化されるのであるが、その作用が不定的である ため、その都度視力が弱り、又強まるというように、刹那的問歇的である為それが眩暈の症状 となるので、此原因が最も多いのである。
○今一つは、前額部から眼球附近に滞溜する毒素の浄化作用として、常に微熱が発生するのである。 その微熱が視力を動揺させる。

〔霊的光力箇所〕・・・右側延髄、頸部淋巴晩、前額部、脳の中心部、肩、腎臓

三 脳膜炎

○前頭部に固結した毒素の、急激強烈な浄化である。高熱と共に、前頭部の激痛と目が開けられないのが 特異性で、之は眩しいのと眩暈との為である。
〔霊的光力箇所〕・・・脳天、前頭部、後頭部、延髄、頸部、肩、腎臓

四 脳溢血 (脳出血)

○原因は、頸髄から延髄へかけての両側に「毒血」が溜結するんであります。之が、 毒血の沢山ある人が、頭脳を多く使うのが原因であります。
○近代人は肉食を多くする為毒血が殖える。そこへ頭脳を多く使うからそれへ向かって 神経が集注し、それが為毒血が溜結する。
○毒素溜結は左右孰れかであるから、病気症状も必ず右か左か一方なのであります。
○右が溢出すると左の半身が不随になり、左ですと右半身が不随となります。
○最初激烈な偏頭痛があります。そうして発熱と嘔吐があります。そういう症状は、脳溢血の除幕 と見ねばなりません。嘔吐が頻繁である程、脳は余計に冒されているのであります。
○食欲皆無となり、ヌラヌラした唾液を吐きます。
○人事不省となり、早くて一、二晩、長いのは二週間位意識不明であります。
○脳溢血になると同時に左右孰れか一方の手足はブラブラになります。
○脳溢血の徴候は、血圧が高く首筋や肩の凝り、手の先が疲れたり、手が痛かったり、耳鳴り、 偏頭痛、眩暈等であります。
〔霊的光力箇所〕・・・脳溢血の起こりたて 延髄(凝りりのある部分)、前頭部   ※麻痺のある方の肩は重要
その他−頸髄(麻痺のある反対側の凝りのある部分)、小脳部、患部
腕の動かない場合−肩、淋巴腺(腕の附根)脚の動かない場合−肩、腎臓、臀部、鼠蹊部

五 中風

○中風は、勿論脳溢血からである。
○先ず脳溢血から書いてみるが、脳溢血の原因は頸の固結であって、特に左右何れかの延髄部に長年月 を経て毒血が固まるのである。従って脳溢血の素質を知るのは雑作もない。右の部には固結がある。
それは右か左かどちらかが、必ず大きく隆起しており、自分で押すと軽い痛みがある。
○処がそこに一度浄化作用が発るや、固結は溶解され、血管を破って頭脳内に溢血するのである。 溢血するや忽ち脳を通過して、反対側の方へ流下し、手及び足の先にまで下降し、 速やかに固まって了い、半身不随即ち手も足もブラブラとなって了うのである。
○重いのは腕も手も引っ張られるようになり、内側へ肱は曲がり、指迄曲ったままで容易に動かなくなる。 そうして拇指が一番強く曲り、四本の指で拇指を押さえる形になる。

○処が面白い事には、足の方は反対に曲らないで、伸びたまま足首などダラリとなって了う。それだけなら いいが、重症になると舌が吊って、呂律(ロレツ)が廻らなくなり、頭もボンヤリとなり、目までドロンとして、 悪い方の側の眼力は弱化し、見えなくなる者さえあるというのが主なる症状である。
○中風といっても、斯ういう別な症状もあるから知っておくべきである。それは左右何れかの頸部淋巴腺 に固結がある場合、之が浄化によって溶解するや、頭脳の方とは反対に其側の下方へ流下し、中風と 同様の症状となるのであるが、之は脳には関係ない。この症状を吾々の方では逆中風と言っている。
〔霊的光力箇所〕・・・中風−脳天、後頭部、延髄、頸の横側(麻痺のある反対側)、肩、腎臓、 患部(痛む所、圧して固まりのある所)
逆中風−耳の後下方の首筋、肩、腕の附根、腎臓、患部(熱や痛みのある所)

六 脳貧血

○之は脳溢血と反対であって、脳溢血は毒血が頭脳に入り、脳の血液が増えるに反し、之は脳の血液が 滅少の為発る病気である。では何故減少するかというと、人体は絶えず頭脳に向かって、送血されて いるので、之が一定量なら何事もないが、其量が減ると頭脳機能の活動が鈍る。それが脳貧血である。
○右の如く量が減るということは、頭脳へ送血する血管が、頸の周りにある毒結の圧迫によるからで、 此固結を溶解しなければ治らないのは勿論である。
○脳貧血の症状は頭痛、頭重、圧迫感、眩暈等で、嘔吐感を伴う場合もあり、本当に嘔吐する事もある。 中には汽車、電車、自動車の書を聴いただけでも、眩暈や嘔吐感を催す者もある。然し之は医学でも いう如く、割に軽い病気で心配はないが、其割に苦痛が酷いものであるから、 初めの内は相当神経を悩ますものである。
○又発病するや枕無しで仰臥すると、頭へ血が流れるから多少の効果はある。今日最も多い とされている神経衰弱も、脳貧血が原因である事は言う迄もない。
〔霊的光力箇所〕・・・首の周囲、咽喉、延髄(特に熱のある所)、肩

(一) 発熱

『非物質である火素は地上の空間を充填しており、(中略)同じく地上空間を充填している水素は空気界を 造っている。従而心臓は(中略)火素を吸収して居り、その運動が鼓動である。勿論肺臓は空気界から 水素を吸収する−それが呼吸である。胃の腑は又土素から生産された食物を吸収する』 『右の理に由って体温とは心臓の鼓動によって不断に(中略)吸収している火素である』(「発熱」より) 『病気発生するや、発熱するという事は疾患部の凝結毒素を溶解せんが為、必要量の熱即ち火素を心臓 が(中略)吸収するのである。即ち心臓の鼓動は(中略)火素を吸収するポンプ作用である。発熱時より先 に心臓の鼓動、即ち脈搏が増加するのは、火素吸収が頻繁になるからである。その際の悪寒は、浄化に 必要な熱量を吸収する為、一時体温の方への送量を減殺するからである。故に、解熱するという事は、 毒素溶解の作用が終ったのである』

『次に注意すべき事は、発熱の場合世人は全身的と思うが、実はその殆んどが局部的である。例えば高熱 の場合、指頭を以て発熱の焦点を探査する時、指頭位の小塊を発見する。之は火の如き強熱さでよく判明 する。それを溶解するや忽ち全身的に下熱するのである』『高熱に対し氷冷法を行うが、之は最も不可 である。それは人体適正の体温は36度台であるという事は、その程度が機能活動に適しているからである。 然るに氷冷は零度であるから、氷冷を受ける局部の機能はその活動を著しく阻害され、甚だしきは失う事 になる。それは凍結的麻痺状態になるからである。従而私の経験上、脳溢血、肺炎、窒扶斯(チフス)、 其他高熱病の場合、その本来の病患の為ではなく氷冷の為に死を招く事実は尠からずある事である』 『次に、発熱に対し解熱剤の連続服用の恐るべき事も知らねばならない。普通解熱剤を一週間以上持続 するに於て、多くは徐々としてその反動作用が表われ始める』

(新田博士のコメント)・・・発熱に関して、現代医学では、中枢性のものと末梢性のものとがあると 考えられています。中枢性の発熱は、脳の中に体温調節中枢というものがあり、熱生成と熱放散を コントロールしていますが、この部の異常によって起こるとされています。末梢性の発熱は、筋肉の 運動等によって起こるとされています。一般的にいって、熱は危険信号であると言えます。極めて 重篤な病気の症状の一つであることが多いからです。高熱が出ると、それだけ体力が衰えますし、 かなり熱によってエネルギーを消耗するわけです。また、高熱にともなって脳症状や後遺症があらわれる こともあります。発熱にもいろいろな型があり、39度以上の高い熱がズッと続くのは稽留熱 (ケイリュウネツ‥持続熱)といいます。上がったり、下がったりするのは弛張熱です。弛張熱ほどには 上り下りの差がはげしくはないが、一度以上の差で体温の上下が波状にくりかえされる熱を波状熟 といいます。数日から週余の発熱期とそれに続く無熱期とがくりかえされるのを回帰熟といいます。

また、一日に数時間の発熱があり、その後、平熱またはそれ以下に下がるのが、毎日あるいは二日 ないし数日毎にくりかえされるのを間欠熱といいます。病気によってそれぞれ特徴的な熱型を示します。 ただ幼児の場合は、熱よりもぐったりしたり食欲がない時の方が心配なこともあります。 熱があっても元気である場合にはそれ程心配はいらないこともあります。急性伝染病の場合には発熱は 必発ですし、化膿菌の感染による敗血症、急性の腎孟炎、胆のう炎は通常高熱がでます。膿瘍でも発熱 することが多く、急性白血病でも熱がでることがあります。幼児では川崎病などのように原因不明の 熱性疾患もあります。また、老人の場合には肺炎になっても熱が出ないこともあり、 発熱が病気のめやすとならない場合もあります。

(二) 微熱 

ここで、緩慢な浄化作用でありながら、個人的にも社会的に多大な影響を及ぼしており、決して軽視 できない微熱というものについて採り上げてみましょう。『此微熱というものは、現代人にない人は恐らく あるまい。唯意識しているといないだけの相違であろう。処が此微熱なるものは、案外人体に対して大きな 影響を与えているもので、それを今かいてみよう。先ず頭痛、頭重は固より、精神集中力も乏しく、散漫 となり、記憶力が減退し、根気がなく、何かにつけて億劫がり、始終体が重懈(オモダル)く、兎もすれば 寝転びたがる。又食欲も薄く、好き嫌いが多く、水気のものを好み、飲料を欲しがり、性質も怒り易く、 気が塞ぎ世の中が面白くなくなるから、悲観的に物を考えたがる。ヒステリ−も之であって、凡てが消極的 で、晴天の日よりも雨天の日を好み、風邪を引き易く、鼻が詰ったり、耳鳴がしたり、扁桃腺炎が起り易い。 又急いで歩いたり、坂を上ったりすると息切れがし、足が重くなる。という訳でザッとかいただけでも此位 だから、仲々馬鹿にはならないものである』

このように精神的にも肉体的にもマイナス傾向が出てくるわけです。さらに、人生を歩む中で重要な人間 関係にも影響を与えます。『凡てがそんな訳だから友達付合もよくない。人々と円満にゆかず、家庭にあって は夫婦仲も悪く親子兄弟達ともしっくり合わず、いつも自分の言い条を通したがり、自分の行いに理屈を つけて気儘勝手な振舞をする。此場合自由主義などは最もいい口実である。そんな訳で家庭が面白くない から、どうしても忌わしい事が起り易い。近来家出娘や家出息子の多いのも、そんな為もあろう。酷いのに なると一家心中という破局的運命にまで陥るのも、右の原因もあるであろう』(「微熱というもの」より) さらに社会的な影響については次のように述べておられます。『そればかりではない。之を社会的にみた時、 多くの人は夫々自分勝手な理屈をつけたがるので調和も欠け、詰まらない事でも直きに議論となったり、 争わずに済むような事でも争いたがる。之等も余りに自分本位の為であろう。之等は政治方面に多い様 である。又団体内で一つの問題を討議する場合等、どうもヤッサモッサが多すぎ、一致点を見出すには仲々 時間が掛るのである。としても世人は其原因には気が付かないよりも、余り関心を持たないようである。

処がまだある。右のように何だ彼んだと五月蝿(ウルサ) い社会としたら、人々は気持のいい事より 悪い事の方が多いので、何かしらで紛らそうとする。そこで酒とくる。酒の売れ方が幾ら高くなっても 少しも変らないのは、其為でもあろう。それ以外苦悩から脱れようとして刺激の強い快楽を求めたがる。 若い者はキャバレー、ダンスホール、パチンコや又変な方面へ走ったりする。年輩者は年輩者で、少し 余裕のある人は、花柳界に慰安を求めようとする。此様に何も彼も不健全な娯楽が旺んであるのは 今日の世相である』 

『以上の如く凡ゆる悪の面の根本原因は全く微熱が最大原因としたら、微熱程恐ろしいものはないの である。では微熱の原因は何処にあるかというと、全く人間体内にある薬毒の為であって、それが各局 部に溜結しており、緩慢な浄化作用が起る為で、之を本当に治すとしたら、霊的光力以外絶対ないのである』

(三) 痛苦 

痛みについては以前触れましたように、浄化作用によって発熱し、固結毒素が溶解され、その液体化した ものが体外への出口を求めて進もうとする運動が神経を刺激することによって生じるものです。 『痛みの症状は、盲腸炎、急性腹膜炎、急性腎臓炎、胃及び腸の痙攣、頭痛、歯痛、中耳炎、リウマチ、 各種神経痛等実に多種多様である。(中略)又骨膜炎、骨髄炎、肋骨カリエス等骨に関する痛みの原因は 骨膜に凝結した毒素が浄化溶解によって表面へ滲出せんとし、骨そのものに無数の極微な穿孔をする、 その為の激痛である。歯根膜炎、中耳炎等もそうである。右の穿孔の窖(アナ)は病気治癒後速やかに 原形に復すのである』

『其他火傷、刀傷、打撲傷等もあるが、之等は病気と異り、自然治癒するのである。然し之等に対し、 消毒薬の塗布等を行う為に、容易に治癒し難くなる例は非常に多いのである。斯かる場合薬剤を廃し、 患部を清水に洗うだけで自然によく治癒するのである』 (「痛苦」より) 『右の如く、病気による痛苦には多種多様あるのであるが、その原因の殆んどが薬毒の為である。薬毒の 種類によって、痛みや症状が異うのである』

(新田博士のコメント) 痛みに関しては、浄化療法と現代医学との間に、多々、共通するところがあります。 浄化療法では「凝結毒素が溶解されて、液体となった毒素が袖経を刺激する」と説かれていますが、 この痛みを感じる神経,すなわち痛覚神経はもちろん筋肉にもありますが,皮膚や粘膜の末端にもあります。 そして、その神経が刺激を受けて、その刺激が脳に伝達され、実際には脳で痛みを感じることになる わけです。浄化療法では「痛みの原因は毒素である」としていますが、医学的に見た場合、痛みの 原因は毒素だけではなく,頭痛,胆石や尿石の痛み,腹痛,虫垂炎などの内臓の痛み,切り傷等があります。

これらの中には毒素が原因の場合もありますが、胆石や腎結石のように胆のうや腎孟の内庄が急に高ま るために生ずる痛みや,狭心症のように心臓への酸素や栄養の供給が悪くなつたために生ずる痛みもあり, 原因はいろいろです。私たちがときどき経験する切り傷の痛みなどは、医学的には、切った傷口に毒素が 出てくるから痛むというように考えられてはいません。切った為にそこの痛覚神経が刺激されて痛みとして 感じるわけで、直接毒素とは関係がないと考えられます。したがって、痛みの原因は毒素以外にもあるという 注釈を付け加えた方がより理解されやすいと思われます。しかし、そのような状況に立ち至った原因が毒素 にあるとすれば、痛みの原因は毒素である、あるいは毒素が関係しているといえるかもしれません。

(四) 痺み

これについては「頭脳の重要性」とも関連していますので、復習の意味でそちらの方も参考にして下さい。 『掻痺苦は痛みに比して侮り難い苦痛である事は誰も知る処である。原因は勿論薬毒、然毒及び食餌中毒 の三種であり、一般に知られているものとしては彼の疥癬及蕁麻疹である。此原因は主に前者は然毒後者 はカルシユウム注射、∃−ド剤等である。疥癬は種痘に因る陰化然毒の浄化作用であるから、天然痘が 急性なるに反し、之は慢性天然痘ともいうべきもので、短きは数ケ月長きは数ケ年に及ぶものさえある。 又蕁麻疹に対しよくカルシユウム注射を行うが、−時的効果はあるが、時を経て必ず増悪再発するので ある。(中略)蕁麻疹にも種類があり、普通は無数の微粒が皮膚面に表われるが、斑点、地図型等のもの もあり、最初は紅色を呈するが、治癒するに従い黒色に変ずるのである。勿論紅色時掻痒苦があり黒色 になるに従い掻痒苦は消滅する。之は疥癬も同様である。次に、或種の注射及びアンチピリン中毒、魚肉 中毒何れも蕁麻疹的症状を呈するが、之等は一時的で軽きは一二日重く共数日にして治癒するのである。 但しアンチピリン中毒のみは予後黒色の斑点を残しそれが数年に及ぶものさえある』

(霊的光力の個所)・・・かゆみの原因は、薬毒、然毒、食餌中毒の三種です。一般に知られているものとしては、 疥癬(カイセン)および蕁麻疹です。疥癬の場合、症状が、手、指、腕にあらわれた場合は、頭部、頸 および肩を施術します。脚にあらわれた場合は鼠蹊部、下腹部、腰、胃部または背部を施術します。 (新田博士のコメント)・・・かゆみは皮膚表面の有害な刺激でおこる不快感の一つで、痛覚袖経が感じとる とされていますが、どうしてかゆみが生ずるのかはまだわかっていません。医学的には疥癬は疥癬虫 という小さな虫が皮膚に寄生することによって生じます。蕁麻疹はアレルギーと考えられています。 アトビー性皮膚炎、虫さされによる皮膚の炎症、湿疹、痒疹、一種のカビによっておこる水虫、原因の 全くわからない皮膚掻痒症、薬物皮膚炎などいろいろな病的かゆみがあります。

