天武天皇の年齢研究 −目次− −拡大編− −メモ(資料編)− −本の紹介−詳細はクリック 2018年に第三段 「神武天皇の年齢研究」 2015年専門誌に投稿 『歴史研究』4月号 2013年に第二段 「継体大王の年齢研究」 2010年に初の書籍化 「天武天皇の年齢研究」 |
神武天皇の年齢研究−出版 First update 2017/05/20 Last update 2018/06/15 出版日は平成30年6月15日です。 平成30年4月20日 予約販売が開始されました。
出版社: 叢文社 (2018/5/28) ISBN-10: 4794707800 ISBN-13:
978-4794707802(将来的に備えた番号です) 商品パッケージの寸法: 18.8 x 12.8 x 2 cm 304ページ 本書は、127歳の初代神武天皇から110歳の応神天皇までの15代、俗にいう「上代」の紀年を扱っています。神武天皇はもちろんですが、誰もが軽んじる欠史八代を丹念に調べました。さらに、30歳の日本武尊、280歳の武内宿禰にもしっかり光を当てました。 こうして、天武天皇、継体大王、神武天皇の『年齢研究』三部作が完結します。 本書の数字上の要点は次の二つです。 一.神武天皇紀の冒頭に書かれた、1,792,470歳の意味です。 1792470 = 1340×1340 - 1800 + (-666-664) この式は次のようにして求めた結果である。 -666 - 1792470 = 664 -
(1340×1340 - 1800) 古代中国の暦法には、その暦法に沿った上元、遠い過去から暦が始まったとする考え方があります。 同様に神武東征年の1,792,470年前は、儀鳳暦の初年度「麟徳元年」の(1340×1340 - 1800)前を上元と定めたものです。1,340は儀鳳暦では「総数」と呼ばれる重要な数字です。 二.歴代天皇在位年合計は次天皇との年齢差合計と等しいのです。 ですから、在位年だけの従来の紀年論は片手落ちです。10人天皇が親子相続を続けた場合、その在位合計は大凡200年前後と言えるのです。不確実な在位年より、人間の生理から推測が可能になります。 神武天皇について、今まで なぜ、古代天皇達の年齢がこんなに高齢なのか。 なぜ、こんなに長い在位の天皇が続くのか 神武天皇は本当に、紀元前7世紀の日本書紀の始祖王なのか なぜ、神武東征年が甲寅年、神武即位年が辛酉年なのか なぜ、日本の始祖王は西から来たと書かれたのか 古事記や太安万侶の序文は偽書なのか 日本書紀は、取りあえず書かれた、試作段階の書物なのか 古事記と日本書紀の関係、稗田阿礼とは なぜ、日本書紀は、儀鳳暦と元嘉暦の二暦が使われたのか 現在、上代天皇の実在を信じる人はほとんどいません。本書は数字を多用していますが、日本書紀に書かれている数字はほとんど信じていません。むしろ、記紀伝承、故事のほうを信じることにしました。人の営みを通して常識から旧辞に添った年齢を考えると、逆に、日本書紀に書かれた年齢の意味がわかり、驚かされました。 本書の結論の一つ、紀年は、至ってシンプルです。日本書紀は、当初描いていた紀年に対し、一代神武から15代応神まで600年の在位と年齢を引き延ばしていました。方法論としては少し大雑把な言い方ですが、当時描いた10人の天皇の在位と年齢に60年を上乗せしていたにすぎないのです。例えば、神武天皇は元の在位を76年ではなく16年、年齢127歳ではなく67歳と設定されていたものだったのです。 専門雑誌『歴史研究』に投稿した時点で本書の構想は出来ていました。ところが、出版する段階で次々大きな発見が重なり時間がどんどん過ぎてしまいました。やっと、平成29年5月10日に脱稿し出版社の叢文社に持ち込みました。 装丁は、最初の「天武天皇」を大海の青色、次の「継体大王」を草原の緑色、そして今回「神武天皇」は朱色にしてほしいと希望を出しました。いつも、著者のイメージを具現化していただいて感謝に堪えません。 販売店参照 ©2006- Masayuki Kamiya All right reserved. |