天武天皇の年齢研究

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2018年に第三段

「神武天皇の年齢研究」

 

2015年専門誌に投稿

『歴史研究』4月号

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2013年に第二段

「継体大王の年齢研究」

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2010年に初の書籍化

「天武天皇の年齢研究」

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敏達天皇の年齢 びたつてんのう

First update 2012/11/01 Last update 2011/02/10

 

562欽明23年生〜585敏達14年崩御 24歳 扶桑略記、水鏡

549欽明10年生〜585敏達14年崩御 37歳 愚管抄

538宣化 3年生〜585敏達14年崩御 48歳 皇代記、簾中抄など

525継体19年生〜585敏達14年崩御 61歳 神皇正統記、仁寿鏡

          584敏達14年崩御(甲辰) 古事記

          585敏達14年崩御(乙巳) 日本書紀

 

和風諡号:渟中倉太珠敷天皇(ぬなくらのふとたましきのすめらみこと)

訳語田(おさだ)天皇、他田(おさだ)天皇ともいわれる。

不信佛法、而愛文史 「仏法を信じず、文学、史学を愛した」とあります。

 

父  欽明天皇  敏達天皇は欽明天皇の第二子

母  石姫皇后  宣化天皇の娘。敏達1年に皇太后。

兄  箭田珠勝大兄(やまたのたまかつのおおえ)皇子、同母兄になります。

妻子 皇后 廣姫 息長眞手(おきながのまて)王の娘 一男二女を生む。

         敏達4年1月に皇后となり、同年11月に薨去

       一.押坂彦人大兄(おしさかのひこひとのおおえ)皇子。麻呂古皇子とも。

         糠手姫皇女を娶り、舒明帝、中津王、多良王を生む。

         他に茅渟王(皇極天皇の父)、山代王、笠縫王。

       二.逆登皇女

       三.菟道磯津貝皇女

         敏達7年伊勢斎王となる。池辺皇子(不詳)に犯され斎王職を去る。

   皇后 豊御食炊屋姫尊(額田部皇女)後に推古天皇として即位。欽明天皇の第二女。

         敏達5年3月に皇后、二男五女を生む。

       一.菟道貝鮹皇女(菟道磯津貝皇女)―聖徳太子に嫁ぐ。

       二.竹田皇子(小貝)―物部守屋を蘇我馬子らと攻める。

       三.小墾田皇女 押坂彦人大兄皇子に嫁ぐ

       四.鸕鷀守(うもり)皇女(輕守皇女)、

       五.尾張皇子―娘の位奈部橘王は聖徳太子に嫁ぎ、太子薨ずると推古帝に上奏した。

       六.田眼皇女―舒明天皇に嫁ぐ(日本書紀)

       七.櫻井弓張皇女―押坂彦人大兄皇子に嫁ぐ(古事記)

   夫人 老女子(おみなこ)夫人(名藥君娘) 春日臣仲君の娘 三男一女を生む。

       一.難波皇子―子の栗隈王は筑紫率に就任後、天武天皇と懇意の間柄。

       二.春日皇子

       三.桑田皇女

       四.大派皇子―舒明帝のとき、蘇我蝦夷を怠慢と批判。

   采女 菟名子(うなこ)夫人 伊勢の大鹿首小熊の娘 二女を生む。

       一.太姫皇女(櫻井皇女)、

       二.糠手姫皇女(田村皇女、寶王) 押坂彦人大兄皇子に嫁ぎ、舒明天皇を生む。

 

【敏達天皇の関連系図】

                       吉備姫王

                        ├―――――――孝徳天皇

                   大俣王  ├――皇極天皇   |

                    ├――茅渟王  ├―――間人皇女

    息長眞手王―――広姫皇后    |       ├―――天武天皇

             ――――押坂彦人大兄皇子  ├―――天智天皇

 宣化天皇――石姫皇后  | 菟名子 |  ├――――舒明天皇

        |    | ―――――糠手姫    |

        ├―――敏達天皇   |        |

 継体天皇――欽明天皇  ――――小墾田皇女     | 

        |    ―――――――――――――田眼皇女

        |    ――――菟道貝鮹皇女     

        ―――推古天皇    |        

   女    ―――用明天皇    |        

   ――姉堅塩媛   ――――聖徳太子       

   |    ├―――泥部穴穂部皇女

   |    ├―――茨城皇子   

   |    ├―――葛城皇子   

   |    ├―――泥部穴穂部皇子

   |    ├―――崇峻天皇   

   ――妹小姉君

  蘇我稲目

 

