天武天皇の年齢研究 −目次− −拡大編− −メモ(資料編)− −本の紹介−詳細はクリック 2018年に第三段 「神武天皇の年齢研究」 2015年専門誌に投稿 『歴史研究』4月号 2013年に第二段 「継体大王の年齢研究」 2010年に初の書籍化 「天武天皇の年齢研究」 |
古代天皇の年齢 First update 2013/05/20 Last update 2013/12/30 日本書紀に紹介された古代天皇について 代数 天皇名 父 母 母の素姓 第41代 持統天皇 天智天皇 遠智娘 蘇我山田石川麻呂の娘 第40代 天武天皇 舒明天皇 皇極天皇 茅渟王の娘 第39代 弘文天皇 天智天皇 宅子娘 伊賀の采女 第38代 天智天皇 舒明天皇 皇極天皇 茅渟王の娘 第37代 斉明天皇 茅渟王 吉備姫王 桜井皇子の娘 第36代 孝徳天皇 茅渟王 吉備姫王 桜井皇子の娘 第35代 皇極天皇 茅渟王 吉備姫王 桜井皇子の娘 第29代 欽明天皇 継体天皇 手白香皇女 仁賢天皇の娘 第28代 宣化天皇 継体天皇 目子媛 尾張連草香の娘 第27代 安閑天皇 継体天皇 目子媛 尾張連草香の娘 第26代 継体天皇 彦主人王 振媛 越前三国王の娘 第25代 武烈天皇 仁賢天皇 春日大娘皇后 雄略天皇の娘 第24代 仁賢天皇 市辺押磐皇子 荑媛(はえ) 蟻臣の娘 第23代 顕宗天皇 市辺押磐皇子 荑媛(はえ) 蟻臣の娘 第22代 清寧天皇 雄略天皇 韓媛(から) 葛城円大臣の娘 第21代 雄略天皇 允恭天皇 忍坂大中姫 稚野毛二派皇子の娘 第20代 安康天皇 允恭天皇 忍坂大中姫 稚野毛二派皇子の娘 第19代 允恭天皇 仁徳天皇 葛城磐之媛 葛城襲津彦の娘 第18代 反正天皇 仁徳天皇 葛城磐之媛 葛城襲津彦の娘 第17代 履中天皇 仁徳天皇 葛城磐之媛 葛城襲津彦の娘 第16代 仁徳天皇 応神天皇 仲姫命 成務天皇の弟、五百城入彦皇子の孫 第15代 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 気長宿禰王の娘(開化天皇の曾孫) 神功皇后 気長宿禰王 葛城高顙媛 但馬比多訶の娘 第13代 成務天皇 景行天皇 八坂入姫 八坂入彦皇子(崇神天皇の皇子)の娘 第12代 景行天皇 垂仁天皇 日葉洲媛 丹波道主王の娘 第11代 垂仁天皇 崇神天皇 御間城姫 大彦(孝元天皇皇子)の娘 第10代 崇神天皇 開化天皇 伊香色謎 物部氏の遠祖、大綜麻杵の娘 第 9代 開化天皇 孝元天皇 欝色謎 穂積の祖先、欝色雄の妹 第 8代 孝元天皇 孝霊天皇 細媛 磯城縣主大目の娘 第 7代 孝霊天皇 孝安天皇 押媛 孝安天皇の兄、天足彦國押人の娘 第 6代 孝安天皇 孝昭天皇 世襲足媛 尾張連遠祖、瀛津世襲の妹 第 5代 孝昭天皇 懿徳天皇 天豊津媛 懿徳天皇の兄、石耳の娘 第 4代 懿徳天皇 安寧天皇 渟名底仲媛 事代主~の孫、鴨王の娘 第 3第 安寧天皇 綏靖天皇 五十鈴依媛 事代主~の次女 第 2代 綏靖天皇 神武天皇 媛蹈韛五十鈴媛命 事代主~の大女 第 1代 神武天皇 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依姫 海神の娘、豊玉姫の妹 【系図】 (37斉明天皇)├―茅渟王┘ | 36孝徳天皇―┘ | ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └―29欽明天皇―――――┤ 23顕宗天皇―┬―市辺皇子―17履中天皇―┘| 手白香皇女┬―24仁賢天皇―┘ | 25武烈天皇┘ | ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘ | 14仲哀天皇―――日本武尊―┐ └―16仁徳天皇――15応神天皇――――┤ 13成務天皇―┴―12景行天皇―┐ 神功皇后 | ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └―11垂仁天皇――10崇神天皇――9開化天皇――8孝元天皇――7孝霊天皇―――┐ ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └6孝安天皇――5孝昭天皇――4懿徳天皇――3安寧天皇――2綏靖天皇――1神武天皇 各天皇の年齢を検証していきます。 ここでのスタンスは天武天皇から始まった記紀編纂の時代に考えられた各天皇の年齢と彼らが描いていたはずの元史料年代を特定することです。記載されたBC660神武元年は日本書紀が作り上げた対外的な創作です。彼ら自身も神武元年がそこまで古いとは考えていなかったと思います。その彼らが本来信じていた年代を探ります。最終目的は確かに、日本の起源年を測定することですが、記紀編纂の時代思想を飛び越えて一気に真実を求めても無理があると思うからです。(2013/12/05加筆) また、目的には幾つかのハードルがあります。 まず、第一の目的は天武天皇の出自を探ることです。継体天皇まで視野を広げないと天武天皇の出自はわからないのです。 最近、継体天皇が少しわかってきたなかで、理解をさらに深めるためには、さらに応神天皇にまでさかのぼり年齢の整合性を突き詰めなければいけなくなりました。 もう一つ、本稿の主題の一つ、年齢追求に対する目的意識があります。日本書紀がこだわった、古代天皇の異常な長寿の秘密をさぐることです。そのためには、どのくらい時間がかかるかわかりませんが、トライする価値はあると思います。 手法は本稿の主題でもある年齢検証を通して行っていきます。 そのため、系図もより年齢の確実な下位の年代からさかのぼります。 日本書紀、古事記に書かれた神話の世界や長寿の古代天皇から見下ろしてみても何も得られません。 逆に、古代天皇の子供達の年齢などから積み上げていく手法で取りかかります。 いままで、重要な文献である「古事記」を意識的に避けてきました。ここからは避けて通れません。これは大変重要ですが、難しい問題が沢山あります。ゆっくり比較検討していきます。 ©2006- Masayuki Kamiya All right reserved. |