天武天皇の年齢研究

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 天武天皇の年齢 

 天武天皇の業績 

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 古代天皇の年齢 

 継体大王の年齢 

 古代氏族人物の年齢 

 暦法と紀年と年齢 

 

−メモ(資料編)−

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 歴代天皇の年齢

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2018年に第三段

「神武天皇の年齢研究」

 

2015年専門誌に投稿

『歴史研究』4月号

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2013年に第二段

「継体大王の年齢研究」

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2010年に初の書籍化

「天武天皇の年齢研究」

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歴代天皇の年齢原文表記 

First update 2013/07/20 Last update 2013/07/20

 

各史書に載る年齢と年齢を推測させる記事を原文のまま収録しました。

詳細な崩御年齢は歴代天皇の年齢を参照してください。

( )内は史書名、( )にない記述は日本書紀の記述です。

参照文献 日本書紀、古事記、扶桑略記(扶桑)、神皇正統記(神皇)

 

神代上

     次、生蛭兒。雖已三歳、脚猶不立。

     一書曰、日月既生。次、生蛭兒。此兒年滿三歳、脚尚不立。

(古事記)故、日子穂穂手見命者、坐高千穂宮、伍佰捌拾歳。

神代下

     次、狹野尊。亦號、~日本磐余彦尊。所稱狹野者、是年少時之號也。

神武天皇

即位前  年十五立爲太子。

(扶桑) 年十五,立皇太子。

     年四十五歳、謂、諸兄及子等、曰、〜

     自、天祖降跡以逮、于今、一百七十九萬二千四百七十餘歳。

(扶桑) 四十二年壬寅正月甲寅日,立皇太子。生年十九,綏靖天皇是也。

76年  天皇崩、于橿原宮。時年、一百廿七歳。

(神皇) 此天皇天下を治給こと七十六年。一百二十七歳おはしき。

(古事記)凡、此神倭伊波禮毘古天皇、御年、壹佰參拾漆歳。

綏靖天皇

即位前  至、四十八歳、~日本磐余彦天皇、崩。

(扶桑) 卅二年辛亥,相當周靈王廿二年,十一月庚子日,孔子生。其時子四十三歟。

33年  夏五月、天皇不豫。癸酉、崩。時年八十四。

(神皇) 天皇天下を治給こと三十三年。八十四歳おましき。

(古事記)天皇御年、肆拾伍歳。御陵在衝田岡也。

安寧天皇

即位前  天皇、以~渟名川耳天皇廿五年、立爲皇太子。年廿一。

38年  冬十二月庚戌朔乙卯、天皇崩。時年五十七。

(神皇) 天下を治給こと三十八年。五十七歳おましき。

(古事記)天皇御年、肆拾玖歳。御陵在畝火山之美富登也。

懿徳天皇

即位前  磯城津彦玉手看天皇十一年、春正月壬戌、立爲皇太子。年十六。

22年  春二月丁未朔戊午、立觀松彦香殖稻尊、爲皇太子。年十八。

(神皇) 天下を治給こと三十四年。七十七歳おはしましき

(古事記)天皇御年、肆拾伍歳。御陵在畝火山之眞名子谷上也。