【敏達天皇の関連年表】

549欽明10年  1歳 次男、敏達天皇降誕

552欽明13年  4歳 長男、箭田珠勝大兄皇子(7歳)薨去

554欽明15年  6歳 皇太子(欽明紀)

568欽明29年 20歳 皇太子(敏達即位前紀)

572敏達 1年 24歳 天皇即位

575敏達 4年 27歳 1月、息長真手王の娘、広姫を皇后に立てる。

             この年、訳語田(奈良県桜井市戒重)に幸玉宮をつくり、移る。

             11月、先の皇后、広姫薨去。一男二女を生んだ。

576敏達 5年 28歳 額田部皇女(後の推古天皇)23歳を皇后とする。

             敏達天皇の子、二男五女(7人)を生んだ。

578敏達 7年 30歳 菟道磯津貝皇女、7歳にして斎王に指名される。

             後に池辺皇子(不詳)に犯され斎王職を去る。

584敏達13年 36歳 百済より仏教伝来

585敏達14年 37歳 疫病の流行により感染されたと言われる。崩御

 

敏達天皇の年齢根拠

愚管抄の37歳説を採用しました。愚管抄には年齢記述が豊富で詳しく記されており自信があるようです。「即位の時二十四歳。崩御の御年は三十七といい、また二十八ともいう。」「御年八十二で崩御とも」あります。

愚管抄はあらゆる伝承や史書を一覧して見せます。そのなかで37歳という設定は愚管抄が考え出した年齢のようにも見えます。扶桑略記などの24歳説はこの37歳説に基づけば、敏達天皇の即位年齢を崩御年と見誤ったものとなります。皇代記などの48歳は24歳説では額田部皇后(後の推古天皇)より年下になるため、無理やりこれを2倍にしたように見えます。61歳説は扶桑略記24歳と愚管抄37歳の足し算だったのかもしれません。なぜ、こんなことをするかといえば、敏達天皇が欽明天皇の第二子と書かれているからです。24歳や37歳であるはずがない、もっと年長者であったというわけです。愚管抄の一説に28歳とありますが、実力者蘇我氏の姫がはじめて皇后に叙せられた年が28歳のときなのです。蘇我氏にとってこのときが敏達元年といえるものです。さらに82歳は28歳の誤記のように見えます。

 

500   444455555555555666666666777777777 

  年   678901234567890123456789012345678 

用明天皇   @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――――――――30―――41

推古天皇          @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS――――――75

敏達天皇(扶           @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――24

敏達天皇(愚       @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――24―――28

敏達天皇(愚   @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――24―――――3037

敏達天皇(皇HIJKLMNOPQRS―――――――――30―――――――――31――48

敏達天皇(仁――――――――30―――――――――40―――――――――52―――――61

 

以下、こんな数遊びではなく具体的に検証します。

 

敏達天皇は父欽明天皇の第二子とあります。だからといって安易に次の天皇、第四子と書かれた用明天皇より年上と位置づけるのは危険です。本稿の天武天皇の息子たちの年齢研究で明らかなように、年長の高市皇子は第一子ではないのです。母の位が低いことが原因です。確かに大津皇子は持統天皇即位前紀に第三子と書かれています。年齢順に第一子が高市皇子、第二子が草壁皇子という通説がありますが、私はこれを採用しません。第一子が草壁皇子、第二子は高市皇子で、第三子が大津皇子として日本書紀が書かれたと思っています。あくまで、ここは位を優先させます。高市皇子はこの頃までには、皇太子である草壁皇子に準じる位高き皇子であるのです。それが続日本紀の頃になると、高市皇子の息子、長屋王の乱などで高市の地位は逆に低くなり、天智天皇の娘が生んだ舎人皇子が第三子に浮上するようになります。淳仁天皇の父としての舎人皇子だからなのです。すなわち、青木和夫氏がいうように続日本紀では草壁皇子が第一子、大津皇子が第二子と推測が可能になるのです。日本書紀や続日本紀では第何子とは単純に年齢順ではないのです。敏達天皇の母、宣化天皇の娘、石姫皇后が生んだ皇子は蘇我の娘が生んだ用明天皇より上位となり、kの敏達天皇が第二子だからといって用明天皇より年長者とは言えないのです。

