「しごと」と「労働」に関するよもやま話(renewal)

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つまずかない人生:いじめ (初出 2011.8.7 renewal 2019.9.15)

【補注】
「社会科」の講義ノート続き。

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労働相談の窓口には、そういった労使間のトラブルが毎日寄せられる。

本当なら、ここで生の相談事例を出して説明したいのだが、私たちは守秘義務があって、実際の相談内容を表に出せない。
だが、一般論について、解説することはできる。

労働相談の内容というのは、主に3つくらいに集約される。
(【補注】現在は「辞めたいのに辞めさせてくれない」というのが一番多いらしい。時代は変わったものだ。ここでは当時のままに掲載してある)

ひとつは「急に解雇された」というもの。
だが、解雇なのか退職なのかはっきりしないケースが多い。
よく話を聞いてみると、「あなたはウチの会社に向いていないみたいだから、明日から来なくていいよ」と言われていることが多い。
それは、解雇通告のようにも聞こえるが、退職の勧奨のようでもある。

強く命令口調で叱責されたときなど、「辞めろ」というのは会社の退職勧告であり、 実際は労働者自らが辞めるように仕向けたということになれば、解雇になると考えられる。
しかし、その証拠があるわけではない。「言った、言わない」の話になる。

こういう場合は、退職届を出さないこと。
解雇か退職かで、まず、解雇予告手当の支払いに違いが出る。
失業給付に差がでる、給付制限を受ける。
「撤回」「復職」も難しい。

このように、解雇か退職かでは大ちがいなので、 あいまいな返事はしないこと。
納得できないなら、翌日も出勤する。
しかし、これはきつい話だ。

辞めるのは認めるが、自分の意志ではないという場合も多いだろう。 とはいえ、「一身上の都合で」という退職届を出したら、主張できることはほとんどなくなる。
退職してもいいが、少なくとも自己都合にだけはしたくない、というのであれば、「一身上の都合」を二重線で消し、「会社の勧奨に応じ」と書き直す。
退職届というものに様式は決まっていないから、退職に至った経過などを添え書きしておくこともできる。 例えば「○月○日、人事部長に呼ばれた。部長はかくかくしかじかのように言って、私に退職を促した。自分としては退職したくはなかったのだが、 そこまで言われるようなら、将来に希望を持てないと思ったので、やむなく退職するに至った・・・」というような具合に書く。
そして、その退職届のコピーは必ず取っておくこと。
(【補注】会社が助成金をもらっているために、あくまでも「自己都合」にこだわることがある。 しかし、社としての立場が弱くなるので、そういう説明はしない。背後に別の理由があるか、ないかも考えてみるとよい。)

労働相談の二番目のパターンは、
「突然退職したら、最後の給料を払ってくれない」というものだ。
これは明らかに労働基準法に違反する。
しかし、会社に聞くと「払わないとは言っていない。突然辞められたので、事務方が混乱しているんだ」という。
こう言われると、「しばらく待て」としか言えなくなる。
(【補注】相談者の中には、相談窓口を「代わりに取り立ててくれるところ」と誤解している人もいる。行政が動けるのは“権限の範囲内”でのこと。 労働基準監督署なら立ち入り権限もあるが、東京都の窓口にはまったく権限がないので、企業から「お断り」と言われると、それ以上進めない。)

会社側が感情的になっているとき、あるいは他の従業員への見せしめにしようと会社が考えた場合などは、 勝ち負けを度外視して「損害賠償」を請求されるケースがある。
きちんと弁護士を立てて賠償請求された場合は、労働者側も受けて立たざるをえなくなる。
あれこれ考えると、退職するときはできるだけ円満な形で納めるのが得策である。

飲み屋で小耳に挟んだ話だが、
ある業界では、退職者の最後の給料を出さないというのが常態化しているという。
そこで、辞めるにあたっては、最後の営業日まで黙っていて、回収してきた販売代金を持ち逃げするのだという。
それは、やりすぎ。
いかに経営者が悪い人だといっても、業務上横領になる。警察に訴えられれば前科一犯だ。

給料を払わないというのは、労働基準法違反なのだから、労働基準監督署に申告することもできる。
粘り強く要求することが必要だ。

そして、労働相談の第三のケースは、最近、増えてきているのだが、「会社で嫌がらせにあっている」というもの。
労働法には「同僚をいじめるな」とは書いていない。もちろん、殴る蹴ると度が過ぎれば犯罪になるが、ごく一般的ないじめ・嫌がらせを止めるのは簡単ではない。