孝昭天皇

68年  春正月丁亥朔庚子、立日本足彦國押人尊、爲皇太子。年廿。

     天皇御年、玖拾參歳。御陵在掖上博多山上也。

(神皇) 天下を治給こと八十三年。百十四歳おはしましき。

孝安天皇

76年  春正月己巳朔癸酉、立大日本根子彦太瓊尊、爲皇太子。年廿六。

(古事記)天皇御年、壹佰貳拾參歳。御陵在玉手岡上也。

(神皇) 天下を治給こと一百二年。百二十歳おまし<き。

孝霊天皇

(古事記)天皇御年、壹佰陸歳。御陵在片岡馬坂上也。

(扶桑) 卅六年丙午正月,立皇太子。年十九。孝元天皇是也。

(神皇) 此天皇天下を治給事七十六年。百十歳おはしましき。

孝元天皇

即位前  天皇、以大日本根子彦太瓊天皇卅六年、春正月、立爲皇太子。年十九。

22年  春正月己巳朔壬午、立稚日本根子彦太日日尊、爲皇太子。年十六。

(古事記)此天皇御年、伍拾漆歳。御陵在劔池之中岡上也。

(神皇) 此天皇天下を治給こと五十七年。百十七歳おましき

開化天皇

即位前  天皇、以大日本根子彦國牽天皇廿二年、春正月、立爲皇太子。年十六。

28年  春正月癸巳朔丁酉、立御間城入彦尊爲皇太子。年十九。

60年  冬十月癸丑朔乙卯、葬、于春日率川坂本陵。【一云、坂上陵。時年百十五】

(神皇) 天下を治給こと六十年。百十五歳おましき。

(古事記)天皇御年、陸拾參歳。御陵在伊邪河之坂上也。

崇神天皇

即位前  天皇年十九歳、立爲、皇太子。

68年  冬十二月戊申朔壬子、崩。時年百廿歳。

(神皇) 天皇天下を治給こと六十八年。百二十歳おましき

(古事記)天皇御歳、壹佰陸拾捌歳【戊寅年十二月崩】。御陵在山邊道勾之岡上也。

垂仁天皇

即位前  天皇以、御間城天皇廿九年歳次、壬子春正月己亥朔、生、於瑞籬宮。

     廿四歳、崇~卌八年辛未、因夢祥、以立爲、皇太子。

23年  譽津別王、是生年既卅、髯鬚八掬、猶泣如兒。

99年  秋七月戊午朔、天皇崩、於纒向宮。時年百四十歳。

(神皇) 此天皇天下を治給こと九十九年。百四十歳おましき。

(古事記)此天皇御年、壹佰伍拾參歳。御陵在菅原之御立野中也。

景行天皇

即位前  活目入彦五十狹茅天皇卅七年、立爲皇太子。【時年廿一】

(扶桑) 卅七年戊辰正月,立皇太子。年廿一也。一云,八。立東宮坊。景行天皇是也。

27年  冬十月丁酉朔己酉、遣日本武尊、令撃熊襲。時年十六。

43年 (日本武尊)既而崩于、能褒野。時年卅。

60年  十一月乙酉朔辛卯、天皇崩、於高穴穗宮。時年、一百六歳。

(神皇) 天下を治給こと六十年。百四十歳おましき。

(古事記)此大帶日子天皇之御年、壹佰參拾漆歳。御陵在山邊之道上也。

成務天皇

即位前  大足彦天皇四十六年、立爲太子。年廿四。

(扶桑) 同(景行13)年八月壬子日,以稚足皇子立皇太子。生年廿四也。成務天皇也。

(扶桑) 辛未正月五日戊子,生年四十九即位。

3年   以、武内宿禰、爲大臣也。初、天皇與、武内宿禰、同日生之。

(扶桑) 三年癸丑正月,以棟梁臣武宿禰,始為大臣。【五十九。】凡大臣之號,此時始之。

(扶桑) 卅年庚戊,神功皇后降誕。

60年  夏六月己巳朔己卯、天皇崩。時年一百七歳。

(神皇) 天下を治給こと六十一年。百七歳おましき。

(古事記)天皇御年、玖拾伍歳【乙卯年三月十五日崩也】。御陵在沙紀之多他那美也。

仲哀天皇

即位前  稚足彦天皇四十八年、立爲太子。時年卅一。

(扶桑) 壬申正月十一日庚子,行年四十四即位。

9年   春二月癸卯朔丁未、天皇忽有痛身、而明日崩。時年五十二。