 

次に后妃が生んだ子供達の人数を検討します。

まず、広姫皇后が575敏達4年に早くも薨去されています。この皇后は位の高さからも敏達天皇と同年齢と思われます。初子となる押坂彦人大兄皇子は20歳で生んだと設定しました。薨去されるまで8年の間に3人の子供を残しました。

また、広姫皇后の死後、皇后となった推古天皇の年はこの750年は年齢がわかっており17歳です。これは推古天皇の年齢を確定的とした逆証明にもなるのです。敏達天皇の子を7人(二男五女)生んだわけですから、19歳から子供を生み始めれば、2年おきの出産として敏達天皇崩御の1年前に7人を生み終わる勘定です。後添えですが、これも極端に夫の敏達天皇と差があるとは思えないのです。

すると年齢差のない愚管抄の享年37歳が一番近しい年齢といえそうです。

 

【敏達天皇関連の年齢】

500  666666666777777777788888888889999 年

  年  123456789012345678901234567890123 齢

敏達天皇 LMNOPQRS―――24―――――30――――――37

広姫皇后 LMNOPQRS――――――27          

押坂彦人大兄(舒明の父)@ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――――26―?

逆登皇女          @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――――?

菟道磯津貝皇女         @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――?

推古天皇 GHIJKLMNOPQRS―――――――――30―――――――――4075

菟道貝鮹皇女          @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――?

竹田皇子              @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―?

小墾田皇女               @ABCDEFGHIJKLMNOPQ―?

鸕鷀守皇女                 @ABCDEFGHIJKLMNO―?

尾張皇子                    @ABCDEFGHIJKLM―?

田眼皇女                      @ABCDEFGHIJK―?

櫻井弓張皇女                      @ABCDEFGHI―?

難波皇子         @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS――――――?

春日皇子           @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS――――?

桑田皇女             @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS――?

大派皇子               @ABCDEFGHIJKLMNOPQR―?

太姫皇女            @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――?

糠手姫皇女             @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―?

舒明天皇                                 @―49

聖徳太子              @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―49

 

上記の年齢表を上から順に説明します。

1.水色の部分は敏達天皇の在位期間を示しています。

2.敏達天皇の年齢は愚管抄の37歳説を採用しました。

3.広姫皇后の位は敏達天皇の位と同等に高く、年齢も同じと考えました。

4.広姫皇后が20歳で長男、押坂彦人大兄を出産したとしました。

5.すると押坂彦人大兄皇子の子、後の舒明天皇は26歳のときの子となります。

6.以下、2人の子を2年ごとに出産したと仮定します。

7.確定的な推古天皇の年齢を示しています。

8.推古天皇は19歳から夫敏達天皇が崩御されるまで2歳おきに出産を繰り替えしたとしました。

9.ほかに春日臣仲君の娘、老女子夫人が三男一女を生んでいます。最初の広姫皇后に並んで紹介記事がありますが、年長者の「大兄」の押坂より若いはずです。1歳年下としました。

10.菟名子夫人が生んだ太姫皇女と糠手姫皇女は2歳違いの姉妹です。

11.妹の糠手姫皇女は舒明天皇の母ですから、その出産年齢を20歳としました。夫となった押坂彦人皇子とは6歳違いとなります。

12.他に春日氏の娘が4人の子を生みましたが、年齢の手がかりがまるでないので略しました。

13.最後に参考までに年齢の知れる同世代層の聖徳太子の年齢をしまします。聖徳太子は用明天皇の皇子です。

 