(五) 不快感及び嘔吐

『玄に不快感といっても一様ではない。主なる症状を記せば吐気、痙攣、船車の酔、憂鬱感等であろう。 そうして最も多いのは吐気である。此原因は脳貧血に因る胃の反射作用と高熱、食物中毒、薬剤中毒、 溜飲、幽門狭窄、妊娠の場合等である。脳貧血が強度に発生する時必ず嘔吐を伴うものである。 此際額に掌を触るれば氷の如く冷え、膏汗(アブラアセ)を掻き、顔面蒼白を呈するので、脳貧血を確認 するのである。此際頸部及び延髄部を探れぱ必ず固結がある。その固結を溶解施術すれば速かに快癒 する。その訳は固結の圧迫が消へ、血液が頭脳に流通し得るようになるからである。又高熱による頭脳 浄化の場合、脳貧血と等しく胃の反射作用を起し、嘔吐の原因となる事もある。食物中毒は食物中の毒素 を体外に排泄すべき浄化作用であり、多くは下痢が伴うものである。薬剤中毒は、年月を経て一旦吸収 された薬剤が、胃内に還元する。其場合一種の毒素となり嘔吐するのであるから、斯かる場合服用せる 薬剤の臭いがする事がある。溜飲は胃内に流入せし胆汁が、胃弱の為嘔吐するのである。

幽門狭窄に因る嘔吐は、胃によって消化せる食餌が幽門狭窄の為下降し難いから逆流せんとする為めである。故に 斯かる場合、柔軟食又は流動食なれば狭窄せる幽門も通過し易いから嘔気は起こらないのである。悪阻は 胃の外部に滞留凝結せる毒素が子宮の膨脹によって外部へ排泄されんとする為であるから、此毒素を溶解 排除する事によって容易に治癒するのである。(中略)船車の酔は、胃の外部に毒結あり、それが動揺に よって少しつつ溶解、胃内に浸透する為である。憂鬱感は霊的の場合、又は胃の不活発、黄疸、脳貧血 又は肩及び背部の凝り等である』 

(霊的光力の個所)・・・脳貧血の場合は、頭部および延髄部に固結があり、それによって吐き気が起こるため、 頭部および延髄部を中心に,背部,胃部を施術します。薬剤中毒をはじめ,その他の吐き気については, 右記のそれぞれの原因部、さらに背部より胃部を霊的光力します。
(新田博士のコメント)・・・浄化療法では、吐き気について「原因としては脳貧血による胃の反射作用 と、高熱、食物中毒及び薬毒中毒、溜飲、幽門狭窄等である」としていますが、医学的には、その他にも 急性胃拡張や食べ過ぎ等々があります。医学的には、嘔吐には中枢性のものと末梢性のものとが あります。中枢性の場合は、脳の中にある嘔吐中枢の刺激によって、吐き気や嘔吐が起こるとされて います。いろいろなケースがありますが、たとえば、熱性疾患の時に毒物が出て、それによって中枢が 刺激されて、吐き気が起こることがあります。また、熱性疾患以外にも、内部に発生した毒による中毒の 場合や、外から入る薬毒中毒によって中枢が刺激されて、嘔吐や吐き気が起こることもあります。末梢性 の場合は、たとえば胃炎や胃潰瘍のように、食べたものが胃の粘膜を直接刺激し、嘔吐や吐き気を 起こす場合もあります。幽門狭窄による嘔吐は浄化療法の通りで、これもほとんど末梢性です。

(六) 下痢

『下痢は最も多い症状で、先ず急性と慢性とに区別される。急性は飲食物に因る中毒即ち食あたりである』 (「下痢」より)  『食あたりの下痢の際、薬剤等によって止めるか又は反対にヒマシ油等によって排泄 を促進させようとするが、之は不可であって、自然に排泄させる方が成績は良いのである』

『世間よく寝冷えによって起るというが、之は誤りで冷えに因る下痢は極稀である。(中略)食あたリ以外 突如として猛烈に発生する下痢症がある。一日十数回乃至数十回に及ぶものさえある。勿論水便である が、血液の混入する事もあり、甚だしきは腐肉とも見ゆるものが下る場合がある。之等は膿及び毒血の 固結の猛烈な浄化作用による為である。勿論肉や臓器の一片と雖も排出さるべき訳はない。其様な 下痢症は青少年に多く老人は稀である。(中略)慢性下痢は数カ月或は数カ年に及ぶものさえある。(中略) 之は既説の如く化膿性腹膜の浄化作用であって、原因は腎臓萎縮による尿毒が常に腹膜に溜結する為 である』

(霊的光力の個所)・・・急性下痢は、食あたり以外に、主に頭脳(後頭部)にある毒素が浄化されて起こります。
霊的光力は、頭脳および背面腎臓部をします。慢性下痢は、原因は腎臓萎縮による尿毒が常に腹膜に たまり、それが下痢となって出るためである。霊的光力は、背面腎臓部および腹膜部を行います。

(新田博士のコメント)・・・浄化療法では「食あたりの際、薬剤等によって止めようとするが、これは 不可であって、自然に排泄させるのが良い」と説かれていますが、現代医学も同じ見解です。食あたりや 食中毒というものは、そこに毒物が発生し、その毒物が腸を刺激して下痢を起こすわけです。それはその 毒物を自然に排除しようとする良能なのです。ですから食中毒が原因で起こる下痢は薬で止めずに、 逆に下剤で出したり、あるいは浣腸などをする方がいいわけです。現在では、抗生物質で下痢の原因 となる菌を殺して、下痢を止めようとしていますが、それは本来のありかたではないと思います。しかし、 コレラ、チフス、バラチフス、赤痢などで症状がはげしく、予後がわるいような場合には抗生物質の使用 もやむをえないでしょう。それから、「食あたり以外突如として猛烈に発生する下痢症がある。

一日十数回乃至数十回に及ぶものさえある」とありますが、これの典型的なものはコレラです。コレラは お米のとぎ汁のような白い下痢を何十回もすることがあります。昇汞(ショウコウ)中毒でもコレラ様の 症状を呈します。また、その他にアレルギー性の下痢もあります。後頭部の毒素が排除されて下痢に なるとか、尿毒が腹膜にたまり、それが下痢になるというようなことは現代医学では説明がつきません。 ただ、腹膜炎の時に、腹膜の刺激症状として下痢がくることはあります。

(七) 浮腫及び寝汗 

『浮腫は其原因に二種ある。普通は腎臓萎縮又は膀胱の支障であって、腎臓萎縮は一般的浮腫の原因 である。重症は全身的、軽症は局部的で、例えば左右孰(イズ)れかの半身又は下半身というような事 もある。然し乍ら局部的と雖も顔面又は片腕、脚等の場合は萎縮腎でなくその浮腫部にあった個結毒素の 浄化溶解の為である。茲に注意すべき事は種々の病気が重症に進む場合、脚の甲に浮腫発生する事が ある。之は死の信号ともいうべく、先ず回復困難と見るべきである。又脚気の浮腫は膝下に限るとみていい』

『又、浮腫が左右孰れかに特に多い場合がある。それは、浮腫の多い部の腎臓 が萎縮しているのである。そうして浮腫の殆んどは、腎臓萎縮が原因であるが、稀には膀胱が原因である事 もある。それは輸尿管末又は膀胱から尿が尿道へ通下の口許に粒状膿結が閊える場合、尿の通流に 支障を来し、浮腫の原因となる事がある』 

『次に医家も世人も全然気付かない浮腫がある。之は女学生に最も多い症状で、頗る肥満し、俗に固肥り という訳で一見非常に健康そうに見えるが、健康でない証拠は常に疲労し易く、動悸、息切れ、身体 重量感等種々の支障が起り易いのである。此原因としては、萎縮腎に因る餘剰尿が全身的に少量づつ 溜積しそれが長時日に渉り固結するので、勿論本人は気付かないのである。故に少量の食餌を摂るに 拘わらず肥満する人があるが、それは右の如き人である。又膀胱と尿道との境に結石、又は膿結が閊え その為尿の流下が妨害され、浮腫の原因となる事もある。(中略)よく頭脳、顔面、膝下等何かの衝動 によって発汗する人があるが之は其部に尿毒があり、その浄化としての発汗である。そうして健康者は 常に全身的に発汗し易いのが普通で、健康そうに見えても、局部的発汗又はあまり発汗のない人は、 何れかに故障があるとみるべきである』

『盗汗は、医学の解釈では、衰弱の為としてあるが、之も全然反対である。即ち、浄化作用旺盛の結果 であるから、盗汗のない患者も、治療するに於て盗汗がおこり、それから回復に向うに鑑ても、浄化作用 である事は事実である』

(霊的光力の個所)・・・むくみは、主に腎臓萎縮のために起こりがちです。むくみが全身におよんでいる場合 は、腎臓の背面を中心に施術し、局部的な場合にはその個所を施術します。寝汗は、熱によって毒素が 溶解、液体化され、毛細管から滲出するものです。また、局部的に汗をかく人もいますが、こういう人は 大抵右か左かの一方的で、その側の腎臓が萎縮しているためです。その場合、腎臓部を中心に患部を 霊的光力します。

(新田博士のコメント)・・・浄化療法では「むくみの原因は二種ある。それは腎臓及び膀胱の支障 である」とありますが、たしかに腎臓機能の支障はその原因の一つとなります。医学的に見た場合、 全身におこるむくみの原因としては、主に五種類あります。第一は、腎臓疾患の場合で、これは 浄化療法の説明にある通りです。第二は、心臓疾患の場合です。心臓が原因でおこる場合には、 水力学的に低いところにむくみがあります。すなわち立ち通しでいる時は、下半身、足の方に、寝ている 時は、背中の方にむくみが出ます。第三は、電解質(ミネラル等)の代謝異常の場合です。ミネラル等 の代謝異常が体の中で起こりますと、やはりむくみが起こります。また、ミネラル以外にも、たんばく質 の異常、低たんばく血症になりますと、水分を保っていられなくなり、むくみがでてきます。その例として は、最近はほとんど見られなくなりましたが、栄養失調のような栄養障害があります。末期がんに みられる悪液質に伴うむくみも低たんばく血症が主原因ですが、そのほかの要素もあって複雑です。

第四は、血管や淋巴管の閉塞による場合で、比較的大きな静脈の血栓や栓塞とか、肝硬変による門脈 の圧迫や閉塞とか、がんによる淋巴管の閉塞などによっておこります。また、血管神経性に血管が 長時間収縮しておこることもあります。第五は、中毒による場合で、例えば、妊娠浮腫や、 副腎皮質ホルモンの副作用がありますが、原因は複雑です。局所的のむくみは局所の循環障害に よって起ることがほとんどです。末梢の静脈の閉塞性静脈炎とか、淋巴管の閉塞とか、炎症部位及び その周辺などに生じたり、アレルギ−性や局所的の血管神経性におこることもあります。 寝汗については、衰弱も一つの原因となりますが、多くの場合、寝汗は新陳代謝旺盛のためで、 たとえば外気の温度が高い時や、子供がよく遊んだ後に、寝汗をかきます。


(八) 眩畢及び不眠

『眩暈には二つの原因がある。一つは、右側後頸部延髄付近に毒素の溜結があってそれが眼球へ送流 する血管を圧迫するのである。即ち眼が物体を視るという事は、視神経の活動であるが、その活動の エネルギーは、絶間なく送流する血液があるからである。然るにその送血管が、毒素固結の為圧迫される 場合送血量が減少するので、その血量減少の刹那視神経が弱り、視力が薄れるという訳である。右の毒素 の固結は、第一浄化作用によって固結が強化されるのであるが、その作用が不定的であるため、その都度 視力が弱り、又、強まるというように、刹那的問歇的である為それが眩暈の症状となるので、此原因が最も 多いのである。今一つは、前額部から眼球附近に滞溜する毒素の浄化作用として、常に微熱が発生する のである。その微熱が視力を動揺させる。(中略)次に、不眠症であるが、此原因も簡単明瞭である。 之は、眩暈の原因と殆んど同一であって、眩暈の固結は問歇的であるが、之は、そういう事がなく、定状的 に血管を圧迫し、脳貧血を起すのであって、此原因による脳貧血は神経過敏症になり、それからそれへと、 物を考えがちになるのである』

※ 『其他脳の前部及中心部にある毒血浄化の場合もある』

(霊的光力の個所)・・・めまいは、主に右側延髄と頸部淋巴腺にある毒素の固まり、さらに前額部を施術します。 不眠症は、めまいと同様に、右側延髄と脳の前部および中心部を霊的光力します。
(新田博士のコメント)・・・浄化療法では、「めまいの原因は右側延髄部付近に溜結した毒素である」 と説いていますが、医学的には、めまいには中枢性のものと末梢性のものがあるとされています。中枢性 のめまいは、大脳や脳幹、小脳の障害によっておこりますが、その原因としては血管障害、炎症、腫瘍、 変性などによるものや、中毒によるもの、脳貧血による立ちくらみ等があります。また末梢性のめまいは 耳の奥にある三半規管(平衡感覚をつかさどるもの)に異常がある場合に起こります。その例としては、 内耳炎やストレプトマイシンの中毒等があります。そのほか、いろいろの疾患に付随してめまいがおこり ます。不眠症について浄化療法では、「この原因も簡単明瞭である。これは、眩暈の原因と ほとんど同一であって、眩暈の固結は問歇的であるが、これは、そういうことがなく、定状的に血管を圧迫 し、脳貧血を起こすのであって」とありますが、そういう事実も確かにあると思いますが、医学では、多くの 場合,不眠症は精神的な原因が多く,特に敏感な人,神経質な人が不眠症になりがちであるとしています。

(九)  憂鬱症及び麻痺と痙攣

『憂鬱感には、種々の原因と種々の症状があるが、最も多いのは頸部及び肩の凝りに困る事である。 之は、其項目にある如く、凝りの圧迫によって脳への送血が減少し、脳貧血になる為である』

『殊に面白いのは嬰幼児の場合である。之は常に機嫌悪く憤(ムズ) かるが、医学では全然判らない。よく虫気の為などといい虫下しや禁厭などを行うが、之等は迷信に すぎないのである。大部分は肩の凝りからである。嬰児のくせに肩が凝るとは不思議 に思うが事実である。何となれば肩の凝りを解消するや、忽ち機嫌が治り普通状態になるからである。 其他頭脳の一部又は全部に浄化熱がある事もある。(中略)麻痺は種々あるが、最も多いのは脚気である。 (中略)其他の麻痺としては手指、及び足指、足の甲が多いが、之は主に注射の薬毒である』

『手術後疵が治癒してから、其付近に麻痺のある事がある。(中略) 痙攣には二種の原因がある。一は、最も急激な浄化作用であって、それは急性高熱の場合で特に脳疾患 に多いのである。又、胃痙攣、腸痙攣等も急激の浄化作用である。そうして、幼児の痙攣の場合、その苦悩 の強烈なる為、危険をさえ感ずるのであるが、痙攣が致命傷となる場合は殆んど無いといってもいいので、 大抵は時間を経れば回復するものである』

(霊的光力の個所)・・・ゆううつ感は、頸部および肩、とくに腎臓部を霊的光力します。まひは、腕、手指の場合は 腕のつけ根および患部を霊的光力します。脚の場合は鼠蹊部、腿と患部を霊的光力します。 手足のけいれんは頭部、肩および患部を霊的光力します。手足がわるい場合でも原因は肩にあることが 多く、霊的光力して肩のかたまりが溶ければ手足のけいれんも楽になります。

(新田博士のコメント)・・・浄化療法では、「憂鬱感には、種々の原因と種々の症状があるが、最も 多いのは頸部及び肩の凝りによることである。これは、その項目にあるごとく、凝りの圧迫によって脳へ の送血が減少し、脳貧血になるためである」とありますが、医学的に見た場合、憂鬱感は、必ずしも 悪い症状とばかりはいえません。といいますのも、ある程度の憂鬱感は正常な精神反応であるから なのです。憂鬱にならなければならない原因があって、憂鬱に感じるのは当然であり、その時憂鬱に ならないのはかえって異常なわけです。精神病の憂鬱は鬱病といいますが、異常にはしゃぐのと 鬱とをくりかえす精神病を躁鬱病といいます。この場合に、一番程度の軽いのは循環気質、それより すこし重くなると循環病質、さらにひどくなると躁鬱病という精神病となるわけです。

原因はわかっていません。また、浄化療法では、「まひの中で一番多いのは脚気である」 とされていますが、現在では  脚気はほとんど見られなくなりました。(但し、インスタント食品の普及によって最近は再び見られる ようになってきています)。医学的に見て、まひの原因には、脳出血、脳梗塞、伝染性小児まひ(ポリオ)、 炎症、神経系の変性、薬物中毒、腫瘍による神経の圧迫、心囚性まひ(ヒステリ−等があります。

(十)咳嗽及び逆上 (ノボセ) と耳鳴

『咳嗽発生の原因は実に身体凡ゆる局部からである』
『強い咳嗽と弱い咳嗽の原因を述べてみるが、強い咳嗽とは、喀痰の濃度であるのと、喀痰の多量である 為、吸引に力を要するからである。それに反して軽い咳嗽は、喀痰の稀薄と少量なるためである。(中略) そうして、咳嗽の原因である喀痰は、意外な局所から出る事がある。それは脚部又は頭脳及び顔面で あって、之等は医学では想像もつかないであろうが、治療の際、右の部の毒素溶解法を行うや、 間髪を容れず咳嗽が出るにみても、疑いの余地はないのである』

「人体内の生理作用は、不要物を排除する場合、筋肉も臓器も難なく一瞬にして透過する(中略)」と』 (「咳嗽及び逆上と耳鳴」より)『逆上とは如何なる原因であるか、之も世人が考えるような、血液が 逆上するのではないので、顔面部に溜結する毒素の浄化作用としての、其部の発熱である。勿論、紅潮を 呈するのは熱の為であって、右の毒素を溶解するに於て、治癒するのである』