(神皇) 天下を治給こと九年。五十二歳おましき。

(古事記)凡、帶中津日子天皇之御年、伍拾貳歳【壬戊年六月十一日崩也】。御陵在河内惠賀之長江也。

神功皇后

69年  夏四月辛酉朔丁丑、皇太后崩。於稚櫻宮。【時年一百歳】

(古事記)【皇后御年一百歳崩。葬于狭城楯列陵也。】

(扶桑) 六十九年己丑四月,天皇春秋百,崩。

(神皇) 此皇后天下を治給こと六十九年。一百歳おましき。

応神天皇

即位前  天皇、以皇后討新羅之年、歳次、庚辰冬十二月、生、於筑紫之蚊田。

(扶桑) 應神天皇 【十六代,治四十一年。庚辰生。〜】

     皇太后攝政之三年、立爲皇太子。【時年三】

(扶桑) 三年癸未正月,譽田皇子立皇太子,年始四。應神天皇是也。

     攝政六十九年夏四月、皇太后崩。【時年百歳】

41年  春二月甲午朔戊申、天皇崩于明宮。時年一百一十歳。

(古事記)凡此品陀天皇御年、壹佰參拾歳【甲午年九月九日崩】。

(扶桑) 卌一年庚午二月十五日,天皇春秋百十一,崩。【一云,百廿二崩。】

(神皇) 天皇天下を治給こと四十一年。百十一歳おましき。

仁徳天皇

(扶桑) 應神天皇四男。母,皇后中也。癸酉正月己卯()日,行年廿四即位。【庚戌生。】

(扶桑) 卅一年癸卯正月,以去來穗(イザホ)尊,【履中。】立皇太子。年五

(扶桑) 卌年壬子,皇子誕生。反正天皇是也。

(扶桑) 55年,大臣武宿禰,春秋二百八十二,薨。歷六代朝二百四十四年也。

(扶桑) 62年,皇子誕生。允恭天皇是也。

(扶桑) 七十五年丁亥,雄略天皇誕生。【天皇之孫也。】

(扶桑) 八十七年己亥正月十六日,天皇一百十,崩。【一云,百廿三崩。】

(神皇) 天下を治給こと八十七年。百十歳おまし<き。

(古事記)御年、捌拾參歳【丁卯年八月十五日崩也】。御陵在毛受之耳〈上〉原也。

履中天皇

(扶桑) 履中天皇【十八代,號去來穗(イザホ)天皇。己亥生。即位前

仁徳31年、春正月立爲皇太子。【時年十五。】

(扶桑) 庚子二月一日壬午,行年六十二,即位。

(扶桑) 二年辛丑正月,以弟瑞齒別皇子,為皇太子。年五十也。

 6年  三月壬午朔丙申、天皇、玉體不悆、水土不調。崩、干稚櫻宮。時年七十。

(古事記)天皇之御年、陸拾肆歳【壬申年正月三日崩】。御陵在毛受也。

(扶桑) 6年三月十五日,天皇春秋六十七崩。

(神皇) 天下を治給こと六年。六十七歳おましき。

反正天皇

(扶桑) 反正天皇 【十九代,號瑞齒天皇,治六年。壬子生。〜】

即位前  去來穗別天皇二年、立爲皇太子。

(扶桑) 丙午正月二日戊寅生,年五十五即位。

(古事記)天皇之御年、陸拾歳【丁丑年七月崩】。御陵在毛受野也。

(扶桑) 六年辛亥正月,天皇六十,崩。

(神皇) 天下を治給こと六年。六十歳おましき。

允恭天皇

(扶桑) 允恭天皇【廿代。號遠明日香天皇,治卅二年。甲戌生。〜】

(扶桑) 壬子十二月,行年卅九即位。

 7年  適産、大泊瀬天皇之夕、天皇始幸、藤原宮。

42年  春正月乙亥朔戊子、天皇崩。時年若干。

(古事記)天皇御年、漆拾捌歳【甲午年正月十五日崩】。御陵在河内之惠賀長枝也。

(扶桑) 四十二年癸巳正月十四日,天皇春秋八十,崩。

(神皇) 此天皇天下を治給こと四十二年。八十歳おましき。

安康天皇

(扶桑) 安康天皇【廿一代,號穴穗天皇。辛丑生。〜】

(扶桑) 癸巳十二月十四日壬午生。年五十三,即位。【明年甲午為元年。】

(扶桑) 3年〜、前夫大草香皇子之男眉輪王,常養宮中。時年七,遊樓下。

