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改 訂 W 人生構造


 

「@自己本位を自任する在り方」

“自分の利益の実現を求める自己本位な欲求”に自分をゆだねる在り方、“自分が自己本位であることを自分自身に向かって容認し、その容認を自分の任務として少しの遠慮もない在り方”、つまり“利己”。

 

解  説

赤ん坊は、お腹が空いたと泣き、ミルクが熱いと泣き、うんちが出て気持ちが悪いと泣き、おしめが濡れて気持ちが悪いと泣き、眠くなってきたと泣き、気分が悪いといって泣きます。それらの泣き声の求めるところはすべて、いわば“自分の利益の実現を求める自己本位な欲求”、それを満たすことにあります。赤ん坊は、“自分の利益の実現を求める自己本位な欲求”に自分をゆだねて気ままにふるまっているのであり、まだ赤ん坊には他の人々に対する配慮というものはありません。

しかし、大人である私たちも、“自分の利益の実現を求める自己本位な欲求”に自分をゆだねる在り方、つまり“自分が自己本位であることを自分自身に向かって容認し、その容認を自分の任務として少しの遠慮もない在り方”(「@自己本位を自任する在り方」)をしているのであれば、他の人々に対する配慮が有るのか無いのかという違いだけで、結果的には赤ん坊と少しも変わらない在り方をしていることになります。

“自分が自己本位であることを自分自身に向かって容認し、その容認を自分の任務として少しの遠慮もない在り方”を選んでおいて、その上でいくら他の人々への配慮を重ねてみたところでそれは貸し借りのかけ引きであり、“巧みに人々の批判を言い逃れる”だけの意味しか持たないように思えます。私たちは、その生き方から離れ去ることができずかといって人々と争うことは決して得策ではない思いに苦悩します。

確かに表面だけを見るのであれば、私たちの「@自己本位を自任する在り方」は人々のそれと競合し、争いを避けることはとても難しいことのように見えます。しかし、実際には私たちと人々とは一体で、私たちの自己本位には何らの問題もありません。

 私たちは、すでにお互いにお互いの自己中心のその真ん中に、自分と向かい合い助け合うべき存在としてお互いを招き入れているのであり、お互いにお互いを自分にとってかけがえのないものとして位置づけた中で暮らしています。


 


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