『之(耳鳴)も多い症状であるが、医学ではどうする事も出来ない。併し別段命に関わる程の病気ではない から、大抵放って置くが割合辛いものである。此原因もヤハリ延髄部の固結で、之が不断の微弱な浄化 によって、溶ける其音が耳に響くのであるから、之も其部の固結を溶解すれば液体となって、毒素は嚏 によるか又は自然に鼻汁となって出て快くなるのである。稀には耳下腺附近に固結が出来、 其浄化の為もある』
(霊的光力の個所)・・・せきは、痰を出すためのポンプ作用です。頭脳、顔面、手足の指、股間等にある毒素が 溶解してせきが起こることもあります。その中でも特に頸部淋巴腺にある毒素が溶解してせきが起こる ケースがもっとも多く、施術は上記の原因部、特に頸部淋巴腺、そして肩を行います。 のぼせの場合は、頸部淋巴腺部および顔面、前額部を霊的光力します。 耳鳴の場合は、耳下腺および内耳近接部、さらに延髄部の毒素が溜まっている個所を霊的光力します。

(新田博士のコメント)・・・現代医学から見た場合、せきは気道内にある異物、すなわち痰の排除作用である とされています。浄化療法では、「咳嗽の原因である喀痰は、意外な局所から出ることがある。 それは脚部または頭脳及び顔面であって、これらは医学では想像もつかないであろう」とありますが、 この点は医学では説明がつきません。頭や足が原因でせきがでるということは現在の医学では 説明不可能なところです。耳鳴りは耳鼻科でも一番困っている問題です。浄化療法でも 「耳鳴りは、今の医学ではどうすることもできない」と述べていますが、まさにその通りです。 耳鳴りの原因は医学では不明のことが多く、治すのは難問とされていますが、一応、中枢性のものと、 末梢性のものとがあるとされています。中枢性の耳鳴りは脳に原因があるとされ、末梢性の耳鳴りは耳 の中耳や外耳、鼓膜に原因があるとされています。

(十一)  冷えと便秘

『冷えの原因は局部的発熱に因る悪寒又は局部的毒結による血液不循環の為である。多くは腰、下腹部、 脚部、足の甲及び指先等で、特に婦人に多いが、之等は毒結を解除すれば下熱及血液が循環するから 簡単に治癒するのである』

『便秘症は非常に多く、何年も何十年も苦しむのであるが、此原因は、腹膜即ち臍の周囲から下腹部へ かけて毒素溜結があり、それが糞便の通路である直腸を圧迫するのでその為、通路が狭小となり、硬便は 閊(ツカ)えて通り難くなるのである。

『そうして便秘症の人は常に下剤を服用して辛くも目的を達するが、此方法は非常に不可である。 何となれば之が習慣となり、便秘は漸次悪化し、下剤服用によらざれば排便が困難となるからである。 (中略)而も下剤の薬毒が蓄積し、種々の病原となるのである。元来人体は上から食物を入れ下から便が 出るのは自然であって造物主は其様に造られたのである。故に如何なる人間と雖も食餌を入れる以上、 糞便は排泄するに決っている。ただ人により一日一回もあれば、二日に一回の人もあり、一週問に一回 の人もある。それでいいのである』

(霊的光力の個所)・・・冷えの場合、腰は腎臓部。下腹部は腎臓部および下腹。脚は腎臓部、鼠蹊腺部、腿部。 足の甲は患部、足首、足の裏。指先は手首の辺りを霊的光力します。 便秘は、臍の周囲から下腹部を施術します。

(新田博士のコメント)・・・医学による便秘の原因は、腸のぜんどう運動が鈍くなるためです。大腸で水分が 吸収されすぎてしまう結果、硬便となり、便秘が起こりがちになります。その意味で、便秘を防ぐには、 最近話題になっていますが、植物繊維を充分にとることが大切です。植物繊維は消化吸収されにくく、 腸を刺激して、ぜんどう運動をたかめ、便通をつけやすくします。植物繊維のほかに、 小麦や米の胚芽とか、寒天も便通をつけやすくします。

第一章 脳疾患と腎臓の働きについて

〔脳疾患と腎臓の働き〕

○腎臓は体内機能中、心臓、肺臓、胃の腑の三大機能に次いでの重要な役目をしている。 〇一旦腎臓へ集溜されたる液中から、貴重なるホルモンを抽出すると共に、廃物液体である尿は膀胱へ 送られるのである。処が厄介な事には、腎臓が完全に活動されるとしたら右の通りであるが、 実際上幼児から少年、青年、壮年と年を重ねるに従って、漸次働きが鈍るのが通例で、 其原因は腎臓が萎縞するからである。
○では何故萎縮するかというと、腎臓が前述の如く、必要なものと不必要なものとが分けられる場合、右の 二者以外の異物が混る場合がある。此異物こそ言う迄もなく薬毒であって、之がどう処理されるかと いうと、ホルモンにも尿にもならないので、腎臓の表皮を滲透して、 背部腎臓面に浸出し僅かづつ溜るのである。

○それが固結し腎臓を圧迫するから、腎臓は漸次萎縮し、ホルモン産出は減少する (不感症は此原因が多い)と共に尿の処理も鈍化し、其幾分は之も外部へ浸出するから、 薬毒に追加され、両毒合併して毒結は愈々増大する以上、脊柱の両側に溜り上向延長しつつ、 遂に肩や頸の辺迄及ぶのである。
○そうして毒素は遂に頭脳内に迄進入するので、其結果浄化が起る。それが頭重、頭痛は勿論、 脳膜炎、日本脳炎、脳脊髄膜炎、脳溢血等、凡べての脳疾患である。

一 頭痛

○頭痛には、全体的頭痛と偏頭痛と、前頭部頭痛と後頭部頭痛とがあります。
○原因は、毒血に因る場合と脳貧血に困る場合と二通りありますから、毒血の方から先にお話致します。
○此の症状は、世間非常に多いもので、時々痛む人と慢性的に休みなく痛む人とあります。
○原因としては、毒血が上昇して前額部から前頭部両顳髪(コメカミ)等に滞溜し、それの浄化作用が 痛みとなるのであります。それは毒血のある證拠であります。それが霊的光力によって冷たくなるので、 冷たくなった丈は痛みは除れたのであります。

○次に、脳貧血に因る頭痛は、右とは反対であって、頭脳に血液が欠乏して痛むのであります。
○これは頸腺付近に水腰溜結し、頭脳への血液送流を妨げられるからであります。
○慢性頭痛であるが、之は何が原因かというと、最初、感冒其他による発熱時に、 頭痛に対し氷冷法を行うが、之が主なる原因である。
○それは、発熱時には大抵頭痛がある。それは頭脳の毒結が浄化作用によって溶解し、流動を起こす その為の痛みであるが、それを氷冷すると溶解が停止し、再び凝結する為、その再凝結に対して、 緩慢な浄化作用が常に起こる。それが慢性頭痛である。
○故に、斯ういう人の頭には必ず微熱がある。そうして、全頭部もあるが、前頭部又は後頭部又は 一局部の場合もある。
〔霊的光力個所〕・・・脳天、後頭部、延髄、耳下腺、頸部淋巴腺、肩、腎臓 

二 眩暈 (メマイ)

○眩暈には二つの原因がある。一つは、右側後頸部延髄付近に毒素の溜結があってそれが眼球へ 送流する血管を圧迫するのである。
○即ち眼が物体を視るという事は、視神経の活動であるが、その活動のエネルギーは、絶間なく送流 する血液があるからである。然るにその送血管が、毒素固結の為圧迫される場合送血量が滅少する ので、その血量滅少の刹那視神経が弱り、視力が薄れるという訳である。
○右の毒素の固結は、第一浄化作用によって固結が強化されるのであるが、その作用が不定的である ため、その都度視力が弱り、又強まるというように、刹那的問歇的である為それが眩暈の症状 となるので、此原因が最も多いのである。
○今一つは、前額部から眼球附近に滞溜する毒素の浄化作用として、常に微熱が発生するのである。 その微熱が視力を動揺させる。
〔霊的光力箇所〕・・・右側延髄、頸部淋巴晩、前額部、脳の中心部、肩、腎臓

三 脳膜炎

○前頭部に固結した毒素の、急激強烈な浄化である。高熱と共に、前頭部の激痛と目が開けられないのが 特異性で、之は眩しいのと眩暈との為である。
〔施術箇所〕・・・脳天、前頭部、後頭部、延髄、頸部、肩、腎臓

四 脳溢血 (脳出血)

○原因は、頸髄から延髄へかけての両側に「毒血」が溜結するんであります。之が、 毒血の沢山ある人が、頭脳を多く使うのが原因であります。
○近代人は肉食を多くする為毒血が殖える。そこへ頭脳を多く使うからそれへ向かって 神経が集注し、それが為毒血が溜結する。
○毒素溜結は左右孰れかであるから、病気症状も必ず右か左か一方なのであります。
○右が溢出すると左の半身が不随になり、左ですと右半身が不随となります。
○最初激烈な偏頭痛があります。そうして発熱と嘔吐があります。そういう症状は、脳溢血の除幕 と見ねばなりません。嘔吐が頻繁である程、脳は余計に冒されているのであります。
○食欲皆無となり、ヌラヌラした唾液を吐きます。
○人事不省となり、早くて一、二晩、長いのは二週間位意識不明であります。
○脳溢血になると同時に左右孰れか一方の手足はブラブラになります。
○脳溢血の徴候は、血圧が高く首筋や肩の凝り、手の先が疲れたり、手が痛かったり、耳鳴り、 偏頭痛、眩暈等であります。
〔霊的光力箇所〕・・・脳溢血の起こりたて 延髄(凝りりのある部分)、前頭部   ※麻痺のある方の肩は重要
その他−頸髄(麻痺のある反対側の凝りのある部分)、小脳部、患部
腕の動かない場合−肩、淋巴腺(腕の附根)  脚の動かない場合−肩、腎臓、臀部、鼠蹊部

五 中風

○中風は、勿論脳溢血からである。
○先ず脳溢血から書いてみるが、脳溢血の原因は頸の固結であって、特に左右何れかの延髄部に長年月 を経て毒血が固まるのである。従って脳溢血の素質を知るのは雑作もない。右の部には固結がある。 それは右か左かどちらかが、必ず大きく隆起しており、自分で押すと軽い痛みがある。
○処がそこに一度浄化作用が発るや、固結は溶解され、血管を破って頭脳内に溢血するのである。 溢血するや忽ち脳を通過して、反対側の方へ流下し、手及び足の先にまで下降し、 速やかに固まって了い、半身不随即ち手も足もブラブラとなって了うのである。
○重いのは腕も手も引っ張られるようになり、内側へ肱は曲がり、指迄曲ったままで容易に動かなくなる。 そうして拇指が一番強く曲り、四本の指で拇指を押さえる形になる。

○処が面白い事には、足の方は反対に曲らないで、伸びたまま足首などダラリとなって了う。それだけなら いいが、重症になると舌が吊って、呂律(ロレツ)が廻らなくなり、頭もボンヤリとなり、目までドロンとして、 悪い方の側の眼力は弱化し、見えなくなる者さえあるというのが主なる症状である。
○中風といっても、斯ういう別な症状もあるから知っておくべきである。それは左右何れかの頸部淋巴腺 に固結がある場合、之が浄化によって溶解するや、頭脳の方とは反対に其側の下方へ流下し、中風と 同様の症状となるのであるが、之は脳には関係ない。この症状を吾々の方では逆中風と言っている。
〔霊的光力箇所〕・・・中風−脳天、後頭部、延髄、頸の横側(麻痺のある反対側)、肩、腎臓、 患部(痛む所、圧して固まりのある所)
逆中風−耳の後下方の首筋、肩、腕の附根、腎臓、患部(熱や痛みのある所)

六 脳貧血

○之は脳溢血と反対であって、脳溢血は毒血が頭脳に入り、脳の血液が増えるに反し、之は脳の血液が 滅少の為発る病気である。では何故減少するかというと、人体は絶えず頭脳に向かって、送血されて いるので、之が一定量なら何事もないが、其量が減ると頭脳機能の活動が鈍る。それが脳貧血である。
○右の如く量が減るということは、頭脳へ送血する血管が、頸の周りにある毒結の圧迫によるからで、 此固結を溶解しなければ治らないのは勿論である。

○脳貧血の症状は頭痛、頭重、圧迫感、眩暈等で、嘔吐感を伴う場合もあり、本当に嘔吐する事もある。 中には汽車、電車、自動車の書を聴いただけでも、眩暈や嘔吐感を催す者もある。然し之は医学でも いう如く、割に軽い病気で心配はないが、其割に苦痛が酷いものであるから、 初めの内は相当神経を悩ますものである。
○又発病するや枕無しで仰臥すると、頭へ血が流れるから多少の効果はある。今日最も多い とされている神経衰弱も、脳貧血が原因である事は言う迄もない。
〔霊的光力箇所〕・・・首の周囲、咽喉、延髄(特に熱のある所)、肩

第 二 章  眼 鼻 口 などの病について
【眼 病】

○元来人間は上部即ち頭部、頸部、肩部附近に滞溜する毒素は主に後部でありますが、絶えず鼻耳口 等から排泄されようとしている。それは後方には穴がないから、孔のある前の方へ流動するのであります。
○それの表れとして、眼を使う時は眼へ毒素が集溜され眼病になるのでありますが、実は其際の眼は、 毒素排泄の役目を遂行せんと一時自分の家へ集溜さした様なものでありますから、時日の経過によって 目脂等で排泄され浄化されるのであります。

一 近視

○萎縮腎の為、頭部に向って進行する毒素は、延髄附近にも固結するので、眼球に送血する血管が圧迫 され、眼は貧血を発す事になる。つまり眼の栄養不足で、其為視力が弱り、遠方迄見得る力が足りない。 之が近視眼の原因である。
〔霊的光力箇所〕・・・後頭部、延髄附近、肩、肩肝骨と脊柱の間、腎臓 

ニ 遠視

○老齢等の為、眼自体の衰弱である。
〔霊的光力箇所〕・・・頭部、肩、腎臓

三 乱視

○乱視も(近視と)同様の原因であるが、只乱視の方は、浄化の為人により固結状態が絶えず動揺し、 血管を不規則に圧迫する為、視力も動揺するからである。
○乱視は、光線と物体映写の刺激に眼の方が負けるのであります。よく乱視の人は日向を見るとまぶしがる のは、光線の刺激に堪える力が乏しいからであります。斜視などはやはり此類であります。
〔霊的光力箇所〕・・・後頭部、延髄、肩、肩胛骨と脊柱の間、腎臓

四 底翳(ソコヒ)

○底翳には白底翳(白内障)、青底翳(緑内障)、黒底翳(黒内障)があって、黒底翳が最も悪性とされて いる。即ち白底翳は白色の膿であり、青底翳は青色の膿で、黒底翳は毒血である。
○白底翳が一番治りいいというのは、白い膿が一番弱性だからで、青いのはそれより悪性なもので、 毒血は之以上の悪性であるからであります。
○眼底に毒素が溜結し、視神経を遮断するから見えないのである。
○眼に就て知っておかねばならぬ事がある。それは眼球充血の場合紅色を呈するが、之は血液ではなく 膿であって、眼に限り白色の膿が眼球に集溜する場合紅色を呈するが、膿排泄に従い紅色は消滅する のである。
〔霊的光力箇所〕・・・後頭部、延髄部から頸部淋巴腺、前頭部から眼部(上眼部は重要)、眼球、肩、腎臓
 ※上眼部に熱が出ると良い、涙や目脂が出れば少しずつ良くなっていく

五 トラコーマ

○眼病で一番軽いのはトラコーマであります。之は瞼の裏ヘブツブツが出来る。之は主に上瞼に多く 下瞼はすくないのであります。
○それによく似たので、濾胞性結膜炎というのがある。之はトラコーマの反対で下瞼に多く粒も細い。
○上瞼を一寸上へ上げただけで真赤になっているから判ります。
○悪化して来ると眼がゴロゴロします。もっと酷くなると、強い痛みで夜も眠られない程になります。そうして 眼の水晶体を擦(コス)るので磨硝子の如になり、段々見えなくなるのであります。
○原因は、涙に毒素があって粘膜を刺激し、一種の発疹をするのであります。頭脳の毒素が眼瞼の裏の 粘膜から排泄されようとし、発疹となって排膿される。
〔霊的光力箇所〕・・・眼部及びその周辺、後頭部、延髄、後頸部、肩、腎臓

六 結膜炎

○眼瞼緑炎または血眼などと称し、眼球が非常に紅潮を呈し、目脂、涙等が溢れ出るのであって、原因は 前頭部に滞溜する毒素が浄化作用によって、眼球部から排除されようとするのである。
〔霊的光力箇所〕・・・後頭部、延髄附近、前額部(眉毛の辺)、肩、腎臓

【鼻病】

○鼻の悪い人は後頭部から一帯にずっと下まで毒の固まりがあります。丁度鼻の裏になるわけです。 だからそこを霊的光力すればいいのです。

一 蓄膿症

○鼻の孔が塞がる症状で、之には根源が二種あります。それは、鼻柱の両脇の場合と、眉間から両眼 の間に膿が常に溜っては鼻孔から出ようとする。然るに膿が濃い為に出切れず、途中で固まるので あります。
○普通左右交互に塞がるもので、霊的光力をすると直に通るようになります。鼻柱の両側を圧して痛いのと、 又眉間の中央が重いのは、其処に水膿溜結があるからで、眉間の方は治癒の際、鼻血が出ることが あります。
〔霊的光力箇所〕・・・鼻柱の両側、眉間の中央及び延髄部、鼻の裏、後頭部、肩、腎臓

二 肥厚性鼻炎

○鼻汁に含まれている毒素の為で、それによって鼻孔の粘膜が荒れる。それがオデキになり、痛み熱を 持つので、常に鼻孔が乾くのであります。之も鼻を中心にその附近をやれば毒素が解消するので あります。
〔霊的光力箇所〕・・・延髄附近及び前額部、鼻柱の両側、後頭部、肩、腎臓

三 鼻茸(ハナタケ)

○それが丁度、茸の如ですから名付けたものと思います。浄化すれば段々畏縮し崩壊するのであります。
○膿の固結したものではないかと思う。
〔霊的光力箇所〕・・・延髄部(右)、前頭部、前額部、鼻、肩、腎臓

四 鼾(イビキ)

