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改 訂 W 人生構造


 

「J孤立が歩み得る光明の現実」

“非難と圧迫”に“拒絶と抵抗”で応じるが何の成果もなく、かえって自己本位を自覚した不安と言い訳に追われ“三つの意思(@AB)”への過信を思い知らされ、人々に身をゆだねる。そこに「“人々の非難を拒絶して尊厳を守る”と気負ったが、拒絶が挫折した無為の自分も尊厳を守られて“人々の好意”が共に在り、非難を誤解していた気恥ずかしい現実」が開け、人々の非難の真意を究明する。

 

解  説

“素晴らしい無上の存在である自分”に満ちる私たちは自分への“非難と圧迫”に納得がいかず「そんな馬鹿な」と憤り、“三つの意思(BCD)”を過信した“拒絶と抵抗”で応じますが相手にされず、“人々の好意”に十分に応えることができる自分であることを証明しようとしてかえって人々の圧迫の趣旨に全く背いている自分を自覚し、言い逃れに出任せを並べますがやはり相手にされません。

「E好意の漂泊を警戒する孤立」への停滞を非難されて“好意の剥奪”を匂わせる圧迫を受け(F)、主体性を奪われても従順を装わざるを得ず秘密にしなければならない憤りを抱え(G)、“非難と圧迫”を一掃しようとして自分の心を調べれば底知れぬ自己本位にその露見を恐れることになり(H)、「自分は利己を憎んでいる」と嘘を並べ(I)、それでいて何の成果も得られない現状。

私たちは実に情けない虚ろな現状を認めざるを得ず、もはや自分を救う手立てを自分自身に期待することができず“三つの意思(BCD)”への過信を思い知らされます。

そして、「人々の私たちへの扱いが如何なるものであろうとも、私たちにとって“人々の好意”こそがすべてであるのだから、人々が与える処遇にあるがままの自分をゆだねてそこに道を求めよう」と決断します。私たちは、初めから“人々の好意”と共にある以外に道はありません。

“三つの意思(BCD)”への過信を思い知らされて拒絶の足場をなくし、しかしすべてを“人々の好意”に依存する身の上から仕方なく覚悟が定まり、人々が与える処遇に身をゆだねます。

そこに私たちの、「“人々の非難を拒絶して尊厳を守る”と気負ったが、拒絶が挫折した無為の自分も尊厳を守られて“人々の好意”が共に在り、非難を誤解していた気恥ずかしい現実」(「J孤立が歩み得る光明の現実」)が開かれます。私たちはその現実を光として、人々の私たちへの“非難と圧迫”のその真意を明らかにして自分の道を定めようとします。


 


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