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改 訂 W 人生構造


 

「G強制に憤るが飲み込む孤立」

「E好意の漂泊を警戒する孤立」での停滞を非難され、「D好意に応えたい協調の希望」の実践を歩まないのなら好意を剥奪するぞと匂わせる圧迫を受け、“三つの意思(BCD)”を糞土のように扱われてそのうえ“自らを決する主体性”を放り出し隷属せざるを得ない屈辱に激しく憤る。しかしすべてを“人々の好意”に依存している身の上ではその扱いにも逆らえずに憤りを飲み込んで、そ知らぬ顔で人々の言い分に従い従順を装う。その私たちの“憤りを飲み込む孤立”

解  説

「E好意の漂泊を警戒する孤立」に停滞し“人々の好意”に一方的に擁護されるその場を息を殺したまま動こうとしない“三つの意思(BCD)”への過信にまどろむ私たち。 そのような私たちに対して人々は、「D好意に応えたい協調の希望」の実践を歩まないのなら“人々の好意”を剥奪して見捨てる、とまで匂わせて圧迫します。

人々は、私たちに寄せられる“人々の好意”を剥奪して見捨ててしまうつもりなどありません。“好意の剥奪”を匂わせることで私たちの自立を促し、自分の一切に対して責任を持たなければならない立場に私たちを追い込むことで人々と支え合わなければならない必要に直面させ、利己である私たちの姿とそれをも抱き止めている人々の姿とを知らしめ、「D好意に応えたい協調の希望」そのお互いの実践だけが私たちの日々を支えていく現実を自覚させ、人々も同様の立場にある理解を与えて「“人々の好意”に対する“必然性への不信”」を克服させようとします。

しかし、私たちは“好意の剥奪”を匂わせる圧迫を受け、“三つの意思(BCD)”を糞土のように扱われてそのうえ“自らを決する主体性”を放り出し隷属せざるを得ない屈辱に大いに傷つけられ、自分が冒涜され侵略されているという不満の感情を抱いて激しく憤ります。

私たちにとって“人々の好意”は自分自身の存在の前提であり、“好意の剥奪”を匂わせる恫喝(圧迫)は私たちの“自負の意思”“自由の意思”“協調の意思”を糞土のように扱いその主体性を放り出させ、私たちを狼狽と懇願の隷属に打ちのめす暴挙です。

それでも“人々の好意”に依存すること無しには一日たりとも歩むことができない自分を承知している私たちは、その憤りの思いを自分が可愛いばかりに決して人々に悟られてしまうことがないように、そのまま飲み込んでしまいます(「G強制に憤るが飲み込む孤立」)。


 


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