古事記)於是、其大后先子、目弱王。是年七歳。

(古事記)天皇御年、伍拾陸歳。御陵在菅原之伏見岡也。

(扶桑) 天皇春秋五十六,崩。【八月壬辰日被誅。】

(神皇) 此天皇天上を治給こと三年。五十六歳おましき。

雄略天皇

(扶桑) 【廿二代,號大泊P天皇,治廿三年。王子男三人,女二人,一人即位。丁亥生。】

(扶桑) 允恭天皇第五男。母皇后忍坂大中也。丙申十一月十三日生。年七十即位。

 5年  於、筑紫各羅嶋、産兒。仍名此兒曰嶋君。於是、軍君即以一船、送嶋君於國。是爲、武寧王。

(扶桑) 廿二年戊午正月,以白髮皇子(清寧),立皇太子。生年卅五。

(古事記)故、其赤猪子、仰待天皇之命、既經八十歳。〜經八十歳、今容姿既耆。

(古事記)天皇御年、壹佰貳拾肆歳【己巳年八月九日崩也】。御御陵在河内之多治比高鸇也。

(扶桑) 廿三年己未八月,天皇年九十三,崩。【一云,五十一崩。一云,一百四。】

(神皇) 此天皇天下を治給こと二十三年。八十歳おましき。

清寧天皇

(扶桑) 庚申正月四日壬子生,年卅五即位。【一云,卅七即位。】

 5年  春正月甲戌朔己丑、天皇崩、于宮。時年若干。

(扶桑) 五年甲子正月,天皇春秋卅九,崩。【一云,卌一崩。】

(神皇) 天下を治給こと五年。三十九歳おましき。

顕宗天皇

(扶桑) 飯豊天皇 五年甲子正月,天皇春秋卅九,崩。【一云,卌一崩。】

(扶桑) 飯豊天皇 同年冬十一月,天皇春秋四十五崩。

(扶桑) 顕宗天皇、乙丑年正月一日己巳生,年卌六即位。

(古事記)袁祁之石巣別命、坐近飛鳥宮。治天下捌歳也。

(古事記)天皇御年、參拾捌歳。治天下八歳。御陵在片岡之石坏岡上也。

(扶桑) 三年丁卯四月,天皇四十八,崩。

(神皇) 天下を治給こと三年。四十八歳おましき。

仁賢天皇

(扶桑) 戊辰正月五日乙酉生,年四十即位。

(扶桑) 七年甲戊正月,以小泊P稚鷦鷯皇子立皇太子,年六。武烈天皇是也。

(扶桑) 十一年戊寅八月,天皇春秋五十,崩。

(神皇) 天下を治給こと十一年。五十歳おましき。

武烈天皇

(古事記)小長谷若雀命。坐長谷之列木宮。治天下捌歳也。

(扶桑) 戊寅十二月生。年十即位。【明年為元年。】

(扶桑) 同年十二月,天皇春秋十八,崩。

(神皇) 此天皇天下を治給こと八年。五十八歳おましき。

継体天皇

即位前  天皇幼年、父王薨。

     天皇年五十七歳、八年冬十二月己亥、小泊瀬天皇崩。

(扶桑) 丁亥年二月甲午,生。年五十八,即位。

 1年  是爲天國排開廣庭尊。【開、此云、波羅企】是嫡子而幼年。

     於二兄治後、有其天下。

    【二兄者、廣國排武金日尊、與武小廣國押盾尊也。見下文】

17年  十七年夏五月、百濟國王、武寧薨。

25年  春二月、天皇病甚。二月丁未、天皇崩、于磐余玉穗宮。時年八十二。

    【或本云、天皇、廿八年歳次甲寅、崩】

(古事記)天皇御年、肆拾參歳。御陵者三嶋之藍(御陵)也

(扶桑) 丁亥年二月甲午,生。年五十八,即位。

(扶桑) 廿五年辛亥二月,天皇春秋八十二,崩。

(神皇) 天下を治給こと二十五年。八十歳おましき。

安閑天皇

(扶桑) 癸丑二月生。年六十八,即位。【以明年為元年。】

 2年  冬十二月癸酉朔己丑、天皇崩、于勾金橋宮。時年七十。

(扶桑) 二年乙卯十二月十七日,天皇七十崩。

(神皇) 天下を治給こと二年。七十歳おましき。

宣化天皇

(扶桑) 乙卯十二月生。年六十九,即位。明年丙辰,為元年。

(扶桑) 1年三月,蘇我宿禰稻目,任大臣。于時年卅一也。

