「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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流転 (初出 2010.5.23 renewal 2019.9.15)

【補注】
この話はフィクションです。

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心にトラウマを抱えたままのB子は、別の会社に就職しても、うまくやっていけない。 会社を転々としていくうちに、生活も苦しくなっていく。日々の暮らしにも行き詰まるような状況に立ち至る。

そして、まずたどり着くのが、区市町村の生活相談窓口だ。
しかし、この手の難しい案件は、とても職員では対応しきれない。そこで、弁護士などの専門相談がセッティングされる。 ここまでで何日かが費やされ、B子の生活はさらに逼迫する。

経験豊かな弁護士なら、被害者の言い分を「すべて客観的事実と受け止めることは危険だ」ということは知っている。 しかし、この場ではB子の説明しか判断材料がないため、相談担当の弁護士は事案を推論するしかない。
ここに至って、B子の心象にあるA部長は、極悪非道の人物となっている。 発端は、両者納得づくの関係だったワケだが、B子の中では、人格者A部長はすっかりセクハラ部長に変貌しているのだ。
また、会社の対応は、きわめて誠意を欠いたものだと、非難される。

B子が生活に困窮していることは、弁護士にもわかる。 そこで、訴えを聞きながら弁護士は、「訴訟になったときに、勝てるか否か」という尺度で、内容を吟味することになる。
このため、証拠や証言の有無が、きわめて重要になるのだ。

皮肉なことに、B子とA部長の関係は、そもそも純粋な恋愛関係であった。だから、甘ったるいメールもたくさん残っていたりする。
企業もそれなりの有名企業であり、当事者の地位も高い。となれば、相応額の賠償請求も可能だ。
そこで、担当弁護士は、彼女の訴えを鵜呑みにして「A部長の行為は、立場を利用したセクハラだ」と判断する。 また、会社の対応にも問題があると説明する。
当然、「あななの話が事実だということを前提にご説明しますが」と、付け加えるが、そんなことはB子の耳に入っていない。

弁護士の助言を受けた彼女は、セクハラ行為を裁判所に訴えることになる。
訴えられるのは、A部長と会社(管理責任を問われる)。

(主張の主旨)

A部長は、上司としての立場を利用して、自分に対し肉体関係を迫った。
自分としては、部長の意のままになりたくなかったが、会社での立場を考えてそれに耐えていた。
その後、別の交際相手ができたが、それを知ったA部長はこれを妨害する意図で、自分たちの関係について、社内にウワサを広めた。
会社は、被害者の訴えに対し、なんら有効な対策を講じなかったばかりか、その事実を隠蔽するような工作をした。
このため、被害者は会社を退職せざるを得なくなった。これは本人の意思ではない。

しかしながら、B子の精神・身体・経済力は、何か月や何年にも渡る訴訟を続けられるほど強靱ではない。 また、企業も社名がセクハラ問題で表面化することは避けたいと考える。
このため、水面下での和解交渉が進められることになる。

ここに及んでも、A部長は、B子との関係そのものを全面否定する。
およそ人間というものは、ご都合主義であり、追いつめられると自己保身に走るものなのだ。
しかし、結果としてこれが命取りになる。

会社は「あくまで彼女が自分から退職したことであって、退職願も本人から出されている。A部長との関係については、ウワサでしかない。 事実だとしても、個人同士の問題だ」と主張する。

しかし、およそ女性というものは、自分の手帳にたいへん詳しく行動日程を書き込んでいるもの。 優秀な秘書であるB子ならなおさらだ。この証拠から、男の単純なウソは簡単に看破されてしまう。
証拠を突きつけられ、A部長は事実を認めざるを得なくなる。

訴えられたA部長の心は、「オレは、何で、こんな娘と関係をもってしまったのか・・・」という反省で満たされる。
もはや、部長の側にも、B子との幸せな月日の記憶は失われている。
そこで部長は、「関係をもったのは事実だが、本人同意のもとでやったこと」という主張に切り替える。 事実もそのとおりだったが、ここに至っては“悪あがき”としかた受け止めてもらえない。

この主張を聞くに及び、B子の人間不信は頂点に達した。「もう自分の人生は終わり。でも、A部長だけは許せない」という思いだけが、彼女を支配する。

裁判所側も窮地に陥る。
本ページを最初からご覧いただいているみなさんは、事の成り行きを第三者の立場で俯瞰してきた。 だから、二人がそれなりの合意のもとでつき合っていたことを知っている。でも、それは神の高みから事態をながめていられるから言えることだ。
裁判官は神様ではないので、人間の地平線からしか状況が見られない。ほんとうの事実を断定することは不可能。
しかし、結論は出さなければならない。

両者否認のまま、状況はずるずる進んでいく。
何とか和解ができないか、と裁判所は提案する。

このあたりになると、当然、トラブルは会社の幹部の耳にも届く。
幹部は、「一社員の火遊びのために、何で会社全体が右往左往しなければならないんだ」という、憤りによってイラつく。 「しかも、当事者は分別もある部長なんだよ・・・」と、社長の怒りは収まらない。

被害者側弁護士と企業側とで、金銭解決が探られる。
「何としても、会社の名前がマスコミに流れて、社のイメージが悪くなることだけは避けたい・・・」ということが、会社にとって最優先事項となる。

最近のセクハラ事件の解決金は、勝訴だと数百万円にもなる。水面下での金銭解決となれば、これよりずっと多くの金額が動く。会社にとってみれば大きな損失だ。
しかし、部長級社員の1年間の人件費と比較するならば、さほど大きな額ではない。
膨大な和解金を支払ったとしても、所詮、一社員の人件費と比較すれば、、会社は数年で回収可能であることがわかる。
「ここは一つA部長には捨て石になってもらおう・・・」というのが、組織側の論理だ。続く→