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改 訂 W 人生構造


 

「F好意に応えた生き方の強制」

私たちに“三つの意思(BCD)”すなわち“充実と誇りと希望”の“私たち自身”を与え、それをいつの時にも支え続ける「A利己を支持する人々の好意」。その必然性に気づいて人々に対して果たすべき役割に目覚め、「D好意に応えたい協調の希望」の実践を生きる。それを求める人々の指導(強制)。

 

 

解  説

「“人々の好意”に対する“必然性への不信”」の中にあって“人々の好意”を決して失う訳にいかない私たちは、人々を怒らせることはできません。そのため傲慢すぎる「B好意を当然と求める自負心」や不遜すぎる「C好意に頼らざるを得ぬ不服」を、人々に明かすことはできないと思い込んでいます。明かすことの出来ない二つの姿を背負う私たちは自分の殻に閉じこもり、「D好意に応えたい協調の希望」の表明を保留し、人々に向かって心を開くことができません。

まして「B好意を当然と求める自負心」と「C好意に頼らざるを得ぬ不服」が他の人々にも存在しているとなれば、不用意に「D好意に応えたい協調の希望」を実践した場合、自分がどのような扱いを受けることになるか分かりません。

私たちは“素晴らしい無上の存在である自分”に満たされながらも、「D好意に応えたい協調の希望」を閉ざして“応分の責務”への情熱(積極性)を封じ込めたまま「E好意の漂泊を警戒する孤立」に停滞し、“人々の好意”に一方的に擁護されるその場を息を殺したまま動こうとしません。

そのような私たちに人々は、「F好意に応えた生き方の強制」を開始します。

“自分だけを満たすのではいけない”と私たちを非難し、次第に自立へと向かわせます。私たちを人々と同様の自立した立場に追いやり、決して一人では生きることのできない自分、しかし利己である自分、そしてその利己を包み込んでいる“人々の好意”であることを知らせ、人々もまた私たちと同様にお互いに支え合うことなしには一日も有り得ない「“人々の好意”の必然」を悟らせ、「E好意の漂泊を警戒する孤立」を克服させようとします。

自立を促す人々の指導は、一方的な擁護への停滞に執着する私たちに“好意の剥奪”を匂わせる圧迫を伴って行われるため、私たちにとってそれは否も応もない強制と映ります。


 


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