 4年  春二月乙酉朔甲午、天皇崩、于桧隈廬入野宮。時年七十三。

     冬十一月庚戌朔丙寅、葬天皇于大倭國身狹桃花鳥坂上陵。

     以、皇后橘皇女及其孺子、合葬干是陵。

    【皇后崩年、傳記無載。孺子者、盖未成人而葬歟】

(扶桑) 四年己未二月十日,天皇春秋七十二,崩。

(神皇) 天下を治給こと四年。七十三歳おましき。

欽明天皇

即位前  余、幼年淺識、未閑政事。山田皇后、明閑百揆。請就而決。

     加以幼而穎脱、〜「また幼時から抜きんでてすぐれ、」

     冬十二月庚辰朔甲申、天國排開廣庭皇子、即天皇位。時年若干。

 7年 【百濟本記云、高麗、以正月丙午、立中夫人子爲王。年八歳。】

(扶桑) 13年,大連物部尾輿,薨。一云,同年壬申。

14年  餘昌對曰、姓是同姓、位是杆率、年廿九。

31年  朕、承、帝業、若干年。

(扶桑) 卅一年庚寅三月,大臣蘇我宿禰稻目,年六十五,薨。在官卅五年,歷二代朝。

32年  是月、天皇、遂崩于内寝。時年若干。

(神皇) 天皇天下を治給こと三十二年。八十一歳おましき。

敏達天皇

(古事記)沼名倉太玉敷命。坐他田宮。治天下壹拾肆歳也。

(扶桑) 一年、蘇我宿禰馬子,任大臣。【年廿二。】蘇我大臣稻目男。

(扶桑) 二年癸巳二月十五日,平旦,豐日皇子一男耳聰王子生始二,合掌東向,稱南無佛。

    【是聖コ太子也。】

(神皇) 御手をにぎり給しが、二歳にて東方にきて、南无仏とてひらき給しかば、一の舎利ありき。

(扶桑) 五年丙申三月戊子()日,以炊屋為皇后。【年十八。】

(扶桑) 六年、然太子年六

(扶桑) 七年戊戊春二月,耳聰王子,年纔七,燒香,披見數百經論。

13年  令度、司馬達等女嶋。曰、善信尼。【年十一歳】

(扶桑) 十四年 八月十五日,天皇春秋廿四,崩。山陵河國石川郡磯長中尾。

(神皇) 天皇天下を治給こと十四年。六十一歳おましき。

用明天皇

(古事記)橘豐日命。坐池邊宮。治天下參歳。

(扶桑) 廄戶皇子未及元服,【年十六。】

(神皇) 天皇天下を治給こと二年。四十一歳おましき。

崇峻天皇

即位前 【古俗、年少兒年、十五六間、束髮於額。十七八間、分爲角子。】

(古事記)長谷部若雀天皇。坐倉椅柴垣宮。治天下肆歳【壬子年十一月十三日崩也】。

(扶桑) 丁未年八月二日生。年六十七,即位。【明年以為元年。】

(扶桑) 五年十一月三日,駒入拔刀,得犯天蹕。【七十二。】

(神皇) 天下を治給こと五年。七十二歳おまし<き。

推古天皇

即位前  年十八歳、立爲、渟中倉太玉敷天皇之皇后。

     卅四歳、渟中倉太珠敷天皇、崩。

(扶桑) 壬子年十二月八日己卯生。年卅八,即位。【一云,四十即位。】

     卅九歳、當于、泊瀬部天皇五年十一月、天皇爲大臣馬子宿禰、見殺。

(扶桑) 廄戶皇子為皇太子,萬機之政悉委太子。于時,太子生年廿二。

扶桑) 廿九年、辛巳二月廿二曰,聖コ太子薨于斑鳩宮。時年四十九。

(扶桑) 【已上太子薨年二,共出傳文。私云,聖コ太子,敏達天皇元年壬辰正月朔日誕生,

     其後至于推古天皇第廿八年庚辰,合四十九年也。而遷化之年,既云四十九。

     何謂推古天皇廿九年辛巳及第卅年壬午之間兩不同哉,共是非也。

     薨年四十九,若是作傳之人恐筆誤歟。巳上私詞也。取捨亦任後賢之是非焉。】

     何謂推古天皇廿九年辛巳、及第卅年壬午之間兩不同哉,共是非也。

(扶桑) 卅四年丙戊五月廿日,大臣蘇我宿禰馬子,薨。【七十六也。】

     〜蘇我宿禰蝦夷,任大臣。【四十一。】