○咽喉と鼻の間から−鼻の奥にまだ固まりがあるんです。そして、アデノイド−咽喉と鼻の問、そこが 腫れて、口の方に洩れていく訳ですね。それが咽喉の声帯に息がいって、それが鼾になる。鼾と言う のは咽喉と鼻の間ですね。だから、そこを目掛けて霊的光力すれば治ってしまう。

五 無嗅覚

○無嗅覚の原因は、鼻の先端に毒素溜結し、それが嗅覚神経への刺激を遮断する為と後頭部下辺の 凹処に毒素溜結の場合とある。そうして後者に於いては麻酔剤使用の結果又は瓦斯(ガス)中毒等に よって鼻孔から吸収したその毒素が、右の局所に溜結する為による事も稀にはある。

【耳病】

○耳の病気は延髄が多いですよ。耳だから、耳筋が原因だろうと思うが、そうでなく延髄です。
一 中耳炎

○此病は、淋巴腺耳下腺附近に滞溜した水膿が、浄化作用に由って耳から排泄されようとする痛みの為 であります。故に痛みは膿の排除の為の穿孔作用であり、熱は其膿の溶解作用であります。
○それから中耳炎が発病して膿が盛んに中耳へ向かって流動している時氷冷をすると、膿は中耳へ進め なくなり、方向転換して小脳へ浸入する。之が脳膜炎であります。ですから中耳炎をやってる内に脳膜炎 を起すのは、全く前述の訳であります。
〔霊的光力箇所〕・・・頸部淋巴腺、耳下腺附近、肩、腎臓

二 耳鳴り

○之も多い症状であるが、医学ではどうする事も出来ない。
○併し別段命に関わる程の病気ではないから、大抵放って置くが、割合辛いものである。
○此原因もヤハリ延髄部の固結で、之が不断の微弱な浄化によって、溶ける其音が耳に響くのである から、之も其部の固結を溶解すれば液体となって、毒素は嚏によるか又は自然に鼻汁となって出て快く なるのである。稀には耳下腺附近に固結が出来、其浄化の為もある。
〔霊的光力箇所〕・・・耳下腺、内耳近接部、延髄部、こめかみ、肩、腎臓

三 耳垂れ

○耳垂れは、浄化作用による淋巴腺部の毒素が、耳下腺を通じて排泄せらるるのであるから、放任して おけば自然に出るだけ出て、必ず全治するものである。然るに医療は、薬液にて洗浄するが、実に 誤れるも甚だしいので排除されるべき毒液が外耳に滞留した場合、それは洗浄してもしなくても同じ事で ある。丁度歯糞(ハクソ)を掃除しても食事をすれば直ぐに元通りになると同じ様なものである。然し、唯 洗浄だけならいいが、その薬液が粘膜から浸潤して毒液に変化し、排泄されるのである。即ち排泄した 毒素を洗いながら新しく毒素の原料を追加するという訳であるから毎日洗浄に病院に通い、三年も五年も 経っても治らないという患者がよくあるが、それは右の理によるからである。数カ月にして自然に治癒したのである。

【扁桃腺】

一 扁桃腺炎

○扁桃腺附近の毒素が、日を重ねるに従い、扁桃腺に固結し高熱によって溶解、粘膜を破って排泄される という極く簡単な浄化作用である。
○世間よく扁桃腺炎を根治する目的で、扁桃腺を除去する事が、常識のようになっているが、最近の学説 によれば、扁桃腺は貴重なもので、除去しない方が可いとされて来たという事である。全く除去した結果は 他に悪影響を及ぽす事が分ったからで、実に喜ばしい限りである。
○そこで扁桃腺という機能の意味から扁桃腺炎の原因に就いてかいてみるが、人間は誰しも上半身の 毒素は、頸部淋巴腺に最も集中し易いので、そこに毒素の溜結が出来るので、大なり小なりこの溜結の  ない人は殆んどないといってよかろう。

○すると此溜結毒素は出口を求めようとし、少しづつ溶解し、一旦固まる。処が扁桃腺であるから、或程度 固まるや、高熱が出て溶解し、自然に穴が穿(ア)いて、毒素は排除されるのであるから、扁桃腺なるもの は実に上半身毒素の掃け口とも云っていいもので、若し扁桃腺がなくなったとしたら、毒素は、止むなく 他の部に溜結する事となる。
○之が脳神経衰弱や中耳炎、歯痛、鼻の病気等の原因となるのであるから、結局小の虫を殺して、大の虫 を助けるという結果になる。
○何よりも扁桃腺除去後数年間は、風邪など引かないので効果があったように思われるが、何ぞ知らん 年月が経つに従って色々な病気が発るのである。
〔霊的光力箇所〕・・・頸部淋巴腺附近、扁桃腺部、肩、腎臓

【歯の病気】

一 歯痛

○歯痛の原因としては、@は歯根膜炎で、「歯の根」に膿が溜まるもの。Aは歯神経の痛むもの−との 二種であります。
○之は、水膿が「歯の根」へ集溜する。その膿が外部へ排泄されようとして骨膜を穿孔する。それが「激痛」 なのであります。
○故に、穿孔されれば痛みは軽滅しますが、膿が外部へ出た為に「頬が腫れる」のであります。
○もう一つの歯神経の痛むのは  歯に腐蝕が出来た為に、神経が露出する。それへ冷水や湯茶等が 滲みて痛むのであります。之は歯医者へ行って神経を殺してもらうのが一番速く治るのであります。
○よく歯がブラブラして抜こうかどうしようかと迷う人がありますが、それは歯の根に膿が溜まっているので、 浄化すれば根が締まって治るのであります。
〔霊的光力箇所〕・・・ 歯根膜炎−歯痛個所、肩、腎臓
歯神経痛−脳天、痛い所、肩、腎臓
※上歯が痛む時は前頭部・下歯が痛む時は扁桃腺、頭部淋巴腺を主にする。

二 歯槽膿漏

○上顎か下顎の辺を自分で外部からおしてみると、痛い所があるので、そこに水膿や汚血が溜結している から−そこを浄化すると共に、頸腺部等又は顔面特に頬の辺に痛む個所が必ずあるもので、その個所を 浄化すれば、水膿は溶けるのであります。
○腎臓から發生した尿毒が肩部に集溜し、尚進んで頸部淋巴腺附近に移行する。それが浄化作用に よって歯齦から浸出排泄されようとするのである。其際血液も混るが、それは尿毒が血液中に混入して 排泄せらるるのである。
〔霊的光力箇所〕・・・患部、肩、頸部淋巴腺、根本は腎臓

第 三 章   心臓病について

【心臓病の原因】

○心臓病でも胃病でもこれ(肩)が最も効果があります。心臓病の人は必ず左の肩が凝ってます。
これが溶けた物が心臓の廻りに固まって圧迫するのです。それが心臓病です。

一 狭心症

○此病気は、発作的に心臓の激痛、呼吸困難及び名状すべからざる胸部の苦悶を起し、 患者も周囲の者も死に瀕するかと思うのである。強度のは数時間以内に生命を落とすものもある。
○原因は心臓の周囲に毒素溜結し、浄化作用と精神的過労、激動等によって心臓疲労による 抵抗力減殺の結果、毒血が心臓を圧迫するのである。
〔霊的光力箇所〕・・・心臓の前後、肩、肩甲骨の間、腎臓 

二 心筋梗塞

○原因は、心臓の周囲に滞溜する毒素の急激な浄化作用によって心臓の周囲から心臓にむかって 求心的に強圧するためである。
〔霊的光力箇所〕・・・肩、肩甲骨と脊柱の間、心臓の前後、腎臓

三 心不全

○心不全は、心臓のポンプ作用が衰えて、からだのいろいろの臓器に必要なだけの血液量を 送ることができなくなった状態である。
○急性心不全は心筋梗塞などによって起こり、死亡率が高い。鬱血性心不全は、弁膜症や 高血圧症などによって徐々に起こり、鬱血により肝臓がはれ、尿量が減ってむくんでくる。
〔霊的光力箇所〕・・・肩、肩甲骨と脊柱の間、心臓の前後、腎臓

四 弁膜症

〇症状は動悸、心臓部圧迫感、脈搏不正等である。原因は狭心症と同様であって、唯心臓周囲の 毒素溜結が軽度であるからである。
〔霊的光力箇所〕・・・肩、心臓の前後、腹部(臍の上下)、腎臓

五 心臓肥大症

○心臓肥大と診断される患者はよくあるが、実際の肥大は極稀で、大部分は心臓付近に溜結せる毒素 の塊を、心臓が肥大せるものと誤診するのである。実際の肥大はスポーツマンとか、 大酒家とかいう特殊の原因によるのである。
〔霊的光力箇所〕・・・肩、横隔膜付近、心臓部、腎臓

六 心臓神経衰弱

○何等か些かの動機によって、急に心悸亢進、呼吸切迫、死の直前の如き苦悩を起すが之は 暫時にしてケロリと治り平常の如くなるもので、−何等恐るべきものではない。
〔霊的光力箇所〕・・・前頭部、肩、腎臓

 第 四 章   肺病について

   一 肺結核

○先ず、肺結核の初期から述べてみる。之は感冒の時に述べた如く、感冒の浄化作用、何回もの停止に よって溜結せる毒素が青年期の活力旺盛時代に入り、防止不可能になって解熱法も効果ないという状態 である。この時は殆んどが肩部(特に左肩)頸部の下辺に溜結せる毒素の浄化作用としての微熱である。
○療法として絶対安静、栄養食、注射、服薬、頭冷、湿布等であるが、之等は何れも浄化作用停止法 であって、安静は胃腸を弱らせ、服薬、注射、頭冷、湿布等は何れも漸進的衰弱をなさしめるので熱は 下降し、熱が下降するから毒結が溶解しないから喀痰は減少する。喀痰が減少するから、その ポンプ作用である咳嗽が滅少する。一見病気が軽快に向うようにみえる。

○其際患者が安静を破って運動すると発熱する。それは運動によって活力が出るから、 浄化作用がおこるからである。
○斯様な状態で幾月も幾年も持続する内、追加物たる薬毒の浄化作用が起るのであるが、此薬物浄化 は高熱を伴うものである。長い安静によって相当衰弱せる患者が高熱に遇っては、その衰弱は 非常な速度を増し、終に死に到らしむるのである。此末期に於て、薬毒集溜個所は全身に及び、 特に肋骨、胃腸、腹膜部、咽喉部、腎臓部、頭部、股間淋巴腺等である。
〔霊的光力箇所〕・・・脳天、前頭部、延髄(主に右)、首の廻り、咽喉、頸部、淋巴腺、 肩、脇の下、腎臓、背中、鼠蹊部、陰部

二 肋膜炎

○肋膜炎は、医学でも言われる如く、肺を包んでいる膜と膜との間に水が溜るので、之が湿性肋膜炎 と言い、膿が溜るのを化膿性肋膜炎と言い、何も溜らないのに膜と膜との間に間隙を生じ、 触れ合って痛むのを乾性肋膜炎と言うのである。湿性の原因は勿論胸を強打したり、器械体操の如き 手を挙げて、力を入れる等が原因となって発(オコ)るのであるが、何の原因もなく偶然発る事もある。 此病気である膜と膜との間隙に溜る水とは勿論尿である。

○湿性は最初高熱と胸の痛みで、深い呼吸をする程余計痛むが、反って水が多く溜ると無痛となるもので、 之は膜の触れ合いがなくなるからである。又尿の出も悪くなるのは勿論で、此病気の特異性は、 眠い事と盗汗であるが、此盗汗は非常によいので、之は溜った水が皮膚を透して出るのである。
○化膿性は膿が肺に浸潤して痰となって出るのである。
〔霊的光力箇所〕・・・頭、首の廻り、肩、背面腎臓部、肋膜部(苦痛個所)

三 喘息

○医学でもいう如く、喘息は大体二種ある。気管支性と心臓性(近来此方はアレルギ−性という)とである。
○先ず心臓性からかいてみるが、之は最初横隔膜の外部に、薬毒が固結するのである。それに浄化が 起るや微熱によって溶解、液体状となり、肺へ浸潤して喀痰となって出ようとするが、此場合横隔膜部は 肺臓から距離があるので、液体の方から浸潤する事が出来ない為と、肋間に毒結のある場合浄化に よって液体となったが、人により肺膜の厚い場合容易に浸潤し難いので、肺の方から 最大限に拡がり吸引しようとする。
○そのように大体右の二つの原因であるという訳は、肺は其様な猛烈な運動の為、肝腎な空気を吸う 力が減殺されて、窒息状態となるのである。何よりも其際、肺に侵入した毒液が、咳と共に痰 になって出ると、発作は一時楽になるという事や、又肺炎に罹ると一時快くなると言われるが、之は 高熱の為固結が溶解され、痰になって出るからである。右の理が間違っていない事は、何よりも先ず 心臓性喘息者の横隔膜部には、必ず固結を見る事である。

○次に、気管支性喘息であるが、之は肋骨附近に固結している毒素が、浄化によって、少しずつ溶ける ので、それをヤハリ肺の方から吸引しようとして肺臓は狂烈なポンプ作用を起す、それが咳であるから、 之によって痰が排泄され,一時快くなるのである。然し痰の量が多く出れば出る程,短期間に治るのである。
〔霊的光力箇所〕・・・@横隔膜の下辺 A胸部・脇下の肋骨部の圧痛部、背面心臓部
B肩(主に左)、臍部の周囲、大腸部(主に右)、鼠蹊部(主に右)、腎臓
Cその他 − 頸部、顎の下、鳩尾の両側、背部
※発作の原因は@が主でありAがその次となりB、Cは発作の原因ではなく咳嗽の原因となるが、 これらが発作や呼吸困難を促進することがある

第 五 章   胃病について

一 胃病の原因

○病気の原因が殆んど薬毒である事は、今迄説いた通りであるが、特に胃に関した病気程それが顕著 であって薬で作られるといってもいいのである。
○誰しも偶々(タマタマ)食べすぎとか、食靠(ショクモタ)れとか、胸焼けがする事がよくある。 すると放っておけば治るものを、何でも薬さえ服めばいいと思い、早速胃の薬を服んで了う。然し一時は よくなるから、それで済んだと思っていると、何ぞ知らん此一服の薬が、将来命取りの因となる事さえ あるのだから問題である。つまり一服の薬が病の種を蒔く訳である。というのは暫く経つと、再び胃の 具合が必ず悪くなるもので、そこで又薬を服むという具合に、いつしかそれが癖になって了う。

○痛み、嘔気、胸焼、食欲減退など種々の症状が次々発るので、仕方がないから薬を服む、と一時よく なるので、薬で治るものと思い込み、益々薬が離せなくなる。処が初め効いた薬が段々効かなく なるもので、それからそれへと種々な薬を変えるが、変えた時だけは一寸良いので、それに頼って いると又駄目になって了うという訳で、言わば胃薬中毒患者になるのである。

二 胃痙攣

○胃痙攣は水膿溜結が段々固結した時、胃の方が不消化又は大食をして膨脹する時、胃とその固結物 とが、押合って痛むので、その痛みのひどい為に痙攣を起すのでありますから、その固結を溶解すれば 全治するので、割合容易であります。
○之は激しい痛みで堪えられない程である。
○此病の原因も勿論薬毒であるが、其経路をかいてみよう。
○先ず、薬を服むと一旦胃に入るや、曩(サキ)に述べた如く、薬は処理されないので、胃に停滞する。 人間は仰臥するから薬は胃を浸透して下降し背部に固まる。それが浄化によって溶け胃に還元するが、 其時は最早毒素に変化しているから、胃はそれを外部へ排泄しようとする。
○其刺激が激痛であるから、胃痙攣の起った場合、何にもしないで一度我慢して、痛いのを通り越して 了えば下痢となって毒素は出て了うので根本的に治るが、毒素が出切る迄には何回も発るが、之は 致し方ない。然し其次発った時は、必ず前より軽く済み、次は又軽くなり遂に全治するのである。
〔霊的光力箇所〕・・・肩(主に左)、肩甲骨と脊柱との中間(左右の凝りのある方)、胃(主に背面)、腎臓

三 胃痛

○此酷いのが胃痙攣である。之は激しい痛みで堪えられない程である。
○此病の原図も勿論薬毒である。
〔霊的光力箇所〕・・・肩(主に左)、肩甲骨と脊柱との中間(左右の凝りのある方)、胃(主に背面)、腎臓

四 胃下垂

○原因は、消化薬を服みつつ柔い物ばかり食うから胃が弱る。それで緊張が無くなるから弛緩し、 垂するのでありますから、「人為的製造病」であります。
〔霊的光力箇所〕・・・肩、背面胃部(一番熱い個所)、側腹部

五 胃潰瘍

○胃潰瘍は全く薬と飲酒が原因で、特に薬剤の方が悪性であります。
○胃薬は食物を柔軟化させると共に何時しか胃壁も柔軟化させてしまう。それが為少しの固い物が触 れても、亀裂が生じ易くなり、其結果血液が滲出するのであります。其血液が胃の一部に滞溜して、 便に混入して出ることがあります。此場合、古い血ほど黒色なのであります。
○出血がなくとも胃潰瘍といわれる事がありますが、出血がなければ潰瘍にはなっていないのであります。 亀裂が大きい程出血が多量であります。口から血を吐くのはそれであって、斯ういうのは血が新しいから 赤いので、之は重症であります。
○胃潰瘍は、痛みと出血のある内は流動食ばかり摂らせ、出血が止まればお粥のような物を食わせ、 そして段々普通食にすればいいので、衰弱さえ甚しくなければ治癒するのであります。
〔霊的光力箇所〕・・・肩(主に左)、背面胃部(一番熱い個所)、腎臓

第 六 章   肝臓病について 

一 肝臓病

○医学上肝臓が悪いというのは、実は肝臓ではなく肝臓外部の溜結せる毒素の圧迫による為であると  共に、之によって肝臓の痛み又は黄疸を起すのである。
○医診に於て肝臓が腫れているというのは誤りで、右の溜結毒素を肝臓の腫れと見誤るのである。
○そうして肝臓が圧迫される場合、その奥にある胆嚢(タンノウ)内にある胆汁が溢出する、それが  黄疸の原因である。
〔霊的光力箇所〕・・・肩、肝臓(前後)、腹部(主に胃部)、腎臓