有名な裁判例を紹介しよう。
ある病院でのいじめ事件だ。
いじめを受けたのは男性看護師。21歳。仮に太郎と呼ぶ。太郎は,男性看護師の中で一番後輩であった。
いじめたのはその先輩の男性看護師27歳である。
平成14年1月24日、夕方、太郎が、自宅の2階で電気コードで首を吊って自殺しているのが発見された。
太郎のはガールフレンドがいた。一週間前、太郎は、彼女とデートした帰りの車の中で、涙ぐんだ。
病院の先輩の話になった際、太郎は、「もし、俺が死んだら、されていたことを全部話してくれよな。」と言った。

裁判所の認定した事実は次のようなものだった。
最初は、いわゆるパシリ。
被告のための買い物をさせた。肩もみ。家の掃除。洗車。子供の世話。風俗店やスナック、パチンコ、競馬へ行く際の送迎。
太郎が通う高等看護学校の女性を紹介するように命じ。飲み物等を太郎に用意させ、8万8000円を負担させた。
二番目はデートの邪魔。
太郎は,勤務時間外に彼女と会おうとすると,被告からの電話で、仕事を理由に被告病院に呼び戻されることが何度かあった。 お台場でデートしていた太郎をデートしていることを知りながら,仕事だと言って被告病院に呼び出した。 太郎の携帯電話を使用して,彼女にメールを送った。
第三は、太郎が仕事でミスをしたとき、乱暴な言葉を使ったり、手を出したりしたことだ。
「バカ田。何やっているんだよ。お前がだめだから俺が苦労するんだよ。」などと発言があった。
極めつけは第四、職員旅行での事件。
太郎に好意を持っている事務職の女性と太郎を2人きりにして、太郎と女性に性的な行為をさせて、それを撮影しようと企てた。
太郎と女性の部屋の周りには、職員が集まり、部屋の中をのぞいていた。被告は、カメラを持って押入れに隠れた。 太郎は,焼酎のストレートを一気飲みし、布団に倒れ、病院に送られた。
被告らは、太郎の彼女に、本件職員旅行での太郎と女性職員との件を話し、 「僕たちは酔っぱらってこいつに死ね死ねと言ってましたね。僕は今でもこいつが死ねば良かったと思ってますよ。」などと話した。
忘年会での会話でも。太郎の先輩らは,太郎に対し,「あのとき死んじゃえばよかったんだよ。」と言い放っていた。
電子メールでは、太郎に対し、「君のアフターは俺らのためにある。」「殺す。」という文言を含んだ電子メールを送っていた。
最後に、カラオケ店での出来事。
残ったコロッケを、キャッチするようにと投げつけた。 太郎は、コロッケを口でキャッチできず、下に落とした。 太郎が落ちたコロッケを皿に戻すと、被告は,何で戻すんだと食べるように文句を言った。

裁判所は以下の判決を下した。
いじめを原因とする自殺に責任がある。
被告看護師の賠償額1000万円
被告病院の賠償額 500万円

ここで2点、補足しておく。
太郎は,看護助手として病院に勤務しながら准看護士の資格を得、さらに看護専門学校に通学していた。 一方の被告は、看護学校の進学には失敗し、看護士の資格を有していない。
つまり、いずれ「地位」が逆転するかもしれない。そういった潜在的な恐怖感が加害者側の心理にあった可能性がある。
学校時代だと、先輩後輩の関係は固定されている。しかし、社会においては、自分の後輩が上司になるということは、ままあることである。
プライドの高い人間にとっては、それを本心から受け止めることができない。 だから、「芽のウチに潰す」という心の動きが働くと考えても不思議はない。

なお、今回の講義では病院名を示していない。
しかし、判例には、この病院名が○○病院事件として記載されており、いじめの案件として有名であるだけに、事あるごとに引き合いに出される。
病院としての最大の損失は、いじめの判例として自らの名前が長く残ることだろう。
病院は「人の命を助ける場所」。
だから、こんな事件に絡んで名前を出されること自体、ひじょうに不名誉だといえる。

判決が出て、太郎の恨みは晴れたかもしれない。しかし、命は戻らない。 続く→