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改 訂 W 人生構造


 

「B好意を当然と求める自負心」

「@自己本位を自任する在り方」の私たちが「A利己を支持する人々の好意」を注がれることで与えられ支えられる私たちの、“人々の好意”を当然のこととして受け取るべき自分だと自負し、人々に積極的に関わって“人々の好意”の確保を広げていこうとする“自負の意思”

 

 

解  説

「“自分の利益の実現を求める自己本位な欲求”、それを人々に向かって示せば、それを示した行為そのものが、人々から限りない期待と喜びとをもって全身で迎え入れられる」そのような特別の待遇を受けることが当然である者としての扱い。人々からその自己本位な欲求の思うがままを、無条件にありのままに、そのままにどこまでも大切に包み込まれ重んじられ受けとめてもらえる権利がある者としての扱い。それらの“特別に優遇された扱い”を一方的に与えてくれるところの、人々の暖かくて限りのない好意。

その「A利己を支持する人々の好意」を、溢れるがままに受け取ることで満たされていくべき自分だという自信。自分は“人々の好意を当然として受け取るべき者”としての立場にあるのだという人々に向けての自信。つまり、「自分は、自己本位な欲求をも含めたその存在のすべてを、人々からそのままにどこまでも大切に包み込まれ重んじられ、そうされることで満足を与えられて生きていくべき、そのような、人々に向かっての当然の値打(価値)を持っている存在なのだ」と、心にしっかりと刻み込んでもらっての自己肯定、自負の思い(「B好意を当然と求める自負心」)。

私たちは、その自負心を人々によって育み与えられ支えられることで、“人々の好意”で自分を満たそうとする意欲を持って積極的に人々とかかわろうとする存在になります。

私たちが、“人々の好意”をいつでも簡単に宛にする態度で居られるのは、人々によって「B好意を当然と求める自負心」を支えられているからです。

私たちは、“人々の好意を当然として受け取るべき者”として育まれます。しかしそれは、“人々にも同様に当然の値打がある”のであり、単に“自分には当然の値打がある”のではありません。

私たちの、わずかそれだけのこと気がつくための旅路がここから始まります。


 


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