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改 訂 W 人生構造


 

「I利己を非難する虚言の孤立」

「H自分の利己を自覚した不安」を抱える私たちがその不安から逃れようとして、今度は人々の前で自分の利己を非難して見せ、自分の「@自己本位を自任する在り方」を憎む自分であることを主張して人々に迎合し、“人々の好意”をつなぎとめようとする。その私たちの“利己への虚言の孤立”

 

 

解  説

人々はただ、「“人々の好意”の享受について“自分には当然の値打がある”」という確信(「B好意を当然と求める自負心」)を一方的に主張する私たちに、“人々の好意”の享受について“人々にも同様に当然の値打がある”ことを伝えて「D好意に応えたい協調の希望」を共に歩みたいだけであり、私たちの「@自己本位を自任する在り方」を全く問題にしません。

しかし、“自分だけを満たすのではいけない”とくり返し指導(“非難と圧迫”)を受けている私たちは、「@自己本位を自任する在り方」は非難を受けるものとばかり思い込んでいて、自分の「@自己本位を自任する在り方」を知ることで新たな負い目と不安を抱えることになり、いやでも露出してしまう自分の「@自己本位を自任する在り方」については自らそれを憎み恨み非難している立場を取って人々と同じ立場に立つ自分であることを強調し、人々も同じ事情にあるはずであることを頼みに人々に気に入られようとします(「I利己を非難する虚言の孤立」)。

「D好意に応えたい協調の希望」はあるものの「@自己本位を自任する在り方」を離れる気持が全くない自分であることから、自分も自分の内に巣食っている「@自己本位を自任する在り方」の被害者に過ぎないという立場を取り、“自分も人々と同様に「@自己本位を自任する在り方」を憎んでいるのであって本当の自分は人々の側に居る”と嘘の主張をして、人々に受け入れられようとします。

「@自己本位を自任する在り方」を大切に包まれ、そのままを受け入れられることによって“自負の意思”“自由の意思”“協調の意思”の“三つの意思(@AB)”を与えられている私たちが、ようやくにして自分の「@自己本位を自任する在り方」に気がついた時、私たちは「@自己本位を自任する在り方」が人々から排除をされるしかないものと誤解していて、「@自己本位を自任する在り方」は自分が望んでいる自分ではないと人々に向けて出任せをいうのです。

 

 


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