改 訂 W 人生の構造
「A利己を支持する人々の好意」 私たちの「@自己本位を自任する在り方」をそのままにどこまでも大切に包み込み重んじ、共に助け合う私たちとの日々を願って注ぐ、暖かくて限りのない“人々の好意”。 解 説 欲求を満たされたいと保護者を求めて泣き叫ぶ赤ん坊のその自己本位な呼び声に母親は、自分の疲れを忘れて心を躍らせ、すぐさま駆けつけてきて語りかけます。 「ごめんねごめんね、遅くなってごめんね、お母さん悪かったね、お母さんが悪かったね」そういいながら母親にできる精一杯を尽くし、私たちを満足させようとして包み込みます。 悪いのは「@自己本位を自任する在り方」をしている赤ん坊なのではなく、その欲求を満たしてやることができない母親だ、というのです。 つまり、赤ん坊である私たちにしてみれば、「“自分の利益の実現を求める自己本位な欲求”、それを人々に向かって示せば、示した行為そのものが人々から限りない期待と喜びとをもって全身で迎え入れられる」のです。 そして、さらにそれでも泣き止まない私たちに向かっては、やはり「ごめんね、ごめんね」とくり返し、自分の力の及ばないことを私たちに許してくれるようにと哀願し、私たちをなだめながら落ちつかせてくれます。 赤ん坊である私たちはそのように、私たちの「@自己本位を自任する在り方」をそのままにどこまでも大切に包み込み重んじるところの、共に助け合う私たちとの日々を願って一方的に注がれる人々の暖かくて限りない好意(「A利己を支持する人々の好意」)の、その腕の中で安堵することを与えられて満たされ、安らかな眠りを自分のものとすることができるのです。 しかし、そのことは、何も私たちが赤ん坊である時代に限ったことではありません。 私たちはその成長とともにそのような直接の擁護を受けることは少なくなりますが、かたちは変わっていっても基本的にはこれと少しも変わらない扱いを人々から受け続けることによって、自分自身というものを保たせてもらい続けながら年老いていきます。 |