第 七 章   腎臓病について

一 腎臓の働き

○腎臓というものは 物を洗う水の働きをするものであります。それで心臓が熱を吸収して毒素を焼熟 すると灰が出来るから、其灰の如なものを水で洗って流す。−それが腎臓の役目であります。ですから、 毒物に中ると、非常に下痢をしたり、小便が沢山出る。其際尿は、腎臓が洗った汚水であります。
○腎臓はそういう訳で、水の浄化作用の役目で、心臓は火の方の浄化作用の役目であります。ですから、 心臓と腎臓は重要な夫婦役になります。それで、心臓のシに濁りを打つと腎のジとなっているのも面白い と思うのであります。
○又斯うも言えます。心臓は火、肺は空気、胃は土、腎は水の役であります。
○又、腎臓と肺臓が水で、心臓と肝臓が火の役とも言えるので、又、心臓が霊で肝臓は体、肺が霊で、 腎臓は体とも言えるのであります。
○腎臓病にも種々あります。腎臓結核、萎縮腎、腎孟炎等であります。

二 腎臓結核

○よく萎縮腎を腎臓結核と誤られます。本当の腎臓結核は、右か左のどっちかの内部に水膿が溜結し、 それが化膿して痛みを有つのであります。そうして、普通は膀胱へ移行するもので、非常に悪性で、 小便に血液が混るのであります。
○そうして、膿胱結核から摂護腺(前立腺)、睾丸へ迄移行し、最後に到って睾丸は糜爛(ビラン)する のでありますが、こうなれば間もなく死に到るのであります。
〔霊的光力箇所〕・・・肩、腎臓、微熱部(転移が心配される時−膀胱、前立腺、睾丸)

三 萎縮腎

○水膿溜結が腎臓を圧迫するので、腎臓は充分の活動が出来ないので、其の為尿が溢れる、其尿が毒素 となり、又は浮腫になるのであります。

四 腎臓炎・腎盂炎

○腎臓の周囲へ水膿が溜結すると、浄化作用によって発熱する。之を腎臓炎又は腎孟炎と言います。
○腎孟炎の症状は、腎臓部の痛み、腫れ、発熱等で、又特徴として脚力が無くなり、 歩行不能になるのであります。
○症状は腰骨の上方、凹部の左右孰れか激痛を伴い、高熱を発するのである。
此際尿中に多量の蛋白をみるのであるが、割合治り易い。
〔霊的光力箇所〕・・・肩、腎臓

五 慢性腎臓病

○症状は浮腫、精力減退、倦怠感、肩の凝り、腰痛、足の重い等である。原因は腎臓部に毒素溜結し、 腎臓が圧縮される為である。
○すべて腎臓病は、医学上では、尿中の蛋白によって診定するのであるが、尿中に蛋白のない腎臓病 があって、寧ろ此方が有蛋白より多いのである。
○有蛋白の尿の排泄する患者の腎臓部には必ず微熱がある。然し、無蛋白の場合は腎臓部は無熱 である。然し、其部には固結があり、圧痛を感ずるのである。
〇故に、蛋白が排泄さるるだけは治癒しつつあるのである。従而、運動をする時蛋白が殖えるのは、 浄化作用が旺盛になるからである。それに引換え無蛋白は、浄化作用が発生し得ない弱体者である から治癒し難いので、斯ういう患者は大いに運動して浄化作用を起せば治癒するのである。
〔霊的光力箇所〕・・・腎臓、肩、尿道

六 尿毒について

○独逸の或学者は、「万病は尿酸が原因である」とも謂っています。
今も此説は相当認められておるようであります。
○リウマチで、赤く腫れないのは此尿毒が原因であります。之を腎臓性リウマチと言っておりますが、 非常に治り易く、此尿素は割合に弱性で、溶解し易いものであります。
○尿毒というものは、凡有(アラユ)る病気になります。よく腎臓が悪くて肩が凝る人がありますが、 これは矢張り、尿毒が肩に集る人であります。
○足が重倦く痛む人など、皆此尿毒が下の方へ垂溜する為であります。
○最も多いのは、尿毒が腹膜へ溜るので、そして其所で凝る。

○此尿毒は、肋膜、喘息の原因となる事もあります。ですから腎臓の為に喘息を起し、 喘息の為に心臓病が起るんですから、間接には、腎臓が心臓病の原因になる訳であります。
○腎臓の原因で脚気と似ている症状を起す事もあります。之は割合多いので、或は真の脚気より多い かも知れないと思う程で、足が重く腫れたりなどして、脚気の如な症状を起しますが、 脚気とは全然異う。私は之を「腎臓脚気」と言っております。

第 八 章   がん病について

一 がんの原因

○癌に関係した病気の多い事も、周知の事実である。そうして此病気は他の病気と異なりその原因が膿 ではなく癌特有の毒素であって、而も人体の如何なる部分即ち筋肉でも骨でも臓器にでも遠慮なく 移行拡充するという、實に恐るべき病気である。医学上無菌とされているのも、膿ではないからである。
○又、進行性と不進行性とがあり進行性の中にも特に進行速かで、短時日に、胸部、腹部、背部等 上半身の大部分に迄、拡充するものもあり、之等は最も悪性である。これに反し不進行性は局部的で あるから、治癒は容易である。然し乍ら進行性と雖も、最初は一局部に限定され、末期に到って、 進行性に移るのも多いのである。
○この病気は肉食病といってもいい位のもので、これを根本的に説明してみると最初造物主は人間を 造った時、その食物としては穀類、野菜、獣鳥肉、魚肉等夫々人体に適合した物を造られ、それを 食う事によって、健康で生を営み得るようにされたのである。
○勿論住んでいる風土、気候や、人種別にも適応するようになっているのは勿論で、それが自然である。 従って米国に於ける大いなる沃野と、其処に生産する穀類、野菜、獣鳥肉等が豊富であるのも 植物性と動物性食物を適当に食えという訳である。又日本は陸地が狭く、海に取り巻かれているのは、 魚肉を多く食えというのである。
○処がその様な自然の実体を、科学という魔法使が打ち壊してしまい、人体を単なる物質扱いにした 結果形而下的には進歩発達はしたが、形而上の存在である人間の生命迄も形而下に引き下し、栄養学 等という飛んでもない学問を作り、皮相なる分析上から獣肉を推奨したのであるから、今日の如く 肉食過多に陥ったのである。
○処が元来獣肉には一種の毒素が含まれており、この毒素が漸次集積し固結したものが真症癌である から、自然はこの肉毒中和の必要からも野菜があるので、穀類は別とし副食物としては相当量野菜を 交ぜなくてはならないのである。そうすれば決して癌は発生しない。

○乳製品(牛乳、チーズ、ヨーグルトなど。日本製は高熱処理をしているために乳酸菌は死滅)や、その他の食肉・魚肉加工食品 (ハム、ソーセージ、薫製にした食肉や魚肉、蒲鉾、竹輪、魚の天麩羅など)を摂取し、それが豊富に食べられることにより、増え始めました。 大腸癌は大腸に発生する癌であり、多く円柱上皮性腺癌で中高年に好発します。 脂肪に富む洋式食事が普及して、以後増加し始めた病気です。 この癌の特徴は、進行が早く、しばしば肝転移を起します。 またその他の腸に発生する癌腫としては、主に結腸や直腸に発生します。 大部分は腺癌で、直腸癌と大腸癌に区別されます。
○腸内で停滞し、腐敗菌を発生させます。この腐敗菌が排泄されずに長期間滞った場合、正常細胞はガン細胞へと移行します。 つまり血液汚染による病気なのです。

二 舌がん

○之は最初、顎下腺に水膿が溜結して段々に深部へ移行し、終に舌根を冒すのであります。
○此病気は、舌を動かせば痛み、物を食べると滲みる。なかなか苦痛であります。
〔霊的光力個所〕・・・患部、頸部、肩、腎臓

三 肺がん

○肺臓癌は肉食多量が原因で、肉中に含む一種の毒素によって血液が満り、それが肺臓内に溜り、 一旦硬度の腫物となるが、浄化作用によって逐次喀痰となって出る。
○症状は性質が執拗で長くかかるのは勿論である。
〔霊的光力個所〕・・・頭部、頸部、肩、肺の裏側、腎臓

四 食道がん

○原因としては、食道附近に水膿溜結し、食道を圧迫するので、症状は食べた物が閊(ツカ)える。
末期には全然食物が通らなくなり、水を飲んでも吐くようになるのであります。極(ゴク)悪質のものは、 食道の一部に穿孔されて、そこから飲んだ水が、気管へ滲出して非常に噎(ム)せるのであります。
〔霊的光力個所〕・・・後頭部、肩、背面食道部、前面胸骨部、腎臓

五 胃がん

○人体内にある毒素が、自然浄化作用によって常に何れかに集溜しようとしている。然るに、集溜作用 は運動等に困る−神経活動の部に限るので、青年期には全身的活動旺盛の為、 四肢五体に分散するのであります。
○然るに、老年期に近づくに従い運動不足になる結果、毒素は一部分に集溜しようとします。
即ち、運動不足者は、肺、心臓は余り活動しないから、どうしても、胃の部に集溜するのであります。
○そうしてその毒素なるものは水膿でありますから、それは時日の経過によって固結していき、進んで 化膿性になります。此化膿した一種の内部腫物は、胃の外壁から内壁へと蝕入していく。 之が胃癌になるまでの経路であります。
○然乍ら、胃部に滞溜した水膿も、其人が浄化力旺盛であれば、自然下痢などによって 排泄されるのであります。
○近代人は、少しでも不快だと直ちに薬を服む。薬剤は浄化力を弱め、特に胃薬が胃を衰弱させるから、 胃の抵抗力を滅ずる結果、排泄されないで、終に化膿する迄になるのであります。
〇化膿が進めば、胃の一部に穿孔される事になる。そうなると胃の活動は殆んど停止され、 又その孔からの排膿作用も加わって、旺んに嘔吐をするのであります。
○胃癌の最初の徴候は、胃痛又は重圧感であります。嘔吐が加わるのは、相当進んでからであります。
〔霊的光力個所〕・・・肩を第一、鳩尾から臍にかけての中央線と次にその両側を背部より施術、腎臓

六 肝臓がん

○肝臓の病気としては、先ず肝臓癌で、肝臓のみの場合もあり、胃癌又は腸癌から移行される事もあります。
○それで肝臓癌は、先ず胃のように内出血はしないが、実に悪質で、執拗であります。
○このゴ−ゴ−鳴るのは結構です。毒が溶けるんですから。ですから気長に背中を充分に霊的光力して 上げるんです。腎臓の毒が肝臓に行ってるんだから、腎臓部と肝臓の裏側をやれば治ります。
〔霊的光力個所〕・・・肩、背部から肝臓と腎臓

第 十 章   小児病

一 百日咳

○この原因はヤハリ出産前母の悪露を呑んだ為で、それが一旦吸収され保有していたものが、時を経て 浄化によって出るので、何よりも此病に限って、猛烈な咳と共に、必ず泡を吐くのである。
○そうして百日咳の特徴は、咳する場合必ず息を引く音がするからよく分る。つまり右の泡を出し切る迄に 百日位かかるから、その名がある。
〔霊的光力個所〕・・・肩、横隔膜、背面胃部、腎臓

二 小児喘息

○百日咳の咳嗽取を止め毒素が固まったとすれば、何れはそれの浄化作用が起こる−それが肺炎又は 喘息となるのである。小児喘息は右の原因が多いのである。
○小児喘息は、前項の如き原因が多いのであるが、その他の原因としては遺伝である。そうして小児 喘息は、その殆どは横隔膜辺から胃及び肝臓の外部へかけての毒素溜結であって、之は放任してお けば、成人するにしたがい治癒するのである。又、背面腎臓部より心臓裏面にかけて溜結毒素があ り、その浄化作用によることもある。

三 小児肺炎

○小児の肺炎は、百日咳を固めた結果と、麻疹の場合と、肺臓の周囲又は其一部に集溜せる毒素の猛烈 な浄化作用とである。特に小児に於いては呼吸圧迫、喘音、不快感等が著しいので、近親者は恐怖し、 痛心するのである。然し、医療に於いては、凡ゆる浄化停止方法を行うから、不良の結果が多いのである。 寧ろ放任しておいた方が、治癒率は多いであろう。本療法によれば、一週間とはかからないで、完全に 治癒するのである。そうして、此病気は痰の排除されただけは軽快するのであるから、 痰の排除を促進する療法であれば必ず治癒するのである。
〔霊的光力個所〕・・・肺臓の周囲又は一部(発熱筒所)

四 はしか

○麻疹は衆知の如く、生まれてから罹らない人は一人もあるまい程一般的の病気であるが、此原因は 親から受継いだ毒血の排除であるから、実に有難いもので、寧ろ病気とは言えない位である。
○只此病気に限って慎むべきは、発病時外出などして、風に当てない事である。というのは麻疹の毒が 皮膚から出ようとするのを止めるからで、昔から言われている風に当てるな、蒲団被って寝ておれとは 至言である。というのは発疹を妨げられ毒が残るからで、再発や他の病原となるので注意すべきである。
〔霊的光力個所〕・・・発熱部

五 小児まひ

○症状は足が満足に歩けないとか、片手が利かないとか、腰が動かない等であるが、就中(ナカンズク) 足の悪いのが一番多いようである。此原因は遺伝薬毒と、生後入れた薬毒の為で、どちらにしろ其毒が、 足の一部に凝結するので、足を突いたり、動かしたりすると痛むのである。
〔施術個所〕・・・足のまひ − 腎臓、鼠挟部、患部   ・・・手のまひ − 頭部淋巴腺、肩、脇下、患部

六 水痘

○此病気は一種の発疹でありまして、其色が他の発疹に見る如き赤色でなく、皮膚と同一の色であって、 小さい疣(イボ)の如きものに水分を含んで居るのが点々と発生するのであります。軽微の発熱もあります。
○原因は特種の水膿の排除作用であります。
〔霊的光力個所〕・・・頭部、肩、腎臓、発疹部

七 脱腸

○此病気も小児には多いのであるが、老人にも偶々あるのである。そうして此病気は、人により軽重 甚だしく、軽症に於いては、成人するに従い自然治癒するが、重症は治癒困難で、医療に於いては 手術をなし、軽症は脱腸帯を使用させるのである。此病気の原因は腹膜部に於ける局部的毒素溜結 が腸を圧迫する為逸脱するか又は恥骨の左右の穴の何れかの方が先天的に大きい場合発るのである。 重症に於いては、男子は腸の下垂が睾丸に迄及ぶので、そういうのは治癒が困難である。此の病気 の多くは結果良好であるから、私としても手術を推奨する事もある。そうして本療法に於いては、 腹膜の毒素溜結を溶解し腸の活動を旺盛にさせるのであるから、相当の時日を要するが、殆ど治癒 するのである。又脱腸帯は相当の効果がある。
○脱腸というのは、年寄りによくあります。赤ん坊と年寄りに多いです。こう言うのは、腹膜に 毒が溜まって圧迫するんです。
○お腹に固まりがありますから、霊的光力して取ると良い。それから、帯を固く締めてはいけない。固く 縮めると、どうしても腸を圧迫して、出るから帯は固く締めてはいけない。それから腎臓の後ろも 大事ですから背中から尾てい骨の方をやる。
〔霊的光力個所〕・・・腹部、肩、腎臓、尾てい骨

八 学校の成績が悪い原因

○前頭部の中を霊的光力すると、すっかり治ります。

七 大腸がん

○之は直腸に出来易く、直腸から大腸等へ移行して相当大きなものになる場合があります。
〔霊的光力個所〕・・・肩、臍、横腹、下腹、腎臓

八 子宮がん

○此病気は割合多く、治癒困難とされております。
○症状としては、子宮部の痛み、出血持続、悪臭の白帯下(コシケ)等であります。
○原因は、子宮の外部に溜結した毒血と水膿が、時日経過によって濃度を増し、化膿性となって 子宮の内壁にまで侵入するのであります。此点胃癌の経路と同一であります。
〔霊的光力個所〕・・・前頭部、肩、腎臓、下腹部

第 十一 章   不眠 ・ 癲癇 

一 不眠症

○病気とは言えないが、病気の原因になる事が大いにあるから、仲々馬鹿にはならないものである。 此原因は全く一種の脳貧血であって、延髄部に固結が出来、それが血管を圧迫し、脳貧血を起させ、 睡眠不能となるのであるが、此固結は右側の方が多く、左側は少ないもので、之を溶かす事によっ て治るのである。
○然し此病気の恐ろしい事は、往々精神病の原因になるので、急速に治す必要がある。医学では勿論 原因すら不明であるが、何よりも精神病の初めは、必ず睡眠不足が長く続くのである。従って睡眠が 普通になると、治り始めるにみても分かるのである。
〔霊的光力個所〕・・・右側延髄部、脳、肩、腎臓

二 精神障害

○此病気の原因は、最初は不眠症からであります。不眠症は先ず精神障害の一歩手前と言ってもいい のであります。従而、後頭部の水膿溜結を溶解すれば眠れる様になりますから、眠れさえすれば 精神障害は治ってゆくのであります。
○霊的光力をすれば,血が頭へ充実して来るから眠れるようになり,意識がはっきりしてくるという順序であります。
〔霊的光力個所〕・・・前頭部、頭の中心、延髄、淋巴腺、肩、腎臓

三 癲癇(テンカン)

○延髄附近に水膿溜結する為、脳へ送流される血液が阻止される。それが強烈な場合、血液が中断さ れる事がある。其瞬間癲癇症状を起すのであります。此症状は、膿結溶解によって治癒するのであリます。
○癲癇の霊的光力を始めると、一時は反って余計に発作し、それが或期間過ぎると、段々治るのであります。
〔霊的光力個所〕・・・前頭部、頭の中心、延髄、淋巴腺、肩、腎臓