その結果、次のことが言えると思います。

后妃は4人しかいません。しかし多産で子供は16人です。初期3人が王家に連なる息長氏族の娘、7人が近頃実力を認められた新しい臣下、蘇我氏の娘です。4人が大和の大氏族春日氏の娘、他2人が采女伊勢の娘ですが、この娘の子が舒明天皇として指名されるのです。

明らかな権力争いの構図です。

意味のない比較かもしれませんが、天武天皇は10人の后妃で17人の子供をなしました。豪族間との幅広い付き合いが垣間見える気がします。バランス感覚が明らかに違います。

 

1.幼くして欽明天皇の皇太子になります。

2.兄である第一子の箭田珠勝大兄皇子が直前に亡くなったからです。

3.敏達天皇の兄、箭田珠勝大兄は欽明13年に薨去されています。皇太子にもなっていないので若くしてなくなったと考えられます。

4.これにあわせ、息長眞手王の娘、広姫が納められ、3人の子供が生まれます。

5.24歳と比較的早く天皇に即位したのは、父欽明天皇が崩御されてしまったからです。

  この時、広姫は自動的に皇后になりますが、この2年後、薨去されました。

6.天皇に即位したことで、さらに二人の夫人が納められ、ほとんど同時に子供を出産します。

7.広姫の三番目の子、菟道磯津貝皇女と推古天皇の最初の子、菟道貝鮹皇女の名前が類似しているのは出産が同じ年、同じ場所で生まれたと予想できるからです。

8.息子の押坂彦人大兄皇子が後に舒明天皇を得るのが26歳と遅いのは、すでにその前にすでに何人かの夫人がいたと思われます。漢王の妹といわれる大俣王が皇極天皇の父、茅渟王を含め2人を生んでいます。他にもいたことでしょう。こうした身分の低いもの達は早くから皇太子になる前にすでに夫人であった可能性が高いものです。

皇極天皇の項ですでに述べたことです。

 

           菟名子   

宣化天皇――石姫皇后  ――――糠手姫

       ├―――敏達天皇   ├――――――――――舒明天皇 

       |    ├―――押坂彦人大兄皇子      | 

       |   広姫皇后   ├―――――茅渟王   |  

      欽明天皇       大俣王     ├―――皇極天皇

       |                 |

       ├―――――――――桜井皇子―――吉備姫王

蘇我稲目――堅塩媛       (10番目)

 

 

実は、問題にしなければならい事柄がもう一つあります。敏達天皇が皇太子になった時期です。

 

【日本書紀】

欽明紀

十五年春正月戊子朔甲午、立皇子渟中倉太珠敷尊、爲皇太子。

欽明15年1月7日に皇子の渟中倉太珠敷尊(後の敏達天皇)を立てて皇太子とした。

 

敏達即位前紀

渟中倉太珠敷天皇、〜廿九年、立爲皇太子。

渟中倉太珠敷天皇(敏達天皇)は欽明29年に立って皇太子となられた。

同じ日本書紀の中で、敏達天皇は2度、皇太子になっているのです。

敏達天皇は、皇太子になったのが欽明15年なのか、それとも欽明29年なのかです。

ここでは、両方正しいと考えました。

まず、欽明15年正月の立太子の記事です。次男の敏達天皇が天皇になれたのは、長男の箭田珠勝大兄皇子が予定外に早くに7歳で薨去されたからです。その2年後の正月の就任式はまだ6歳でしかないこの皇子を皇太子にしたというより、将来天皇にすると父、欽明天皇の強い意志が反映したものです。そして、欽明29年に成人となった20歳の敏達が正式に皇太子に指名されたと考えられます。

前年、欽明28年は天災の年です。「国々に大水が出て、飢える者多く、人が人を喰うことがあった」と悲惨さを記録しています。それを吹き払う、めでたい儀式が盛大に挙行されたと想像します。

 

500   444455555555555666666666777777777 

  年   678901234567890123456789012345678 

欽明天皇QRS――――――――30――――――――――40――――45         

石姫  QRS――――――――30――――――――――40――――――?       

箭田皇子  @ABCDEF                            

敏達天皇     @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――24―――――3037

笠縫皇女       @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――――――――

 

なお、欽明天皇の年齢はまだ、暫定的なものです。改めて、欽明天皇の項で細説します。

 

 

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