改
訂 Ⅳ
人生 の 構造
2003年
“自負と自由と協調の三つの意思”
“警戒と憤りと虚言の三つの孤立”
~ 充実と誇りと希望の、素晴らしい無上の存在である自分 ~
目 次
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01: 略記解説 ① 自己本位を自任する在り方 |
02: 〃 ② 利己を支持する人々の好意 |
03: 〃 ③ 好意を当然と求める自負心 |
04: 〃 ④ 好意に頼らざるを得ぬ不服 |
05: 〃 ① 自己本位を自任する在り方 |
06: 〃 ⑥ 好意の漂泊を警戒する孤立 |
07: 〃 ⑦ 好意に応えた生き方の強制 |
08: 〃 ⑧ 強制に憤るが飲み込む孤立 |
09: 〃 ⑨ 自分の利己を自覚した不安 |
10: 〃 ⑩ 利己を非難する虚言の孤立 |
11: 〃 ⑪ 孤立が歩み得る光明の現実 |
12: 〃 ⑫ 利己を支持する好意の実践 |
13: 構造の要諦 |
14: 略記再掲 |
15: 語意参考 |
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16: 人生の構造(1) |
17: 人生の構造(2) |
18: 人生の構造(3) |
19: 人生の構造(4) |
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20: 記 録 |
序 私たちは、自分が人々の利己を受け入れることができないため、当然人々も私たちの利己を受け入れることができないであろうと予測し、自分の利己を自分にさえ見えないように隠します。しかし、私たちは、人々が私たちの利己を超えた好意で私たちを包み支え続けてくれていることに気がつきます。それにより私たちは、自分の利己を含むすべてを人々にゆだねる信頼に至って安堵し、人々と共に歩み出します。 私たちにとって人々の存在は自分自身の存在と同様に大切で不可欠であり、私たちは人々の利己と一体である自分を理解して生きるべき存在です。たとえ、私たちが人々への疑いという孤独な殻の中に自分を閉じ込めていたにしてみても、私たちは“人々と共にあることがなければ成り立たない自分”であること、“人々の存在こそが自分のすべて”であること、それを前提に人々を疑っています。 未熟な私たちは人々への疑いに留まろうとする態度について人々から叱責を受けますが、やがてその叱責が人々にとって私たちが大切な存在であればこその叱責である理解に至ります。言ってしまえば簡単ですが、実は人はなかなかその理解に達することができず、自分の殻に閉じこもってしまいます。 私たちはその殻の中で、人々の手を握り締めるという本懐を遂げぬまま死を待つ以外にない自分を拒絶する決意をしない限り、その殻の外に自分の住処を探し出すことはできません。私たちは、自らの殻に閉ざされた満たされぬ孤立の虚無を味わうことによって、外の世界を推し量る検討の場を与えられ、新生して旅立つ時を恵まれます。 私たちの心の中には自己本位な思いがたくさんあって、人々の協力なしに生きられない私たちは、それを人々に知られてはならない思いだと悩みながら暮らしています。しかし、人々は、私たちが人々に知られてはならないと考えている自己本位な思いについて、それらの思いのすべてを包み込み当然なこととして肯定した上で私たちを支え続けてくれているのですから、あと必要なことといえば私たちがそのような人々の姿に気がついて人々に向かって自分を開くということ、ただそれだけです。 私たちは、自らの利己を責め立てて気に病んでいる必要など、全くどこにもありません。 |