第十二章 その他の疾患について

【胸部】

一 慢性気管支炎

○これは体内の何処かに、薬毒の固結があってそれが少しずつ溶けて出ようとする場合、割合固い為、 頻繁に強い咳をしなければならないのが原因である。何よりも痰さえ出れば楽になるのはそういう訳で ある。処が医療は咳を止めようとするから逆になり、遂に慢性となってしまい、長い間苦しむのであるから、 この病気も自然にしていれば必ず治るものである。

二 肺炎

○感冒に在った場合、右の如く薬毒やその他の方法で、浄化停止を行なう以上、保有毒素の幾分は 減るが、大部分は残存し、再び固まって了うと共に、新しい薬毒も追加されるので、感冒に罹る毎に 薬毒は累加し、ある程度に達するや、一時に浄化活動がおこる。それが彼の肺炎で前項に説いた 借金の理である。何よりも肺炎の特異性は、喀疲が肺臓内に多量に溜まる事で、その為喘音が 甚だしいのである。喘音とは呼吸の度に肺胞が動くにつれての喀痰の響きである。又呼吸困難は 喀痰多量の為、肺臓内の容積が縮小するから必要量の空気を吸うには、頻繁に呼吸しなければ ならないからである。この理によって肺炎の場合、何の療法もせず、自然にしておけば痰は出るだけ 出て順調に治るのである。

【口、頸】

一 パセドウ病

○バセドウ病は、医学上甲状腺の疾病とされている。即ち咽喉前面外部が腫脹するのであるが、軽症は 軽微な咳嗽とその部の不快感位で、人により気の付かない場合もある。重症は強烈なる咳嗽、吐痰又は 白色の小粒物や泡沫等の液を排泄する。此病気の特徴としては眼球の飛び出す事である。末期に至るに 従い、心臓障害を起こし、脈拍不正、呼吸困難、食欲減退等に陥り、衰弱死に至るのであって医術に よればよく全治するのである。
〔霊的光力箇所〕・・・咽喉前面部、肩

二 吃音(キツオン)

○頭と舌の連絡筋に固結せる毒素が、神経を邪魔しているのが原因である。頭の横から頬へかけて、 熱のある部を霊的光力すれば治る。

三 口腔内のオデキの原因

○それから舌とか口の中の色んなオデキです。あれは薬を飲むでしょう。薬を飲む度に粘膜からしみる んです。それが溜まってオデキになるんです。(中略)口の中のオデキは、そう言うふうに思って決して 間違いない。

【腹部】

一 腹膜炎

○肋膜と同様腹膜と今一つの膜との間に水が溜って、頗る膨大になるものである。
○化膿性腹膜は、薬毒が膿となって臍を中心に、其周囲に溜結するのであるから、腹水の如き膨満は なく、反って普通より腹部は低い位である。然し慢性は軽微の痛みと下痢であって、非常に長くかかり、 治るのに数年掛かる者さえある。
○恐ろしいのは彼の急性腹膜炎である。此病気は急激に高熱と共に激痛が伴い、殆んど我慢が出来ない 程で、患者は海老の如く身を縮めて唸(ウナ)るばかりである。
○此化膿性腹膜という病気は、人により重い軽いはあるが、全然ない人は先ずないといってよかろう。
〔霊的光力個所〕・・・湿性腹膜炎−肩、腎臓、腹膜部
化膿性腹膜炎−肩、腎臓、腹膜部、臍の附近

二 慢性下痢

○之は毎日一回乃至二、三回位下痢し、実に執拗なるものである。数年続くものさえある。
○痛むのと痛まないものとがある。原因は化膿性腹膜の浄化作用であって、衰弱の為浄化作用が旺盛 でない為、少しずつ下痢となって出るのである。
○腹膜に溜結せる膿が、緩慢な浄化作用によって僅かづつ溶解され、下痢となって排泄せらるるので ある。この膿は、腎臓萎縮による尿毒が、常に腹膜へ集溜するのであるから、腎臓を健全にしなければ、 完全に治癒され得ないのは勿論である。
〔霊的光力個所〕・・・慢性下痢−前頭部、後頭部、肩、腎臓、腹膜部
急性下痢−頭部、後頭部、腹部、肩、腎臓、腰

三 虫垂炎

○盲腸部(註1)は上半身の扁桃腺と同じ様な意味なのである。即ち、第一浄化作用によって盲腸部へ 毒素が溜結するのである。そうして重痛は毒素溜結が強度に達し、盲腸炎即ち第二浄化作用の近づいた 徴候であって、軽痛は、毒素の溜結が軽度又は少量なる為である。
○そうして、盲腸炎の根本原因としては、右側腎臓部に硬度の毒素溜結があり、その為の萎縮腎による 餘剰尿が盲腸部に溜結したのであるから、右の毒結を解消するに於て決して再發はないのである。
(註1)この場合、盲腸部とは虫垂部をさす。
〔霊的光力個所〕・・・肩、右側腎臓部と虫垂部(臍から一、二寸右下)

四 結石

○最も多いのは胆嚢結石であって、之は胆嚢の中へ石が出来るので、輸胆管通過が困難なのでそれが 堪えられない激痛となるのである。
○胆嚢結石の原因を書いてみるが、之は曩に述べた如く、腎臓から滲出する尿毒が、漸次上部に移行 する際、胆嚢の裏面から胆嚢内へ滲透するので、其の毒素と胆汁と化合して石となるのである。
○石は、腎臓内の尿素が附着し、段々大きくなってゆき、茲に腎臓結石となるのである。そうして困る事 には、結石は腎臓活動の為、腎臓壁に触れて疵(キズ)が出来る。そこへ尿が泌みるから痛みと共に 出血するのである。

○又小さい内膀胱に流入し、腎臓に於けると同様育ってゆく、之が膀胱結石である。
○処が最も困る事には、其石が膀胱の入口ヘ痞(ツカ)える事がある。それをうまく通過しても今度は 尿道ロに痞える。両方共尿の排泄を止めるから、尿は漸次下腹部に溜り腫れるので、医師はブーヂを 挿入するが、之も尿道口だけの閉塞なら奏効するが、膀胱口の方は仲々困難なので、遂に生命に 関わる事となるのである。
○之れを直すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活発にさせ、余剰尿を作らないように する事で、それより他に方法はないのである。
〔霊的光力個所〕・・・胆石−肩、肝臓、腎臓
腎臓結石−肩、肝臓、腎臓
膀胱結石−肩、腎臓、膀胱

五 糖尿病

○糖尿病は、甘い小便が出るとしてあります。症状は、疲労感と、喉が渇くのと、尿の排泄多量と、尿意 頻繁とであります。又、歯の脱落も特徴であります。
○此病は、患者自身の発見ではなく、医師に言われて知る人が大部分であります。 ○必ず胃から肝臓、腹膜にかけて水膿溜結があるのであります。そういった機能が一帯に圧迫されるのが 原因であります。特に肝臓部が割合に酷いのであります。
○膿結を溶解するに従い段々治ってゆきます。
○浄化の状態は、喉が渇くか渇かぬかで最もよく判るのであります。
○尚医師で尿の検査をすれば確実であります。
○糖尿病は、医学上膵臓の疾患とされている。それは膵臓によって製出されるインシュリンの欠乏が原因と いわれ、医療はインシュリン注射を行うが、一時は若干の効果はあるが、根本法ではないから殆ど慢性と なる。又医学に置いて極端な食事療法を行い、糖分を与えないようにする。それが為患者の苦痛と経済的 不安は容易ならぬものがある。特に米食を不可とするので日本人には困るのである。糖尿病は本医術に よれば、膵臓外部に圧迫せる毒素を溶解排泄する事によって完全に治癒する。
〔霊的光力個所〕・・・肩、膵臓、肝臓、腎臓、左肩甲間部

【肛門】

一 痔瘻(ジロウ)

○症状としては、肛門の内部又は深部に膿汁の為に瘻穴が一個乃至数個作られ、其穴から絶えず排膿 されるのです。
○無痛と有痛とありますが、有痛の方が悪性で非常な激痛のもあります。又悪性は糜爛(ビラン)して瘻穴の 所在さえ判らぬ位であります。
○原因は、脊髄カリエスの膿が下降して、肛門から排泄されるのであります。
○痔瘻が治癒すると、肺結核になり易いというのは、右の排膿が閉塞される為、排泄口を肺臓に求める からであります。

〔霊的光力個所〕・・・頭部、肩、脊柱、腎臓、患部

二 痔核

○肛門の淵に疣(イボ)が出来るものであるが、之にも内痔核と外痔核とがある。
○痔出血もよくあるが、之は毒血が肛門から出ようとし、一部に亀裂が生じ、常に排血するので、気持が 悪く心配するものだが、本当は結構なのである。何となれば浄化の為の毒血排泄であるから、健康上 非常にいいのである。何よりも出血後頭脳の悪い人や、首、肩の凝る人などは、必ず軽快になるもので ある。従って脳溢血予防にも大いに役立つのである。
○内痔核と外痔核とあって、内痔核は肛門内部へ発生した一種の腫物であり、外痔核は外部へ露出した それであります。
○多少の痛みを伴うもので、慢性的のものであります。原因は一種の弱性膿結であります。
〔霊的光力個所〕・・・後頭部、肩、腎臓、鼠蹊部

三 脱肛

○痔疾の中で最も多いものは脱肛といって贅肉のようなものがはみ出る症状であるが、之も最初の内 は訳なく押込ませられるが、時日の経つに従って段々大きくなり、押込め難くなる。
○元来痔疾の原因であるが此病気は先天性薬毒およぴ尿毒と、後天性薬毒との二種又は三種の混合 毒素が下降して、肛門の周囲に一旦集結する。之が脱肛の原因であって、脱肛にも痛むのと痛まない のとがあるが、痛むのは後天性薬毒がある為である。
○原因は、排便時間が長いのと、便秘に因る息み等であります。従而、治癒せんとするには、原因である 排便時間を短縮する事で、少くとも一回五分以内にしなければなりません。
○又水分を出来る丈多く摂って便秘を防ぐのがいいのであります。
〔霊的光力個所〕・・・頭部、肩、鼠蹊部、腎臓、患部

【神経系】

一 神経痛

〇単に神経痛といっても色々あるが、それは勿論場所によるのである。
○只特種のものとしては骨髄炎の痛みで、之は薬毒が骨に固着しそれの浄化である。
○又肋間神経痛というものも此名称は少々的外れである。というのは医学でいう肋間神経痛は、本当は 肋骨神経痛である。何故なれば原因は肋骨に薬毒が固着し、それが浄化によって溶け始め、痰となって 肺に浸入しようとする場合、神経を刺激し痛むのである。
○此病気は激しく発る場合非常に痛み、呼吸すら困難になる事がある。
〔霊的光力個所〕・・・肩、鼠蹊部の淋巴腺、患部の裏、腎部の直ぐ下

二 顔面神経麻痺

○此病気は、顔面の神経麻痺で症状はいろいろありますが、普通の症状としては、顔の半面又は口形が 一方へ引吊るように曲り、甚だ醜いのであります。
○原因は、頸腺や肩部に水膿が溜結し、それが顔面にまで移行するのであります。
〔霊的光力個所〕・・・顔面の麻痺している箇所、頸部、肩、腎臓

【その他の病気】

一 高血圧

○高血圧者と雖も必ず脳溢血が起るとは限らないので、先ず脳溢血の懸念があると思えばいいので あります。
○原因は、血液の汚濁でありますから、血を濁さない様にすることであります。従而、食物は肉食を避けて 野菜を多食する事、出来るだけ運動をすること等であります。
○左右頸部やや前方扁桃腺直下の位置に毒素溜結し、それが動脈を圧迫するので、此動脈は腕に連結 している関係上、血圧計に高く表れるのである。
〔霊的光力個所〕・・・頭部(前方扁桃腺直下の固結)、肩、腎臓、腕のつけ根

二 動脈硬化症

○此病気は近来非常に多く、又危険性があります。
○心臓麻痺で、突然仆(タオ)れるのは、之原因が多いのであります。
○病気としては、毒血が動脈の一部に固結するので、それが進んで血流を遮断するに於て、心臓麻痺を 起すのであります。
〔霊的光力個所〕・・・後頭部、頭部、肩、腎臓

三 リウマチ

○之は人も知る如く、手、足、指等の関節が赤く腫れ上り、非常に痛むもので、原因は勿論薬毒が関節へ 集溜し、腫物となって排泄されようとする。その痛みで、患者は堪え難く、悲鳴を挙げる位である。
○此病氣も相當に多いのであるが、之も勿論、浄化作用によって、手足の関節に毒血が集溜し、紅く腫脹 するのである。最盛期は実に激烈な痛みで、其際些かでも手足を動かすか、或は物が触れると飛上る程 痛む。
○此浄化は二種あります。一つは手足の関節に限られて発病するもので、症状は、紅潮色に非常に腫れ、 発熱も伴い、激痛堪え難く、衣服さへ触れる事が出来ない程であります。原因は、悪性の毒血が、浄化 作用に由って関係部へ集溜するのであります。
○他の一つは、腎臓の尿毒に因るもので「主に関節」でありますが、之は関節以外の個所にも発病する ので、痛みは前者程ではないが相当に悩むのであります。此症状の特徴として患部の皮膚の色は変化 のないことと、痛みが移動性である事であります。重症は全身的で、痛みの為寝返りさえ出来ないのが あります。
〔霊的光力個所〕・・・腕、手指の場合は淋巴腺(リンパセン)から肩、腕の頂部及び患部、腎臓
、脚の場合は−腎臓部及び脚の附根【鼠蹊部(そけいぶ)】、及び患部。

四 カリエス

○カリエスは、脊髄カリエス、肋骨カリエス等であって、脊髄カリエスに於ては普通脊柱が彎曲となるので ある。そうして、多くは腰部及び股部に一個所乃至(ナイシ)、数個所自然穿孔され、その孔から膿汁が 排泄されるのであるが、其膿汁たるや多量にて間断なく排泄され、数年に及ぶものさえある。
○遺伝に因る特種膿であって、それが頗る多量なのが此病気の特質である。
○肋骨カリエスは、肋骨の裏面の骨膜に溜結せる膿が骨に微細なる無数の孔を鑿(ウガ)ちて、外部に 排泄されんとする一種の浄化作用である。

○脊柱の頂部から三分の一辺に、大抵の人は多少膿が滲出しているもので、その酷いのが脊髄カリエス であります。カリエスの膿は非常に多い人と少い人とあります。化膿性肋膜炎、化膿性腹膜炎なども之が 原因であります。また腫物や痔瘻などもそうであります。
○膿が出てる時は宛かも上へ出ようか下へでようかと考えている様なものであります。凡て膿は神経の 集注する個所や、熱した所へ集溜するものであります。
〔霊的光力個所〕・・・頭脳、脊柱、腎臓、腰
肋骨カリエスは、肋骨部

五 蕁麻疹

○この病気は、身体の全部または一部に発疹し、多くは紅潮を呈し、また非常に痒いのであります。 ○よく腸が原因と謂われますが、これは誤りです。その証拠には、いかに腸を治療するも、その効果は 無いに見ても明らかであります。
○二種の原因があります。一は、麻疹の毒素が残存しており、それが浄化作用によって 発疹するのと、二はカルシユウム注射の中毒によるのであります。
〔霊的光力個所〕・・・肩、腎臓、患部

六 魚の目

○原因は薬毒である。上から垂れてくる。足の上から膝裏へかけて痛い所がある。それと腎臓、尻、股等の 裏を上からする。

七 医学不明の流行病

○此病患は医家が診断すると雖も更に判明しないので、医家は病患はないとさえ言うのである。にも 係わらず本人は非常に苦痛であるが、如何ともし難いのである。症状はと言えば、全身倦怠、頭重、 肩首の凝り、物に倦き易く、根気がなく、何事も気が乗らず、不快感の為、快々として楽しまず、無為に して日を送りたがると實に哀れむべき症状である。而も外見上、健康そうに見えるので、周囲の者からは 横着の如くみらるるというわけで患者は一層苦痛なのである。

○右の如き症状は、悉く萎縮腎が原因であって、患者の腎臓を検するに巨大なる毒素溜結があり、又脊柱 の両側、肩、頭、淋巴腺付近、全頭部、腹膜部等にも尿毒の溜結が相当あるのである。故に、腎臓部を 第一とし、其他各部の浄化法を行うに於いて、毒結減少と共に漸次苦痛は軽減し、畢(ツイ)に溌刺たる 元気を取り戻すのである。

八 夜尿症

○急所は前頭部の中です。その次は頸の廻り、それから股−鼠蹊部です。−少し上の方です。 つまり尿道括約筋です。そこに毒があって、押しているんで、短くなっている。そこが急所です。 その次は腎臓です。その位で良いです。之は、気長にやれば段々治ります。

九 水虫

●虫が湧くんですよ。虫が湧くのは毒があるから湧くんで之は薬毒ですね。重い毒は下の方へ下がるんで、 極重いのは足の裏の一寸上ですが、そこに薬毒が溜まって水虫が湧くんです。だから人間、薬を飲んで なければ水虫にはなりません。だから水虫は人間が作る病気で、人造病ですよ。それからインキンや 田虫もそうで、やっぱり薬毒です。
〔霊的光力箇所〕・・・「手足の病気の急所」に準ずる、患部

●左ききについて

左ききは霊的になにか意味があるのか

右が体、左が霊で、霊主体従、左ききは体主霊従のことをしたから。
前生は女で嬶(かかあ)天下であったからでしょう。

※ ●ひげを生やしてもよいか

髭(ひげ)は男には威厳(いげん)が必要だから神様がくださったのです。 生やしたって差し支えありません。頭の毛は伸ばしたほうがいいですね。 頭を短くするのは坊主の型でもあり、また外国では懲役人だし、軍国主義的にも見えますからね。 国際的になってきた今日、やはり伸ばしたほうがいいですね。