     卅六年 癸丑、天皇崩之。【時年七十五】 

(神皇) この天皇天下を治給こと三十六年。七十歳おましき。

(古事記)豐御食炊屋比賣命。坐小治田宮。治天下參拾漆歳【戊子年三月十五日癸丑日崩】。

舒明天皇

(扶桑) 己丑正月四日丙午,年卅七,即位。

13年  是時、東宮開別皇子、年十六而誄之。

(扶桑) 十三年辛丑十月九日,天皇於百濟宮崩。【年四十九。】

(神皇) 天下を治給こと十三年。四十九歳おまし<き。

皇極天皇

(扶桑)四年 蝦夷臨誅自殺。【年□十六】堕大鬼道。蘇我門家,一旦殄減矣。

孝徳天皇

即位前  大兄命、是昔天皇所。生而、又年長。

(扶桑) 元年 同日,中臣鎌子連,為臣。年卅一。臣者准大臣位也。

(扶桑) 大化五年四月,巨勢コ太古,任左大臣。【五十七。】

(神皇) 天下を治給こと十年。五十歳おましき。

斉明天皇

(扶桑) 四年 戊午正月,正二位左大臣巨勢朝臣コ太古,薨。【六十六。】

 4年  五月、皇孫建王、八歳薨。

 4年 (十一月有間皇子)【方今皇子、年始十九。未及成人。】

 7年  御船到、于大伯海。時、大田姫皇女、産女焉。仍名是女、曰、大伯皇女。

(神皇) 天皇天下を治給こと七年。六十八歳おましき。

天智天皇

(扶桑) 元年(壬戌)正月,蘇我宿禰武羅自,任右大臣。【五十二。】

(扶桑) 同月,右大臣武羅自,薨。【五十四。】

     八年 藤原内大臣薨。【日本世記曰、内大臣、春秋五十、薨于私第。遷殯於山南。

     天何不淑、不憖遣耆。鳴呼哀哉。碑曰、春秋五十有六而薨。】

(扶桑) 八年 十六日辛酉,薨于淡海之第。時年五十有六。

     十年 甲寅、常陸國貢中臣部、若子。長尺六寸、其生年丙辰、至此歳、十六年也。

(扶桑) 十年辛未正月五日,以大友皇子,為太政大臣。年廿五

(扶桑) 十年 同日,右大臣蘇我宿禰赤兄,任左大臣。【卅九。】

(神皇) 天下を治給こと十年。五十八歳おましき。

天武天皇

(扶桑) 元年 廿七日丙辰,右大臣中臣金連破誅,左大臣蘇我宿禰赤兄配流。時年五十。

(扶桑) 八年 十六日辛酉,薨于淡海之第。時年五十有六。

13年  女年卌以上、髮之結不結、及乘馬縱横、並任意也。

14年  冬十月癸酉朔丙子、百濟僧常輝、封卅戸。是僧壽百歳。

(神皇) 天下を治給こと十五年。七十三歳おましき。

持統天皇

即位前  開別天皇元年、生、草壁皇子尊、於大津宮。

     庚午、賜死、皇子大津、於譯語田舍。時年廿四。

(扶桑) 元年 大津皇子,將謀叛反皇太子草壁尊。仍十一月,賜死。【年廿四。】

 1年  庚辰、賜京師、年自八十以上、及癃、貧不能自存者絁綿、各有差。

 4年  三月丁丑朔丙申、賜京與畿内人、年八十以上者、嶋宮稻人廿束。

     癸丑、賜京與畿内、耆老耆女、五千卅一人、稻人廿束。

 7年  癸卯、賜京師及畿内、有位年八十以上、人衾一領・絁二疋・綿二屯・布四端。

     丙午、賜京師男女、年八十以上、及困乏窮者布、各有差。

 9年  壬辰、賞賜諸臣、年八十以上、及痼疾、各有差。

10年  庚戌、後皇子尊、薨、高市皇子。

(扶桑) 十年丙申七月,太政大臣高市皇子,薨。【四十三。】

(扶桑) 八月一日甲子,天皇讓位輕皇子,號太上天皇。生年五十

(神皇) 此天皇より太上天皇の号は侍る。五十八歳おましき。

別巻にて

(古事記序文)時有舍人、姓稗田名阿禮。年是廿八。

 

 

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