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改 訂 W 人生構造


 

「D好意に応えたい協調の希望」

「@自己本位を自任する在り方」の私たちが「A利己を支持する人々の好意」を注がれることで与えられ支えられる私たちの、“人々の好意”こそ私たちが生きてある躍動のその基盤のすべてだという認識に基づく、「“人々の好意”に応えて共に助け合い“応分の責務”を果たすことで自分を役立たせたい」と願う“協調の意思”

 

解  説

私たちは「B好意を当然と求める自負心」というまことに高慢な自信で満たしてもらっているのにもかかわらず、人々の存在を大切にし重んじています。それは、私たちがたとえどれほど偉かったとしても、その偉いはずの私たちに好意を注いで私たちの“いのち”を支えてくれているのは自分以外の周りの人々であることを私たちが良く承知しているからです。

私たちは、“人々の好意”と同様の好意をもって人々に呼応し、人々と協力し、支え合い、協調して生きることが自分の歩むべき道であると考えています(「D好意に応えたい協調の希望」)。

しかし、“人々の好意”が自分にとって不可欠なものであると認識しているからといって、そのことで私たちが人々に対して卑屈になってしまうようなことはありません。

私たちは、「C好意に頼らざるを得ぬ不服」をも与えられていて、何者にも束縛されることを拒絶し何者にも従属することを拒絶する、そのような“自由な個人”であることをも容認され、それを保たれてもいるからです。

「A利己を支持する人々の好意」を溢れるがままに享受する私たちは、「B好意を当然と求める自負心」と「C好意に頼らざるを得ぬ不服」を抱きながら、“人々の好意”と同様の好意を持って人々に応じ、協力し、支え合い、協調し、そのようにして人々の間での“応分の責務”を進んで担っていく積極的な生き方こそ、自らを十二分に活かしていく道であると実感し、一筋にその道を歩もうとする希望に溢れています。

私たちは“自負の意思”“自由の意思”“協調の意思”の“三つの意思(BCD)”に立脚し、“充実と誇りと希望”の“素晴らしい無上の存在である自分”に満ちて“人々の好意”と支え合う自分を望みます。


 


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