髭を生やしたからって言ってよくよく髭は慢心に繋がるというがあまり関係はない。(霊的に考えればわかる事・髭を生やさなくても慢心する人間は沢山いる。全てその人の心がけである。)

●月の霊線が肉体に連なっている」

潮の干満が人間の生死に関係するのか。
潮の干満は月の引力でそれは月の呼吸によるのです。森羅万象すべて呼吸しているのです。地球も一年に一度ずつ呼吸する。
息を吐くときが春から夏で、吸うのは秋から冬にかけてです。だから春からは上に昇り、秋からは下へ降り凋落(ちょうらく)する。
地球は火の塊りで、それが息を吐くんだから暖かいわけです。月のは地球より早く一日一回ずつやっている。

人間の肉体は月の精であり、人間の霊は太陽の精です。肉体に関係ある字・・・例えば腕とか腹とか脳とかが月偏なのはこのためです。
ところが心臓の心は月偏がない。これは太陽からの火素を吸収する器官だからであるしこれは「火」が「心」に移ったからです。心臓の心の字の右の点を左へおけば火となるのもおもしろい。
これはみんな神様が作らせたわけなのです。こんなふうに月の霊線が肉体に連なっている。だから月の満欠が肉体に関係するのです。死も同じです。

〇内臓の三位一体と心臓の重要性

●内臓の三位一体とは心臓、肺臓、胃を指していうのである。 この機関こそ全内臓中の基本であると言ってもよいので、最重要な役目を果しているのである。 今日までのあらゆる医術は、胃と肺臓に関しては相当研究もされ、その活動へ対しての認識もやや成ってはいるが、 ひとり心臓に至っては全く不明であると言ってもよい状態である。 しかるに実際は、この三臓器中、心臓が最重要な機関である。 医家が死の直接原因を、心臓麻痺というにみても識るべきである。 かように最重要である心臓の機能活動が判明しなくては、真の治療は確立されるはずがないのである。

現代医学は、肺臓の呼吸運動に依って血液を浄化し、それを心臓に送ると言い、 血液浄化の法として、清澄なる空気を呼吸せしめんとし、大いに転地療法を奨めるのである。 又、飲食物を重要視して、栄養と消化の研究には、最大努力を払っているのである。 かように、肺と胃に対しての、器能活動の研究には、絶えず努力しつつあるに係わらず、独り心臓に対しては、あまり研究をしないようである。 これはまことに不思議であって、全く心臓なるものの機能の本体が、把握出来ないと諦めた結果であろうか。 この三臓器中心臓のその活動こそ、人間の健康の基本であると言ってもよいので、 この心臓の不明である限り、治療法と健康法は決して解決されない事を、断言するのである。 しからば、最重要たる心臓の活動の本質は何であるか、鼓動は何であるかを、詳説してみよう。

肺臓が一分間何十という呼吸運動をしているのは、今日の医学で説明が付くとしても、心臓の鼓動については何の為であるかを説明し得ないのである。 例えば、肺患者が転地して、新鮮な空気を吸い、胃には充分なる栄養を摂取しても、容易に治らないのは何の為であるか。 又、海岸居住者にして肺結核に罹病する者がすくなからずあるという事は、いかなる理由によるのであるか。 これらについても現代医学は、未だ説明が出来ないのである。 これは全く心臓の器能が不明であるからである。 この事の説明に対しては最初に、この地球の現象界の組織から説いてゆかねばならない。 我々が住んでいるこの地上の構成は何であるかと言うと、それは、三つの元素界から成立っている。

●三位一体

骨、筋、肉、皮等の物質体は――「現象界」に呼吸し・・・肉体(現実界) 土

それと同一の形態である――水素質のエーテル体が「空気界」に呼吸し・・・水霊(空気界)、 水

又、それと同じ精霊体が、――「精霊界」に呼吸しているのであります・・・精霊(精霊界で人間主体))。 火

故に、右の理によって「病気の根本」は其精霊体にあるのであるから、「精霊体そのものの病」を治さなければ、肉体の病気は絶対に治らないのであります。・・・・ 人間の精霊は精霊界に属しているのは前述の通りでありますが、精霊の中心に心があり、心の中心に魂があるのであり、殆んど之は、求心的に三段になっているのであります。 従而、其中心に位する魂は健康に重大な関係があるのであります。然し乍ら、人間は肉体を有っている以上霊気ばかりという訳にもゆかないので、 火の霊と水の霊と物質との――三位一体が完全に調和して、真の健康と長寿を得らるるのであれます。

★ 一、霊界、二、空気の世界、三、物質世界である。

しかるに、今日までの発見では、空気の世界と、物質界の二つのみであって、最重要なる霊界は未だ発見されていないのである。 この三段の組織を称して、仏語では、三千世界、又は三界といっているのである。 この三段階の元素を説明してみれば、第一の霊界とは、空気より一層稀薄にして、今日の科学では、これを測定すべき方法がない霊素ともいうべきものである。 しかし、最近の科学において発見せる電子、陽子、中性子、核等の研究は、この霊界に一歩突入したのであるから、 いずれは霊界の実在を認識するまでに到るであろう事は、信じ得らるるのである。 この説は、科学よりも一歩先へ前進しているだけである。

しかして、霊界は火素を主とする太陽霊であり、空気界は水素を主とする太陰霊であり、物質界は土素を主とする物質原素である。 この関係が認識出来得れば心、肺、胃の器能も判明さるるのである。

即ち、心臓は火素を即ち霊気を呼吸しつつあるので、それが鼓動である。
肺臓は水素即ち空気を吸収しつつあるので、それが呼吸である。
胃は土素から成る食物を吸収しつつあるので、それが伸縮運動である。


肺と胃の活動は、説明を略して、心臓を主として説明をしてみよう。

本来血液は、霊の物質化であるという事は既に述べてある通りで、 この人体生命のエネルギーである血液を、不断に活動させつつ、なお浄化の工作をなすその力こそ火素である。 そうして心臓は絶えずこの火素、一名霊素を吸収しつつあるが、空気にも清濁あるごとく、この霊界にも大いにそれがあるのである。 故に、この霊界においての清浄という所は、霊素が充ちているのであり、それは、光と熱との量積が、多分に在るという事である。 しかるにこの霊素が稀薄である所は、反対に汚素が多分に在るのである。 汚素とは一種の霊的曇である。別言すれば、霊界において、霊素の濃度なる所は、晴天のごとき明るさを感じ、霊素の稀薄なる所は、曇り日のごとき陰欝を感ずるものである。 しからば、霊素、汚素の多少はいかなる原因かというと、霊素の多い条件としては、正しき神霊を奉斎する事であり、 又 善に属する行為と言葉によるのであって、汚素の原因としては、右と反対に邪神や狐狸の霊を奉斎し、 又は、悪に属する行為と言葉を発するが故である。

故に、この理によって心臓の活動を旺盛にし、その結果たる血液を浄化せんと欲せば、前者の方法を実行すれば良いのであって、 そうすればする程、健康を増し、不幸は解消するのである。 しかるに、現在大部分の宗教は、光と熱を霊射する正神が少なく、大抵は暗黒に相応する邪神が多いのと、 しかも、人間の行為と言葉が、悪に属する方が多いから、霊界は曇るばかりであって、全く無明地獄である。 従って、ここに褄息する人間は、この曇れる汚素を常に心臓が吸収するから心臓は弱り、心臓が弱るから、愛の情動が稀薄になるのである。 現代の人間に愛が乏しく、とうとうとして稀薄になるのは、実にこの理によるからである。

しかしながら、この暗黒界にいよいよ大いなる光と熱の、無限の供給者たる光明如来、即ち観世音菩薩が救世之光となって出現されたのであるから、 御神体からは無量にその火素、即ち、光と熱を放射され給うので、その家の霊界は、漸次曇が消滅して明るくなるのである。 その結果、そこに住する人間の心臓は、火素の潤沢(じゅんたく)によって活動力が旺盛になるから、愛が湧起するのである。 その結果は争が無くなり、血液も浄化するから、健康となるのである。

右のごとく、愛と健康を以て、業務に従事する以上、繁盛と栄達は当然の帰結であって貧は無くなる。 病貧争絶無の根源は、これに依ても瞭(あき)らかであろう。 ここで、今一つの基本的解説をする必要がある。 それは、火と水との性能本質である。 元来、火は水に依て燃え、水は火に依て流動するのである。 もし、火を起すべき燃焼物に、全然水が無かったら、火は燃ゆる時間がなく、一瞬に爆発してしまう。 又、水に火の影響が全然無ければ、凍結のままである。 火の熱によって解溶するから、流動するのであって、なお進んで蒸気となり、動力発生となるのである。 本来、肺臓は水の性能である。

空気は、酸素、窒素等の原素はあるが、実は、水素が主である。 故に、肺臓は主として空気、即ち水素吸収機関であるから、冷性であり、理性の発電所である。 それと反対に、心臓は、火の性能が本質であるから、神霊界の火素(霊素)を吸収しつつあり、熱性であるから、愛と感情の根源である。 故に、肺臓の水性を活動させんとするには、心臓の活動によって、熱素を充分供給しなくてはならない。 故に、肺臓の活動が鈍いのは、心臓の愛の熱が少い為であるから、肺患治療に対しては、心臓へ火素を、より吸収させる事である。 心臓へ火素を潤沢に与えんとすれば、その住する霊界を清浄にするより外なく、それは、正しき神霊を奉斎(神仏をつつしんで祀(まつ)ること)する一事である。

この理によって、心臓を強め、心臓病を治癒するには、清浄なる空気を肺臓に与うればよいので、 そうすれば肺臓の水性が活動するから、心臓の火性を揺り動かす事によって、心臓は健康になるのである。 故に、近来肺患者の激増の原因は、各人の心臓の衰弱が原因である。


それは、二つの理由がある。一は前述の霊界の曇の濃度、即ち、邪神狐狸の奉斎と、悪の行為言葉による影響の為と、今一つは西洋思想である。 元来、西洋思想は、科学を基本として成った関係上、理論偏重である。 その結果として冷性になり、愛の情動が稀薄になるからである。 肺患者は理性の勝った者が多いので、薄情になりがちである。 利己的であって、利他愛が少い傾向を帯びているのは、争えない事実である。 又、心臓患者はこの反対であって、感情に走り易く、激怒し易いのであるが、 近来、実際の心臓病患者は、まことに少いのである。

〇心 臓

人体の機能中、最も重要であるのは、心臓であって、機能中の王者と言うべきものである。 従って心臓機能の本体が根本的に判らない限り、真の病理は確立するはずはないのである。 医学においても他の臓器は手術が出来ても心臓は出来ないに見ても肯れるのである。 ところがこのように肝腎な心臓機能が、医学では適確に判っていない事である。 ただ僅かに肺臓から酸素が送られ、浄血作用を行う機関くらいにしか思っていないようで、ほとんど取るに足らない考え方である。 では心臓機能の真の働きとは何であるかを詳しく書いてみよう。 そもそもこの機能は、霊界と最も密接な関係のある点である。 というのは左のごとき事を前もって知らねばならない。 というのは地球の構成原素である。

それはさきに説いたごとく三段階になっている。 すなわち一、霊界、二、空気界、三、現象界であって、これを一言にして言えば、一は火素が本質であり、二は水素が本質であり、三は土素が本質である。 もちろん一は日の精、二は月の精、三は土の精であって、この三原素の力によって、一切は生成化育されている以上、 そこで三原素を吸収すべき主要機能としては心臓、肺臓、胃の腑である。 すなわち心臓は霊界から火素を吸収し、肺臓は空気界から水素を吸収し、胃の腑は物質界から、土素を吸収するのである。 だからこの理を基本として、人体の構成を見ればよく判る。 しかるに今までは肺臓は空気を吸い、胃は食物を吸収する事だけしか判っていなかった。 従って心臓が火素を吸収するなどは、全然判っていなかったのである。

ではなぜそうであったかと言うと、それには理由がある。 すなわち空気も、食物も科学で測定が出来るからであるが、ひとり心臓機能のみはそれが不可能であった。 というのは霊界は無とされていた以上、機械的には把握不可能であったからで、これも無理はないのである。 早く言えば三原素の中、二原素だけ判ったが、一原素だけが判らなかった訳である。 ところがこの一原素こそ、実は二原素以上重要なものであってみれば、これが判らない以上、完全な医学は生まれない訳である。 ゆえに今までの学理は、言わば欠損的であった事は言うまでもない。

以上のごとく最重要な火素を吸収すべき機関が心臓であって、水素を吸収するのが肺で、土素を吸収するのが胃であって、それによって人間は生きているのである。 ところが病気であるが、病気とは再三説いたごとく、毒素の排泄作用であるから、固結毒素を溶解する場合、熱が必要となる。 その熱を心臓が吸収する役目であるから、平常よりも余分に熱を要するので、心臓はそれだけ活動をさかんにしなければならない。 発熱の際鼓動が頻繁なのはそれがためであって、その際の悪寒は体温を心臓に補給するため不足となるからで、 また呼吸頻繁なのは心臓の活動を助けるため、肺臓は水分を余分に供給しなければならないが、それには熱は水分を加える程力を増すからである。 また発熱の際食欲不振なのは、消化に要する熱量を、心臓へ奪われるからである。 このようにして毒結の溶解が終れば、熱の必要はなくなるから解熱するのである。 これで心臓の実体は掴めたであろう。

〇心臓医術

腎臓に次いで重要なる機能は、何といっても心臓であろう。 従って、霊的療法によって心臓が健全になった場合、疾患及び全身機能、精神的方面等に対し、いかなる好影響を及ぼすかという事を説いてみよう。 まず、腎臓の余剰尿が集溜する局所としては、肩胛骨(けんこうこつ)と脊柱との間が多い事はさきに説いた通りであるが、それはちょうど心臓の裏面に当る所である。 故に、この毒結が心臓を圧迫している為、心臓の活動が妨げられるのは当然である。 そうして心臓の活動の強弱はいかなる影響を与えるかというに、さきに説いたごとく、人体において心臓は火であり、肺臓は水であり胃は土であるという原理によって、 それは次のごときものである。

まず初め、心臓圧迫の毒素を溶解するにおいて、心臓の活動が旺盛となり、その結果として火素の吸収が増加するから、水である肺臓の活動が強化されるのは勿論である。 ちょうど水を温める火力が強くなるようなものである。 従って、肺臓の活動が旺盛になれば、結核患者の肺臓内に固結している毒素は、溶解排泄が速かとなるので、治癒が促進される訳である。 又、肺臓の活動は胃の活動を促進するから、食欲は増進するので、両々相まって非常な効果を挙げ得るのである。 そればかりではない、ここに見逃す事の出来ない事は、性格的に好変化が表われて来る。 元来、心臓なる機能は、熱の本源である関係上、性格的には愛の湧出する機能である。 故に、心臓の活動力旺盛は、愛の情動が盛んになる事で、性格が一変する訳である。

その例として、肺患者の性格は押並べて愛の熱が淡く、理性の方が勝つという事で、これは事実である。 それは心臓が弱い時は愛の熱が不足する。その為、水が温くならないという訳である。 この意味において、この心臓医術によれば、肺結核の治癒は促進され、罹病者は減少するのであるから、 結核問題解決に効果のある事は贅言(ぜいげん)を要しないのである。

人間の腹の中が汚いという、そのことをよく知っておくとよいです。 それがために婦人などは、顔色が悪いとか顔が荒れるとか唇の色が悪いとか言って、いろんな化粧品を使って、そうしていわゆるごまかしているわけです。 それがために、まず美人というのはないです。 化粧しなかったら、今の女性の顔は見られやしません。女性が薬をのまなくなったらどんなに美人になるか分かりません。 あまり化粧しない女性の顔を見ることがありません。男の方がよほどきれいです。最近の若い女性の顔を見ると、実に汚いです。 骨を折って、金を使って化粧して、体の中は薬毒で汚くするし、外は化粧品で皮膚から染み込ませて汚くしているのです。 それに気がつかないで、ますます念入りに化粧してます。 だから化粧品が売れるのです。売れるから広告などにたいへんな金を使うのです。 そういうわけで、汚い・・・ほとんど血膿を皮膚で包んでいるのだから、きれいなはずがないのです。

人間気がつかないが、人間の皮膚ぐらいありがたいものはない。もしこの皮膚がなかったら、汚くて、とうてい人前には出られない。 だからその皮膚の恩恵も感謝しなければいけない、そういうようなわけで、つまり美人を見てもあんまり美に酔わされないためには、中身を考えてみる必要もあると思います。
そうなると恋愛ということも、ちょっと熱が冷めます。しかしそうなるとやっぱり精神的に心の方の美を求めるから、かえってよいかもしれません。 そういうようなわけで、人間は意外に薬毒が多いということと、血膿というものは薬毒の変化したものということと、人間の美というものも体の中がきれいにならなければ、本当の美ではないということです。 やっぱり腹の中が美になれ・・・肉体が美になれば心も美になりますから、そうすると美しいものを好むということになります。 つまり魂が美から受けるその作用によって、魂がそれだけきれいになるわけです。非常に必要なことです。

神様はそういった、つまり楽しみながら魂をきれいにする、要するに浄化ですが、そういうことをやられるわけです。 だからして真善美の美ということの一番の根本は、人間の体の中を美しくするということで、その方法は、つまり直接には霊的光力、間接には教えを耳に聞き、 それから美を目から入れるということです。 とにかく神仏に向かっていれば、たとえ馬鹿馬鹿しいことをやっていても、それだけの心掛けであれば、兇悪犯罪をするということはあるわけがないです。 霊的光力を浴びていれば、寄せ付けない霊光体になってくるのです。

そうすると特に狐や狸というのは自分の居所がなくなるようなわけですから、つまり萎縮してしまい、活動ができなくなるのです。 彼らが一番怖いのは光ですが、霊的光力で救うのです。 ところが一方祖先とかいうのは、光によって浄められれば霊界の地位が上がりますから、救われたいというわけです。 よくお蔭話で、祖霊が喜ぶ状態とか、副守護神が邪魔しているのがありますが、それが分かってみれば、実によく分かります。 近ごろ非常に精神病が増えたということは、そういった動物霊が働きやすくなったからです。 働きやすくなったということは、人間の霊が曇ると彼らの活動力が増しますから、ここに汚い血膿なら血膿があれば霊の方は曇りが強いわけです。 それで曇りがあるほど動物霊というのは、そこで仕事をしやすくなるわけです。

だから了簡の間違った者や罪を犯す者は、副守護神、つまり動物霊が働きよい状態に置かれているわけです。 だから犯罪者が多いということや、さっき言ったとおり正義感が少ないということは、それとチャンと平均しているわけです。 だから今日正義感が薄いというのは世界的です。 すべて一時的御都合主義で、本当にこれが正しいと言って、それをやろうとする人はほとんどないです。 これは年中新聞やラジオで各政党や政治家がいろんなことを言っても、これなら本当に国民のためになる、世の中のためになるということはないので、 お座なり的で、実は、わが党が大きくなるとか、わが党のためになるとか、自分が出世する、というケチな考えで、こういう政策が本当に国民のためになるということをやる人は、ごくわずかしかないです。 そういうようなわけで、心が曇り、肉体は毒で埋まっているということがよく現われてます。

☆盤古神皇が漢方薬を発見

中国は盤古神王の系統が統治していた。 神農とも書く。漢方薬の絵によくある。 日本は伊都能売大神であらせられた。 盤古はよい系統だが、漢方薬を発見して、人間を助けようとした。 この奥にたいへんな邪神がいる。故に漢方薬は非常に悪い。 盤古の系統は邪神系にやられた。 文明の創造で一番始めに、薬を飲み始めたところを書いてありますが、 つまり原始時代に人間がだんだん増えるにつれて食物が足りなくなるので、山野にある物を何でも取って食べた。 それから虫類とか貝類を取って食べ、それに中毒をして痛むとか・・・苦しみ、 それを治したいためにいろんな草の葉や何かを考え出して、それで浄化を止めたわけです。 それが薬の始まりです。それで一番いろんな薬を発見して・・・要するに薬物というものを、一つの完成というか、させたのが盤古(ばんこ)氏という人です。 漢方薬の元祖です。それが素晴らしく薬物を進歩させたのです。原始時代に身体が悪くなると、擦って治したからクスリという言葉が出た。 ユダヤ人は現在も薬を飲んでいない。

一方ユダヤの陰謀としての、薬を飲ませて世界人類を亡ぼそう(内的に)とたくらんでいる。 ユダヤ人にはいろんな種族があって、そうして非常に信仰が強い種族があるのですが、これはユダヤ人の正統らしいです。 薬を飲ませたのは、邪神・・・神様です。 それは、薬をなぜ飲ませたかというと人間を弱らせなければ物質文化は発達しなかった。 それで弱らせるために神様は毒を薬のように思わせて、それで人間に飲ませた。 それで観音様は薬師如来となって薬は飲めと瞞したのです。お釈迦さんも薬草彙本(やくそういほん)を説いて飲ませたのです。

〇「眼病・霊的原因」

眼病にも霊的原因が相当ある。
最も多いのは失明の原因が蛇霊の憑依である。
それは蛇を殺す場合、多くは急所として頭脳を打砕くから、眼球も共に滅失するので、それが憑依する以上盲目となるのである。 その他夜盲症、一名鳥眼は鳥類の霊の憑依であり、色盲は動物が人間に再生せる場合、未だ動物の性能が残存しているためである。 それについて人間と動物との関係を次に説いてみよう。 そもそも造物主が森羅万象を創造され給いし時最後に造られたものが人間である。 それはあらゆる生物の特質を綜合して成った、いわば神が造った綜合芸術品である。 従って人間にはあらゆる生物すなわち鳥獣虫魚に至るまでの一面を保有している事はいうまでもない。 この意味を解りやすくするため、人間以外の動物を解剖してみよう。 あらゆる動物はその種別により特質をもっている。

たとえば馬の性質は従順と勇敢(ゆうかん=勇気があり、危険や困難を恐れない)で、音声はハヒフヘホであり
犬は忠実(ちゅうじつでで有るがよくかぎまわるせいかくを持つ)でワヰウエヲであり
猿は狡滑(こうかつ=ずるい性格をもつ)でカキクケコであり
猫は怠惰横着(たいだおうちゃく=なまけてだらしがない性格を持つ)でナニヌネノであり
鼠(ねずみ)は吝嗇(りんしょく=けちである)でタチツテトであり
牛は遅鈍(行動などがのろくて鈍いこと)でマミムメモであり
豚は愚鈍(ぐどん=理解力がにぶいこと。頭が悪くのろま)でバビブベボである。
鳥類においても雀のタチツテト
鶯のハヒフへホ
カナリヤのパピプペポ
烏のカキクケコ
家鴨(あひる)のガギグゲゴ等
によっても識らるるのである、 従って彼等の物を見る眼も物体の色彩が単一であって、 赤青紫黄白等一種または二種がせいぜいである。 色盲の原因も右の理によるのである。

〇「狐霊と狸霊の共同憑依による笑い泣く精神病」

電信柱のようなものは霊である。 狸は笑う。泣くのは狐である。 であるから、右二つの霊が憑いているかもしれない。

〇精神分裂症

前頭部の奥に霊が憑くんです。 前頭部と後頭部をよく霊射すれば治ります。 精神病というのは、最初は暴れて、それから無口になるものです。 それから治る順序になるんですがね。ですから、そういう順序です。

〇位牌がなく子孫に憑く

霊友会では、位牌を片づけます。
創価学会もそうです。
霊友会・創価学会じゃ、位牌は撤去します。
位牌は、昔からある黒いのに金(やはり光は金色であり様態として懸るものだと思うのである)で書いたので祀らないといけません。
白い紙や白木は四十九日までなんです。
それ以後はちゃんと金文字にしなければいけないんです。
こういうのは、祖先がちゃんとしたのをこしらえてもらいたくて憑るんです。


〇産後に不眠症や精神病が起り易く、又、月経時にヒステリーが起り易く、 又、山に行って断食等を行う場合天狗等が憑依するのは、皆貧血に因る精霊の稀薄に乗ぜらるるのであります。 右のごとき体的原因以外、精神的衝動を受けるにおいて、いよいよ不眠症に拍車をかけられるのであります。 それは貧血が一層はなはだしくなるのでそれだけ邪霊の力が増す事になります。 邪霊が憑依するや、あらゆる事象を連続的に無制限に想わせる。 それは彼らの本能であります。 そうして邪霊の思念がついに発展して、行動にまで及ぶので、それが常軌を逸しさせる種々の狂態であります。 医学上でいう幻聴とは、霊のいう事が聞えるのであり、 幻覚というのは種々の霊が見えるのであります。 そうして邪霊というのはほとんど狐の霊で、稀には狸の霊もあり、なお稀には両方の場合もあります。 精神病者が自問自答するのは頭脳の中枢に蟠居(ばんきょ)している狐霊と外部に居る狐霊との問答であるが、 この場合本人の記憶を利用する事が多いのであります。

又 空間をみつめて驚いたり泣いたり笑ったりするのは霊が見えるからであります。 要するに精神病なるものは、人間が狐霊に踊らされるのであります。 本療法によれば、半ケ年ないし二ケ年位で完全に治癒するのであります。 世間、脳梅毒が原因とされておりますが、これは極一部であって、 ほとんどが右の原因である事は、吾々の永年の経験によって証明し得らるるのであります。

狐は「本体」を暴露されると、騙す興味が無くなるのであります。 よく狂人が、誰も居ないのに喋舌ったり(道などを歩いているとよくそういう人間がおりますね)、何もないのに吃驚(びっくり)して逃げる事などがありますが、 それはその人の霊を占領し、他の狐霊と呼応して騙すのであります。 人間の霊を段々占領すると、顔までが狐のようになって来る事もあります。 人間を巧く騙す程、狐の社会では名誉になるのであります。

狐には、稲荷と野狐(やこ)との二種あって、稲荷は祀られた狐であり、野狐はいわばルンペンであります。

この野狐は絶えず祀られたくて策動しているのであります。

日蓮宗の行者は、行を積むと狐が見える様になり、狐と交通する事が出来る。

そうして野狐を招んでは、あの病気をお前が治したら稲荷に祀ってやると言うと、 狐は祀ってもらいたさに一生懸命に治すのですから、病気が治ると必ず祀らされるのであります。 野狐でも稲荷でも非常に沢山居て騙すのが巧(うま)い程出世をするんであります。 狐にも種々名前がある。 日蓮宗の行者などはよく名前を付けます。 眷族というものも沢山居る
。 穴守(あなもり)稲荷などは何万と居る。 これは多く花柳界(かりゅうかい=芸者)を専門にやっております。 旦那を招ぶとか色男を招ぶなど巧(うま=たくみなこと。上手なこと)いものであります。 狐の偉い奴程騙すのが巧妙であります。 東京では穴守と王子、関西では伏見(ふしみ)などでありますが、 穴守の方は花柳界へ、王子の方は一般的の方面に活動して居ります。 豊川あたりの狐は生活に困らないので、割合悪い事は少い。 豊川の狐は金儲けが専門であるから、豊川稲荷の信者は、金は儲かるが・・・病気や外の不幸が多いのは事実であります。 又 南無妙法蓮華経を聞く程神通力が増すのだと言う事であります。 御題目を唱えると狐が沢山集って来るのは事実であります。 それらの為に、日蓮宗にはどうしても狐憑きが多く犯人が多いのであります。 又 狸は始末がわるく治りがわるい。

これは一見して違うので、狸の方はとぼけた滑稽味(こっけいみ=笑いをさそうような趣)があり、超越している所があり、非常に笑いたがるのであります。 狐は人間の頭脳を占領して踊らし面白がっているだけであります。 又 人間の生命を奪る事が好きで、実に簡単に自殺させる。 そして、一人でも余計に殺せば名誉になり、仲間から偉いとされるのであります。 人間一人殺す位は訳ない事で、汽車往生や三原山へ飛込ませたりするのも多くはそれであります。 又 人間の思って居る事を容易に知るので、行者などがよく物を言いあてますが、あれは行者に使われてる狐が先方へ憑るのです。 すると狐は速くにその人の気持や記憶が判るのです。

それを今度は行者に憑って知らせる。行者はその通り言うからあたるという訳なんであります。 ですから過去は判るけれども未来は全然判らぬ。 行者など随分物を当てるくせに下らない生活をしているのは、未来が判らぬからであります。 よく手を上げたり、首を振ったり、異常な恰好するのはほとんど狐霊又は鳥霊の憑依であります。 そして「吾こそは八幡大菩薩だ」の、「何々大明神」とか、 ふるったのになると「天之御中主大神」だの「天照大神」など言いますが、 あれらは皆、狐、天狗等が好い加減な事を言って騙すのであります。

本人は自分で自分を買被り、自分が天照大神だの、天之御中主大神だのと思込んでしまうので実に危険であるから、神憑りは行らない方がいいのであります。 某精神病院での医師の話、「病院では全然治らぬ。一旦は治った様でも、家へ帰るとまた起るのです」との事でした。 霊的療法でありますから、段々狐霊が畏縮する。

そうして狐霊は平常腹部の中央に小さくなって居ります。 よく治療していると臍の辺にムクムクして脈打つものがありますが、それが狐霊であります。 蛇の霊は、長くなったり短くなったりして移動するのが特徴であります。 又、ヒステリーは、精神に衝撃を受けた瞬間精霊が畏縮する。 その間隙に乗じて腹部に潜居していた狐霊が俄然上昇し、頭脳を占有して人間を踊らすのであります。 その場合・・・玉の様なものが腹から昇ってゆくのを意識する婦人がよくありますが、それであります。 頭脳は人間全体の縮図のようなものですから、頭脳の中心を占領すれば身体全部を支配出来るのであります。 暫くして、本人が平静に還るに従って狐霊は再び元の腹部へ戻るので、意識がはっきりしてくるのであります。 前述の様な訳でありますから、精神病とは連続的ヒステリーであり、 ヒステリーとは、一時的精神病とも言えるのであります。

女ばかりではなく、男で狐が憑いてる人があります。 そういう人は顔も狐に似ておるものです。 治療をすれば、血が頭へ充実して来るから霊力が増進し、反対に狐霊は畏縮するので、 眠れるようになり、意識がはっきりしてくるという順序であります。 狐霊を解剖してみると種々あって、稲荷と野狐と言っても、その中に人間が狐になったのと本来の狐と両方あります。 人間の霊が畜生道に墜ち、狐になってる場合も相当あります。 しかし、人間に憑依する場合、その人の霊統に因縁が必ずあるもので、全然無関係では憑依出来ないものであります。

〇御霊紙について

●霊紙を貼るとか、戴くとか言う事があるが、これについて、昔は御霊膏と言うものを使った。 それはただ白い紙に霊を入れたものですが、非常に・・・御霊膏と、それから「おひねり」と言うのを作った。 そうすると、何かの問題があった時、御霊膏と言うと・・・膏薬みたいなものですが、ちぎって飲んだものです。 そんなような・・・飲んだり、口に入れたりするようなものは、要するに消毒・・・殺菌しなければならないと言うのです。 それで、問題でも起きたりすると面倒くさいから止めたんです。 ところが、それを使うと非常に効き目があるんです。 瘍(おでき)や疔(はれもの)なんか出来ると、御霊膏を貼っただけでも治りますからね。

白い紙に言霊の霊を入れたもの(清水のコップに霊紙をいれてその水を皮膚につける。三分立ったらコップの霊紙は土に埋める。)は一番早く効く。瘍(おでき)や疔(はれもの)なんかは特に直ぐ効く。皮膚の細胞が広がってきて膿が出やすい。

●今 御霊紙と言っているのは、お守さんを包んだ紙ですからね。 それでさえ効き目があるから、本当に霊を入れたのは素晴らしい効き目があるんですよ。 以前と今日とでは、時勢も違ったし、も丸っきり違っているし、 もうそんな事も、何ら問題が起こるとか、何らの疑念もないと思います。 大体、腫れ物とか痛み、それに貼れば良いんです。 良い加減な形に切って、縁にご飯粒で良いですが・・・つけて、それで貼っておくんです。 はり変えると言う必要はない。一度貼ると良い。 治ると、自然に剥がれます。 剥がれないのはまだ治る必要があるんですね。 神様の膏薬だけに旨く出来てます。 それをちぎって飲んでも良いです。 それも非常に効果があります。 この間、ちぎって飲んだところが、直に良くなってビックリしたと言う事があったが、そんな事から気がついたんですが、そう言う訳ですから、 家に置いておくとか、あるいは旅行なんかする時とか・・・と言う時には、これがあると、気強いですからね。 火の気が今は強いですから効き目が強くなっている。御霊紙を膿(うみ)の出る所に貼ってもよい。

●御霊紙は、また特種の・・・特別の力があるんです。

例えば瘍疔(註 できもの)なんかできますが、 御霊紙を貼っただけでも・・・その時分は御霊膏と言ってましたが、膏薬の膏ですが、瘍疔なんかは直に治るんです。 実に簡単にね。 それは、もちろん「オデキ」とか腫物とか、そう言うものに貼って良いし、 それから お腹の中・・・体内の病気の時、それを小さく切って、あるいはちぎってでも良いが、それを水で飲むと、非常におかげがありますからね。 それがあると気強いですね。痔に貼ってもよい。処分は、焼いてしまえば良いです。 御霊紙は貼りっ放しで良いんですよ。治らないうちは取れませんからね。ですから取り替える必要はないです。 御霊紙の作り方・・・半紙半分を四つ折りにして重ねたもの・または日本紙をたたんで神の依代の前にお供えし祈言を奏してそのまま三日間置いてから、 御霊光として使わせていただく。紙(神)通じるものでありますから良く光が入る。

●お守りというものがある!この「お守をかけていなくとも霊線によってつながっているのです」。 いついかなる時にも神様はしっかりと霊線を通じ御守護を下さり奇蹟を現わして下さる広大無辺なるものなのです。 しかしながら神のことも分からず、自己本位に考えている方にはあまり霊線が薄いのである。先ずは之までに書いてあることを理解することである。



尊き魂に光あれ!!




生き言霊に光あれ!!


いままで色々書きましたが、理解し難いものがあると思われたら、それはそれで良いのです。 しかしながら今の世の中の人々は薬だとか医者ということでしか救われないのだと洗脳され脳死状態と思うのであります。 聞く耳、見る目を持って、全て個人個人に委ねる事でありますから強制するようなものではありません。霊的光力は実は病気治しそのものが目的ではありません。 この霊的光力を通じて、神仏の実在を知らしめると共に、あの世とこの世に迷っている霊達を救う霊法なのであります。 最後に小生から願いですが一人一人がこの世に生まれ、善き人生を送っていただきたい事が一番の願いでありまス。
製作者の独断と偏見によるものであり、
記載内容及び画像により派生する全ての事象に対して
製作者は何ら保証致 しません。 医学とはまったく異なる体系での説明がたたありますが、 違法的な責任は一切負いませんのでご承知ください。 又メール等での相談は受け付けては居りませんのでご了承ください。

また、全ての記載内容及び画像を転用される場合があれば、
できるだけお知らせください。
尚、当ページはリンクフリーですので、好きなようにリンクしてください。 ご一報いただけると幸いです。



                        言霊豆知識-1〜10

                        言霊豆知識-11〜20

                        言霊豆知識-21〜30

                        言霊豆知識-31〜40

                        言霊豆知識-41〜44

                        言霊豆知識-45〜48

                        言霊豆知識-48-追加最終章

                        言霊豆知識-49-原発

                        言霊豆知識-50-病気

                        言霊豆知識-55-病気

 

 

戻る

fuurai@keb.biglobe.ne.jp

プロフィール
縄文について【ひとり言】
磐笛
土笛
幻のケン
土鈴・土鈴・新縄文式セラピー
縄文太鼓
SHOP
連絡先
ディジュリドゥ
ネイティブアメリカンフルート
CD
スナップ
ライブ日程
リンク
TOP